分析
3
広い会議室を貸し切って、準備が進められる。下ろされる巨大スクリーン、並べられる机。間もなく時間は午後三時。全ての班がここに集結した。
手元の紙コップに注がれたインスタントコーヒーを口にする。
「あっちぃ……」
まだ入れたばかりで、なかなかに熱い。溢れ出す蒸気に顔をしかめながら、結局冷ますことなくもう一口、口に含んだ。
徐々に暗くなっていく照明。真っ黒な液体は暗闇に紛れ込んでいった。
「では、河川敷での事件に関する、情報交換を行います。まず、一班からどうぞ。」
俺のすぐ横に座る三人の部下。そのうちの一人が立ち上がる。
「まず我々一班は、被害者、大山和弘宅の調査を行いました。恨みをかってたと思われるような文章は見当たらず、またパソコンの中にもそう言ったデータはありませんでした。なお、パソコン内のデータのほとんどが動画であり、それらは全て物理の授業に関係するものと思われます。」
俺は両膝を机につき、顔の前で両手を組む。輝くスクリーンが部屋全体を照らしあげている。
「ここ最近のアクセス先のサイトも確認しましたが、ニコニコ動画と呼ばれる動画サイトだけでした。現在も鑑識の方に調査をしてもらっております。パソコンに関しては以上です。次に女性関係ですが、そちらを感じさせるような物は一つとして出てきませんでした。ただ、被害者は下宿しているということもあり、母親に関する文面は携帯、およびパソコンから見つかっております。長期休暇は実家に帰っているようで、被害者の実家の調査は現地の警察官に任せてあり、報告待ちの状況です。」
話半分に聞きながら、部屋全体を見渡す。ここに集まった大勢の人間が俺の部下、なのか……
ただなんとなくで過ぎてきた人生。いつの間にか偉くなったもんだな。なんて、どうでもいいことを考えながら、話を続ける部下を見る。
「借金は一切なく。貸すことも、借りることも行っていたことを思わせる文章は見つかりませんでした。現場で見つかった包丁ですが、被害者の家には全ての包丁がそろっていたため、そこから持ち出された物ではないです。」
スクリーンが変わり、自宅の写真が写しだされる。一本一本を縦長の穴に差し込む形でしまう包丁入れ。それには確かに、全ての包丁が差し込まれていた。
「おい、ちょっと自宅で見つかった包丁の刃を見せろ。」
突然の注文に慌てるように、写真が切り替わる。
そこには刃がしっかりと砥がれ、側面に傷がついた包丁が写っていた。
「現場の包丁の写真は?」
再び切り替わり、もう一つの包丁が映し出される。こちらも確かに傷がついているのだが、少し違う。現場の包丁は刃に対し平行に傷がついているのだが、被害者自宅の包丁には刃から斜めに傷がついている。それは、全ての包丁に言えたことだった。
「確かに、持ち出されたわけじゃねぇみたいだな。わりぃ、続けてくれ。」
コップからまた一口。コーヒーを啜る。熱い液体と共に、きつい苦みが広がった。
「当然ながら、自宅から薬物などの反応はありませんでした。また、アルコールの類も一切置かれておらず、ゴミからもそういった物は見当たりませんでした。生活は実家からの仕送りとアルバイトで賄っていたようで、生活に困るほど金が無かったわけではないようです。また、人から金目当てに殺されるほど大金は持っておらず、通帳からもわずかにしか現金が無いことを確認しております。彼の住んでいた自宅の大家さんからの話によれば、きっちりと家賃は収められており当然ながらそう言ったトラブルも無いようです。近隣住民との接触が極めて少なかったことが、逆にトラブルを少なくしていたようで、被害者の事を一番よく知っているのは友人関係、家族関係を除き、大家さんでした。」
言い終わると同時に席に着く部下。
なるほど、恨みをかうような存在ではなく、なおかつ金目当てでも殺される理由は無い、か。なおさら動機は不明。本当、一体何の利益が有って殺されたのか……
強く目を瞑り、乾燥した眼球に涙を行きわたらせる。
自宅の調査で分かったことは、自宅には何もなかった。ということだけか。
「では、二班お願いします。」
司会の進行により、情報提供は進められる。
「では二班です。私たちが行ったのは現場周辺住民への聞き込み調査です。現場側川沿いに住む真田行平さん58歳によると、深夜一時ごろに二人の男性が会話する声が聞こえてきたと言っており。何やら揉めるような会話だったと聞いております。それから30分ほど後、銃声のような音が響いたと言っております。午前一時半、死亡推定時刻と一致しており信憑性は高いかと思われます。」
そこで一旦俺は、部下の話を区切った。
「おまえ、死亡推定時刻を聞いていたのか?俺は聞いていなかったが……」
張りつめた空気が会場を包み込む。知らされていない、は重要なミスだ。
「お言葉ですが、既に無線機であらかじめ知らされていたはずです。私は無線機で知らされました。」
沢山の部下たちが座る席の中。俺のドライバーを受け持っていたそいつが立ち上がり、意見する。こいつとは同じ車に乗っていたんだ。
「わりぃ。だったら、俺のミスだ。」
俺のその言葉に、会議室全体の空気が緩む。二班の代表が、ホッと一息つくと続きを伝え始めた。
「死亡推定時刻は午前一時半。この方の証言で最も不可解だと思われる点は一つ。銃声のような音が聞こえた、と言う点です。鑑識の方にお願いし、現場周辺から硝煙反応を調べてもらいましたが、一切の反応も出なかったということです。」
火薬を使った、か。確かに可能性としては面白いが、それはちょっとどうなんだ?
俺はまた手元のコーヒーを啜った。
「次に二人目の証言です。加藤春樹さん、18歳男性です。彼も午前一時ごろ、銃声のような音を聞いたと言っております。なお彼の家は川を挟んで現場から反対側であったために、それでも聞こえるほど大きな音だったということが伺えます。三人目の山中絵里奈さん18歳からは、めったに通らない道路で一台の車が走って行く音を聞いた、と言っておりました。時間は零時半前後だったかも、と言っております。二班が得られた情報は、時間が時間なだけに以上です。」
なるほどなぁ。被害者と加害者は車でここまでやってきた。それは何の目的かは分からないが、とにかくやってきた。その後二人は揉め、川岸でズドン……。そうなるとやはり、火薬を使って包丁を飛ばしたのか。いや、硝煙反応は出なかった。その上、始めから死んでいた場所が川岸だったということも現場の状況から分かっている。これは決して動くことがないだろう。そうなると、いくつもの証言が間違っていたことになる。
「では、最後に三班の金田さん。お願いいたします。」
部屋に響く返事と共に、すぐ隣の金田が立ち上がる。
「三班の金田です。私は岩島と共に第一発見者からお話を伺っておりました。山中春江さん64歳女性です。彼女が死体を発見するに至ったいきさつですが、毎朝日課にしているランニングのコースをいつもと同じように走っていた、とのことです。発見時間は午前4時35分。通報を我々が受けたのは午前四時50分です。」
俺は片手を挙げて話をさえぎる。
「発見から通報が著しく遅いようだが?」
第一発見者を装った犯人の通報。あまりないが、現実でもたまにあることだ。
「山中春江さんは携帯電話を持っておりません、慌ててうちに帰り通報したと言っております。これを裏付ける簡単な証拠ですが、かかってきた電話番号に市外局番が含まれておりました。」
一つの疑問は解決できた。
だが、まだ何か引っかかる。
「死体発見の時間だが、細かい時間が分かっているな。時間を見るほどの余裕があったのか?」
どうでもいいような質問を投げかける。だが万に一つなら起こりえる、第一発見者が犯人である状況。そうでないことを証明するための質問だ。
「後程、どうやって細かい時間を割り出したのかまで尋ねてみます。」
胸元で腕を組ながら、小さく返事をした。
「第一発見者からの証言は以上です。」
そういうと、手にした手帳をたたみ席に着いた。最後は俺の番だ。司会が何かを言うよりも早く、資料の束を持ち立ち上がる。輝くスクリーンをバックに、部屋全体へと向き直る。受け取ったマイク。その電源を確認し、軽く叩く。その音がスピーカーから部屋全体へと響き渡った。
「あー、じゃ俺から分かった事を伝える。ちょっと照明、明るくしてくれ。年食ってどうも見えにくい。」
徐々に明るくなる部屋。暗く、影しか見えなかったであろう俺の姿は、照明によって照らし出される。
「被害者の学校、新代大学への聞き込みを行った。そこで行ってきたのは主に二つ。教授らへの報告、そして学校での聞き込みだ。教授らからの話によれば、被害者は成績は良い方ではなく特に目立ったことは無かった。それは人間関係でも言えたことであり、有力となりえる証言はほとんど学生から得られたものだ。」
一旦話を区切り、ホッチキスで止められた資料をめくる。
「ええっと。山田敦、20歳男性。被害者と同じ物理学部生。被害者とは高校で知り合い、普段から親しくしていたらしい。こいつは今日、学校には来ていなかった。次に木下陽臣、21歳男性、同じく物理学部生。大山和弘と山田敦に何処かに誘われたが、アルバイトの為に断ったと本人は言っている。なお、これの裏付けはまだ取れていない。大和田誠也、20歳男性物理学部生。被害者との関係は、大学で知り合った友人の一人。木下陽臣同様、何処かへ誘われたようだがサークル活動の為断った。こちらの裏付けは出来ており、他のサークル活動員からも本人がいたことが証明されている。」
呼吸を整え、周囲を見渡す。一生懸命メモを取る者。話を聞く者。それぞれがぞれぞれのスタイルで情報を叩き込む。
まるで、講義だな。と、心の中でひっそりと笑う。
「いいか、続けるぞ。森本美緒香、20歳女性の外国学部生。被害者周辺で唯一の女性の友人であり、少なくとも森本美緒香本人は、被害者と恋愛関係では無かったと話している。被害者とは極めて仲が良かったようで、周囲からは恋人同士でなかったことに驚かれる始末だった。一応、俺らからは以上が全ての情報となる。何か質問はあるか?」
部屋全体にどよめきが広がる。今回の情報に関してのやり取りだろうと、俺は信じたい。そんな中、一人が手をあげた。
「おう、どうした。」
俺がそう言うと、そいつは立ち上がり言葉を発した。
「質問です。被害者の大山和弘、そしてその友人山田敦ですが。彼らはどこに行ったのかはわかりますか?」
彼の質問に静かになる会場内。俺は後ろの首筋へ片手を回しながら、そいつを見る。
「悪いが、そこまでは分からなかった。山田敦は学校には来ておらず、また、被害者は山田敦、木下陽臣そして大和田誠也の四名で何かをしようとしていたらしい。だが実際にその何処かへ行ったのは、被害者と山田敦の二名だけであり、来れなかった二人にはその詳細は知らされていなかったと聞いている。唯一詳細を知っている山田敦は学校に来ておらず、話が全く聞けなかった、と言う状況だ。これでいいか?」
納得がいっていないようだが、してもらうしかない。そして一番納得がいっていないのは、俺自身なのだから。
また先ほどとはちがう部下が、手を挙げた。
「保険金はどうでしたか?」
確かに、それについて何も聞いていない。先ほどまで俺が座っていた長机へと、視線を向ける。
「それについては、私から説明させていただきます。自宅調査の段階でそれに関する資料は見つかっております。企業の方にも確認は取れました。ただ、生命保険には加入していなかったため、殺して利がある人物はいないようですね。」
今回の事件、分からない事は大きく二つ。一つが動機、もう一つが殺人方法。ついでに犯人も。だが、そちらは目星がついてきている。
俺は一段と声を張り上げ、進行を促す。
「三班、今回の情報をまとめてくれぃ。」
何かを一生懸命に書きながら、腰だけを椅子から浮かしている。その態勢でほんの数秒。すぐにマイクに向かって声を出し始めた。
「えっと、ではまとめに入らせていただきます。今回の事件、被害者の名前は大山和弘、21歳の男子大学生。新代大学の物理学部所属の三年生です。昨日被害者は友人、山田敦と共にどこかに出かけ、午前1時頃には証言と死亡推定時刻からそこにいたのではと、推測できます。午前1時30分ごろ、銃声のような音が響き渡った。死体発見は午前4時35分、川辺をランニングしていた山中春江さんにより発見、そして通報されました。我々が通報を受けたのが午前4時50分、最初に現場に到着したのが午前5時ちょうどとなっております。」
話を区切ると照明が再び暗くなり、スクリーンに現場の簡単なイラストが表示された。
「事件現場は図のようになっており、死体には包丁の柄が胸部に刺さった状態で発見されました。死体は仰向け、包丁からは指紋は検出されず、手で刺したにしては手袋痕も小さい物でした。死体には軍手がはめられており、血液の付着の仕方からしてあらかじめ着けていたものと思われます。死体からは三種の足跡が伸びており、内二種は犯人と思われる人物の一往復分。残りは被害者自身の物だと思われます。なお、犯人の足跡から直線で30メートルほどの位置に、荒されたような跡がありここで何があったのかは不明です。証言から火薬を使った可能性も考えましたが、現場周辺には硝煙反応は無くその痕跡は一切見受けされませんでした。包丁の調達先は不明で、被害者の自宅からではないことが分かっております。」
表示が切り替わる。
「人間関係ですが、山田敦、木下陽臣、大和田誠也の三人は同じ学部と言うこともあり極めて仲が良かったようですが、木下陽臣、大和田誠也の二人はそれぞれ用があったため、被害者の誘いをキャンセル。山田敦だけがその誘いにのったようです。同大学に在籍する森本奈緒香とは同じく仲が良いようですが、恋愛関係では有りませんでした。もっとも犯人としての可能性がある山田敦は、学校に来ておらず話を聞くに至らなかった、とのことです。被害者は他人から恨まれるようなことはしておらず、金銭面、怨恨の線も薄く。殺された動機が一切不明な状態です。」
やり切ったとばかりに顔を上げる部下。部屋はその終わりの雰囲気にざわつき始める。
ざわつく室内。全体に響くよう強く手を二回叩いた。
「いいか。これから山田敦を重要参考人とし話を聞かせてもらおうか。できれば強制的に逮捕と行きたいところだが。これだけでは令状は出してもらえないだろう?」
ようやく明るくなる室内、環境の変化を気にすることなく話を続ける。
「18時だ。18時に一班と二班とで山田敦自宅へと向かう。なお、山田敦は本日学校に来ていなかった事から、場合によっては逃げ出している可能性もある。出来るだけ早急に彼と話をしておきたい。三班には悪いが署内で待機、そして引き続き情報の分析をたのみたい。ただしいつでも動けるように準備だけはしておけ。それまで各自解散!」
一斉に片づけられる机の資料。既に冷めきった紙コップのコーヒーを、俺は最後まで飲み干した。冷たい液体。その冷たさが苦さをより掻き立てる。朝早くから走り回っていたために、どうにも瞼が重たい。
慌ただしかった室内にただ一人。残された俺は、壁の時計を確認する。
18時わずか5分前……
だから部下どもはあれだけ慌てていたのか。静かな部屋で、静かに一人で納得する。目を閉じ、大きく息を吐き出す。空気の塊が体から抜けて行くのを感じた。これから行うことは、もっとも危険な事の一つ。山田敦がもし本当に犯人だったならば、警察に話しかけられた瞬間に何をするか分かった物じゃない。無駄だとわかっていても抵抗する犯人。多くはないが、いないわけではない。覚悟を、決めなくては……
「出発のお時間です。」
扉が開けられ、催促される。既に暗くなってきた空。廊下の窓からは、重くのしかかって見える。万が一の為に防具を身に着け、パトカーへと乗り込んだ。
「一班、二班、準備は良いな。行くぞ。」
騒々しく何台ものパトカーがサイレンを鳴らし始める。巨大な月の下。ビルの煌めきの下。赤い光の華が開かれる。
赤信号を無視し、横断歩道の歩行者を罵倒し。赤き華は、夜の街に咲き乱れる。
わずか15分後。目的の建物へとたどり着いた。次々と停車する後続のパトカー、ドライバーがエンジンを切るより早く俺は車から降りた。
「一班は逃げられないように裏へ回り込め、二班は少し遠巻きに俺を見ていろ。抵抗するような素振りがあれば、すぐにでも来てくれ。」
無言でうなずき、俺の指示は行動に移される。
アパートの一角。ただ一人で俺は、そのインターホンへと手を伸ばしかけた。
「あぁ、お巡りさん、思ったより早かったのですね。」
突如として老人が話かけてきた。彼はこちらに構うことなく話を続ける。
「つい先ほど通報したばかりですよ。人生長いが、こんなことは初めてだ。」
ギリギリで止められた俺の指。
この人はいったい、何を言っているんだ?
鼓動が一気に強くなる。嫌な予感。違う、予感ではない。
「そうです、その部屋です。もう、あれは二度と見たくありませんねぇ……」
予感と言う疑惑は、確信に変わった。一本の指に力を入れ、激しく扉を開け放った。
「やられた!」
そこから見えるは鉄刃華。
夕闇の月に照らされて、ただ禍々しくそれは咲き誇っていた。