023.地味な町のケーキ屋さん1
僕の目の前には一軒のケーキ屋が建っていた。
三角屋根のメルヘンで落ち着いたお店は和人さんの趣味なのかすごい可愛らしい。まるで漫画に出てくるケーキ屋さんみたいだ。その店舗の後ろには居住用の建物がくっついていた。
巧巳の話ではお店を始めるに当たって増改築をしたんだけれど、そのときに完全にリフォームしてしまったので、ほとんど新築みたいなものなのだとか。これでケーキ屋が上手くいかなかったら、一家路頭に迷ってたよななんて巧巳は笑っていた。
「はじめまして……んー、ちがうな、はじめまして」
お店の脇に置いてあった原付のミラーの前で、ああでもないこうでもないと僕は挨拶の確認をしていた。
この先には和人さんがいるかもしれないのだ。馴れ馴れしくなりすぎてもいけないし、もちろん初対面でガチガチになりすぎてしまってもいけない。電車に乗っている間も、和人さんと会ったときどうしようってずっとそればっかり考えてしまって、頭の中がぐるぐるしたくらいだ。
「あ、トナ?」
そんな時、不意にお店の自動ドアが開いた。その先には小さな箒とちり取りをもった、エプロン姿の巧巳が立っていた。
「お店には来たことなかったじゃない? だからケーキ買ってあげようかなって思って」
僕は鏡を見るのをやめて巧巳に向き合うと、にこっと笑って見せた。いつもより二割り増しくらいの笑顔だ。
お給料日まであと五日。残金はまだそこそこあるから、ケーキの二個や三個や十個くらいまでなら買って帰れるくらいの余裕はある。疲れた親父にカスターニャのケーキを食べてもらうのもいいかもしれない。そう思ってここに来たのである。そりゃにこやかになっても仕方ない。
「まぁあがってけよ。っていっても今、親父は出かけてるから店番やらなきゃいけないし、あんまりかまえないけど」
巧巳は苦笑すると、どうぞといって僕を店内にいれた。
どうやら店番は基本的に和人さんがやっていて、バイトとかは雇ってないみたいだった。まだ開店してから半年も経っていないし、まずは家族の協力をって所なのかも。そんな状態なのにフォルトゥーナに商品を卸しているのだから、すごい。
「まずはお店の中見せてよ。ケーキだってこうやってショーケースに並んでるのは初めてだしさ」
ああ、ゆっくり見てやってくれ、と言われて、僕はショーケースと睨めっこを始めた。
巧巳はわざわざ外の掃除をやめて、僕のそばについていてくれている。
「あ、これ、学校に持ってきてたやつだよね」
ケースを指さすと、巧巳は少し恥ずかしそうに頭を掻いた。相変わらずケーキは不格好だ。
「親父のやつが許してくれないんだよ。俺はもっと見栄えがするの作りたいのに」
「あらあら、いらっしゃい」
物音が聞こえたのか、巧巳が言い訳がましい台詞を言うのと同時に、店の奥の方ののれんが揺れて女の人が姿を現した。きっとこの人が巧巳のお母さんだね。すごい人当たりが柔らかそうな感じがする。
「あ、あの……初めまして、榊原灯南です。えと、いつもその……巧巳くんにはお世話になってます」
「おやおや、これはご丁寧に。巧巳の母です」
ぺこりと頭を下げながら挨拶すると、にこにこしながらも彼女は僕の姿をとりあえずてっぺんから足下までチェックをいれてくる。
別に見られて恥ずかしい恰好って訳じゃないよ。僕の家は確かに貧乏だけど、不憫に思われるような感じじゃぁない。そりゃね、超ブランド物で固めてますとかいうわけじゃないけど、普通に男の子っぽい感じの服。それなのになんだって巧巳のお母さんは僕をこうもじろじろと見るのだろう。
「ちょっと、母さん……」
「あら、やだ。私ってば……ごめんなさいね」
巧巳に小突かれて、巧巳のお母さんは恥ずかしそうに笑った。どうやら、つい、見てしまったらしい。僕なんてそんなについ見てしまうようなものでもないのに、不思議なこともあるものだ。
「それはそうと、たっくん……そろそろケーキ作り始めた方がいいんじゃない?」
「だな。ちょうどいいや。母さん店番変わってもらって良いか?」
もちろんよ、て言って巧巳のお母さんはお店のエプロンをつけた。
そして巧巳はのれんを抜けて、首だけ回してくいくいと僕に手招きした。
「ケーキ作り、みてかないか?」
「いいの!?」
僕がそう言うと、巧巳は嬉しそうに、うんと頷いた。
白い粉が宙を舞った。
ぱさりと大きな袋から小麦粉を入れると、巧巳はてきぱきそこにいろいろな材料を混ぜていく。
僕は邪魔をしないように椅子に座って見ているだけだ。
はっきりいってかなり暇なはずなんだけど、働いている巧巳の姿を見ているのは不思議と楽しかった。
ときおり電話が鳴ったりして、お店の方も忙しいらしい。
そして、何度目かの電話が鳴ったあと、あわてたような声がお店の方から聞こえてきた。
「巧巳ーちょっと、お店のほうでられない? 呼び出し。町内会の集まり今日だって」
「って、こっちも手はなせねぇよっ! あと二十分まってくれ」
巧巳のお母さんは、困ったわ、とおろおろしていた。
まったくあの人がいれば、なんてつぶやいている声さえ聞こえてきた。
お店もほったらかしにできないし、集まりをさぼるわけにもいかないのだろう。
「あの、僕が店番しましょうか?」
あまりにも困っているようなので僕は恐る恐る声を掛けた。
巧巳が作り終わるまで、せめてそれくらいの店番ならきっとなんとかなるだろう。お客さんが来て、どうしてもわからなかったら巧巳に引き継げばいい。
「って、勝手もなにもわからないだろう?」
「だからお客さんがきたら呼べばいいんじゃない?」
それくらいならできるよ、というと、それもそうかと彼は納得してくれた。
一応これでもメイド経験はそこそこなので、レジ打ちとか接客とかはできるつもりだけど、それはいちおう秘密にしておかなきゃいけないから言い出せない。それにほら、やっぱりお持ち帰り用っていうのは、勝手がわからないって言うのもあるしね。フォルトゥーナでは基本的にケーキのテイクアウトはないから、どうしたって保冷剤の入れ方とか、わからないことだらけなのだ。
「じゃあ悪いけどお願いしちゃっていいかしら。ごめんなさいね、せっかく来てもらったのに」
「いえいえこういうの好きなんで、平気です」
じゃぁこれ使ってね、といって巧巳のお母さんは自分がつけてたエプロンを軽く畳んで僕に渡してくれた。まだ温もりとシャンプーの匂いが残っていて、ちょっとこれがお母さんの匂いってやつなのかな、なんて思ってしまう。
それをつけていると、巧巳のお母さんはすぐに出かけていった。町内会の役員とかって、やっぱり大変みたいだ。うちは……ほら、父子家庭っていうのもあって、そういうのってある程度大目に見てもらってる部分ってあるけど、普通こういうつながりってあるもんなんだよね。
「四月開店かぁ……」
そんな事を思いながら、僕はもう一度、店内を見回した。
できたてほやほや、四月にオープンしたばかりの店舗はまだまだ真新しい輝きを放っている。
ショーケースは毎日磨かれているのか、傷も汚れもほとんど無いし、その中にあるケーキが引き立つように、照明も入れられている。
壁だって、改装したばかりなんだろうね、クリーム色がまだくすまずに映えている。その他に見えるのは、ショーケースとは九十度離れた壁面にあるクッキーコーナー。巧巳は今までケーキしか持ってきてなかったけど、こんなのもやっているんだね。そして、その隣には申し訳程度にティーパックの紅茶なんかが売られていた。一般的なメーカーのやつだ。
すっきりとした綺麗な店内。ぱっとみそんな印象なんだけど、ちょっと華がないな、とは思う。ケーキと同じでなんかちょっと華やかさがないのだ。せめて造花でいいから花瓶とかが置かれていればかわいいのに。せっかく外装がメルヘンなんだから中ももっとかわいい感じにまとめればいいのにと思ってしまう。
「ケーキ屋さん……か」
でも和人さんはケーキで勝負したかったのかもしれない。
お店の中に入るまではメルヘンな気分で、そしてここではケーキと真剣に見つめ合って欲しい、みたいな感じだろうか。たしかにそうかもしれない。今だってこうやって鼻をひくひくさせるとケーキの甘い匂いがわかるもんね。生花なんてここにおいたら、これが全部台無しになってしまう。
「確かにこりゃぁ……幸せかもしれない……」
僕はカウンターにのぺーとへばりつくととろけそうな声を上げた。
よく小学生が将来の夢でケーキ屋さんになるって言うけど、確かに美味しいケーキに囲まれた生活というのは幸せかもしれない。甘い匂いにずっと囲まれているのは、もう人間としてこれ以上の喜びはないんじゃないかと思う。
でもこれ、売り物で自分じゃ食べられないんだよね。
フォルトゥーナで働いてても思うんだけど、巧巳のケーキを綺麗に盛りつけて、それが自分で食べられないっていうのはかなり拷問だった。だから最後の一個が余った日は、もうみんなで大喜びになっちゃうんだ。
「うぅ、これだけあると一つくらい食べてしまいたくなるよ……」
いけないいけないと思いながら、もう一度壁を見渡したりして気を紛らわした。あそこはちょっと埃がたまってるとか、なるべくケーキから目をそらした。あとで壁の埃の話は巧巳にしておこうとか頭の中で何回も反芻してみる。
「いらっしゃいませ」
十分くらいそんな事をしていると、不意にお店の自動ドアが開いた。
とりあえずぺこりと頭を下げて出迎える。そこで僕はかすかに眉を上げた。
灯南として会うのはもちろん初めてなんだけど、フォルトゥーナにはよく来てくれる女の人だったのだ。僕と同い年くらいかちょっと上くらいか。それくらいの年で喫茶店に通えるのがすごいなって思ってたから、印象に残っている。
彼女は本当に巧巳のケーキが大好きで、五色のケーキも見事に全制覇しているくらいだった。
「あれ、バイトの人かな」
「いえいえ、ちょっと立て込んでるので助っ人をしてるだけなんですよ」
ただの店番みたいなものです、といちおう説明してから、何に致しましょうと彼女の言葉を待った。彼女はショーケースを左から右につつーと眺めて、右の端っこでぴたりと視線を止めた。
「あれ、新作……でたんですか?」
「ええ。確か一週間前だかに発売開始したやつですよ。僕が食べたのは試作品だったんですけど、あれは甘みが優しくてくにゅってした感触が良い感じでした」
今のはまだ食べさせてもらってないから、どう変わったかわからないですけどねぇ、と言ったら、詳しいんですね、と褒められた。
フォルトゥーナで試食をというのもあるけれど、学校で出してもらったりがあったのだ。
「僕もここのケーキのファンですからね。正直いってここに立ってるの拷問みたいですよ」
食べたくてもうたまらないんです、っていうと、彼女はあははと笑って、おもしろいと言ってくれた。
「じゃあこれとこれと、これ、三個ずつ下さいな」
「まいどどうも~」
ちょっと、すごい量だななんて思いながらも、一番大きい紙の箱を取り出して作ってから、トングを使ってケーキを取ると、なんとかそれは箱に収まった。大きさは当たったらしくぴったりだ。
あとは保冷剤とかかな。そこらへんは巧巳に聞かないとわからないや。
「ひぃ、終わった終わった。って、いらっしゃい!」
ちょうどその時、巧巳が表にでてきた。急いで飛び出てきたらしく、ちょっとおでこのあたりが白くなってて汚れている。
巧巳は営業スマイルを浮かべながらも、お客さんきてるなら呼んでくれよ、と僕を小突いた。
「えー、でも、忙しそうだったじゃん」
とりあえずこれでいいんでしょ? といって僕がケーキ入りの箱を見せると、巧巳は渋く肯いてから、あとは俺がやるからといって箱を横取りした。
さすが普段からやってるだけあって手際はいい。そのままレジうちも同時にこなして、お客さんにケーキを手渡した。
お客さんはなぜか、僕達を見て複雑そうに笑顔を浮かべていた。
「仲、いいんですね、二人とも。幼なじみなんですか?」
「別にそういうわけでもないよ。俺達は単なる友達だし」
なっ、と言って巧巳は僕の頭の上に手を置いた。なんだかこういうのは久しぶりだ。夏休みに入ってから一緒にいる時間なんてホント少なかったもんね。
ちなみに巧巳が僕の頭に手を乗せるのは、身長差があってちょうど収まりが良いからだそうだ。
「いいなぁ……」
「え?」
そんな僕達のやりとりを見ながら……お客さんは小刻みに震えていた。
顔を伏せているけど、頬が濡れているのが見える。
いきなり泣き出されるとこっちとしてもこまる。僕も突然泣き出したことあったけど、戸月くんの困惑ぶりがなんとなくわかったような気がした。女の子の涙ってやっぱりすごい破壊力だ。
「巧巳は……ケーキできたんだったら店番お願いできる?」
「どうすんだよ……」
「このまま、放っておけないじゃない」
戸惑って硬直してしまっている巧巳は無視して、僕は、いこ、とだけ言って彼女を奥の方に連れて行った。このまま放置しておくわけにはさすがにいかない。
「キッチン借りても良い?」
すれ違いぎわ巧巳に聞くと、彼はうんと肯いてくれた。そしてちょっと汚れてるから適当にいじってくれとだけ、彼は言った。
僕に何ができるってわけじゃないけど、ただ落ち着く場所があればそれでいいと、その時の僕は思っていた。
更新がいまいち安定しない……
いや、さすがにこの展開で間をあけるのもあれなので、次回こそは……早めに……
できるのかっ。いや、今からかけよ、かくよ! 女の子泣かせたままえたれなどしないのだよ!
にしても、男同士であたまぽふりは、巧巳くんったら無意識だとしたらそうとうアレだよなぁとしみじみ思います。というかスキンシップ自体が男同士はあんまないからなぁ。




