二章 墓地での出来事と王の憧れ
昔々、緑豊かで、美しい女神が守護をする国、クウェール王国がありました。
その国の隣の小さな山に全てが白い、悪魔がいました。
クウェール王国は緑や資源が豊かで、名前も何も持たない『白い悪魔』と呼ばれる悪魔は、美しい女神が守護をする豊かな国のクウェール王国を欲しがり、何度も何度も襲い続けました。
クウェール王国の守護をしていた美しい女神は、国を襲う悪魔にとても心を痛めていました。
そんなある日。
クウェール王国の王都から北に位置する街から心優しい勇敢な赤い髪、水色の目をした騎士がやって来ました。
その騎士は部下と共に幾度も襲ってくる『白い悪魔』から、クウェール王国を必死に守りました。
心優しい勇敢な騎士と国を守る美しい女神はいつしか恋に落ちていました。
騎士は愛する女神と国を守るため、『白い悪魔』と戦いました。
何日も戦いは続きましたが、騎士はついに『白い悪魔』を倒しました。
戦いを見守っていた女神と王様や国の人々は喜びに沸き上がりました。
しかし、『白い悪魔』を倒した騎士も大怪我を負ってしまい、その場に力尽きて倒れてしまいました。
女神達は大いに悲しみ、死んでしまった騎士を生まれ育った街に丁重に葬りました。
悲しみに暮れた人々は、国を守ってくれた騎士を忘れないために、彼が生まれ育った街に彼の名を付けました。
その街の名は――カエティスという……。
都や国はもちろん、子供の寝物語としても有名なこの話の本を斜めに読み、明るい茶髪の青年はその緑色の目を輝かせた。
子供の時から何度も読んでいるが、その子供の時からこの物語の騎士――カエティスに青年は憧れていた。
そして、青年はこの物語の騎士をとても欲していた。
理由は、この物語の最後の一文にこう書かれていたからだ。
『女神に愛された心優しい勇敢な騎士は祝福を受け、彼はいつの日か甦るだろう……』
このように綴っているのだから、真実に違いない。
そう青年は思っている。
事実、青年は情報を掴み、物語の憧れの主人公らしき人物に会っているのだ。
カイという名の墓守りに。
「残るは彼が本物って証拠か……」
小さく呟き、青年は本を閉じた。本を机の端に丁寧に置き、机上に散らばった書類を整え、目を通す。
幼い頃から共にいる家臣に探らせた墓守りのカイの情報だ。
調べるとどんどん謎が深まる彼に、青年の予測が確信に変わりつつある。
本当は自分で探り、確信したいところだが、今は忙しく、とても外に出られる状況ではない。
王である父が急逝し、代わりを務めなくてはならない。
父の後を継ぎ、王になった青年は誰もいない公務室で溜め息を洩らす。
「伝説の守護騎士カエティスが僕の許で働いてくれたら、今の状況が変わるだろうか……」
青年は窓から空を見つめながら呟いた。
ここクウェール王国の王都ルヴィアの中央に位置するクウェーヴィア城では、今、前国王が急逝したことで貴族達の派閥が二分する状態が続いている。
前国王の息子で、二十歳という若さの現国王ウェルシールを支持する貴族達と前国王の重鎮だった者達。前国王の弟の息子で強い権力を持つ貴族、トイウォースを支持する貴族達だ。
貴族達が二分し対立したことで、緩やかではあるが国の状況も悪い方向へ進んでいる。
国民達にはまだ影響はないものの、いずれ影響が出てくる。
それを防ぐためにも、青年――ウェルシールは何度も従兄でもあるトイウォースに対話を持ち掛けるのだが、拒否されている。
従兄に拒否され続け、打つ手のない若き王にとって、物語の中の伝説の守護騎士はいつの間にか拠り所になっていた。
一度、伝説の守護騎士カエティスの墓を訪れた際に会った墓守りは、物語の中の彼にとてもよく似ていた。
幼い頃からの憧れと、自分の周囲の現状を憂い、彼が本当にいたらという強い切望が同居しているのが、今のウェルシールだ。
「……本当にあの墓守りが彼なら、僕は王として頑張れるのに」
国民達が聞いたら、怒るであろうことを呟き、ウェルシールは重い息を吐いた。
午前の仕事が終わり、今は昼食時で幼い頃から共にいる家臣も休憩を取らせるために下がらせたので当分は誰も来ない。
今なら、城から抜け出せることが出来るかもしれない。
頭の中で誰かが囁いているような気がした。
「そうだ。今から墓守りの彼に会いに行こう」
そう決めたら、ウェルシールの行動は迅速だった。
手早くお忍び用の服に着替え、護身用の短刀を懐に忍ばせ、心配させないように家臣宛に手紙を短く綴る。
すぐ公務室の本棚の裏にある隠し通路から城を抜け出した。
逸る気持ちを抑え、漆黒の毛並みの愛馬に乗ったウェルシールは王都の外に出た。
目指す場所は王都の北、カエティスの都。あの伝説の守護騎士が生まれた都だ。
早馬で行けば、約半日で着く場所へウェルシールは目指した。
その行動が、対立する従兄との間に、更に深い溝が出来ることをこの時のウェルシールは知る由もなかった。
朝が訪れ、リフィーアはカーテンの隙間から射し込む太陽の光で目を開けた。
ゆっくりと起き上がり、目を擦りながらベッドから出る。
小さく欠伸をして、ポットに水を入れ、火を点けた。
水が沸騰するまでの間に、顔を洗い、服を着替える。
リフィーアはいつもの朝を迎えられたことに、死んだ両親と国を守護する女神に感謝した。
そして、昨日新たに買ったパンを食べた。墓守りの青年カイにあげて、両親の墓に供えてなくなったため、帰りに買ったものだ。
硬いパンをかじり、リフィーアはコップの中の水を眺めた。
「いつも一人なのかなぁ、カイさん」
昨日、墓地で出会った透き通った水のような水色の右目、意志の強い鋼のような銀色の左目を持つ墓守りを思い出し、リフィーアは呟いた。
彼の相棒で狼のビアンがいるとはいえ、毎日一人は辛いのではないのか。
リフィーアも一人で暮らしているが、隣の家には両親の友人が住んでいて、ほとんど毎日顔を出してくれる。
叔父の家族も近くに住んでいるので寂しくはない。最近は何かと理由を付けて、自分を公爵になるように言ってくるので逃げているが。
リフィーアの周りは皆、優しく接してくれる。周囲の人達に支えられて生活しているが、カイはどうなのだろう。
「……むぅ、気になる」
眉を寄せ、大きな緑色の目を細める。
「考えてもしょうがない! 本人に聞きに行こう!」
リフィーアはすっくと椅子から立ち上がり、食器類を片付ける。
片付け終わり、リフィーアは家を出た。
「……えーっと、だからって、どうして来ちゃうかなぁ」
金の色が所どころ混じっている赤い髪を掻き、カイは困った顔で呟いた。
「私、気になると眠れないんですよ。それに、私の両親のこと、知りたいんです」
だから遊びに来ました、と屈託のない笑顔でリフィーアは自分より頭一つ分背の高いカイを見上げた。
「いや、あのね? ここは結構、危ないんだよ。昨日も言ったように、夜は泥棒さんや危ない人達が来るし、怖いものも出て来るし」
「でも、それは夜でしょう? 今はお昼前だし、人通りもありますよ」
尚も、にっこりと笑い、リフィーアは言った。
痛いところを突かれ、カイは小さく息を吐く。その横でビアンが鋭い牙を見せる。
墓守りの相棒が自分達の会話を聞いて笑っているようにリフィーアは感じた。考え過ぎだと思うが。
「そういう問題じゃないんだけど……。まぁいいや。でも危なくなったら、すぐ逃げること。いいね、リフィーアちゃん?」
リフィーアの押しに観念したのか、カイは苦笑した。
「はい! 分かりました!」
「……俺って、小さい子に弱いなぁ」
リフィーアに聞こえないくらい小さな声で、カイは呟いた。
「……小さい子にというより、女の子にな」
横で聞いていたビアンもリフィーアに聞こえないくらい小さな声で訂正した。
「それで、俺に聞きたいことって何かな?」
「えっと……ちょっと聞きにくいことを聞いてもいいですか……?」
申し訳なさそうな、言いにくそうな表情でリフィーアは見上げた。
「ん? 何だい?」
「カイさんって……ご家族はいらっしゃるのですか?」
「家族? いないよ」
あっさりとした口調で、カイは答えた。
「えっ?! あの、失礼なことを聞いてしまってごめんなさい!」
あっさりと答えられ、リフィーアは驚きつつもすぐに謝った。
あっさりではあるが、もしかしたら怒っているのかもしれない、そう思ったからだ。
「気にしなくていいよ。全然、失礼じゃないから」
穏やかに微笑し、カイは言った。
その横で、ビアンも牙を見せる。
「そうですか? 良かった……安心しました。あの、もう二ついいですか……?」
「ん? どうぞ、遠慮なく」
頷きながら、カイは林檎を搾った飲み物を口に入れる。
リフィーアが差し入れてくれたものだ。
「あの……恋人っていますか?」
リフィーアの質問に、カイは口に入れた林檎を搾った飲み物を勢いよく噴いた。
「……え? さっきまで家族の話だったよね? それはもう終わったのかな?」
口の周りに付いてしまった飲み物を布で拭きながら、カイは尋ねた。
尋ねられ、リフィーアは大きく頷いた。
「そうなんだ……。いきなり、その話に発展するんだね……」
布を懐に戻し、カイはもう一度、飲み物を口に入れ、飲み干す。
「えーっとね、恋人は……まぁ、その……昔、いたよ。うん」
歯切れの悪い言い方で、小さく呟くようにカイは答えた。
彼のその答えに、リフィーアは僅かに眉を寄せた。
「あの、ということは今はいないのですか?」
「まぁ、今はお互い遠くに離れてるし、会えないからね。上手く言い表せないけど」
頬を掻きながら、遠くを見つめながらカイは言った。
彼が見つめる方向に恋人がいるのだろうか……そう思いながら、リフィーアは彼が見つめるその方向に顔を動かす。
その方向は墓地の奥へと続く道があり、その先にはこの都の長も、一般人も入ることが許されない場所がある。更にその先は王都ルヴィアがある。
(王都に恋人がいるのかなぁ。でも、王都ならそんなに遠くないよね……?)
穏やかに懐かしむように遠くを見つめるカイに、リフィーアは首を傾げた。
王都ルヴィアは、カエティスの都から早馬で行けば、約半日で着く場所だ。
普通の馬でも約一日で着く。
もし、王都に恋人がいるのなら会いに行ける距離だ。
王都よりももっと遠い場所に恋人がいるのだろうか。
そこで、リフィーアははたと気付いた。
(王都よりもっと遠いところって、もしかして……死者の世界?!)
もし、そうなら確かに会えない――遠い場所だ。
だから、カイはこの世で死者の世界に一番近い墓守りをしているのだろうか。
(本当にそうなら、カイさん、悲しすぎるよ……)
一つひとつ散らばった欠片が繋がるような気がして、リフィーアは眉を八の字にしてカイを見た。
「……おーい、リフィーアちゃん。ぼーっとしてるよ? 大丈夫?」
リフィーアを心配そうに覗き込むように顔を近付け、カイは声を掛ける。
考え込んでいたリフィーアはカイの声で我に返り、目を彼に合わせた。透き通った水のような水色の右目と鋼のような意志の強い銀色の目にぶつかる。
色が違うその不思議な目が、とても近い位置にあることにリフィーアはやっと気が付いた。
「――! わぁっ、カイさん、近いっ」
「ああ、大丈夫、大丈夫。襲わないから。リゼルくんとフィオナちゃんに怒られちゃうよ」
リフィーアの反応に苦笑しながらカイは言った。
「俺の恋人とかそのあたりの話は今度にして、今日は帰るかい?」
心配そうにリフィーアの顔を覗き込み、言う。
「い、いいえっ! 大丈夫ですよ! 聞きたいことがまだまだあるんです。それを少しでも解消しないと眠れません!」
「あはは……。俺のことを聞いたって、とてもつまんないよ?」
「そんなことないですよ。カイさんとたくさんお話しがしたいです!」
胸の前で拳を作り、リフィーアは目を輝かせた。
「……いやぁ、そう言われても墓守りをして、カラスと食べ物で戦ってるだけだしなぁ……。他は何もないよ?」
「そんなことありません! とっても気になりますよ、カイさんが」
にっこりと笑顔でリフィーアは答えた。
言われたカイはリフィーアから少し目を逸らしつつ、困ったように頬を掻いた。
「ところで、質問に戻りますが、カイさんって何歳なんですか?」
「何歳に見える?」
目をリフィーアに戻し、穏やかに微笑してカイは問い返した。
「え? えーっと……二十歳くらい、ですか?」
顎に手を当て、リフィーアは呟くように答えた。
「二十歳くらいに見えるって。ビアン、嬉しいね」
本当に嬉しそうに笑い、カイは隣の狼を見た。
ビアンは長い尻尾を振るだけだった。
「嬉しいって……え? 実際は一体、何歳なんですか?!」
「うーん……そのくらいの歳ってことにしておこうかな。今日は」
「きょ、今日はって、歳が変わるんですか?」
「うん。気分で。カラス達に負けたら老人で、勝ったら子供という感じで」
にっこりと笑って、カイは大きく頷いた。
実際にカイはカラス達との食事攻防戦で、今日は勝ったらしく、彼の笑顔は言葉通りの子供のような笑顔だ。
だからといって、本当に年齢は変わらないのだが……。
(結局、何歳なのか分からないよ)
しっかりとカイにはぐらかされ、リフィーアは小さく息を吐いた。
それから、すっかり日が落ちてしまい、気が付けば空は宵闇となっていた。
「カイさん、ごめんなさい。すっかり話し込んでしまって」
「こちらこそ。久々に人とたくさん話が出来たから、楽しかったよ。暗くなってきたから、墓地の外まで送るよ」
黒いマントを羽織り、カイはリフィーアに手を差し出した。
切り株に座っていたリフィーアは差し出されたカイの手を取り、立ち上がった。
その時だった。
低い呻き声が周囲に響いた。
人なのか何なのか見当もつかない低い呻き声に驚いて、リフィーアはカイの手を握ったまま固まる。
「あらら、もう来ちゃったかぁー……。今日は早いなぁ」
呻き声に驚きもせず、呆れた声でカイは呟いた。
「あのっ、この声、何ですかっ?!」
低い、不快感を煽る呻き声にリフィーアは眉を寄せる。正体の分からない声に不安もどんどん増していく。
「説明が難しいんだけど、分かりやすく言うと、昔は人だった者、かなぁ……」
後ろ頭を掻き、困ったようにカイは答えた。
「そ、それって……」
カイの言葉に、リフィーアは血の気が一気に引いた気がした。
「うん、死んだ人。でも、魂はもう肉体にはなくて、空に行ってしまってる。だから、意思もなく、感覚もないはずなのに、何か目的があるかのように、この墓地を歩き回っているんだ」
悲しげな表情を浮かべ、カイは説明する。
説明の合間にも呻き声は響き、ゆっくりと足を引き摺ってこちらに近付く音も聞こえる。
「あ、あの……それはつまり誰かが動かしているってことですか……?」
呻き声と近付いてくる足音に、リフィーアは怯えながら尋ねた。怖くて、カイのマントの端を掴む。
「多分ね。墓守りとしては、静かに眠らせてあげたいのにね……」
言いながら、カイは横に立つビアンを見た。
相棒はいつの間にか、口に柄が太い長い物をくわえていた。よく見るとシャベルだ。
「ありがとう、ビアン」
小さく笑い、カイはビアンからシャベルを受け取る。
シャベルの掬う部分を地面に立て、ビアンの頭を優しく触れる。
「それで一体何を……?!」
シャベルの柄を持って、まっすぐと前を見据えるカイに、リフィーアは眉を寄せた。
「うん、それは見たら分かるよ。リフィーアちゃん、危ないから少し離れててね。ビアン、リフィーアちゃんをよろしく」
安心させるように微笑み、カイはマントの端を掴むリフィーアの手を優しく離した。
カイの言葉にビアンは牙を見せ、リフィーアに近付いた。
困惑顔のリフィーアをよそに、カイは彼女と相棒から少し離れた位置に立った。
何度かシャベルを振って、感触を確かめているように見えるカイの後ろ姿をリフィーアは見た。その顔はまだ困惑顔のままだ。
「ビアンさん、カイさんは何をしようとしているんですか?」
喋れないのは分かっていながらも、リフィーアは狼のビアンに尋ねた。
もちろん、ビアンは何も喋らず、尻尾を振るだけだ。
呻き声は尚も響き、徐々に近付いてくる。リフィーア達のところへ近付いてくるにつれ、呻き声はただ低く「ウゥゥゥ」と唸っていることが分かったが、人間が発する声とはかけ離れている。
呻き声と足音は聞こえるが、まだ姿が見えない分、とても怖くて堪らない。
リフィーアは身を強張らせ、近くの木に縋りついた。
呻き声を上げている者は、まだ現れない。
聞こえる足音もとてもゆっくりで、どこかおぼつかない。
いつものことなので、カイは何度かシャベルを振るい、金属の部分を地に刺して相手を待つ。
「今回のは俺狙いかな。それともリフィーアちゃん狙いかな」
離れたところで待つリフィーアに聞こえないように、カイは小さく呟く。相棒のビアンには聞こえているだろうから、彼も警戒して耳をそばだて、周囲を窺っているはずだ。
それから程なくして、呻き声を上げている者の姿が見えてきた。
古く、色も薄れ、所どころ穴が空いた昔の衣装を身に付け、皮膚もただれていて生前の容姿は分からない。
世間と関わりが少ない墓守りとしては、現在の衣装や流行もよく分からない状態だが、呻き声を上げている者の衣装から判断してニ百年は前の人だろうと思う。
「相手はどう出るかな……」
息と共に洩らし、ゆっくりとした足取りでやって来る呻き声を上げている者をカイは見遣る。ゆっくりとやって来る者の抜け落ちそうな目と合った気がする。
その時――……。
先程のゆっくりとした足取りと打って変わって、呻き声を上げ、駆けるようにカイに突進してきた。
「えっ、いきなり走るんだ?!」
驚きの声を上げ、カイは突進してきた者を避ける。
避けられ、呻き声を上げて反転し、カイの方を向く。
そして、再び、突進する。
「カイさんっ!」
木に縋りついたまま、リフィーアは声を張り上げた。
カイはシャベルを前に構え、突進を受け止めた。
だが、呻き声を上げる者は何処からそんな力が出てくるのか、ぐいぐいとカイを後ろへ押していく。
「大丈夫、大丈夫。ちょっと重たいけど、心配しなくていいからね、リフィーアちゃん」
安心させるように後方にいるリフィーアに微笑し、カイは構えたままのシャベルを前に押し返す。
押し返され、呻き声を上げている者は尻餅をついた。ジタバタと手足を動かし、立ち上がるのに時間がかかっている間に、カイはシャベルを呻き声を上げている者の胸の前に金属の部分を当てた。
胸の前に当てたシャベルが白い光を放ち、呻き声を上げている者を包んだ。
白い光の眩しさに目を閉じ、リフィーアは手で顔を覆った。
眩しさに驚いて声を上げるのも忘れ、リフィーアは目を閉じたまま光が収まるのを待った。
しばらくして、リフィーアは薄く目を開け、周囲を窺った。
「カイさん?」
眼前にいるはずのカイに声を掛け、リフィーアは辺りを見回す。
「ん? あ、ごめんね、リフィーアちゃん。驚かせちゃったね、大丈夫だった?」
シャベルを右手に持ち、カイは穏やかに微笑する。
「大丈夫ですけど……あの、さっきの人は……?」
周囲を見回しながら、リフィーアはゆっくりカイに近付いた。
いつの間にか、呻き声を上げていた者がいないことに気付き、尋ねた。
「浄化っていうのかな。また誰かに動かされないようにするために、このシャベルを使ってるんだ」
カイの説明に、リフィーアはよく理解出来ず、眉を寄せた。
「どうして、シャベルなんですか?」
「え? それは俺が墓守りだからだけど……」
頬を掻きながら、カイは呟いた。
呟いたと同時に、再び、呻き声が聞こえた。
今度は一つではなく、たくさんの声が聞こえる。
声に驚いて、リフィーアの動きが固まる。
「これまた団体様が……」
呆れたようにカイは呟き、嘆息する。
「これじゃあ、リフィーアちゃんが帰れないから、ビアン、家まで護衛してもらえる?」
「えっ? でも、カイさんが……」
ひどく驚いて、リフィーアは呻き声に怯えながら断ろうとする。
「大丈夫、大丈夫。よくあるし、慣れてるから平気だよ」
リフィーアに笑い掛け、カイはビアンを見た。
相棒もカイをじっと見つめ、尻尾を小さく揺らした。
何の合図なのだろうか?
リフィーアは気になって、カイとビアンを交互に見つめた。
「文句を言いたそうだけど、却下だよ、ビアン」
この状況では不釣り合いな満面の笑みを浮かべ、カイはビアンに言った。
「文句って、ビアンさんは喋れないですよ、カイさん」
カイの言葉にリフィーアは呆れた声で言った。
「あはは……。とにかく、夜も遅いし、団体様がここに来る前にリフィーアちゃんはビアンと一緒に帰った方がいいよ」
先程までの笑顔と打って変わって、真剣な表情でカイは告げた。
彼が話している間にも、たくさんの呻き声が近付いているのが足音でも分かった。
「そ、そうですね……」
どんどん恐怖が募り、確かにカイの言う通りなので、リフィーアは従うことにした。
だが、少し腑に落ちないことがあった。
それは一緒に逃げようとしないカイのことだ。
よく分からないが、シャベルには不思議な力があるかもしれない。だが、カイ本人はどうなのだろう?
あの呻き声を上げる団体様を先程のように、浄化出来るのか。
人ではないモノと初めて出くわしてしまったリフィーアから見ても、あのシャベルは一人を浄化するのが精一杯のように思えた。
「はい、俺のことは心配しなくていいから、リフィーアちゃんはお家に帰ろうね」
心配そうにじっと見つめるリフィーアに笑い掛け、カイは言った。言いながら、彼女の肩を後ろから押し、墓地から離すように歩かせる。
「あのっ、カイさん?!」
「後は自分の足で歩いて帰ろうね。ビアン、しっかりリフィーアちゃんの護衛をするんだよ」
それだけ言って、カイはリフィーアの肩を押すのをやめた。
カイの言葉に諦めたように、ビアンは鼻から息を出した。
そして、リフィーアの少し前に立ち、ビアンは彼女を気にかけるように歩き始めた。
「あっ、ビアンさん! 待って下さい!」
少しずつ離れていくビアンに慌ててリフィーアは後を追った。
離れていくリフィーアとビアンの後ろ姿を見送り、カイは近付いて来る団体様に目を移した。
木々の間から、重たそうな足取りで団体様がこちらへ近付いて来る。
いつの間にか、こんなにも近くにいたことにカイは少しだけ驚く。
「――さて。リフィーアちゃんも帰ったことだし、ちょこっと頑張ってみようかな」
持っていたシャベルの金属部分を地に刺し、カイは口元に小さく笑みを浮かべた。
「ビアンさん、待って、下さい……!」
早足で前を歩く狼に、リフィーアは声を掛けた。
普段より早い歩き方をしていることもあって、息が上がる。
相手は四本の足の早足で、こちらは二本の足の早足だ。明らかに速度が違う。
ビアンは要求通り足を止め、リフィーアが近付くのを待った。
ビアンの近くで足を止め、リフィーアは呼吸を整える。
整えながら前を向くと、墓地から都の中へ続く門が見えた。
あと少しで墓地の外だ。
流石にあの呻き声を上げる連中も、家々が並ぶ都の中にまで出て来ないだろう。
「ビアンさん、急ぎ過ぎですよ」
ようやく呼吸も整い、喋れないと分かっていながらもリフィーアは言った。
「――あいつと早く離れないと、お前が危なくなるからな。危ない目に遭えば、俺があいつに怒られる」
少し不機嫌な低い声がリフィーアの横から聞こえた。
「……えっ?」
突然、発せられた低い声に、リフィーアは驚いて辺りを見回した。
辺りは覆い茂る木々と虫の音だけで、人の気配は全くなく、いるのは自分とビアンだけだ。
「も、もしかして、今の声……ビアンさん?」
「お前以外にこの場にいるのは俺しかいないだろう」
鼻から息を吐き、ビアンは不機嫌な声で言った。
その言葉に、リフィーアは大きく目を見開いた。
驚きのあまり、声が出ない。
そんな状態のリフィーアを無視して、ビアンは彼女に告げた。
「公爵の娘。死にたくなければ、この墓地……いや、カイには近付くな」
ビアンはそれだけを言って、墓地の門をくぐり都の中へ足を踏み入れた。
「ど、どういう意味……?」
言われたリフィーアはしばらく呆然と立ち尽くしたが、遠くから響くたくさんの呻き声で我に返り、ビアンの後を追った。
この話は明日にでもカイに聞こう。
そう思いながら、リフィーアは墓地を後にした。
迫る数多の手を避け、カイはシャベルを斜めに構える。先程から同じことの繰り返しだ。
カイは息も乱さず、涼しげな顔で目の前に立つ団体様を見渡す。
「うーん。早く彼らを眠らせたいよなぁ……」
小さく漏らし、カイはシャベルを上から下へと動かした。
カイのすぐ目の前にいた団体様のうち、三体が呻き声を上げる間もなく、白い光が触れて消える。浄化だ。
団体様の手が伸びる前に、カイは再び、右から左へとシャベルを何度も滑らせる。滑らせる度に何度も白い光が輝き、どんどん団体様の数が減っていく。
呻き声を上げ、突進を試みる者も何体も現れる。
が、カイはそれをシャベルで受け止め、すぐ白い光で浄化した。
ようやくこれで終わり、カイは小さく息を吐く。
「……これで全部かな」
シャベルの金属部分を地に刺し、カイは周囲を見渡す。
「術者の気配はここにはないようだけど、明らかに俺と奥のアレ狙いだよなぁ……」
そう呟き、カイは顔を顰めて墓地の奥に向ける。
「だからといって、眠りについていた人達を使って、リフィーアちゃんを襲おうとするのは許せないな」
眉を寄せ、苦い表情を浮かべる。
安らかに眠っていたであろう人達の肉体を使い、自分はともかく、遊びに来ていたリフィーアまで襲おうとしていたのだ。彼女は気付いていないようだったが。
そんな彼女だからこそ、カイは余計に心配してしまう。
「……やっぱり、俺から離れた方がいいって、言わないといけないかな……」
暗い夜空を見上げ、カイは呟いた。
夜風がゆっくりとカイの赤い髪を揺らした。
いつも通りの朝を迎え、リフィーアはベッドから起き上がった。
跳ねている髪の毛を櫛で丁寧に梳かし、服を着替える。
朝食のパンをかじりながら、昨日の帰り際にビアンに言われたことを思い出す。
『公爵の娘。死にたくなければ、この墓地……いや、カイには近付くな』
冷たく、突き放したようなビアンの言い方にリフィーアは眉を寄せる。
本当に意味が分からない。
昨日で二回目だが、昨日の昼の時点ではビアンは友好的で、リフィーアに近付いて横でゆったりと座っていたのだ。
そんな彼が、昨日の夜、突き放すように言ったのだ。
「墓地に近付くなっていうのは分かるけど、何でカイさんもなのよ」
お茶を飲みながら、リフィーアは頬を膨らませる。
父のような、兄のような優しいカイは家族以外に両親を知っている。
両親を知らないリフィーアはもちろん知りたいし、何より謎だらけのカイのことを知りたい。
「ビアンさんに何を言われようと行こう! それとどうしてビアンさんが話せるのか聞かなくちゃ!」
すっくと立ち上がり、リフィーアは素早く食器類を片付けた。
そして、貯蔵庫からカイに差し入れをするパンを取り出し、手提げ袋に入れる。
準備は万端だ。
リフィーアは拳を握り、小さく気合いを入れて家を出た。
墓地の門をくぐり、リフィーアはカイとビアンが住む小屋へ向かった。
覆い茂る木々の間にある舗道を通り、たくさんの墓が並ぶ広場に入る。
その広場の奥まったところにある、木々の間にひっそりと立っている小屋に真っ直ぐ向かおうとして、リフィーアは足を止めた。
「あれ……?」
リフィーアは眉を寄せた。
先客がいる。
茶色の髪の青年が、少し大きな緑色の目をじっとカイを見つめている。
その彼に見つめられているカイは困ったように立ち尽くしている。カイの横にいたビアンがリフィーアに気付き、近付いてくる。
「……あれほど言ったのに、お前は聞く気がないのか」
小さくリフィーアにだけ聞こえる声でビアンは言った。その声はとても不機嫌だ。
「その理由をカイさんとビアンさんに聞きに来たんです」
ビアンの言葉にムッとしながら、リフィーアは言い返した。
「ところで、あの人は誰なんですか?」
「さぁな。興味がないから俺は知らん」
そう答えつつも、ビアンはカイをじっと見つめる青年に目を向けた。
「え、えーっと……俺に何か用かな……?」
ひたすらじっと見つめる青年に困り果て、カイは苦笑いをしながら問い掛けた。
問い掛けには答えず、青年はただひたすらじっと見つめている。
「あの、もしもーし……?」
青年の前で手を上下させ、カイはもう一度声を掛けてみる。
すると、突然、上下させているカイの手を青年は勢いよく掴んだ。
「へ?」
驚いたカイは間の抜けた声を上げた。
リフィーアとビアンも青年の行動に動きが止まる。
「貴方に、会いたかった……!」
目を輝かせて、青年はカイの手を握る。
「……はい?」
青年に握られたまま、カイは固まった。
「墓守りさん、僕は貴方に会いたかったんです!」
ぎゅっと尚も強く手を握り、青年は自分より少し背の高いカイを見上げた。彼を見るその目は、憧れで輝いている。
「は、はぁ……」
青年の勢いに気圧され、カイはとりあえず頷いた。
カイは記憶を探るように眉を寄せ、首を傾げた。
「えーっと……俺、君に会ったことあるかな……?」
記憶にないらしく、眉を寄せて目の前の青年を見下ろした。
「はい! ありますよ。覚えていらっしゃらないですか……?」
明るい茶色の髪の青年は悲しげに眉を八の字にしてカイに尋ねた。
「七年前に一度、こちらで会いましたよ?」
首を傾け、青年はカイを尚も見上げる。
「え、七年前……?」
青年の言葉に、カイはもう一度、記憶を辿った。
腕を組み、記憶の引き出しを開けるように、カイは小さく唸りながら、記憶を辿る。
そんなやり取りをしている二人を少し離れた場所で、リフィーアとビアンは窺う。
「あ、あの……思い出せませんか……?」
恐る恐る、青年はカイを見上げ、尋ねた。その表情はどことなく幼く見える。
「……うーん。もしかして……君、カエティスの墓をじっ?と見ていた子?」
青年を少し見つめ、カイは自信無さげに呟いた。
そのカイの言葉に、悲しげに見上げていた顔が一気に明るくなった。
「はい! そうです! 良かった。覚えていてくれたのですね!」
嬉しさのあまり、泣き出しそうな表情で、青年はまたカイの手を握る。
「あー……やっぱりねー。いやぁ、最初は分からなかったよ。雰囲気変わったねー」
苦笑いをしながら、カイは自分の手を握り、上下に振る青年を見た。
「そ、そうですか……? 最近、色々とあったし、僕も成人しましたから」
カイの言葉に照れながら、青年は少し俯く。
成人、という言葉に離れた場所で聞いていたリフィーアはひどく驚いた。
このクウェール王国では、十七歳が成人で、その年齢から大人と見なされる。
成人にしては青年の顔立ちは幼く見える。
青年は一体、何歳なのか。
リフィーアはとても気になった。
リフィーアに疑問に思われているとは知らない、既に成人という青年は、意を決したようにカイを見上げた。
そして、じっとカイを見つめ、口を開いた。
「あ、あのっ、墓守りさん。貴方はあの有名な守護騎士のカエティスですよね?!」
「へっ?」
再び、間の抜けた声を上げ、カイは立ち尽くした。
「……あのさ、今の話でどうやってカエティスと俺が繋がるかな?」
苦笑いを浮かべ、カイは青年を見た。
身長差もあって、上目遣いで青年はカイを見つめている。
「だって、そっくりではないですか。赤い髪に水色の目。髪も目もカエティスの都では珍しい色ではないですか」
青年の言葉に、リフィーアは大きく目を見開いた。
言われてみれば、確かにカエティスの都では、茶色の髪やリフィーアのように亜麻色の髪が主流で、カイの髪と目は珍しい色だ。特に目はそれぞれ異なっているのは珍しい。
「いやいや、この髪の色をした人ならたくさんいるよ。目も生まれ付きだし。それにカエティスの墓があるよ」
即答で否定し、墓地の中央を指差し、カイは言った。
墓地の中央には、都や国はもちろん、子供の寝物語としても有名な伝説の守護騎士のカエティスが眠る、記念碑のような大きな墓がある。
国内の人々のほとんどは必ず一度はこの墓地を訪れ、カエティスに憧れる。
時々、夜にはカエティスの幽霊が出るかもしれないと、勘違いをしてやって来る者も現れる。
そして、カイを見た者は皆、こぞってカエティスではないかと言う。
そんな彼らに、カイは必ず言っていることがある。
それは……。
「もし、俺がカエティスだったとしたら歳がおかしいよ? カエティスは五百年くらい前の人だよ」
「はい。知ってます。でも、僕は貴方がカエティスの生まれ変わりではないかと思ったんです」
「……そう返して来ちゃったか……」
誰にも聞こえないような小さな声で、カイはぼそりと呟いた。
「え? 今、何か言いました?」
何を言ったのか聞こえなかった青年はカイに聞き返した。
「いや、何も言ってないよ。でも、残念だけど、俺はカエティスの生まれ変わりじゃないよ」
そう言って、カイは申し訳なさそうに笑った。
「そ、そうですか……」
カイに否定され、青年は俯いた。
しばらくの間、青年は押し黙る。
これで納得してくれるだろうと思い、カイは誰にも気付かれないくらいの安堵の息を小さく漏らす。
「でも、僕は貴方がカエティスだと思うんです。だから……僕の話を聞いてもらえませんか……?」
上目遣いで青年は懇願するように言った。その声は憂いに満ちている。
「さっきも言ったように、カエティスじゃないけど……話を聞くだけならいいよ」
青年の真剣な表情に少し気圧され、カイは頷いた。
離れたところで聞いていたリフィーアも青年の真剣な表情が気になったのか、ビアンと共に少しだけ彼らに近付いた。
青年はまだリフィーアに気付いていない。
気付くどころか、一点だけ、カイだけを見ている。
伝説の守護騎士と同じ髪の色をしたカイを。
(言われてみれば似てるけど、本当にカイさんがカエティスなのかな)
リフィーアはカイと、その彼をじっと見つめる青年を見た。
青年は一つ頷いてからカイを見上げ、口を開いた。
「名乗るのを忘れてましたが、僕の名前はウェルシールといいます。あ、ウェルと呼んで下さい」
カイを見上げ、青年――ウェルシールは小さく微笑んだ。
「ウェル君だね。俺はカイっていうんだ。よろしく」
カイもウェルシールに名乗り、人当たりの良い笑みを浮かべる。
「あの、カイさん。僕がここに来たのは、実は貴方にお願いがあったからなんです」
「ん? お願い?」
「はい。貴方が伝説の守護騎士のカエティスだと思うからこそなんですが……」
そう言って、ウェルシールは続きの言葉を窮した。
眉尻を下げ、どう言えばいいのか言いあぐねる。そんな風にカイは見えた。
「……あの、僕の臣下になって頂けませんか?」
ウェルシールのその言葉がよく理解出来ず、答えに少し間が空いた。
「――……えぇっ?!」
ひどく驚いて、カイは声を上げた。
「いやいや、俺が君の臣下は無理だからね」
ぶんぶんと首を大きく左右に振り、カイは答えた。
少し呆れた顔になるカイだが、彼はふと何かを思い出し、ウェルシールに尋ねた。
「ん? 臣下ということは君、もしかして、この国の王様……?」
確かめるようにカイは聞いた。
「はい、一応、国王です。戴冠式はまだ済んでいないですが」
小さく頷いて、ウェルシールははにかむ。
彼の頷きに、この場にいるカイもリフィーア、ビアンも大きく目を見開いた。
「えぇっ?!」
カイとリフィーアの声が合わさり、墓地にいたカラスや鳥が驚いて、一斉に飛び立つ。
「ウェル君、王様だったんだ。あ、じゃあ、言葉遣いも変えた方がいい……?」
「いえっ、カイさんはそのままでいいです!」
手と顔を左右に振り、ウェルシールは告げた。
「いやいや、俺は一介の墓守りなんだし、そういう訳にはいかないんだけど……本当にいいのかい?」
「本当にそのままでいいんです。僕は貴方と対等にお話がしたいんです」
「うーん、俺と対等にって言われてもなぁ……」
頬を掻き、カイはちらりとリフィーアとビアンを見た。その顔はとても困り果てている。
リフィーアもどう言えばいいのか分からず、苦笑いを浮かべるしか出来なかった。
「本当にそのままでいいですから。それで……僕の臣下になって頂けませんか?」
眉を八の字にして、ウェルシールは話を戻す。
じっとカイを見上げるその目は、懇願の色が強い。
「……どうして、俺なんかを君の臣下にしたいんだい?」
いきなり核心をついてしまったのか、カイの問いにウェルシールは黙った。
彼の眉間に皺が寄る。
「……まだ、民達にまでは及んでいないのですが、今、王都の城では大変なことになっているんです」
小さく息を吐き、ウェルシールはそう洩らした。
「……前国王、僕の父が急逝したことで貴族達の派閥が二分した状態が続いています。王子だった僕を支持する貴族達と父の重鎮だった者達。父の弟の息子――僕の従兄で強い権力を持つ貴族、トイウォースを支持する貴族達で二分しています。貴族達が二分し対立したことで、緩やかではありますが国の状況も悪い方向へ進んでいます」
緑色の少し大きな目を細め、ウェルシールは説明した。
「悪い方向って……?」
カイは眉を寄せ、ウェルシールに尋ねた。
墓守りであるため、この墓地から離れられないカイには、今、この王国で何が起きようとしているのかが分からない。
リフィーアもこのカエティスの都にずっと生活をしているため、王都での状況はもちろん分からない。
「僕も正確には分かりません。分かりませんが、もしかしたら、民達を巻き込んでの戦いになってしまうかもしれません……」
青ざめた顔で、ウェルシールは告げた。
「何だか飛躍し過ぎてるね……。それとどうして俺が関係あるのかな?」
眉を寄せ、カイは聞いた。
「……貴方の力を貸して欲しい、と思ったんです。戦いになった時、民達を守れるように」
静かに、静かにウェルシールは言った。
彼の顔は苦悩に満ちている。
「伝説の守護騎士の貴方なら、それが可能だから……」
真摯な眼差しでウェルシールはカイを見つめた。
「……いや、あのね? さっきから言ってるけど、俺はカエティスじゃないからね?」
小さく息を吐き、カイは呆れた顔で言った。
これでは堂々巡りだ。
何度言っても話は戻り、終わらない。
カイの言葉に理解したように頷くウェルシールだが、目を輝かせてこちらを見ている。
「……全然、分かってないじゃん……」
誰にも聞こえないような小さな声でカイは呟いた。
その声を耳にしたのか、ビアンが鼻から息を吐く音がした。
カイはちらりとビアンに目を向けると、何食わぬ顔で牙を見せた。
大きな溜め息を吐いて、カイはウェルシールに目を戻した。
「あ、あの……カイさん……?」
カイの透き通った水色の右目と、意志の強い鋼のような銀色の左目にぶつかり、ウェルシールは首を傾げた。
両目の色が違う、穏やかな整った顔、赤い髪をした墓守りの青年。
幼い頃からずっと憧れていた物語の伝説の守護騎士のカエティスが彼だと疑わないウェルシールは彼に見つめられ、今まで以上に緊張した。
その時、墓地の門の近くから声が聞こえた。
「ウェル様っ!」
「えっ、エルンスト?!」
聞き覚えのあるどころか、毎日聞いている声に驚き、ウェルシールは振り向いた。
「探しましたよ、ウェル様! まだ仕事がたくさんあるのに、何なさってるんですか!」
駆け寄ってくる黒目黒髪の青年――エルンストが声を張り上げた。
そのエルンストの横に、灰褐色の髪、黒目の青年がのんびりと近付いてにっこりとカイとリフィーアに微笑みかけた。
驚いたリフィーアは慌ててカイの後ろへ逃げ、隠れる。
「イストまでどうして……」
「そりゃあ、貴方を探しに来たに決まってるじゃないですか」
灰褐色の髪、黒目の青年――イストはにっこりとウェルシールに向けて笑う。
ウェルシールは二人が探しに来たことに、申し訳なさそうに眉を八の字にして俯いた。
「ご、ごめんなさい……」
しょんぼりした顔でウェルシールはエルンストとイストに謝った。
「分かればいいのです。それでは、ウェル様。仕事もたくさんありますし、帰りましょうか」
満面の笑みを浮かべ、エルンストはウェルシールに言った。
「えっ、いや、あの……まだカイさんとの話が終わって……」
「駄目ですよ。ここに滞在するだけで、時間がかかる上に仕事が溜まる一方ですよ? さぁ、城に帰りましょうね」
にっこりと笑い、エルンストはウェルシールの両肩を掴む。そして、そのままウェルシールを連れて行く。
「えぇ~、え、エルンスト? 僕はまだカイさんに話が……」
「駄目です。明日は大切な会議がありますからね。大人しく帰りましょうね」
エルンストにそのまま引き摺られ、ウェルシールは子犬のような潤んだ目で、助けを求めるようにカイを見つめた。
「……あらら。エルってばウェル様を連れて行っちゃった。全く困った弟だなぁ」
「ええっ、あの、さっきの人とご兄弟だったのですか?」
ウェルシール達とのやり取りを呆然と見ていたリフィーアが思わず声を上げた。
「はい、そうです。俺とエルンストは兄弟です。結構、顔とか似てるでしょ?」
ニヤリと口元に笑みを浮かべ、イストはリフィーアを見た。
リフィーアはまじまじとイストを見てみると、確かに顔や背格好が似ている。
口調や雰囲気はどちらかというとカイに似ている。そんな気がした。
「そ、そうですね。似てます」
「でしょ? 嬉しいことを言うなぁ、お嬢ちゃん」
にこやかにリフィーアに言い、イストはカイに目を移す。カイに何かを言おうとした時、墓地の門の近くからエルンストの声がした。
「イスト兄さん、何をなさってるんですか。時間が惜しいので、早く行きますよ!」
苛々したような、慌ただしい声でエルンストはイストを急かす。
その横ではエルンストにしっかりと腕を掴まれたウェルシールがいる。
「はいはい。行きますよー。全く短気だなぁ、エル君は」
ひらひらとイストは手を振り、苦笑した。
「今日はウチのウェル様がご迷惑をお掛けしました」
カイとリフィーアにイストは頭を下げた。
「いや、気にしなくていいよ。迷惑じゃなかったし」
ちょっと驚いたけど、と続けて、カイは穏やかに微笑する。
「そうですか。良かった。それではまた会いましょう。ね? カエティス隊長」
にっこりと微笑みかけ、イストは最後だけカイに聞こえるくらいの小さな声で告げた。
イストの最後の一言に、カイは瞠目する。
「え……? 君……!」
「それではまた~」
驚いて声が出ないカイに笑って、イストは墓地の門へと歩いていった。
イストの後ろ姿を呆然と見つめ、カイは立ち尽くす。
驚いたような、嬉しそうな、悲しそうな様々な感情が入り混じった顔をしている。
そんなカイに、声を掛けてもいいのかリフィーアは少し悩むが、声を掛けないとどうにもならない。
そう思い、口を開いた。
「あの……カイさん?」
「ん? ああ、ごめんね。リフィーアちゃん。ちょっとぼーっとしちゃってたね」
リフィーアの声に微笑みかけ、カイは謝る。
その笑みはカイのいつもの笑みに戻っていた。
「いえっ。あの、大丈夫ですか? さっきの男の人に何か言われたのですか?」
「――……何も言われてないよ。そんな心配しなくても大丈夫だから、気にしない、気にしない」
心配そうに見上げるリフィーアに苦笑しながら、カイは穏やかに言う。
「俺のことより、今日はどうしたのかな?」
「え? あっ、そうです! 私、カイさんに聞きたいことがあったんです」
「俺に聞きたいこと?」
首を傾げ、カイは問い返した。
「はい。どうして、ビアンさんは喋れるんですか?!」
リフィーアの質問にカイはぎこちない動きで、ひたすら黙って様子を見ていた相棒に顔を向けた。
「……ビアン、喋っちゃったのか? リフィーアちゃんに」
「……ああ。いずれはバレるんだ。なら、早い方がいいだろう?」
悪びれた様子もなく、ビアンは大きく頷いた。
「…………」
ビアンの言葉に、カイは大きな溜め息で返してやった。ついでに額に手を当て、空を見上げるような仕種で緩く首を左右に振る。
「あの、カイさん、質問の答えは……?」
話がなかなか進まないと感じたリフィーアがしびれを切らし、カイに尋ねた。
「ははは。ごめんね、リフィーアちゃん。どうして、彼が喋れるかだったよね?」
カイの問い掛けに、リフィーアは頷く。
「どうして、彼が喋れるかというと、まぁ、元々、人の姿をしていたんだ」
頬を掻きながら、カイは答えた。
「ひ、人の姿?!」
「そう。それでまぁ、喋れるわけなんだよね」
「あの、どうして人の姿ではなく、今は狼の姿なんですか……?」
「さぁ……? 俺も知らないな、そういえば。ビアン、何で?」
四本足で横に立つ狼の姿の相棒に、カイは尋ねた。
「そこで俺に振るのか、お前は」
呆れた声でビアンは呟き、大きな溜め息を吐く。
その呟きにカイはにんまりと笑みを浮かべる。
「いやぁ、相棒とはいえ、説明は自分でしないと。それに本当に知らないし」
「……はぁ。お前、そういうところは抜けてるよな」
狼の姿でビアンは首を左右に緩く振った。
その仕種が人間じみていて、ビアンが人の姿をしていたことを物語っているようにリフィーアは思えた。
「――俺が何故、狼の姿なのかは、秘密だ」
ぷいっとそっぽを向き、拗ねるようにビアンは答えた。
目を輝かせて答えを待っていたリフィーアはがっくりと項垂れた。
「ビアンさんー! ちゃんと答えて下さいよ!」
頬を膨らませて、リフィーアはビアンに怒った。
「カイはともかく、小娘に答えるのが惜しい」
もう一度、ぷいっとそっぽを向き、ビアンは言った。
「どういう意味ですか、それ!」
尚も頬を膨らませて、リフィーアは声を上げた。
その仕種が女の子らしくて、愛らしい。
そんなふうに思いながら、ビアンとリフィーアをにこにこと穏やかに微笑み、カイは静かに見た。
「――いやぁ、二人とも仲が良い上に、若いなぁー」
他愛もない言い合いをしている二人を見守り、カイは小さく呟いた。彼女らを見守るカイの目はとても穏やかで、優しい。
「……もうすぐ、夕暮れか」
リフィーアとビアンの言い合いを聞きながら、カイは空を見上げる。
青い空が徐々に橙色に変わり始めている。
遠くの空からはカイの宿敵カラス達も鳴いている。
何事もない平穏な日々だなと感じながら、カイは一人、優しく微笑む。
「……どうか、何事もなく、ただ穏やかな日々を俺以外の皆、リフィーアちゃん達が過ごせますように」
リフィーア達とカラスの変わった合唱を聞きながら、カイは誰にも聞こえないくらいの小さな声で願う。
「――俺が穏やかな日々を過ごせないのを貴方は知っているのだから、それくらい願わせてよ、困った神様」
小さく、小さく呟き、カイは墓地の奥を見つめた。
人には見えない何かを見ているような、一点を見つめて。