34 神的巨乳
一つの文明を消滅させるではあろう天災とも云うべき大衝撃があった後には、海底の大海溝に酷似したでかいクレーターができていた。
「あうー」
毛がぴんぴんとはね乱れ、埃で薄汚れたルオンが唖然と座っていた。目を眩ませた黒石板アルゲスを抱え込み、放心状態だ。
巨大クレーターの所々に六十万のオベリスクと三つの石版が突き刺さっている光景は、間抜けでありながらも、無駄に美しく壮観である。
「ぐぬぬぬ! たかが山脈の一つや二つを受け止められないとは! なんて俺の、男の器の小ささよ。情けない……」
瓦礫に埋もれたシュランは空を見上げ男泣きしていた。
クレーターの中心には山脈ウルリクルミのど頭が陥没している。手脚をぶらんぶらんとさせ、沈黙している。逆さ山脈とは滅多に見られぬ珍光景である。
炎塊スルトがなんだか口笛を吹く調子のスキップ足でやってきて、ウルリクルミの人面岩の横面にくると、子犬が用をたすみたいに片脚をあげ、火のおしっこをひっかけた。興味ありげに嵐蛇アダドが臭いを嗅いで、くちゃいと、その強烈さに目を回しぱたんと失神した。
と、瓦礫の中から立ち上がったものがいた。
炎塊スルトがびくっと驚く。
ミャウである。
殺気のオーラを纏って、幽鬼の如く、歩き出す。炎塊スルトは全身の炎を逆立て身震いし、恐怖のあまり一目散に逃走した。
「シューラーンー」
忿怒の激情がぱちぱちと放電現象と現れている。
「どうしたー、ミャウ……」
シュランは気軽に声を返し、絶句した。
鬼女がいた。
鬼神様がおられました。
「……あの。何故、怒っていらしゃるので?」
下手に、とぼけてでてみる。
「シューラーンー」
名前を呼ばれただけだった。
「ミャウ!」
と呼んでみる。先はこれでご機嫌になった。
「シューラーンー!」
変わらなかった。いや呼び方に含まれる殺意の重みが増した気がした。危険だ。
「調子に乗りすぎました。すみません」
謝罪した。
ミャウはにこりと笑った。
ああ……良かったと安堵し、シュランはミャウの鬼神様モードの迫力に心を乱してしまったこともあり、はずみで、【こける】の事象をつかってしまった。
派手にこけた。
宙で一回転する見事なこけるだ。
シュランの顔がそれに埋まった。
ぼむっ。
ミャウの爆乳。
宇宙的世界的快楽的やわらかさ!
ぽよよよよんとした弾力の波がシュランを極楽浄土に誘う。仏様がエレキギターよろしく三味線を打ち鳴らし、歓喜のソウルシャウトをジャンプしている姿すら見えた。
たわわと実ったあの巨乳に、顔を埋めているという歴史的快挙事実は、大抵の男の理性をニトロ爆弾で破壊するようなもので、シュランも例外でなかった。
この娯楽に溺れよう。乳溺してよう。もうこのままずっと顔を埋めていよう。理性は骨抜きとなった。
だが次の刹那、鋭利な殺意の波動が首筋に奔って、首が切断されて落ちた幻覚を見た。
シュランは一気に目覚め、死を覚悟し、恐怖で表情を固めながら、顔をあげた。
目があった。
ミャウは再びにこりとした。
笑っている。笑っているがその細めた瞳に宿るのは冷淡な眼差しだ。目は笑ってない。
「違うんだ! 間違って【こける】の事象を使っちゃっただけなんだ! うっかりさんなんだ」
シュランは慌てて弁明した。
「あら。わざと【こける】を使っちゃったんだ」
ミャウは指先を顎にやると、にっこりと笑い首をかしげた。
「わざとじゃない!」
「それにあたいの胸をもみもみしている、いけないこのお手々はなにかな?」
「え!」
シュランのお手々はミャウの巨乳をもにゅもにゅしていた。堪らないのです。この乳。とても凄いのです。でかいのです。触り心地は特上なのです。
たゆんたゆんとしてます。
ミャウの爆乳には男の子の夢が詰まっていると云われる事象【神的巨乳L8】の力が宿っている。
大抵の雄を魅力し、この魔の乳に触ってしまったら終わりだ。
巨乳に翻弄されて、永遠の奴隷にされちゃう。
【モフモフL8】がミャウに襲い掛かったのとは逆に、今度は【神的巨乳L8】の力がシュランに襲い掛かっていたのだ。
しかし現状がそれをユルサナイ。これは禁断の果実。
【神的巨乳L8】の力に抵抗しなければ、ミャウに殺されるのは確実だ。
「ぐぬぬぬぬ! ほへー」
虚しい抵抗をしてみるが無駄だった。シュランは覚悟を決めた。男としてやるしかない。
「俺はこの胸に顔を埋めて、死ぬ!」
熱い目をして潔く、いいきった。
勢いよく巨乳の谷間に、顔を飛び込ませる。
さらに、ミャウの巨乳を両手で鷲づかみ、一気に、中央にむにゅと寄せた。
凄まじき超乳力がシュランを至福の頂きに――
「アホか!」
どこからともなく落雷が落ちた。
「こんな馬鹿騒ぎして、もうお仕置きだよ!」
性格去勢。教育的指導。大義名分の元に、ミャウの電撃の鉄拳制裁が乱れることになったのである。
「なんか、騒がしいわね」
「それより、見つけたぞ」
空間にぽっかりと開いた穴へ、首を突っ込むのはマーシャとゲオルグのコンビである。天災並みの事件が後ろで発生しているが、職人気質な二人はそれに熱中していた。
「これが、座天翔船の動かす指揮動力部なのだな。雲なのか?」
亜空間の中では、彩雲の世界が広がっている。
「マイトエネルギーで構成された複雑な思念装置みたいだわ。観念的な起動回路プログラム? 言葉に表現するのが難しい」
「ちょっと、弄ってみるか……この辺を!」
ゲオルグが雲へ手を伸ばす。
突如、女性の音声波動が広がった。
《今より、五分で、座天翔船は『自爆』します。総員は緊急退避を!》
「なに、やってんのよ、ゲオルグ! こっちよ!」
《……自爆、五分は、今より、一秒後に変更されました》
「なーんて、こったい!」
大急ぎで、二人は彩雲を滅茶苦茶に掻き回す。
《変更! タキオン速一一〇を保ち、前進! 変更! 笑いながら漏らせ! 私、ミニスカで踊ります。やはろー! 強制命令受諾。全て却下し自爆まで、二兆三二四億年に変更されました……》
「ふー、危なかったわね」
「うむ、二兆年後なら、安心だ!」
「よくなわい!」
ユミルが杖で、ゲオルグとマーシャの尻を叩いた。
「そっちも何をしておる! 集まれ!」
ゲオルグとマーシャは尻を、シュランはたんこぶを、ミャウは殴りすぎて痛めた両拳を、ルオンは乱れた頭を、それぞれさすりながら、ユミルの元へ集合した。
「一つ言っておくことがあった。下の世界。特にお主達が前にいた世界に降りることを禁止する」
「家族に会っちゃいけないってことか?」
シュランが寂しげに尋ねた。
「それもあるが、下の低次元世界へ行くほど、まるで海底に沈殿物が蓄積するように世界が物質的になってくる。そのような下位場所へエネルギー的なわしらが降りれば、躰が保持できず一気に流失し、消滅するのじゃ」
「裸の人間が、深海では水圧で押し潰され、真空の宇宙では生きることもできないものかしら」
「と、云うことは、潜水艦や宇宙服みたいなものを……」
マーシャとゲオルグが何気無く交わした言葉に、ユミルが激昂した。
「下らぬことを考えるなー! あそこには界壁を上回る封印壁がある。簡単には降りられぬぞ! この禁をした者は厳しく罰するからな!」
シュラン達はユミルの剣幕に度肝を抜かれた。わっと巨大な体躯のものが肉薄してみんなの身を押しつぶそうとした迫力があった。これこそ、至高精神体――造物主ユミルの実力の一端なのであろう。空間が震えて、場が張り詰める。
「ああ、じーさん。解っているって。俺達はとんでない力を持ち待ったんだろう。その自覚と責任は持つべきだと思うしな」
シュランが場の緊迫を解きほぐすように軽い調子で言葉を指した。
「うむ」
ユミルが頷く。
目尻を掻きながらシュランは苦々しい笑みを浮かべた。シュランの母親はとうとう、ひとりきりになってしまったのだ。
母親思いのシュランにはそれが堪える。戦乱の中、女手ひとつで悪童とも云うべきシュランを育てた苦労を、今では十分、理解し感謝しているからこそ、毎月仕送りをし、映像通信で安否は伝えていた。
映像通信では気恥ずかしさなどあり、互いに憎まれ口を言い合うだけであったが、今となってはあの罵り合いが最後の会話となったことを、シュランは後悔と寂しさだけで胸を重く痛めるしかなかった。
その痛みと寂しさを紛らわすため、少しでも逃げたいという気持ちから、シュランは額の角をぴんと指先で弾いた。
ふと、ミャウはそのシュランの気持ちに気づいた。しょうがいない子だね~とでもいいたげな表情をすると、ミャウはシュランの肩を軽く叩いた。シュランは無言であったが、親しげに置かれた手から、励ましの想いを感じとった。心が少し楽になった。
シュランの肩にあるミャウの手を凝視し、笑みを浮かべていたルオンがすっと冷たい仮面のような表情をした。
ルオンはとことこやってくる。
「ぶ――――!」
とルオンは感情が爆発して、ミャウとシュランの間にはいってきた。
「なんだよ。ルオ」
突然のルオンの乱入にシュランが驚く。
「ぶー。ぶーな気分になりましたです」
「ぶーって。豚ちゃんか」
「違いますよ」
「なんか最近、肉付きもいいしな。肥ったかな」
シュランはルオンの膨れた頬をつついた。
「なーに言うてるですかな。ぶーですよ! ぶー!」
ルオンは口を尖らせ、その一日中、ぶーぶーと不機嫌であった。




