38 意識の広場とあほう
「ルオ。これ、やるよ。創ったんだ」
相変わらず、ルオンは鼻に絆創膏を張ったままだ。シュラン達の傷は全て治癒しているから、余程治りが遅い。全所にも包帯があって、痛々しい姿だった。
シュランが差し出した小さな長い筒を見て、ルオンは首をかしげた。その仕草は無垢な小鳥を思わせ、シュランはどきりとし、とりつくるように言った。
「あ、あのな。この筒の中には、何十枚の形が違う空間壁があって、ね。ここに水滴あるだろう。こうやって……」
筒の中の水滴が下降すると、形や色彩が豊かに変化して、ルオンが感嘆の声をあげた。
あの空間壁で知り得た技法で作成した空間筒である。万華鏡は中を覗き、その幻想的な世界を楽しむが、それが透明な筒状になって、外から雫の変化を楽しむ雫の万華筒だ。
「きれい……」
ルオンが雫の万華筒の水滴の変幻自在の美しさに、虜にされたように息を飲む。
「くれるのですか? これを……」
「いらない?」
ルオンは首を振って、雫の万華筒を両手で受け取った。
「ううん。私、大事にするよ。うん、大事にするですよ。ありがとう!」
ルオンは嬉しさ込み上げて、含み笑いをする。
「えへへ……貰っちゃったですかな。アルちゃん、もらっちゃったですよ!」
黒石板アルゲスが雫の万華筒をうるうるした眼で眺める。暫くルオンは変幻する水滴を堪能してから、シュランに声をかけた。
「何か、お礼を……」
「いいよ、別に。世話になっているしな」
「でも……そう! あーですよ! シュランさん、お友達をつくるですかな」
「お友達ですか?」
「うん! 知識を引き出す【無限なもの】を利用したもので、意識が集まる広場みたいなものがあるですよ。そこで、遠い所や色んな所にいる皆さんとお話ができてしまうですぞぉ」
ルオンが俄然と顔を輝かし、人差し指を立て説明する。
「まず【無限なもの】に意識を投入して、お花がそよ風に揺れながら、ウィットに富む感じで意識をぶらしてゆくのです」
「お花がウィット? 難しい感覚だな……」
面食らいもシュランは言われた通りに、【無限なもの】へ意識を埋没させる。全方向が真っ白な輝きの視野に、赤い点がぼっと現出され、波線にゆれていく。
【意志の広場】
チャットや映像通信。それが伝達テレパシー系になったコミュニケーション広場だろうか。
《初めてかな? おらぁ~プルシャ……》
ぶれた映像と共に誰かの意識が語りかけてくる。どうにか意識の広場へ潜入したらしい。シュランが会話をしようとした瞬間――
《えらいだぞぉ~《私はケルヌン! 君だね、人間からここにきたってのは? 今、君達の話題もちきり……ぐはっ! 誰だ! 尻にナマコをぶつけたのは《すったこら、すったこら、ゆーん、ゆーん! ファンテファンテの昔話~ぃ《ビ~♪ ガ~♪ ㌧~♪・ё→ф《……かゆい、うま!《あたしのシタイを妄想せよ!《ゲハハハハッ!《ほう。何者かと問われれば答えねばなるま《…∞!…£∈∋⊇?…∬§†!《駄目だ! 箒か!》
シュランの全身に、何千万ものあらゆる意識が駆け巡った。
シュランは膨大な情報量と映像を処理できず、焦って【意志の広場】から意識を引き戻した。
「一体、何人、いるんだ!」
荒い息をして、シュランは冷や汗をかいた表情をしていた。
「やや。シュランさんは、沢山の神体とお話ができないのですか」
「ルオは、できるのか! 一辺に何千人と!」
シュランが疲労に角を押さえ、驚き見ると、ルオンは左脚を軸に一回転し、人差し指を立てて、誇らしげに言い切った。
「――できません!」
思わずシュランは掌でルオンの額をこづく。
「いたぁ! 何をするですか! ぶーですよ!」
ルオンが頬を膨らまし睨む。
「もう、最初は一神に焦点を絞って、お話をするですよぉ」
「そうやって、慣らしていく訳か?」
「うん。そーゆことになってしまうですね。じゃあ、あっちで待っているですかな」
言って、ルオンは青筋の入った水色の小高い丘がある所へ飛行移動した。
ルオンは座ると、ぶつぶつ言いながら、その丘を枝切れで突きだす。
水色の丘はぷるぷると震えていた。
「……眼球か」
シュランは呟くと胡座をかき、再び【意志の広場】へ意識を投入する。
黄緑色の肌で鹿の角を生やした金髪の美女ケルヌン。
物欲しそうにこちらを見ている、魔道師の衣を羽織った三匹のアヒル。
手が四本あり可愛い笑顔を浮かべる幼女。
金銀のオウムの仮面からエメラルドの歯を輝かせ笑う怪巨人。
などなど、何千もの神体の影がちらつく。
その中でシュランが最初の会話相手に選んだのは、のっぺりとした馬のような顔で、千の頭と、千の眼と、千の脚をもつ、想像を絶した容貌の人物であった。
名をプルシャと云った。
炎塊スルトが彗星と追い駆けっこで通り抜け、やってきた嵐蛇アダドが瞑想するシュランを不思議そうに覗き見て、突然、頭つきをかまし、得意げに去っていた暫しの間。
「空間壁とか創って、真面目なシュランさんの姿は素敵なんですよぉ。でもね、アホなんです。心配なんですよぉ。このままじゃ、ねって。でも、でもですよ。アホやってるときの目尻のほくろが色っぽっいなーて、感じいっちゃうときもあって……私、複雑……」
相変わらずルオンは呟きながら、小丘をつついている。
「ルオ! 友達できたぞ! プルシャって人だ!」
シュランはルオンに声をかけた。
「よりによって、プルシャ様なんて……」
プルシャと名をきいて、ルオンは眉をひそめた。
(プルシャ様はあーですよぉ。六大至高精神体の一神で、そりゃ、そりゃ~偉い神体ですよぉ。造物主クラスの。でも、何ですよ。『バナナの皮で転ぶ』『タンスの角に小指をぶつけ痛がる』『鼻から牛乳を飲む』なーて、事象を創ってきた……そう、全世界のアホを創った神体って伝えられているですよぉ……アホはあほうを呼ぶってこと?)
ルオンは不安げにシュランを見詰めた。
「それでもう一人、ボナコンって……」
シュランがそう言った途端、ルオンがこてんと横に倒れた。
「シュランさん! もう、お友達を作るの、永遠に禁止ー!」
直ぐに立ち上がり、ルオンが切羽詰まった表情で叫んだ。
(ミャウ姉ちゃんの気持ちが解りました。シュランさんはほっておくと、何をしでかすか、心配になるです。危険です!)
そのボナコンと云う人物はプルシャの眷族で、馬のたてがみを生やし、後ろに向いていることで戦いの役には立たない(ルオンもシュランも同じだが)渦巻く角を持った竜ではないのだが竜らしい野牛である。
このボナコンさんは敵に襲われると、脱糞しながら尻尾をプロペラのように高速回転させ、灼熱の糞を広範囲に撒き散らかし身を守る悪癖がある。言うまでもなく、この糞が体に張り付くと、火焔の攻撃を受けたように焼け焦げてしまう。
あまり、好んでお友達にはなりたくないタイプだ。
このボナコン氏。普段は紳士で知られるが、その脱糞攻撃で、一つの銀河を埋め尽くしたことがあり、下痢気味だったのも重なって、それはもう最悪な結果なった。掃除したのはユミルだ。
「焼けるウンコかー。見てみたいなー」
うっとりとシュランの楽しそうな呟きに、ルオンは衝撃を受けて唖然となった。シュランは全てを承知し、喜んで、ボナコンさんとお友達になってしまっている。
(アホがあほうの群れに飛び込んじゃっているですよ! ダメですよぉ~。シュランさん。このままじゃ、きっと創世なんかしたとき、四角い太陽なーて創って、そこに住む衝動体さん達は、右向け左って、号令をかけたら、お漏らしして、逆立ちで逃げていくような世界を創ってしまうですよぉ)
ルオンはシュランの前で仁王立ちとなり拳を握り締め、険しく睨み付ける。
「シュランさん! アホするは禁止です。したら、めっ! です!」
「俺、なにかしたか? それより、もう一人、友達が……」
「名前は……?」
ルオンは生唾を飲み込むような仕草をする。変な名前がでないでほしい。
「パリチョラト」
どん! と音が鳴った。ルオンが後頭部から見事に卒倒したのだ。
「ルオ! なぜ、気絶した!」
このパリチョラトと云う神体も、プルシャの眷族である。だが、その正体は永遠に内緒とさせて頂く。
何故なら、そのアホらしさを思い出しただけで高位精神体であるルオンが失神する程である。それ以下の精神体。例えば、中位にも満たない精神を有す人間が、そのアホらしさを知ろうものなら、ヘソと耳で笑いだし、五臓六腑を内より飛び出させ、全身破裂する怖れがあるからである。アホオブアホなのだ。
だから、永遠に内緒とさせて頂く。




