43 バラーの水甕
青と赤の軍勢による巨大水甕の叩きあいは続いていた。もう十分は叩きあっているだろうか。
「なにやっているんだろうな~」
シュランは期待感がありありで楽しそうに眺めていた。
「光った」
ミャウが水甕の点灯に気がついた。
水甕には七つの水晶球が飾られている。中央の水晶球は開始を合図してから真っ白に点灯したままだ。その西側方面にある水晶球が赤く光を宿した。
すると、西側にいた赤い軍勢が気合いの声をあげより勢いづいた。
青い軍勢が一瞬、怯む。
しかし青い軍勢の指導者らしき派手な仮面をかぶる人物が叱咤と鼓舞のかけ声をあげ指揮すると、叩く動作が激しさを増し、東側の水晶球が青く輝いた。
青い軍勢から歓声があがる。
「どうやら、叩き合うことで、どちらが先に、あの水晶に光を宿すか、競い合っているようじゃ」
ゲオルグが顎を撫で言った。
それから暫くして、巨大水甕の中に異変が起き出した。
「ぷくぷくいっているです。ぷくぷくです」
巨大水甕の中に水が湧いてきたのを見て、ルオンが指をさし騒いだ。
「特殊な装置なのかしら。震動が水に変換されている? 訳がわからないわ」
マーシャは理解が及ばず片眉をひん曲げた。巨大水甕の底にはなにもない。なにもない底から、水がしみ出すようにして湧き出していた。
巨大水甕から響き渡る金属音が熾烈を極めて鳴り響く。もはや金属音の悲鳴であり、騒音だ。
「耳がおかしくなりそうですー」
ルオンが両耳を両手で塞いで苦い顔をし、黒石版アルゲスがきーと賛同の声をあげた。
両軍は叩いて叩きまくる。
再び西側の水晶球が赤く輝き、遅れて東側の水晶球が青く光る。これでお互いの水晶球に二つの光を宿したことになった。西側が赤二つで、東側が青二つだ。
両軍の勢いと叩き合いは拮抗しているように思えた。
しかし最後の最後で、赤の軍勢は疲労が蓄積したのか気勢が緩み、青の軍勢が勢いで勝った。
力強い蛮声があがり、東側の水晶球が青く点滅した。
「これで赤が二つ。青が三つ輝いたね。真ん中も青く輝いたよ」
ミャウが興味ありげに表情を明るくする。青が三つ輝いたことにより、真ん中の水晶球の色が白から青に変化したのだ。これで青の輝きが四つになった。
「うおおおおお!」
青の軍勢より熱狂的な歓喜の声があがり、赤の軍勢は落胆の呻きや肩を落とし悔しさに地面を叩く。
「青の逆転勝ちかな。なにか、起こるのかな」
シュランが勝敗の結果を認めていう。
青と赤の軍勢がそれぞれの思いを引きずり散開していく。
巨大水甕には水が口縁までなみなみと溜まっていた。
みなは沈黙。期待し待ち、時間が少し流れた。
「なにも起きませんぞ」
たまらずルオンが首をかしげ、黒石板アルゲスも身体を横に曲げた。
両軍勢がいなくなり、金属音の騒音から解放され、静けさがより静けさと感じたときである。
巨大水甕が軽く震動し、七つの水晶球の全てが青に輝くと、勢いよく水を噴出させた。間欠泉を彷彿させる勢いで空まで伸びた水は重力の支配からは逃れられず、地面に叩きつけられ、溢れた。
巨大水甕からの水の吹き出しは何かが破裂した如く無尽蔵の水量で止まらない。地表に溢れ出した水はある一定の方向へ流れ出した。
「なるほど。この水甕が、先程の津波の原因か。わしらが修繕しなければならない穴の方へ引き寄せられておるぞ」
ゲオルグは水が流れる方向を眺める。シュラン達が埋めなければならない空間の黒穴があった方向だ。
「あの空間の穴は水を引き寄せるという怪現象でも起こしているのかしら」
マーシャが考えを述べた。
巨大水甕からの水の噴出はとまらず、遂には高波となって流れてゆくのであった。
「水をどうにかしないと、穴を埋める作業がどうにもできないな。もう、この水甕を壊しちゃうか」
シュランが軽い調子でいう。
(よおし! 壊して、バラー様の怒りに触れろ!)
ケンコスが内心で喜ぶ。
「確かに、この水甕がなければ、わしらの作業ははかどるであろうが……なんのためにあるか解らんから、迂闊には手をだせんであろう」
ゲオルグが落ち着き払った声で告げると、シュランが目尻をかき答えた。
「だよなー。この世界の住人の生活となにか密接に関わっているようだし」
「生活? お前、下の奴らを気遣っているのか」
ケンコスが意表をつかれた顔をした。
「いいか。下の奴らから見れば、俺達は神様なんだぞ! 空間を埋めて、よりより世界を目指さなければならないんだ! 下の奴らのことなんぞ、関係ない! いいか。この世界で三十回――」
ケンコスは太陽を指さした。
「あの星が昇るまでに全ての穴を埋めなければ、お前達は不合格だからな! 創造の御業の素養なし。じじっこにはそう伝えてやる!」
「ふーん。そうなんだ」
シュランはケンコスに向けてにっこりと笑った。
ただの笑みでなかった。危険な猛獣が笑ったかのような、凄みある笑みであった。
(なんだ……寒気が……)
ケンコスが違和感を抱きたじろいで、ルオンもびっくりと背を踊らせた。
ルオンはちょこちょことミャウの近くに寄って小声で囁いた。
「シュランさん。怒ってます?」
「カンに障ったみたい。そういう風に見ているんだというのが解ったよ」
ミャウが両手を頭上に伸ばし、柔軟運動するみたいに背伸びをして答える。
「そういう風にって、どういうことです?」
「上のものはいつも下を見てないってことかな。もしくはよりよきものを目指そうとして、一の犠牲で、千を守るみたいな……あたいは嫌いだね。いつしかその一に自分がなるかもしれないと考えると……」
「一の犠牲ですか……」
ルオンはその言葉を重く噛みしめた。
「まずは、あの文字がなんて書かれているか、知りたいところだな」
シュランが水甕を指さした。
「文字? 確かに、なにか刻まれておる」
ゲオルグが目を細め、水甕を見る。
「刻まれた模様にパターンがあるぜ」」
「シュラン君は相変わらず変なことに気づくわね。意味を読み取れそう」
マーシャが感心しながら、水甕の表面に刻まれた文字の分析をはじめる。
猥褻翻訳プログラムを悪戯で仕込める科学者でもあったマーシャだ。
――【言語解析】
水甕の文字を解析しようと意識した途端、マーシャは自然にその事象を掴んでいた。
――【翻訳会話】
と、そのとき、言語を理解しようと意識が【翻訳会話】の事象の閃きを生んだ。
これはその場にいた全員が掴んだが、マーシャはランク8、ミャウは6、ルオンは4、ゲオルグとシュランは1と、ランク差が酷かった。
元々、神体は【意思伝達】という事象を所有している。互いにその事象を有していれば相好干渉しあい会話が成立する。しかし下位の生命は【意思伝達】の事象を有している訳がなく、用は受信する機能がない。
よって仲立ちとなる【翻訳会話】など方法が必要になるのだ。
もちろん、相手が受信機能やテレパシー能力を有していれば【意思伝達】のみでコミュニケーションが成立する。
古来より神の声を聞いたという者や神に仕える巫女、神託を携わったという預言者はこの手の受信能力が高い異能者なのであろう。
「これはバラーの水甕なり。この水甕はバラーがこの世界を救済するために与えた水甕である。水甕は情熱によって、水の恵みを与えん。ただし水甕の地で血を流すことは禁忌とする。禁忌を破れば、水甕は消失し、主らは水の恵みを永遠に失うであろう……」
マーシャは文字の解読結果を淡々と読んでいく。
「この世界は、あの空間の穴によって、水が奪われる世界なのかな。その応急処置として、水甕を置いた感じがするね」
ミャウは髪をかきあげた。
「どっちにしろ。水甕はこの世界の住人にとって生命線ということが解っただけでも、良かったさ。しょうがない。あの津波がこない間だけ、穴を修繕していこう」
シュランは肩をすくめた。
「今のところ、よい対策も思い浮かばん。そうするしかないの」
ゲオルグが相槌をうった。
「大丈夫ですよ! きっと、なにかいい事象を降りてきますよ」
ルオンは両拳をにぎにぎしてみなを励ます。
「それに期待したいところだな」
シュランは目尻をこりこりとかいて苦笑した。都合良く事象が降りてくるのは難しいと思ったのだ。基本的に、本人の素養や物事に対する発想が足がかりになって、事象が降りてきていると、シュランは理解していた。
これは天啓というものに近い。
天啓は何度もあるものでなく続くものでもない。人として元々持っていた素養が神体となったことで変換され続いているだけなのだ。全ての素養が変換終了すれば、新たな事象が降りてくることは難しくなる。
だからこそ、シュランはそれに頼らず、なにかできないのかとうっすらと考えるようになっていた。これから先は成長や工夫が要になるであろう。
(同時意識で、二つの穴を埋めるようにする。でも今の俺ではそれは無理だ。補佐技術がいるな。あと、問題はどの穴とどの穴がループで繋がっているか、わからないところか……それさえ解れば、作業がはかどりそうだ……)
シュランは対策を練り思考する。
「はやく作業にかかろう! 時間が惜しい。三十日しかないよ」
ミャウが催促する。一同は作業に戻るべく、穴の空を目指して飛びたった。
「そうだな。まずは、それだ」
シュランは遅れて飛び立った。
「水甕にあんな文字が刻まれていたなんて……」
ケンコスは意外な事実を知って呟いた。
「ケンコス! みながいってしまったぞ!」
アールマティが叫ぶ。
「おう!」
我にかえったケンコスが遅れて飛び立った。




