『写真』『時計』『花束』
ここは何処なのだろう。そう思いながら数日間生きてきた。
目に入る物と言えば、瓦礫と折れた木と枯れた草花と黒い雲に覆われた空。
この世界は、何の前触れもなく終わった。いつも通りに生活し、寝て起きたらこの有様だ。何が起きたかなんて知る由もない。ただ何かが起きたことしか分からない。
今僕がいる町もそうだが、僕以外の人間は誰もいなかった。
僕が元々住んでいたところは、人口はさほど多くはなかったけれど、世界が終わると同時に僕以外は誰もいなくなっていた。
当然何が起きたのかは知らない。その消えた人たちがまだ生きているのか、もう死んでしまったのか、それさえも……。
だから僕は動くことにした。誰かを捜すために。
そしてまだ誰にも会えないまま現在に至っていた。
僕は背負っている大きなリュックを下ろし、その中から一つの時計を取り出して時間を確認する。
「もうお昼だ……」
この時計は父が大切にしていた物だ。アンティークショップで父が買ってきた物で、昭和のような雰囲気を漂わせていて僕自身も結構お気に入りだったりする。以前は触ることすら許されなかったのだが、誰もいないこの世界では関係なかった。なにせ僕しかいないのだから。
そしてこの大きいリュックは僕の家にあった、旅行で使うためのリュックだ。そのためとても大きく、本来なら中学二年生である僕が背負っても大きすぎるくらいだ。
リュックに手を突っ込んで食べ物を取り出す。ここ数日間ちょっとずつ食べ続けている乾パンだ。あまり大きくはない袋の中に半分ほど入っている。正直食べ飽きていたのだけど、食べるものが他に無い以上どうしようもない。黙って食べることにする。
そう思い、一枚の乾パンを取り出して口に咥えたときだった。
「あんたって毎日こんなもの食べてるの?」
「ぶっ」
背後から突然聞こえた声に、咥えた乾パンを吹き出してしまった。
……僕の貴重な食料が……うぅ。
いきなり話しかけてきた所為で少ない食料を一枚犠牲にしてしまった。後で弔っておこう。
それはそうと一体誰だろう。僕に話しかけて食事の邪魔をし、たの……は……。
え? もしかして僕、今話しかけられた?
僕以外の人がいたのかと思い、僕は慌てて振り返った。
そこにいたのは、僕より少し年上に見える女の子だった。
「…………」
「ん~? 何かな? あたしの顔に何か付いてる?」
「う、ううん」
ただその女の子の服装が、今の風景とあまりにミスマッチすぎて違和感がすごいことになっている。
背景は、廃れて崩れ去っている廃墟であるのに、その女の子の服装はパーティーで着るような真っ赤なドレスだったのだ。
「僕、なんか……悪い夢を見てるみたい……」
「あんたってかわいい顔してるくせに意外と失礼ね」
確かに僕以外の誰かに会えたことは素直に嬉しい。けど、その相手が周囲の状況と不釣り合いすぎるひょんな格好をした女の子っていうのは……なんだか複雑な気分だった。
「あ~あ。一番最初に妙な子と会っちゃったなぁ」
まったく、同感です。
「まーいっか。んで? 君誰? どこから来たの? ちゃんと生きてる?」
ちゃんと生きてるかって……。幽霊じゃあるまいし。
「僕はタオ。十四歳。隣町から来たんだ。君は?」
「あたしはサン。年は十六。あたしって男の子みたいな名前でしょ? あたしはあんまり好きじゃないんだけどねぇ」
「ずっとこの町にいるの?」
「そうよ~。よっと」
サンは、僕の周りにある瓦礫の上をぴょんぴょん飛び跳ねながら答える。
「それはそうと、さっきあなたがご飯食べるのを邪魔しちゃったみたいだから、先に食べちゃって。話したいことは結構あるから食べた後でいいわ」
そうだった。僕はお昼ご飯を食べるところだった。
「君は食べたの?」
「あたしはお腹すいてないからへーき」
さいですか。
そういうことなので、サンには少し待ってもらい僕は乾パンを七枚ほど食べた。
その間サンは、ドレスが汚れることも気にせずに瓦礫の上にぺたんと座り、小さな欠片を積み重ねたりして暇をつぶしていた。
数分後、お互いに向かい合って話しを始めた。
「あたしから質問なんだけど、あんたって隣町からきたって言ってたじゃない? 隣町からここまでは徒歩で二日はかかるのに何でそんなところから遙々やってきたの?」
「誰かに会うためだったんだけどね」
「あたしと会ったから目的は果たせた、と」
「うん」
「それなら、これからどうするつもり?」
「う~ん……分からない。サンは?」
「あたしも似たようなもんよ。誰かが来てくれるのを待ってたの」
「自分からは行かないの?」
「行けないのよ。どうやっても」
どういう事だろうか?
「なんて言ったらわかりやすいかな~。そう、あそこにアパートあるでしょ?」
サンは後ろを向いて十メートルほど離れたところにある、半壊してるアパートを指さした。
「うん、ある」
「あそこを中心にして半径二十メートルくらいの円形状に硝子の壁があるみたいな~、っていえば一番わかりやすいかな?」
取り敢えず何となくは分かった。けどその理由がよく分からない。
「あたしにも分からないのよ何で行けないのかは。あのアパートに秘密があるような気はするんだけどねぇ」
「見に行かないの?」
「見に行こうとしたのよ? なんだけど、どーもあのアパートに近づくことを体が拒否するのよねぇ……。なんでかしら?」
さあ? けど、秘密があるような気がして、サンが近づこうとすると体が拒否するって事は、なにかサンに関係することなのでは無いだろうか?
なんて、勝手な考えを巡らせてみる。
「それ、あながち間違いってわけでもないかも知れないわね」
「どうしてそう思うの?」
「あたしね、記憶が無いのよ。世界がこうなる前のことが何にも。目が覚めたらこうなってたの。記憶にあるのは、さっきタオに言ったあたしの名前と年齢。それくらい」
記憶がない。それはどういう感覚なのだろう。今までのことを殆ど忘れてしまう。それは怖いと思うのだろうか。
「それが、不思議と怖くはないのよ。あ~、何か忘れてるんだけどな~みたいな」
「そうなの?」
「そ。けど、ちょっとだけ辛く感じるときはあるかな」
「どうして?」
「んーっと……あった。これ見て」
サンから渡されたのは一枚の写真だった。写っているのは三人の家族だった。真ん中にいるのはサンと同じ真っ赤なドレスを身に纏っている女の子、紛れもなくサン自身だ。だが左右でサンの手を握っている両親の顔だけが、わざとそうしたようにぼやけて見えなくなっている。
「いつ何処で撮ったものかも覚えてないんだけど、その写真を見るといつも何かを思い出しそうになるのよ。温かい、懐かしい気持ちにはなるんだけど何も思い出せないの」
僕はお礼を言って写真をサンに返し、サンはその写真を直した。
「思い出したいとは思わないの?」
「どうかしら? いい思い出なら思い出したいけど、悪い思い出なら思い出したくないわね。あたしからすれば、記憶がない事よりも思い出すことの方が怖いから」
サンは精一杯笑顔を浮かべていたようだが、その笑顔が少しぎこちないのに気付いた僕は、聞かなければよかったかと後悔した。
「って! さっきからあたしの話しかしてないじゃん! あたしのことはもう十分聞いたでしょ。今度はタオのこと教えなさいよ」
僕の心情を知ってか知らずか、サンは手をばたばたさせてそう言った。空気が変わってくれて一安心だ。
う~ん、だけど僕の話か……。
「聞いても何も面白いことはないよ?」
「なんで? 分からないじゃないそんなの聞いてみなきゃ」
「でもなぁ……」
僕の話を全部するというのは、勘弁して欲しいのだけど……。
「なによ煮え切らないわね。そんなに話したくないんだ」
「全部は、無理かな……」
「ふ~ん。じゃあさ、あたしから質問って形ならいい?」
質問か。それなら答えたくない物には黙秘すれば――
「言っておくけど黙秘権はないから」
…………。
「サンは全くもっていい性格してるよね」
「自分でもそう思う!」
どうやらサンに皮肉は通じないようだ。
「そんなのはいいから質問するよ!」
「はぁ……はいはいどうぞ」
僕が言うと、サンが少し身を乗り出してから質問を始めた。
「まず最初は基本の所から。好きな食べ物は?」
「乾パン」
「ウソつけ」
バレたか。
「そりゃばれるでしょ。好きな食べ物聞かれて乾パンなんて答える人は普通いないんじゃない?」
ここにいまーす。まぁ実際乾パンあんまり好きじゃないんだけどね。
「本当は?」
「リンゴ」
「普通っ!」
平々凡々を日々追求する僕に、どんな普通ではない回答を求めるかこの人は。
いいじゃないか好きな食べ物がリンゴだったって。おいしいじゃん。
「じゃあ次! 好きなスポーツは?」
「アメフト」
「ダウト」
バレたか。
「あんた。どう見たってアメフトが好きなようには見えないから。それに声も高い方だし、男の子っぽくないし、見た目もどっちかって言えば女の子の服の方が似合いそうだしね」
僕が気にしてることを次々と……。
そりゃあ、中学校の時身長順に並んだら一番前だし、僕の家にあるアルバムを見たら何故かワンピースを着せられて頭にリボンまで着いてる僕が沢山写っていたけども。
これでも僕は男なんだけど。
「タオの周りの人の目は狂ってなかった訳ね!」
「いや、正直狂いまくりだと思うよ」
そんなこんなで、質問は長いこと続いた。そのうちいくつかを掻い摘んで紹介しようと思う。
【QⅠ】好きなタイプは?
【A】サンみたいな人――
「え……?」
――意外。
「……。いっぺん死んでみようか」
【QⅡ】趣味は?
【A】これと言って特には……。
「面白くないわね」
「だからサンは僕の答えに何を期待してるの?」
「面白い答え」
「無理」
「その返事が既に面白くないわね」
「さいですか……」
【QⅢ】好きな色は?
【A】青。
「なんで?」
「空の色だから……かな?」
「何で疑問系なのよ」
「好きな色なんてそこまで深く考えた事はなかったから」
「ふ~ん。次!」
【QⅣ】大切な物は?
【A】この時計。
「他のものは全部瓦礫の下に埋まっちゃってるし、無事だった食料と鞄、それとこの時計だけしか持ってないよ」
「なんでその時計が大切な物なの? それしかないからっていう以外に理由はないの?」
「そんなこといわれてもねぇ……あ、この時計のデザインが好きだから、じゃ駄目?」
「面白くはないけど、まあいいわ」
「だから面白い答えなんて……。はぁ……もういいや」
とまあこんな感じだ。つまらなくは無かったのでよしとする。
一通り話を終え、ふと前を見ると先ほどサンが言っていたアパートが目に入った。
「ねぇサン」
「ん? な~に~」
大きな瓦礫の上で、頭をこっちに向けて仰向けで寝そべっていたサンは、上を向くように僕を見た。彼女から見れば僕は逆さまに見えているであろう見方だ。
「あのアパート。行ってみてもいいかな?」
「ん~。どうしよっかなぁ~」
サンはちょっとの間考えていたが、やがて言った。
「まぁいっか。でも、あたしも行くからね」
「うん」
「よし! ふんっ」
サンは腹筋の要領で起きあがると、アパートの方へと歩き始めた。僕もその後に付いていった。
アパートの目の前に来ると、さっきまで元気だったサンが僕の後ろに隠れるように回り込んだ。
「二人なら大丈夫かもって思ったけど……やっぱりなんか嫌な感じがするわ……」
「だったらサンは来ないでいいんじゃない?」
「いやよ。あたしだって気になるもん。なんで近づいたら嫌な感じがするのかとか、なんでここを中心にして一定範囲しか動けないのかとか!」
確かに、僕も気になってたから来たんだけどね。
「ならいいじゃない」
どうぞお好きに。
「けど、危なそうだったらすぐに戻るから」
「いいわ。さ、早く行って」
サンが後ろから僕の肩をぐいぐい押してくる。
ほんと、来なければいいのに……。
兎に角アパートの中へと入る。
左と右それぞれに一つずつ階段があり、真ん中にはエレベーターもあったのだが、左の階段は二、三階の階段の瓦礫で埋まっていて通れそうになく、当然というかなんというか、エレベーターは電気すら通っていないようで動かなかった。そうなれば残るのは右の階段しかない。
いつ崩れるかも分からない廃墟へはいるのに、出入り口が一つしか使えないというのは……ちょっと不安だ。
あとサンの格好。廃墟ではもう少し動きやすい服がいいのだけど、あいにく彼女の服は真っ赤なドレス一着だ。もしもの時に邪魔にならないことを祈ろう。
先ずは一階。
階段を上り一階へと来る。
通路は一本道で、通路の右側に扉が五つある。そのうち奥の二つは二階通路の瓦礫でこれまた塞がっていた。
ふと上を見ると、天井は端から端にかけて多くの亀裂が通っている。
「これは……ほんとにいつ崩れてもおかしくないね」
「そうね。でもそう簡単に崩れやしないでしょ」
根拠のない自身を持っているサンである。そのありすぎる自身を少し別けてもらいたいもんだ。
「車の運転じゃないけど、『かも知れない』は重要だと思うよ」
「この天井は崩れない『かも知れない』!」
「違う。崩れる『かも知れない』だよ」
「けど意外と大丈夫『かも知れない』わ」
「その油断が命取りになる『かも知れない』よ」
「崩落に巻き込まれたとしても無傷『かも知れない』じゃない」
もうやだこの人……危機感が欠片も感じられないよ……。やっぱり一人で来た方がよかった『かも知れない』なぁ。
って、遊んでる場合じゃなかった。いや、僕は遊んでないけどね。
そんなことより探索だ。
一番近くの扉に付いてるプレートには【五号室】と書いてあった。どうやら奥からこちらにかけて一から五となっているようだ。
「サンはここにいてね」
僕はそう言いつつ、埋まっている二つの部屋の次にある【三号室】へと進む。すると、やはりサンから非難の声が聞こえた。まぁ何を言うかは予想してたけど。
「えっ? あたしも行く!」
やっぱりね。そう言うと思ったよ。もちろん――
「駄目」
って答えるのも決定事項である。
「なんでよ!」
「危ないから。サンは、いつこのアパートが崩れてもすぐに逃げれるような場所にいた方がいい」
「だったらあたし来た意味ないじゃん!」
「うん。だからもう戻っていいよ」
「あんたもあんたでいい性格の持ち主であることが今分かったわ」
褒め言葉として受け取っておこう。
「兎に角、サンはここにいてね。いい?」
「いいわけ無い!」
これじゃ埒があかない。そう思った僕はサンを無視することにした。
よし、じゃあ行こう。
【三号室】の扉のノブに手をかける。
「ちょっとタオ聞いてるの?!」
いいえ、聞いていませんがそれがなにか?
ノブをひねって扉を押し開け、中へと入った。手を離した扉がゆっくりと閉まりゆく中、外からサンの怒声や罵声が飛んでくるが、右から左もとい後ろから前へとスルーさせた。
扉が閉まるとその声は完全に聞こえなくなり、僕は探索を開始した。
アパートの大きさはたいしたものではなく、部屋の広さもそれ相応に広くはなかった。精々六畳間といったところだろう。
そしてこの部屋の住人だった人は写真家だったのか、部屋中に大量の写真が貼られていた。
それは、とある場所から見た春夏秋冬の写真だったり、今は面影もないほど崩れ去っているこの町の、十年前から一年前までを三ヶ月に一度撮ってぱらぱら漫画のように並べてあるものだったり、朝焼けや夕焼けの写真だったり、様々な形をした雲の写真だったり、天の川の写真だったり、花や樹など植物の写真だったり、犬猫から始まる動物の写真だったり、上空から見たこの町の写真だったり……。
これだけでも十分多い枚数になるが、あまりにもこの人は写真が好きすぎる。今言ったのはまだ、さっき開けた扉に貼ってあったものだけって……。
この部屋にある写真を全部集めれば、よくテレビである沢山の写真の組み合わせで一枚の絵にするみたいなことも出来るかも知れない。
しかもこの町を上空から撮った写真。これまたすごいものを……。この人は自家用ヘリコプターでも持っていたのだろうか? いや、ヘリを運転しながらはさすがに無理だろう。ということは知り合いにヘリを持ってる人がいたのだろうか? どっちにしろただ者ではなさそうだ。
って写真ばっかり見ていてもしょうがない。他に何があるか見てみよう。
そして数分後。
「…………」
僕の心の内を教えよう。
――もういいやこの部屋……。
はいこれが現在の僕の気持ちです。
どこをひっくり返しても出てくるのは写真を撮る際に必要な道具ばかり。カメラだけでも数台を所持し、ネガも段ボール箱数個に別けて所持。現像も自分でするようで、現像液に漂白液なんてものまで出てきた。よくもまあ六畳という窮屈な部屋にこれだけのものを詰め込んだもんだ。
結論、この部屋の住人は写真が好きだった。
よしもう次いこう。
僕は部屋から出て行った。
通路へ戻ると、サンが腕を組んで僕を睨んでいるのが目に入った。
無言で睨まれるのって……意外と怖いもんだね。
兎に角次は【四号室】だ。
ノブに手をかけると、さっきと同じタイミングでサイが口を開く。
「そこ開かないわよ」
「…………」
動くなという忠告は無視ですか。始めからサンが忠告を聞くとは思ってなかったけどさ。
けれど取り敢えず僕も開かないかどうかを確認する。
「あ、ほんとだ。開かないや」
「だから開かないって言ったでしょ」
「そうだねサンの言うとおりだね」
「なんか文句でもありそうな言い方ね……」
「別に」
無い訳じゃないけど言わないだけですよ。
それよりも次の部屋へいこう。
次、【五号室】。
扉を開けてみる。
「お、今度は開いた」
が――
「うっ」
バタン!
閉めた。
「何よ。なんで入らないの?」
一連の行動を不審に思ったらしいサンはそう言ってきた。
「こんな所に入れと? 無理だって」
「どうしてよ」
「開けてみれば分かる……」
「?」
サンは疑問符を頭上に乱舞させていたが、取り敢えず扉を開けてみることにしたようだ。
そして扉を開ける。
「ここが一体どうしたって言うのよ」
が――
「っ!」
バタン!
閉めた。
僕と全く同じ行動だった。
で、結局何故閉めたのかというと――
「くっさ!」
そう臭いのだ。とてつもなく。
「何でこんな臭いのよ!」
いや僕に怒鳴られても困るんだけど……。
「ちらっとだけ見えたけど、この部屋にあるゴミ袋からだと思うよ。生ゴミでも入ってたんじゃないかな?」
「どうりでこんな食べ物が腐ったような臭いがしたわけね」
正直言うと、食べ物が腐ったなんてレベルじゃないと思う。そのくらいひどい臭いだった。
「この部屋は入らない方がいいかも」
「そうね」
そうと決まれば次へ行く。
「次は二階だね」
「そうね」
僕は二階への階段へと足を運ぶ。五歩くらい登り、下にいるサンを見ると恨めしそうな目でこちらを見返していた。
……はぁ。しょうがない。
「好きにするといいよ」
僕はそう言って二階へ進んだ。
「え?」
さっきの台詞だけで、何を意味したかはサンが一番分かってるだろう。
「ちょ、待ちなさいよ!」
そして少し遅れてサンも二階へと上ってきた。
さて二階だ。
先ずは行ける場所チェック。
三階へは……無理そうだ。瓦礫で埋まっている。
部屋の方は、手前が【十号室】ということは奥が【六号室】になっているようだ。だが、必殺瓦礫封じ。【六号室】【七号室】は一階に通路が落下しているために入れず、【八号室】今度は三階の通路が崩落していて入れなくなっていた。
わざとなのかアパートよ。
「結局調べられるのは五部屋だけかぁ」
このアパートは、外から見ると四階まであった。部屋の数は合計二十ある事になるのだが、崩落の所為でその四分の一しか調べられないとなると……。サンが一定距離から出られないことや、このアパートからするという嫌な感じについての原因追及は難しそうだった。
「ねぇサン。もし原因が分からなかったら諦めてね」
「いいわよ別に。どうしても知りたいって訳じゃなかったし」
「そう。だったらいいんだけど」
僕はそう言い、早速探索へと入った。
【十号室】の扉を開ける。
「…………はぁ」
「なになに?」
僕の様子を見たサンが興味津々に中を覗き込んだ。
「へぇ~」
そのまま中へ入ったので、僕も後に続いた。
今度は画家か……。
部屋の中は数十枚のキャンバスと絵を描くために必要な様々な道具がおざなりに置いてあった。
「絵の具踏まないようにね」
「はいは~い」
ほんとに分かっているのかこの人は……。
取り敢えず探索を始めよう。
数十枚のキャンバスを一枚ずつ手にとって眺めてみる。
【三号室】の写真好きさんと内容は似たものだったが、こちらの画家さんは風景よりも人物の方が多かった。絵を見る事なんてあんまりない人間の意見だけど、写真じゃないかと思うほどに上手かった。
人物の横に小さく番号が書いてあるのは、恐らく部屋の番号のことなのだろう。どうして分かったのかというと、さっきの【三号室】の写真好きさんの絵があり、その横に書かれた数字が【三】だったからだ。
それにしてもさっきの写真好きさんは体が不自由だったようだ。絵をみると、カメラを手に車いすに座っている女の人が描かれていた。後ろには松葉杖もある。自由に体を動かせない中、写真を撮ることを生き甲斐にしていたのだろう。
その後もずっとキャンバスを見ていた。
そしてある一枚の絵を見つけた瞬間、僕は心臓が止まる思いがした。
「ん。どうしたの?」
完全に固まってしまっている僕に気付いたサンがこちらへ近づいてくる。
「な、なんでもない」
僕は思わず、手にしているキャンバスを背後に隠していた。
「そう?」
「うん……そう」
僕の返事を聞いて、サンは元の位置に戻り棚の中を物色し始めた。
…………。
咄嗟に隠した絵をもう一度見る。見間違いではないかと思った。
部屋はこのアパートの一室で、真っ赤なドレスを着てこちらに笑顔を向けている少女。間違いない。これはサンを描いたものだ。そして、横に書いてある番号は【四】。さっき下の階で開けることが出来なかった部屋だった。
サンはこのアパートの住人だったのだ。
記憶が戻る手掛かりになるかも知れない。そう思い、僕はサンにその絵を見せることにした。
「ねぇサン」
「なに? なにかあったの?」
「これ……見てくれないかな」
「?」
僕が差し出したキャンバスを不思議そうな顔で受け取り、裏返して絵を見たサンの目が驚愕に見開かれた。
「!」
手からキャンバスが滑り落ち、ゴンと鈍い音を立てた。
サンはその手を額に持っていき、その場にへたり込んだ。
「サン……?」
「だ、大丈夫……大丈夫」
「何か……思い出したの?」
僕が聞くと、サンはゆっくりと首を横に振った。
「思い出しかけた……けど、浮かんできたものがまたどこかに沈んでいっちゃった。なにか……大切なことだった様な気がするの」
「そっか……」
思い出すにはまだ何かが足りなかったのだろう。でももう出かかっている。後はきっかけだ。サンの記憶を取り戻すための後一押し。その方法はもう出ているのだ。
閉ざされた【四号室】。そこへ行けば、サンの記憶を取り戻す一押しに成り得る可能性がある。
床に落ちたキャンバス。そこに描かれたサンはこちらを見て微笑んでいる。それなのに、目の前にいるサンは両手で頭を抱えて震えていた。
「サン……。サンは、記憶を取り戻したい?」
それは、今のサンに質問するのは彼女にとってかなり酷なものだというのは分かっていた。分かっていたけれど、聞かずにはいられなかった。
「それは……」
たっぷり数十秒を要し、そして言った。
「……思い出したい。あたしの事を、お父さんお母さんの事を、周りの人のことを、全部思い出したい。例えそれが悪い思い出だとしても」
額にやっていた手をどけ、僕を見たサンの表情は強い決意の色を見せていた。
「それじゃあ行こうか」
「ええそうね」
僕が差し出した手をサンは驚いたように見たが、やがて僕を見て快闊にニッと白い歯を見せて笑うと手をとって立ち上がった。
向かう先は一階の【四号室】だ。
僕とサンは、【十号室】を勇ましい足取りで出て行き、一階へと下りていった。
「それで? どうやって入るのよ」
「それを考えて無かったよ……」
「駄目じゃん!」
本当に駄目じゃん僕……。
勇ましかったのは階段を下りきったところまでだった。【四号室】の前に来た瞬間、その疑問にぶち当たって一気に意気消沈した僕たちだった。
「どうするのよ。入れないんじゃ取り戻しようが無いじゃない!」
「ちょっと待って……今考えるから」
そうだ考えよう。
鍵の閉まって開かない部屋に入るとなると、一番最初に候補に挙がるのはピッキングだろうが、こんな場所に鍵穴に入るほど細い針金なんか無いし、そもそも僕にピッキングの技術があるわけでもない。サンは……。
ちらりとサンの様子を見てみる。すると――
「…………」
どこからか持ってきたらしい針金で、ピッキングを試みていた。服装を除けば、その姿は結構様になっていた。本人に言ったら怒られそうだ。
その成り行きを見守っていると、根負けしたのはやはりサンだった。
「あーもうっ! いい加減開きなさいよ!」
すごく理不尽な怒り方を始めたサン。
「いっそのことぶち破ってやろうかしら……」
今度はなんか物騒なことを言い始めましたよ。
ん? ぶち破る……ね。
「サンはピッキング頑張ってて」
「え?」
僕は言うや否や階段を上る。
「タオはどこ行くのよ!」
「二階」
「に、二階? 二階はもう調べたじゃない」
「【十号室】はね。【九号室】はまだだから」
「あっそ」
「そういうことだから」
僕は再び二階へと向かった。
ぶち破る。
サンのこの言葉で閃いた。
玄関の扉をぶち破るのは、いくら廃れているとはいえ力の無い僕や女の子のサンがいくら頑張ったとしても不可能だろう。だが、【四号室】上にある【九号室】の床が何処か一部分でも脆くなっている場所があれば、台でも見つけてその上から跳び、あとは重力と自分の体重に任せれば、扉を腕や足の力だけでぶち破るよりはいくらか可能性はあるだろう。
その前にはまず【九号室】の扉が開くかが問題だが……。
「…………」
目の前に来た【九号室】の扉。その扉へ手をかけて押し開けた。
「あ……開いた」
僕は、柄にも無く内心ちょっとだけ喜び、室内へ踏み込んだ――と思った。
「え……」
思っただけ。
【九号室】の玄関の床は既に抜け落ちていて、踏み込める足場が無かった。
そんなの予想だにしていない僕の体は、もちろん重力に引っ張られるわけでして。
落ちた。ああ落ちましたとも盛大に。
「だっ!」
自分でも驚くくらい大きな悲鳴が口をついて出た。
痛い……冗談じゃなく痛い……尾骨ぶつけた……。
声も出せず蹲り、独り悶えていた。
「タ、タオ?」
扉の向こうから聞こえるサンの声。
「タオいるんでしょっ? さっき『だっ!』って悲鳴が聞こえたわよ!」
扉をどんどんと容赦なく叩く音が頭上で響く。
いるよ。ってか悲鳴聞こえてたんだ……恥ず……。
「し、死んでないわよねっ? 返事ぐらいしなさいよっ!」
今にも泣きそうな声で叫ぶサン。こっちとしても返事をしたいのは山々なんだけど、なんせ痛過ぎて声が出ないんだ。
だから僕は少しだけ痛いのを堪え、扉をコンコンとノックすることで返事とした。
それは伝わったようで、安心したのか、扉を背に座り込む音が聞こえた。
僕は痛みを堪えるのに必死だった……。
「ふぅ……死ぬかと思った」
やっと痛みが治まって僕は立ち上がった。
【四号室】の扉が開かなかったのは、【九号室】の玄関の瓦礫が落ちていたため、扉を押して室内に入るのを塞いでいたらしい。僕はそこに尻から落ちたのだった。
「全く……クッションでも置いてくれればいいのに」
半ばやけくそにどうにもならない事をいい、僕は部屋を見ることにした。
いや、実際見るものは決まっていた。
落下の際にちらりと見えたベッド。そこに人が横たわっていたのだ。
僕は真っ直ぐにベッドへ向かった。
「!」
その人が着ていたのは真っ赤な服。服というのはドレスだった。まさかと思った。そして、僕は真っ赤なドレスに身を包んだ人の顔を覗き込んだ。
「…………」
あり得ない。
こんなこと絶対にあり得ない。
いやでも実際にあり得ている。
それでも、現実を見ようとしない自分がいる。
つまり、これは、そういうことなのだろうか?
あり得ない。
でもあり得ている。
僕の脳内は同じ思考がぐるぐると渦巻いている。
ぐるぐるで、ぐちゃぐちゃで、もう何がなんだか分からない。
とりあえず外へ出よう。
入り口を塞ぐ瓦礫を取り除き扉を開けると、心配そうに僕を見ている真っ赤なドレスに身を包んだ人がいる。
「タオ大丈夫なの?」
「……うん」
「よかったぁ」
心底ほっとした様子の彼女。
僕は、そんな彼女にほぼ無意識に聞いていた。
「ねぇサン。君は――」
――もう死んでいるの?
「え?」
何を言われたのか理解できないのだろう。僕も自分自身何を言っているのか理解できていない。
「本当の君は既に死んでいて……。ここにいる君は……いったい誰なの?」
「何を言って……」
そこまで言ったサンははっとした。
僕がこの部屋で何かを見たと思ったのだろう。その通りだが。
「どいて!」
そう叫ぶと同時に僕を押しのけて部屋へと駆け込んだ。
「嘘……」
背中で聞いたサンの呟く声。
「う……あぁっ……」
その次に聞こえたサンの呻く様な声で、僕の意識が返ってきた。
「サンっ」
サンを見ると、ベッドの前で蹲って頭を両手で抱えていた。
「サンっ。大丈夫?」
「うぅ……いや……いやっ!」
駄目だ。完全に錯乱状態になってしまっている。今はサンが落ち着ける場所に行ったほうがよさそうだ。
僕はサンを立たせ、引きずるようにアパートの外へと連れ出した。サンはその間ずっとぶつぶつ呟いていた。
サンが正気を取り戻すまで、ゆうに数十分を要した。
「ごめんなさい……ありがとう」
「もう平気?」
「ええ……」
僕たちは一番最初にいた場所まで戻った。
結局サンの記憶はどうなったのだろうか。それにサンがいってい範囲外に出られないことや嫌な感じの訳、それも分かっていないままだ。
「あたしはね、このアパートに一人で住んでたの」
「え……」
「お父さんとお母さんは海外で仕事をしていて、日本に帰ってくる事は無かった」
「サン……もしかして、記憶が」
僕が驚いてそう訊ねると、サンは悲しそうな小さな笑みを見せて頷いた。そして彼女は話し続けた。
「海外にいても、あたしが学校に行けて生活も出来るくらいのお金は月に一度送られてきたわ。それにダンボールに洋服とかを詰めて一緒に送ってきてくれていた。こういうドレスとかばっかりだったけどね」
サンは十六歳で既に一人暮らしをしていたのか。
「寂しくなかった?」
「少し……ね」
その『少し』は、僕に心配させないために言ったのだろうが、全く『少し』でないことはサンの表情で分かった。
「食事とかはどうしてたの?」
その表情に気付いた僕は、わざと別の話題にした。
「食事は、いつもは何か適当に買ってきて食べてたわね。たまに【三号室】の人がおかずを持ってきてくれたりもしたし、アパートの皆は仲良しだったから、皆で食べたりってこともあったの」
「あの絵は?」
「あぁあれね。【十号室】の人って、絵が大好きだったのよ」
「まああの部屋の状況を見れば一発で分かるね」
「そ。だからアパートに住んでる人皆の絵を描いてたわ。あたしからすれば、何の意味があるんだろうってずっと思ってたんだけど」
「なにか意味があったんじゃないの?」
「そうなのかもね……」
サンはそういうと目を伏せた。そしてそのまま言う。
「じゃあさ……あたしって、なんの意味があって生きてたのかな……」
「それは……」
「お父さんもお母さんも一度も帰ってこないのに、お金だけが送られてきて、あたしは生かされてるような生活をして……。昼の明るいうちはアパートの人と馬鹿みたいに騒いでるからいいんだけど、夜寝るとき一人になると考えるの……。あたしはどうして一人ぼっちなんだろうって……。そうやって毎日同じ事を繰り返して……あたし、友達がいないまま一人ぼっちで死んで、幽霊になっちゃってたんだね」
サンは一人で生きてきて、一人で死んでいった。
周りに彼女を見てくれる目は無く、誰にも見送られずに死んでしまったのだろうか。
「……サンの心残りはなに?」
「あたしの心残り?」
「うん。サンは幽霊になったのなら、何か心残りがあるからなんじゃない?」
「あたしの……心残り」
サンは少しの間考えた。そして呟くように小さな声で言った。
「……友達。あたしは、友達が欲しかった。心から信頼しあえるような、友達」
「そっか。じゃあさ、僕と友達にならない?」
「え?」
サンは今まで一人だった。でも此処には僕とサンの二人しかいない。僕しか彼女の友達になってあげることはできないし、僕自身もサンと友達になりたかった。
「で、でも……あたし死んでるんだよ? 人間じゃないよ? 幽霊なんだよ?」
「どうでもいいじゃんそんなこと」
「どうでもって……」
サンは驚いてあたふたしている。
「でもでもっ!」
「異論は認めないよ」
「うぅ……こんなときだけ何で強気なのよ……」
諦めたように肩を落とすサン。けれどすぐに僕を見て言った。
「ほんとにいいの?」
「うん。サンさえよければ」
僕がそういうと、サンは笑顔になった。
「ありがとう。タオ」
【十号室】で見つけた絵よりも、何倍も綺麗な笑顔だった。
「……!」
僕はその笑顔にドキッとなり、あわてて後ろを向いた。
ビックリした……なんなのだろう今のは……。
「どうしたの?」
「な、なんでもない。なんでも」
「?」
落ち着け自分。とりあえず深呼吸だ。
スーハー、スーハー。
よし落ち着いた。はービックリした。
「あ……」
僕が落ち着くと、今度は後ろからサンの声。
後ろを振り返ると、サンは自分の手の平を見つめていた。そしてその手の指先から徐々に消えかかっていた。
「サン……手が……」
「あ~あ。もうお別れかぁ……」
お別れってどういう……。
「満足しちゃったんだろうね」
さらりと言いのけるサン。
そうだ。心残りである『友達』が出来たのだ。要するに成仏、消えるのは当たり前のことなのだ。
「そっか……」
「あたしが消えたら、今度はタオが一人になっちゃうね」
「……一人じゃ、ないよ」
「え?」
僕はアパートへと目を向ける。サンもアパートを見てその意味に気付いたようだ。
「変態」
「なんでさ」
「あんた、まさか死ぬまでいる気じゃないでしょうね?」
「さぁね」
「あんたならやりかねないわ」
そう言って腕組するサン。そして僕と目が合い、お互いに笑いあった。
無への侵食は、手に続いて足にまで来ていた。
「…………」
「…………」
そのあとすぐに気まずい沈黙が訪れる。そうしていても、侵食は止まってはくれない。
サンの腰までが消える。
何か話さなければ……。
そう思い、さっきから一生懸命に考えているのだが何も出てこない。
このまま無言で消えるのを待つだけなのだろうか。
そんなのは嫌だ。
サンの胸あたりまでが消えた頃、やっと口が動いてくれた。
「サン、楽しかった?」
何を言ってるんだ僕は……本当に言いたいのはこんなことじゃない。お礼が言いたいのだ。なんに対してかは分からないが、ただ一言、『ありがとう』と言いたいだけだ。
「……うん」
頷いてくれるサン。
嘘だ。楽しいわけが無い。
ただ喋っただけだ。何かをして遊んだわけでもないのに、楽しいはずが無い。
「あたしは楽しかった。タオと出会って、喋って、アパートを探索して」
「そんな事で……よかったの?」
「うん、よかった。ありがとう。タオ」
「……うん」
サンの首が消え、残る時間は数秒だろう。
「それじゃあね。タオ」
「サンっ」
「ん?」
言わなきゃ、言わないといけない。
動いて……動いてよ僕の口。
動け!
「あ、ありがとう……サン。また、ね」
「!」
サンが驚いた表情を見せるが、それも目と鼻と口だけしか見えていなかった。
そしてサンはふっと微笑んだ。
「……………、………………………」
口は動いたのだが、その声は僕には届かなかった。
「なんていったの? 聞こえないよっ」
サンはもう一度言ってくれ、僕は口の動きで何を言ってるのかを聞き取った。
「……………、………………………」
理解した瞬間、僕の目から久しく忘れていた涙が溢れてきた。
「分かったっ……絶対だよ」
僕が濡れた声で言うと、最後に残っていたサンの口元が再び微笑み、そして僕の前から完全に姿を消した。
僕は流していた涙を乱暴に拭い去り、辺りを見回し始めた。
そして、何とか咲いている数少ない花で花束を作り、アパートへと歩き出した。向かうのはもちろん【四号室】だ。
【四号室】へ入ると、真っ赤なドレスに身を包んだ人が相変わらず横になっていた。
「…………」
僕はその人に毛布をかけてあげ、そしてその枕元にさっき作ってきた花束を置いた。
僕が彼女に贈る、最初で最後のプレゼント。
こんなものしかあげられない自分が嫌になる。
僕はその場に立ち尽くし、綺麗な顔で眠っているその顔を見つめる。
彼女が言ったとおり、僕は一生この場所に居続けるのかもしれない。
僕と彼女が友達だった一分弱……。短過ぎる時間とは裏腹に、人生で尤も大切だと思えるようなものだった。
この先どうすればいいのだろう。
分からない。
分からないが、一つだけ確実にいえることがある。
それは、彼女が最後に言ったとある『約束』。
――あたしの事、絶対に忘れないでね
その約束が破られるような事は、たとえ僕が死んだとしても絶対にあり得ないだろう。
元気で明るくて我侭で、変な格好をした変な女の子で、だけど僕の大切な友達。
この世に彼女が居たことを、僕は絶対に忘れない。