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七章 騎士の過去(中編)


 クレハノールは王都ルヴィアで眉を寄せていた。


「……何だ、この有り様は」

 白銀に煌めく剣を右手に握り、目の前の光景を見て、呟く。


「美しいと言われた王都が見る影もないではないか」


 目の前で、幾人もの亡者の類いがうろついている。

 生きている人々は怯え、家から一歩も出て来ない。


「……まさか、王都も同じ状況だとは」


 クレハノールは辺りを見回すと、先程まで人っ子一人いなかったはずの場所に幾つもの人影を見つけた。

 警戒しながら、クレハノールは足音を立てずにその場所へ歩く。

 ちょうど家と家の間の大通りとなっているその場所へ近付き、クレハノールは剣の柄を強く握る。

 そして、大通りに足を踏み入れたと同時に、クレハノールは剣を振り上げた。

 すると、その剣を弾く音が響いた。


「――?!」


 声を上げず、息を飲むまでに抑え、クレハノールは自分の剣を弾いた相手を見る。

 金髪、緑色の目の整った綺麗な顔立ちの青年が驚いた表情のまま、こちらを凝視している。


「……何だ、生きている人か」


 それだけを呟き、クレハノールは剣を鞘に戻す。


「おいおい、それが婚約者に言う言葉かい? 一言、謝って欲しいな、可愛く」


「危ない時、先頭を切るのは部下だろう。それを自信たっぷりに先頭を切った貴方が悪い、トイウォース王子」


 睨むように、不機嫌な顔でクレハノールは言い放った。


「もう王子じゃなくて、国王なのだが……。それに君も先頭を平然と切る性格だろう」


 苦笑して、トイウォースはクレハノールを見つめる。


「貴方と違って、我が公爵家は上が何事も先頭に、が常だ。後ろで震える気はない」


 先頭を切って当たり前と言いたげな顔をして、クレハノールは辺りを見回す。

 トイウォースの部下達も同じように辺りを警戒している。


「……君のところは凄いな。我が王家も見習った方がいいな。改善出来るよう、後で相談に乗って欲しい」


「この状況が終わってからな。それより、いつから王都もこの状況になった?」


「ちょうど半月前だよ。大本の私の祖父だった者が、二か月前に私の父を殺し、私の身体を乗っ取ろうとしたのが最初だ。それから半月前にこの状況だ」


 小さく息を洩らし、トイウォースはクレハノールを見つめる。


「クレハ、君の住む街や他の街はいつからこの状況が続いている?」


「……二ヶ月前くらいからだ。王都に行くまでに色々な街を見て来たが、奴等を抑える決定打がない」


「浄化の力を持つ者があまりに少ないからね。だが、相手は多い。多いし、何より闇が強すぎる。そんな状況で女神のネレヴェーユ様に全てを浄化して頂く訳にはいかないし、私もせいぜい一度に五人が限界だ」


「その女神のネレヴェーユ様は今、何をなさっているんだ?」


「大本を探して下さってるよ。ただ、闇が多くて、強すぎて思うように探せていない」


 小さく息を吐き、トイウォースは空を見遣る。

 まだ昼過ぎなのに、空は厚い雲に覆われていて暗い。


「困ったな。王子」


「本当にな」


 お互い溜め息を吐き、辺りを見回す。

 今のところ、亡者が王都の人々を襲ってはいない。が、いつ襲うか分からない。

 分からないが、最悪の事態にならないよう、国王になったばかりのトイウォースは自ら王都を見て回っている。


「ところで、君はどうして王都に来たんだい?」


 ふと、疑問に思ったことをトイウォースは尋ねる。


「行方不明になった父を探している。街のことは祖父に任せてな」


 そう答え、クレハノールは少し背の高いトイウォースを見上げる。

 見上げると、何かを待っているような目でこちらを見ている。

 クレハノールは仕方なさそうに息を吐き、口を開いた。


「……ついでに、貴方の顔を見に来た。まさか城ではなく、都の中で会うとは思わなかったが」


「私はついでか。哀しいな、こんなに愛してるのに」


「寝言は寝てから、息を止めて呟いてくれ」


「難しい注文だな」


 にこやかに笑い、トイウォースはクレハノールの意志の強い茶色の目を見つめる。


「……君のお父上なのだが、王都にはいらっしゃらないと思う」


「何故だ、王子」


「王子じゃなくて国王だ。君の家、ウィンベルク公爵家は……」


「陛下っ!」


 トイウォースの言葉を緊迫した声が遮る。

 クレハノールは剣の柄を握り、声の方向を顔を動かす。

 トイウォースの部下の声だ。

 何度か見たことがあるトイウォースの部下は、少なからず顔が青ざめていた。


「どうした、ナウル」


 青ざめているナウルという名の部下に顔を向け、トイウォースは説明するよう促す。


「亡者達が人々を襲いながら、こちらに向かって来ています!」


「……そうか。兵士達の準備はどうなっている?」


「大丈夫です。全員、配置は出来ています」


「分かった。民達を守るのが先決だ。深追いはするなよ。底なし沼に引き込まれるぞ」


 落ち着き払った声音でトイウォースが指示すると、ナウルはすぐさま他の者達に伝えに走った。

 それを見届け、トイウォースは隣の婚約者に目を向ける。


「君はどうする? クレハノール」


「逃げるつもりはない。私も行こう。どのみち、何処へ行こうと、出くわすのは一緒だ」


「それは確かに言えてるな。分かった。行こう」


 クレハノールの物言いに苦笑して、トイウォースはナウルが向かった方角へ走る。それをクレハノールが後を追う。

 ナウルがいる場所、王都の端に二人が着いた時にはそこは既に戦いが始まっていた。

 ナウルや他の部下達は懸命に剣を振るい、亡者達を食い止めている。

 ただ、食い止めてはいるが、防戦一方で劣勢の状態だった。

 相手は既に死した者で、こちらは生きている者だ。

 半月近く毎日王都でこの状態が続いていて、生きている者は疲弊し始めている。


「……仕方がないことだが、どうにか出来ないのか」


「一番は大本を見つけて、叩くのが早いが、今の状況だと無理だよ、クレハ」


 鞘から剣を抜き、トイウォースはナウル達に加勢しようと近付く。


「頭を見つけた時は私も呼べよ。説教した後に引導を渡してやる」


 そう告げて、クレハノールも鞘から剣を抜き、加勢する。


「……それは怖いな」


 ほんの少しだけ、トイウォースは祖父だったモノに同情した。

 小さく息を吐き、トイウォースは目の前の亡者を斬る。

 次の相手を探す為、目配せする。

 すると、クレハノールの叫びが聞こえた。


「王子、後ろだっ」


 クレハノールの叫びに、トイウォースは背後を見た。

 亡者がトイウォースに手を伸ばす。

 避けようとするが、間に合わない。


「……ちっ」


 小さく舌打ちし、トイウォースは自分の持つ魔力を解放しようとする。

 その時、トイウォースの前に黒い影が立ち、亡者の手を弾き、白い光が輝く。

 白い光が消えるとその場にいたはずの亡者が消えていた。

 トイウォースは呆然と目の前を見つめる。

 黒いマント、ところどころ金の色が混ざった赤い短い髪の青年の背中がある。

 その背中が反対に回り、顔がこちらに向き、目が合う。

 透き通った水のような水色の右目、意志の強い鋼のような銀色の左目というそれぞれ色の異なる珍しい目が、トイウォースの緑色の目を捉え、柔らかく微笑む。


「――間に合った。怪我はない?」


 穏やかな声で、青年は尋ねる。

 今の状況にそぐわない声音の青年に、トイウォースの思考が止まり、思わずそのまま頷いてしまった。


「良かった」


 安堵の息を洩らし、青年はまた微笑む。


「おい! そこのお前! 陛下に対して無礼だぞ!」


 トイウォースの元に慌てて駆け寄り、ナウルが青年を警戒して睨む。


「……えっ? 陛下? 王様って、もう少しお歳を召した方じゃなかった?」


 目を瞬かせ、青年は首を傾げる。


「その王様は二ヶ月前に亡くなられ、王子の彼が後を継いだぞ」


 剣を小さく振り、付着したものを飛ばしながら、クレハノールが答えた。


「久し振りだな、カエティス」


 不敵な笑みを浮かべ、クレハノールは声を掛ける。


「久し振り、クレハ。元気そうで良かった」


 穏やかに笑みを返し、カエティスはクレハノールを見る。


「お前は全く変わってないな。変われよ、少しは」


「変われって、どのくらい変わって欲しかったんだい?」


「筋骨隆々の倒し甲斐のあるくらい」


「……無理だって」


 無茶な要望を聞き、カエティスは溜め息を吐く。聞かなかったら良かった、と言いたげな顔をする。


「話の途中、申し訳ないがクレハ、彼は何者だ?」


「ああ、すまない。王子。彼はカエティス。私の下僕だ」


 真顔でクレハノールはトイウォースにカエティスを紹介する。


「いやいや、違うって。いつ俺が君の下僕になったんだい?」


「お前と初めて会った時に決まってるだろう」


「……記憶にないんだけど。確か、あの時は友達になろう、な感じだったけど」


「ちっ。覚えてたか。忘れてたらそのまま、突き通そうと思ったのに」


 舌打ちをして、クレハノールはそっぽを向く。


「クレハ……君も、変わってないね。王様、貴方も大変じゃないです?」


 ちらりとトイウォースを見遣り、カエティスは問い掛ける。


「トイウォースだ。トーイでいい。ついでに、敬語もよせ。私にだけ敬語だとクレハが怒る」


 小さく、カエティスに耳打ちし、トイウォースは告げた。


「……やっぱり、君も大変みたいだね」


 頷き、カエティスはトイウォースと握手を交わす。

 ここに『クレハノール、怖いよね』同盟が成立した。


「――カエティス、だったな。君はどうして、王都に来たのだ?」


「俺が育った街に久し振りに戻って来たら、街は亡者でいっぱいだし、クレハはいないしで、原因を突き止めに向かったらここに辿り着いたんだよ」


「カエティス。お前、いつ街に戻って来たんだ?」


「二ヶ月前だよ。君と入れ替わりだって、君のお祖父さんに言われたよ」


 小さく笑い、カエティスは周囲を見た。

 先程、怒鳴ったナウルがまだこちらを見ている。

 その彼の背後から、亡者がこちらにやって来るのが見えた。

 カエティスはトイウォースとクレハノールの間を通り過ぎ、警戒している様子のナウルの横も風のようにすり抜ける。

 ナウルに襲いかかろうとする亡者を、カエティスは鞘に収まったままの様々な青い色で彩られた剣で防ぎ、手をかざす。

 その手から白い光を放ち、亡者を浄化させる。

 その一連の動作を流れるようにこなすカエティスを、トイウォース達は呆然と見つめる。


「ん? 俺の顔に何か付いてる?」


「いや……慣れた動きだが、今まで何かしていたのか?」


 鞘に収まった剣を腰に引っ掛け直すカエティスに、トイウォースは尋ねる。


「まぁ、一応、街で自警団をね。俺が帰った時にたくさん街にも彼等がいたからね。街には今はいないけど」


「いない? カエティス、どういうことだ?」


「自警団の皆で彼等を浄化していたんだよ。王都に着くまでの街も全部一緒にね。でも、街より王都の方が……」


「カエティス隊長、ちょっと来て下さーい」


 大声がカエティスの言葉を遮った。


「あ、呼ばれちゃった。それじゃあ、俺、あっちに行くね」


 爽やかに微笑み、カエティスは声が聞こえた方向へ走って行った。


「……気になるな。クレハ、私達も彼の後を追い掛けよう」


「賛成だ。行こう、王子」


「王子じゃない。国王だ、国王」


「ちょ、ちょっとお待ち下さい、陛下! まだご公務が残っているのですよっ!」


 カエティスの後を追い掛けようとするトイウォース達をナウルが慌てて止める。


「ああ、ナウル、君がやっておいて」


「出来る訳がないでしょう!」


「大丈夫、君なら出来る。それじゃあ、愛しのクレハ、行こうか」


「そうだな、うざったい王子」


 肩に手を添えようとするトイウォースを払い、クレハノールは足早に向かう。


「……傷付くなぁ」


 苦笑して、傷付いた様子もなくトイウォースも歩いて向かった。


「――へ、陛下?! まだお話が……!」


 声を掛ける間もなく、トイウォース達は足早にカエティスを追い掛ける。

 ナウルは重い溜め息を吐き、トイウォース達の後を追った。






 声がしたところに向かうと、カエティスは目を大きく見開いた。

 十代後半くらいの少女が亡者達に囲まれている。

 その亡者達を引き離そうとカエティスと共に来た自警団が苦闘している。


「ミシェイル、皆、大丈夫かい?」


 カエティスの声を聞き、明るい茶色に少し赤色が混ざった髪の青年が振り返り、緑色の目を輝かせた。


「隊長っ! 良かった……近くにいたんですね」


「うん、まぁ、近くにね。で、状況はどうなってるのかな?」


「俺達、ちょっと苦戦していて、そしたら、あちらの女性が助けに来てくれたんですけど、彼女も苦戦してて……」


「うん、分かった。ミシェイル達は新手が来ないか見張ってて」


「はい、分かりました」


 ミシェイルは大きく頷いた。それを確認して、カエティスは右手首に嵌めている腕輪を外し、ミシェイルに差し出した。


「ミシェイル、ちょっと預かってて」


「えっ、隊長、これ……」


「大丈夫だよ。終わったら、すぐ付けるから」


 安心させるように笑みを浮かべ、カエティスは浄化しながら亡者の間を割って入り少女の元へ向かう。

 何十人もの亡者に囲まれ、必死に浄化する少女は肩で息をしていた。

 カエティスは少女の様子に気付き、足早に向かう。

 少女の元に辿り着いた時には、彼女はふらついていた。

 ふらつく少女を慌てて支え、カエティスは右手を横に空を撫でるように滑らせる。

 白い光がカエティスと少女を中心に円を描き、その場にいる亡者達を一気に浄化させる。

 その場にいる亡者が消えていくのを確認して、カエティスは息を吐いた。


「――ふぅ。ひとまず終わったね。君、大丈夫?」


 支えたままの少女にカエティスは顔を向ける。

 見ると、少女は驚いた顔のままこちらを凝視している。

 白に近い緑色の髪、白に近い水色の目、光を自ら発しているような美しい顔立ちの少女は喋らずにカエティスをただじっと見つめる。


「えっと……俺の顔に何か付いてる?」


 見つめられ、居たたまれなくなったカエティスは苦笑いを浮かべる。

 カエティスの問いに小さく少女は頭を振る。


「そっか。あ、皆を助けてくれてありがとう。助かったよ」


 カエティスは支えたままの少女に、にこやかに笑って礼を述べる。

 少女は支えてくれたカエティスから離れ、彼に微笑んだ。

 すると、今度は別の場所から悲鳴が聞こえた。


「カエティス、大丈夫か?!」


「隊長!」


 同時にトイウォース達とミシェイルの声がした。


「あー……自己紹介をしたいところなんだけど、悲鳴が聞こえたし、そっちに行くね」


 頬を掻き、カエティスはミシェイルや他の自警団の人達を呼ぶ。


「あ、トーイ、クレハ。この子をよろしくね。俺達、悲鳴が聞こえたところに行くから」


「えっ、おい、カエティス」


「分かった。後で自警団の者達と一緒に城に来い。状況を詳しく知りたい」


 驚くクレハノールを抑え、トイウォースは頷いた。


「うん、分かった。それじゃあ、また後で」


 カエティスも頷き、ミシェイル達と共に悲鳴が聞こえた場所へ向かった。


「さぁ、後はカエティス達に任せて、私達は城に戻って今後のことを話しましょう。ねぇ、ネレヴェーユ様」


 カエティス達の後ろ姿を見送り、トイウォースは隣に立ち、ずっと後ろ姿を見つめる美しい少女に告げた。





 カエティス達がクウェーヴィア城にやって来た頃には既に日が暮れ、夜に変わっていた。

 トイウォースがいるという公務室にナウルに案内され、カエティス達は呆然と立ち尽くした。

 広い公務室、膨大な量の本を収める本棚、細かい部分まで手が加えられている机などの調度品。やはり、国を治める王が住む城だけあって、どれもが一級品だ。

 そして、その机に座るトイウォースの左右に立つクレハノールと先程、自警団を助けてくれた少女に目が行く。

 自ら輝きを放っているように見える美しい少女に、自警団達はまじまじと彼女を見つめる。


「お待たせ。やっぱり、城は広いね」


 美しい少女を見つめる自警団達とはよそに、カエティスはトイウォースに話し掛ける。


「……感想はそこか。せめて、『両手に花だね、トーイ』くらいは言って欲しかったな」


「いや……俺が言う場合はけ……やっぱりいいや。言わないでおくよ」


 剣と花だね、と言い掛けたカエティスはクレハノールの怖さを思い出し、言わないことにした。


「ところで、カエティス。状況はどうだった?」


「うん、大分落ち着いたよ。ただ、夜になるとまた活動するだろうね。昼間の時と比べものにならないくらいに」


 困ったように肩を竦めて、カエティスは苦笑を浮かべる。


「……恐らくそうだろうな。いつもその状況だったからな」


 息を小さく吐き、トイウォースは机に肘を置き、両手を組む。


「そこで、カエティス。君達、クレハノールが住む街の自警団に頼みたいことがある」


 意志の強い光を宿した緑色の目が、真っ直ぐカエティスを見据える。


「――君達を私直属の騎士として、私に仕えて欲しい」


「へ?」


 突然の言葉に、カエティスは目を見開いた。

 ミシェイルや他の自警団達も面食らった顔で硬直している。


「どうして、俺達が……」


「状況はよく知っていると思うが、増える亡者達に対して、生きている者の中で浄化の力を持っている者があまりに少ない。更には増える亡者達から人々を守るために兵士達を出していることもあって、人員も足りない」


 息を吐き、トイウォースはカエティス達に笑みを向ける。


「そんな困っている時に君達が来た。それも君達六人全員が浄化の力を持っているときたら、誘うに決まっているだろう?」


「俺は君に見せちゃったから分かるけど、どうして、皆が浄化の力を持っているって分かったんだい?」


「国王だからな。そのくらいは見て分かる」


 にっこりと笑みを浮かべ、トイウォースは答えた。


「え、国王ってそこまで分かるの?」


「そんな訳がないだろう」


 目を丸くするカエティスに、静かにしていたクレハノールが口を開いた。


「王子はカエティス達が来るまでの間、調べていたんだ」


「あ、ちょっとクレハ。種明かし早すぎるって。出来る国王を演じてたのに。それに私は今、国王だって言ってるのだが」


「あだ名だ。別に、出来る国王を演じても仕方がないだろう。どうせ、すぐにぼろが出る」


 クレハノールの言葉に、トイウォースは黙るしか出来なかった。

 公務室内に変な空気が流れる。

 場に流れる空気を変えようと、トイウォースは一つ咳払いをした。


「……とにかく。君達には私直属の騎士になって欲しい。仕事内容は自警団とあまり変わらない。王都内に現れる亡者達を浄化して欲しい。あとは、私の仕事に付き合ってもらうだけだ」


「あ、王子、ずるいぞ。自分だけ楽しようとか、カエティス達で遊ぼうとか考えてるな」


「早い者勝ちだよ、クレハ」


 自分達にとって良からぬ会話をする二人を見つめ、カエティスは大きく溜め息を吐いた。


「皆、どうする? 王様の頼み、聞く?」


 まだ良からぬ会話を交わす二人に聞こえないように、カエティスは小声で自警団達に尋ねる。


「……聞かないと、この城から生きて帰れない気がするんですけど……」


 ミシェイルの呟きに他の自警団達は何度も頷く。


「……そうだね。俺もそう思うよ」


 苦笑いを浮かべ、カエティスはトイウォースに声を掛けた。

 そして、トイウォースの頼みを聞くことを伝えた。


「そうか! それは助かる。部屋の手配はしてある。今日からその部屋で休んでくれ」


 日が暮れた外とは違い、トイウォースは満面の笑みを浮かべた。まるで、明るく晴れやかな青空のようだ。


「……断る可能性があるって君は思わなかったんだね……」


 トイウォースの用意周到さにカエティスは苦笑する。

 青空な笑顔のトイウォースとは対称的に、カエティスはどんより曇天の顔をしている。


「ところで、クレハは公爵家だから分かるとして、彼女はどうしてここに?」


 静かに会話を聞いている少女に目を向け、カエティスはトイウォースに尋ねる。


「ああ、すまない。紹介が遅れたな。彼女はネレヴェーユ様。この国を守護する女神様だ」


「よろしくお願いします、皆さん」


 トイウォースの紹介に、少女――ネレヴェーユは微笑み、会釈をする。その拍子に白に近い緑色の長い髪が一房、肩から流れる。


「……え?」


 カエティス達、自警団は目を大きく見開き、立ち尽くした。






 トイウォースの頼みを聞くことになったカエティス達、自警団はクウェーヴィア城に過ごすことになった。

 あの後、トイウォースからもう一度詳しい仕事内容を確認したカエティス達は自由時間を与えられた。

 トイウォース直属の騎士という職業になるため、明日は騎士の叙任式があるという。

 が、現在の状況があまり良くないこともあり、簡略的になるらしい。


「……叙任式をする程の身分じゃないんだけどなぁ」


 ぽつりとカエティスは呟いた。

 クウェーヴィア城内の端にある古い石段に座り、膝に肘を置くカエティスは盛大な溜め息を吐く。


「何を言うんだ。君みたいな人が」


「へ? トーイ……どうしてここが分かったんだい?」


 独り言のつもりが自分以外の声が返ってきた。


「私を嘗めないで欲しいな。私はここに何年住んでると思ってるんだ。君みたいな魔力をとっても抑えて歩いてますーな気配くらいすぐ分かる」


「……どんな気配だい、それ」


「あ、違うな。魔力をとっても抑えてますー、というよりはそんな気はないのに面倒事が寄ってきます、な気配だな、うん」


「俺の気配がそういう気配なら、確実に君の頼みも入ってるね」


 いたずらっぽく笑み、カエティスが反撃する。

 反撃されたトイウォースは一つ咳払いをした。


「と、ところで、君の経緯をちょっと調べさせてもらったよ。調べて思ったのだが、君は変わってるな」


「変わってるって、何処が変わってる?」


「……君、クウェールから隣の隣の国のアイサリス公国の騎士をしていただろう?」


 にこやかに笑い、トイウォースは尋ねる。

 優雅にカエティスと同じように膝に肘を置き、とても綺麗な笑みを浮かべている。


「しかも、国王の護衛専門の。普通、騎士なら国や王、民の為に戦うのに、君は近衛にもならず、国王の護衛だけをしていたようだな。何故だ?」


 トイウォースは尚も笑みを向けて、カエティスに尋ねる。

 その尋ね方がカエティスには尋問されているように感じ、息を小さく吐いた。


「……かなり誤解してるようだけど、俺は騎士をしてないよ。王様とは友人だけど」


「では、何故、護衛をしていたんだ?」


「誰かに狙われてる友人を守るのに、理由や職業がいるかい?」


「……いらない、だろうな」


 カエティスの問いに、トイウォースは緩く頭を振る。


「うん。俺の場合はね。まぁ、理由や職業がいる場合もあるよ。でも、それは緊急じゃない時が多いよね。でも、緊急を要する時は理由なんて考えられないよね。あるとしたら、友人が危なかったから、とかだよね」


 ただそれだけだよ、と続け、カエティスは膝から肘を離す。


「では、今回はどうして私の話を受けた?」


「もしかして、それを聞きたいためにここまで来たの?」


 大きく頷くトイウォースを見て、カエティスは溜め息を吐いた。


「……俺はね、貴族があまり好きじゃないんだ。でも、中にはクレハやアイサリスの王様みたいな変わってるけど、いい人がいるから、そういう人の頼みなら聞けるかなって思ったんだよ」


「ん? ということは、私は変わってるけどいい人っていうことか?」


 聞き捨てならないと言いたげな表情で、トイウォースはカエティスを見据えた。


「あのクレハが気に入ってるくらいだから、そうなんじゃないかな?」


 睨むように見つめるトイウォースを気にすることなく、カエティスはにこやかに答えた。


「……何だか納得が出来ないんだが。いや、まぁ、クレハが気に入っていると見えるというのは嬉しいが、いや、でも……」


 トイウォースは眉を寄せ、顎に手を当て真剣に考え込む。


「この話は後で考えよう。カエティス、これからよろしく頼む。出来れば、私もクレハやアイサリスの国王と同じように友と思ってくれると嬉しい」


 右手を差し出し、トイウォースは微笑む。


「こちらこそ、よろしく。俺も仲良くなれたら嬉しいよ」


 右手を同じく差し出し、カエティスは微笑み、トイウォースの右手を握る。

 そして、トイウォースは満足した顔で去っていった。

 去っていくトイウォースの後ろ姿を見送った後、今度は別のお客が現れた。

 そのお客をカエティスはまじまじと見つめ、ぽかんと口を開けた。


「あれ、王様の次は女神様かい?」


「少し、お話いいですか?」


 小さく笑みを浮かべ、ネレヴェーユはカエティスに声を掛ける。


「え? うん、どうぞ。あ、ここ、座る?」


 カエティスは立ち上がり、ネレヴェーユに先程まで自分が座っていた石段を勧める。

 勧められたネレヴェーユはカエティスに促されるまま、石段に座る。

 座ったのを確認して、カエティスは地面に胡座をかく。


「……えっと、俺に話って何だい?」


「先程は助けて頂いて、ありがとうございます」


「えっ、いやいや、それはお互い様だよ。こっちこそ、君に皆を助けてもらったんだし。でも、君に怪我がなくて良かったよ。女の子が怪我をしたら大変だからね」


 強く頭を振り、カエティスは微笑んだ。


「貴方は変わってますね。今まで、私を女の子と見る人はいませんでした」


「女神様である前に、女の子なんだから、女の子と見るのは当たり前だよ」


 至極当然と言いたげな顔をして、カエティスは答える。


「……それにしても、トーイといい、クレハといい、君といい、そんなに俺、変わってる?」


「私が見た人間の中では貴方のような方はあまり見たことがありません。私を女の子のように接して下さったのは、貴方くらいです」


「トーイは違うのかい?」


「トーイは、確かに女の子として接していると思いますが、女神としてという部分の方が大きいと思います」


「そっか。俺、あんまり気にしないからなぁ。女神様だからとか王様だからとか。そのことでよくお付きの人に怒られるけど」


 肩を竦めて、カエティスは苦笑する。


「そこが、私は嬉しいです。トーイもクレハさんも、アイサリス公国の王も、きっとそうです」


 ネレヴェーユの言葉に、カエティスは照れくさそうに頬を掻いた。


「そ、そうかな……。何だか、真面目な顔で言われると照れくさいなぁ……」


 頭を掻き、カエティスは苦笑する。


「えっと……もしかして、話ってこの話のこと?」


 話を逸らそうとカエティスはネレヴェーユに尋ねる。

 すると、ネレヴェーユは首を振った。


「……いいえ。お話というのは、あの……」


 言いにくそうに上目遣いにカエティスを見つめ、ネレヴェーユは口を噤む。

 見つめられたカエティスは不思議そうに首を傾げる。


「ん?」


「……お会いしたばかりの貴方に言うのもおかしいのですけれど、トーイと私は同じ人に狙われています。そのことについて、お話を聞いて頂けないでしょうか?」


 申し訳なさそうな表情を浮かべ、ネレヴェーユはカエティスを少し潤んだ目で見つめる。


「それは構わないよ。俺で良かったらいくらでも」


 穏やかに微笑み、カエティスは頷いた。


「ありがとうございます」


 カエティスの言葉に安堵したネレヴェーユはほぅと息を洩らした。

 そして、ネレヴェーユはカエティスに事の発端を話した。






 次の日、トイウォース直属騎士として叙任式を終えたカエティス達は、クウェーヴィア城内の広間にいた。

 普段より簡略している叙任式は僅かな時間で終わった。本来は半日続くらしい叙任式は、トイウォースから叙任式用の飾り付けされた剣を渡され、挨拶をするのみが行われた。

 これから、騎士としての初仕事がトイウォースから命じられる予定なのだが、その本人が現れない。


「隊長、トーイ様、来ませんね」


「あれじゃないかな。クレハに怒られてるとかで、遅くなってるとか」


 騎士の服装をしたカエティスは、同じく騎士の服装をしたミシェイルや他の自警団達に言う。


「それ、当たりなんじゃないの? 王様、クレハノールちゃんの尻に敷かれそうだもんなー」


 水色の髪、銀色の目をした青年がカエティスとミシェイルの会話に入る。


「あれ、レグラス。カツラを外していいのかい?」


「今は部屋には俺達しかいないし、いいかなー? って思ってさ。カツラ、結構蒸れるんだよな」


 爽やかに笑い、青年――レグラスは手に持つ黒いカツラを振り回す。


「……そ、そう。君がいいならいいけど。でも、そろそろトーイ達が来ちゃうよ」


 扉に指差し、カエティスは告げた。

 告げたと同時に二種類の足音が聞こえ、近付いて来る。


「え、ちょっ、それを早く言ってよ、カエティス」


 レグラスはカツラを慌てて被る。そして、小さな鏡を取り出し、カツラを整える。


「よしっ、これでいいな。俺の髪、カエティスの髪より目立つから、繊細な心にヒビが入らないようにしないとな」


「……どの口が繊細な心って言ってるんだよ」


 呆れた顔でミシェイルはカエティスの代わりに返した。横で他の自警団達が頷いている。


「皆、ヒドイよねー。カエティス、君はひどくないよなっ、兄弟!」


 カエティスの肩に腕を回し、レグラスは同意を求める。


「俺は中立にさせてもらうよ。あと、兄弟じゃないんだけど」


「中立かよ。いいところ取りやがってー。兄弟じゃないけど、似たようなもんじゃん。お互い人よりちょっと魔力が強いですーとか、両親知りませーんとか色々共通点あるじゃん」


 レグラスの言葉に、カエティスは僅かに眉を顰め、すぐ笑顔になる。


「……俺、帰っていい? 帰るのが無理なら寝てもいい?」


「いや、あの、カエティスさん? あの怒っちゃってます?」


 笑っているが、目が笑っていないカエティスに、レグラスは焦る。


「いや、怒ってないんだけど、眠いんだよね」


 欠伸をかみ殺し、カエティスは苦笑する。


「……隊長、いつ寝ました?」


「うーんと、明け方だったかな?」


 我慢が出来なくなり、カエティスは欠伸をしながら答える。


「何をやってたんですか?」


「色々考え事だよ、ミシェイル」


 肩を竦めて、カエティスは告げた。


「その考え事というのは、王都にたくさんいる亡者達のことかい? カエティス」


「――とか色々だよ、トーイ」


 音もなく部屋に入ってきたトイウォースとクレハノールの方に顔を向け、カエティスは驚くこともなく答える。


「出来れば、驚いて欲しかったな。君が大袈裟に驚いてくれると期待していたのに」


 不満そうにカエティスを見て、トイウォースは呟く。


「そう言われてもなぁ。入って来る気配がしたし……」


 頬を掻き、カエティスは困ったように笑う。それからすぐ真顔に戻し、若き国王を見た。


「話は変わるけど、俺達は今から何をすればいいんだい?」


「今のところ、亡者達に大きな動きがないから、特には考えていないが……そうだな、王都を見回ってもらおうか」


「俺達の初仕事なのに考えてなかったのかい、君は。分かったよ。早速、見回るよ」


 呆れた顔でカエティスは溜め息を吐き、がっくりと肩を落とした。


「ああ。頼む。何かあったらすぐに知らせてくれ」


「うん、もちろん。そちらも何かあったら知らせて。すぐ行くから」


 呆れた顔からいつもの穏やかな笑顔に戻し、カエティスは告げた。

 そして、互いに拳を軽くぶつける。

 カエティスとトイウォースのその行動に、ミシェイル達は驚いた。



「た、隊長……普通、王様にさっきのやっちゃいますか……?」


 城から出て、王都に着いた時、ミシェイルが恐る恐る尋ねた。


「ああ、うん。トーイとは友達になったからね。アイサリスでもあちらの王様としてたの見てたでしょ、ミシェイル」


 爽やかに微笑み、カエティスは明るく答えた。


「そうですけど……って、隊長、ちょっと待って下さい。友達って、いつの間に?!」


「うん、昨日の夜に話をして」


「……俺、時々、隊長につい行けないです。何で、会ってすぐに友達になれるんですか、王様と」


 がっくりと肩を落とし、ミシェイルは大きく息を吐く。


「確かに国王だから偉い人だけど、話してみると普通だよ。それに、同じ人間なんだし。お互いが敬遠せずに一歩を踏み出さないと、誰も仲良くなれないよ。特に王様は一人で戦うことが多いから」


 遠くを見つめ、カエティスは小さく呟く。

 彼が見つめる方向はアイサリス公国がある方角だ。

 心配そうに見つめているように見えるカエティスを、ミシェイルは更に心配そうに見つめる。


「……隊長は自分のことは二の次だからなぁ……」


「ん? ミシェイル、何か言った?」


「言ってませんよ、何も」


 笑顔で返し、ミシェイルは前方に目を向ける。

 目を向けると、前方に金色の髪、茶色の目の小さな少年が不思議そうにこちらを見ている。

 その少年の後ろに大勢の亡者達が立ち、彼に向けて手を伸ばそうとしている。


「危ないっ!」


 ミシェイルは慌てて、少年に駆け寄り、亡者達から引き離す。その間に、カエティスがミシェイル達を守るように前に立ち、様々な青色で彩られた剣を鞘から抜かずに構え、手を阻む。

 そして、一気に浄化させる。


「……ふぅ。君、大丈夫?」


 穏やかな笑みを浮かべ、カエティスはミシェイルの腕の中にいる少年に声を掛ける。

 少年はカエティスをじっと見つめ、こくこくと頷く。


「……良かった。ところで、俺の顔に何か付いてる?」


「目と鼻と口が」


 ぼそりと少年は呟く。


「それはまぁ、付いてるよね。他に何か付いてるかい?」


「付いてないけど、珍しい目をしてるね」


 じっとカエティスの水色の右目、銀色の左目を少年は見つめる。


「これ? そんなに珍しいかい?」


 きょとんとした顔でカエティスは自分の目を指差す。

 カエティスの問いに少年は大きく頷く。


「うん。右と左で目の色が違う人はそういないよ。それに、とても澄んでいるのもね」


 にっこりと微笑み、少年は背の高いカエティスを見上げる。


「そう。ありがとう。あ、名前言ってなかったね。名前は」


「知ってるよ。カエティスにミシェイル、でしょ? 兄上から聞いてたし、今日の叙任式に僕もいたし」


「えっ、じゃあ、貴族の人?」


「うん。僕の名前はディオリス。トイウォース兄上達にはディオンって呼ばれてるよ。ディオンって呼んで」


 少年――ディオンは満面の笑みを浮かべてカエティスの手を握る。


「えーっと、ディオン君はトーイの弟? ということは王子?」


「うん、そうだよ。あと、僕のことは呼び捨てでいいよ! クレハ義姉上に怒られる」


「……君もクレハが怖いんだね。うん、その気持ち分かるよ」


 小さな子供にまで……と思いながら、カエティスは笑う。


「で、ディオンはどうして、城ではなくてここにいるのかな?」


「僕、カエティスと話がしたかったんだ。あの困ったお祖父様を子供の時に追い返したって、クレハ義

姉上から聞いたから」


「お祖父様……? 子供の時に君達のお祖父様に会ったことがないんだけど」


 眉を寄せて、カエティスはディオンを見下ろす。

 その横で、ミシェイルもカエティスとディオンを交互に見て、静かに会話を聞く。


「ううん。そんなことないよ、カエティス。だって、困ったお祖父様は十年前に亡くなって、魂となったお祖父様はカエティスに追い返されたって聞いたもん」


「……十年前……」


 それだけを呟いて、カエティスは僅かに顔を曇らせた。


「あ、あの、魂って言ってましたけど、それって身体がないってことですよね? 今はどうしてるんですか?!」


 ディオンは気付かなかったが、ミシェイルはカエティスのその表情の変化にすぐさま気付き、慌てて問い返した。


「え? 僕もよく分からないけど、多分、誰かの身体に乗り移ってると思う。二ヶ月前に父上の身体に乗り移ってたから……」


 涙を堪えるディオンは俯き、ぎゅっと自分の手を握る。

 その姿が昔の自分の姿にカエティスは見えた。


「……早く終わらせないといけないね、君のお父さんの為にも」


 俯くディオンの頭を撫で、カエティスは小さく笑った。


「……ありがとう」


「その言葉を言うのはまだ早いよ、ディオン。ミシェイル、ディオンを城に連れて行ってあげて」


「はい、分かりました」


 頷いて、ミシェイルはディオンの手を引いて、通った道を戻って行った。

 ミシェイルとディオンの後ろ姿を見送り、カエティスは苦い顔をする。


「……先生、あの時、俺がちゃんと終わらせていたら、国の人々を巻き込まずに済んだのでしょうか……」


 黒い色のマントで隠すように腰に掛けている形見の赤眼の剣に触れ、カエティスは呟いた。






 夜、見回りを終えたカエティスは、今度は城内を見回り始めた。

 前日と同じく考え事をしていたら眠れなくなったからだ。


「神経図太いと思ってたんだけど、実は小心者だったのかな、俺」


 深い溜め息を吐き、カエティスは歩く。

 虫も眠る夜中の城内は夜番の兵士達が持つ松明の灯りのみで、周りは全て暗闇だ。

 城内は特に異常もなく、トイウォースが魔力で張った結界に守られている。


「このまま、王都に行こうかな。トーイが張った結界に守られている城より王都に住んで、何かあっても対処出来るようにした方が王都の人達も安全だろうし……」


 トイウォースが張った透明な結界が見えるのか、空を見つめるようにカエティスは独白する。


「……そうしよう、うん」


 考えがまとまり、カエティスはそのまま城門に向かい、門番をする兵士に事情を説明し、大きな門の横にある小さな通用口を開けてもらう。

 城を出て、カエティスは王都へと続く道を歩く。その途中、気配を感じ、振り返った。

 振り返ると、ネレヴェーユがカエティスの後を追い掛けて走ってくる。


「……うん? あれ、そんなに慌ててどうしたの?」


 驚いたように目を見開き、カエティスは自分の前で立ち止まるネレヴェーユを見た。


「貴方が、城を出るのを見かけて、どうしたのかと思いまして……」


 息を弾ませながら、ネレヴェーユは答えた。


「どうって、見回りだよ。城は結界に守られてて安全だから、王都を見回ろうかと思って。それより、女の子が一人で出歩いたら駄目だよ。何か起きたらでは遅いんだよ」


「ありがとうございます。私は大丈夫ですから」


 花のように笑みを浮かべ、ネレヴェーユは礼を述べる。


「あのね、夜は色々と危ないんだよ。大丈夫と思ってた人が狼に変わったりとか、亡者達が襲ってきたりとか危ないんだよ」


「貴方も、狼に変わるのですか?」


「どうだろう? 自分自身のことがよく分かってないからね。でも、狼に変わったことはないよ」


 肩を竦めて、カエティスは答えた。


「とにかく。君は、城に戻った方がいいよ」


「え、でも、カエティスさんはどうするのですか?」


「俺はさっきも言ったように見回りだよ。あと、俺のことは呼び捨てでいいよ。カエティスでも、カイでもどちらを呼んでくれて構わないよ。トーイのことも呼び捨てにしてるんだし」


 穏やかに微笑み、カエティスはネレヴェーユの手を引く。


「あのっ、カエティスさん、ちょっと待って下さいっ」


「はい、俺のことは呼び捨てだって、言ったよ。女神様」


「でしたら、私のことも女神様と呼ばないで下さい、カ、カエティス……」


 呼び捨てに少し抵抗があるのか、ネレヴェーユは顔を真っ赤にしてカエティスを呼んだ。


「それでいいよ、ネレヴェーユ。さ、城に戻ろうね」


 にっこりと笑って、カエティスは再び、ネレヴェーユの手を引いて歩き出す。


「あ、あの、待って下さい。私も一緒に見回りしてはいけませんか……?」


 ぎゅっと力強く手を握り、ネレヴェーユはカエティスを見つめる。


「……え? 何で?」


「それは……その……よく分からないですけど、貴方を見ておかないと、貴方が危ない気がして……」


「俺が? どうして」


「か、勘です。私、貴方に初めてお会いした時からずっと、その感じがしていたので、だから……」


 顔を真っ赤にして、ネレヴェーユは俯いたまま、ぽつりぽつりと呟くように伝えた。


「……俺、そんなに危なっかしいかい?」


「そういう訳ではないのですけれど、説明が難しいですがそう感じたのです。だから、一緒に見回りをさせて下さい」


「何だか答えになってないけど……まぁ、いいや。一緒に見回りは陽が昇ってる時にしようね」


 カエティスはにこやかに笑い、ネレヴェーユの手を引きながらもと来た道を戻って行く。


「え、今日はしないのですか?!」


 大きく目を見開き、ネレヴェーユは声を上げた。


「うん、いきなり眠くなっちゃった。君と話して安心したのかな」


 眠たそうに欠伸をかみ殺し、カエティスは笑う。


「そ、そうですか。あの、ありがとうございます……」


 また顔を真っ赤にしてネレヴェーユは呟く。


「こちらこそありがとう。眠れなくて見回りしようと思ってたから。それじゃあ、お休み」


 そう言って、カエティスは城門をくぐり、ネレヴェーユを見送った。


「本当に一緒に見回りさせて下さいよ。お休みなさい」


 何度も確認するようにネレヴェーユは見送ってくれるカエティスを振り返る。

 答えるようにカエティスは笑って、手を振る。


「……さて。何処で寝ようか。トーイが用意してくれた部屋は大きすぎるからなぁ」


 トイウォースが用意したネレヴェーユの部屋の扉を見つめ、カエティスは大きな欠伸をする。

 良い寝床を求め、カエティスは城内を歩き回った。

 それからカエティスが眠ったのは明け方だった。






 それから次の日、カエティスはトイウォースに相談し、何か起きても対処出来るように彼だけ王都に住むことになった。

 王都の小さな空き家に住んで五日。日が明るい昼間にネレヴェーユは本当にカエティス達に付いて回って見回りをしていた。

 今日もネレヴェーユはカエティスの住む家に向かう。

 そして、扉を控えめに叩く。


「こんにちは、カエティス。今日もよろしくお願いします」


 中に居るであろうカエティスに声を掛ける。

 普段ならここですぐにカエティスが出て来るのだが、今日は出て来ない。


「カエティス? いらっしゃいますか?」


 声をもう一度掛けてみるが、反応がない。

 ネレヴェーユは不審に思い、首を傾げる。

 しばらくの間、立ち尽くしたネレヴェーユは意を決するように扉をゆっくり開けた。


「ごめんなさい、失礼します――え?」


 中に入り、ネレヴェーユは辺りを見回してみると、カエティスの姿はなく整頓された家具類があるだけだった。整頓された、というよりは必要な物だけしか置いていないガランとした部屋だ。


「カエティス? いらっしゃらないのですか?」


 部屋の奥まで歩きながら、ネレヴェーユはきょろきょろと頭を動かす。

 そこで、初めてテーブルの影に気付いた。

 テーブルの影になったところでカエティスがうつ伏せになって倒れている。


「――!? カエティス?!」


 慌ててネレヴェーユはカエティスに駆け寄り、声を掛ける。


「カエティス、カエティス! 大丈夫ですか?!」


 うつ伏せのカエティスの肩を叩き、ネレヴェーユは彼の容態を調べようとした。

 その時、のっそりとカエティスがゆっくり起き上がった。

 そのまま、カエティスは胡座を掻き、ネレヴェーユを見た。


「……やぁ、ネレヴェーユ」


「やぁ、ではありません。大丈夫なのですか? どうして、倒れていたのですか!」


「……大丈夫。何でもないよ」


 そう告げた時、大丈夫だということを否定するかのようにカエティスの腹が盛大に鳴り響いた。

 呆気に取られた顔でネレヴェーユはカエティスをまじまじと見つめる。


「…………」


 カエティスはばつが悪そうな顔で頭を掻いた。


「……最近、近所に小さな子供や子犬や子猫がいるんだよ」


 ぽつりとカエティスは話し始めた。

 ネレヴェーユは静かに相槌を打つ。


「その子達は親や飼い主を亡者達に殺されたらしくて、いつもお腹を空かせててね。だから」


「だから、貴方はご自分の食べ物をあげたのですね?」


 盛大に腹を鳴らしながら、カエティスは頷いた。

 頷くのを見たネレヴェーユは口元を押さえ、笑った。

 笑う女神をカエティスは驚いたように目を瞬かせる。


「……貴方らしいですね。いつから食べてないのですか?」


 笑いを堪えながら、ネレヴェーユは尋ねる。


「……五日前だよ」


 言いにくそうにカエティスは呟いた。


「五日前からですか?! どうして言って下さらなかったのですか!」


「言っても仕方がないし、いつものことだからいいかなぁーって思って」


 腹を鳴らしながら、カエティスは悲しげに小さく笑う。


「いつも?! いつも、そのようなことをされているのですか!?」


 カエティスの笑みに気付かず、ネレヴェーユは身を乗り上げて尋ねる。


「そう怒らなくても……。俺のことなんだし、君が心配することのものじゃないって」


「そんなことはありませんっ!」


 声を張り上げ、ネレヴェーユはじっとカエティスを見つめた。目にはうっすら涙が浮かんでいる。

 声を張り上げたネレヴェーユをカエティスは面喰らったように見つめ、息を飲む。


「私は……まだお会いしたばかりの貴方にトーイや私を狙う人の話をしました。何故だか分かりますか?」


 ネレヴェーユの問いにゆっくり緩くカエティスは首を振った。


「貴方なら助けてくれる、そう感じたのもあります。でも、他にもありました。初めて貴方とお会いした時から貴方が気になっていました。どんどん貴方に会うにつれ、私は気付きました」


 すぅ、と息を吸い、ネレヴェーユはカエティスをまっすぐ見据えた。


「――私は貴方に恋をしている、と」


 顔を真っ赤にして、花のように微笑み、ネレヴェーユはカエティスに告げた。

 真っ赤な顔で微笑むネレヴェーユを呆然と見つめ、カエティスは何度も瞬きする。


「カエティス?」


 何も言わないカエティスにネレヴェーユは不思議そうに首を傾げる。


「……ありがとう。俺を好きになってくれて」


 悲しげに微笑み、カエティスは口を開いた。


「……でもね、俺は君の気持ちに応えられそうにないよ」


「どうしてですか?!」


「罪深い人間だから。人を、殺したことがある人間だから。これからも人を殺してしまうかもしれない。俺では君を幸せには出来ない」


 胡座を掻いたまま、カエティスは笑う。泣きそうな、悲しげな表情で。


「……そんなことはありません。だって、私は、貴方の傍に居られるだけで幸せなのです。貴方が、存在してくれているだけで、幸せです」


 花のように微笑み、ネレヴェーユはカエティスの手を握る。


「それに、人を殺したというのは何か理由があったのではありませんか? 貴方は優しい方だから、誰かの代わりに、誰かを守るために殺した。そうではありませんか?」


 慈愛に満ちた眼差しで、ネレヴェーユはカエティスに問う。

 ネレヴェーユの言葉に、カエティスは目を瞬かせる。


「……君には敵わないなぁ。罪深い人間にも手を差し延べてくれるなんて。俺、惚れそう」


 照れ隠しのように頭を掻き、カエティスは笑う。その笑みには少しだけ、悲しみが残っている。


「……俺がもし、このままでいられたら、君の気持ちに応えるよ」


 ――これが今の精一杯。

 そう告げて、カエティスは手を伸ばしてネレヴェーユの頬にゆっくり触れる。

 カエティスの言葉の意味に困惑しつつも、ネレヴェーユは顔を真っ赤にして嬉しそうに笑う。

 穏やかに微笑み、優しい眼差しでカエティスはネレヴェーユの頬から手を離す。

 それから立ち上がり、カエティスは壁に立て掛けている二つの剣を腰に提げる。

 黒い色のマントを羽織り、座り込んだまま自分の行動を見つめる女神に目を向ける。


「さっ、見回りしようか」


 いつも見せる明るい爽やかな笑みを浮かべて、カエティスはネレヴェーユに手を差し延べる。


「はい」


 カエティスの手を借りて、ネレヴェーユは立ち上がる。

 そこでふとあることを思い出した。


「ちょっと待って下さい。食事をまだしていないではないですか、カエティス!」


「……あー……思い出しちゃったか。忘れてると思ったのに」


 困ったように笑い、カエティスは呟く。その言葉と同時に先程まで静かにしていた腹も盛大に鳴り出す。


「駄目ですよ、ちゃんと食べないと! 見回りをする前に城で何か食べましょう」


 ぐいっとカエティスの手を引き、ネレヴェーユは家を出た。

 カエティスもネレヴェーユに引っ張られるまま、歩く。その彼の表情は嬉しさと悲しみが混ざっていた。






「――で、君は私が知らない間にいつネレヴェーユ様と仲良くなったんだ? カエティス」


 王都に住む子供と戯れているカエティスに、その彼と同じく子供と戯れながらトイウォースは尋ねた。


「……へ? どういう意味だい、トーイ」


 平気な顔で、何人もの子供を両腕にぶら下げながらカエティスは友を見る。


「私を嘗めないで欲しいなと前にも言ったはずだぞ。もう情報は来ている。ネレヴェーユ様と恋仲になった、と」


「……まだなっていないよ」


「何だって?」


「だから、まだ彼女と恋仲にはなっていないよ。彼女にまだ応えられない」


 子供達を下ろし、それぞれの家に帰らせながら、カエティスは告げる。


「まだ応えられない? 意味が分からないぞ、カエティス」


「……うーん、何て言えばいいかな……」


 頭を掻きながら、カエティスは子供達が帰った道を見つめる。


「友人の占い師に、『育った国で、ある宿命を背負う』って言われたもんだから、その宿命を見極めないことには応えられないよ」


 肩を竦めて、カエティスは小さく笑う。


「その占い師はよく当たるのか?」


「うん、かなりの確率で」


「宿命とやらは良い内容なのか? 悪い内容なのか?」


「言うと悪くなるから言えないって言われたよ。だから、人を巻き込むような宿命なのか、そうではないのかを確かめないとって思ってるよ」


 詰め寄るトイウォースに気圧されながら、カエティスは答える。


「……そうか。その宿命はすぐ分かるものなのか?」


「どうだろう? もう始まっているのかもしれないし、今から始まるのかもしれない。それはまだ俺自身も分からないよ」


 もう一度肩を竦めて、カエティスは告げる。


「……俺のことは置いといて。どうして、君がそんなに気にするんだい、トーイ?」


「私が気にする理由か? 簡単な話だ。私はな、ネレヴェーユ様と君がお似合いだと思っているんだよ」


「え?」


「幼い頃からあの方を知っているが、いつも必死だった。そんなあの方を見ていると私が支えないと、と思ったこともある。だが、無理だった。逆に助けられてばかりだった」


 小さく息を吐き、トイウォースは力なく笑う。


「……今回の祖父のことで、私ではあの方を支えられる力がないと思い知らされたよ。そんな時、君がふらっとやって来た。君の何処かのんびりな雰囲気を感じて、君ならネレヴェーユ様を支えられると思った。それが理由だ」


「……何だか人任せな考えだね」


 困ったように頬を掻き、カエティスは呟く。


「だが、まんざらでもないのだろう? 君の本音はどうなのだ、カエティス?」


「……どうって、そりゃあ、良い人だし、反応が可愛いよ。俺のような人間にも手を差し延べてくれる人だし……でも」


 そこで、カエティスは悲しげな表情で言葉を止める。

 怪訝な顔をして、トイウォースはカエティスを見る。


「……でも、俺では彼女を幸せには出来ない」


「どうして、そう後ろ向きな理由を言うかな、君は」


「元々の考え方が後ろ向きなんだよ、俺は」


「拗ねて良いような年齢ではないだろう、カエティス。まぁ、私も似たようなことをクレハに言われるが」


 嬉しさを隠し切れずにトイウォースは頭を何度も縦に動かす。


「のろけ? そこでのろけを言っちゃう? 自分達は順風満帆な仲だから、俺達も仲良くなっちゃえよって言うのはナシだよ」


「残念だが言うつもりだ。私やクレハのように仲良くなれ。結婚はいつだ?」


「……飛躍しないでくれないかな、もう。はぁ、俺、何でここに来たんだろ」


 地面に座り込み、自分の膝に肘を置いて頬杖をするカエティスは大きな溜め息を洩らす。


「……とにかくさ、トーイ。夜、気合い入れといてよ」


「ん? ついにネレヴェーユ様に告白するのか? 分かった。気合いを入れてクレハと共にこっそり覗いておこう」


 真面目な顔で告げるカエティスに、からかうように口元を吊り上げ、トイウォースは頷いた。


「違うって。そうじゃないよ。今日の夜、亡者達が動く――と思う。勘だけど」


 それぞれ色が異なる目を細め、カエティスは真っ直ぐ王都の大通りを見つめる。

 その彼の水色の右目は激しく流れる川のように、銀色の左目は鋭い刃のように光って見えた。

 トイウォースは普段見る親友と違う、鋭い表情を初めて見た。

 その表情はまるで……――。


「……戦いを経験し、知っている目、だな」


 ぼそりと小さくトイウォースは呟いた。


「知りたくなかったけどね、一生。そういうことだから、夜になる前にちょっと作戦立てた方がいいよ、トーイ」


 そう言ってカエティスは立ち上がる。服に付いた埃を払い、城とは逆の方向を歩こうとする。


「そうだなって、おい。君は何処へ行くつもりだ?」


「何処って、見回りだよ。俺の仕事だし」


「……確かに君の仕事だが、話の流れからしたら、君も一緒に作戦を立てるのではないのか?」


「それこそ君の仕事でしょ。俺は君が動きやすいようにするだけだよ。君と俺が立つ場所を同じにするには、まず真逆の位置から始めないと」


 そう告げて、カエティスは穏やかに笑う。

 口をぽかんと開け、トイウォースは目を丸くする。


「……君には負けるな、カエティス。君のような人物が敵じゃなくて良かった。敵だったら相当やりにくい」


「いやいや、実はやりやすいよ。俺みたいなヤツは大切に思っている人を捕まえれば、その時点から無効化出来るよ。昔、やられた」


 苦い顔をして、カエティスは呟く。


「へぇ、誰に?」


「とある国の王様。その話はいいから、俺は見回りに行ってくるよ」


 話したくないのか、カエティスは城とは逆の方向へ歩いていった。


「……知りたくなかった、というなら、何故、君は戦う? カエティス」


 歩くカエティスの後ろ姿を見つめ、トイウォースは呟いた。






 その日の夜。

 トイウォースは眉間に皺を作っていた。


「王子、どうした? 難しい顔をして」


 隣に立つクレハノールが怪訝な顔をして、トイウォースの顔を覗き込む。


「クレハ、君はどう思う?」


「は? 何がだ」


「……カエティスは、何故、この場にいない?」


 目の前を真っ直ぐに見据え、トイウォースは浄化の光を手から放つ。


「この襲撃を読んだのは彼だ。その彼が何故、この場にいない?」


「恐らく前線にいる」


 剣を構え、クレハノールはぽつりと呟く。


「あいつは昔から何事も一番危ない場所で踏ん張る。あいつの育ての親そっくりだ」


「……前線。ここも前線だと私は思うのだが」


「私もそう思っていたが、どうやら違うようだ、王子」


 口の端を上げ、クレハノールは笑う。そのまま、握っていた剣の切っ先を前に動かし、示す。

 トイウォースは婚約者の剣の先を追うように目を動かす。

 その先を見ると、亡者達の中に金の色が混ざった赤い髪があった。

 舞踏のように無駄な動き一つなく、カエティスが次々に迫る亡者達を浄化していく。

 群がる何十人もの亡者達を一気に浄化させていくカエティスをトイウォースは呆然と見る。

 魔力が強いトイウォースでも浄化させるのは一度に五人が限度だ。それをカエティスは一気に何十人もの亡者達を浄化し、先へ進んでいく。

 彼だけ、既に王都と他の街へ続く道を隔てる門を出ている。


「……カエティスの魔力は私以上、か」


 トイウォースは呟き、辺りを見渡す。

 気が付けば、自分達の周りには亡者達はいなかった。カエティスに追い立てられ、彼が立つ位置よりも奥に亡者達はいる。


「あっさり追い出したな。次から来ると思うか? カエティス」


「……来るだろうね。だからクレハ。俺達、間髪入れずに追撃してくるよ」


 王都に共に来た自警団達が集まり、カエティスは休む間もなく追撃を開始する。


「カエティス、私も連れて行って下さいっ」


 声を張り上げ、ネレヴェーユがカエティスの許へ駆けようとする。

 その時だった。

 まだ王都内に残っていたらしい亡者が一人、ネレヴェーユに手を伸ばそうとするのがカエティスの目に映った。


「ネレヴェーユ!」


 緊迫した声を上げ、カエティスは黒いマントに隠すように腰に掛けていた赤眼の剣を鞘から抜く。


「赤眼、頼むっ!」


 育ての母愛用の剣をネレヴェーユに向かって投げる。

 赤眼の剣はカエティスの言葉に応えるように、ネレヴェーユの前の地面に刺さり、赤いオーラを放って亡者の手を弾いて阻む。

 弾かれた亡者とネレヴェーユの間にカエティスは滑り込み、赤眼の剣を地面から抜く。

 赤眼の剣を持ったまま、カエティスは空いている左手で亡者を浄化させる。


『オノレ、カエティス……!』


 浄化され、消えていく亡者の声がカエティスの耳に届いた。


「……残念だけど、彼女には触れさせない……」


 消えていく亡者を見据え、カエティスは呟く。


『オオォォォ……!』


 カエティスを恨むような唸り声を上げ、亡者は消えた。

 消えたのを確認し、カエティスはネレヴェーユの方へと振り返る。


「ネレヴェーユ、怪我は……?」


 心配そうにネレヴェーユの顔を覗き込み、カエティスは尋ねる。


「だ、大丈夫です。あ、あの助けて下さって、ありがとうございます」


 花のように微笑み、ネレヴェーユはカエティスの顔を見つめる。


「……良かった……」


 安堵の息を洩らし、カエティスは穏やかに微笑む。


「カエティス……?」


 カエティスの微笑む顔を見て、ネレヴェーユは不思議そうに首を傾げる。


「トーイ、クレハ。ネレヴェーユを頼んだよ。俺達は彼等を追い掛けるから」


 近くまでやって来たトイウォースとクレハノールにそう告げて、カエティスは赤眼の剣を鞘に戻す。


「いや、私達も行くぞ、カエティス。ナウル!」


「は、はいっ!」


 突然呼ばれたトイウォースの家臣ナウルは飛び上がる。


「王都のことを頼む。私達はカエティスと共に行く。これで終わらせる」


「ええっ?! ちょっと待って下さい! 私では陛下の代理は無理です!」


「大丈夫、大丈夫。この二ヶ月の間にしっかり鍛えたからな。代理を頼むぞ」


 口の端を上げ、トイウォースは笑う。


「えっ、ちょっと何ですか、陛下。その含み笑いは!」


「こんな時の為に仕事を溜めておいた。しっかり仕事を終わらせておけよ。頼んだぞ。はっはっは」


 笑いながら、トイウォースはクレハノールの肩を抱こうとする。が、クレハノールはそれを手で払い除け、すたすたと歩いていった。


「……つれないなぁ。私の愛しの婚約者は」


 満面の笑みを浮かべ、トイウォースは家臣の呼び声を無視して、クレハノールや先を進んでいるカエティス達の後を追った。






「……で、本当に一緒に来ちゃうし……君達、狙われてるって分かってる?」


 頭を掻きながら、カエティスは大きな溜め息を吐いて、トイウォースとネレヴェーユに問い掛ける。


「分かってるさ。だがな、カエティス。私達で終わらせないと意味がない。あの困った祖父を諦めさせるには私達がとどめを刺さないと」


 トイウォースの言葉に、クレハノールが同意するように大きく頷く。


「それで亡者達のように身体を使われたら元も子もないよ」


「そうなったとしても、君がどうにかするだろう? 先程のネレヴェーユ様をお守りしたように」


「あれは……っ」


 トイウォースの隣に立つネレヴェーユに気付き、カエティスは言葉を詰まらせる。


「あれは?」


 にやにやと笑みを浮かべ、トイウォースとクレハノールがカエティスに詰め寄る。更にネレヴェーユがカエティスの言葉に期待するように見つめる。

 それに気付いて口元に手を当て、カエティスは少しだけ顔を赤くする。


「……必死、だったんだよ。ネレヴェーユを守らなきゃって。もちろん、君達の場合でも必死になるけど。だからって全員を守りきる自信はないよ」


 言いながら、カエティスは周囲を見渡す。

 同じようにミシェイルやレグラス達も辺りを警戒している。

 そのカエティスの横顔を見て、トイウォースは眉を寄せた。


「君なら大丈夫だろう。私より強い魔力を持っているのだから。ところで、カエティス」


「ん?」


 周囲を警戒していたカエティスはきょとんとした顔でトイウォースの方を向く。


「……魔力を使い過ぎるなよ」


 カエティスの珍しい目を見つめ、トイウォースは告げる。


「さっき強い魔力を持っているから大丈夫だろうって言ってなかったかい?」


「ああ、言った。だが、今、気付いた。君のその目に浮かぶ紋様は別だ。その紋様は死を覚悟した者だけが使える紋様だ」


 静かに告げるトイウォースの言葉に、クレハノールとネレヴェーユ、ミシェイル達など、この場にいる者達がカエティスを一斉に見た。

 この場にいる者達の視線を受け、カエティスは困惑した顔で頬を掻いた。


「いやいや、俺、物心付いた時から魔力を使う度に、この紋様が出てたんだけど……」


 自分の前で手を左右に振り、カエティスは否定する。


「物心付いた時から死を覚悟していたのではないのか?」


「ないない。それはないよ」


「……謎だな。このことは後で調べよう。とにかく、君は魔力を使い過ぎるなよ。困った祖父のせいで親友を失うのは辛い」


「分かった。気を付けるよ」


 大きく頷いて、カエティスはトイウォースと拳をぶつけ合う。


「さて。今からが気合いの入れどころだな。少し休憩して、亡者達を追撃しよう。先には困った祖父がいるはずだ」


 ちょうど先程の一件で集まった兵士やカエティスと共に来た自警団達の顔を見渡し、トイウォースは告げる。


「この追撃で終わらせよう。そして、平和な日々を取り戻すぞ」


「おぉー!」


 トイウォースの言葉に、兵士達は一斉に声を上げた。

 兵士達の様子を見つめ、彼等からカエティスは少し離れた。

 腰に掛けた赤眼の剣の柄に手を触れ、息を吐く。


「どうかしましたか? カエティス」


「わっ、ネレヴェーユ」


 背後から聞こえた声に驚いて、カエティスはびくりと身を震わせた。


「……どうしたの? 何かあったのかい?」


「いえ。何もありませんけど、貴方の方こそ、何かあったのですか?」


「俺? 何でもないよ」


「貴方の『何でもない』はあまり信用出来ません。昨日もそう言ってお腹を空かせていたではありませんか」


 頬を膨らませて、ネレヴェーユは言った。


「いや、あの時はお腹は鳴ってたけど、空かなくなったというか……あっ」


 何かを思い出したのか、カエティスは手を叩いた。

 彼の行動を不思議そうにネレヴェーユは見つめた。


「俺のことより、君に渡したいものがあるんだ」


 爽やかに笑い、カエティスは上着の裏ポケットに手を入れる。

 そして、ポケットから取り出したものをそっとネレヴェーユの首に掛ける。

 薄い鎖で繋がった透き通った水のような水色の玉の首飾りが胸の前で光る。

 自分の首に掛けられたものに触れ、ネレヴェーユはカエティスに尋ねるように見上げる。


「お守りだよ。俺の魔力を込めてるから、ちょっと変わったお守りだけど、君を守ってくれるはずだよ」


「どうして、私に……?」


「君を守りたいから、じゃ駄目かな? 実を言うと、さっきの君が襲われそうだった時、血の気が引いたんだ」


 切なげに笑い、カエティスは一度目を閉じた。小さく息を洩らす。


「大切な人をまた失ってしまうんじゃないかって思った。そのお守りを渡せないままになるんじゃないかって。返事も言えずに会えなくなってしまうんじゃないかってそう考えたら、もう迷いはなくなったよ、ネリー」


 突然、ネレヴェーユを愛称で呼び、カエティスは穏やかに微笑む。


「……昨日言ったことだけど、撤回するよ。俺も君に恋してるよ。君を守らせてもらえないかな?」


 穏やかに微笑んだまま、カエティスは告げる。

 彼のその言葉を聞き、ネレヴェーユは嬉しさのあまり目を潤ませ、静かに頷いた。


「……ありがとう。俺がもし、傍にいなくてもそのお守りが君を守ってくれるから。そのように作ったものだから、どんなことがあってもそれが守ってくれる」


 そう言って、カエティスはネレヴェーユの手を持ち上げ、手の甲に口づける。

 穏やかに微笑むカエティスを見つめ、ネレヴェーユは顔を真っ赤にする。

 いつもと変わらない微笑みなのに、彼の微笑みが極上の笑みにネレヴェーユの目には映った。


「カエティス、少しいいか?」


 その時、トイウォースに名を呼ばれた。


「ごめん、ネリー。呼ばれちゃった。あとでまた色々話そうね」


「ええ、カエティス。あの、ありがとうございます。応えてくれて」


 ネレヴェーユの言葉に微笑み、カエティスはトイウォースがいる場所へ向かった。


「……トーイのお祖父さんから絶対守るよ。ネリーもトーイも、皆」


 小さく、誰にも聞こえないような声で、カエティスは決意する。

 そっと赤眼の剣の柄に触れ、真っ直ぐ強い眼差しで前を見据えた。

 その珍しい透き通った水のような水色の右目と、意志の強い鋼のような銀色の左目に、うっすらと浮かんでいた紋様が一瞬だけ濃く浮かび上がって消えた。






「やっと告白したか。告白するのだったら、その時に言えば良かったのに」


「俺の一大決心をしっかり邪魔をした君に言われたくないよ、トーイ」


 告白して、ネレヴェーユと話をたくさんしようと思っていた自分を呼んだ張本人のトイウォースを半眼で見て、カエティスは腕を組む。


「それで、俺を呼んだということは何かあったのかい?」


「ああ。物見に行ってもらった部下の情報で亡者達がこちらに向かって侵攻しているようだ。このままいくと明け方頃に相手とぶつかるそうだ」


「……そっか。分かった。準備をしておくよ。それで今からのことだけど、俺は先頭で戦おうと思う」


「先頭? ネレヴェーユ様をお守りするのではないのか?」


 カエティスの言葉に驚き、トイウォースは友を見る。


「先頭なら皆を守れるからね。ネリーもトーイもクレハ、ミシェイル達をね」


「……構わないが、珍しいな。アイサリスでは王だけを守っていたという君が、全員を守ろうだなんて」


「別に王様だけを守ってたわけじゃないよ。あっちは皆が強くて突撃型だったから、王様の隣にいただけで……」


 頭を掻きながら、カエティスは懐かしげに暗い空を見つめる。


「とにかく。先頭には俺が行くよ。トーイはネリーをお願いしてもいいかな?」


「分かった。任せろ。ただカエティス、本当に無茶はするな。いいな?」


「……うん。無茶はしないよ」


 無茶をする予定だったのか、カエティスは頬を掻きながら頷いた。


「頷くまでの間が気になるところだが、追及はしないでおこう。明け方前にはここを出る。それまでは休んでくれ。ネレヴェーユ様と仲良くな」


 そう告げて、トイウォースは自分が休んでいるテントに戻って行った。


「……無茶する予定だったのが、もうバレたなぁ。もう少しバレないようにしないと」


 トイウォースの後ろ姿を見て、カエティスは溜め息を吐いた。


「……眠れないし、見回りしようかな」


 二つの剣の鞘に触れ、カエティスはトイウォースが連れて来た兵士達と共に野営をしている王都近くの森を見回りするため、歩いた。






 物見に行った兵士の報告通り、明け方頃に亡者達は大群を成してこちらに向かって来た。

 王都近くの森の前で待ち構えていたカエティスは、様々な青色で彩られた剣を鞘に収めたまま構える。

 そして、亡者達がこちらに近付くより先にカエティスは近付き、浄化の光と共に前へ前へと進んでいく。

 次々と亡者達を浄化していくが減らない。


「……向こうも必死だね。こっちも必死だけど」


 立ち止まって呼吸を整え、カエティスは様々な青色で彩られた剣を鞘から抜く。

 直立し、カエティスは刀身がうっすらと青く輝くその剣を地面と水平に構える。


鴨頭草つきくさ、行くよ」


 鋭く目を細め、カエティスは真っ直ぐ亡者達を見据え、駆ける。

 剣を風のような速さで全方向へ動かし、亡者達を斬る。

 うっすらと青く輝く光が残像を残す。

 斬られた亡者達は唸り声を上げる間もなく、強制的に浄化していく。

 休む間もなく、次へ次へと右手に持つ剣で斬り、左手は魔力で浄化させていく。

 どんどん先へ進み、カエティスは亡者の大群の先にいるであろうトイウォースとディオンの祖父だったモノを目指す。だが、大群に阻まれる。


「……逃げたか」


 トイウォースとディオンの祖父だったモノがいた場所にカエティスが辿り着いた時には、亡者の大群と共に相手は逃げた後だった。

 うっすらと青く輝く剣を鞘に戻し、カエティスは小石を軽く蹴る。


「……逃げるにしても、何かを狙っているような逃げ方だな。祖父は何を考えているんだ?」


 背後から聞こえた友の声にカエティスは振り返る。

 振り返ると馬に乗ったトイウォースと彼の後ろに乗ったレヴェーユ、別の馬に乗ったクレハノールがやって来た。更にその後を追い掛けるようにミシェイル達自警団の面々が駆けてくる。


「カエティス、君はどう思う?」


「俺には分からないよ。ただ、あの方向はまずいよ。クレハにも、ミシェイル達にも、俺にも」


 珍しく嫌そうな顔を全面に出し、カエティスは亡者達が逃げた方向を睨む。


「……まさか……」


 カエティスの言葉に、クレハノールは息を飲む。


「本当にまずいな。あの方向はウィンベルク公爵家が治める街だ。クレハやカエティス達には一番堪えるな」


 顎に手を置き、トイウォースは考え込む。


「考える時間もないが、良い案もないな。追い掛ける側としては、相手より早く街に着かないことには被害が増える」


 息を吐き、トイウォースは無言でカエティスを見つめる。


「カエティス……」


「隊長」


 トイウォースと同じように考え込むカエティスに、心配そうにネレヴェーユとミシェイルが声を掛ける。


「……相手より早く街に着く方法があるよ」


 俯いていたクレハノールは弾かれるように顔を勢い良く上げ、カエティスを見つめる。


「どんな方法だ?! カエティス!」


 身を乗り上げて、クレハノールはじっとカエティスの珍しい目を見る。


「強行軍になるけど、今から行けば、馬で半日よりももっと早く着く裏道があるよ」


「カエティス、そんな道があったか?」


「地元でもあまり知らない道だからね。俺はよく利用してたけど。その道を行けば、早く着くよ。ただちょっと獣道だから馬の扱いが上手な人じゃないと難しいかな」


「馬に乗らない者達はどうするつもりだ?」


「そこなんだけど、そのまま街道から行って欲しいんだ」


 カエティスの一言にトイウォースはニヤリと笑う。


「……なるほど。挟撃か。ということは強行軍側が早く着くことで戦況は変わるな」


 大きく頷き、納得したトイウォースは数十人の兵士を呼ぶ。

 呼ばれた兵士はトイウォースの許へ集まり、彼から指示を受け、再び散っていく。

 馬に乗らない兵士達は先に街道を進んで行く。


「カエティス達の馬の用意が出来たらすぐ出発だ。カエティス、先導を頼んでいいか?」


「もちろん。ただ、気を付けてよ。本当に獣道だから」


「馬の扱いに長けている者しか選んでいないから、大丈夫だ」


 まだ少し迷いのある表情を浮かべつつも、カエティスは頷いた。

 そのやり取りをしている間に用意が出来たようで、カエティス達のところに馬を連れた兵士がやって来る。

 それぞれ馬を渡され、カエティス達は鞍の上に跨がり、乗り心地を確認する。


「準備が出来たよ。いつでも大丈夫だよ」


 確認したカエティス達はトイウォースの指示を待つ。


「分かった。では行こう。ネレヴェーユ様、危ないと思ったらすぐ声を掛けて下さい」


「はい。分かりました」


 トイウォースの言葉に頷き、ネレヴェーユはカエティスを見た。

 ネレヴェーユの視線に気付き、カエティスは優しく微笑む。

 視線に気付いてくれたカエティスにネレヴェーユは嬉しそうに笑う。


「それじゃあ、皆、行くよ」


 馬に乗ったトイウォース達に声を掛け、カエティスは手綱を引いて、駆けた。

 それに合わせて、トイウォース達もカエティスについて行く。

 休む間もなく馬を駆けて、カエティス達はウィンベルク公爵家が治める街とは反対側の山を突っ切る。

 舗装されていない山道を上り、その山の洞窟に入って行く。暗い洞窟にカエティスは馬の速度を落とすことなく、暗闇を灯す光を放つ。

 洞窟の道に沿って駆け、洞窟の出口に辿り着く。

 それから山道を下り、元の舗装された道に戻った。


「……本当に獣道だったな。実は君は獣かい?」


 げっそりした顔で、トイウォースはカエティスの馬と並走する。


「男は皆、野獣って尊敬する先生に言われたから、そうなんじゃない?」


「いや、それは別の意味だろ。ベル司祭様が泣くぞ、カエティス」


 同じく並走するクレハノールが言葉を挟む。


「……泣くのは困るから、黙っておくよ」


 泣く育ての父を思い浮かべたのか、カエティスは苦笑いを浮かべる。

 とても優しいベルナートを泣かせたくない。


「まぁ、とにかく。とんでもない獣道のお陰で短縮は出来た。あの獣道をどうにか舗装出来ないだろうか」


 隣で会話を交わすクレハノールとカエティスに小さく笑みを零し、目の前に見える街を見つめて、トイウォースは呟く。


「それはやめた方がいいよ。あそこは本当にとんでもない道で、特に洞窟は迷ったら最後、永遠に出られないから」


「……ちょっと待て。とんでもない道なら何故、私達を案内した?」


「時間がなかったからね。洞窟は松明は難しいけど、魔力で光を照らせば出られるよ。緊急じゃなかったら俺も案内しないよ、クレハ」


「……切り札みたいなものだな。カエティス、君はあの道をよく利用するのか?」


 トイウォースの問いに、カエティスは頷く。


「子供の頃からよくね。尊敬する先生に教わった道だよ」


「そうか。君が通れるのなら、私も迷うことなく通れるな」


「どういう論理でそうなるかなぁ……」


 競争心を燃やすトイウォースにカエティスは溜め息を吐いた。


「君とは友で好敵手、という関係だと楽しそうだからな。君も私をそう思ってくれると競争しやすい」


「……君とクレハって、本当によく似てるよ。競争のことは考えておくよ」


 拒否しても無理だと感じたカエティスは仕方なさそうに頷いた。


「この話はともかく。もうすぐ街に着くけど、着いたらどうするんだい?」


「亡者達が来るまでは街で準備をしようと思う。先程の状況だと、時間もないかもしれないが」


「分かった。手伝うよ。何をすればいい?」


「そうだな。一番は街に入れないように結界を張るのがいいのだが、魔力を使うなと言った手前、君にお願いする訳にはいかないしな……」


 顎に手を置き、トイウォースは馬の速度を下げることなく考える。


「別にいいよ。街に結界張るのなら出来るし。苦じゃないよ」


「しかし、万が一、君が倒れたら……」


「ないない。今までも結界張って倒れたことないし。俺なら平気だよ」


 安心させるように微笑み、カエティスは告げる。

 カエティスの微笑みを見つめ、トイウォースはしばらく考え込む。

 良い案が浮かばなかったのか、トイウォースは嘆息する。


「……時間もないし、君に結界を張るのをお願いする。但し、無理はしない。いいな?」


「分かった。じゃあ、俺は先に街に行くよ。何かあったら、すぐ呼んで」


「カエティス、気を付けて」


 トイウォースの後ろに座るネレヴェーユが不安げに声を掛けた。


「ありがとう、ネレヴェーユ」


 穏やかに笑ってそう言うと、カエティスは馬の速度を上げた。彼の後を当然とばかりにミシェイル、レグラスが続く。


「隊長、街の何処で結界を張るのですか?」


 街に着き、馬から降りたミシェイルは同じように降り、労うように背を優しく叩くカエティスに尋ねる。


「そうだね、街の中央がいいかな」


「中央ねー。ということは聖堂? じゃあ、カエティスのおとーさんのベル司祭様のところか」


 緊迫した状況なのに、レグラスは緊張感のない声で笑う。


「……司祭様、倒れませんか?」


 少し不安げな面持ちでミシェイルは馬を引いて歩くカエティスを見る。


「倒れはしないけど、心配はするだろうね。だからこそ、聖堂で結界を張るつもりなんだけど」


 状況を説明して心配する育ての父を思い浮かべ、カエティスは苦笑いをする。


「まぁ、今回ばかりはしょうがないよな。司祭様にも納得してもらわないとな。ところで、カエティス。さっき何気に『鴨頭草の剣』を出したよな。もしかして本気だった?」


「……そうかもしれない。強制的に浄化する剣だから、使わないようにしてたんだけどね」


 そっと二振りの剣の柄に触れ、カエティスは呟く。


「本気にもなるよなぁー。女神様のネレヴェーユちゃんという綺麗で優しい恋人が出来たんだしねー」


 肘でカエティスを突き、ニヤニヤとレグラスは笑う。


「……君も恋人を作るといいよ。レグラス」


 からかうレグラスを少しだけ睨み、カエティスは馬を連れて聖堂に向かう。


「あらら、怒っちゃった」


「そりゃあ怒るに決まってるだろ。俺も隊長だったら怒る。でもまだ良い怒り方だよ」


「何が?」


「本気で怒った隊長は物凄く怖いから」


 顔を青ざめてミシェイルが告げると、レグラスもほんの少し血の気が引いた。






 聖堂に着き、カエティスは手綱を地に刺さっている棒に繋げる。

 そして、聖堂の中に入る。

 懐かしい、荘厳な空気と暖かな光に水色と銀色の目を細め、カエティスは礼拝する部屋を過ぎ、ベルナートが居るはずの部屋へ向かう。

 ベルナートの私室に着き、扉を叩こうと手を上げた時、扉が開いた。


「あれ? カエティス君?」


 びっくりして固まっているカエティスを、ベルナートは呆然と見る。


「ど、どうも。ただいま戻りました、お父さん」


 目を丸くする育ての父に苦笑いを浮かべ、カエティスは挨拶をする。


「お帰り。もう王都での仕事は終わったのかい?」


 穏やかに目を細め、ベルナートはカエティスを部屋に招き入れる。


「いえ……。まだ途中です。今日、戻ったのは亡者達がここに来るので、結界を街に張って迎え討つ為なんです」


「結界……? 誰が張るんだい?」


「俺です」


「何だって?!」


 カエティスの言葉に、ベルナートは大きく見開いた。


「ちょっと待った。カエティス君が張るのかい? 君は確かに強い魔力を持ってる。カーテリーズも私もびっくりな魔力だよ。でも、君が小さい時に言ったはずだよ。緊急の時以外は魔力を使わないって」


「その緊急の時が今なんです。ここで亡者達を止めないと、この街はもちろん国が滅びます。だから、結界を張って迎え討たないとまた先生の時のように……」


 苦い顔をして、カエティスは口ごもる。眉間に皺を寄せ、拳を握る。


「……カエティス君は本当にカーテリーズそっくりだよ。自分でどうにかしようと考える。私が反対しても勝手に動く。まぁ、そこが彼女に惚れた一つなんだけどね」


 説得を諦めたようにベルナートは溜め息を吐いた。


「君の気持ちは分かったよ。カエティス君のしたいようにしなさい。但し、無茶をしないこと。いいね?」


「はい、分かりました。それにしても、司祭様も王様も無茶するなって、俺、そんなに無茶してるように見えますか?」


「カエティス君、お父さんと呼びなさい。お父さんと。君は本当にカーテリーズそっくりで、無茶しているのに無茶してないって言い張るんだよ」


 困ったように笑い、ベルナートはカエティスの頭を小さな子供にするように撫でる。


「だから、こちらは冷や汗ばかりだよ。五歳の時は二泊三日でちょっと出掛けたカーテリーズの帰りを寝ずに待つし、追い掛けようとするし」


「…………」


 懐かしそうに思い出すベルナートの言葉を聞き、カエティスはばつが悪そうに目を逸らす。


「あの、俺、聖堂の中庭で結界張って来ます」


 居たたまれなくなったカエティスは、話を変えるように扉の取っ手を掴む。


「じゃあ、私も行こうかな。君が無茶しないように」


 満面の笑みを浮かべ、ベルナートはカエティスの後をついて行く。

 笑う育ての父の視線を背中に感じ、カエティスはこっそりと苦笑いを浮かべる。


「……視線が痛い……」


「何か言ったかい? カエティス君」


「いえ、何も言ってませんよ、お父さん」


 同じく満面の笑みを浮かべ、カエティスは首を振った。

 会話をしている間に、カエティスとベルナートは聖堂の中庭に着く。

 聖堂の中央にある中庭は、ちょうど街の中央に位置する。

 その中庭の真ん中に立ち、カエティスは周囲を見渡す。

 季節の花が咲き、穏やかな風が吹く。

 今から亡者達との戦いがあるとはとても思えない穏やかさだ。

 その場所でカエティスは意識を集中させて、魔力を高める。

 淡い青いオーラがカエティスの全身を包み、空へと昇る。

 昇ったオーラが上空で弾け、柔らかい光となって街へ降り注ぐ。

 街をオーラが覆い、半球状になり、ゆっくりと消える。

 その光景を見つめ、カエティスは息を吐いた。


「上手くいったみたいですね、隊長」


 安堵した声音でミシェイルは駆け足でカエティスに近寄る。


「うん、そうだね。ミシェイル」


「カエティスの張る結界は隙間がないよな。俺なんか結界張るの苦手だから、穴がたくさんだよ」


 嘆息して、レグラスは魔力のない者には見えない結界を仰ぎ見る。


「やぁ、ミシェイル君、レグラス君。お帰り」


 穏やかに微笑み、ベルナートはミシェイルとレグラスに声を掛ける。


「ただいま戻りました、司祭様」


 声を揃えて、ミシェイルとレグラスは挨拶をする。


「皆、今日はここに泊まるかい?」


「……多分、そうなるんじゃないかと思いますよ、お父さん」


 カエティスがそう答えると、聖堂の門を開く音が聞こえた。


「……クレハ、かな? ちょっと見て来ます」


 カエティスは眉を寄せながら、門へ向かった。

 門を見ると、腕を組んだクレハノールと、その彼女の肩を抱こうとして睨まれているトイウォース、物珍しそうに辺りを見回すネレヴェーユ、彼等の案内を無理矢理させられたらしい他の自警団の面々がいた。


「……えーっと、この状況はどうしたのかな?」


 呆然と見つめ、カエティスはとりあえず声を掛けてみる。


「君の生家が見たいと私とネレヴェーユ様が言ったら、クレハと君の部下が拒否してね。どうしてもって言ったらこちらに案内された、という状況だよ、カエティス」


「拒否……?」


 トイウォースの説明に眉を寄せて、クレハノールと自警団達をカエティスは見ると、彼女達は悲しげに眉を下げていた。

 その表情の意味に気付き、カエティスは穏やかに微笑んだ。


「別に気にしなくても良かったのに。まぁ、今は誰も住んでないから、所どころ傷んでるかもしれないけど」


「では戦いが終わったら、君に案内してもらおう。それは置いて、カエティス。恐らく今から前哨戦が始まる。準備をしておいてくれ」


「分かった。ミシェイル達にも伝えておくよ」


 真剣な表情で頷き、カエティスはトイウォースとクレハノールと別れた。後を追うようにネレヴェーユ、自警団達がカエティスについて行く。


「……あれ、ネリー。どうしたんだい? 俺について来て」


「貴方の家を見たいと思って……。で、出来れば泊まりたいなって思ってるのですけど……駄目ですか?」


 眉を下げ、上目遣いでネレヴェーユはカエティスを見上げた。


「……うっ。別に構わないけど……。一応、持ち主の司祭様に聞いてみるよ。あと……」


 続きの言葉を飲み込み、カエティスは頬を掻いた。


「あと……?」


 首を傾げ、ネレヴェーユはカエティスを見つめる。


「……その司祭様が俺の育ての父親なんだ。時間があったら、紹介するよ」


 柔らかく微笑み、カエティスは告げる。その言葉にネレヴェーユの顔が一気に赤くなり、嬉しそうに頷いた。

 しかし、ベルナートに紹介することは出来ず、亡者達との戦いが始まった。



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