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七章 騎士の過去(前編)

「ああ、暇だ。誰か、というかカエティス来ないかなぁ。暇潰しに遊びたいなぁー、カエティスで」


 遊んだら殴られるかな、と呟きながら、水色の髪、銀色の目をした青年はぶらぶらと歩く。

 大きな青い玉を先端に付けた杖を肩に掛け、二つある大きな扉の前で立ち止まる。


「……ちくしょー、暇だ」


 低い声で唸り、青年は杖を振り回す。

 その時、幾つかの足音が聞こえた。


「ん?」


 杖を片手に、青年は足音が聞こえる方向を見る。

 見ると、見知らぬ青年三人、少女が二人、その後ろに見知った女性と男性がこちらに向かって歩いている。


「あれ、ネレヴェーユちゃんにビアン?」


 目を何度も瞬かせ、青年は杖を高く掲げ、左右に振る。


「お久し振りです。レグラス」


 花のように微笑み、ネレヴェーユは挨拶をする。


「何でまたネレヴェーユちゃんとビアンがこんなとこに? カエティスはどうした?」


 不思議そうにネレヴェーユに尋ね、青年――レグラスは目を瞬かせる。

 目を伏せ、泣きそうな顔になるネレヴェーユの代わりに、エマイユが経緯を説明する。


「……何というか、あいつらしいっていうか、やっぱりやっちゃったというか……。まぁ、いいや。結界はまだ破れてないからカエティスは大丈夫だろうし。で、ここに来たのはあいつの過去が気になるとか?」


「まぁ、そうだな。その理由でしか来ないだろ、この場所に」


 レグラスの言葉に頷き、ビアンは言い放った。


「ひどっ。そこはさ、ちょっとくらい優しい言葉を投げ掛けてくれよ。俺、結構、繊細なんだぞ」


「……とにかく、過去を見せろ」


 さらりと流し、ビアンは脅すように言った。


「俺、泣いてもいい……? 泣いても無視だよな、きっと。で、何時の頃から見たいんだ?」


 深い溜め息を吐き、レグラスはネレヴェーユ達に問い掛けた。


「出来れば、カエティスが子供の頃くらいからが見たいな。気になることがあるからさ」


 呆気に取られているリフィーア達の代わりにエマイユが答えた。


「子供の頃、ねぇ……。分かった。時間がないようだし、俺が頃合いを見て適当な時間に飛ばしていく形でいいか?」


「ありがとうございます、レグラス。とても助かります」


「良いってことよ。俺とネレヴェーユちゃんとの仲じゃん」


 にこやかに笑い、レグラスは胸を張った。


「……カエティスに言っちゃおう♪」


 ニヤリと笑みを浮かべ、エマイユは呟いた。


「初対面の子に遊ばれちゃってるよ、俺……」


 がっくりと項垂れ、レグラスは溜め息を吐く。


「あの、ネリーさん。この人は誰ですか?」


「あ、すみません。リフィーアさん達は初めてでしたね。彼はレグラスという名前で、この二つある扉の番人です」


 微笑みながら、ネレヴェーユはレグラスを紹介する。


「よろしくー」


 にこやかに笑い、紹介されたレグラスはリフィーアに手を振る。

 それを見ていたウェルシールが小さく唇を尖らせる。そんな彼の横でエルンストが小さく吹き出した。


「二つの扉はどういったものなのですか?」


 リフィーアとウェルシールを微笑ましく見ながら、トイウォースがレグラスに尋ねた。


「ああ、これ? 赤いのが過去を見に行くことが出来る扉。もちろん、行っても過去の出来事を変えることは出来ない。ただ見るだけの扉だ」


 左にある大きな赤い扉を杖で差し、レグラスは答えた。


「んで、青い扉が……まぁ、俺の部屋だ」


 頬を掻き、レグラスは大きな青い扉を指差した。


「え、何で自分の部屋まで番人してるの」


 呆れた顔で、エマイユは聞く。


「隣にあるせいで、何を勘違いしたのか、俺の部屋にも何かあると考えて入る奴が結構、いるんだよ」


 家具しかないのに、と付け加え、レグラスは説明する。


「ふーん。じゃあ、入らない方がいいね。まぁ、入る気ないけど。とにかくさ、カエティスの過去を早く見せてもらえない?」


 興味が失せてしまったのか、エマイユはレグラスを急かす。


「はいはい。それじゃあ、俺が扉を開けたらさっさと入るんだぞー?」


 そう言いながら、レグラスは扉の取っ手を掴み、大きな赤い扉の片方を引く。

 ゆっくりと大きな赤い扉が開かれる。

 扉の向こうは光が溢れているのか、白くて何があるのか何も見えない。


「はい、皆、入った、入った」


 大きな赤い扉の片方を閉じないように持ち、レグラスは急かした。


「入ったかー? それじゃあ、適当な時間で飛ばしていくからな。それと、何も起きないと思うけどさ、何かあったら叫ぶように。いいな?」


「分かりました。レグラス、本当にありがとうございます」


「ネレヴェーユちゃん、お礼は後でいいから、行ってらっしゃ~い」


 可愛らしく頭を下げるネレヴェーユに、レグラスは早口で言い、手を振った。

 そして、扉をゆっくり閉めた。


「……本当はカエティスが封印してるものが奥にありますって、流石に言えないよなぁ」


 ぽつりと呟き、レグラスは閉めた赤い扉に手を触れた。






「カエティス、私と勝負しろ」


 いきなり名を呼ばれたと思ったら、いきなり勝負を申し込まれた。

 意志の強い声音の少女から勝負を申し込まれたのはこれで何度目だろうか。

 カエティスは溜め息を吐きながら振り返った。


「……クレハ、何度も言ってるけど、勝負する気はないからね」


 分厚い本を三冊抱えたまま、カエティスは少女に言う。


「この街で、十歳の私と同じ歳、年上の男で戦っていないのはお前だけなんだ」


 だから勝負しろ、と少女は尚も言う。


「クレハ……いや、クレハノール。何度も言ってるけど、俺、今、三冊の厚い本を持ってるんだよね。だから、無理だよ」


「少しの間、地面に置けばいいだろう?」


「街の図書館から借りたものを地面に置けないよ。この本、珍しいんだよ」


 そう言いながら、カエティスは図書館から借りた本の背表紙を少女――クレハノールに見せる。


「…………」


 眉間に皺を作り、クレハノールはじっとカエティスが見せる本の背表紙を凝視する。


「……読めん。この国の言葉ではないな。何て書いてあるんだ?」


「いやいや、この国の言葉だから」


「そんな馬鹿な。私の持つ辞書には載っていないぞ」


 真顔で言うクレハノールに、カエティスは溜め息を吐いた。


「君の持つ辞書にもちゃんと載ってるから。とにかく。この本は、クウェール王国の歴史、クウェール王国になる前の歴史が載ってるんだよ」


「クウェール王国の歴史と、クウェール王国になる前の歴史? それを読んでどうする?」


 両腕を組み、クレハノールは眉を寄せる。


「……うん。ちょっと気になることがあってね。調べたら、俺のこの目のことが分からないかなって」


 水色の右目と銀色の左目に指差し、カエティスは力なく笑う。


「カエティス……。別に気にすることはないと思うぞ。お前のその異なる目、とても綺麗な色をしている。街の馬鹿な大人達の言葉など無視しろ」


「別に街の大人達に目のことで言われたことないし、むしろ、優しいよ。時々、心配して果物とかくれたりするし、わざわざ家に来てくれたりするよ。まぁ、時々、先生に追い払われてるけど」


「お前、どれだけ前向きなんだよ。街の大人達は先生やお前が恐いんだよ。この街の者達と髪や目の色が違うから」


 息を鼻から吐き、クレハノールは周囲を見回す。


「他の街や都、王都、他国には色々な人がいるし、先生やお前みたいな目の人もいることを知らないんだ。街の者達も一度、街を出てみて知るといいんだ」


 腰に掛けてある木刀の柄に触れ、クレハノールは言う。


「本当に馬鹿だ。だから、私は馬鹿な大人達の思い通りにはならない。私がもう少し大きくなったら、悪いことは悪いと言ってやる」


 自分のことで憤慨してくれるクレハノールに、カエティスは穏やかに微笑んだ。


「……クレハ、君は将来、この街を治め、国王を助けるウィンベルク公爵になるんだから、街の人達を悪く言ったらいけないよ」


「悪く言っている訳ではない。間違ってると言っているんだ!」


 地面を強く蹴り、クレハノールはカエティスをじっと見た。


「先生やお前は何も悪いことをしていないし、傷付けることもしていないのに、ただ自分達と違う色の髪や目をしているだけで怖れるのが頭に来るんだ!」


「ありがとう、クレハ。でも、先生も俺も何とも思ってないから大丈夫だよ。それじゃあ、俺は帰るね」


「ああ。またな――と、私が言うと思うか? カエティス」


 帰ろうとするカエティスの肩をしっかり掴み、クレハノールは笑顔で言った。


「あー……やっぱり無理だったか。気付かれないと思ってたのに」


 唇を尖らせ、カエティスは観念したようにクレハノールに向き直った。


「ふっふっふ。私を甘く見るなよ、カエティス。十歳といえど、私はウィンベルク公爵になるのだからな」


 ニヤリと笑みを浮かべ、クレハノールは胸を反らす。


「やっぱり君には勝てないなぁ。だから、負けでいいよ」


「よくない。私は真剣にお前と勝負がしたいんだ、カエティス」


 勝負しろ、と言うクレハノールに、カエティスは困ったように頭を掻いた。


「俺、弱いし、剣を握ったことがないんだけど……」


「弱いは嘘として、何だって? 木刀も握ったことがないのか?!」


「いやいや、嘘じゃないんだけど。木刀もないよ。木の枝や薪ならあるけど」


 こっくりと頷き、カエティスは答えた。


「そんな馬鹿なことがあるか。本を読むのも好きだが、身体を動かすのも好きなのは知っているんだぞ」


 ニヤリと笑い、クレハノールは木刀を構える。


「――という訳で、勝負だっ」


 声と共にクレハノールは木刀を降り下ろした。


「えっ、ちょっと、わわっ」


 本を抱えたまま、カエティスは後ろへ飛び退き、木刀を躱す。


「……避けれて良かったぁ」


 ほぅ、と息を洩らし、カエティスは目の前の満足に笑うクレハノールを見る。


「流石だ、幼馴染み。勝負はこれからだぞっ」


 クレハノールは更に木刀を左、右、斜め、下へと振る。


「勘弁してよ、クレハ。俺、勝負しないよ」


 と言いながら、カエティスはクレハノールが振り回す木刀を躱していく。


「断るのは分かっている。だから、問答無用に巻き込むっ!」


 とても楽しそうにクレハノールは木刀で次々に攻撃を繰り出す。


「参ったなぁ……しょうがない」


 そう呟き、カエティスは立ち止まる。


「?」


 立ち止まり、目を見開くカエティスを怪訝な表情で見て、クレハノールは木刀を降るのを止める。

 それと同時に、カエティスは声を上げた。


「クレハっ、君のお父さんが怖い形相でこっちに来てるよっ!」


「何っ?! 父上が!?」


 慌てた様子で言うカエティスに驚き、クレハノールは背後を向く。

 クレハノールが後ろを向いたのと同時に、カエティスは脱兎の如くその場から逃げ出した。


「あー……これで次に会う時はお説教確定だなぁ」


 そう呟きながら、カエティスは分厚い三冊の本を抱えたまま、風のように走る。

 でも、自分の場合、仕方がないのだ。

 それを彼女にどう説明すればいいのか、上手く表現が出来ないけれど。


「こらーっ! カエティス! 逃げるなーっ!!」


 随分と離れた場所から聞こえるクレハノールの怒声が、カエティスの背中に突き刺さる。


「……当分は会わないように心掛けよう。うん」


 そう心に決め、カエティスは街の端にある木々が覆い繁る小さな森に入った。

 森に足を踏み入れた途端、カラス達が歓迎の声で鳴く。


「ただいまっ」


 足を止め、木の枝に留まるカラス達にカエティスは笑顔で応えた。

 抱えていた本を持ち直し、カエティスは歩き始めた。

 カエティスの歩く速度に合わせ、カラス達も付いて来る。


「……心配しなくても、大丈夫だよ。彼等もここまで来ないよ」


 そう言って、カエティスはカラス達に話し掛ける。

 だが、カラス達はカエティスから離れようとはしない。

 苦笑を浮かべ、カエティスは足をまた止める。

 その時、幼い少年の声が聞こえた。


「たすけてー」


「ん? この声……ミシェイル?」


 不思議そうに眉を寄せ、カエティスは辺りを見回す。


「ミシェイル、どうしたの? 何処?」


「カエティスお兄ちゃん、上ーっ」


「上?」


 ミシェイルの言葉に、カエティスは頭を上へ向ける。

 見ると、明るい茶色に少し赤色が混ざった髪、緑色の目をした幼い少年が木の枝にしがみついていた。


「ミ、ミシェイル!? ……もしかして、このことを伝えるために君達は俺に付いて来たの?」


 木の枝から落ちそうなミシェイルに驚きつつも、カエティスはカラス達に尋ねる。

 カラス達は肯定するように一回鳴く。


「……そっか。ありがとう。後は俺で何とかするから」


 安心させるように笑い、カエティスはカラス達に言う。その言葉にカラス達は安心したのか、ゆっくりと木の枝から離れていく。

 それから、抱えていた分厚い三冊の本を土が掛からない場所に丁寧に置き、カエティスは木の枝にしがみつくミシェイルを見た。


「ミシェイル、俺が受け止めるから飛び降りてごらん」


 両手を広げ、カエティスはミシェイルに投げ掛けた。


「そんなことしたら、カエティスお兄ちゃんが怪我するよ」


「大丈夫だよ。ミシェイルくらいの体重なら軽いし、いい運動になるから」


 にこやかに笑い、カエティスは尚も両手を広げる。


「ほら、おいで」


 笑うカエティスに申し訳なさそうに頷き、ミシェイルはしがみついていた木の枝から飛び降りる。

 飛び降りるのを認めて、カエティスは少し広げた足を踏ん張り、ミシェイルをしっかりと受け止めた。

 踏ん張りが足らなかったのか、カエティスは地面に尻餅をついた。


「ふぅ。ミシェイル、怪我はない? 大丈夫?」


 ぎゅっとしがみついたまま離れないミシェイルの頭を撫で、カエティスは聞く。


「うん……大丈夫。でも、怖かったよぉ~」


 木の枝から離れたこと、カエティスが助けてくれたことに安堵したのか、ミシェイルは泣き出した。


「良かった。ミシェイル、頑張ったね」


 しがみついたまま泣くミシェイルの背中を優しく撫で、カエティスは穏やかに言った。


「ところで、どうして木に登ったんだい? ミシェイル」


 泣き止むのを待ち、カエティスはミシェイルに尋ねた。


「あそこの木に、巣があるの」


 自分が先程までいた木の枝をミシェイルは指を差す。

 ミシェイルの小さな指が差す場所をカエティスも見つめる。

 木の枝に小さな巣があり、二、三羽の鳥の雛が小さな頭を出しているのが見える。


「うん、あるね。雛もいるみたいだね」


「その雛のね、お母さんとお父さんが居ないの。だから、僕みたいにお母さんやお父さんは居ないけど、カエティスお兄ちゃんがいつも僕に優しくしてくれるように、雛にもしてあげたかったの……」


 俯きながら、ミシェイルは小さく話した。

 話を聞いたカエティスはにっこりと微笑み、ぎゅっとミシェイルを抱き締めた。


「良い子だね、ミシェイルは。俺みたいに悪い子じゃないね」


「カエティスお兄ちゃん、悪い子じゃないよ。優しいよ! いつも僕のこと、心配してくれるもんっ!」


「そりゃあ、ミシェイルは弟のような子だからね。年上のお兄ちゃんとしては頑張りたくなるんだよね」


 言いながら、カエティスは分厚い三冊の本を取る。


「さてと。俺は家に戻るけど、ミシェイルはどうする? 司祭様がいる聖堂に帰る? それとも、先生と会う?」


「昨日、会ったけど、先生のところに行く!」


 ミシェイルは元気良く答えた。


「じゃあ、行こうか」


 片手で分厚い三冊の本を持ち、カエティスは空いた片方の手をミシェイルに差し出す。


「うんっ!」


 嬉しそうに大きく頷き、ミシェイルはしっかりとカエティスの手を握る。

 カエティスはミシェイルの小さな歩幅に合わせ、歩き始めた。

 街の外れにあるこの小さな森は、街の者達はあまり足を踏み入れようとはしない。

 どうしてなのかは、まだ子供のカエティスには誰も教えてはくれないのだが、この小さな森には何かがあるらしい。

 気になるところだが、その前に自分のことが気になるので後回しだが。

 今更、自分の両親が気になるというのはないのだが、自分のこの異なる色の目が気になってしょうがない。どうして、何故、他の人と違う色の目をしているのか。


 ――悩みは尽きない。


 カエティスは隣を嬉しそうに歩くミシェイルに気付かれないように息を吐いた。

 小さな森の奥へ進み、二人はひっそりと建つ家に着く。

 そのまま、家の中に入ろうとカエティスは取っ手に触れる。

 その時――。


「……カイ、今日の夕食は何だ?」


 背後から今にも倒れそうな低い声が聞こえた。


「わぁっ?! えっ、先生!?」


 心臓が口から出て来そうなくらいカエティスは驚き、振り返る。ミシェイルはびっくりし過ぎたのか、固まっている。


「び、びっくりしたぁ……。先生、さっき昼食を食べたばかりじゃないですか」


 目の前にのっそりと立つ黒い髪、赤い目の人にカエティスは言う。


「阿呆。カイ、お前が街に繰り出した後、ここで何があったのか知らないからそう言えるんだ。先生はなぁ、ここで司祭のベルと共に魔物と戦っていたんだよ。だから、疲れた。夕食」


「……カリン先生、また魔物が来たんですか。俺、また呼び寄せちゃいましたか……?」


 申し訳なさそうに言い、カエティスは俯いた。


「いや。今回は違う。たまたまやって来ただけだ。お前が呼び寄せたのなら、お前がいる時に来るだろ」


「そうですね……」


「そんなことは置いて。今日の夕食は何だ?」


「う~ん。スープと何か肉料理はどうです?」


 カエティスの提案に彼の先生――カリンはニヤリと笑う。


「おっ、いいねー。ミシェイル、お前も食べるだろ? カイの手料理」


 ミシェイルの頭を撫でながら、カリンは聞く。


「食べるー!」


「いい返事だ。という訳だ、カイ。ほら、作れ」


 ミシェイルの頭を掻き回しながら、カリンはカエティスに言う。


「……カリン先生。ミシェイルをけしかけないで下さい。ちゃんと作りますから」


 大きな溜め息を吐き、カエティスはドアを開けようと手を伸ばす。

 その時、また背後から声が聞こえた。


「カーテリーズっ!」


「ん? 誰だ、人の名前を呼び捨てにした挙げ句、夕食を邪魔する奴は」


 ムッとした様子で眉を寄せ、カリンは振り返った。

 振り返ると、慌てた様子の金色の髪、緑色の目の司祭が立っていた。


「――って、何だ。ベルナートか。どうした? 恋人でも出来たか?」


「そんなことで君のところに慌てて行くかっ! いや、行くな。私の場合。うん。って、それどころではない! 今すぐカエティス君を連れて逃げろ、カリン」


「は? 何でカイを連れて逃げないといけないんだ? ベル」


 腕を組んで、カリンは走って来たらしく肩で息をしているベルナートに聞く。


「ワルト伯爵がカエティス君目当てでここに来られるらしい」


「え、何だって? あの頭上が突風後の地面みたいな、とてつもなく同情というか哀れみを感じる、丸いオッサンが来るのか? しかも、ウチのカイを狙って?」


「何となく言いたいことは分かるが、その言い方はどうにか出来ないか」


「まぁ、いいじゃないか。聞いてるのはここにいる四人だけだし」


 溜め息を吐き、呆れたように頭を緩く振るベルナートにカリンは快闊に笑う。


「……で、ウチのカイを狙う丸いオッサンは何時ここに来る? っていうか、あの丸いオッサンは懲りないな。何度も返り討ちにしてやったのに」


 カエティスとミシェイルの間に立ち、二人の肩に手を置きながらカリンは問い掛ける。


「もうすぐここに来られるらしい。ただ、今回は本人ではなく、伯爵の部下が来られるという話のようだよ」


 カリンの後半の言葉はしっかりと流し、ベルナートは答えた。


「部下、ねー。あの丸いオッサンにちゃんと部下がいたんだ。まぁ、ここはウィンベルク公爵が治めているから、頭の悪い丸いオッサンでも流石に本人が行ったらマズイって分かったか」


「前は別の街で襲って来たからな。でも、今回は本人ではなくても、部下が何をするか分からないんだ。だから」


「だから、逃げろって? 冗談は休み休み言え。逃げるだなんて趣味じゃない。どうせ逃げても追い掛けて来る。だったら、ここで返り討ちにしてやった方がいい。大体、ここは私とカイの家だぞ。逃げる必要が何処にある」


 ベルナートの言葉を遮り、カリンは憤慨した。


「だから、ひとまず逃げろと私は言いたいんだ。もし、この家を占領されても、君くらいの剣の腕なら取り返すのは余裕だろ」


「まぁ、大勢いても確かに楽勝だね。だったら、ここで迎え撃てば早いじゃん」


「迎え撃ってる間に、カエティス君が拐われたらどうするんだ」


「カイが拐われる? 寝言は寝てから言えよ。カイは自慢の弟子で、血の繋がりはないが自慢の息子だぞ。あの丸いオッサンの部下にカイが負けるか」


 自慢げに言いながら、カリンはカエティスの頭を撫でる。

 カリンに撫でられているカエティスも嬉しそうにはにかむ。


「待て待て待てっ。カエティス君は剣を握ったことがないだろ。勝てるというその自信は何処から出て来るんだ。カーテリーズ」


「剣を握ったことがなくても、木の枝や他の物とかで教えられるだろ。剣技以外のものもあるじゃん」


「いや、確かにそうだが……。剣技を教えているのか?」


「ふっ、秘密だ」


 前髪を掻き上げ、カリンは口元に笑みを浮かべる。


「……本当に教えているのか?」


 長い付き合いなのか、誤魔化しているように見えるカリンに目を細めてベルナートは疑うように聞く。


「…………」


 カリンは彼に目を合わせないように顔を逸らす。


「…………」


 ベルナートもじっとそんなカリンを尚も目を細めて見る。


「……いつも素振りしてるのをじっくり見ていたんだよ、カイが」


 ばつが悪そうに頭を掻き、カリンは観念したように呟いた。


「……それでカエティス君は強いと言ったのか。見ていたからといって、そう簡単に強くなるか!」


「お前、知らないのか? 上手い人の動きを見て、覚え、盗むのも訓練の一つだぞ」


「それは基礎が出来てからの話だろ。順序が違うだろ!」


「私は人のを見て覚えたぞ」


 怒鳴るベルナートに驚いたミシェイルの頭を安心させるようにぽんぽんと軽く叩きながら、カリンは言う。


「……それは君が『アイサリスの戦女神』という異名を持つ程の才能があるから出来ることだろう」


 ベルナートはああ言えばこう言う相手に溜め息を吐きながら返す。

 ベルナートの言葉を聞き、カリンは嫌そうに顔を顰める。


「おいおい、ここはクウェール王国だぞ。とうの昔に国を出た私に今更、そんな異名使えないだろ。知ってる奴ももうほとんどいないよ」


「だが、そんな君に私は命を救われた。私以外にもたくさんいるはずだよ」


「……ああ、もう、話が逸れてるぞ、ベル。はい、この話は終わり。話を戻して、いつ、あの丸いオッサンの部下は来るんだ? 夕食前か? 後か?」


 穏やかに微笑むベルナートから目を逸らし、照れ隠しなのかカリンは早口で聞く。


「私の部下の話だと、もうすぐここに来られるようだよ。一応、ウィンベルク公爵に用事という名目で」


 照れを隠すカリンに笑みを零しながら、ベルナートは告げる。


「そうか。じゃあ、食前の運動か。カイ、あの丸いオッサンの部下が来たら、ミシェイルと小屋に隠れてろ。いいな?」


「え、でも、相手が前みたいに術者だったら、先生一人じゃ……」


 心配そうに、カエティスは育ての親を見上げる。


「そんなに心配しなくても、問題ない。ベルが手を貸してくれるそうだからな」


 勝ち気な笑みを浮かべ、カリンは親指でベルナートを差す。


「えぇっ?! 私も貸すのか……あ、いやいや、カエティス君、カーテリーズの言う通りだよ、うん」


 心配そうに尚も見上げるカエティスの異なる色の目と、ミシェイルのつぶらな緑色の目とぶつかり、ベルナートは諦めたように頷いた。


「だから、私の分の夕食も作ってもらえないかな?」


 安心させるように微笑み、ベルナートはカエティスの金色が混ざった赤い髪を撫でる。


「もちろん! スープと肉料理ですけど、いいですか?」


 大きく頷き、カエティスは確認する。


「いいねー。美味しそうだ。楽しみにしてるよ」


 カエティスとミシェイルの頭を撫で、ベルナートは微笑む。

 そして、二人が小屋へ入るのを見送った。


「……さて。食前の運動だが、話によるともうすぐここに来られるようだが、どうかな」


「どうかなって、ベルがそう言ったんだろ。ちゃんと最後まで責任を持て。私みたいに」


「ちょっと待て。最後まで責任を君が持ってるだって? 何処がだ。いつも厄介事は私に押し付けるじゃないか」


「何を言っているんだ。ちゃんと責任持って育ててるではないか。カイを」


 自信満々に胸を張り、カリンは言い放った。


「……あの子のおしめを替えたのは私だぞ」


「それはベルがどーしてもやりたいって、言ったから任せたんだろ」


「ふざけるな。私は一言もそんなこと言った覚えはないぞ」


 のらりくらり躱そうとするカリンを睨みながら、ベルナートは強く言う。


「あっはっはー。ベルってば、女々しいー。小さいことを根に持ってるな~」


 ニヤニヤと笑いながら、カリンはベルナートの背中をバシバシ叩く。


「……私が司祭ではなく、更には君が男だったら殴ってるところだぞ」


 苦い顔をしてベルナートは呟く。


「残念だったな。まぁ、私が男で、殴られるとしてもベルの拳は避けられるけど」


 避けられなかったら戦場で戦えないね、と付け加え、カリンは腰に掛けている愛用の赤い玉が嵌め込まれている剣の柄を握る。


「……赤眼の剣、か。ということは今回は珍しく本気を出す気かい? カーテリーズ」


 カリンの腰に掛けてあるもう一振りの剣に目を向け、ベルナートは尋ねる。

 こちらは銘のないただの鋼の剣だ。普段はこの剣を使う彼女だが、今回は何故か愛用の剣を使おうとしている。

 それがベルナートの心に少しだけ、不安を掻き立たせた。


「……うーん、何というか、さっきから嫌な気配がするんだよな。ウチの自慢の息子の何かを知ってますって感じの嫌な気配。しかも、あわよくばその何かを利用しますって感じの」


「それはどういう意味だ? カエティス君には何か秘密があるのか?」


「秘密という訳ではないけど、私以外の奴は知らないことはあるな、うん」


「知らないこと……? どういうことだ?」


 眉を寄せ、ベルナートは腕を組む。


「その話はまた後でな。面倒臭い客が来た」


 笑みを浮かべ、カリンはベルナートに街とは反対方向からこの小さな森へと続く道を示す。

 ベルナートはカリンが示す方向に目を向ける。

 茶色い染みがところどころ付いている薄汚い服装の男達がこちらへ向かって歩いて来る。

 茶色い染みが気になり、ベルナートは目を凝らし、その染みの正体を知り、驚いた。


「血……」


 瞠目したまま呟き、ベルナートは立ち尽くす。


「あいつら、顔に生気がないぞ」


 茶色い染みに気付いているのか、気付いていないのか、カリンは眉間に皺を寄せて言う。

 言われて初めてベルナートはこちらへ向かって歩いて来る男達の顔色に気付いた。

 そして、彼等が手にそれぞれ武器を持っていることにも気付いた。その武器を持つ手、刀身にも血がこびりついている。


「うーん……顔色とか見ても、相手に怪我を負わせました、っていうようには見えないんだけどな。何があったんだ?」


 警戒するように愛用の剣の柄から手を離すことなく、カリンは男達を見る。


「何かに操られてるとかはないか? 例えば、他国からカエティス君を狙ってやって来た術者とか」


「操られてるのは当たりかもな。でも、他国はないな。クウェール王国にはあの丸いオッサンとかいるけどさ」


 ゆっくりとやって来る男達を見つめ、カリンは答えた。が、そこでふと思い出したように付け加える。


「……あ。アイサリスなら居るかもなぁ……。一回、カイと一緒に行ったから。でも、アイサリスにはそんな術はないぞ」


「……そうか。とりあえず、相手の様子や捕らえてから判断するしかないな」


 長い息を吐き、ベルナートは組み立て式の錫杖を懐から取り出し、先端を伸ばした。


「そうだな。はぁー、面倒臭いが、大事な息子と夕食の為に頑張るぞ」


 そう言って、カリンは愛用の剣を鞘から抜き払う。珍しい赤い色の刀身が露になり、赤いオーラのようなものが立ち込める。


「とりあえず、相手を気絶させて、事情を聞くことにするから、無茶するなよ、ベル」


「そのセリフ、そっくりそのまま返すよ。君にこそ言いたい言葉だね」


 錫杖を構え、ベルナートはいつ襲って来るとも知れない男達を警戒しながら返す。


「私が無茶? ないない。アイサリスでもしたことがないって」


「そうだな。いつも無茶してるから分からないよな」


 何度も頷き、ベルナートは錫杖を地面に刺す。


「変な納得の仕方をするのやめてくれないか、ベル」


 ムッとした顔でカリンは不満を呟く。


「ははっ、君は本当に面白いなぁ。おっと、動いたぞ。カーテリーズ」


 爽やかな笑みを浮かべた後、ベルナートは地面に刺した錫杖を抜き、構えた。

 大分離れた位置にいた男達がこちらに向かって走って来る。

 それを見つめ、カリンはやる気のない目で頭を緩く振る。


「はぁー、面倒臭いがやるか。相棒、今回は気絶な、気絶」


 柄に軽く口付け、カリンは愛用の剣に言う。

 それに応えるかのように赤いオーラがカリンを柔らかく包む。


「さぁ、美味しい夕食の為、とっとと終わらせるぞ」


 足を広げ、腰を低く落とした体勢でカリンは愛用の剣を右手に持つ。そのまま、剣先を斜め下に向け、風のように駆けた。

 男達もカリンの動きに応じようとそれぞれ武器を構える。


「へぇ、生気がない割にはやる気じゃん」


 不敵な笑みを浮かべ、カリンは更に速度を上げる。


「でも、残念だけど、そのくらいの武器では私は倒せないな」


 そのままの速度でカリンは男達の武器に向けて、愛用の剣を薙ぎ払う。

 速さと力が相まって、男達の武器が悲鳴を上げ、壊れる。

 しかし、武器が壊れ、使えなくなったにも関わらず、男達はカリンに襲いかかる。


「おいおい。武器が壊れてるのに襲いかかるのかよ。仕事熱心だなぁ」


 壊れた武器を振り回す男達の攻撃を余裕な表情で避けながら、カリンは息を吐いた。

 息を乱すこともなく攻撃を繰り出す男達を避けながら、彼等を見てカリンはふとあることに気付いた。


「ベルっ、こいつら、やっぱり操られてるぞ。しかも、死人だっ」


「……何だって? どうして死人が?」


 こちらも錫杖で武器を壊していたベルナートが驚きに目を見開く。


「そんなこと私が知るかっ。こっちも教えて欲しいね」


「死人がどうして、カエティス君を狙う?」


「狙うっていうか、寄せられてきたのかもな」


「……そうかもしれないな。だが、ワルト伯爵が絡んでいるのはどう説明するんだ?」


 錫杖で男を押さえ付け、ベルナートは隣で壊れた武器の残りの部分も粉砕するカリンに尋ねる。


「そこなんだよな。流石の私も分からない」


「――それは私が答えよう」


 別の男の声が聞こえ、カリン達はそちらに目を向けた。

 木々の間から男がカリン達の方に向かって堂々した態度で歩いて来る。


「ワルト伯爵……」


 驚きの声で、ベルナートが呟く。


「おいおい、オッサン。珍しいな、いつもなら木の影から指示するだけなのに、どういう風の吹き回しだ? 変なモノでも食べたか?」


 人を見下すような、挑発するような言葉を吐き、カリンはその珍しい赤い目を細める。

 軽口は叩くが、人を見下すようなことはしないカリンが唯一、見下す男、ワルト伯爵をベルナートも見る。


「私はな、高貴な存在に生まれ変わったのだよ。アイサリスの戦女神」


 両手を広げ、ワルトは感嘆の声を上げる。


「……生まれ変わったとか言ってる割には、頭上は嵐が過ぎた後みたいなのは変わってないんだな。もう少し分かりやすい変化を見せて説明してくれよ、オッサン」


 カリンの軽口に、ベルナートは思わず噴いた。

 肩を震わせ、必死に堪えようとするベルナートに気付き、ワルトはこめかみに青筋を立てる。


「……笑っていられるのも今のうちだ。もうすぐお前の息子が我が手に入るのだからな」


「あー、それはないない。例え、世界がひっくり返ってもないね。ウチの息子は良心がしっかりあるし、育ての両親も危ないオッサンには近付くなってしっかり言ってるからな」


「では、その世界をひっくり返そう。アイサリスの戦女神、お前の息子――神の落とし子を使って!」


「……は? カエティス君が神の落とし子? カーテリーズ、そうなのか?」


「まさか。私はあの子の本当の両親を知ってるが神じゃない。あのオッサン、何を勘違いしてるんだか」


 肩を竦めて、カリンは残念な頭だな、と呟く。

 そして、カリンは愛用の剣の先をワルトに向ける。


「ま、とにかく。私は早く息子の愛情たっぷりな夕食を食べたいんだよね。だから、早くかかって来いよ。返り討ちにしてやるから」


 挑発も含めて、カリンはワルトに言う。

 小屋の煙突からスープの良い匂いが鼻をくすぐり、腹がより一層、空だと主張する。


「ハハハ、そう焦るな。焦って何も良いことは起きないぞ、アイサリスの戦女神」


 下卑た笑みを浮かべ、ワルトは右手を挙げた。

 挙げたのと同時に、絶叫が背後から聞こえた。ベルナートの声だ。


「ベルっ?!」


 ぎょっとして振り返ると、ベルナートが倒れていた。彼の周りを見ると、先程倒したはずの男達が手に新たな武器を持ち、立っていた。


「おいっ、ベル! 大丈夫か?!」


 慌てて駆け寄り、カリンはベルナートの様子を確認する。

 何処に隠してあったのか、新たな武器で男達はベルナートを刺したようだ。

 カリンはベルナートの首筋に手を当てる。血が流れているが、脈はしっかり打っている。

 ほっと息を小さく洩らし、刺された腹に右手を当てると柔らかい光が現れる。


「……カーテリーズ、済まない。油断した」


 痛みに耐えながら、ベルナートはか細い声で囁く。


「気にするなって。誰でも油断はするさ。とりあえず、止血はしといた。後は任せて眠っとけ」


 不敵な笑みを浮かべ、カリンはベルナートに言う。

 その間にも、男達が攻撃を仕掛けて来たが、そちらに顔を向けることもなく左手で持った赤眼の剣で防ぐ。


「あ、でも、そこで眠られても困るから、小屋に行け。カイを呼ぶから」


 そう言って、カリンは本当にカエティスを呼ぶ。

 呼ばれたカエティスは扉の取っ手を持ったまま、ベルナートを見て、固まる。


「先生! 司祭様!」


 固まるがすぐに我に返り、カエティスはカリンとベルナートに駆け寄る。


「カイ、ベルを小屋へ連れて行け。ベルをベッドに寝かせた後は私が呼ぶまで出て来るな。いいな?」


 カエティスの頭を撫でながら、カリンは男達を赤眼の剣で弾き飛ばす。


「先生。カリン先生は大丈夫なんですか……?」


「私を何だと思ってるんだ。お前の育ての母親で、師匠だぞ。あんな竜巻が過ぎた後の切ない荒野な頭のオッサンに負けるか」


 尚も不敵な笑みを浮かべ、カリンはカエティスの水色の右目、銀色の左目をいとおしそうに見つめる。


「余裕だから、そこのもうすぐのびそうな司祭を連れて行け」


 カエティスの右肩にベルナートの右手を乗せてやり、カリンは急かした。


「はい。先生、気を付けて」


「それはそこのへたれた司祭に言ってやれ」


「……カリン、無茶するなよ」


「余裕だっての。そっちこそ大人しく休めよ、ベルナート」


 お互い見つめ合い、二人は笑みを溢した。

 そして、カエティスに支えられ、ベルナートは小屋に入った。

 小屋に入ったのを認めて、カリンは愛用の剣を片手に、ワルトの方を向いた。


「――待たせたな。本気で掛かって来ないと、本当に返り討ちだぞ、オッサン」


 そう言って、カリンは愛用の剣を構えた。





 ベルナートを運び、ベッドに寝かせたカエティスは心配そうに窓の外を見た。

 この位置からはカリンの様子は分からない。

 心配で堪らないカエティスを不思議そうに、ミシェイルが見上げる。


「カエティスお兄ちゃん?」


「うん? どうしたの、ミシェイル」


「だいじょうぶ?」


 小首を傾げ、ミシェイルはカエティスを心配そうに見つめる。


「うん、俺は大丈夫。でも、先生が心配なんだ。だから、ミシェイルは司祭様を看ててね」


 そう言って、カエティスは首から提げている銀色の玉の首飾りを外し、ミシェイルの首に掛ける。


「お守りだよ。何かあったらこのお守りが守ってくれるから」


「カエティスお兄ちゃん!」


「大丈夫。カリン先生を見に行くだけだから」


 心配そうに見上げるミシェイルの頭を撫で、カエティスは小屋から出た。






「……へぇー。やるじゃん、オッサンの部下」


 息を乱すこともなく、不敵な笑みのまま、カリンは呟く。

 愛用の剣から赤いオーラが立ち込め、彼女の足下には武器を持ったまま男達が倒れている。

 ピクリとも動かない男達を見ても、ワルトは表情を変えない。


「珍しいな。オッサン、いつもなら部下がやられると狼狽えてたのにさ」


 不敵に笑い、カリンは言う。

 赤眼の剣の長い柄を肩に置き、カリンはワルトを不敵な笑みのまま不審な目を向ける。


「だから言っているではないか。私は生まれ変わった、と」


 両手を広げ、ワルトは恍惚とした顔で言う。


「その顔で高貴な存在、とか言うなよ。高貴な存在というのはな、顔に嫌味が出てないんだよ。私の知り合いの王様が正に高貴だよ。高貴とはかけ離れてるね、オッサンは」


 そう返し、カリンはワルトに一歩、一歩とゆっくり近付いた。

 そして、ワルトに剣が届く距離――間合いで止まり、カリンが口を開いたその時だった。


「カリン先生、危ないっ!」


 声変わりがまた始まっていない澄んだ少年の声が響き、カリンの脇腹に衝撃が襲う。衝撃と共に倒されたカリンはすぐに跳ね起き、その正体を見つめた。


「――なっ、カイ! お前、どうしてここに……!」


「先生、あの人に近付かないでっ!」


 慌てた様子で、カエティスはカリンの膝に乗ったまま叫んだ。


「……は? どうして、そんなこと言うんだ、カイ?」


「あの人の周りに黒い霧みたいなのがあるんです。それがさっき先生にくっつこうとしたから……」


「黒い、霧……?」


 カリンはワルトに目を向け、じっと見つめる。

 目を凝らすカリンだが、眉を寄せて首を傾げるだけだった。


「カイ、黒い霧は見えないぞ」


 息子に目を戻し、カリンは立ち上がる。

 カエティスを地に立たせ、倒れた拍子に落としてしまった愛用の剣を拾う。

 それと同時に、またカエティスが引っ張る。


「ちょっと、カイ。いきなり引っ張……」


 引っ張るカエティスを叱ろうとして、カリンは途中で口を閉じた。


「……おいおい、何だよ、これ……」


 ワルトの周りに漂う黒い霧を呆然と見つめ、カリンは呟いた。

 いきなり見えるようになったことをカリンは不審に思った。

 そして、何故、見えるようになったのか、その理由に気付いた。


「カイ、お前にはこれがちゃんと見えているのか? だから、私の手を握って見えるようにしてくれたのか?」


 カリンの問いに、カエティスは小さく頷いた。見せたくなかった、と表情が語っている。

 カリンは苦笑し、無言のまま、こちらに攻撃を仕掛けて来ないワルトを静かに見た。

 彼も、先程の男達と同じで顔色が悪い。

 そのことにやっと気付いた。


「……そうか。お前がちゃんと見えてるなら私に何があっても大丈夫だな」


 カリンの言葉に、俯いていたカエティスは弾かれたように育ての母を見上げた。


「先生?」


「カイ、お前はちょっと離れておけよ。おかーさんが、あのオッサンを完膚なきまでに打ちのめしてやるからなっ」


 不敵な笑みを浮かべ、カリンは疾風の如くワルトとの間合いを詰めた。

 愛用の剣から赤いオーラが残像のように直線を描く。


「何に囚われ、何に乗っ取られたのか知らないが、私の息子には指一本触れさせないからな、オッサンだった奴!」


 カリンはそう叫び、愛用の剣を下から上へと振り上げる。

 腕力と速さが相まって、ワルトがいつの間にか持っていた剣が砕ける。

 そのまま、カリンはもう一度、下へ振り下ろす。

 ワルトの身体が二つに分かれる。

 血が、赤眼の剣が放つオーラに当たり、蒸発する。

 二つに分かれたワルトの身体が地面に当たる。

 そのまま、ワルトは動かなくなった。


「……来世では、ちゃんと全うに生きろよ、オッサン」


 剣を小さく振り、カリンはワルトに向けて呟いた。

 そして、ワルトに背を向け、カリンはカエティスの元に歩こうとした、その時だった。


「――っ?!」


 胸に衝撃が襲い、カリンは口を押さえ、地面に膝をついた。

 カリンの手から滑り落ち、赤眼の剣が渇いた音を立てる。


「先生っ!!」


 悲鳴に近い声で叫び、カエティスはカリンに駆け寄った。


「カイ、来るなっ!!」


 怒鳴るように叫ぶカリンに驚いて、カエティスはびくりと身を強張らせ、足を止めた。


「……カイ、絶対に来るなよ。危ないから」


 苦しそうに顔を顰め、カリンはカエティスに言う。


「でもっ!」


「お前には見えただろう? 私の中にあの得体の知れん黒い霧が入ったのを……」


 カリンの問いに、カエティスは何も言えなかった。答えられなかった。


「なら、分かるだろう? あのオッサンもお前を求めて来た。私の中に勝手に入って来た奴もお前を何故か求めてる……お前に何をするのか分からない」


 そこで一度、言葉を止め、カリンは笑った。

 いつもの、自信に満ちた不敵な笑みを。


「……勝手に入って来たとは言え、流石に自分の息子に手を掛けるのは嫌だからな。だから、カイ。頼みがある」


「……えっ?」


 苦しそうに顰めていた顔を抑えるように、カリンはカエティスを真っ直ぐに見つめる。


「――私を殺せ」


 カリンの言葉に、カエティスは大きく目を見開いた。


「嫌だっ!」


 そして、カエティスは即答した。


「……だよなぁ。私もカイの立場だったらそう言うよなぁ。だけど、それは駄目だ。あと、少しで、私が消える。その前に、死なないとお前を守れない」


 胸を押さえたまま、カリンは落とした赤眼の剣を拾い、地面に突き刺す。


「だから、カイ。この剣で私を刺せ。この剣は浄化の剣だ。穢れたモノを浄化する。この剣で刺せば、私はお前をこの手に掛けなくて済む」


 静かに、カリンはカエティスを見つめた。

 赤い目が、カエティスの泣きそうに揺れる水色の右目と銀色の左目とぶつかる。


「……お前には辛い思いをさせるのは分かってる。だけど、これしか方法がない。こんなに大きくなるまで育てた大事な息子を、育てた私が……殺したくない」


 カリンの目から光が流れた。

 それにカエティスは気付いた。

 白くなるまで手を握り、カエティスは俯いた。

 柔らかな風が、悲しげにカエティスの金色が混ざった赤い髪を撫でる。

 ゆっくり、静かに顔を上げ、カエティスはカリンの元へ歩く。

 カリンが刺した赤眼の剣の柄に触れる。


「……先生……」


 必死に泣くのを堪え、カエティスは呟いた。


「――うん。それでいい。相棒、お別れだ。これからは息子を……カエティスを守ってくれ」


 柔らかく微笑み、カリンは柄を握るカエティスの手を覆うように握る。

 別れを惜しむように、赤眼の剣が放つオーラがカリンを優しく包む。


「――ありがとう、相棒。さぁ、カイ」


 地面から一緒に赤眼の剣を抜いてやり、カリンは立ち上がり、カエティスに言った。


「狙うのはここだ。いいな?」


 カリンは苦しさをカエティスに見せないように、不敵な笑みを浮かべる。

 口を強く結び、カエティスは母の愛用の剣を構えた。

 そして、カエティスは駆けた。

 そのままの勢いで、カエティスは真っ直ぐカリンが示した胸に切っ先を向ける。

 衝撃が身体中に行き渡る。

 カエティスは震えながら、柄を握ったまま、三歩退いた。


「先生っ!」


 赤眼の剣を地面に置いて、倒れるカリンの元へ走る。


「先生、カリン先生っ!」


 無造作に投げ出されたカリンの手を握り、カエティスは叫んだ。


「カイ、よくやった。流石、私の息子だ。腕が良いよ」


 我慢していた涙が抑えられなくなり、泣くカエティスにカリンは微笑み、頭を撫でる。


「……ごめんなさい、先生。ごめんなさい……」


 手を握ったまま、カエティスは泣きながら謝る。


「お前が謝らなくていいよ。お前のせいじゃない。全部、あいつのせいだ」


 赤眼の剣の効力で浄化され消えていく黒い霧を見つめながら、カリンは告げた。

 完全に消えたのを確認して、カリンはカエティスを見つめた。


「……カイ。私が死んでも後を追おうとするなよ」


 カリンの言葉に、カエティスは目を見開いた。


「……やっぱり考えてたか。それじゃあ、私が死ぬ意味がないだろ、阿呆」


 カエティスの頭を掻き回し、カリンは息を吐いた。

 同時に咳き込み、血を吐く。

 カエティスは慌てて懐から布を取り出し、カリンの口の周りを綺麗に拭く。


「ありがとう、カイ。あのな、カイ。私を慕ってくれてるのはとても嬉しい。母親冥利に尽きるってもんだ。だけどな、それじゃあ、駄目なんだ」


「……どうして、駄目なんですか……」


 大きな涙を溜め、カエティスはカリンを静かに見つめる。


「――お前は、次の命に何かを伝えるまでは死ぬ気で生きないといけない。だから、お前は生きなさい」


 強く、優しい目でカリンはカエティスに告げた。


「……次の、命……? 俺、何を伝えればいいんですか……」


「それは自分で考えろ。私はちゃんとお前に伝えたはずだぞ」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、カリンはカエティスの頬に触れる。


「……カイ、お前は剣を握るなよ。剣を握らずに済む生き方をして欲しい……。でも、もし、握らないといけない時があったら、大切な人達を守る為に握りなさい」


 カエティスの手を強く握り、カリンは告げる。剣だこが出来たカリンの暖かい手から、柔らかい小さな光がカエティスの手に伝う。

 そして、カリンは両手首から細かい紋様が刻まれた腕輪を外し、カエティスに渡す。


「これを付けろ、カイ。これは私の家が代々受け継がれた物だ。お前の、強すぎる魔力を抑える効力を持つ腕輪だ。私にはもう必要ないものだからな。私だと思って、持っていて欲しい」


 頷くのを認め、柔らかく微笑み、カリンは両手でカエティスの頭を胸に寄せる。


「……せ、先生……お母さん……」


 ぎゅっと手を握り、カエティスは涙をぼろぼろと流す。


「……お母さん、か。嬉しいなぁ。お前に出会えて、お前が、息子で本当に良かった」


 同じようにカエティスの手を握り、カリンも涙を流す。


「――カイ、カエティス……。お前は私の誇りだ。私の代わりに、絶対、幸せになれよ。それが私の……」


 そこで言葉が止まった。

 ぱたりとカエティスの頭を抱いていた手が落ちる。

 カエティスはゆっくりと起き上がる。

 ぼろぼろと涙を流しながら、カエティスは絶叫した。

 その声に反応したのか、消えたはずの黒い霧が現れた。


『見ツケタ。神ノ落トシ子……。私ノモノダ。お前ノ魔力ヲ奪イ、私ガ女神ヲ手ニ入レルノダ』


 嗤う声が響き、カエティスはゆっくり立ち上がる。


「……そうは、させないよ」


 地面に置いていた母の愛用の剣を手に取り、カエティスは黒い霧を見据える。


「……神の落とし子だか、何だか知らないけど、そんな身勝手な理由で、お母さんを死なせた罪は重いよ」


 静かな怒りを目に宿し、カエティスは赤眼の剣を構える。


『赤眼ノ剣カ。無駄ダ。ソノ剣ハ赤イ目ノ者ニシカ応エナイ。残念ダッタナ』


 黒い霧が赤眼の剣を構えるカエティスにせせら笑う。


『ソレニ最終的ニ母ヲ死ニ追イヤッタノハオ前ダ。神ノ落トシ子』


 黒い霧の言葉に、カエティスは身を強張らせる。


「そんなことは百も承知だ」


 赤眼の剣の柄を強く握り、カエティスは黒い霧を見据える。


「……だから、俺のような子が増えないように、ここで終わらせるっ」


 乱暴に涙を袖で拭き、カエティスはカリンの亡骸の前に立つ。

 カエティスの言葉に応えるかのように、赤眼の剣が強く赤いオーラを放つ。


『ヤレルモノナラヤッテミロ、神ノ落トシ子』


 黒い霧はせせら笑い、倒れていた男達の中に分散して入る。

 入ったのと同時に、男達は立ち上がり、カエティスに近付く。

 カエティスは口を引き結び、剣を構え直す。

 ちらりと育ての母の亡骸を見る。

 優しげに満足したように安らかに眠る母を、カエティスは優しい表情で見る。


「……先生、俺、剣を握らない約束、もう破っちゃいそうです」


 カリンを見て落ち着いたのか、カエティスは近付く男達に目を戻し、相手の動きを窺う。

 死した身体の男達が掠れた声で嗤う。まるで、死への歌声のような声で嗤う。

 それぞれカリンに壊されたはずの武器を構え、男達はカエティスに近付く。


「……神の落とし子……」


 同時に男達が声を合わせる。

 不快な声に、カエティスは眉を寄せる。


「大人しく我が手に……!」


 声と同時に男達がカエティスに向かって飛ぶ。


「なるかっ!」


 カエティスは赤眼の剣を上段に構え、そのまま力任せに振る。

 男達の攻撃をその珍しい赤い刀身で防ぐ。

 振った勢いで男達も、カエティスも飛ぶ。


「いたた……。やっぱりまだちゃんと振れないか……」


 尻餅をついたカエティスは立ち上がり、赤眼の剣をもう一度構える。

 その時、視界の端で、男達の内の一人が眠るカリンに近付いているのが見えた。


「先生に触るなっ!」


 叫びと共に、カエティスの身体から白い光が男に向かって走った。

 白い光が男に当たり、絶叫する。

 驚いたカエティスは呆然と自分の手を見つめた。


「……今の、何? 俺が出したの?」


 地面に座り込み、カエティスは手をただ呆然と見つめる。


「おのれ……余計なことを……。お前の母が動くかもしれないというのに」


「動くって、それ、先生じゃないだろ。あんただろ。その穢れた手で先生に触るな」


 ゆっくり立ち上がり、カエティスは睨む。


「穢れてるだと? 私は女神を手に入れる高貴な存在だぞ?!」


 眉を寄せ、カエティスは訳が分からないと言いたげな顔をする。


「女神? 俺はその人を知らない。でも、そんなに欲しいなら、人の力じゃなく、自分の力で手に入れてみろよ!」


 飛んで襲って来る男達の武器を赤眼の剣で防ぎ、カエティスは叫んだ。

 横から迫るナイフを紙一重で躱す。

 背後から今度は足が伸び、背中を蹴られる。

 地面に当たり、一瞬、息が止まる。

 咳き込みながら、カエティスは赤眼の剣を杖代わりに立ち上がり、息を整える。


「……考えろ、先生はいつもどうしてた……?」


 そう呟き、カエティスは目を閉じる。

 目を開け、カエティスは腰を低く落とし、子供には重く、大きな赤眼の剣を両手で構え直す。

 こちらへ走って来る男達の攻撃を赤眼の剣でまた防ぐ。が、相手は死者とはいえ大人の男達。腕力には敵わず、今度は赤眼の剣を押し返され、近くの木までカエティスは飛ばされる。

 木にぶつかり、カエティスは地面に倒れる。


「ふん……所詮は子供だ。神の落とし子と言えど、大人には勝てないのだよ」


 優越感に満ちた声音で嗤う。


「……人数揃えて、子供に挑む大人に言われたくないな」


 嗤う声に、育ての母直伝の軽口でカエティスは言い返す。

 よろよろと起き上がり、額に触れる。ぬるりと温かいものと痛みを感じ、手を見る。血が流れている。


「それに俺は神の落とし子とかいう名前じゃない。カエティスって名前で、ただの子供なんだけど」


 痛みで顔を顰めながらも、カエティスは赤眼の剣を握り、言い返す。


「……何だ、お前は何も知らないのか。まぁ、いい。では、カエティス。大人しく我が手に落ちろ」


「だから、ならないって!」


 睨みながらそう言い返し、カエティスは赤眼の剣を振り上げた。

 近くにいた男のナイフを弾き返し、そのままの勢いでまた振り下ろす。

 視界が流れる血で赤くなり、乱暴に袖で拭き、カエティスは上がる息を整えようとする。

 が、間髪入れずに男達は攻撃を仕掛ける。

 男達の攻撃を何とか防ぐが、カエティスはよろめき、近くの木に縋る。

 そのまま、足に力が入らなくなり、ずるずると地面に座り込む。


「……立たないと……」


 小さく呟き、カエティスは剣を杖代わりに立ち上がろうとするが、頭を強く打ったのか立てずに倒れ込む。


「お前はよくやったぞ、カエティス。さぁ、我が手に……?!」


 男達は声を中途半端に言葉を止め、カエティスを凝視する。

 白い光と赤眼の剣の赤いオーラがカエティスを守るように放たれ、男達に向かって走り、彼等に直撃する。


「……おのれ。死んでも邪魔をするか、神!」


「……神?」


 薄れる意識の中、カエティスは驚いた目でこちらを見て苦しそうに呻く男達を不思議に思った。

 何を言っているかはカエティスにはもう聞き取れない。

 必死に耳を傾けるが、そこでカエティスは意識を手放した。






 目を開けると、見たことがあるような、ないような天井があった。


「カエティスお兄ちゃん!」


「ミシェイル……?」


 目の前に心配そうに覗き込むミシェイルがいた。


「気が付いたかい? カエティス君」


「司祭様……」


 同じように心配そうにベルナートがこちらを覗き込む。

 カエティスはのろのろとベッドから起き上がろうとする。それをベルナートが止める。


「まだ休んでおきなさい。まだ頭の怪我が癒えてないから」


「頭の、怪我?」


 まだ朦朧とする頭で、カエティスはどうして怪我をしたのかを考える。


「……司祭様、あれから、何日が経ちましたか?」


 何が起こったのかを思い出し、カエティスは静かにベルナートに問い掛ける。


「……まだ一日だよ」


「一日……」


 心配そうに横で手を握るミシェイルを見て、カエティスは呟く。


「あの、カリン先生はもう……お墓に入りましたか?」


 カエティスは言いにくそうにベルナートの方に顔を戻し、聞く。


「……まだだよ。カエティス君と最期の別れをした方がカーテリーズも良いだろうと思って、聖堂に安置しているよ」


 顔を曇らせ、ベルナートは躊躇いがちに答える。


「そうですか……。ありがとうございます。あの、司祭様、怪我は大丈夫なんですか?」


「ああ、大丈夫だよ。カーテリーズが止血と一緒に傷を塞いでくれていたようだから。それより、君の怪我の方が心配だよ、カエティス君」


 頭に包帯が巻かれてあるカエティスを心配そうにベルナートは見つめる。


「……俺は、大丈夫です。このくらい、どうってことないです」


 カリン先生と比べたら、までは言わず、少し視線を外し、カエティスは答えた。

 そこで、ふと気になったことを聞いてみた。


「あの、ところでここは何処ですか?」


「ウィンベルク公爵のご自宅だよ」


「えっ、どうして、ウィンベルク公爵のところなんですか?」


「――父上の配慮だ」


 扉の方向から声を発し、平然とした態度で少女が入って来た。


「クレハ……」


 部屋に堂々と入り、ベッドまで近付いて来るクレハノールにカエティスは驚く。

 ベッドの前で立ち止まり、クレハノールは横たわるカエティスをじっと見つめる。


「クレハ……?」


 いつもと様子が違うクレハノールにカエティスは戸惑いがちに声を掛ける。


「――すまない、カエティス」


 勢い良く頭を下げ、突然クレハノールは謝った。

 突然のことにカエティスは目を何度も瞬かせる。


「何で、クレハが謝るの?」


「……お前やカリン先生を助けられなかった……」


 俯き、クレハノールはぽつりと呟いた。


「……最近、死んだはずの者達が人々を襲うという話が近隣の街から来ていた。私や父上はそれを知っていた。知っていて尚、この街にはまだ来ないだろうと踏んで、ゆっくり準備をしていたんだ」


 そこで言葉を止め、クレハノールは手を握り締める。


「だけど、昨日、奴等は来た。街にも、お前のところにも」


 クレハノールの言葉に、カエティスは目を見開き、身を起こす。勢い良く起きた拍子に頭を揺らしてしまい、顔を顰める。


「街にも来たの?」


「ああ。だけど、大丈夫だ。お祖父様が浄化してくれたおかげで、怪我人はいない」


「そっか。良かった……」


「――良くない」


 カエティスの呟きにクレハノールが睨むような目で返す。


「クレハ……?」


「怪我人と死者が出たのに良かったとは言えない。それも私の大切な友人とその母親だ。街の者より大切な人達が、怪我をして、亡くなった」


 泣きそうな顔をするクレハノールをカエティスは静かに見つめた。


「すまない、カエティス。私達のせいだ」


「……クレハやクレハのお父さんのせいじゃないよ」


 穏やかに微笑み、カエティスはクレハノールに手を伸ばす。

 安心させるように彼女の手を優しく叩く。

 カエティスの行動にクレハノールは驚きながらも、気が緩んだのか涙を流してしまった。


「……どうせ、自分のせいだ、とお前は言うのだろう? お前はいつも一人で抱え込むから。そういうところはカリン先生にそっくりだ。父上もそう仰ってたぞ」


 涙を袖で乱暴に拭き、クレハノールはカエティスを見据える。


「本当にそっくりだよ、カエティス君とカーテリーズは」


 クレハノールの言いように、静かに聞いていたベルナートが笑う。

 似ていると言われ、嬉しいのだが、この場合、喜んでいいのか分からないカエティスは困ったように頬を掻いた。


「……とにかく。しばらくの間、お前はここにいろ。その頭の怪我のまま、うろつかれたら街の者達が驚く。だからここにいろよ。カエティス、いいな?」


 人差し指をカエティスに向けて、クレハノールは告げた。


「……う、うん……」


「よし。これで怪我が治ったら安心して勝負を挑めるな」


 戸惑いながらカエティスが頷くのを確認して、クレハノールは笑う。


「いや、あのさ、俺は勝負をしないからね。クレハ」


 満足気に何度も頷き、クレハノールはカエティスの言葉を無視して部屋を出て行った。


「……うわぁー……どうしよう。勝手に納得して行っちゃったよ……」


 困ったように呟き、カエティスは布団に顔を埋める。


「……あの子も決断が早いからね。頑張って逃げなさい」


 ぽんとカエティスの肩を優しく叩き、ベルナートは苦笑する。


「うぅ……はい」


 言葉にならず、カエティスは困った顔で頷いた。






 それから次の日。

 カエティスは聖堂に安置されているカリンの亡骸に会った。

 込み上げる涙を抑え、カリン愛用の赤眼の剣を抱えて、カエティスは静かに見つめる。

 その彼の両手首には育ての母から渡された腕輪が嵌められている。

 安らかな、ただ眠っているだけのような優しいカリンの顔をカエティスは静かにじっと目に焼き付けるように見つめる。

 その小さな後ろ姿を心配そうにベルナートが見守る。


「……お母さん。俺、旅に出ます。色々な意味で、もっと、もっと強くなって帰って来ます。そうじゃないと、誰も守れないから……。先生……お母さんとの約束、破っちゃうけど、見守ってて下さい」


 小さく、小さく呟き、カエティスはカリンの組まれた手を握る。血が通わない剣だこだらけの手は冷たく、硬い。

 それでも、カリンの優しさをカエティスは感じた。

 しばらく、カリンを見つめ、カエティスは優しく微笑んだ。

 そして、立ち上がり、カリンに背を向け、ベルナートの元へ歩く。


「……カエティス君、もう、いいのかい?」


「はい。このままずっと先生と一緒にいたら、『めそめそするな。私の息子なんだからしっかりしろ』って、怒られますよ」


 小さく笑みを溢し、カエティスは言う。

 彼の笑みを見て、ベルナートはカエティスを抱き寄せた。


「司祭様?」


 突然のことに驚いて、カエティスは戸惑いながら声を掛ける。


「カエティス君、私の前では我慢しなくていいんだよ」


「えっ?」


 突然の言葉にカエティスは驚いて目を見開く。


「赤ん坊の頃から知ってる君は、私にとっても大事な息子なんだよ。何せ、君のおしめを替えたのは私だからね」


 十歳にしては痩せている小さなカエティスを軽く抱き上げ、ベルナートは微笑む。


「……カーテリーズには、カリンには、最後まで言えなかったけど、私はカリンと君をずっと守りたかった。夫として、父として」


 少しだけ照れくさそうに微笑して、ベルナートは告げる。


「……だから、私の前では泣いていいんだよ。我慢しなくて、いいんだよ」


 優しく囁くようにベルナートはカエティスに言う。その眼差しは本当に優しく、暖かい。

 その言葉に、カエティスは抑えていたものが堰を切ったように溢れ出した。

 ベルナートの首に手を回し、静かに泣いた。


「……先生……お母さん……」


 小さく嗚咽を上げるカエティスの背中を、ベルナートは優しく叩く。

 しばらく、静かに泣いていたカエティスは落ち着きを取り戻し、地に足を付ける。


「司祭様、あの、ありがとうございます……」


 赤く腫らした目でカエティスは笑った。


「どういたしまして。あ、でも、カエティス君。出来れば、私のことはお父さんって言って欲しいな」


 にこにこと笑い、ベルナートはカエティスを見つめる。


「えっ? あ、はい。えっと……お、お父さん……」


 少しだけ恥ずかしそうに、カエティスは呟くように言った。

 言われたベルナートは嬉しそうに笑う。


「嬉しいなぁ。よし、カエティス君。旅に出るまで、お父さんとたくさん話そうか」


「あっ、はい!」


 大きく頷き、カエティスは小さく笑った。





 次の日。

 カエティスはベルナートや聖堂の他の司祭達と共にカリンを墓に埋葬した。

 墓の場所は街の外れにある小さな森の、カリンとカエティスが住んでいた小屋の近くを選んだ。

 よくカリンが剣の素振りや昼寝をしていた場所だ。

 そこが一番、カリンも落ち着くだろうと二人が考えた場所だ。

 埋葬も終わり、カエティスは墓に花を供える。

 しばらく見つめ、カエティスはカリン愛用の赤眼の剣を背中に斜めに掛け、小さな鞄を持つ。


「……お母さん、行って来ます」


 静かにそう告げ、カエティスは墓に背を向ける。


「もう、行くのかい? カエティス君」


「はい……。ずっと居ると引き延ばしてしまいそうなので」


 苦笑いを浮かべ、カエティスはベルナートに近付く。


「……あの、俺が居ない間、ミシェイルとお墓と小屋をお願いします。お父さん」


「もちろん。安心して行っておいで。気を付けて」


 穏やかに微笑み、ベルナートはカエティスの頭を撫でる。その横でミシェイルが別れを惜しむようにぎゅっとカエティスの手を握り締めている。


「はい」


 ベルナートに笑みを返し、カエティスは大きく頷いた。


「ミシェイル、元気でね。また会おうね」


 ミシェイルに顔を向け、声を掛ける。


「やだっ! カエティスお兄ちゃんと一緒に行く!」


「えぇっ?! 駄目だよ。ミシェイルは小さいし、俺、守り切れないよ」


 ぎゅっと手を握って離さないミシェイルに、カエティスは困ったように眉を八の字にする。


「カエティスお兄ちゃんの側に居たいの! カエティスお兄ちゃん、ひとりになっちゃう」


「嬉しいけど、一緒に行くと危ないんだよ。俺、ちゃんと守り切る自信がないよ……」


 困り果てた表情で、カエティスはベルナートを見上げた。


「……連れて行ったらどうだい?」


「えっ?」


 ベルナートの一言に、驚いてカエティスは目を見開く。


「ミシェイル君と一緒なら、君も無茶は出来ないからね。君はカーテリーズに似て無茶ばかりするからね」


「……う」


 無茶をする予定だったのか図星を指され、カエティスは誤魔化すようにベルナートから視線を逸らした。


「ミシェイル君、旅に出る準備は出来てるのかい?」


「うん!」


 大きく頷き、ミシェイルは木の裏にそっと隠していた鞄を取り出す。


「ミシェイル、いつの間に……」


 呆然と鞄を見つめ、カエティスはミシェイルの用意周到さに驚いた。

 輝かんばかりの笑顔を浮かべるミシェイルに、カエティスは諦めたように小さく息を吐いた。


「分かったよ、ミシェイル。一緒に行こう」


 手を差し出し、カエティスは言う。

 ミシェイルはカエティスの言葉に目を輝かせて、彼の手を握る。


「うんっ!」


「それでは、お父さん。行って来ます」


「行ってらっしゃい。無事に早く帰って来るんだよ」


 穏やかに微笑み掛け、ベルナートは見送る。


「そして、私とちゃんと勝負しろよ、カエティス」


 ベルナートの反対側から声が聞こえ、カエティスは驚いて振り返る。


「クレハ……!」


「お前が帰って来るまで、私も鍛練を積んでおく。ちゃんと強くなって帰って来いよ。お前と勝負をするのが楽しみなんだからな」


「いや、だから、俺は勝負をしないって言ってるんだけど……」


「待ってるからな、カエティス」


 カエティスの言葉を無視して、クレハノールもベルナートと共に見送る。


「……お願いだから、勝負は勘弁して」


 と言ってみるが、クレハノールは却下した。


「……はぁ。それでは行って来ます」


 何を言っても無理だと感じたカエティスは溜め息を吐き、ミシェイルと共に行くことにした。

 帰って来た時、クレハノールが勝負のことを忘れていることを願いながら。


「……クレハちゃん。本当は一緒に行きたかったんじゃないかな?」


 カエティスとミシェイルの後ろ姿を見つめ、ベルナートは隣で先程とは打って変わって静かに見送るクレハノールに尋ねる。


「行きたくないと言えば嘘になるが、私はカエティスと違う。私はウィンベルク公爵になる身だ。カエティスとは違うやり方で、大切な人達を守りたい。その為にはここで内から変えればいい」


 静かに強い眼差しで、クレハノールは告げる。


「そうすれば、第二のカエティスやカリン先生を作らなくて済む。何もしていないカエティス達に怯え、この森に追いやるような街の者達の意識を変えてやる」


 拳を握り、クレハノールはカリンの墓に近付く。


「だから、カリン先生。カエティスを死なせないで。あいつが帰って来た時に、変わった街を見せたいんだ」


 クレハノールの決意に、ベルナートは穏やかに微笑む。


「その目標、私にも何か手伝えることがあったら、いつでも言って。クレハちゃん」


「もちろん、そのつもりだ。司祭様。これからしっかり働いてもらうからな」


 満面の笑みを浮かべ、クレハノールは胸を張った。

 穏やかな風が、ベルナートとクレハノール。そして、街を出たカエティスとミシェイルの髪をこれからのことを応援するように優しく撫でた。






 ――それから、十年の歳月が流れる。


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