35 慈悲と宿命
「さて、これより、お主達に創造の技を伝授してゆく。この座天翔船を修繕していくことで、それを行うぞ。まずは、空間壁からじゃ」
ユミルは場を仕切り直し、言った。
シュラン達が座天翔船の外に出ると、藤色の海原が見渡せた。海からは数珠繋ぎになった結晶が幾つも放射線状に飛び出し伸びているという奇観である。
あの後、浄化の騎士達はアンリを取り逃がした。そのため、シュラン達は宇宙各地を転々と放浪しながら、アンリの追跡を翻弄することになったのだ。
むろん、護衛役も同乗している。
「ほう、アールちゃん、ゆーですな!」
「私の名は、アールマティだ」
人差し指を立て迫ったルオンに、赤紫色の甲冑で武装した女騎士アールマティは答えた。
「マティちゃん?」
とルオンは首をかしげる。
「アールマティ」
「ティーちゃん?」
今度は逆に首をかしげる。
「アールマティ!」
憮然しているアールマティを見て、シュランが面白そうな表情をしてやってきた。
「ルオ、違うよ。【やめて悔しい。駄目、駄目。落ちちゃう、ちゃん】だよ」
「え? 【やめて悔しい。駄目、駄目。落ちちゃう、ちゃん】?」
シュランが適当につけたあだ名。それに対してルオンは律儀に反復する。下手に色気もあり、ミャウが何故か顔を赤らめた。
ごほんと咳をして、この場を流そうとしたゲオルグ。マーシャはゴミを見る眼でシュランを見た。
「意味が解らんです。でも最悪なことは解ります。駄目です。やっぱり、アールちゃんですよ!」
「私の名は、アールマティだ!」
アールマティがやや怒りをからめ声を飛ばした。
「ややっ! 【やめて悔しい。駄目、駄目。落ちちゃう、ちゃん】で、いいなんて!」
ルオンは驚いたようにして言う。
「……。アールちゃんでいいです……」
女騎士アールちゃんは屈服した。こいつら恐ろしい。
その女騎士アールちゃんは、外に出てきたシュラン達を一瞥すると視線を戻した。
「全く。【やめて悔しい。駄目、駄目。落ちちゃう、ちゃん】は愛想が悪い」
シュランのぼやきを聞き付け、アールマティがきっと睨み付けた。しかし、馬鹿らしくなって、こめかみを指先で押さえ、檄を飛ばした。
「球陣2で布陣せよ!」
念動波長を受け、神炎塊と神眼球の数百が座天翔船を中点と球状に布陣した。アールマティの創造した陽の衝動体達だ。神眼球は戦闘能力はないが、《眺望知覚》に似た事象を拡大強化した念の球体で、数億の空間広域にいる陰の波動を探知し、報告する。
(しかし、あれが、最も猛悪な混沌体になるというのか? 信じられぬ)
背後で馬鹿騒ぎするシュランを眺望知覚で監視しつつ、アールマティは疑問を抱く。そして、与えられた真の任務を噛み締めた。
アンリを取り逃がし、痛恨の思いで、帰還してきたときのことである。母親のアフラ、ユミル、光の人影、その三神が待っていた。
《予兆があったので知らせておく。最も、猛悪な混沌体が降臨しようとしている》
玲瓏たる波動を発したのは、光の人影だ。遠方より放射された強力すぎる思念言語が、思念幻体すら投射している。何百もの腕をもつ青年の人影をとるブラフマーであった。
高次元に本体の魂魄があり、三体とも本体ではないが、六大至高精神体に数えられる三神が放つ後光で、かしずくアールマティは自分の存在を圧迫されるのを感じていた。
《この意識体だ……》
ブラフマーが指を鳴らす。映しだされたのは、ルオンを背負って歩くシュランの姿。
《何の因果か、シェキナーと一緒におる》
《あらら、びっくり。因果律の反作用ね》
念動球の中から、アフラが明るい波動をほうじる。
《そうだ。シェキナーは何垓何京何兆もかけ練られた純真なエネルギー。“奈落”を埋める鍵ぞ。絶望と破滅を生み出す“奈落”を修繕すれば、運命の反作用として、絶望と破滅を担う者が誕生してしまう。それが萌芽しつつあるのだ。どうするのだ、ユミルよ》
ブラフマーの厳しい問いに、ユミルは静かな間を置いてから、嘆息し答えた。
「“奈落”は埋めなければならない」
《ならば、最初から答えは決まっておったな》
ブラフマーが頷き、一同の視線が女騎士アールマティに注がれる。
「お主を呼んだのは他でもない。あの男が、混沌体に陥る兆候があれば、その時は、魂魄を打ち抜き、浄化するのだ」
「あの星々を削ぐ神体をですか」
アールマティが驚愕したの知覚し、ブラフマーが波動をさす。
《案ずるな。星削ぎは、マイト増幅器と云うべきシェキナーがあってこそ。混沌体になれば、常時操る可能性もあろうが……》
「違います。彼は、ユミル様の眷族に迎えられた者達。それを……!」
「“奈落”にかわる者の聖誕は防がなければならない。だが、遠い息子にあたる命を奪うは、忍びない。だからこそ、混沌体と化す刹那を……! それが、わしの慈悲だ」
ユミルは重々しく語った。命を創造してきたユミルにとって、苦汁の選択なのだ。
《浄化の長として命じます。浄化の騎士長。徳目を管理する私の娘、アールマティよ、その任を――》
アフラが毅然と命じ、アールマティが身を正す。
「受諾します」
アールマティは浄化光神槍の円盤を握り締め、場を後にする。
「して。アンリが建造したバベルの方は?」
《場所の見当もつかぬ……余の観想にも、プルシャの皮膚感でも発見できない……》
《あれはエデンの銀河を貫くほどの柱よ。そんなものが……みつから……》
去っていくアールマティには既にユミル達の会話は届いていない。
ルオンを背負って歩くシュランの優しげな表情の顔と、今身近にいる座天翔船の外壁修復の作業に取り掛かろうするシュランの顔が重なってゆく。
「……」
そして、今もなおアールマティは円盤を握り締めている。シュランを慕う者達の前で、その刻がきたときには、躊躇なく魂魄を打ち抜くために。
それが世界の理を守るものの宿命ゆえに。




