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四章 影でうごめくもの



 時は、カイとネレヴェーユが再会する少し前に遡る。



 クウェール王国の王都ルヴィアの中央に位置するクウェーヴィア城内。

 その城主で、若き国王ウェルシールは誰にも知れず嘆息していた。


(大事な会議って言ってたけど、この会議の何処が大事なんだろう……。全く大事な話ではないじゃないか)


 心の中で嘆きつつも、ウェルシールは周りの者達に愛想笑いを浮かべる。

 ここは城内にある大きな会議室で、ウェルシールの周りには彼を支える貴族達と大臣。ウェルシールと対抗しているトイウォース本人とその彼を支える貴族達が集まっていた。

 そんなお歴々が集まって、一体、どのくらい大事な会議なのだろうとウェルシールは身構えていたが、内容は彼にとってあまり大事ではなかった。

 その内容は、ウェルシールの結婚相手についてだった。

 父王が急逝したため、やらなければならないことが山積みの今、結婚相手を選び、仲良くする余裕はウェルシールにはない。

 それに、まだ結婚をする気は毛頭なく、公務に慣れていないため、ウェルシールにとって書類との戦いの方が先決だ。

 書類を減らすためにも、会議をする時間さえも惜しい。

 昨日、城を抜け出して墓守りの青年カイに会いに行ったツケが早速回ってきたのだ。

 正直、早く終わりたい。

 それが今のウェルシールの願いだ。


(……この会議より、早く書類を終わらせて、カイさんの所に行きたいのに)


「……ウェル様、まだ結婚する気がなくても、ちゃんと話を聞いて下さい」


 ウェルシールの横に立っているエルンストが小声で告げた。


「何で分かったの?!」


 背筋を伸ばし、直立しているエルンストにウェルシールも小声で聞く。


「そりゃあ、長く一緒にいると分かりますよ~」


 のんびりとした小声で、イストが言う。

 緊張感漂う会議室内であるまじき暢気さだ。


「はい。ウェル様もイスト兄さんも貴族の皆さんの面倒臭い自慢話を聞いて下さい」


 小声でウェルシールとイストにエルンストは言い放った。とても苛々した声だ。


「エル君ってば苛々してるなぁ~」


 弟の苛々に慣れているのか、イストはのほほんとした口調で言う。


「イスト兄さん、後で説教してもいいですか」


 じろりと横目で睨み、エルンストは凄む。

 イストはそんな弟の脅しのような注意に怯むこともなく、肩を竦めた。


「――と、いうことで、ウェルシール陛下。是非とも我が娘を婚約者候補に!」


 いつの間にか、エルンスト曰く『貴族の皆さんの面倒臭い自慢話』から『貴族の皆さんの面倒臭い我が娘自慢話』に変わっていた。

 更には、ウェルシールに目を向けて他の貴族達が「ワルト伯爵のご息女より、我が娘を!」と矢継ぎ早に名乗りを挙げた。


「……え~っと……」


 突然、話を振られ、ウェルシールは口ごもった。


「ワルト伯爵、いきなりご息女を薦めては陛下も困惑されるだろう! 他の皆もだ。何のための会議だ」


 自分の娘を薦めるワルト達に、ウェルシールの近くに座る痩せてはいるが威厳溢れる初老の男性が怒鳴った。

 男性の一喝に、「自分の娘を!」と薦めていた貴族達が静かになる。


「オルレン宰相……」


 ホッと安堵の息を小さく洩らし、ウェルシールはオルレンに感謝を込めて会釈をした。


「流石、父さん。お年を召されても怖さは相変わらずだな」


 小さくイストが呟くと、エルンストがちらりと横目で見た。


「何処かの誰かさんが朝昼晩関係なくふらふらと出歩くから余計に怖くなるんですよ、イスト兄さん。何処かの誰かさんにも見習ってもらいたいですね」


「誰だろうねー。でも、エル。安心しろ。父さんの怖さはしっかりエルが継いでるから。俺は母さんに似て謙虚だから、父さんの真似は出来ないな」


 弟の皮肉たっぷりな物言いをさらりとかわし、イストは更に続けた。


「ところでエル。気付いてるか? 家族の自慢しか誇れるものがないらしい貴族の皆さんの面倒臭い話に参加していない貴族の方がお一人いらっしゃること」


 真面目な顔でイストは小声で弟に尋ねる。

 前半は皮肉を含めていたが、後半は明らかに相手の貴族に敬意を込めて尋ねていることに気付き、エルンストはまじまじと兄を見た。

 宰相のオルレンの子供である自分達も貴族なのに、その貴族を毛嫌いしている兄が貴族相手に敬意を込めていることにエルンストは驚いた。

 エルンスト達が小声で話していることを静かに聞いていたウェルシールも不思議そうに見ている。

 周りではしばらくは静かだったが、我慢が出来なくなったらしく、再び貴族達の自慢話が始まっている。


「え、ええ。もちろん。ウィンベルク公爵ですよね。それがどうかしたのですか、イスト兄さん」


「うん。ちょっと思い付いたことがあってね。公爵がどのように切り返して来られるかは分からないけど、試す価値はあるかな?」


 貴族達の自慢話を愛想笑いで聞くウェルシールをイストは申し訳なさそうに見つめ、呟いた。


「……何を試すつもりですか、イスト兄さん」


「まぁ、見てたら分かるって」


 爽やかに笑い、イストは弟の肩を叩いた。


「陛下! 是非とも、我が娘を陛下のお傍に!」


 懇願に近い声音で貴族の誰かが叫んだ。

 聞くのが疲れたウェルシールは愛想笑いを浮かべるだけに留め、言及は避けた。


「あの、ウェルシール陛下。少しだけ宜しいでしょうか?」


 更に何かを言いたげなその貴族より先に、イストが声を発した。


「どうぞ」


 貴族の娘自慢ばかりを聞かされていたウェルシールは、内心、ほっとしながら頷いた。


「ありがとうございます、陛下」


 恭々しく頭を垂れてイストは自分の主人に感謝の意を述べる。


「先程からウィンベルク公爵が何も仰っていらっしゃらないようですが……」


「そういえば、そうだな……」


 イストの言葉に同調するようにオルレンが頷きながら、顎に手をやる。


「――申し訳ございません、陛下。私には息子はいますが、娘はいません故、周囲の皆様の話を聞かせて頂いていたのです」


 静かにそう告げて、ウィンベルク公爵マティウスは頭をウェルシールに下げた。


「ん? 貴公には姪御がおられたのではないかな?」


 オルレンが思い出すようにマティウスに質問した。


「え、はい。確かに私の兄に娘がいましたが……」


 言葉を濁すように頷き、マティウスは少し顔を下に向ける。

 普段の公爵を知っているウェルシールとイスト、エルンスト、オルレンは彼の様子を不審に思い、眉を寄せた。

 他の貴族達もマティウスの一挙手一投足を見守っている。


「それで提案なのですが、ウィンベルク公爵の姪御様を陛下の婚約者候補にするというのは如何でしょう?」


 不審には思いつつも、すぐ質問に入り、イストはマティウスを真っ向から見つめた。

 マティウスは弾けたように下に向いていた顔を上げる。驚いて目を見開いている。


「お待ち下さい。確かに前の公爵である私の兄リゼラードには娘がいます。ですが、私の姪は兄夫婦が事故で他界した時から行方不明なのです」


 本当は行方不明でも何でもないのだが、マティウスはそう言わざるを得ない理由がある。それを押し隠して、マティウスは表情を変えず告げた。


「ですから、先程のご提案はなかったことにして下さい」


 マティウスはもう一度、ウェルシールに頭を下げた。


「行方不明? 公爵の姪殿は何か事件に巻き込まれたのですか?」


「……詳しくは分かりませんが、兄夫婦が事故に遭った時に行方不明に……」


「そうですか……。早く見つかるといいですね」


 心配そうな表情を浮かべ、ウェルシールはマティウスに小さく微笑む。


「ご心配頂き、ありがとうございます。陛下」


 マティウスは申し訳なさそうに頭を深々と下げた。


「――ウェルシール陛下、私も話しても宜しいでしょうか」


 その時、今まで静かに様子を窺っていたウェルシールの従兄で、貴族の中で強い権力を持つトイウォースが口を開いた。

 会議室の特に貴族達の雰囲気が、今まで漂わせたものと一気に変わる。

 金髪、黒色の目をしたトイウォースは口に三日月を作り、従弟であるウェルシールに顔を向ける。

 トイウォースの黒色の目とぶつかり、ウェルシールに緊張が走る。


「何でしょうか、トイウォース殿」


 緊張していることを相手に悟られまいとにこりと笑い、ウェルシールは返事をする。


「私もイスト殿の意見に賛成です」


 長机の上に両手を組み、トイウォースは静かに告げた。

 その一言に、ウェルシールやマティウス、貴族達、提案した本人であるイストも驚き、言葉を失った。


「……何故、賛成なのですか?」


 ウェルシールは平静を装い、静かにトイウォースに尋ねた。


「クウェール王家とウィンベルク公爵家は昔から交流が深い関係です。初代国王の妹がウィンベルク公爵家に嫁いだことがきっかけで、時折、王家に嫁いだり、公爵家に嫁いだりしているのです。そのような間柄なので私はイスト殿の意見に賛成したまでです」


 柔らかな笑みを浮かべ、トイウォースは告げた。

 貴族の中で強い権力を持つトイウォースが賛成したことで、今まで「自分の娘を!」と薦めていた貴族達が一斉に賛成に回った。

 その変わり身の早さに、イストは嫌悪を込めた目で貴族達を見る。


「……本当に長いものに巻かれるのが好きだよな、貴族って奴等は……」


 呆れ果てた声で呟き、イストは小さく息を吐いた。

 そんな家臣の言葉を聞きながら、ウェルシールはどう決断するべきか悩んでいた。

 正直なところ、まだ結婚する気はなく、今は公務などしなければいけないことが山積みとなっている。

 その中で一番、厄介なのがウェルシールの向かい側に座るトイウォースだ。

 ウェルシールが提案している話し合いにも応じないトイウォースの動きが未だよく分からない今、賛成していることを素直に受け取ってもいいのだろうか。

 トイウォースの賛成の裏に何かがある気がしてならない。

 ウェルシールは表情を変えずに息を吐いた。


「では、このようにしたら如何でしょうか。ウィンベルク公爵の姪御様が見つかり次第、婚約者として陛下とお付き合いをし、見つからなかった場合はもう一度、候補を探すというのはどうでしょうか」


 どう切り返せばいいのか悩むウェルシールに、エルンストが助け船を渡した。

 静かにウェルシールを見つめていたトイウォースはエルンストに目を向けた。


「――良い案ではないでしょうか。私も賛成です。ウェルシール陛下はどうお考えでしょうか」


 黒い目を細め、トイウォースは笑みを浮かべた。


「……良案だと思います。私も異存はありません。ですので、姪殿が見つかりましたらすぐに連絡を下さい、公爵」


 小さく頭を上下させ、ウェルシールは静かに告げた。


「承知しました、ウェルシール陛下」


 マティウスは頭を垂れ、若き国王の命に従った。

 そのやり取りをトイウォースは静かに見つめた。その目は先程までの柔らかな笑みではなく、冷やかな色を宿していた。




 やっと会議は終わり、ウェルシールは公務室の机に突っ伏していた。


「……何だか、今日の会議で一ヶ月分の気力と体力を使った気がする……」


 目の前に積まれている書類の山を見つめ、ウェルシールは呟いた。


「そうですね……。お疲れ様でした、ウェル様」


 穏やかな笑みを浮かべ、エルンストはウェルシールが突っ伏している机にお茶を置く。カップから湯気が立ち、茶葉の柔らかい香りが鼻に届いた。


「本当にお疲れ様でした、ウェル様。まさか、ウェル様のご結婚の話で、トイウォース様が口を挟んでくるとは思いませんでしたねー」


 のんびりと言いながら、イストはカップを口に運ぶ。


「そうですね。普段ならウェル様の話には全く見向きもしないですものね」


 不思議そうに言い、エルンストはトレイを近くの小さな丸テーブルに置く。


「僕は正直なところ、結婚の話で会議をする方が疑問に思うよ」


 カップを持って、お茶の柔らかい香りを楽しみながらウェルシールは言う。ゆっくりとカップを傾ける。


「それは仕方ないですね。ウェル様が決めないのですから」


 エルンストの一言に、ウェルシールは頬を膨らませた。

 先程までの年相応に見えた若き国王と同じ人物なのかと疑ってしまうくらいに子供っぽい仕種だ。


「まだ僕は結婚する気はないし、そんな暇はないよ」


「その割にはカエティスの都にいる墓守りに会いに行くのですね」


 にっこりと笑みを浮かべ、エルンストは皮肉たっぷりに言った。


「だって、カイさん、伝説の守護騎士のカエティスかもしれないんだよ、エルンスト」


 その言葉を耳にしたイストは思わず咳き込んだ。


「カエ……いやいや、墓守りが守護騎士、なんですか?」


 イストは咳き込みながら、呟いた。

 驚いたウェルシールとエルンストはイストに目を向けた。


「イスト、大丈夫?!」


「だ、大丈夫です……。お茶が詰まっただけなので……。どうぞ、気にせず、続きを」


 お茶を飲み直し、イストはウェルシール達に先を薦めた。


(……危なかった……。危うく、隊長のことを言いかけた……)


 心配そうにウェルシールはしばらく見つめていたが、イストが更に先を薦めたのでエルンストに向き直った。


「えーと、とにかく、僕はまだ結婚する気はないよ。いずれはしないといけないけど。だから、他の貴族達に口を挟ませないように、イストやエルンストがウィンベルク公爵に話を振って、公爵に姪殿のことを言わせたのも分かるけど……」


「けど、何ですか? ウェル様」


「姪殿は行方不明なのに、勝手に決めるのは申し訳ないよ。それに、僕はまだ戴冠式もしていないんだよ?」


 眉を寄せて、ウェルシールは呟き、カップを両手で包む。


「だからこそですよ。戴冠式後の方が大変になりますよ。貴族達の『自分の娘を!』合戦。それで宜しければ、私は今後、何も言いませんが」


 両腕を組み、エルンストは目の前に座る主を見下ろした。

 ウェルシールはエルンストの言葉に苦い顔をした。

 自慢や相手を蹴落とすことしか知らない貴族達の娘より、行方不明で会ったことはないが、欲もなく優しく接してくれるウィンベルク公爵マティウスの姪なら、ちゃんとした女性かもしれない。

 妥協するわけではないが、行方不明中のウィンベルク公爵の姪に、ウェルシールはほんの少しだけ希望を込める。


「……と、とにかく、ウィンベルク公爵の姪殿を僕達も探すよ」


「はい。承知してますよ。準備は整えてます」


 大きく頷き、エルンストは微笑した。


「それと……トイウォース殿の動向も」


「分かってます」


「あと、もう一つあるのだけど……」


 言いにくそうに、ウェルシールは上目遣いに目の前に立つエルンストを見上げた。


「何でしょうか、ウェル様」


「カイさんのことももう一度、調べてもらえないかな……?」


「……ウェル様。貴方はどれだけ墓守りが大好きなのですか」


 呆れた表情でエルンストは息を吐いた。


「どうしても、カイさんのことが気になるんだ。前にエルンストが用意してくれた資料を何度も読んでも謎だらけだから」


 やや俯き加減にウェルシールは呟いた。彼の机にはその資料も広げられている。

 ウェルシールの言葉に、近くで聞いていたイストは目を剥いた。


(……エルってば、隊長の何を調べて謎だらけの資料にしたんだ?)


 また咳き込んだら怪しまれると思ったイストは咳き込む前に、慌てて口に含んでいたお茶を飲んだ。

 確かに事情を知らない者が端から見ると、カイは謎だらけではある。

 あるのだが、何をどうしたら謎だらけの資料になるのだろうか。


(隊長が物語の主役になる前に、墓守りになった経緯をトーイ様が辻褄を合わせるように整えていたのに)


 顔を顰め、イストはカップの中にある残りのお茶を啜る。


「……分かりました。カエティスの都の墓守りのことも調べます」


 諦めたように、エルンストは頷いた。

 弾けるように顔を上げ、ウェルシールはまじまじとエルンストを見上げた。

 しばらく呆然とエルンストを見ていたが、すぐさま満面の笑みになった。


「ありがとう、エルンスト」


「お礼はまだ早いですよ、ウェル様。まだちゃんと墓守りの謎が解かれていないのですから」


 そう言って、エルンストは優しく目を細めて小さく微笑した。


「……隊長の謎って、何だろうな……?」


 自分の主君と弟のやり取りを聞きながら、イストは眉を寄せて呟いてしまった。

 慌ててイストは口を押さえて、ウェルシールとエルンストを見た。

 うっかり声に出したその呟きは誰にも聞かれることもなく、ウェルシール達は別の話題に移っていた。

 イストは安堵の息を洩らして椅子から立ち上がり、ウェルシール達に近付き、会話に入ることにした。






 時を同じくして、大きな敷地を有する屋敷で金色の髪、黒い目の青年は腕を組んで眼前の男を見据えていた。


「……つまらない意思表示をするなと私は言ったのだが、理解が出来ていなかったようだな、ワルト伯爵」


「も、申し訳ございません、トイウォース様」


 先程の会議で自信たっぷりだった表情とは打って変わって、ひどく怯えた表情でワルトは青年――トイウォースに頭を下げる。

 明らかにワルトの方が年齢が上のはずなのに、仕種や雰囲気はトイウォースの方が貫禄がある。


「……まぁ、いい。それより、ウィンベルク公爵の姪は見つかったのか?」


 椅子にゆったりと座り、肘掛けに凭れながらトイウォースはワルトに聞く。


「いえ……まだ見つかっておりません。カエティスの都の生まれと聞いていましたので、都中を探しましたが見つかっておりません」


 額から滴り落ちる汗を手拭き布で拭きながら、ワルトは説明した。


「……そうか。伝説の守護騎士と言われているカエティスの方はどうなっている?」


「は、はい。まだカエティスも見つかっておりません。カエティスに似た人物はいたのですが、生まれも年齢も違い、こちらも足踏み状態です」


 ワルトは同じように説明し、ちらりとトイウォースを見た。

 まだ年も若く知性も優れているトイウォースは、従弟でこの国の若き国王ウェルシールと三歳離れている。

 今年で二十三歳になるトイウォースと親子くらいの年の差があるのに、彼の中にある何かにワルトは怯えていた。

 自分でもひどく滑稽なのは分かっているが、それでも目の前に座る青年はその年齢にはそぐわない何かを醸し出していた。


「ウェルシールよりも先にウィンベルク公爵の姪とカエティスを見つけろ。いいな?」


 念を押すようにトイウォースはワルトに命令する。


「はっ、直ちに」


 そのトイウォースの命令に、ワルトは恐縮しすぎて曲がっていた背を慌てて伸ばして返事をした。


「それと、カエティスの都の墓地だが、手中に収めたのか?」


「いえ。こちらもまだ……。術者が亡者を使ってはいるのですが、浄化の力を持つ墓守りのようで、まだ手中に収めるに至っておりません」


「そうか。まぁ、あの墓地の番をするのなら、その程度の力は必要だからな……」


 小さく呟き、トイウォースは手を顎に置いた。


「トイウォース様、今、何と仰いましたでしょうか」


 トイウォースの言葉が小声で聞き取れなかったワルトは怪訝な表情を浮かべ、問い掛けた。


「気にするな。カエティスの都の墓地にも引き続き、術者を使って亡者を放て。分かったのなら、行け」


「はっ。失礼します」


 ワルトは敬礼して、トイウォースの部屋を後にした。

 ワルトが去ったのを確認したトイウォースは大きく息を吐いた。

 先程までの冷徹な表情と違い、眉を寄せて苦い表情を浮かべ、口を手で押さえた。


「ウェル、ごめん……」


 泣きそうな顔で口に手を当てたまま、トイウォースは小さくそう洩らした。

 彼のその目は先程にはなかった優しさが宿っていた。





 トイウォースの屋敷を出たワルトも馬車の中で大きく息を吐いていた。

 屋敷の敷地を出た今、ようやく緊張が解けたような気がする。

 自分の子供とあまり変わらない年齢のトイウォースに、何故か怯えていた自分が不思議でならないワルトは首を傾げた。


「……突然、トイウォース様の性格が変わられたのはいつからだ……?」


 そう呟き、ワルトは小さく見えるトイウォースの屋敷を見た。

 トイウォースの幼い頃から知っているワルトは、今の彼が不思議でならない。

 何年か前ではとても優しく聡明で、何よりウェルシールを本当の弟のように可愛がっていたのだ。

 そんなトイウォースが自ら王位で従弟と争うとは、ワルトは予想もつかなかった。


「カエティスを連れて来いと仰るが、生まれ変わりがいるのか……?」


 物語にもなっている伝説の守護騎士カエティスのことも、ウェルシールと一緒になってトイウォースは憧れていた。


『ウェルシールより先にカエティスを連れて来い』


 その言葉にワルトは悩む。

 五百年以上前に死んでいるはずのカエティスをどうトイウォースの元に連れて行けばいいのか。

 生まれ変わりとトイウォースは言いたかったのだろうか。

 それなら分かるのだが、生まれ変わりがいたとしても姿形が違うはず。

 以前から命令されていたので、手始めに物語や本を基にカエティスと背格好が似ている者を手当たり次第探してみたが、見つからなかった。

 前世だとか生まれ変わりだとかそういったことに興味がないワルトにとって、生まれ変わりが見つかっても、前世の記憶があるのか、ないのかすら分からない。

 更に前国王の弟の息子であり、貴族の中でも強い権力を持ち、ウェルシールが国王になった瞬間に第一王位継承権になるトイウォースに、伯爵の位を持つワルトが逆らえるわけがない。


「……どうしたものか」


 それだけを呟いて、ワルトはすっかり暮れてしまった空を馬車の中から見つめた。






 ワルトが馬車で悩んでいる頃、舗装された街道で真っ黒な空を見上げる少女がいた。


「あ。騎士と女神がやっと再会したみたいだ」


 安堵するような声音で、少女は呟く。

 少女が見上げる空には輝く星が二つ寄り添うように並んでいる。


「……ということは、そろそろ私の出番かな?」


 いたずらを思い付いたような笑みを浮かべ、少女は地面に置いた荷物を背負う。

 旅装束の少女はもう一度、空を見上げた。

 寄り添い輝く二つの星から少し離れた位置に、不気味に輝く星がある。

 その星が周りを巻き込むように、暗い輝きを増していた。

 眉を寄せて、少女は溜め息を吐いた。


「……今度こそ、止めを刺さないと、また長い螺旋から抜けられないよ、騎士」


 二つに結んだ長い茶色の髪の先を指でいじりながら、少女は青い目で不気味に輝くその星を睨み据えた。


「私も一緒に終わらせないと、ゆっくり出来ないから、早く騎士のところに行かなきゃ」


 そう言って、少女は止めていた歩をもう一度動かした。

 軽い足取りで歩きながら、肩に提げている荷物を背負い直す。

 少女の二つに結んだ長い茶色の髪が歩く度に揺れた。






「……え? サイラードお兄様、今、何て言いました?」


 眉を寄せて、リフィーアは目の前に立つ従兄に尋ねた。


「だから、最近、リフィが通ってる都の墓地には行くなって言ったんだよ」


 真剣な面持ちで、サイラードはリフィーアに告げた。


「どうしてですか」


 従兄の言葉にリフィーアは眉を寄せたまま問い掛ける。

 相変わらず謎だらけのカイがいる墓地にちょうど行くところだったリフィーアに、サイラードが突然、自宅に入ってくるなり、開口一番そう告げてきたのだ。

 理由を説明しないサイラードにリフィーアは内心、苛々していた。


「リフィは知らないだろうけど、あそこは夜になると墓荒らしが現れると噂が流れているんだ。だから、危ないから行っては駄目だ」


 心配そうな表情でサイラードは問いにやっと答えた。

 本当はもっと怖いものが現れるのだが、言うと止められるのは分かっているので、リフィーアは言わないでおいた。


「でも、私が行ってるのはいつも昼ですよ? 墓荒らしは夜でしょう?」


 いつだったか、カイに似たようなことを言ったな、と思いながら、リフィーアは言い返した。


「それとこれは関係ないよ。リフィは前公爵の娘で、私の大事な従妹なんだぞ。そんなリフィが大変な目に遭ったら……」


 サイラードは悲しげに眉を八の字にして、リフィーアと同じ緑色の目を潤ませた。

 『前の公爵の娘』は一言余計だが、自分のことを大事に思ってくれるサイラードにリフィーアは少しだけ心が揺らいだ。


「……お兄様が心配してくれるのはありがたいですけど、私、もうすぐ十七歳なんですよ? 成人の年齢になるんですよ」


 胸の前でぎゅっと拳を作り、リフィーアはそう告げた。

 両親もなく、一度、幼い頃に本当に大変なことに遭っているリフィーアを心配して言ってくれているのは十分分かっているのだが、もう少し離れた位置で見守って欲しい。

 従兄のサイラードは昔から近い位置で心配し過ぎる。

 過保護という言葉が当てはまるような従兄にリフィーアは困っていた。


(カイさんのように、大人な見守り方をお兄様もしてくれないかな……)


 六歳離れているサイラードと、年齢は相変わらず不明だがきっと大人なカイを比べながら、リフィーアは小さく息を吐いた。


「確かに、もうすぐ成人だけど、リフィが本当に心配なんだ。十二年前と同じようなことになったら……」


 泣きそうな顔でサイラードはリフィーアの身を案じる。

 従兄の言葉に、リフィーアは何も言い返すことが出来なくなった。

 十二年前に叔父の家族に心配を掛けてしまったことがあるからだ。


 十二年前。

 リフィーアがまだ四歳の頃。

 このカエティスの都の奥にある聖堂の近くで、黒い布を頭から足の先まで覆い被さった見知らぬ老人が、サイラードと共にいた幼いリフィーアを連れ去ろうとしたのだ。

 その様子をたまたま目撃した通りすがりの青年が助けてくれたおかげで、こと無きを得たが、もし、助けてくれた青年がいなかったら、リフィーアはこの世にいなかったかもしれない。

 リフィーア自身もそのことを大体は覚えているし、顔は覚えていないが助けてくれた青年にも感謝をしている。

 それでも、リフィーアはカイがいる墓地に行きたいのだ。

 まだ、自分の両親のことをしっかり聞いていない。

 どんなことがきっかけでカイと両親は出会ったのか、どんな会話をしたのか……まだまだたくさん聞きたいことがある。


「……サイラードお兄様には申し訳ありませんが、私は墓地に行きます!」


 そのことだけを残して、リフィーアは自宅を飛び出した。


「あ、リフィ! 行くのは駄目だっ!」


 声を張り上げてサイラードは言ったが、また一歩間に合わなかった。


「こうなったら、直接墓守りに言うしかないな」


 残されたサイラードは、リフィーアの自宅の扉を合鍵で閉めながら、小さくこぼした。






 従兄のサイラードから逃げるように自宅から飛び出したリフィーアは、足早に都の中央に位置する墓地へ向かっていた。

 いつも用意をしている差し入れを両手で抱えて、リフィーアは歩いた。

 墓地よりも奥に見える、都の端に立つ大きな聖堂の時計台をリフィーアは見上げた。


「いつ見ても大きいなぁ」


 小さい頃から見慣れているが、やはり大きなことには変わりはなく、リフィーアは小さく感嘆の声を洩らした。

 十二年前もこのように空まで届きそうなは大げさだが、とにかく大きな時計台を見上げながらリフィーアは歩き、頭から足の先まで黒い布を覆い被さった老人にぶつかった。

 すると、その老人は驚いたように自分を見て、手を掴んできた。

 そして、手を引っ張り、何処かへ向かおうと老人は歩き出した。

 リフィーアは突然のことに驚き、声を上げた。

 一緒にいたサイラードと、近くを通りかかった青年がリフィーアを老人から引き離してくれた。


「むぅ……あの時のおじいさんは何だったんだろう……」


 眉を寄せて、リフィーアは小さく呟いた。

 今思うと、あの老人は自分の何を驚き、何処へ連れて行こうとしたのだろうか。

 そして、その時、自分を助けてくれた青年は誰だったのだろうか。

 顔も声も全く思い出せず、あれから一緒にいたサイラードに聞いても、彼も思い出せないと言っていた。

 四歳だったとはいえ、少しでも何か覚えているだろうと思うのに、何も思い出せないのは何故だろう?


「うぅ……やっぱり分からないや。私って、本当に頭が悪いなぁ」


 大きく溜め息を吐き、リフィーアは肩を落とした。

 落胆した様子の自分が近くの家の硝子に映っていることに気付き、リフィーアは姿勢を正した。


「落ち込んでもしょうがないか。カイさんとたくさん話して、鬱憤を晴らそう!」


 ぐっと拳を握り、リフィーアは差し入れを片手に足早に都の中央にある墓地へと向かった。






 墓地へと続く門をくぐり、リフィーアはまっすぐカイとビアンがいるはずの小屋に向かう。

 その道すがら、リフィーアはふと立ち止まった。

 舗装された道から、その先にある墓地を見つめ、眉を寄せた。

 前の時と同じように先客と言っていいのだろうか。

 怪しげな連中がぞろぞろと墓の周りを歩き回っている。


「あの人達、何をしているの……?」


 前の時と違い、明らかに怪しく、挙動不審な連中がこちらからではよく分からないが何かをしながら歩き回っている。

 泥棒か何かなのだろうか。


「でも、今ってお昼過ぎよね……?」


 泥棒の活動にしてはまだ日が高く、何より人目につく。

 不思議でならないリフィーアは更に眉を寄せた。


「カイさんとビアンさんもどうしてかいないし……」


 リフィーアは怪しげな連中を警戒しながら、辺りを見回した。

 墓地の隅にある木に縋ってのんびりとしているカイや、彼の横で眠ったりしているビアンがいない。

 いつもならいるのに、今日に限っていないことにリフィーアは疑問に思った。


「墓地から離れられないって言ってたのに、カイさん達、何処へ行ったのかな……」


 腕を組み、じっと怪しげな連中を見つめながら、リフィーアはどうしていないのか考え始めた時だった。

 墓の周りを歩き回っている怪しげな連中のうちの一人がリフィーアの視線に気付き、こちらに顔を向けた。


「!?」


 目が合ってしまったリフィーアは驚き、身体がびくりと震えた。

 生気のある顔を見たことで、以前、見た亡者とは違い、怪しげな連中は生きていることが分かった。 よく見ると全員、この都の住民ではない見知らぬ男だった。

 だが、目が虚ろで意志がないようにリフィーアには見えた。

 目が合ってしまったことで、怪しげな連中が全員、リフィーアに近付く。

 怖くて、足がすくみ、声も出ない。

 どうしようかと考える暇もなく、前後の舗道をいつの間にか押さえられてしまい、墓地の外にも逃げることが出来ない。

 リフィーアは震えながらも辺りを見回した。

 唯一、逃げることが出来そうな場所をやっと見つけた。

 木の蔓や葉の長い草に覆われた茂みなら、小柄な類に入る自分なら、逃げられるかもしれない。

 怪しげな連中の手がリフィーアに伸びたと同時に、彼女は勢いよく茂みに飛び込み、駆けた。

 そのまま、カイ達が住む小屋へと向かう。

 息を切らしながら、リフィーアは振り返った。

 蔓や草が邪魔なようだが、怪しげな連中も追い掛け、茂みを走っている。


「ついて来なくていいよ! どうして追い掛けて来るのよっ」


 恨み言を吐き、リフィーアはもう限界に近いが少し走る速度を上げた。

 カイとビアンの小屋に入ろうと思ったが、怪しげな連中が迫っているため諦めたリフィーアは墓地の奥へと駆けた。


「もう怒られてもいいから、行っちゃえっ!」


 墓地の奥は都の住民はもちろん、都の長でも入ることが許されていないのは住民であるリフィーアも知っているが、今回は緊急を要する。後で怒られてもいいから、怪しげな連中からとにかく離れたかった。

 初めて、墓地の奥に足を踏み入れたリフィーアは後ろを気にしながら自分と同じくらいの背の草むらに素早く入り、隠れた。


「……何でカイさんもビアンさんもいないの」


 小声でリフィーアは呟き、草の葉の間からじっと怪しげな連中の動向を窺った。

 すると、草の間から手が伸びてきた。


「きゃあっ!」


 いきなり現れた手に驚いたリフィーアは声を上げた。

 手はそのままリフィーアの右手首を掴み、持ち上げた。

 手首を掴まれ、リフィーアは宙吊りのまま、足をばたつかせた。

 手首に痛みを感じ、顔を歪ませながら掴んできた相手をリフィーアは見た。

 先程の怪しげな連中のうちの目が合った男だ。

 虚ろな目で、持ち上げたリフィーアを男は見る。


「放してっ!」


 リフィーアは男が怖くなり、声を上げながら足を思いきり振り上げた。

 ちょうど男の手に当たり、掴んでいる力が緩んだ。

 それを見逃さず、リフィーアは男の手から自分の手を引き剥がし、地面に足を着けてもう一度駆けようとした。

 そこへ他の男達が追いつき、リフィーアを取り囲んだ。


「きゃっ!」


 虚ろな目の男達に怯え、リフィーアは一歩、また一歩と後退しようとするが、後ろにも男がいることもあり、後退出来ずにいた。

 何処か逃げられる場所がないかと辺りを見回した時、背後から手が伸び、リフィーアの首に手刀を当てる。


「うっ……!」


 強烈な痛みを感じ、リフィーアは呻いて意識を手放し始める。


「リフィーアちゃんっ!」


 地面に崩そうになったところを緊迫した声と共に誰かが上体を支えてくれたが、リフィーアは誰なのかを確認する前に完全に意識を手放してしまった。




 リフィーアが怪しげな連中に襲われていた頃。

 墓地の奥の奥、最奥でカイは眉を寄せていた。


「うーん……結界の綻びは何処にもないんだよなぁ」


 顎に手を当て、じっと目を凝らし、カイは唸った。


「なら、問題ないだろう」


 カイの言葉にこちらも眉を寄せ、ビアンが低く呟いた。


「いや、そうなんだけど、何か違和感がさぁ……」


「結界の綻びはないのだろう? 昔、心配しなくてもいいと言ったのはお前だぞ。カエティス」


 ビアンの言葉を聞きながら、両手を組み、カイはもう一度、唸る。


「それでも、何か違和感というか、嫌な予感が感じるんだよなぁ」


 小さく長い息を吐き、カイはそう呟いた時だった。


『きゃあっ!』


 聞き覚えのある女の子の悲鳴が墓地から響いた。


「今の声、リフィーアちゃん?!」


 目を見開き、カイは墓地の方へ頭を巡らせる。


「そのようだな」


 同じようにビアンも墓地を見つめ、頷いた。


「……おい、カエティス。マズイぞ。小娘が人間に襲われてるぞ」


 墓地から漂う空気に含まれる匂いと音を感じ取り、ビアンは低い声で告げた。その声には焦りが混ざっていた。


「えっ、人間?! 何でなのかは後にして。ビアン、行くよ」


「……俺も行くのか!?」


 驚いた声音で、ビアンは勢いよくカイの顔を見た。


「当たり前だろう? 場所はビアンが知ってるんだからさ」


「すぐそこだ、すぐ。だから、行かなくてもいいだろ」


「駄目。俺が相手を止めてる間にビアンはリフィーアちゃんを小屋に連れて行ってもらうから」


「俺が小娘を連れて行くだと? 何故、俺が。相手を止めないで、倒せば早いだろ」


「ビアンはそれがあるから、駄目なんだって。亡者は会話が出来ないから浄化するしかないけど、人間は会話が出来るだろう? だから、話し合いが先」


 近くの木に立て掛けていたシャベルを手に持ち、カイは答えた。


「話し合い? まどろっこしい。そんなことしないで、とっとと相手を倒して、食べれば都の連中に見つからないだろう」


「……だから、何で相手を食べようとするんだよ。それをしたらおしまいって、前から言ってるだろう? 分かったら、ビアン。行くよ」


 急かすようにそう言いながら、カイは走った。


「おいっ、カエティス! 全く……仕方がない奴だ」


 溜め息を吐き、ビアンは仕方なさそうにカイの後を追った。






 墓場の最奥から出ると、目の前でリフィーアが見知らぬ男達に手刀を当てられ、倒れようとしていた。


「リフィーアちゃんっ!」


 声を上げ、慌ててカイは駆け寄り、倒れようとしているリフィーアの上体を支える。


「リフィーアちゃん!」


 ぐったりとして気を失っているリフィーアに、カイは彼女の名を呼ぶ。だが、反応しない。


「気絶したようだな」


「うん……怪我はないみたいだけど……」


 隣にやって来たビアンの言葉に頷き、カイはリフィーアに怪我がないか確認する。怪我がないことにほっと安堵の息を洩らす。


「――とにかく。早くリフィーアちゃんを小屋に連れて行……わっ」


 隣に立つ相棒に話しながら、リフィーアを抱き上げようとしたカイは風を切るような音を耳にして、慌てて彼女を守りながら身を屈める。

 リフィーアを守りながら、カイは目の端で風を切った原因を見る。

 怪しげな連中の一人が刃の長いナイフを持っている。


「大丈夫か?」


「……うん。でも、いきなりナイフはないよなぁ」


 少しむっとしながら、カイは呟いた。

 その言葉に反応したのか、そうではないのか、怪しげな連中それぞれがナイフを手に持ち始める。


「良かったな。お前の期待に応えて、ナイフを持ってくれたみたいだぞ」


「全然、期待していないんだけど……。むしろ、面倒になっちゃったんだけど」


「だから、言っただろう? とっとと相手を倒して食べた方がいいと」


「いや、だから、それは駄目だって俺、言ってるよな、ビアン」


 長い溜め息を吐きながら、カイは気を失ったままのリフィーアに顔を向ける。

 怖かったのか、眉間に眉を寄せてカイの黒いマントを掴んでいる。

 強く掴んでいるリフィーアの手をそっと外し、カイはビアンを見た。


「ビアン。リフィーアちゃんをよろしく」


「そのことだが、俺では小娘を運べな……」


「却下。ちゃんと人の姿になったら運べるだろ?」


 にっこりと笑顔でカイが告げると、ビアンは渋面になった。


「……はぁ。仕方がない。分かった。小娘を運べばいいのだろう? 全く人使いが荒い」


 大きな溜め息を吐きながらビアンは呟き、彼の身体が白い光に包まれた。

 カイが瞬きをいくつかした時、白い光は収まり、そこには白銀の毛並みの狼から肩までの長さの白銀の髪の青年に姿を変えたビアンが立っていた。


「これでいいのだろう、これで」


 拗ねたような表情を浮かべ、ビアンはそっぽを向く。


「ありがとう、ビアン。リフィーアちゃんをよろしく」


 拗ねるビアンに苦笑して、カイは気絶したままのリフィーアを彼に預ける。

 ビアンは諦めたように頷き、リフィーアをカイから引き受ける。

 リフィーアを慎重に抱き上げ、ビアンは自分達が住む小屋へ向かった。

 小屋へ向かうビアンを見送り、カイは怪しげな連中を見た。

 どういうわけか、彼等はお互いにナイフを向け合っていた。


「仲間かどうかは分からないけど、仲間割れ……?」


 不審に思いつつも、カイは相手が動いた時に応じられるように様子を窺う。

 カイの様子に気付いた一人が、こちらを向いた。


「ハカモリ、コロス。ボチ、テニイレル」


 ゆっくりカイの方へ歩きながら、怪しげな連中は呟くように言った。


「あー……俺狙いだったのかぁ……。リフィーアちゃんにもこの人達にも悪いことしちゃったな」


 息を吐き、カイは頭を掻いた。

 その時、怪しげな連中がそれぞれ動いた。

 怪しげな連中それぞれのナイフがカイを襲う。

 カイは胸に刺さる寸前のところを横にとんとんとテンポ良く跳び、器用に避ける。


「うーん……何だか操られてることもあって、躊躇いないなぁ」


 いくつものナイフの切っ先を舞のように躱し、カイは頬を掻く。

 ナイフを避けながら、目だけを動かして辺りを見回す。


「やっぱり術者の気配はしないし。参ったなぁ」


 困ったように言い、カイは軽い足取りで攻撃を躱し、立ち止まろうとした。

 そこへ、怪しげな連中の内の一人のナイフがカイの左腕を掠めた。


「……っ!」


 少し眉をひそめ、カイは連中との距離を取った。


「いたた……。本当に躊躇いがないなぁ」


 困ったように呟き、カイはナイフが掠めた左腕を見た。

 きれが裂かれ、二の腕に赤い線が浮かんでいる。


「相手は人だから、あんまり手も出せないし……うーん、困った」


 大きな息を洩らし、カイは対処に悩んだ。

 もちろん、ビアンが言っていたようなことをするつもりはない。


「方法といえば、気絶させるか、動けないようにさせるか、あとは話し合い、か……」


 間合いを狭めて近付いてくる怪しげな連中達をカイはシャベル片手に見つめる。


「とりあえず、一番無理そうな話し合いからやってみようか」


 長い息を洩らし、カイはシャベルの金属部分を地に突き刺し、怪しげな連中達を見据えた。


「あのさ、皆さん。そんな物騒な物を置いて、俺の話を聞いてくれないかな?」


 爽やかな笑みを浮かべ、カイは怪しげな連中達に話し掛けた。

 が、怪しげな連中達は耳を傾けることなく、カイに近付いてくる。


「……やっぱり駄目かぁ。うーん、じゃあ、次に無理そうな気絶でやってみようか」


 大きく溜め息を吐き、カイはシャベルを地面から引き抜いた。

 カイはちょうど目の前にやって来た男の首筋に、シャベルの柄の先を強く当てた。

 しかし、術者に操られていることもあり、男は倒れない。

 その男がカイの脇腹目掛けて、ナイフを突き出した。


「わわっ!」


 カイは咄嗟に後ろに飛ぶが、ナイフの切っ先が脇腹を掠める。


「危ないなぁ……。避けれて良かった。刺さってたら、ネリーに怒られるところだった」


 安堵の息を洩らし、カイは額の汗を拭った。


「気絶も無理だったし、最後は動けないようにする、か……」


 小さく唸り、カイは腕を組んだ。


「あんまり使いたくない方法だけど、これしかないし、やってみようか」


 そう呟き、カイは怪しげな連中から再び距離を取った。

 両足を少し広げて構えたカイは、右手を前に突き出した。

 その右手から白い光で出来た紋様が現れ、どんどん大きくなって広がっていく。

 白い光の紋様は意思を持つかのように、怪しげな連中達の足元へと飛んでいく。

 怪しげな連中全員の足元に白い光の紋様が付き、より一層輝きを増す。


「申し訳ないけど、強制的に家に帰ってもらうね。もちろん、解呪もしておくから。巻き込んでごめんね」


 申し訳なさそうにカイは言い、白く光る右手を横に滑らせる。

 カイの動きに反応して、怪しげな連中の足元で輝く白い光の紋様が彼等の全身を包む。

 しばらくの間、光は輝き続けた。

 輝きが収まると、怪しげな連中の姿は墓地になかった。


「……これでよし、と。いたた……」


 眉を寄せてカイは自分の左腕を見た。

 見ると、左の二の腕から血が流れていた。


「あれ。結構、深かったんだ」


 右手で左の二の腕を押さえ、カイは辺りを見回した。人や亡者の気配はない。


「今のところは誰もいないし、小屋に戻っても大丈夫みたいだな。リフィーアちゃんの様子を見に行こうか」


 左の二の腕から手を離し、シャベルを持ってカイは先程まで自分がいた墓地の最奥に目を向けた。

 都の喧騒が時々聞こえる都寄りの墓地とは違い、声は最奥までは届かない。

 とても静かな墓地の最奥をカイは見つめる。


「……今度は誰もお前の犠牲にはさせないよ」


 しばらく見据え、カイはビアンとリフィーアがいる自分が住む小屋へ向かった。


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