14 山脈ウルリクルミ 前編
やっぱり、シュラちゃん、へん! と思いつつ、ルオンは恨めしそうに言った。
「最初から、そう言ってくれれば……」
「色々あって心の整理がついてなかった。なんだか訳のわからない身体にもなっているし。それにあの時、皆がいたろ? 真面目なこと云うと、あの人達、からかうから」
ルオンは悪戯っぽい顔を浮かべて、花の咲いた棒切れで、茂みを指した。
「あそこ、いるですよ!」
仰天するか如く茂みが揺れ、どう獲物を料理するか思案する三人の男女がにやにやと笑いながら現れ、シュランは頭ならぬ角をかかえた。
「しゅ・ら・ぼ・うぉ~」
まさに悪魔の笑みを浮かべ、ミャウが歩み寄る。
「はぁ~。でも良かったですな。初めてキスされて、胸つかまれの、もみもみですのあげく、趣味じゃないなんて、捨てられなくて」
と、ルオンは何処か余所見しながら、溜息を一つしてから、ぼやいた。
瞬間、進攻する三人が動きを止めた。
「どういうことかな?」
「冗談! 冗談だよ! ルオの可愛い嘘!」
鋭く細めた目をしたミャウに、シュランは動じることなく平然と返した。
「あ! 酷い。押し倒したりもしたのに。こう、股開いちゃって……それで……」
「なっ! 最後まで! ゼロ歳児に! おお神よ!」
あらぬ妄想を付け加え、ゲオルグが天を仰いだ。
「それで、用済みのルオンちゃん」
「趣味じゃないとかいって、捨てたのね」
ミャウとマーシャはもう笑ってはいなかった。彼女らは恐るべき怒気を纏い、にじり寄る。しかしシュランは泰然自若としたまま、言う。
「ルオの冗談だよ。なんで、こっちに近づくかな」
「ルオンちゃんが嘘つく訳ないだろ! お前は平然と大嘘をつくからね」
ミャウに指摘され、身じろぎするシュラン。
「あのときは、物凄く痛かったです」
心が……、と小さく付け加えるルオン。駄目押しだった。
「覚悟おし! シュラ坊!」
ミャウはごきごき拳を鳴らし、マーシャは口許に悦を飾り付け爪を研ぎ、シュランの悲鳴が合図となり、猛烈なリンチが開始された。踏まれ、殴られ、火花散る中、シュランは見てしまった。泣くふりをしながら、小悪魔の表情でルオンがちろっと舌を出したのを。
そのときである。森が、動いた。
《――ルオンノタル、泣カス! 許ナイ!》
地層が波打ち、千年樹、いや万年樹と呼ぶべき大樹が地表の荒波にのってダンスする。激震によって踊る巨木より、生い茂る葉が大空を埋め尽くすほどの多量さでばらまかれた。
「なんだい! まだ半殺しもやってないんだよ」
「せめて、七割殺しまで!」
「おお! 女は恐い! こわーい!」
呻く三者の包囲から、十割殺し。所謂、殺されたら堪らんとばかりに、シュランは這う這うのていで逃げだした。
大地が傾いた。岩石が転がりだし、横転した巨木が破砕音の断末魔をあげ折れる。激浪たる地滑りが始まり、シュランはルオンを脇に抱えて走り出した。
上より土砂が強襲してくる。
シュラン達五人は肉迫する土砂に追われながら、謝肉祭の情熱をもって踊り狂う森と岩山を、走り抜ける。
「ルオ! さっき、なにをつついていた!」
「え? 目玉ですよ。クルミちゃんの眼球です」
「動いていた赤い筋。血管だったのかい! めんたまの!」
ミャウはあまり気にとめなかったものを思い出し叫んだ。五人は直角になりつつある地面を滑り降り、通常の地表へ降り立つと見上げた。
《オオオオオオオオ――――――ーッ!》
波動の咆哮をあげた口腔にあるのは乱杭歯。外貌は万年樹や千年林を点々と生やし、幾十もの巨石から形作られる人面岩。白いだけの眼球をぎょろりと動かし睥睨する。幼体より成体となった巨人ウルリクルミだ。
巨体と云う表現はウルリクルミの前に矮小化される。何故なら、ウルリクルミの躰は連なる高峰。一つの山脈なのだ。
《食タッル! ルオンノタル、苛めた子!》
ウルリクルミは、その矮躯から伸びる長い巨腕をふり降ろす。
強烈な一撃は、クレーター並みの大穴を穿つ。粉塵と衝撃がシュラン達をぶっとばし、きてれつな叫びをあげ、五つ物体が弾け飛ぶ。
くるりと無事に着地したのミャウだけ。ゲオルグ、マーシャは顔面着地。シュランは強かに尻餅をつき、ルオンがきゃと声たてた。
《逃ガサニナイ! 食ウッ! 食ウッ!》
短い脚で大地を陥没させ、地響きを打ち鳴らし、山脈ウルリクルミがのしのしと歩みやる。シュランは上下に揺れ、跳ねあがりながらも、ルオンを抱えなおし走り出す。
「どうにか止めてくれ!」
「……もう、駄目です、わ。あーなったら、クルミちゃん、五百年は暴れる。シュランさん。私のこと、小娘などとゆーたでしょうよ。あれ、それはそれは、傷ついたこと。だから、少し、痛い目みるといいですよ!」
「あっ! やっぱり本性を隠してたな!」
「知らない! そっちも偽ってた。変人ゆーですわこと!」
「変人じゃない! この小娘!」
ぱーん! と景気よくお尻を叩かれ、ルオンがきゃうんと嘶いた。その声にミャウが倒れてきた木を蹴り飛ばし、シュランの背後にくると、抱えられたルオンに顔を寄せる。
「大丈夫? ルオンちゃん?」
「あの……その、どさくさに紛れ、お尻をもみしくだかれたです……! もみもみです!」
叩かれただけなのに、ルオンはトンでもないことを付け加える。
「1、2、1、2……なにっ!」
「1、2、1、2……脚、合わせる! 1、2、1、2……」
1のときゲオルグが左脚を、2のときマーシャが右脚を、との二人三脚の要領で走る。
実は全員、飛行することが可能なのだが、元々歩いて移動していた生物である。危機的な混乱した状況もあり、飛行することを失念していった。危ないときは先に脚が動くものだ。
「あんたって子は!」
激怒するミャウ。
「そんなこと、やってない!」
「うう……もう、お嫁にいけないよぉ……」
ルオンが泣くように俯いた。顔は真っ赤だ。やはり、純真な所があるルオンにとって、あんなことを言ってしまったのが恥ずかしかったらしい。
しかし、ミャウはそう捉えず捉、赫怒した。
「このぉ、シュラ坊ーォ!」
そこへ、山脈ウルリクルミが二連撃で突きを撃ち降ろした。破壊された岩飛礫が跳ね上がる空間を、ミャウは放射線を描くように飛翔――
シュランはサイドステップしつつ叫んだ。
「へっぽこじーさん! ユミルのじーさんは!」
「1、2……ミャウの所為で、ぎっくり腰!」
「1、2……11、11ー!」
マーシャの11の掛け声に、ゲオルグは左斜め――11時の方向へ跳躍する。
「悪気はなかったんだ。悪気は! 軽く踏み付けただけなんだよ!」
膝を折り込み丸くなって高速回転跳びをする、ミャウが答えた。軽くでなくダイヤモンドが粉砕される程、強くが正しい。
「そうよ! 大きくなれるんだった! 巨大化して押さえ付けましょう! お願い!」
マーシャは観念的なセンスがないので、ゲオルグに頼んだ。ゲオルグが乙女の恥じらう表情をすると、木々を押し退け、巨大化した。所謂、【巨神化】というもの。
「おりゃ!」
ミャウも落石してきた岩に回し蹴りを食らわせ粉砕すると、【巨神化】した。
「大きくなるぞ!」
「恥ずかしい……恥ずかしいことを私は口に……あ! うん!」
赤面するルオンを揺すって、シュランは気張るような仕草をし、一拍を置き、巨神化した。どうやら、マーシャを除いた全員、【巨神化】するセンスを拾得したらしい。
しかし、みな、唖然とすることになった。
まだ山脈ウルリクルミの方が大きい。こちらは土星の二十分の一。六千キロの巨体となったにも関わらず、巨人さんと愉快な五人の小人さん達という比率だ。
「ちょっと、なんでだい!」
「大きくなってる! あちらさんも大きくなってるぞい!」
ミャウの言葉に、ゲオルグが目を見開き叫んだ。山脈ウルリクルミの巨躯は膨張しつつ大きくなって、その勢いを止めることなく、
《太陽ソースダッ! 食ウッ! 食ウッ!》
七つあった太陽の一つを片手で鷲掴みするまでに。このウルリクルミの名には天候神の本拠地クムミヤ街の破壊者という意味があり、太陽を握るなど造作もないことなのだ。
「太陽、つかんだわ! 信じられない! えっと、飛べるんだった。飛んで逃げましょう!」
マーシャが飛ぶと、ミャウとシュランが追従して飛び立った。
「遅いよ! 二人とも!」
一条の光と化して飛ぶミャウが振り返る。後方で飛行するマーシャとゲオルグの速度は、先行するシュランとミャウに比べて、格段に遅い。
「ゲオルグの所為だわ! ゲオルグの筋肉のせい!」
「マーシャじゃ! マーシャのお尻のせいだ!」
不毛な口喧嘩をする二人を狙い、巨腕が横殴りで襲いかかった。ミャウが速度をあげ、二人を引っ張りあげ躱したが、暴風並みの衝撃波に煽られる。三人は木の葉のように飛ばされた。ウルリクルミは追撃の手を弛めず、再び、巨腕が振るわれる。
「もう、滅茶苦茶だよ!」
ミャウがマーシャ、ゲオルグの首根っこを掴んで逃げ回る。
「何か、打開策を! そう、アレ! 【無限なもの】から知識を! お願い!」
「またかい!」
中年親父の渋い顔から乙女の顔という変幻自在のおそるべき顔芸を見せるゲオルグ。
すると――