ひざまくら
私立、硝箱学園の裏庭にある、三人がけくらいの大きさをしている木製ベンチに腰かけて。
意識しないうちにわたしは、自分の膝の上に目線をやったまま表情を綻ばせていた。
膝の上には、わたしと同じくこの学園の高等部二年生であることを示す徽章を、制服の胸ポケットのあたりにつけた男子生徒の頭がある。
そう。昔、とある事情からわたしの家で一緒に暮らすことになった男の子――ノブの頭が。
不意に吹き始めた風にセミロングの髪を遊ばせながら、仰向けになっている彼の顔を穏やかな表情で眺め続ける。
ふりそそぐ、暖かな日差し。
そよ風が連れてくる、気持ちのいい緑の匂い。
このまま時間が止まってしまえばいいのに、とさえ思う。それほどまでに、安らぎに満ちた時間。
普段はしかめっ面をしていることが多いノブだけれど、眠っているときだけは子供のように無邪気で無防備な表情になる。それだけ彼は普段、気を張っているのだろう。家族――わたしのお母さんとわたし以外には、本当の意味で心を許すことができないようだから。
それなら、わたしはせめて、いつも隣にいて――…………
「うにゅ……」
目を開けたら、木が右から左に向かって生えていた。
いや、そんなわけがない。木はそんな非常識な生え方はしない。ぽや~っとした頭でそこまで考え、コロンと身体ごと頭を転がして、空に目をやる。そうしてふりそそぐ陽光にわたしは目を細めた。
「――お、やっと起きたか」
やれやれ、とでも言いたげな声がわたしにかけられる。そこにあったのは、どこか呆れた様子のノブの姿。後頭部には彼の腿の感触があった。
と、そこでようやく気づく。ああ、いつの間にかわたしまで眠っちゃってたんだ。それで今度はノブが……。…………。いや、それはそれでなんだか違うような……?
とりあえず起き上がり、まだボンヤリとした頭のままで「んしょ、んしょ」と髪を手で撫でつける。セミロングにしているせいか、それとも髪質の問題なのか、わたしの髪はとにかく寝癖がつきやすい。まあ、大抵の場合はちょっと撫でつけるだけで直ってくれるのだけれど。
ノブはひとつ伸びをし、ベンチの端に置いてあった二つの弁当箱を片付け始める。ちなみに、今日お弁当を作ったのはわたし。
わたしたちの間には『朝、先に起こされたほうが朝ご飯とお弁当を作る』という約束事がいつからか存在していて、今日は、まあ、微妙に目が覚めてはいたのだけれど、ベッドの中で余韻を楽しんでいるうちにノブに部屋に入ってこられてしまったのだ。
春眠暁を覚えず、とは言うけれど、実は今日で五連敗。さすがにこれ以上は負けられない。明日は絶対にわたしがノブを先に起こす。そして朝ご飯とお弁当を作るノブの姿を眺めながら、まったりとした朝を満喫してみせる!
そのためには、まず目覚ましを六時にセット――だと今日と同じ結果になりかねないから、五時にセットして、最初の『起きろ』コールを聞くとほぼ同時にベッドを出て、その勢いで部屋も出て、Uターンするようにノブの部屋に駆け込んで、と。着替えはノブが朝ご飯を作っている間に済ませればいいから――
そんな具合に、わたしが寝起きの状態でありながらも思考をフル回転させていると、
「まったく、昼メシ食い終わった直後に『眠い~』って肩に寄りかかってくるんだもんな……」
どこかグチっぽくノブがそう零してきた。
「おまけに、まあ、いいかって放っておいたら、そのままずり下がってきて膝に納まるし……」
「――あ、だからわたし……。――じゃあ、あれはただの夢だったんだ……」
「寝るな、とは言わんし、他の生徒に見られたって、今更恥ずかしいもなにもないけどさ」
それはそうだ、とうなずくわたし。なにしろ、わたしの家で一緒に住むようになってから、もうすぐ十二年が経とうという状態なのだから。
けれど……。
「じゃあ、なんでそんなにブツブツと?」
「いや、さすがに五十分もあった昼休みのうち、三十分近くを裏庭のベンチに座って消費してしまったとなると、なんかこう、かなり時間を無駄に使ってしまった気がするというか……」
「あ、あはは……。なるほどね……」
「それに、だ」
どこか重々しくわたしに向き直るノブ。
「うん? なに? 真剣な表情して」
「豚になるぞ。食ってからすぐに寝ると」
「…………」
その言葉に、首を少し横に傾けて黙り込むわたし。ノブは畳みかけるように続けてきた。
「栄太が、前に言ってたんだけどな」
「黒江くんが? あ、またゲームのセリフの引用?」
「そうらしい。えっと、確か……。……そう。『豚になりたければ止めないがな』、だ。――どうだ!」
「…………。『どうだ!』って言われても……。えっと、それが?」
「……いや、お前に高校二年生の感性を求めた俺がバカだった」
「え? なに? なんで?」
「いいんだいいんだ、忘れてくれ」
「えっと、なんだかよくわからないままだけど……、うん、わかった。あ、でも……」
「ん?」
「ノブはわたしが豚になったら、あ、えっと、太ったら嫌いになるの? わたしのこと」
「んあ? いや、それはないけど?」
「だったら、それでいいんじゃない?」
「……ま、そうだな。……いや、いいのか? それは本当にいいのか? 俺にとってじゃなくて、お前にとって」
「わたしはノブにさえ嫌われなきゃそれでいいよ? もし嫌われるんだったら大問題だけど」
「う~ん……。なら、それでいいのか……。――まあ、お前は普段から人を気遣ってばかりだしな。たまには気を緩めたくもなる、か」
わたしの場合は、特に意識して誰かを気遣ったりとかはしていないんだけど……。いや、それよりも。
うつむいて――自分の膝の辺りに視線を固定して、小さくつぶやく。
「それは――ノブのほうこそ、だよ」
「ん? 悪い。声が小さくてよく聞こえなかった」
彼に視線を戻すと、本当に聞こえなかったのだろう、不思議そうに首を傾げていた。
気を緩める機会を持つべきなのは、ノブのほうだ。わたしのお母さんとわたし以外の人間には、いつも心のどこかで警戒している、ノブのほうだ。
――他者を絶対に信じない。
そんな考えを持ってしまっている彼は、『他人』がいる環境では絶対にリラックスできない。彼の友人である黒江くんであっても、それは例外ではない。例外は一緒に暮らしているわたしと、わたしのお母さんの二人だけ。
彼はいつも他人の言うことを心のどこかで疑っている。相手を信頼しきれずにいる。いつもしかめっ面ばかりしているのも、そのせいだ。
わたしはそんなノブの頭を両側から挟むように、腕をそっと伸ばして――
「――えいっ」
ぐいっと、こちらに引き寄せた。
「うおっ!? な、なにすんだよ、いきなり!」
わたしの膝――というか腿の辺りに納まったノブがわめく。
「正夢~」
「は? 一体なにが!?」
それからもノブはわめいたり、膝から離れようとジタバタもがいたりしていたけど、わたしがなにがなんでも離さないつもりでいるのに気づくと、「まったく」とだけつぶやいて、諦めたようにまぶたを閉じた。
夢と同じように、陽がふりそそぎ、風が緑の匂いを運んでくる。
そして、仰向けになっている彼の顔を穏やかな表情で眺めるわたし。これもまた、夢と同じ光景。
夢と違うのは、ノブの表情がしかめっ面のまま、というところだけ。
「――しかし、あれだな」
「あれって?」
「あと数分で終わるな、昼休み」
…………。
現実は、いつまでもこのままで、とはいかないみたいだった……。
ほのぼの恋愛モノが書きたいと思って書いた作品です。
しかし、以前読んでいただいた方には『きょうだい』のようだと言われてしまい。
どうしてこうなった……。