024.地味な町のケーキ屋さん2
「熱いから気を付けてね」
コトリとティーカップを彼女の前に差し出すと、熱い湯気が立ち上っているのが見えた。
本当はレモンでも入れられればもっと良かったんだろうけど、人様の台所を勝手に使うわけにもいかない。
彼女は無言のまま、ティーカップを受け取ると、ありがとう、とだけ言ってカップを抱えた。しばらくは無言だ。
「どうして……変わっちゃうのかな」
湯気が出なくなった頃になって、ようやく彼女はつぶやいた。
僕はその独り言に口を挟まず自分用の紅茶に口を付ける。ちゃんと蒸らしたお茶はしっかり濃くでていて、何も加えなくてもお茶の味がする。ほっこりする味だ。
彼女の事は少なからず知っているつもりだ。ここ二ヶ月でもう十回くらいは来てくれている常連さんだから、嗜好だってある程度わかってるつもり。でも内面までもはさすがにわからない。メイドとご主人様の関係で多少喋っても、そんなに込み入った話なんてできっこないのだから。
そしてそんな無言の時間の間にも、お店の方には少しお客さんがきて、巧巳の声が聞こえて。
紅茶がだいぶぬるくなってしまった頃になって、ようやく彼女はこちらに顔を向けて苦い笑みを浮かべた。
「じつは、今日はヤケ食いしようと思ったんですよね」
彼女は、うん、とつぶやいて、よし、と肯いてから、無理矢理つくった笑顔を張り付かせて、僕に言った。
「つき合ってもらえません?」
彼女はケーキの箱をあけてそう言った。中には九つのケーキが入っている。
僕は無言で肯くとお皿とスプーンを拝借した。巧巳は勝手に使って良いっていってたから、ちゃんとあとで洗っておけばいいよね。
「じゃ、いただきます」
それぞれ二個ずつお皿にのせて、とりあえずいただきはじめることにする。
ケーキ好きな僕としてはこの状態はまさに僥倖である。もう棚からぼた餅みたいなもんだ。
でもさすがにそのうはうは気分を表に出せるはずもなくて。かといって辛気くさく食べるというのもないなと思って、とりあえず美味しそうにケーキをいただいた。
もう、美味しく食べなきゃ、ヤケ食いになんてならないもんね。
まあ、巧巳のケーキはどんなときでも嬉しい味ではあるのだけど。こっちのお店のは形がシンプルすぎるという部分はあるにせよ。
「やっぱし、おいしー。これ食べれば多少のことは忘れられそう」
「ですねぇ。口に入れた瞬間に、しゅって溶けるこの感じ、幸せ……」
僕も彼女につられるように、幸せそうに言った。
ついつい美味しい物を食べるときは口調が女子寄りになってしまうのはもう仕方がない。
音泉として、あんまりにも巧巳のケーキを食べ過ぎてできてしまった反射のようなものだ。
でも彼女が抱えているのはきっと、多少のことなんかではなくて、一個くらいじゃ忘れられやしないんだと思う。僕だってこれ食べててもやっぱり借金の事とか、忘れられないもんね。
さぁ、いろいろ忘れるためにどんどんいただこう。
お次はエクレア。あぁ……巧巳ったらこんなのも作れるんだね。
クリームがすっごく香り高くておいしい。
「なんだか、だんだん、馬鹿馬鹿しくなってきちゃった」
四つを食べ尽くしたところで、彼女は、お代わりの紅茶を飲んで、あーと伸びをした。
こんなに美味しいもの食べられるのなら、なんかもーどうでもいいと言いはじめたのだ。
まあ、ここまでおいしい物を連続で食べれば幸福にはなれるのかもしれない。
「えと、落ち着いたところで、事情とか聞いてもいいのかな?」
「……さすがに、初対面であれは気になりますよね」
あぁ、どうしてあんなところで取り乱したんだろう、と彼女……ええと、誰さんだっけ? ともかく彼女は恥ずかしそうに顔をうつむかせた。
それこそ、恥ずかしすぎて今度はケーキのおかわりをしたい! とかいいそうな感じである。
「私ね、幼なじみがいたの。ご近所さんで、いつだって一緒で……」
一緒にいるのが当たり前すぎて、学校に一緒に行くのも楽しくて。
クラスメイトからいろいろ言われるのもむずがゆくて。
そんな、甘く噛まれるような時間は、中学を卒業しても変わらないと思っていた。
「でも、さ、高校で別になったら、離ればなれになっちゃった。あっちは部活で忙しいとかで時間もあわないしさ。私は一人手持ち無沙汰になっちゃってね」
何をして良いかすらわからなくなっちゃった、と彼女は言った。
うーん、深刻そうに言っているけれど、僕としては羨ましい限りだ。
何をして良いかわからないということは、何をしても良いってことだ。
僕みたいに生活が「これをやらなきゃいけない」と縛られるよりも人生の可能性に満ちていて、いいことだと思う。
「そっか……」
でもそんなことはおくびにも出さずに僕は肯いた。議論なんてやっても意味はないからね。
それに、巧巳といまこうやって一緒にいる時間は楽しいけど、今後高校を卒業したら? なんて考えると彼女の言い分も少しばかりは想像ができる。
環境でつながっている関係というのは、いつかほどけていってしまうものらしい。
それでもつながれる友人は大事にしろよ、なんて親父も言っていた。
「そんなときね……ここのお店のケーキに出会ったの。フォルトゥーナってお店、知ってる? メイドさんが働いているお店なんだけどさ」
知ってる? と聞かれてもちろん僕は肯いた。もちろん灯南としてもあのお店の事は知っているから問題なく頷ける。
さすがに、働いていますとは言えないけれど。
「それから、そのお店で時間を潰すようになったの。このケーキを食べてればなんか幸せな気持ちになったから。なんか寂しいときとか、ちょくちょく行くようになってね」
メイドさん達も親切だし、良いお店だよって面と向かって言われると、僕はちょっと照れくさくなった。ちょっと背中のあたりがむず痒い。
「でも、今日は、こっちなんですか?」
「なんか、ヤケ食いしたくなっちゃったんだなぁ……」
フォルトゥーナでヤケ食いっていうのも、ちょっとメイドさんの手前恥ずかしいじゃない、と彼女は笑った。
こちらとしては、売り上げに貢献していただいてありがとうございます、なんだけれどね。
その分巧巳が補充にくる時間が早くなると思うと、それはそれでありがたいことばかりなのだけど。
「私は所詮、あいつにとって単なる消耗品なんだな……って思ったらさ、なんかいても立ってもいられなくなっちゃってね」
あなたにも、そういう経験ある? と聞かれて、僕は首を横にふった。
少なくとも、僕にとって別れというものの記憶はほぼない。
母が出て行ったのもずいぶんと昔で物心がつく前のことだし、それからはもう親父の手を煩わせないようにという思いが前にでて、家事の分担も小学校の高学年くらいからはかなりを請け負っていた。
そう。つまり、友達を作っている余裕というのがなかった。
それに、みんなからすると僕はちょっと変わった子だったみたいで、若干浮いてしまっていたところはあったんだ。
そんな僕に付き合ってくれた物好きもいたけれど、その相手とは今でも交流がある。
「幼なじみっていませんしね……クラスメイトみたいなのも……そもそもあんまり友達いなかったしなぁ……」
曖昧に笑いながら素直に答えてあげると、彼女はバツが悪そうに口を開いた。
でも言葉がでてこない。何を言って良いのやら、という感じで、あわあわしている。
「いや、だって、ほら、それが当たり前だったし」
そんなに暗くならないで下さいよ、と言うと彼女はうむむと呻いた。
「そんなことよりも、ほらほら、まだケーキ残ってますよ」
そのままでもちょっと気分が悪いので、僕はわざと戯けてケーキの箱を見せながら言った。最後の一個がまだ箱の中に入っていた。
でも、彼女はもう、お腹いっぱい、と言いながら紅茶を飲み干した。
良かったら食べて、と言われたので、もちろんにこにこしながらいただくことにする。
「初対面で、こんな話しちゃって、ゴメン」
その仕草を見ながら、彼女は手を胸の前で合わせて小声でそう言ってきた。
「いいと思うよ。ケーキが好きな人間に悪い人はいないもん」
巧巳のケーキが好きな人間はみんな同志だ。同志なら、話くらいちゃんと聞いてあげなきゃいけない。
これからフォルトゥーナでも会うこともあるだろうし、友達にもなっておきたい。
友達というと、ええと……
「あ、そういえば、自己紹介してなかったね」
僕は、ケーキを半分平らげたところで言った。初対面で、で思い出したけど、まだ名乗ってもいなかったのだ。僕は自分の名前を告げると、よろしく、と言った。
「私は、鑑 美優。明徳女子高校の一年」
「へぇ、あのお嬢さま学校なんだ」
明徳女子っていったら、ここらへんでは有名な学校だ。クリーム色の清楚な制服がけっこう人気で、時々電車とかで集団にかち合うことがあるんだけど、あまりのお嬢様っぷりについつい視線を浴びせちゃうんだよね。あれだけの学校になるとちょっと男友達もつき合いにくいかもしれない。
「実際、世間で言うほどでもないんだけどねぇ……」
女子高なんて、そうそう綺麗でもないよ、と彼女は言った。
同い年なのがわかると、彼女は砕けた口調になったようだ。
「でも学園祭とかチケット制だとか、制服はオークションがあるとかいろいろいわれてない?」
僕の方もそれに併せて口調を砕く。砕いても、男っぽいしゃべりというよりは、優しい感じになっちゃうんだけどね。
ちなみに制服オークションはブルセラって意味じゃなくて、ただ服だけですごい価値があるんだっていう話。それくらいかわいいデザインなんだ。僕はともかくとして、音泉や愛水さんが着ればずいぶん可愛らしくなると思う。
「たしかにねぇ。制服を買うときは身分証明書とかいるし、学園祭も家族と友達三人までとかだもん。プレミアが付くって噂もあるし」
別に見たって大したもんじゃないのにね、と彼女は苦笑を浮かべた。でもあれだけ立派な塀で目隠しされてれば、誰だっていろんな想像をたくましくしちゃうんだと思う。
「でも、それくらいじゃないと危ないよ。絶対あの学校は狙われるもん」
もし変質者にでも狙われたらと思うと、もう不憫でしかたない。ここの所それを実感してるからよくわかる。なんかこーね、もぞもぞする感じっていうのかな、とにかくキモイんですよ!
普通のお客さんからの視線にはずいぶんなれたけど、あれだけはほんとダメだ。
「となっちの所は、そういうのないの? 三葉高校って制服かわいいじゃん」
「いや、そりゃ女子の制服は可愛いけど、僕、これでも学ラン着てるしね」
「……はい?」
一瞬、彼女は目をぱちくりさせた。
ああ。さっきから柔らかい雰囲気で話してるから、完全に勘違いしておられる。
「えー、と、あのー。となっち、男の子?」
「いちおう、そういうことになっています」
服装によっては、あれなんだけど私服だと割と勘違いされるかも、というと、そうかー! と彼女は思いきりため息を漏らした。
やらかしたー、みたいな思いがたまったため息なのだろう。
まあ、正直なところ、メイドさんとしていろいろと身体のケアをするようになってから、圧倒的に私服での女子度が上がっている自覚はある。ウィッグがないからそれで同じ人とは思われてないけれど、さすがにあのやりとりで男子だという風に思われる可能性は低いだろう。
「でも、学ランきてれば一応男子扱いはされる、かな」
いちおう巧巳にもそう扱われてるし、クラスメイトから変な扱いを受けたことは今のところない。
休み明けにはもしかしたらなにか言われるかもしれないけどね。
白くなっただの、肌が綺麗になっただの。男子は気づかなくても女子からはなにかつっこまれるかもしれない。
「うわ、学ラン似合わなさそう」
「その自覚はあるけど三葉は昔ながらの学ランなのです」
うんうん、と答えながら少し彼女の表情が緩んだかなとも思う。
ちなみに学ランの似合わなさで言ったら、僕は日本で五指に入る自信がある。
中学の時でもそうだったけど、ほんと、学校が始まってあれに袖を通したらひどいことになるだろう。
「でもね、学ランきてても狙われる子は狙われるらしいから、危険だよ」
うわ、まじ、と彼女は嫌そうな顔をした。僕は被害にあってないけど、満員電車で危ない目にあったっていう、結構かわいい子がうちのクラスにはいるんだよね。
「灯南?」
そんな話をしていると、お店と家を繋ぐ扉が開いてひょっこり巧巳が顔を出した。どうなったのか気になっているらしく、少し不安そうな顔をしている。
「おばさん、帰ってきたの?」
「ああ、店番変わってもらった」
僕は安心させるように言うと、僕の隣の椅子を引いて、彼を招き寄せた。
それから、巧巳にも紅茶を飲むか聞いてから、ヤカンを火にかける。
「じゃあ、私そろそろ行かなきゃ」
そんな僕の仕草を興味深そうに見ながらも、彼女は時計をちらりと確認して言った。
後かたづけは……と申し訳なさそうにいうので、いいよいいよと僕は勝手に言った。
もともとはケーキも家に帰って食べるつもりだったのだろうけど。なんだかんだでけっこう引き留めることになってしまったしね。
「えぇ、まだゆっくりしてけばいいのに」
「ちょっと用事があるんですよ」
それにお二人の邪魔するのも悪いですし、と意味ありげにいうと彼女は席を立った。
まぁなんとか彼女もすっきりしたみたいだしもう大丈夫だろう。友達を失うことはきっと辛いだろうけど。
これからだって、きっといっぱい新しい人との出会いがあると思う。
心が折れたらケーキでも食べて、そうやって先に進めば良いんだ。
彼女を見送った後で、巧巳の為にかけておいたヤカンがぴょひーと音を出した。
巧巳はわざわざ悪いなと言ったけれど、紅茶の用意だけは苦じゃないし、人様のガス台ならばもう躊躇無く使い放題なのである。光熱費を気にしないでいいのは、幸せなことだ。
少し濃いめに出したストレートティーを渡すと、巧巳はさんきゅ、と軽く言ってそれに口をつけた。
女子の泣き顔に困ったら、とりあえず甘味だよね!
というわけで、灯南っちにも女友達ができそうです。初対面の傾向から、「女友達扱い」なのはもう、しゃーないといいましょうか。
そして、良いところのお嬢さま設定! このお話を書いてた頃から私はお嬢さま学校への潜入が大好きです。学園祭とか遊びに行く話もあるのですよ。
次話は、できれば二ヶ月のエタ表示がでないうちにやりたい。




