第六話 再び雄叫ぶ
『あああああ! まったくどうして!!』
いらだつ気持ちに、バタバタとせわしなく羽ばたく。
『だからさー、君もいい加減、その後ろ向きの考えをやめたらどう?』
『これのどこが、後ろ向きがやめられる状況なんだよ!!』
さらに羽根をバタバタさせると、静かにしろよと周りから注意を受けてしまった。
『今は貨物じゃなくてふぁーすとくらすにいるんだろ? よいじゃない、ぜいたくできて』
『今回はふぁーすとくらすじゃない、びじねすくらすだった!!』
その答えに、なにが違うのーと一斉に質問が飛んでくる。だが言った本人も、なにが違うのかよくわからない。
『でもー、えこのみいってのよりずっと良いんでしょ? それに貨物に比べたらぜんぜん良いじゃない』
『だから問題はそこじゃなくて、僕がまた、あいつと一緒に行くことなったってことじゃないか!』
『だから、もっと前向きに考えればって言ってるじゃないか、わかってないなー』
あきれたように言われ、腹立たし気にブツブツとグチをこぼす。こんなに自分がショックを受けているというのに、周囲は同情すらしてくれないのだから本当にイヤになる。
『御主人様は自分の代わりに、あいつのそばにしてほしいわけなんだろ? だったら君が御主人様の代わりに、あいつのことを見守ってあげなきゃ』
『そうそう、こういうのってなんて言うんだっけ、えっと、ぼでぃがーどだっけ?』
『それそれ、ぼでぃーがーど! なんだかかっこいいよね』
呑気に笑う仲間達に、さらにイラついた。
『なんで僕が、あいつを見守らなきゃいけいなんだよ、冗談じゃない!!』
『アチラハ治安ガヨクナインデスヨネ? マモッテアゲナクチャ』
いきなり光り輝く物体が現れたので、あわてて全員がサングラスをかけた。どこでこんなものを調達してきたのか不思議がっても、持ってきた招き猫は話そうとはしない。
『そうそう。もしかしたら御主人様にほめてもらえるかも!』
『……そ、そうかなあ』
一瞬だけその気になって、頭をブンブンと横に振る。やっぱり冗談じゃない!!
『とにかくさ、あと半年の我慢じゃないか。あっちであいつのことを、御主人様の代わりに、ちゃんと見守ってやりなよ』
『仕事のしすぎで痩せちゃったら、御主人様がまた心配するしねー』
『そうそう。なんとか意思の疎通ができるようになるといいねー』
すっかり自分のことを、あいつのボディーガードと決めつけてしまった仲間達に、溜め息をついてしまう。まったく、なんでこうも呑気なヤツが多いのか。ああそうか、こいつらもあいつが選んできたんだっけ? 買い主に似るって本当なんだ……。
+++++
枕元が騒々しかった夢を見たような気がしながら目が覚めた。またアヒルちゃん達が会議をしていたようだけど、今回はきっと、裕章さんにあっさりと手渡してしまったことで、私に怒っていたに違いない。
「裕章さんも裕章さんよね。アヒルちゃんに随分と御執心なんだから」
その調子で私のことを、さっさとつれて行ってくれれば良かったのに。そんなことを考えながら、出掛ける準備をする。今日は、一日がかりの大手術をした患者さんが、ICUから一般病棟に戻れる日だ。西入先生の朝の回診に付き合うために、普段より早めにアパートを出る。
ロッカーで着替えてから、まだ少しだけ時間があったので、外科病棟のつめ所に向かう。臼井さんは夜勤だったから、まだいるはずだ。
「あ、おはようございます、北川先生。南山さんはもう、あっちに戻ってしまったんでしたっけ?」
つめ所に行くと、臼井さんが次のシフトに入る看護師や医師達に、申し送りをするためのメモを書いているところだった。とても夜勤だったとは思えないぐらい、さわやかな感じだ。
「おはよー。うん、昨日の夜の便でね。まだ飛行機の上じゃないかな」
「そしてアヒルちゃんは、やっぱりつれて行かれちゃったわけですね」
今日の白衣のポケットにいるのはハコフグちゃんだ。
「そうなの。せっかく戻ってきたのにね」
「それもあと半年の我慢じゃないですか」
「そうなんだけどねー。ところで臼井さん」
「はい?」
メモ書きに戻った臼井さんは、顔を上げずに返事をした。私の口調から、大切なことではなく雑談だと察したからだ。
「南山さんのお仲間さんと、付き合いだしたって本当?」
ボールペンを持つ手がピタリと止まる。
「誰から聞いたんですか?」
「南山さん。下田さんに渡さなきゃいけない書類があるんだけどね、病院に顔を出すからその時に渡してくれって言われたの。それで、どうやら臼井さんと付き合っているらしいって話になってね」
「だって、なかなか諦めてくれないんですよ、下田さん。だから根負けしちゃって」
臼井さんは、照れくさそうに笑った。
「へえ。いつからなの?」
「えっと……今年の五月だったかな。連休のお休みがあった時にデートしようって、強引に誘われちゃって」
「そっかー。とうとう、我が病院の五大白衣の天使様の最後の一人が、陥落してしまったのね」
私がそう言って笑うと、臼井さんは苦笑いをして手を振った。
「やめてくださいよ~。それじゃあ私が、最後まで売れ残っていたみたいじゃないですか」
「臼井さんの理想が高すぎて、一般男性では太刀打ちできなかったんだもの、しかたがないじゃない。そうか。下田さんは、そのお眼鏡にかなったってことよね」
裕章さんの入院中は、あきれることばかりだった下田さんも、やはり優秀な官僚様だったってことだ。だって臼井さんは顔と財力だけではなく、頭も重要だって常々言っていたんだものね。
「なんて言うか、話していても楽しいんですよ。こっちの愚痴も黙って聞いてくれるし。その愚痴に対しても、ああしたらいいとかこうしたらいいとか、余計なアドバイスはしてこないし」
「聞き上手ってことなのね」
「そうですね。自分だってきっと、あれこれ愚痴りたいこともあるでしょうに。ま、そのへんはきっと、他の人達と飲みに行っては、愚痴ってるんでしょうけどね」
「もしかして、ゴールインしちゃうそうな予感?」
その問い掛けに、うーんと考え込む。
「それはどうでしょう。今のところ、そんな話は出てませんよ。今は飯友に、ちょっと毛がはえた程度です」
飯友に毛が生えた程度なんてとんだ御謙遜だと思ったけど、あえて口にはしなかった。だって臼井さん、下田さんのことを話す時はとても楽しそうだし、いつものクールビューティーとは思えないぐらい、やわらかい笑顔になるんだもの。絶対に脈ありよね?
臼井さんの様子からして、下田さんがどう出るかにかかってるんだろうけど、半年後には日本を離れなきゃいけない私に、この二人の顛末を見届けることができるんだろうか? そりゃ、裕章さん経由で話を聞くことはできるだろうけど、できることならこの目で見届けたい。ガンバレ、下田さん!
「クリスマスまでに、渡さなきゃいけない書類があるの。なんとか来月中にはそろえて持ってくるつもりでいるから、もし覚えていたら、下田さんにそう伝えておいてくれる?」
「わかりました。南山さんと下田さんで、話はついてるってことですね?」
「そうみたい」
時計を見ると、そろそろ西入先生が顔を出す時間なので、ICUがあるフロアへと向かう。下に行くエレベーターに乗ったところで、今年の四月から研修医として病院にやってきている子達が駆け込んできた。
「おはようございます! すみません!」
「いえいえ。朝の回診が終わったところ?」
「いま終わったところです。患者さん達が皆おしゃべりするものだから、それに付き合っていたら、どんどん時間が押しちゃって」
朝の回診にいつまでかかってるんだって、指導医の先生に叱られちゃいましたと笑っている。
「わかるわかる。そのうちタイミングよく、おしゃべりを切り上げられるようになるから」
「そうなんですか? だと良いんですけどねー。あ、北川先生は今からどちらに?」
「私は西入先生と一緒に、手術をした患者さんの術後経過」
「ああ、腹部大動脈瘤の政治家先生……」
研修医の一人が声をひつめてつぶやく。
「ああいうことって、本当にあるんですね、ドラマの中だけのことだと思ってました」
もう一人の研修医君がつぶやく。ドラマの中のって言うのは、その先生が極秘に入院して、そのまま手術をしたことを言っているらしい。
「ここには私達だけしかいないから良いけど、外に出たらお口にチャックね。どこで誰が聞いているか、わからないんだから」
「わかってます」
彼らより一足先にエレベーターを降りると、前を西入先生がのんびりした足取りで歩いていた。相変わらず、私にはわからないオペラかなにかの歌を口ずさんでいる。
「おはようございます、先生」
「ああ、おはよう。おや、アヒルちゃんはどこに?」
「もう、最初に見るのはそこなんですか? アヒルは今頃、機上の人のポケットの中です」
そう言いながら、上を指でさした。
「おやおや、やっぱりつれて行かれたのか」
「私代わりだって言われたら、断れないでしょ?」
「盲腸さんも、北川先生のことをよくわかっているね」
西入先生はおかしそうに笑った。
「ところで患者さん、今日ここから出られるんですか?」
「うん、術後の経過は良好だからそのつもりでいるよ。それに患者さんのも、仕事をさせろってうるさくてね」
なにやらどこかの官僚さんと、同じことを言っているような。
「そろそろ特別室に押し込めないと、他の患者さんと先生達に迷惑がかかるからね」
どんな偉い人でも、ICUにいる間は安静だし、好き勝手に人の出入りもできない。そりゃあ、さっさと出たがる気持ちは、わからないでもないけれど……。
「大きな手術をしたばかりだと言うのに元気ですね」
「自分にとって代わろうとしている連中が、回りにうじゃうじゃいる跳梁跋扈の世界じゃ、しかたがないのかもね」
先生は笑いながら溜め息をついた。
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「朝霧さん、主治医としては、もう少しここにとどまって欲しいんですよ?」
先生は私と話したことなんておくびにも出さず、もう少しICUに留まるように説得していた。ここを出るのは問題ないんだけれど、病室に移動したら静養どころじゃなくなるのが、わかっているからだ。
ここなら、少なくとも医者と看護師の立場の方が上で、政治家の勝手な権力を振るわれることはない。まあここにいるスタッフとしては、早く移動してほしいと思ってい空気が、痛いほど伝わってくるんだけどね。
「そんなこと、言われんでもわかっとる。だが仕事は待ってくれんのでな。退院せずにお世話になるんだ、文句はあるまい?」
「二十四時間ここで容体を見守るのと、病室にいるのとでは違うんですよ」
「だったらワシの病室に、医者と看護師を常駐されれば良いじゃないか。そこの若い先生ならうれしいんだがな」
そう言いながら、ベッドに寝ている政治家先生は、私を指さした。ご冗談でしょ? 入院中に言うこと聞かない患者さんは、裕章さんだけで十分だから。
「またまたそんなことを言って。そんなことできないのはわかっているでしょう。それに秘書さん達がやって来たら、先生や看護師を病室から追い出すわけでしょう? 意味がありませんよ」
「ここでは、秘書も締め出されて仕事にならん」
先生はわざとらしく溜め息をついてみせた。
「あなたが一人いなくても、どうかなるような政府ではないでょう? もう少し落ち着いて、静養したらどうなんですか?」
「先生には、ワシの立場なんぞわからんだろ」
ムスッとしたまま、先生をにらんでいる。
「まったく、しかたがありませんね。そのかわり、少しでも異常が出たら、問答無用でここに逆戻りですからね。私としても、せっかく助けた患者さんがあの世に行ってしまうのは、本意じゃありませんから」
「わかっとる。ワシもまだ、あの世に行くつもりはない」
政治家先生は、不機嫌そうな顔をしてそう答えた。
「なら良いんですが。ああ、それと。こちらの北川先生は、別の患者さんの主治医をしているので、申し訳ありませんが朝霧さんの担当はできないので」
先生はカルテに記入をして、他の先生達に病室への移動の手配を指示する。そしてお大事にと、私をつれてベッドを離れた。
「先生、どうしてあんなことを?」
こっちの声が聞こえない場所に来たところで、先生に質問をする。
「ん? なにがだい?」
「私が、他の患者さんの主治医をしていてってやつです」
「ああ、あれか。あの先生、外務大臣をしている織部先生と、犬猿の仲だって聞いたことがあってね。ほら、北川先生が外務官僚の盲腸さんと婚約しているか、どこから漏れるかわからないだろ? 君子危うきに近寄らずってやつだよ」
「ああ、なるほど」
「それに、北川先生だって、何度も言うことを聞かない患者の主治医をするのは、イヤだろ?」
前途有望な若者ならともかく、あんなしわくちゃお爺さんじゃねえと、先生は意地悪そうに笑った。




