025.不穏な手紙と、自宅でほっこり時間
さぁ前半だけだと短いので、おうちの時間まで一緒にお届け。
お風呂もアルヨ?
はぁ、と息をかけると、お店の窓ガラスが白く曇る。
それをきゅこきゅこ拭くと、ガラスは透き通って輝いてくれる。ガラスって一見すると汚れていないようにも見えるけど、それでも毎日ちゃんとやらないといつの間にか濁ってしまうからいけない。埃とかって知らないうちにこびりついちゃうものだからね。
フォルトゥーナはいつだってこういう風に手入れがされているからいつだってきらびやかなままだ。
「その後、どうなの?」
綺麗になった窓をほれぼれ見ていると、テーブルを拭いていた渚凪さんが、なにかの話の途中でそう聞いてきた。
「その後って……手紙の件ですか?」
いろいろとその後があるのでちょっと悩んで答えたんだけど、渚凪さんはうんと肯いていた。どうやら当たりだったらしい。
「相変わらずですよー。ただ、手紙だけでお店には来ないんですよねぇ」
「手紙だけでもかなりキモイじゃん……」
彼女が言っているのは、ほとんど毎日届く差出人不明の音泉あての手紙のことだ。
ファンレターをもらうことはちらほらあるのだけど、そっちとちがってこれはなんというか、文字からなにやらねとねとねばねば、嫌な感じが染み出てくるような感じなのだ。
ほとんど毎日、ボクの出勤日に手紙が入っているのだから、こっちとしてもちょっとやってられない。そりゃね、学校でラブレターをもらうのとは訳が違うんだ。ちょっと、読んでいてぞぞぞ、としてしまう。
「今日のはこれですよ」
渚凪さんに手紙を渡すと、なになにと彼女はそれを読み始めた。
「今日もいけなくてゴメンね、僕の可愛い音泉ちゃん。って……うわ、これはちょっと……」
相変わらずキモイなぁ、と彼女は汚物を触るみたいにつまむと僕にそれを返してくれた。
「前に来たのはいつだっけ?」
どうにも渚凪さんの中ではこの手紙の主というのは、この前のあの男とリンクしているらしい。確かにあの東京での研修の時の男と、この手紙の臭いはどこか同じだ。
でもさそういうタイプの人ってみんな同じ臭いじゃないのかなって、ボクは思うんだよね。こう、ぬるっとした感じの臭いっていうのかな。
「確か、前に研修にいったあと一回だけ来てましたね。でも、別人ってこともあるんじゃないですか?」
「そうね……でも、たぶん同じ人だと思うな」
あんなのが二人もいたら身が持たないわ、と渚凪さんは苦笑した。
そんなとき裏口の方が開く音が聞こえた。
「おー巧巳くんいらっしゃい」
「ご注文の品、届けに来ました。伝票にサインお願いします」
巧巳は重たいクーラーボックスを店のショーケースの手前に置くと書類を渡してきた。
今日はケーキ食べ歩きツアーだとかの団体客がごそっと来たので、かなり足らなくなってたんだよね。ここの所は巧巳に来てもらうことは無かったから、それこそもう二週間ぶりくらいだ。
「少し、痩せた?」
「え?」
サインを渚凪さんにもらっている間、巧巳はボクの顔をのぞき込むと、心配そうな声音で言ってくれた。
自分では毎日鏡を見ててそれほど気が付かなかったけど、心労が顔に出てたんだろうか。
女の子が痩せた、と言われればすぐさま大喜びかもしれないけど、ボクの場合は違う。痩せるというと良く聞こえるけど、きっとやつれたって事に違いない。そんなの女の子として可愛くない。
「音泉ちゃんは最近、不審者につきまとわれて疲れ果てているのでござりますー」
「ちょ渚凪さん、なんてこと言うんですか……」
言うに事をかいて不審者とは言い過ぎである。でも渚凪さんはボクの声なんてまったく気にした様子もなく、クーラーボックスからショーケースにケーキを移し替えていた。
「不審者って……大丈夫なのか?」
「大丈夫も何も変な手紙が来るだけですよ。別にストーキングとかもされてないし、平気ですってば」
あまりにも深刻ぶって巧巳が言うので、ボクは手をひらひらさせて大した問題じゃないことをアピールした。
ストーキングに関して言えば、はっきりいってあり得ない話だ。
誰かにつけられていないかとか見張られていないかとか、それはもう十分注意に注意を重ねているし、はっきりいって普通の女の子よりも過敏に神経を使っている。
だって途中で着替えていることや、実はボクが灯南という男子高校生だということがばれちゃったらもう死活問題だからね。
そんなボクが大丈夫、といっているのだから大丈夫なのである。
「あの……さ、もしよければ、俺、夜に送り迎えしてやってもいいけど……」
けど巧巳は納得しなかったみたいで、頬をぽりぽり掻きながら、どこに住んでいるんだ、と聞いてきた。
「そういや音泉ちゃんの私生活って、全然知らないよね」
渚凪さんまで便乗してそんな事をいう始末だ。
まずい。これはそうとうまずい。
「巧巳さん……ケーキ作りして学校にいってて忙しいのに、私の護衛なんて頼めませんよ」
「そんなこと言っても帰りも遅いだろう? 危ないんじゃ……」
巧巳のいう通り。お店が閉まってから家に帰ると十一時を過ぎてしまう。女一人で歩くにはちょっと危ないといえば危ないんだけど、もう子供じゃないんだからそんなに過保護にされても困る。
え。警察に補導されないのかって? この町は都会ほど治安が悪いわけじゃないし、おまわりさんがそんなにいるわけじゃないから、補導ということは今までにはない。それにこの時間までシフトをいれているのは、借金のためだ。オーナーもそこら辺は黙認してくれている状態である。
「いえ、結構です。ホントに」
しんそこ恐縮してそう言ってあげると、ようやく巧巳はそうか……といって折れてくれた。巧巳だからこそ護衛なんて頼めないんだよ。
「でも、なんでかんで護身術とかは習った方がいいかもね、これからも絶対、変なの一杯沸いてくるだろうし」
私も気をつけないとなぁなんて渚凪さんははぁ、とため息をついた。そうだね。渚凪さんはおっとりしてるし危ないかも。
「最低限、防犯グッツくらいは持っておこ」
今度買いに行こうね、と言われてボクは肯いた。
湯気がお鍋からもくもくと上がっていた。
鯛のお吸い物に、レバニラに、だし巻き卵に、デザートは杏仁豆腐。
なんていうか、こう気合いを入れてご飯つくるのも久しぶりだ。ここのところ仕事仕事だったし、休みの日だってろくに家で食事をつくれてなかった気がするもん。
そろそろお給料日だから、残ってるお金をつかってちょっと豪勢な食事をって感じ。お給料日にちょっと贅沢をっていうのが普通の家なのかもしれないけど、うちの場合は逆。生活がぎりぎりだから残ったお金で贅沢だ。え、これで贅沢なのかって? 贅沢だよ。鯛なんて滅多に食べられないし、レバニラのレバーだって立派に高い。デザートの杏仁豆腐なんて、なんとっ! 限定品のやつで一個300円もするのだ!
そんな計算をしながらすべての料理が完成した頃に、親父が帰ってくる音が聞こえる。
「おかえり~」
玄関で出迎えると親父はやっぱり疲れた顔をして立っていた。いつだってこの人は仕事を一生懸命やって、クタクタになって帰ってくる。そんな親父が僕は大好きだ。
「ちょうどご飯できたところだから、とりあえず着替えて着替えて」
背広を脱がせてハンガーにかけると、親父はとりあえず部屋着に着替える。外出着じゃ、リラックスできないからね。もちろんパンツ一丁にもなってみたりして、年頃の女の子なら嫌がること間違いなしなんだけど、やっぱり僕は全然気にならない。
「この匂いは……レバニラか?」
「あたり。今日はね、テレビでやってた方法でやってみたんだよ。ニラの匂いが強めにでるんだって」
「おまえ最近は料理すごい上手くなったもんなぁ。父さんも負けそうだ……」
鼻をひくひくさせながら言う親父に、僕は胸をはってみせた。
ここの所、ちゃんとレシピに忠実にやるようになったんだよね。夏休みになって時間もけっこう取れるようになったし、お店に出ない日はお昼の料理番組なんかを見てるってわけ。いままでは料理番組とか見てても、かなりテキトーに味付けをしてたんだけど、天笠さんが「基本の量で試してから好みの味に増減した方がいい」ってアドバイスしてくれたのでそういう風にしている。その通りにしたらかなり味がしっかりするようになったから、ほんと大助かりだ。
「へへっ、こっちにはプロの料理人の助言があるからね」
戸月くんはここの所ほとんど口をきいてないけど、と心の中で付け加える。それでもまかないの晩ご飯はすっごい美味しくてもう涙が出そうだ。
「すまないな……父さんがちゃんとしてればお前にこんな苦労は……」
「苦労だなんて思ってないよ。仕事も楽しいし夏休みに入ってからはちゃんと休みも取れてるし」
それよりも心配なのは親父の身体の方なんだよね。本当に休みなんて一つもないんだから。
「そうそう、今度なんて海に行くことにもなってるんだから」
けれど親父の心配を口に出すとなおさら平気な顔をするので、僕は話題を変えた。
まだ全然計画を練っているわけではないんだけど、月末にはいけるだろう。お給料が出た後だから、27日の日曜日なんていいかもしれない。
「そうかー。巧巳くん達と?」
「うん。巧巳と……同じ学校の先輩と」
ちゃんと、うちの経済事情まで把握してくれてるんだよ、と話すと再び、すまないな……父さんが不甲斐ないばかりに……と、しょんぼりしてしまった。
「そーんなことないよ。最近実入りいいもの。人気だって出てきたしね」
にこっと必要以上に笑顔で言って上げると、親父はなぜか不満そうに俯いた。人気がでてグッツ類が売れるようになれば、収入が増えてありがたいかぎりなのに、なにがそんなに不満なのだろう。
「でも、それは問題だろう……」
「え……?」
「最近、肌も白くなったし、綺麗になっただろう?」
「それはほらスキンケアしてるからじゃないかな? 人に見られる仕事してるとやっぱり気が抜けないしさ」
親父が僕の肌をじっと見てそう言ってきた。口調から褒められているわけじゃないのはわかるんだけど、なんでそんなことを言うのかよくわからなかった。
「いや……灯南……」
「もーなんなの?」
親父がここまで言い淀むのは、珍しいことだ。
「お前は男なんだ。その……どんどん綺麗になってくとちょっと変な感じでな……」
「いいじゃん、キレイじゃないよりキレイな方がさ」
それに最初にこの仕事を提案したのは親父じゃないか、と言うと、それはそうだがと困ったように頭を掻いていた。
「まあまあ、そんな事より夕飯にしよっ」
冷めちゃったらもったいないよ、と言うと、僕は親父をいつもの席に座らせた。
それでも親父はまだ、不満そうに何かを言いあぐねているようだった。
ぴちょん。乳白色のお風呂のお湯から腕を出すと、お湯が弾けて音が鳴った。
なんか一日の疲れがすーっと抜けていく感じだ。
今日もいつもと同じ入浴剤が入っていて、良い香りが漂っている。音泉のベースになる香りだ。
本当は水道代の節約のために、お風呂のお湯なんて三日くらいは換えたくないんだけど、こういうのを入れちゃうとどうしたって毎日換えなきゃいけないからもったいない。それでも美容は女の武器で、それもお給金の一部だっていうんだから、手を抜くわけにも行かないんだよね。
「ちっぱいなのも可愛くて良いよ……か」
時々、メイドさんを見に来るメイド喫茶のファンの人に音泉が言われる台詞。やっぱり男の人が見るのは圧倒的に胸みたいで、それで音泉は時々言われるのだ。
フォルトゥーナは基本的に上げ底をしないお店だから音泉も当然ぺったんこ。幼児体型が売りのりーなちゃんよりも無いのだから本当にまな板なわけ。まぁそれは当たり前なんだけど……ここのところ……心なしか、胸が出てきている気がするんだよね。
「まっさかねぇ」
胸を軽く手で触ってみて、つぶやいた。
僕、とりあえず男なわけだし、そんな馬鹿な話があるわけはない。確かに前よりお肉はついたような気がするし、こうやって掴めばぷにってするよ? でもそれってたぶんたんに太っただけなんだと思う。最近ご飯がやたらとおいしくて食べ過ぎちゃってるし、天笠さんや戸月くんの夕食もおいしくいただいてる。それの結果なのか二キロほど太ってしまったんだよね。親父に言ったら、お前はまだ成長期なんだから増えて当然と言われた。
その時は横に太るのはやだって言い返したんだけど、なんかこう全身に脂肪がついたような感じがするんだよ。実際身長は1ミリも伸びていないんだもん。それでも巧巳には、痩せた? と聞かれてしまうのだから、きっと顔だけはやつれてるんだろうなって思う。
「男の毒牙……か」
いちおう僕も男の子なわけで、男の人が密かに妄想している事柄っていうのも、なんとなくだけど知ってる。僕を、というよりも、音泉をどうしたいのか。
「胸なんてもんで、どこがおもしろいんだろうねぇ」
ふにふにとした胸のお肉を軽くつついてみても特にどうということはない。お腹を掴んでいるみたいな感じで、ただお肉を掴んで居るぞって感覚があるだけだ。例えばこれが他の人の胸だったら、ドキドキしたりするんだろうか。例えば愛水さんの胸をこうもみもみしたら……
そう思ってもどうもなにも感じない。やっぱり胸は単なるお肉の塊だ。
じゃあもまれる側はどう感じるのか。よくクラスの男子が隠し見してる雑誌なんかだと、すごいこう女の人は気持ちよさそうにしてる風に描かれてるもんなんだけど、僕にはその気持ちよさっていうのがわからない。
きっと、それは僕が男だからなんだろうね。
そんな事を思って胸のあたりをいじくっていたら、頭がボゥっとしてきた。
いけないいけない。このままだとのぼせちゃう。いくら長風呂が綺麗の基本だといっても一時間以上の入浴なんて僕には無理だ。
浴槽から出てシャワーからぬるま湯を出して浴びると、少しだけしゃっきりした。
夏はこのままでちゃうとちょっと身体が火照っちゃって、ちゃんと眠れないんだよね。
水滴が球のようになって皮膚の上で弾ける。それがつぅと床に落ちていくのを見ていると、やっぱり僕のお肌は明らかにきれいになったよなぁなんて思う。前まではもうちょっとかさかさしてた感じがするんだよね。
それもこれもきっとこの入浴剤のおかげだろう。いろんなハーブが混ざってるって千絵里オーナーは言ってたけどなかなか良い感じだ。でも親父までつるんつるんになってるかと思うと、ちょっと笑っちゃうけどね。
だいたい熱が取れたら、身体を拭いて脱衣所の方に向かう。
「どこがどう、いいんだか」
バスタオルでさらに身体を拭きながら僕は鏡を前にしてつぶやいた。うちの洗面所にはたぶんどこの家でもそうだろうけど大きめの鏡が付いていて上半身が全部映るんだけど、それを見ても僕は首を傾げるばかりだ。
ほっそりした手足? それともちっちゃな顔だろうか。そんなことを思い出しながら、僕の可愛い音泉ちゃんって言葉が頭によぎって、ちょっと背筋の当たりに寒気が奔った。あいつは音泉のマニアなのであって、今の僕にはまったく関係ないことだ。
「くしゅんっ」
まじまじと鏡を見ていたら、小さいくしゃみがひとつこぼれてしまった。
我ながら、男なら男らしく、ぶえっくしょーいとでもくしゃみをすればいいのかもしれないけど、メイド喫茶ではそうもいかないので、いつだって可愛らしくが基本だ。使い分けなんて器用な真似できないからこうする他はない。花粉症じゃないからそれだけは救いだと思う。
「きがえきがえっと」
使用済みのバスタオルを畳んで僕は服を身につけ始めた。あ、別にパジャマは薄いグリーンのいたって普通のやつだよ。だってほら。家でまでネグリジェとか着てるわけないじゃない。あくまでも僕が女の子の恰好をしているのは仕事の為なんだから。
「あ、灯南」
「ん? なに?」
洗面所のドアを開けたところで、親父に呼び止められた。
「もう寝るのか?」
「うん。スキンケアしてからだけどね」
たまの休みの日くらい、早く寝たい。
十一時前に眠れるなんて、ありがたいもん。
でも親父はそれじゃなくて、スキンケアという言葉の方がショックだったらしい。
そりゃね男子高校生が化粧水とか乳液の使い方とか知ってたら、キモイかもしれないけどさ。仕方ないじゃない。客商売はキレイじゃなきゃダメなんだから。今日はイヤに突っかかるなと思う。
「親父も、早く入って寝ないとだめだよ」
僕はそれだけ言って部屋に向かった。
やっぱりスキンケアはスピードが命だ。
いそいで化粧水をコットンに取ると、僕は肌の上にそれをころがしていった。
ひんやりとする化粧水が、火照った肌を冷やしてくれた。
というわけで、心なしかおっぱいが大きくなってるような? 灯南ちゃんですが。
その原因は、ひとえにあの環境で過ごしていて女性ホルモンいっぱいでてるんだよ! くらいに思っていていただけると幸いです。初期構想の時の発想ではちょっと……犯罪になってしまうのでorz




