037.それでも海には遊びに行きます2
うみだーーー! わーーい。
でも水着回だとは言っていない!
日差しがまっしぐらに降り注いでいるのがよくわかった。斜めから降り注いでいた光はだんだん角度を変えて、どんどん真上からの光に変わってくる。それに応じて海岸の方からはもう、海水浴客の笑い声が聞こえ始めていた。
「しっかし、やっぱ、海でおよがねーの?」
「およがねーのよー」
春花さんが軽く息をはずませながら巧巳の言葉を切り返すと、巧巳は少し不満そうに顔を歪めた。
「ははぁ、それともたっくんは、あたしの水着姿みたかったのかなぁ?」
「みたくねぇよ!」
春花さんが悩ましげにうふ~んと、言うと巧巳は嫌そうに身を引いた。
「でも、春花さんの前髪あげた姿は見てみたいかも」
「それはー、乙女の秘密デス。うん」
伸ばしっぱなしになっている前髪からわずかに覗く瞳は、十分すぎるほど大きくてぱっちりしてて、ちゃんと前髪をあげればすごい美人さんぽくなりそうなのに、この人はいつだって隠してしまっているのだ。はっきりいって暗い子まっしぐら。前からずっともったいないと思ってた。
「そーいや、春花ねーちゃんが前髪そーしたのって、中学はいる頃だったっけか?」
「んや、実はそれのもーちょっと前からだよ」
春花さんは少しだけ辛そうに、頬の辺りをひくひくさせながら、それでも明るく言った。
「まぁ、いわゆる女の嫉妬は怖いってやつよ」
だから前髪なんてあげないの、っと彼女は言った。
「それにさ、顔であたしを好きになってもらいたくないじゃない。いくらかわいくたって所詮三十四十にもなれば、それは失われちゃうわけだし」
「うわー、すげぇ発想だな……」
それって、自分はすげぇかわいいって言ってるのと同じじゃんと、巧巳は呻いた。
でも、たぶん、そう言い切ってしまう権利を春花さんはちゃんと持っているんだと思う。髪で隠れているけど、顔の輪郭は整っていると思うし、体型もすらっとしていて魅力的なのだ。
「だからね、胸とかもあんまり大きくなって欲しくないなぁなんて、思っちゃうわけ。存在価値の大半を胸にもってかれちゃうなんて、悲惨の一言だわ……」
あぁ、まじで悲惨と、春花さんは顔に手を当てた。
春花さんの言い分もわかるような気がする。男の人って胸が大きいだけでそこを凝視しちゃうみたいだし、仕事をしていてもちらちら胸を見ている人がいるようには思う。音泉は胸があんまりないのでどちらかというと、足の方を見られることが多いんだけどね。
ちなみに春花さんの胸のサイズは、小さくもなく大きくもないっていうサイズ。僕と違ってちゃんと胸があるぞっていうアピールを服越しにしているのがわかる。
「って、となちん……あたしのおっぱい、気になる?」
ん? と聞かれて、あらためて凝視してしまっている事に気付いた。別にいやらしさみたいなものはまったくもって籠もってなかったんだけど、でも普通は男が女の人の胸を凝視する理由なんて一つしかないわけだし、からかわれてもしかたない。
「ははぁ、となちんもおっぱい欲しいか……そうだよねぇ。ちょっと今のままだと寂しいよね」
「ちょっ、なにいいだすんですかっ」
と思ったら、春花さんは予想の斜め上を行ってくれたようだった。
確かに半分は図星。音泉でいるときとか、胸がもっとあったらいいのにとか、思うことは本当にある。ぺったんこもいいっていうお客さんも多いんだけど、なんかすごい悔しいのだ。でも灯南でいるときは、男なんだからそんなことを考えるはずはない。
「ねーたっくん。もしとなちんに胸があったら、たっくんは、どう思う」
「あっぶねぇ……ば、ばかなこと言わないでくれよっ」
春花さんの台詞があまりにも衝撃的だったらしくて、巧巳は思い切り足場を踏みはずしてこけてしまった。今僕達が歩いているのは、砂浜からちょっと奥に入った所で、岩場が段々になっているような所だ。何でこんな所を歩いているかというと、この先に洞窟があるんだって。小さな頃遊んでて偶然発見したスポットがあるんだとか。
それを見ようってことで、僕達はこの岩場を進んでいるってわけ。
「えー、でもまんざらでもないんでしょ? っていうか、あたしはもー想像するだけで鼻血でそうなんだけど」
「鼻血って……春花さぁん」
なんてこと言うんですか、と抗議すると、ごめんごめんといって調子に乗りすぎたと彼女は謝ってくれた。
「あ、そういや、巧巳。さっきの約束ってなんだったの?」
でも、まだその話が続きそうだったので、僕は強引に話題をすり替えた。
さっきから気になっていたんだけど、なかなか聞き出せなかったのだ。
「ああ、一時に戻ってケーキ作る約束なんだ。店にだすんだとさ」
それが、部屋を借りる代償ってやつだ、と言うと巧巳はほいと、僕の手を掴んだ。
段差がある岩場で、小さい僕に手を貸してくれているのだ。
「じゃーケーキ作ってる間は……」
「ああ、一時間くらい二人でどっかてきとーにまわっててくれ」
りょーかい、というと春花さんがうんしょと段差を上った。
「それじゃ、その一時間は、二人でおよごっか?」
「それ、俺への嫌がらせ?」
「そのとーり!」
あは。息のあった掛け合い漫才だ。
でも、残念ながら、泳ぐっていう前提が無かったから、水着はもってきていないんだよね。でもそんな事を言う余裕もないくらい二人の掛け合いは続いて。
幼なじみっていいな。
そんな姿を見てると、どうしたって思ってしまう。ごく自然にいるのが当たり前みたいな感じで。お互いが空気みたいなそんな感じ。
ちょっとだけ、嫉妬しちゃうんだけど、そういう相手が僕にはいないのは、ある程度仕方が無いことだ。
家事を覚えるので精一杯だったからね。
「さて。それで目的地はまだなのかな?」
「もーちょいだ」
よいしょと最後の段差を越えると、巧巳は僕の方に手を差し伸べてきた。
周りはごつごつした岩場になっていて、足場はけっこう悪いように見える。
目的地は砂浜からちょっと離れたところのようで、これを越えないと到着できないらしい。
さっきからちょっと思ってたんだけど、なんで巧巳はこっちに手を伸ばしてくるんだろう。春花さんの方が年上だけど、やっぱりこういう時って女の子を優先するものじゃないかな。
じゃあなんで、僕の方に手を差し伸べたんだろう。
まったくもう。どんだけしてないと思われているのだろう。
きっと春花さんなら自分でも問題はないって思われてるんだろうね。それに比べると危ないというか、やらかしそうと思われてるのだろうと思う。
でも、万が一。
そう。巧巳が意図して手を貸してくれてるとしたら。
そんな風に思うと、不意にどきりとしてしまった。
先日の、ストーカーに襲われたときのことを思い出したのだ。
結局喧嘩別れみたいになってしまったのだけど、あのときの巧巳は……あー、うー、その。
確かにちょっとセクハラが過ぎると思ったけど、ストーカー対策では仕方が無いことだったのだろうと思う。
でも。こうやって手を差し伸べられると、あのときの事が思い出されてしまう。
そんな事を考え始めたら、急に心臓が早鐘のように鳴り出した。なんだろう。頭ではばかげてるって思えるのに、逆光になって暗くなっている巧巳の顔がまともに見れなかった。
そのせいか、差し出された手を掴み返そうとした手が宙を切った。
視界が一気にぐらついた。次いで、膝の辺りに痛みが奔った。
「うわっ」
事件は一瞬で起こるものだ。あれだけ注意していたのに、岩場に思い切りぶつけた膝にはじゅっくりとした赤い血が滲んでしまっている。
「ほれ、見せてみろよ」
あああっ、お仕事の時に怪我は困る! と思いながらも、巧巳が心配そうに傷口をのぞき込んでくるので、むしろドキドキしてしまってふいと視線をそらした。
「ちょっとしみるけど、我慢しろよ」
巧巳は手早くリュックサックからペットボトルの水を取り出すと、ティッシュに染み込ませて傷口についた泥を拭った。
「いたっ」
「だから、我慢しろって」
だってぇ、というと、なぜか春花さんがくすりと笑った。
「ほい、これで完了だ」
傷口がキレイになって、大きな絆創膏まではられた膝はもう、ほとんど痛みは無くなっていた。まったく、こんなものまで持ってきているなんてびっくりだ。
「って、なんでそんなもんまで入ってるの?」
「いや、お前こけそうだなって思って」
うわ、ヒドイね。僕はそんなに運動神経悪くないのに。
「まぁ、とにかく、見てみろよ」
不満げに巧巳を見上げると、彼は、まあまあと苦笑しながら僕達の進路の先の方を指さした。
巧巳が過保護なのはちょっと気になったけれど。
それでも、ほれ、と視線を誘導されると、その景色が目に飛び込んできた。
「うわぁ……」
「いいけしき……」
そこは、確かに絶景だった。
切り立つ崖と……その中に入る込んでいる波。その浸食のせいでぽっかりと空いた洞窟が顔を出していて、その中に小さな砂浜ができ上がっていた。その洞窟の中に日の光が入り込んで、穏やかになった波がキラキラと輝いていた。
「俺、自慢のプライベートビーチだ。所有権はないがね」
あっちも、まぁそこまで人は居ないんだが……ま、こういうのもいいだろ? と巧巳は言った。
岩場を通り過ぎる必要があるから、他には特に人の姿は無い。
もともと、観光客はそんなにいないところではあるけど、ほとんど独占できると巧巳はドヤ顔である。
でも。うん。
「あー、たっくん。あそこまでちょっと、海を渡らないとなんだけど?」
ん? と春花さんが首を傾げながら言った。
彼女が言うとおり。確かに目の前には人が居ないとても綺麗な砂浜があるのだけど。
いかんせんそこに行くまでには、ざざーんと海水がばっちりと引き寄せているのだった。
なんというか……さっきまでドキドキしてたけど、一回の失敗でさらっと冷静になるだなんて。
さっきのは、吊り橋効果ってやつだったんじゃないかと思う。
なんというか、目の前のおすすめスポットの前で待ちぼうけを食らわせられて。
「ふふっ」
「ちょっ、トナ!?」
なんか、すごく笑えてしまって、盛大にお腹を抱えてしまった。
さっきまでドヤ顔だったのに、同い年だってわかるような顔してるんだから。
ここ最近、巧巳はいろいろ大人っぽい顔をしすぎなのだと思う。
だから、こういった失敗があったときは、素直に嬉しくなってしまう。
友達だけ、成長しちゃったんじゃ、置き去りにされたような気持ちになるから。
も、もちろん、巧巳の失敗を願うなんてことはないんだけど。
時々こうやって、失敗するくらいの方が、一緒に居て心地良い。
「ご、ごめんね。巧巳も失敗するんだって思ったら、嬉しくてさ」
「嬉しくて、なんだ?」
「それはそうでしょ? 最近の巧巳ったら、完璧なるパティシエって感じで、朝起きるのも早いはずなのにきちんと仕事して、学校でも社交性とか発揮しちゃってね」
「ああ、試食品持って行って、女子人気をがっつりつかみつつ、怒られたーってやつだっけ?」
「怒られて、試食品もってこれなくなったってのもありましたけど」
なんかすごい大人な面を見せられてるんです、といいつつ、内心では音泉に向ける顔が浮かんだ。
仕事を始めてすごい! っていうのとは別で、やっぱりあちらの顔というのはいつもと違うのである。
「一人だけどんどんいろんなことやっちゃって、釣り合いとれないなーってね」
「釣り合いとかっていうのはだな。なんつーか、ただの友達が考えることじゃねーの?」
はぁ、まったくなにを考えてるんだか、と巧巳はため息をついた。
「だからそのさ。灯南。お前は別に遠慮とかしないで、釣り合うとか釣り合わないとか関係なく、一緒にいてくれればいいんだよ」
ほれほれ、と巧巳に頭をなでられて少しだけ、不満そうな顔を浮べておく。
いくらなんでも、男の頭をなでるのはどうなのだろうか。まあ身長はそんなにないけども。
「うふふ。それってまるで、恋の告白みたいに聞えるのだけど?」
もーやだなぁ、私みたいなおばさんが居る前で、平然とイチャイチャするんだからぁと、春花さんに言われてむしろ巧巳の方がめちゃくちゃ慌てていた。
たしかに、さっきの話は見方を変えれば、愛をささやいているようにも見えただろうし、そこを茶化そうというのはわかる。
でも、巧巳はちゃんと女の子を好きで……あれ? そういえば巧巳の好きな相手とか、聞いたことないね。
音泉に対しては、恋愛っていうよりは好意なのだろうと思うし。
そうじゃなきゃ、あんなことをした後に、あんなに冷静に今後どうしようかみたいな話はできないだろうし。
もちろん、ボクだっていきなりでびっくりしたんだけど、あくまでも受け手で、変な事を考えていただけだけど。
「……昔はいけたんだけどなぁ」
おっかしいなぁ、と言いながら巧巳は近場にあった木の枝を取って海に突き立ててみたりしていた。だいたいプールくらいの深さはあるのがわかる。
「前にここ来たのっていつなの?」
「ん。五年前くらいだな」
波の浸食のせいなのか、地震でもあったのか。無理をすればいけないこともないけど、下手をすると海へどぼんだ。
そもそもこの膝じゃ、海水がしみてとんでもなく痛い。
「まぁ、しゃーない。時間もあんまりないし、そろそろ戻ろうか」
「えー」
まだ時間は十二時前。今から戻っても一時間くらいは時間も空いている。
「町まで戻ってなんか、おいしいもんでも食べよ。太っ腹なおねーさんがちょっとくらいならおごって上げるからさ」
ホタテとかホタテとかホタテとか食べよう、と春花さんが言うので、僕は笑ってはいと答えた。奢ってもらうつもりはあんまりないけど、海の幸は楽しみだった。よくよく考えると、お昼ご飯を食べる時間って全然考慮にいれてなかったから、一時にあそこについたんじゃダメなんだよね。
「まぁ、そーだな。俺としては、あの砂浜にって思ってたけど……」
ちらりと巧巳は僕の足を見て、肩を竦めた。
まったくとんだところでミスをしたもんだ。僕がケガさえしなければあのスポットにいけたかもしれないのに。
「また、今度くればいいさ」
あからさまに気を落としている僕の頭にぽんと手を置いて、巧巳は優しくそう言ってくれた。
「さて、それじゃ戻ろっか」
「はいっ」
春花さんが横でにこにこしながらそういうので、僕は思いきり肯いた。
こっちはストックがあるので推敲だけでいいのがありがたい。
海遊びは散策だけでも楽しいものですが、灯南さんったらおけがをしてしまいましてね……
もともと水着着たらやばいのですけどね。
というわけで、次話はお店に戻ります。さぁケーキをつくるのだー!




