五章 旅の占い師の少女
「――カイ! ちょっと見てくれよ!」
明るい、嬉しそうな声が聞こえる。
(誰……? それに、ここは?)
聞き覚えのあるような男の声にリフィーアは首を傾げ、辺りを見回す。
目の前は暗闇で、自分の身体しか見えない。
「可愛い子だね。顔はお母さん似かな?」
再び、声が降ってきた。
こちらはいつも遊びに行っているカエティスの都の墓地の墓守り、カイの声だ。
「おいおい! じっくり見てくれよ。ほら、目元がお父さんそっくりだろ?! 笑うとお父さんそっくりだし、可愛いんだよ!」
「あはは、そんなムキにならなくても。ちゃんと君に似てることも分かってるよ」
強く力説する男の言葉に、カイは笑った。
(誰のことを言ってるんだろう……?)
声しか聞こえないリフィーアは眉を寄せて、耳を傾ける。
「カイも結婚して、子供が出来たら分かるよ、このムキになる気持ち!」
「うーん……結婚、ねぇ……」
静かに、少しだけ悲しげな声でカイは唸った。
「……まず、相手が近くにいないんだよねぇー。だから、まだ無理だねー」
いつものように明るい声で笑い、カイは言った。
「た、確かにそうだけど……」
困った声で、今度は男が唸った。
「そうだけど、僕はこの子にも、カイにも幸せになって欲しいんだ。僕と妻を引き合わせてくれた、二人に……」
小さく、泣きそうな声で、男はカイに言った。
「――ありがとう。でも、俺なんかより、まず、この子の幸せを考えてあげないと。俺は後回しにして、親なんだから、この子を全力で幸せにしてあげなくちゃ」
暗闇でリフィーアには分からないが、男の身体にカイが軽く叩くような音が聞こえた。
「そうだね。この子は僕と妻の宝。だから、しっかり守って、幸せなお嫁……いやいや、お嫁さんはまだ……!」
「あのさ、そこまで今考えなくていいから。早過ぎるって」
「そ、そうだね……。ごめん、ついつい先のことを考えてしまって。あぁ、でも、この子に恋人が出来たら……!」
悲鳴を上げそうな声で男は叫んだ。
「落ち着いて。はい、この話はこれでおしまい。ところで、この子のお母さんはどうしたんだい?」
「えっ? あれっ、さっきまでそこにいたのに……!」
慌てた男の声と、立ち上がる音が聞こえた。
「えっ、どうしよう、どうしよう! まさか、実家にお帰り?!」
「……しまった。聞かないで、俺が探せば良かった……」
困ったような声で、カイが小さく溜め息を洩らした音が聞こえた。
「こらこら。何、カイ君を困らせてるのよ。貴方は」
突然、女性の声が聞こえた。
聞き覚えのあるような、ないような女性の声にリフィーアはまた首を傾げた。
「ああっ! 良かったぁー……。実家に帰ったと思った」
安堵の息を男は洩らす。
「うん? そんなに帰って欲しかった?」
「いやっ、それだけは……! 僕もこの子も泣いちゃうよ」
「この子はともかく。大の大人が泣くのは勘弁して欲しいわ。ねぇ、カイ君」
「あのさ、そこで俺に振らないでもらえるかな? 俺、まだ結婚していないし、子供もいないからさ……」
突然、話を振られたカイが困ったような声で言った。
「それなら、早く結婚しなさいよ。いるのでしょう? 恋人」
「え……うん、まぁ、ね」
歯切れの悪い言い方で、カイは頷くように言った。
「今度、カイ君の恋人、私達に会わせてね」
「うん、機会があれば。ところで、この子の名前は決まったのかい?」
「もちろん! 二人の愛の結晶だから、二人の名前から取ったんだ」
嬉しそうな声音で、男は言った。
「――名前はリフィーア。カイ、どう? 良い名前だと思わない?」
(えっ?!)
「リフィーアちゃんか。リゼル君とフィオナちゃんの名前からかぁ。うん、良い名前だね。きっと……絶対、幸せになれるよ」
爽やかな声でカイは二人に告げた。
(私が生まれた時のこと……? じゃあ、男の人と女の人は……お父さんとお母さん?)
覚えていないはずの父リゼラードと母フィオナとカイの会話を聞いて、リフィーアは暗闇の中でもがいた。
(顔が見たい! どうして、私だけ暗闇の中なの?!)
肖像画でしか見たことがない両親の顔が見たい。リフィーアは必死に暗闇から抜けようと走り回った。
だが、抜け出せない。
「ありがとう、カイ。それで君にお願いがあるのだけれど……いいかな?」
リフィーアがもがいている間も彼等の会話は続いている。
「もちろんいいよ。何だい? リゼル君」
「……もし、僕達に何かあったら、この子を……リフィを守って欲しいんだ」
真剣な声で男――リゼラードはカイに告げた。
しばらくの間、カイは黙った。
「……分かった。二人に何かあったら、俺がこの子を守るよ。ただし、二人共、絶対に諦めないこと。いいね?」
カイは静かな声で、リゼラードの言葉を承諾した。
(諦めないことって、どういう意味だろう? まるでカイさん、お父さんとお母さんが死ぬのを知ってるみたい……)
リフィーアは眉を寄せて、両親とカイの言葉に耳を傾ける。
「ありがとう……!」
リゼラードが声を震わせて礼を述べた。
「それと、この子の前には俺は出ないようにするよ。この子がこっちに来てしまうのはしょうがないけど」
(どういう意味だろう? よく分からないよ……)
カイの言葉に、リフィーアは更に眉を寄せた。
「ええ。ここから離れられないのは知ってるし、お願いをしてる身だもの。そこまでは言えないわ」
カイの言葉にフィオナが同意する。
「でも、カイ君。私達に何かあった時はリフィーアをお願いね」
「もちろん。約束したことはしっかり守るよ。だから、安心して」
穏やかに、優しくカイは言った。
いつもと変わらない、自分も知ってる安心させるようなカイの声音にリフィーアはもがくのをやめ、静かに聞き入る。
(……カイさんに聞かなくちゃ。お父さんとお母さんのこと。それと私のことも)
カイの優しく、穏やかな声にリフィーアは強くそう思った。
目を開けてみると、そこには見覚えのない天井があった。
「……ここは?」
声に出して呟き、リフィーアはゆっくりと身体を起こす。
先程までの暗闇の中ではなく、木材で作られた部屋に自分はいた。
朝なのか、昼なのか分からないが、日当たりが良い所のようで日差しが窓から洩れている。
リフィーアは見覚えのない部屋をゆっくり首を巡らせてみる。
部屋はそんなに広くはなく、食器類や物もごく僅かな数しかない。どちらかというと殺風景な部屋だ。
その部屋の片隅にたくさんの本が棚に収められていた。
「……何の本だろう?」
あまり広くはない部屋に不釣り合いな程の量の本に、リフィーアは首を傾げる。
「――古いただの本だ」
「?!」
機嫌が悪そうな低い声が背後から聞こえ、リフィーアは驚いて振り返った。
見ると、日の当たらない陰になる位置に、肩までの長さの銀色の髪、金色の目、端整な顔立ちの青年が立っていた。
「だっ、誰っ?!」
見覚えのない人間離れした顔立ちの青年に、リフィーアは声を上げた。
「……気付いたようだな。全く、手のかかる小娘だ」
大きな溜め息を吐き、青年は両腕を組んだ。
耳に覚えのある声にリフィーアは驚いた。
「……もしかして、ビアンさん?」
「俺以外にここに誰がいる?」
「そ、そうですけど、ビアンさん、どうして人間の姿に……?」
ビアンが人間の姿になれないと思っていたリフィーアは首を傾げた。
「お前を運ぶためだ」
ぶっきらぼうに青年――ビアンは答えた。
「どうして、私を……?」
言いながら、リフィーアはどうして眠っていたのかを思い出した。
「あっ、私、知らない人達に襲われて……」
ぽつりと呟いて、リフィーアは固まった。
怪しげな連中達に襲われ、首に強い衝撃を受けて気を失ったはずだ。
(……その後、私、どうなったの?)
リフィーアは眉を寄せた。
誰かに助けられたような気がするのだが、それが夢なのか、現実なのかが分からない。
「――カイが小娘を運ぶように言ったから、仕方なく俺が運んだんだ」
まるでリフィーアの心の声を聞いたかのように、ビアンが不機嫌な声で答えた。
「そうだったんですか。ありがとうございます、ビアンさん。あ、ところで、カイさんは何処にいますか?」
カイがいないことに気付き、周囲を見回しながらリフィーアは尋ねた。
「お前が寝ていたから、気を遣って小屋の外にいる」
「え、外……ですか? でも、怖い人達がいますよね?」
「そいつ等ならカイが追い返した。今いるのはあいつの恋人だ」
「良かった……。あ、ネリーさんがいらっしゃるんですか?」
心底安心した声音でリフィーアが尋ねると、ビアンは頷いた。
「それなら、行かない方がいいですよね」
「あいつ等は何とも思わないから、気を遣わずに行けばいいだろう。どうせ、恋人に怒られているだろうからな。それにお前が行って話せばカイも助かるんじゃないのか?」
墓守りの相棒の物言いにリフィーアは苦笑した。
「そうですね。じゃあ、ちょっとカイさんのところに行ってきます」
リフィーアはベッドから立ち上がり、ドアノブに手をかけながら言った。
「そうしてやってくれ」
リフィーアの言葉に頷き、ビアンは窓の外に目を向けた。
カイ達の様子を見る気満々のビアンを見て、リフィーアは口元に笑みをこぼしながら部屋を出た。
「カエティスの……ばかばかばか……!」
泣きそうな声で、ネレヴェーユはカイの腕を叩いた。
「いたた……。ちょっとネリー! 痛いって。傷のところを叩かないでくれよ」
「知らないっ! あれ程、怪我しないでって言ったのに、怪我して……!」
口を膨らませて、ネレヴェーユは上目遣いでカイを見た。
「え? これ、怪我に入るの? 俺にとってはちょっとやんちゃなかすり傷なんだけど」
「何処がちょっとやんちゃよ。私が来る前は痛がってたくせに」
むすっとした顔でネレヴェーユはさらりと躱そうとするカイに言った。
リフィーアが小屋で眠っているのに安心したカイは、左の二の腕に負った傷に包帯を巻いているところをネレヴェーユに見つかってしまった。
慌てて隠そうとすると、ネレヴェーユに怒られ、現在に至る。
「痛がってないよ。血も流れてないし、傷も本当にかすり傷だし。心配してくれるのは嬉しいけど、大丈夫だって。ね?」
小さく微笑して、カイはネレヴェーユを安心させるように彼女の手に触れ、頷いた。
「……分かったわ。かすり傷って信じるわ。でも、次に怪我したら怒るから」
「うん、分かった。ありがとう、ネリー」
大きく頷き、カイは安堵の息を洩らす。
「……実はお腹にも傷がって言ったら怒られるから、黙っておこう……」
「なぁに? 何か言った?」
ぼそりとカイが小声で呟くと、ネレヴェーユがにっこりと笑顔で問い掛けた。
「ん? 何も言ってないよ、ネリー」
カイも笑顔でネレヴェーユの問いにうそぶいた。
「……怪しいけど、いいわ。ところで、どうして、ちょっとやんちゃなかすり傷を負ったの?」
「んー? ここの墓地を抑えるのに、俺が邪魔らしくって襲ってきたんだよ。俺を襲う前にここに遊びに来たらしいリフィーアちゃんを襲ってて、庇った時にちょっとやんちゃなかすり傷を負っちゃったんだ」
片手で包帯を器用に巻きながら、カイはネレヴェーユの問いに答えた。
「貴方らしいというか、何というか……。でも、貴方やリフィーアさんが無事で良かったわ」
「そうだね。本当に無事で良かったよ。俺もこう見えて結構な歳だし、昔と比べてあんまり動いてないしなぁ」
伸びをしながら、カイはのんびりと呟いた。
「そうね。だから、しっかり運動してよね、カイ」
にこやかに頷き、ネレヴェーユは言った。
「えぇー! 今から?」
「そうよ。だから、頑張ってね」
ネレヴェーユの一言にカイはがっくりとうな垂れた。
「というのは冗談だけれど、ここを抑えようと考えてる人がいるの?」
「……冗談だったんだ」
小さく息を吐き、カイはもう一度がっくりとうな垂れた。
そして、すぐ表情を戻し、ネレヴェーユの問いに頷いた。
「ここを抑えようとする人は今までもいたよ。何を聞いて、そう思ったのかは知らないけど」
「貴方がいるのに?」
「俺? 俺はただの墓守りだよ」
右手を左右に振り、カイは苦笑した。
「何を言ってるの。クウェール王国で最強の守護騎士と言われてる貴方よ? 私なら抑えようとは思わないわ」
「いやいや、あれはトーイと当時のウィンベルク公爵が勝手に吹聴しただけで、俺は強くないからね」
「あら、私は貴方が一番強いと思ってるわ。だって、あの時、私やトーイ、ミシェイル達を守りながら戦ってたのよ? 他の人達は無理だったのに、あの人を倒したし」
「いきなり話が飛躍し過ぎだよ、ネリー……」
困ったようにカイは頬を掻いた。
「そんなことないわ。だって、相手は貴方の本当の姿やこの墓地のことを知らないで、ここを抑えようとしているのよ。私としてはちゃんと調べてから抑えに来て欲しいわ」
「――ちゃんと調べられたら、国が大変なことになると思うな、私」
「?!」
違う声に驚き、ネレヴェーユは勢いよく声がする方へ顔を向けた。
二つに結んだ長い茶色の髪、青い目の旅装束姿の少女がにこにことカイ達を見ていた。
「ついでに言うと、ちゃんと調べられたことで、カイや貴女の存在が露呈してしまうことになるから、もっと大変ですよ」
ネレヴェーユに笑いかけ、少女は肩に提げていた鞄を地面に下ろす。
「あの……貴女は一体? どうして、カイや私のことを知っているのですか?」
ネレヴェーユが警戒しながら尋ねると、少女は何度も目を瞬きした。
「え? カイに聞いてません?」
「ええ。聞いてませんけど……」
ゆっくりとネレヴェーユは頷くと、静かにしているカイに目を向けた。少女も一緒にカイに目を向ける。
「……えーと、どうして、今来ちゃうのかな。君は」
困ったように頭を掻き、カイは息を吐いた。
「そりゃあ、君がや〜っと女神様に会えたからお祝いに来たに決まってるじゃないか」
ニヤニヤと笑いながら、少女は指でカイの怪我をしている左の二の腕を突いた。
「……ネリー、紹介するよ。この子はエマイユちゃん。旅の占い師だよ」
自分の左の二の腕を突く少女――エマイユを横目で見ながら、カイはネレヴェーユに紹介する。
「え、ちょっとカエティスさん。私の話はさらりと無視ですか」
「エマイユさんですか。私はネリーです。よろしくお願いします。エマイユさんは旅の占い師なんですか?」
「二人共しっかり無視ですか……。えぇ、そうです。旅の占い師です。ネレヴェーユ様」
諦めたようにエマイユは頷き、ネレヴェーユに微笑んだ。
「えっ、あ、あの。どうして、私の名前やカイの本名をご存知なのですか?」
目をぱちくりと瞬かせ、ネレヴェーユはまじまじとエマイユを見た。
「……本当にカエティスから聞いてないのですね。ちょっと、ちゃんと話しておいてよ、カエティス」
「えーっとね、エマイユちゃん。俺、何度も言ったよね? ネリーだけとはいえ、人前で俺のことをカエティスって呼ばないようにって」
目を細め、珍しく冷気を帯びているような笑みをカイは浮かべた。それを見たネレヴェーユは何かを感じ取ったのか、少しだけ彼から離れた。
「あはは……もしかして、怒っていらっしゃる?」
「じゃないと言わないよね?」
尚も目を細めてカイは笑う。だが、目は笑っていなかった。
「……何というか、変なところで神経質なのは変わってないよね。だからこそ、懐かしくてついついからかうんだけど」
年頃の少女らしい明るい笑顔を浮かべ、エマイユはカイを懐かしそうに見た。
「例え、生まれ変わりで、記憶があっても、そういうところはあいつと似なくていいんだよ、エマイユちゃん」
大きな溜め息を吐き、カイは額に手を当てた。
「そう言われて……」
「あの、ちょっと待って!」
エマイユが何かを言いかけた時、ネレヴェーユが慌てて話を止めた。
ネレヴェーユが止めたことにより静かになり、カイとエマイユは言葉を止め、驚いたように目を何度も瞬かせた。
「あの……生まれ変わりって、どういうことですか?」
「……あ。ごめん、ネリー。言ってなかったね。彼女はトーイの生まれ変わりだよ」
苦笑を浮かべ、カイはエマイユに目を向ける。
「え……?」
しばらく、不思議そうな表情のままネレヴェーユはエマイユをじっと見つめた。
「ええーっ?!」
そして、驚いて目を見開き、ネレヴェーユは声を上げた。
「……エマイユさんがトーイの生まれ変わり?!」
「そうなのですよ、ネレヴェーユ様」
明るい花が咲いたような笑みを見せ、エマイユは頷いた。
「……トーイが女の子に生まれ変わってるのは意外でした。生まれ変わったとしても男性だと思ってましたもの」
「カイにも言われましたね。だから、私との会話がやりにくいらしいですよ」
ニヤニヤと笑いながら、エマイユはカイを指でまた突いた。
「本当だよ……。女の子だから突かれても、殴れないし」
巻き終わった包帯を小さな木箱に戻しながら、カイはぼそりと呟いた。
「え、ちょっとカイさんよ。私が男の子だったら殴るつもりだったの?」
「うん。男の子が突いてきたらね」
「王様の生まれ変わりでも?」
「もちろん。トーイの時でもやってたでしょ、容赦なく」
にんまりと笑い、カイは大きく頷いた。
隣で何かを思い出したのか、ネレヴェーユが小さく笑った。
「…………」
エマイユも何かを思い出したのか、少しだけ顔を青くした。
「……良かった。今回、女の子で」
安堵の息を洩らし、エマイユは胸を撫で下ろした。
「カイさんっ!」
背後から別の女の子の声が聞こえ、カイは振り返った。
「ん? あ、リフィーアちゃん。気が付いたみたいだね。具合は大丈夫?」
リフィーアが駆けてくるのを見て、カイはにこやかに出迎えた。
「はい。助けて下さってありがとうございました! すみません、ご迷惑おかけして……」
深々とお辞儀して、リフィーアは申し訳なさそうにカイを見上げた。
「いいよ、気にしなくて。リフィーアちゃんに何かあったら、リゼル君やフィオナちゃんに申し訳ないからね」
穏やかにカイは微笑み、リフィーアを切株に座らせる。
その二人のやり取りをエマイユが不思議そうに見つめていた。
「……カイ。君、もしかして、知らない間に浮気?」
「へ?」
突然、何を言い出すんだ、と言いたげな表情でカイはエマイユを見た。
彼女のその言葉に、カイの恋人のネレヴェーユが驚いたように顔を彼に向ける。
話の中心の位置にいるリフィーアも驚いて、カイを見た。
「……何でそっちの話にするかな。俺、浮気をする暇も体力もないんだけど。毎日が戦いなんだけど」
「えっ、カイ、もしかしてまだカラス達とご飯で戦ってるの?」
「……そうだよ。あ、リフィーアちゃん。紹介するね、彼女はエマイユちゃん。旅の占い師だよ」
さらっと話を変え、カイはエマイユを紹介した。
「え? あっ、はい。リフィーアです。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくー」
手を振り、エマイユはにこやかに挨拶をした。
「あの、占い師さんなんですか?」
「そうだよー。育ててくれたお師匠が占い師で、物心ついた時からビシバシと」
「そういえば、おいくつなんですか? エマイユさん」
にこやかに答えるエマイユを見つめ、ネレヴェーユも尋ねた。
「十四歳です、一応」
頬を掻き、エマイユは少し恥ずかしそうに答えた。
「あれ、まだそんな歳だったっけ?」
目を丸くして、カイが声を上げる。
「そうだよ。ちょっとカイ、一体何歳だと思ってたのよ」
「え? 十八歳くらいかな?」
明るい声で答えるカイに、エマイユの顔がひきつった。
「……こんな背の十八歳がいる?」
自分の頭の上を指差し、エマイユはカイを恨めしそうに見上げた。
「身長は関係ないでしょ。俺の知り合いにも背が低い大人がいたし。それに、君の身長のことで言ってるんじゃないよ」
尚も恨めしそうに見上げるエマイユにカイは苦笑した。
「エマイユちゃんがあまりにも大人らしい仕種や話し方をするから、十八歳だと思ったんだよ」
「……悪かったね。子供っぽくなくて」
頬を膨らませて、エマイユは拗ねる。
そっぽを向いた拍子に、エマイユの二つに結んだ長い茶色の髪が揺れる。
「そこは十分、子供っぽいよ。話は変わるけど、リフィーアちゃん。今日は帰った方がいいよ」
「えっ、どうしてですか。私、カイさんに聞きたいことがあるんです」
いきなり話を振られ、リフィーアは目を丸くした。
「それは明日聞くよ。あんなことがあったばかりなんだし、さっきまで気を失ってたんだよ? 今日はゆっくり休まないと。ね?」
心配そうな表情でカイはリフィーアの顔を覗き見る。
口を尖らせて、リフィーアは俯いた。
「むぅ……分かりました。明日はちゃんと答えて下さいねっ」
眉を寄せて、リフィーアはカイを見上げ、仕方なさそうに承諾した。
「えーっと、うん。出来るだけ……」
頬を掻き、カイも渋々承諾した。
「約束ですよっ。また明日、行きますから!」
「うん、またおいで。リフィーアちゃん、門まで送るよ。ネリー、エマイユちゃん、ちょっと待っててね」
「ええ、分かったわ。気を付けてね」
「は~い。行ってらっしゃーい。気を付けてねー」
手をにこやかに振り、
「リフィーアちゃん」
エマイユはそう続けた。
彼女のその言葉を聞いたネレヴェーユが不安げにカイを見上げた。
「……あのね、俺を何だと思ってるんだよ。全く」
横目でじろりとエマイユを見てから、カイは大きく溜め息を吐き、その後、ネレヴェーユに苦笑した。
すると、エマイユはニヤリと笑い、尚も手を振った。
「リフィーアちゃん、行こうか」
そんなエマイユを無視することにしたカイはリフィーアを促した。
「はい。それではネリーさん、エマイユさん。またお会いしましょうね」
小さくお辞儀をして、リフィーアは二人に挨拶をする。
「はい、またお会いしましょう。その時はカイの話をしましょうね」
「あ、それいいな。私もその時は一緒に」
とんでもないことを言い出すネレヴェーユとエマイユにカイは困ったように頭を掻いた。
「さ、さぁ、リフィーアちゃん、行くよ」
これ以上、とんでもない約束を交わされては堪ったものではないと思ったカイは慌てるようにリフィーアを促し、都と墓地を隔てる門へと歩いていった。
「……面白い遊び、見つけちゃったなぁー」
門へと歩いていくカイとリフィーアの後ろ姿を見つめ、エマイユはいたずらを思い付いたような笑みを浮かべる。
「……エマイユさん、あまりカエティスをいじめないで下さいね」
苦笑いを浮かべ、ネレヴェーユは呟いた。
「分かってますよ、ネレヴェーユ様。私もそこまで非道ではありませんよ。それにしても、カエティスは本当に今も昔も変わらないですね」
懐かしそうにエマイユは目を細め、カイとリフィーアが歩いた方向を見つめる。
「そうですね。人は、変わるのに……。なのに、あの人は変わらないでいてくれた。私を忘れないでいてくれた。あんなにひどいことをしたのに変わらず笑ってくれた。そのことがとても嬉しいです」
今にも泣きそうなくらい目を潤ませて、ネレヴェーユは言った。
「その言葉、本人に言ってあげて下さい。きっと喜びますよ」
「でも、言っていいのでしょうか? 私、本当にひどいことをしたのですよ? カエティスにも、トーイにも、国の人々にも。この国を守護をする女神なのに」
俯きながら、ネレヴェーユはぽつりぽつりと呟くように言った。
「そうですか? トーイからしたら、そうではありませんでしたけど」
穏やかに笑ってエマイユは答えた。
「貴女をカエティスと共に見守っていましたけど、貴女はずっと必死にこの国を守ろうとしていた。そんなネレヴェーユ様をカエティスは惚れたんだと思いますよ」
「そ、そうなのでしょうか……?」
顔を真っ赤にして、ネレヴェーユはエマイユを見つめた。
「本人に聞いてないんですけど、きっとそうだと思いますよ。あまり自分の過去のことや本心を言わないヤツですけど」
苦笑して、エマイユは頬を掻いた。
ネレヴェーユも微笑み、エマイユに頷いた。
「そうですね。私もいつもカエティスに振り回されっ放しです」
エマイユの言葉に頷くが、ネレヴェーユの表情はとても嬉しそうだ。
「ですよねー。私も生まれ変わって、初めて会いに行った時もあいつ、笑顔で誤魔化そうとしたんですよ。腹黒ですよ、カエティスは」
腕を組んで、エマイユはカイの恋人に愚痴をこぼす。
「腹黒……ですか」
どう答えていいのか分からず、ネレヴェーユはそれだけしか言えなかった。
(恋人として、ちゃんと否定した方が良かったのかしら……)
ネレヴェーユは困ったように首を傾げた。
「……あの、カイさん。私なら本当に大丈夫ですから、ネリーさんの傍にいてあげて下さい」
周囲を警戒して歩く墓守りに、リフィーアは恐る恐る言った。
「だーめ。またあんな目にあうかもしれないから、ちゃんと送るよ。またひどい目にあったら、リゼル君とフィオナちゃんに怒られる」
「確かにそうですけど、ネリーさんも危ない目にあうかもしれないですよ?」
「ネリーなら大丈夫だよ。ビアンが近くにいるし。エマイユちゃんも大丈夫。あの子は勘が良いし、何気に強いしね。でも、リフィーアちゃんは帰り道に一緒に帰る人がいないでしょ。だから、駄目だよ」
頑なに断るカイに、リフィーアは困った。
「……それに、嫌なんだよ。リフィーアちゃんがリゼル君とフィオナちゃんみたいに突然、俺の前からいなくなってしまうかもしれないと思うと……」
ぽつりとカイが呟いた。
普段と違い、小さく消えそうな声で呟くカイに、リフィーアは弾かれるように彼の顔を見上げた。
悲しげな表情を浮かべ、眉を下げているカイを見て、リフィーアは立ち尽くした。
(……私は、お父さんとお母さんの顔は肖像画でしか知らないけど、カイさんはお父さん達と話してる。もしかしたら、私以上に悲しかったのかな……)
そう思うと、申し訳なくなってきた。
心配かけたくない、と強く思った。
胸の前でぎゅっと自分の手を握り、リフィーアはカイを見上げた。
「あの、カイさん。私、本当に大丈夫です。今までだって、何度か怖い目にあったりしましたけど、無事だったんです。根拠はないですけど、これからも大丈夫です! だから、そんなに心配しないで下さい」
目の前の優しい墓守りをじっと見つめ、リフィーアは告げた。
「……そういう意志が強いところはお父さんにそっくりだね。やっぱり、血筋かなぁ……」
困ったように言い、カイは小さく微笑んだ。
「……分かったよ、リフィーアちゃん。でも、もし、墓地で何かあったら、俺やビアンを呼ぶこと。いいね?」
降参とばかりに両手を上げ、カイは言った。
それを聞いたリフィーアは大きく頷いた。
「それと都で何かあったら、リフィーアちゃんの叔父さんや従兄のお兄さんを呼ぶこと」
「はい……って、え? カイさん、叔父様やお兄様を知ってるのですか?」
頷きかけながら、リフィーアは目を丸くした。
「うん、特にリフィーアちゃんの叔父さんはよく知ってるよ」
「えっ、叔父様もここに来るのですか?」
「いや、それは滅多にないけど、前に話をしたことはあるよ」
「え、滅多になくてもここに来たことはあるのですか?!」
目を何度も瞬かせ、リフィーアは聞いた。
「うん、あるよ」
「そ、そうですか」
あっさり明るく答えるカイに、リフィーアは少しだけ首を傾げた。
(さっきまでの悲しそうな顔は何処へ……?)
眉を寄せて、リフィーアは横を歩くカイを見た。
先程までの悲しそうな顔とは打って変わって、いつもと変わらない穏やかな表情のカイがいた。
「はい、ということで、リフィーアちゃん。もうすぐ門だよ。都の方がここより安全だけど、気を付けてね」
ポン、とリフィーアの肩を優しく叩き、カイは言った。
「えっ、は、はい。ありがとうございます、カイさん」
「こちらこそ、ごめんね。巻き込んじゃって。そんなつもりはなかったのに……」
申し訳なさそうにカイは謝った。
「な、何を言ってるんですか。カイさんのせいじゃないですよ! 気にしないで下さい。本当に大丈夫ですから」
にっこりと笑顔で首を左右に振り、リフィーアは告げた。
「ありがとう。今日ゆっくり休んで、大丈夫そうだったら、また明日、おいで」
穏やかに口元に笑みを浮かべ、カイは墓地と都を隔てる門の前で立ち止まる。
「はい! また明日行きますね、カイさん」
ぺこりとお辞儀をして、リフィーアは門をくぐり、自分の家へ続く道を歩いていった。
その後ろ姿をしばらくの間、カイは見つめた。
「……言わないのが一番いいけど、言って自覚してもらった方がいいのかな。リゼル君、フィオナちゃん。君達ならどうするのかな」
まだ日が高い空を見つめ、カイは小さく呟いた。
「ずっとさっきから言いたかったんだけど、いいかな?」
目の前に胡座をかいて座る墓守りをじっと見つめ、エマイユは尋ねた。
「ん? 何だい、エマイユちゃん」
にこにこと笑いながら、カイはエマイユを見た。
「……魔力、使ったでしょ?」
眉間に皺を寄せ、エマイユは尋ねた。
エマイユの言葉に、ネレヴェーユが驚きの表情で隣に座る恋人を見た。
「……何のことかな? 確かに魔力はあるけど、ほとんど使わないよ」
尚もにこやかに笑い、カイは答えた。
「……少しあったけどその沈黙は何? それと、右の水色の目にうっすら紋様があるよ。それも解呪と帰還の紋様」
半眼でカイを見つめ、エマイユは彼の右の水色の目を指差した。
カイの横では潤んだ瞳で、ネレヴェーユが何も言わずに見つめていた。
恋人の無言の視線に困り果て、
「……バレちゃったか。使ってしばらく経つから気付かれないと思ったのに」
あっさり認め、カイは息を吐いた。
「占い師をなめないでよ。それはそうと、あんまり魔力を使うなって、トーイだった頃の私が言わなかったっけ? 君の場合、他の術者と違って、使うと色々とまずいんだから。その辺、自分が一番分かってるでしょ」
眉間に皺を寄せたまま、エマイユはカイを説教する。
すっかり困り果てた様子のカイは頭を掻いた。
「分かってるんだけど、今回は使わざるを得なかったんだよ。俺のせいで、無関係な人達を巻き込んだから。そのくらいの危険は承知の上で使ったんだよ」
「カエティス。君、自分がどれだけ重要な鍵をいくつもその手で握ってるか分かってる? ネレヴェー
ユ様やトーイ以上の鍵を握ってるんだよ」
カイの右手に自分の手を置き、エマイユは諭すように告げた。
「君にもしものことがあったら、この国は滅ぶ。例え、ネレヴェーユ様がいらっしゃっても、今の国王が良き王でもこの国は滅ぶよ」
目を逸らさず、ひたすらカイを見つめ、エマイユは言った。
カイの隣で静かに頷くネレヴェーユの気配がする。
「……すごい物言いだね。俺はそんなにすごくはないのに」
水色の右目に手を当て、カイは苦笑いを浮かべる。
「君の場合は自覚が無さすぎなの。とにかく、魔力は絶対使わないでよね」
「……分かった。気を付けるよ」
右目から手を放し、カイは頷いた。
「さて。君の魔力のことは終わったけど、まだ話があるんだよね」
「え、まだあるの? お説教……」
苦い顔をして、カイはぼやいた。
その言葉に、ネレヴェーユが笑う。
「あのね……。何で私が君にお説教をしないといけないの。するのは、君の恋人のネレヴェーユ様でしょ。私が今からする話は大事な話だよ」
「そうなんだ。良かった……。それで、話というのは何だい?」
ほっと胸を撫で下ろし、カイは真面目な表情にする。
「うん、これからのことなんだけど、ネレヴェーユ様も聞いて頂けませんか?」
真剣な面持ちでエマイユはネレヴェーユに顔を向ける。
「えっ、は、はい。いいですよ」
目を何度も瞬かせ、ネレヴェーユは頷いた。
「ありがとうございます。それで、これからについてなんだけど、カイ、君はこれからどうするつもり?」
「どうするって、どういう意味かな?」
のんびりと尋ねるカイにエマイユは目を丸くする。
「どういうって、君、不思議に思わないの?」
エマイユの問いにカイは首を傾げた。
「君の周りに、ネレヴェーユ様、私がいるんだよ。そして、あいつ。この五百年間、何も起きなかったのに、今になって君の周りに五百年前の関係者が集まり始めてる。何かがこれから起こるかもとか、どうして集まり始めてるのかとか不思議に思わない?」
「え、そうなの?」
目を見開いて驚いてみせるカイをエマイユは半眼でじっと見つめた。
「……そこでしらばっくれないでよ。本当は気付いてて、どうするかを考えてるくせに」
腕を組んで、エマイユはふてくされるように言う。
「……不思議には思ってたけど、まだ何も考えてないよ」
苦笑いを浮かべながら、カイは言った。
その言葉に、エマイユは大きく溜め息を吐いた。
そして、緩く首を振った。
「……カエティス。君、本当に暢気だね。あいつ、また出てくるかもしれないっていうのに」
「……それは、うん。有り得るなって思ってるんだけど、もっと困ったことがあるんだよね。ね、ネリー」
静かに聞いていたネレヴェーユにカイは顔を向けた。
向けられたネレヴェーユは顔を真っ赤にした。
真面目な話に不謹慎だが、カイに名前を呼ばれて嬉しくてついつい顔が緩んでしまう。
「……あの、困ったことってもしかして、リフィーアさん……?」
何とか顔の緩みを戻し、ネレヴェーユはカイに思い当たることを聞いてみた。
恋人の問いにカイは無言で頷く。
「えっ、あの娘に何か問題があるの?」
「うーん、本人じゃなくて、家にちょっと……」
頬を掻き、カイは言い淀んだ。
それを無言でエマイユが続きを待つ。
「……リフィーアちゃんの家はウィンベルク公爵家なんだよ。ついでに言うと、彼女は直系なんだ」
視線に気付き、カイは仕方なさそうに答えた。
「……ちょっと、カエティス。君、何で今の今まで黙ってたの? というか、本人はもちろん、君にも墓地にもまずいじゃん!」
今まで黙っていたカイに目を向け、エマイユは頭を抱えた。
「うん……まぁ、今のところ俺にもリフィーアちゃんにも墓地にも問題なかったし、彼女の代は大丈夫かなって思ってたから言わなかったんだけどね。今回のこともあったし、前にもちょっとあったし、本人も知らないからちゃんと話した方がいいかなって考えてるよ」
本当は言いたくないけど、と呟き、カイは俯いた。
そんなカイの肩にネレヴェーユがそっと手を置く。
「……参ったな、本当に。私は星見が専門の占い師だけど、星にはリフィーアちゃんのことは出てなかった。君やネレヴェーユ様のことは出てたけど……」
緩く首を振り、エマイユは小さく息を吐いた。
「……もしかしたら、リフィーアさん自身が何も知らないから星に出なかったのではないでしょうか?」
躊躇いがちにネレヴェーユが声を出す。
「いえ、それはないはずです。星に全てが出るはずなのです。知る、知らない関係なく。なのに、ウィンベルク公爵家のリフィーアちゃんがカエティスと会ったことは全く星には出ていなかったんです。こんなことは初めてです」
俯き、エマイユは自信を失ったかのように呟いた。
「私は女神ですけど、全てを知っているわけではありません。全てを知っているのはこの世界を作った私の父だけです。だから、エマイユさん。そんなに落ち込まないで下さい」
落ち着かせるように微笑みを見せ、ネレヴェーユはエマイユに言った。
「……そう、ですよね。でも、先に知っていればこれからのことをもっと考えられたのに……」
「今から考えれば大丈夫です。まだ何も起きていません。今からでも遅くはないはずです。ねぇ、カエティス」
にっこり微笑み、ネレヴェーユはカイに顔を向けて聞く。
「へ? う、うん。そうだね」
まさか自分に振ってくるとは思っていなかったカイは目を丸くした。
「そうですよね、ネレヴェーユ様。今なら大丈夫ですよね。じゃあ、カエ……じゃなかった。カイ。君にもう一度聞くけど、君はこれからどうするつもり? あ、誤魔化し一切なしね」
「……誤魔化しって、別に誤魔化してるつもりはないんだけどなぁ」
頬を掻き、カイは目線を上に動かす。木の枝に宿敵が留まっている。
その宿敵と目が合い、カイはじっと見つめる。
「これから、何事もなければ良いのだけれど、もし、何かが起こったら、その時にその当事者達には話をしようとは思っているよ」
静かな戦いが始まったのか、宿敵と目を逸らすことなくカイは告げた。
「え、達? リフィーアちゃん以外にいるの?」
「うん。トーイの子孫のウェルシール君」
尚も宿敵と睨み合いながら、カイは答える。
そんなカイを見て、ネレヴェーユは苦笑する。
「ええっ?! 私の子孫? というか、君、いつ会ったの?」
声を上げるエマイユに驚いたのか、カイの宿敵は木の枝から飛び立った。
「エマイユちゃんじゃなくて、トーイの子孫だよ。君はエマイユちゃんでしょ。トーイの子孫のウェル君とは初めて会ったのは七年前なんだけど、最近、また来てくれたんだよ」
「トーイの子孫ということはその人は王子なの?」
「違うよ。最近、王様になったばかりで、もうすぐ戴冠式らしいよ」
エマイユの声に驚いて飛び立っていった宿敵の後ろ姿を勝ち誇ったように笑みを浮かべながら、ネレヴェーユの問いにカイは首を振った。
「トーイの子孫はちゃんと王様をしているのね。どんな王様なのか見てみたいわ」
「とても良い子だよ。トーイと違って」
「おい、こら。ちょっとカイさんよ、最後の一言は聞き捨てならないなぁー」
にっこりと微笑み、エマイユはカイの肩を強く叩いた。
「もう一度、機会をあげるから、言ってごらん?」
「うん、いいよ。トーイはネリーや国の人達には優しいけど、俺やミシェイルにはひどかったよ」
エマイユににっこりと微笑み返し、カイは分かりやすく言った。
横で両手を口に当て、ネレヴェーユが笑いを堪えている。
「……カイ。君、やっぱり腹」
「カーエティース隊長ー! こんにち……わあぁーっ!」
エマイユの言葉に覆い被さるように灰褐色の髪をした青年がやって来た。何かに気付いたのか途中で叫び声に変わる。
「ん? やぁ、イスト君。いらっしゃい」
「ああああのっ! 俺、まずかったです、か……?」
何かに怯えながら、イストはカイに尋ねた。
「ん? 何もまずくないよ。大丈夫だよ」
何に怯えているのか気付いたのか、穏やかに微笑み、カイはイストに答えた。
「そ、そうですか……? でも、そちらのお嬢さんが……」
ぽつりぽつりと呟くように言い、イストは上目遣いにカイを見た。
「エマイユちゃん? エマイユちゃんは大丈夫だよ。俺がカエティスって知ってるしね。それに、彼女はトーイの生まれ変わりだよ」
「……え? た、隊長、今、何て言いました……?」
聞き間違えたのかもしれない、と思ったイストは尋ねた。聞き漏らさないように耳にしっかりと手を当てる。
「うん、だから、エマイユちゃんはトーイの生まれ変わりだよ」
「トーイ様の、生まれ変わり……? そちらのお嬢さんが?」
聞き間違えではなかったことが分かったイストは、今度は大きくその黒い目を見開いた。
まじまじとエマイユを見つめる。
「うん。似なくていいのに、性格そっくり」
「へ、へぇー……そうですか」
目を何度も瞬かせ、イストは尚もエマイユを見る。
「おいおい、こらこら。似なくていいのにって、どういう意味だよ?」
むっとした表情を浮かべ、エマイユはカイとイストを見た。
カイは何も言わずににんまりと笑い、イストは小さく頷いている。
「で? その人は一体、誰なの?」
「イスト君って言って、ミシェイルの生まれ変わりだよ。エマイユちゃんと同じだね」
笑みを穏やかに微笑に変え、カイはイストをネレヴェーユとエマイユに紹介した。
「え、ミシェイルの生まれ変わりですか……?」
「は、はい。お久しぶりです、ネレヴェーユ様」
イストはネレヴェーユにはにかむように笑い、挨拶をした。
「えー。ミシェイル、私より年上で、しかも男なのー? 何だか不公平ー」
明らかに自分より年上のイストを見て、エマイユは頬を膨らませた。
「そう言われても、年齢や性別は俺にはどうしようもないのですが……」
「そうだけど、年下だったミシェイルに見下ろされ、意地悪されると思うと、とっても不公平だね。カエティスとミシェイルをからかうのが私の楽しみだったのに」
「貴女が隊長や俺をからかうのは不公平じゃないんですか。それに、俺、意地悪してないのですけど」
「そうだ、そうだー。イスト君、もっと言ってあげて」
囃し立てるようにカイはイストに言う。
「……カエティス。君って、本当に腹」
「カエティス。腹減った」
再び、エマイユの言葉を覆い被さるようにカイの背後から低い男の声が聞こえた。
「……ビアン、さっき食べたばっかりなんだけど、もうお腹が空いたのかい?」
顔を向けて呆れたようにカイが言うと、背後からビアンの溜め息が聞こえた。
「結構、この姿は疲れるんだぞ」
「だから言ったじゃん。少しずつ元に戻した方がいいって」
「あっちの方が楽なんだ」
「楽な方を選ぶからだよ。だから、今になって困るんだよ」
カイも大きく溜め息を洩らし、空腹のため苦い顔をしているビアンを見る。
「ねぇ、カエティス。お話の途中だけれど、いい?」
躊躇いがちにカイの腕に触れ、ネレヴェーユが声を掛ける。
「ん? 何だい、ネリー」
「あのね、こちらの方のこと、さっきビアンって呼んだよね?」
「うん。呼んだよ」
「こちらの方、前に私がここに来た時に狼の姿でここにいなかったかしら?」
ネレヴェーユの問いに、カイは大きく頷いた。
その答えにネレヴェーユ達は瞠目する。
「では、貴方は魔狼ですか?」
カイからビアンに目を移し、ネレヴェーユは問い掛けた。
「そうだ。流石、女神。よく知ってるな」
頷いて答えるビアンに、ネレヴェーユとエマイユ、イストが険しい顔をする。
「……隊長。ちょっと、いいですか?」
ちらりとエマイユに目を向けながら、イストはカイに尋ねた。
エマイユと目が合い、彼女もイストに向けて慎重深く頷く。
「ん? どうしたの、イスト君」
「ここではちょっとアレなんで、隊長の家でもいいですか」
「う、うん。それはいいけど……」
「では、早速、行きましょう。ネレヴェーユ様、すみませんが隊長をお借りします」
「ええ、どうぞ」
小さく微笑み、ネレヴェーユは快諾した。
「ありがとうございます。さ、隊長。行きましょう」
「え、う、うん」
よく分からない様子で頷くカイの手をイストは掴み、木々の間にひっそりと建つ小屋へと向かった。
小屋へと歩いていくカイとイストの後ろ姿を見送り、ネレヴェーユとエマイユはビアンに顔を向けた。
「ここからカエティスを離したということは、カエティスのことで俺に話か?」
両手を組み、立ったままのビアンは切株に座るネレヴェーユとエマイユを見下ろす。
「話が早いね。話が早い人は好きだよ」
口の端を上げ、エマイユは膝に肘を置いて頬杖をつく。
座っているのは切株なのに、まるで玉座に座っているかのような態度だ。
横で同じく切株に座っているネレヴェーユはエマイユの前世、トイウォースを思い出した。
「単刀直入に聞くけど、君、カエティスを宿主にしてるの?」
「していない。相棒ではあるがな」
立ったままビアンは首を横に振る。
「……この大陸では、人間を宿主にして命を吸い、死した宿主を食べると言い伝えられている魔狼が、人間を宿主にしていない?」
否定するビアンにエマイユはその大きな青い目を、これでもかというくらいに見開いた。
「強い魔力を持っているカエティスなのに?」
「元々、俺は宿主を持つ気はなかった。そんなことしないで、とっとと食べた方が早いだろ」
当然と言わんばかりの表情で、ビアンは自信に満ちた声で答えた。
「た、食べる気だったの? カエティスを」
ネレヴェーユは驚きに目を見開いた。相棒が食べる気だったとは、恋人としては複雑な心境だ。
「カエティスがここにいるという噂を聞きつけ、そのためにここに来たのだが、あいつに挑んで負けた」
――色々な意味で。
そう続けず、ビアンは拗ねたような表情で呟いた。
「あぁ、君も負けた口か。トーイだった時の私も初めて会った時にカエティスに負けたんだよね。分かるよ、うん。で、結局、食べることをやめた君は宿主にしなかったのは何故?」
「興味深いヤツだから、暇潰しに見るのもいいかもなと思っただけだ。さっきも言ったが、宿主にする気は元々なかったからな」
「だから、相棒になったのですか?」
黙って聞いていたネレヴェーユがビアンを見た。
恋人が食べられずに済んだことに安堵したのか、にこにこと笑みを浮かべる。
「ああ。そうだ。だが、相棒というのを利用して、俺を使い走りにするけどな」
不満なのか、むすっとした顔でビアンは頷いた。
「俺、使い走りにした覚えは全くないんだけど」
困ったような、呆れたような声が聞こえた。カイの声だ。
「カエティス、お帰りなさい。お話、終わったの?」
カイが戻ってきて嬉しいのか、ネレヴェーユは極上の笑みを浮かべ、彼を見上げた。
「ただいま、ネリー。うん、こっちの話はね。そちらはどうだい? 終わった?」
「う~ん、まぁ、大体ね。本当はもうちょっと聞きたいことがあったけど、今度聞くよ。で、カイ。今日、君の小屋に泊まってもいいかな?」
「へ? 何でまた俺達の小屋に……」
「君と話をすることで頭がいっぱいになってて、宿を取るのを忘れてた」
あはは~と笑いながら、エマイユは頭を掻いた。
「……はぁ。分かったよ。いいよ、泊まっても」
観念したようにカイは頷き、了承した。
「あ、私も泊まってみたい!」
「ネリー……君もかい?」
手を挙げて主張するネレヴェーユにカイは苦笑した。
「だって、貴方がここの墓守りになってからの家には泊まったことがないもの。前の家にはあるけれど」
だから、泊まりたいの。と目で伝え、ネレヴェーユは上目遣いに恋人を見た。
「……いいよ。俺とビアンは外に寝る決定だけど」
観念したカイはうな垂れながら頷き、近くに立つ相棒をちらりと見る。
「……そうだな。流石の俺も女と同じ部屋では眠れないな」
息を吐き、ビアンもカイの言葉を承諾する。
「あっ、じゃあ、俺もいいですか? 隊長」
イストも手を挙げ、主張する。
「イスト君はウェル君と弟君が待ってるから駄目だよ」
「いえ、それが明日、ウェル様はウィンベルク公爵にお会いになる予定があって、明日の朝にカエティスの都に到着予定なんです。なので、俺はその手配に早く乗り込んだけなので、明日の朝まで空いてます」
だから、俺も入れて下さい。と言いたげな目で、イストは胸の前で両手を合わせてカイにお願いをする。
「……仕方ないなぁ。分かったよ。いいよ、イスト君も」
本当に仕方なさそうに、カイは了承し、息を吐いた。
「ありがとうございます! 隊長、夜は久々にアレやりましょう!」
まるで子供のようにキラキラと目を輝かせ、イストはカイに提案する。
「えぇっー?! 俺、墓守りになってから、シャベルはあるけど、全く剣を握ってないんだけど」
「シャベルを握っているなら大丈夫ですよ。俺、ずっとやりたかったんです。隊長と手合わせ」
「いいねー。私もやりたいなぁ。手合わせ」
イストの言葉に賛同して、エマイユも目を輝かせた。
「……あのね、エマイユちゃんにも昔言ったけど、君達はミシェイルでもトーイでもないんだよ。今はイスト君とエマイユちゃんなんだから、二人は今の生を生きないと。前の生に囚われて欲しくないな」
真剣な面持ちで、カイはイストとエマイユを見つめる。
「別に囚われてないよ。トーイと同じ魂だけど、残念なことに魔力はあっても『神の言葉』をちゃんと喋れないし、小さいしね」
鼻から小さく息を吐き、エマイユは続けた。
「トーイと似ていないところもたくさんある。考え方や生き方も違うところがあるよ。だから、別に囚われてるわけじゃなくて、前の生の経験を活かして生きてるだけだから、そんなに心配しなくていいよ」
明るく笑い、エマイユはカイに言う。
隣でイストも頷き、口を開いた。
「そうですよ、隊長。俺なんて、ミシェイルが嫌いだった貴族になってるんですよー? 今でも嫌いですけどね。それでも結構、楽しいですし、記憶があるおかげでこうして隊長やネレヴェーユ様にお会い出来たんですから」
「え、ちょっと、イスト。私は無視かい」
エマイユの呟きにネレヴェーユが吹いた。
「あ、いえ。この場合、貴女も俺と同じでしょう? だから、入れてなかっただけです、が……」
忘れて入れていなかった訳ではないのだが、エマイユを入れなかったイストはどう言えばいいのか困り果てた。
「ありがとう。前世に囚われているんじゃないかと心配だったけど、安心したよ」
穏やかに微笑み、カイは言った。
その優しい微笑みにエマイユ達は魅せられた。
「さて。夕暮れ時だし、小屋に入ろうか」
尚も微笑み、カイは空を見上げて言った。
「そうだね。あ、カイ、今日のご飯はー?」
「現地調達が基本だよ。俺、ここから離れられないし」
エマイユの言葉に、にっこりと笑ってカイは告げた。
「えぇー……現地調達って、野生な場所じゃないんだから、もう少し文化的なさ、やり方ってないの?」
少し引きつった表情でエマイユは問う。
問われたカイとビアンは顔を見合わせた。
「ないよな、ビアン」
「ああ、ないな」
「あるとしたら、栽培くらいだよな」
うんうんと相棒と頷き合いながら、カイは答えた。
「……何か、カエティスが五百年前の時よりも自分に無頓着になってる……。ネレヴェーユ様、どうしましょう……」
前世での親友が心配になったエマイユは彼の恋人に聞いてみる。
「そうですね……。一番はここから出ることだと思うのですけど、カエティスが出てしまうと折角の結界が解かれてしまいますし……。現地調達がどのようなものかは分かりませんが、男性らしくていいのではありませんか?」
にこにこと笑みを浮かべ、ネレヴェーユは答えた。その言葉に、エマイユはがっくりとうな垂れた。
「ネレヴェーユ様……。貴女も結構、暢気な方ですよね……。それとも、私の方がおかしいのかな」
小さく溜め息を洩らし、エマイユは地面に置いていた鞄を持つ。
「しょうがない。ちょっと、私が買い物に行ってきます。イスト、君は荷物持ちだから、ついて来い」
王のような命令口調でエマイユはイストを呼ぶ。
「えっ、俺ですか?!」
「今の話を聞いていたら分かるだろう? カエティスは墓地から離れられない。ネレヴェーユ様は女神様。魔狼は外見で目立ち過ぎ。ということは、ほら、君しかいないよね」
にっこりと有無を言わせない威圧的な笑みをエマイユは浮かべ、イストに言う。
「……何で最初だけ、トーイ様がよく使っていらしてた『嫌いな臣下と話す王様』風に喋るんですか」
「うーん、君のこと嫌いとかはないんだけど、やっぱりアレだよねー? ついからかいたくなるんだよねー」
「俺はすっごくからかわれたくないんですけど」
むすっとした表情で言い、イストはじっとエマイユを見る。
「そういう星の下に生まれたんだよ、きっと。さ、とにかく行くよ、イスト」
「……はい」
まだ何か言いたげな顔をするイストだが、仕方なさそうに従った。
「じゃあ、カエティス、ネレヴェーユ様、魔狼。行って来るね~」
「うん。二人共、気を付けてね」
イストを引き連れたエマイユにカイは手を振った。
エマイユに無理矢理、手を引かれたままのイストが切なそうな表情でカイを見つめていた。
「……ふふっ、貴方の周りってやっぱり楽しいわね」
口に手を当て、楽しそうにネレヴェーユは笑う。
「それに、皆さん、貴方想いの良い人達だわ」
「そうだね。俺はとんでもない罪を背負ってるのに、恵まれすぎてるんじゃないかって思うよ」
すたすたと小屋へ歩くビアンの後ろ姿を見つめながら、カイは頷く。
しばらく、カイは静かに自分の小屋を見つめ、穏やかに目を細めた。
何を見ているのだろうかとネレヴェーユは不思議そうに首を傾げる。
「……ネリー。もしかしたら、これから君をまた泣かせてしまうかもしれない。その時は……ごめん」
ぽつりとカイはネレヴェーユに目を向け、告げた。
申し訳なさそうなカイの表情に、ネレヴェーユは戸惑った。
「……どうして、そんなことを言うの? これから何かが起こるの?」
カイの腕に触れ、ネレヴェーユは不安げに彼を見上げた。
緩く首を振り、カイは静かに口を開く。
「分からない。けど、また君を泣かせてしまう。そんな気がする」
「……私は、貴方のことになるといつも泣いてばかりよ。でも、私は貴方と一緒に何処までもついて行くわ。カエティス」
潤ませた目で、ネレヴェーユは恋人に微笑んだ。
「ありがとう、ネリー」
穏やかに微笑み、カイはネレヴェーユの頬に優しく口で触れた。
「どういたしまして。私達も小屋に行きましょう」
嬉しそうに微笑み、ネレヴェーユはカイとビアンが住む小屋へと歩き出した。
「……俺、やっぱりネリーに弱いなぁ」
照れたように呟き、カイは天を仰いだ。
「……いつか、長い螺旋から抜けられたら、ネリー……」
――一緒に色々なところに行こう……。
カイの呟きは穏やかに吹く風に乗り、消えた。