発見
推理、皆様もご一緒に考えてみませんか。犯人と言うよりも、殺し方ですかね……
1
夜空に灯るパトライト。暁をわずかに過ぎたその時間、赤い光の華が開かれる。華が照らすは物と化した、命あった物。別にドラマチックな何かがあった訳ではない。ちょっと不可解なだけの、日常の一部。
街の一か所に、何台ものパトカーが集結する。騒々しいサイレンをかき鳴らし、まるで競うように早朝の街を駆け抜けた。
「場所は川沿い、ねぇ。人殺しの定番じゃねぇか。」
車内に響くサイレンと、無線の声。ノイズ交じりのその音声は、絶えることなく現場の情報を流し続ける。
「男性で、刃物で一か所刺された、ですか……」
赤信号を無視し、ようやく見えてきた現場。そこには既に、山ほどの人が集まっていた。減速し、道を空けるよう促す。ゆっくりと徐行しながら、持ち上げられた黄色いテープを車ごとくぐってゆく。
「指紋とかはもう出たのか?」
現場の保存のため、手袋と靴底にカバーを付ける。車から降りると、歩きながら、先に到着していた部下に現状を問うた。
「凶器、財布から指紋は出ませんでした。身元は財布の免許証から判明しましたが、凶器の方がどうも……」
土手のコンクリートで造られた階段を下りてゆく。口ごもる部下の報告に呆れを感じながら、事件現場へと歩いてゆく。東の空に迫りつつある太陽に、ただでさえ少ない星々がさらにその数を減らす。
「何があったのか、はっきりと言えはっきりと。」
こみ上げる苛立ちを最小限に抑えつつ、注意を促した。仕事が仕事であるために、こういうことには自然と敏感になってしまう。
だが、報告させるまでも無かった。
辿り着いた現場。長い草が生える土手に、赤茶色の花弁が開いている。
仰向けに倒れた男性。
口や目は開かれ、顔をのぞかせた太陽によって血の色をわずかに取り戻す。
胸に刺さった凶器。
誰が見ても分かる。
包丁だ。
しかしこれは……
「全く、不思議な事件には何度も遭遇しているが、なかなか簡単に解決出来やしねぇ。帝都大のガリレオ様なんてもんがいれば、ぜひとも協力をお願いしたいもんだ。」
片手で自分のこめかみを押さえつけた。じんわりと、頭に痛みが広がって行く。
「それ、誰ですか?」
先ほどまで運転をしていた、部下の一人が尋ねる。
「あぁ?知らねぇのかよ……」
「小説だよ、小説。」
地に膝を付けないよう、死体のそばに屈んだ。
ただの洋服。
髪は短め、胸元に一つの包丁。手には血を吸った軍手をしている。
倒れた死体を形とるように、輪状にロープが置かれてゆく。
「一体どうやったら、柄が体に刺さるんですかねぇえ?」
語尾に強いアクセントを加え、盛大に皮肉を口にする。
刺さるはずの刃。それは天を指し、代わりに柄が死体に刺さっていたのだ。
「刃の部分から指紋を取ろうをしましたが、出ませんでした。」
話半分に聞きながら、凶器を観察する。柄だけは根元までしっかりと刺さっていた。刃の側面の部分には、刃と平行になるように傷がついているのが確認できる。
「まさか、手袋したまま刃を持って刺さる訳ないよな?」
刺さった深さから考えると、胸部の骨はおそらく砕かれ、貫かれたのだろう。刃を使わなかったにも関わらず、これほどの力を手袋したまま加えるのは、まず不可能と言える。
「手袋痕は見つかりました、が微々たるものでして……」
なるほど。
「直接刺したにしては、ってやつか。足跡とかはどうだ?」
案内され、場所をわずかに移動する。そこには確かに、靴跡と言えばそうみえる跡がいくつも残っていた。
「指紋を残さないほど計画的な割には、残し過ぎだな。」
伸びる足跡をたどってゆく。歩幅は俺よりも広く、一つ一つの足跡がやや縦に伸びている。
「股下は俺と同じくらいで、残された跡の形から走っているな。そして靴跡の伸び方から察するに、往復したのか?」
いくつもの不可解な点。
整理し、まとめ、結合させるのが俺らの仕事だ。
伸びる足跡は、ある点で足踏みでもしていたのかのような跡に変わる。死体の位置と、直線距離で大体30メートルほどか。
ここに何かがあった。
置かれた15と書かれたプレート。あるのは足跡の塊だけだが、何かあるはずだ。
草をかき分け、ライトで地面を照らし出す。何か、わずかにでも残っていないのだろうか……
踏み倒された草の中、小さく三つの窪みがあることに気が付いた。丁度それらを結べば、正三角形を描けるだろう。
「おい、ここの写真撮っておけ。」
三つの点を写真に収めるよう、部下に指示を出す。死体とこのポイントを往復する、走った足跡。そして、三つの点。
「ん?足跡はここからも続いているんだな?」
死体と15番のポイントから、さらに続く足跡。それをゆっくりと辿って行くと、土手へと上がる階段へと辿り着いた。
こちらも一往復分の足跡があり、階段から15番のポイントまでは歩いた跡がある。逆に階段へと至る足跡は走っているようだ。
「なるほど、ここから入ってきて出て行ったわけだ。と、なるとこれは犯人の足跡か……。じゃあ、被害者はどうやってあそこまで行ったんだ?」
血の跡が一つも無かったことから、殺されてから運ばれたとは考えにくい。死体から広がる血だまりも、それを裏付ける一つの証拠だ。
「被害者の足跡ですが、奥の階段から伸びています。」
土手を通り、奥の階段から足跡を辿ってゆく。大きく曲がりながら、死体の位置へと向かっている。こちらのルート、特におかしなものは見当たらなかった。強いて言うなら、平たい岩とそれに乗ったコーラの空き缶くらいか……
「で?」
一周回り、戻ってきた現場。大方、現場の周辺は見て回れたのだろう。
あとは情報だ。
「はぁ?」
唐突な続きの催促に、理解が追いついていない部下が腑抜けた声を出す。
本当に俺の部下なのだろうか、と疑いたくなる鈍さに頭を抱える。
「被害者の身元だよ、身元。現場はあらかた見ただろうが。」
慌てて手帳を取り出し、書き記されたことを述べてゆく。被害者の情報は、部下が言うにはこうだった。
大山 和弘
男性
21歳
新城大学学生
物理学科
三年生
なお、これらは財布に入っていた学生証、および免許証から判明した物であり、金品の強奪は行われていない。それらと指紋を残さない入念さから考えると、犯人は激しい殺意と冷静さに燃え上がっていたのだろうと推測できるのだが。
本当に分からんな……
「第一発見者は?」
車へと早足で戻りながら尋ねる。現場での発見はもう無いだろう。死体は動かされ、あらゆる資料は半永久的に残る物と変えられていく。
「パトカーの中で待機してもらっていましたが、つい先ほど署の方へ移動してもらいました。思いもがけずに死体を見たんです、しかも異常な殺し方をされた物です。一般の方からすれば、相当精神に堪えるかと。」
助手席に乗り込み、これからどうするかを考えた。
選択肢は四つ。
一つ、学校に聞き込み。
二つ、被害者、大山和弘自宅への調査。
三つ、第一発見者から話を聞く。
四つ、周辺住民から手がかりを探す。
たった一人で捜査する刑事なら、一つを選ぶのだろう。だが、現実一つづつ処理する時間は無い。無線機を取り上げる。
「いいか、俺は学校に向かう。一斑は大山和弘自宅の調査。二班は周辺住民から情報を引き出せ。三班の金田と岩島で、第一発見者から情報を引き出せ。残りで全ての情報を収集し分析、そして俺に回せ。いいな。」
一方通行の無線越し。返事を聞くよりも先に、俺の乗ったパトカーは走り出した。
新代大学。
決して偏差値が高いわけではない。いわゆる中堅。人間、文学、外国、情報、歴史、経営、化学、物理の八つの学部に分かれており、やや文系寄りの学校だ。成績にかかわらず、人気があるのは理由がある。
最近できた新校舎。アクセスに優れ、あらゆる交通手段で通学が可能である。
都市のほぼ中央に位置しながら、キャンパスの広さ。それらが人気の理由だ。
なお、トップに金山紀彦と言う人物を携えている。ここまで調べると、携帯をしまった。
今回の被害者は、物理学部物理学科の学生。
三車線の道をしばらく突き進む。都市のほぼ中央に建つ、巨大な駅。シンボリックなその形状は、都市のランドマークとなっている。
「朝だってのに、人が多いんだな。」
頬杖を突きながら、率直に感想を告げる。どんな目的が有ってここにいるのだろうか。はたまた、目的も無しにぶらぶらすることが目的だろうか……。信号が赤に変わり、これまでの流れを新たな流れがせき止めている。
鳥の鳴き声のような音が木霊し、より鬱陶しさを掻き立てた。
「まぁ、世間は祝日ですからね。当然、ですよ。」
外の景色をボーっと見ながら、質問する内容をまとめ上げる。そもそも、質問に答えられる人物がいるかどうかは別の話だが。
信号が変わり、ゆっくりと走り出す。
巨大なモニターが、最新のヒットソングのPVを流している。カラフルな髪の男女が踊っているのが分かる。
本当、時代の流れって……
「わかんねぇ……」
思わず口にしてしまった心の言葉。狭い車内で部下が聞き逃すはずがなかった。
「確かに、謎が多いですね。」
訂正するのも面倒になり、ため息だけをついた。人の考えなんて、よっぽどのことがない限り分かったもんじゃねぇな……。
駅から車でわずか数分。新代大学へとたどり着いた。
駐車券を取り、上がったバーをくぐる。都心部にしては広い駐車場。軽自動車を中心に、所狭しと並べられている。
「一時間50円ですか……」
ここら一帯では、比較せずとも安いのが分かる。これも全て学生の為、なのだろうか……。
「安心しろ、あとから経費として報告しといてやる。そんかわり、きちんと領収書は取っとけよ。」
運よくあいたスペースに、パトカーを滑り込ませる。わざわざ学校の駐車場にパトカーとは何事かと、行く人すべてがこちらをチラリとみていく。
「パトカーで来なけりゃ良かったか?犯人がここにいれば、逃げられちまうかもな。」
ほんの冗談。
犯人は事件があったことを知っている。まさか、呑気にキャンパスライフを送っているはずがないだろう。もちろん俺が犯人だったら、とっくに逃げ出している。
「では、次回から覆面にしますか?」
冗談が通じない奴だ……
二人は車から降り、駐車場のそばの芝生を突っ切ってゆく。
校舎は現在三つ。中央に芝生の広場があり、それらを囲うように三つの校舎と、駐車場が展開されている。
目指すは学長室がある第一講義塔。ここに、学校に関するすべての機能が備わっている。
取りあえず学長から、だな。
高級ホテル並みの、手入れが行き届いた屋内。エントランスにはテーマパークのチケット売り場のような、ガラス張りのカウンターがあった。学校事務。
部下がそこへ、学長との会話を取り付けようと交渉を始める。その間、退屈な俺は並べられたソファーに腰掛けた。
天井から吊るされたファンの風が、頭部から撫でる。めったに来ないような老人に驚いているのか、結局何もしなくても注目を浴びてしまっているのが分かる。
「行きましょう。この棟の15階だそうです。」
エレベーターで15階を選択する。緩やかな上方への加速が、身体に軽い負担を与えた。
「あと30分したら講義らしいので、それまででしたら大丈夫とのことです。」
到着を知らせる音と共に、扉が左右に開き始める。
15階には展望レストランと、学長室。その二つだけが入っている。新代大学の塔の中でも最も高い位置。
レストランから見える夜景は、さぞかし綺麗な物なのだろう。
木製の扉。そこには学長室の札が掲げられている。
三度のノック。
わずかに間を空けたのち、どうぞの声が聞こえてきた。敷き詰められたふかふかの絨毯。天上にでも来たのかのような景色。そしてそこにはただ一人、机の上で手を組み、俺たちを待つ者が居る。
と、思っていた。
だがそれはあくまで俺個人の妄想、現実は違う。
真っ白な蛍光灯の光の下。二つのソファーが、背の低いテーブルを挟んでいる。一つのホワイトボードを仕切り代わりに、奥には事務用の机と、デスクトップのパソコンが置かれていた。両側から迫りくる、ぎっちりと本が入った棚。
まぁ、現実はこんなもんか。
変な妄想に、少々恥ずかしさを感じつつも、室内で立っている男性へと目を向けた。
「どうも、おはようございます。お忙しい中、お時間を作っていただき感謝いたします。」
真っ白な髪の、朗らかな男性。この人が……。
「いえいえ、よくぞおこしいただきました。施設を造る際、設計士がやらかしまして。取りあえず、おかけください。」
男性がソファーを指すと、部屋の端に置かれた電気ケトルへと向かった。二人は言われた通り、ソファーに腰掛ける。
「コーヒーと紅茶、どちらがお好みですか?」
カップにお湯を注ぎながら、二人へと質問を投げかける。
時間的にはまだ朝。二人ともコーヒーをお願いした。
「以前カンボジアに視察に行きましてね。そこで買った、コーヒーです。」
一度注いだお湯を捨て、慣れた手つきで抽出していく。真っ白な湯気が、やんわりと広がって行った。
「コーヒー、ですか?」
書類が散らばるテーブルの上。隅へとそれらを追いやると、それぞれ一つづつ、目の前に置かれた。確かに見た目はコーヒーのそれだ。
だが……
「ココアみたいですね。」
部下の意見に完全同意。部屋に充満している、黒い飲み物の香りはココアそのものだった。
「えぇ、確かにココアのような香りはしますが、味はコーヒーのそれと同じですよ。」
一口。
そっと啜ると、それは確かに広がった。
コーヒーの苦み。
ココアの香り。
「これはまた、なかなか。」
もう一口、口に含む。
「なかなか、変わっているでしょう。」
学長は向かいのソファーへと腰かける。彼は二人の驚く様子を見て、楽しんでいるのかのように感じられた。
「祝日だというのに、講義ですか?」
30分の猶予。決して長い物ではない。だが内容が内容なだけに、いきなり本題に入る訳にはいかない。
「えぇ、基本祝日にも講義はあります。その代り、夏休みや春休みは長くなりますね。夏休みは今日みたいな日の代休、春休みは受験の為ですね。まぁ、われわれ教授と言う立場では、研究と言う仕事が毎日ありますが。」
なるほど、と呟きながらまた一口、コーヒーを啜る。広がる香りが消えるよりも早く、テーブルへと置いた。
「金山紀彦学長。教授と言う立場では、一人一人の学生をよく観察できるものなのでしょうか?」
俺の質問に対し、彼はそっと目を閉じる。一人一人を思いだそうとしているような、そんな印象を受けた。
彼はゆっくりと、閉ざされた瞼を細く開かせる。
「観察、は出来ます。しかし覚えているかと問われれば、また別の話です。」
膝に肘を置き、両手を組んだ。
「なるほど、まじめな学生は紛れてしまいますか。」
分かったような口を利く俺に対し、彼は反論する。
「いえ、まじめな学生は人数に関係なく顔は分かります。」
「寝ている学生、サボる学生はさすがに……。当然、前の方に座る学生は特に覚えていられますね。」
これが教える立場の人間、と言う物なのだろうか。
「私には覚えていられる自信がありませんね。」
小さな笑いが広がる。
「なかなか、覚えられるものですよ。確かに私も、若い頃は教えるだけで精一杯でした。」
カップからの湯気は消え、取っ手を持たなくても平気なほどになっていた。
「確か、経営学の教授でしたよね。金山先生の本、以前拝読させていただいたことがあります。今回のカンボジアへの視察、まだ成熟していない地域へ企業は進出するべきだ、というあなたの主張から来たものでしょうか?」
ほう、と感心したように、彼は背筋を伸ばした。
「なるほど、さすがです。いやぁ、うれしいですね。私の駄文を読んでくださっている方がおられるとは。」
元々細い目を、さらに細く、締め上げる。時計の針が一つ、進んだ。
「おや、もうこんな時間ですか。そろそろ、本題に移っていただけませんか?」
ゆっくりと時間をかけて、それとなく伝えたかったのだが。仕方がない。
「先ほど、近くの川原にて死体が見つかりました。男性、21歳、名前は大山和弘そして――――」
「――――ここの物理学部の学生です。」