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七章 騎士の過去(後編)


 前哨戦と思われていた亡者達の戦いは三日続いた。

 前線で戦うカエティスと自警団達の奮闘で、ウィンベルク公爵が治める街や他の街までは亡者達の手は届いていない。

 しかし、疲れを知らない亡者達に対して、こちらは生きる者。

 三日続く戦いに疲労が蓄積されていく。


「いや~、流石にきついな。今までカエティスの無茶に付き合ってきたけどさ。これ程きついのは初めてだな」


「隊長、この状況はいつまで続きますか?」


 右手に剣を持ち、左手は浄化の光を放つレグラスとミシェイルは彼等の間で同じく戦うカエティスを見る。


「俺も分からない。あと少しでトーイのお祖父さんに辿り着くと思うよ。逃げると思うけど」


「逃げたら意味がないじゃん。今の戦いの繰り返しじゃないか」


「うん。だから、ちょっと考えたことがあるんだよ」


 そう言いながら、カエティスは一気に何十人もの亡者達を浄化する。


「隊長、考えたことって、何ですか?」


「街の近くに山があるよね」


「ああ、王様のじいさんが生きてた時に隠居してた山だっけ?」


 レグラスの呆れたような声音の問いに、カエティスは頷く。


「そう。その山に結界を張って、出られないようにするのはどうかな?」


「閉じ込めて、倒しちゃうってことだよな? まぁ、いいかもしれないけど、結界を張るのは誰がやるんだ?」


「俺……」


「却下」


 カエティスが主張しようとした瞬間、ミシェイルとレグラスが同時に声を出した。


「え? 何で却下なんだい?」


「三日前に街に結界を張ったばかりだろ。どれだけ力を使う思ってるんだよ。カエティスに無茶させるなって、俺とミシェイルは司祭様に言われてんの。流石に俺達を育ててくれた人の言葉を無下には出来ないって」


 レグラスの言葉に同意するように何度もミシェイルが頭を上下に動かす。


「……心配性だなぁ。お父さんは」


「隊長の場合、心配になります。俺も何度冷や汗を掻いたか……」


「と、とりあえず、後方にいるトーイに提案してみるよ」


 ミシェイルとレグラスの視線から逃げるようにカエティスは周囲を見渡し、前線から少し後方にいるはずのトイウォースを探す。


「少し離れるけど、何かあったらすぐ呼んで」


 クレハノールと背中合わせに戦うトイウォースを見つけ、カエティスはミシェイル達に告げる。


「はい、分かりました!」


「はいはーい。こっちは任せろー」


 頷く二人を確認して、カエティスはミシェイル達から離れた。


「トーイ、ちょっといいかい?」


 小走りに駆け寄り、少し疲れた様子のトイウォースに声を掛ける。


「カエティス、どうした? 前線で何かあったのか?」


「いや、何もないよ。ただ、まだ君のお祖父さんにまでは至ってないから、そのことについて君に相談したいことがあるんだ。すぐ戻らないといけないから手短に、だけど」


「私の祖父のこと? 何だ?」


 眉を寄せて、トイウォースは構えを解き、剣を下ろす。その彼を守るように彼の部下の騎士達が周囲を固める。

 騎士達のその素早い動きを見て、感心したようにカエティスは目を丸くする。


「君のお祖父さんを亡者達ごと、君のお祖父さんが生前暮らしていた山に結界を張って閉じ込めてもいいかな?」


 目を丸くしつつも、カエティスはトイウォースに尋ねた。


「結界? 確かに逃げてばかりいるからその案には賛成だが、誰が張るんだ?」


「俺……」


「却下」


 カエティスが主張しようとした瞬間、トイウォースと隣で聞いていたクレハノールが同時に声を出した。


「だから、何で君達までミシェイル達と同じ却下って言うかな」


「言うに決まっているだろう、馬鹿野郎。いつも無茶する幼馴染みに任せられるか。それなら王子に張らせた方がマシだ」


「クレハ……君、私のことをそんなに愛していたんだね……!」


「どう聞けばそうなる。私はそのようなこと何も言っていないぞ」


 抱き着こうとするトイウォースを変なものでも見るような目を向け、クレハノールは近付く彼の顔を手で押さえる。


「鬱陶しい王子からカエティスにするぞ」


「……何が?」


「クレハ、いくら何でもそれは酷いな。私はこう見えても心の狭い男でな、君ではないと私は仕事をしないぞ」


 訳の分からない状態のカエティスを無視して、トイウォースとクレハノールの会話が続く。


「心が狭いのはしっかり顔に出ているぞ、王子。今更、言われても何の衝撃もない」


「……あ、あのさ、何の話かな? 全く話が読めないんだけど」


 まだ何か言い合っているトイウォースとクレハノールにカエティスは恐る恐る尋ねた。


「あぁ、すまない。カエティス。もうすぐ王子の誕生日でな、この戦いが終わったら盛大に宴を開くんだ。その時のダンスの相手にカエティスを選ぶぞ、という話をしていたんだ」


「そ、そうなんだ……びっくりした」


 ほっと胸を撫で下ろし、カエティスは表情を戻す。


「じゃあ、誕生日が近い君の為にも、俺が山に結界を張らせてもらうよ。トーイ、君は狙われていて危ないからクレハとネリーと一緒に居るようにね。クレハ、トーイとネリーをよろしくね」


 そう話を切り上げて、カエティスはトイウォース達の返事を聞く前に足早に彼等から離れた。


「お、おいっ! カエティスっ!」


 慌ててトイウォースは呼び止めるが、離れていくカエティスの耳には届かなかった。


「……あいつはどうして一人で無茶するんだ」


 ぽつりと呟き、トイウォースは剣を構えた。




「ミシェイル、レグラス。トーイから許可もらったから、山に彼等を誘導させるよ」


「はい、分かりました」


「えっ、よく王様が許したな。王様、それほど焦ってんの?」


「……トーイより俺が焦ってるのかな……」


 小さくカエティスは呟いた。それを聞いていなかったミシェイル達が不思議そうにカエティスを見る。


「隊長、何か言いました?」


「いいや、何も言ってないよ。さ、山に誘導させるよ」


 そう言ってカエティスは様々な青い色で彩られた――鴨頭草という名の剣を鞘から抜く。


「行くよ、皆」


 剣を構え、カエティスは目の前に立ちはだかる亡者達へ向かって駆ける。

 カエティスの持つ剣が青いオーラを放ち、亡者達に触れ、触れた彼等は強制的に消えていく。

 青いオーラを恐れ、亡者達は後方へ逃げ、山へと追い立てられていく。

 全ての亡者達が山に入ったのを確認して、カエティスも中に入る。

 山道をしばらく駆けた後、カエティスは立ち止まり、辺りを見回す。

 昼間なのに、暗い、黒い気配が山を覆っているせいか、辺りが暗く感じる。


「……結界を張って、閉じ込めないと……」


 鴨頭草の剣を鞘に戻し、カエティスは膝をつき、地面に右手を触れる。

 目を閉じ、魔力を集中させて、一気に右手から放つ。

 淡い青いオーラが地面を走り、空へと昇る。

 街に張った結界と同じく、淡い青いオーラが半球状になり、山を包み、消える。


「よし、上手くいった……」


 安堵の息を洩らし、カエティスは地面に座り込む。

 結界を張れて安心したのか、不意に咳き込んだ。


「……ゴホッ」


 口を手で押さえ、カエティスは何度も咳き込む。

 手を口から離し、カエティスはそれを苦しげに見つめる。


「……頼むから、あと少し、もう少しだけ、もってくれ……」


 手の平に付いた赤いものを見つめ、カエティスは苦しげに呼吸をしながら呟く。


「――っ?!」


 呟いた時、草の中を歩く人の気配を感じ、カエティスは慌てて手の平に付いた赤いものを布で拭き、口を袖で拭う。

 袖にうっすらと赤い色が付く。

 ゆっくりと立ち上がり、こちらにやって来る人物を見る。

 相手もカエティスに気付いたらしく、安堵したように駆けて来る。


「上手く結界張れたみたいだな、カエティス」


「……うん、そうだね」


 こちらにやって来るミシェイルとレグラスに頷き、カエティスは笑みを零す。

 カエティスの前に立ち、ミシェイルはふと彼の袖に視線を落とす。彼の袖にうっすらと赤い色が滲んでいる。


「……隊長、血を吐いたのですか?」


「えっ、い、いや、さっき口の中を切っちゃってね。その血だよ」


 苦笑いを浮かべ、カエティスは嘘をつく。


「……俺やレグラスに嘘をつかなくてもいいですよ、隊長。俺達は誰にも言いませんし、どのくらい隊長と一緒にいると思ってるのですか?」


 にこりと笑い、ミシェイルはカエティスに告げる。


「お前のことだから魔力、使い過ぎて血を吐いたんだろ?」


「……そんなところかな」


 静かに目を閉じ、カエティスは長く息を吐く。

 目を開けると、ミシェイルが眉を八の字に下げている。


「とりあえず、トーイのお祖父さんや亡者達を結界の中に閉じ込めたことをトーイに伝えに行こう」


 心配そうに見るミシェイルの肩を叩き、カエティスは笑う。


「ミシェイル、行くよ。俺は大丈夫だから」


「た、隊長……」


「血を吐いたくらいじゃあ俺は死なないよ。俺がしぶといのはよく知ってるだろう? さぁ、行くよ」


 安心させるように穏やかに微笑み、カエティス達はトイウォース達が待つ山の麓へ向かう。

 その間にもミシェイルはカエティスの身を案じるように、何度も何度も目を配る。

 平気そうな顔をしているカエティスだが、連日の戦いと街と山に結界を張った疲れか顔にはうっすらと脂汗が浮かんでいる。


「隊長……」


「ミシェイル、今のカエティスに何を言っても無理だって。こういうこと今までも何度かあっただろ?」


「そうだけど、今回のは何か様子が違うんだ。嫌な予感がする……」


「まぁ、今回はいつもより無茶してるけどさ、本当にあいつってしぶといから大丈夫だろ? 兄のように思ってるなら信じてやれよ」


 明るい茶色に少し赤色が混ざったミシェイルの頭を掻き回し、レグラスはカエティスの後をついて行く。


「……言われなくても信じてるさ。捨てられた俺を最初に見つけてくれたカエティス兄さんを」


 離れていくカエティスの背中を見つめ、ミシェイルは右の拳を握る。

 盛大に溜め息を吐き、ミシェイルは開いた距離を詰めるようにカエティス目掛けて走った。






「……結果は上手くいったからいいが、無茶をするなと私は言ったよな、カエティス?」


「うん、言ったね。でも、俺は無茶をしていないよ」


 にこにこと笑顔を浮かべ、カエティスは嘯く。


「俺のことは今は置いて。トーイ、今からのことだけどどうするんだい?」


「私は君のことも心配なんだが……」


 親友の身を案じ、カエティスの顔を見ると穏やかに微笑む目とぶつかり、トイウォースは思わず口を噤んだ。


「……今は何を言っても無駄か……」


「え?」


「何でもない。カエティス、今からのことだが陽が昇ったら山の中へ入り、祖父達を倒すつもりだ。明日の戦いで終わらせる」


 まっすぐカエティスを見て、トイウォースは告げた。

 正面からトイウォースの緑色の目と向き合い、カエティスは頷いた。


「……分かった。いつでも戦えるように準備をしておくよ」


 穏やかに微笑み、カエティスはトイウォースが休む天幕から出た。

 天幕から出てすぐカエティスはミシェイル達が休む天幕に入り、これからの予定を伝えた。またすぐ天幕から出て、共に戦ったトイウォースの兵士達と会話をした後、自分の天幕へと入った。


「お帰りなさい、カエティス」


 嬉しそうな笑顔でネレヴェーユがカエティスを出迎えた。


「た、ただいま。ネリー」


 満面の笑みを浮かべるネレヴェーユに驚いて、カエティスは一歩後退した。


「どうして、ここにいるんだい? クレハと一緒にいるってトーイから聞いてたんだけど……」


「トーイが、貴方が呼んでると聞いたので、来たのですが違うのですか?」


「……トーイめ……」


 トイウォースの意図が読めたのか、カエティスは小さく呟いた。


「カエティス?」


 小首を傾げ、ネレヴェーユはカエティスを不思議そうに見上げる。


「ああ、ごめん。俺が呼んだ訳じゃないけど、ちょうど良かったよ。せっかく、恋人同士になったのにちゃんと話してなかったから」


 穏やかに微笑み、カエティスはネレヴェーユに近付く。

 それをきょとんとした顔でネレヴェーユは見上げる。

 近付いたはいいが、カエティスはネレヴェーユの前で勢い良く膝をついた。


「カエティス?!」


 いきなり膝をついて、手を口元に当てるカエティスに驚いて、ネレヴェーユは声を上げる。


「……反則だよ、その表情……また惚れちゃうよ」


 押さえる手の間から、ぼそりと声が洩れる。

 その言葉に、ネレヴェーユの顔が一気に赤くなる。


「えっ、あ、あの、な、何を言ってるのですかっ」


 赤い頬を両手で押さえながら、ネレヴェーユは嬉しそうに言う。


「もう、俺、駄目だ。気を抜いたらまずいね。気を抜かないようにしよう」


 大きく頷き、カエティスは勢い良く立ち上がる。

 何の気を抜かないようにするのか意味が分からないと言いたげな顔で、ネレヴェーユは首を傾げる。


「話は変わって、ネリー。今から俺には敬語はなしね」


「えっ、でも……」


「あのね、俺達は恋人同士なんだよ、恋人同士。これからどんどん仲良くなる為にも敬語で話すのはなしだよ」


 笑顔を浮かべながら、カエティスはネレヴェーユの手をそっと握る。

 顔を真っ赤にしながら、ネレヴェーユは小さく頷く。

 その様子に満足したように頷き、カエティスは笑う。


「……さて。何から話そうか」






 陽が昇り、朝を迎えた。

 冷たい空気と太陽の暖かい光の中、トイウォース率いるクウェール王国の兵士達、カエティスと自警団達は意を決した表情で亡者達が結界に閉じ込められている山へ向かう。

 白んでいる空を見上げ、カエティスは先頭を歩く。隣にはいつもと同じく、ミシェイル達自警団の面々が歩く。

 その後ろをクウェール王国の兵士達、少し離れた位置にトイウォース、クレハノール、ネレヴェーユがいる。


「……いよいよですね、隊長」


 緊張した様子のミシェイルがカエティスに言う。


「そうだね、気合いを入れないとね」


「って、気合い入れてなかったのかよ」


 呆れた顔でレグラスがカエティスを見る。


「入れてたけど、もう一度入れ直さないとねって話だよ」


 様々な青い色で彩られた鴨頭草の剣を鞘のまま構える。


「そうじゃないと、勝てないよ」


 真っ直ぐ前を見据え、カエティスは告げる。

 カエティスの視線を辿り、ミシェイルとレグラスは前を見る。

 見ると、山道の少し離れた位置に男が立っていた。その男の腕には少年が身じろぎしていた。


「た、隊長、あの方は……」


 目を見開いたまま呟くミシェイルの言葉を遮り、トイウォースとクレハノールが緊迫した声を上げた。


「ディオンっ!」


「父上っ!」


 少し離れた位置に立つ男と少年に近付こうと駆け寄るトイウォースとクレハノールの前にカエティスが立ち塞がる。


「カエティス、そこを退いてくれ」


 慌てて立ち止まり、トイウォースが命じる。



「それは聞けない命令だね。罠だって分かってるでしょ」


「分かってる。それでもたった一人の弟を見殺しには出来ない」


「弟のように思ってる子がいるから、俺も気持ちは分かるけどね、それでも駄目だよ。もちろん、クレハも」


 トイウォースと自分の間をすり抜けようとするクレハノールを見逃さず、カエティスは彼女に言う。


「カエティス、退いてくれ。私は父上を探していたんだ。その父上が王子の弟に手を出しているんだ! 止めるに決まっているだろうっ!」


「クレハ、落ち着いて」


「落ち着いていられるか! このままだと父上が罪人になる。肉親を罪人として裁きたくはない!」


 道を塞ぐカエティスをクレハノールは睨む。

 幼馴染みに睨まれたカエティスは小さく息を吐く。


「違うんだ、クレハ。確かに君のお父さんだけど、君のお父さんじゃないんだ」


 カエティスの言葉に、トイウォースは何かに気付き、じっとクレハノールの父を見る。

 その間にも、クレハノールはカエティスの胸倉を掴んで強く声を上げる。


「意味が分からない! 何が言いたい!」


「……君のお父さんは、もう、亡くなってる……」


 眉間に皺をきつく寄せ、カエティスは小さくそう告げた。


「な、んだって……?」


 大きく目を見開き、クレハノールは掴んでいたカエティスの胸倉をゆっくりと離す。


「嘘、だろう? カエティス、何を言ってるんだ。もし、父上が亡くなってるのなら、何故、父上の身体が動く?」


「……亡者達か?」


 横でトイウォースが小さく問う。その言葉に弾かれたようにクレハノールが婚約者と幼馴染みを見る。


「……亡者達なら簡単に解放出来るんだけどね……」


 力なく頷き、カエティスは鴨頭草の剣の柄を強く握る。心なしか握る手が震えている。


「……待て。クレハの父上を動かしているのはまさか……」


 震える声でトイウォースはカエティスの左右異なる色の目を見つめる。太陽の光で反射して親友の目が暗く悲しげに光る。


「……うん。君のお祖父さんだよ、トーイ」


「……何てことだ」


 顔を手に埋め、トイウォースは大きく息を吐いた。


「だが、何故、クレハの父上を動かしているのが私の祖父だと分かる?」


「……あの闇の色は忘れることが出来ないよ、何があっても」


 悲しみと苦しみ、憎しみがない交ぜになった表情を浮かべ、カエティスは告げる。


「隊長……」


 事情を知っているミシェイルは眉を下げ、カエティスに声を掛ける。


「大丈夫だよ、ミシェイル。とにかく、ディオンを助けないと。トーイ達はそのままそこにいて」


 そう言って、カエティスは一歩一歩と前に進む。


「――そこで止まれ、カエティス」


 その時、初めてクレハノールの父親が声を発した。

 クレハノールの父親のウィンベルク公爵としての威厳、娘や娘の友人に優しく話し掛けてくれたカエティスが子供の時から知っているあの声で。


「ディオリスの命がないぞ?」


 歪んだ笑みを浮かべ、ディオンの首をクレハノールの父親の身体に乗り移ったトイウォースの祖父が腕で締める。


「うぐっ」


 苦しげに顔を歪ませてディオンが喘ぐ。


「ディオンっ」


 トイウォースの緊迫した声が背後から聞こえた。

 カエティスは立ち止まり、トイウォースの祖父を鋭く睨む。


「……相変わらず、卑怯だな」


 低く唸るように呟き、カエティスは持っていた鴨頭草の剣の柄を手が白くなるくらいに強く握る。


「卑怯ではない。用意周到と言ってくれないか」


「……ディオンを人質に何をする気だ?」


 カエティスの問いに、トイウォースの祖父は眉を上げる。


「何をする気か? 分かるだろう。若く、強い魔力を持ち、それに耐えうる器――トイウォースが我には必要でな。それを手に入れるための人質だ」


 その言葉に、背後からクレハノールの息を飲む声が聞こえた。


「孫のトイウォースでなくとも構わないぞ。お前でもな、カエティス」


 トイウォースの祖父の言葉に反応して、ミシェイルとレグラスが腰に佩いた剣の柄をそれぞれ握る音が聞こえた。


「……無理な話だね。あんたには俺の身体は耐えられない」


 カエティスの言葉を聞き、トイウォース達は真意を尋ねるように彼の背中に視線を投げ掛ける。

 そのカエティスは後ろ手に何かの合図のように、左の人差し指をゆっくり動かす。


「何なら試してみるか? あんたには俺の身体は扱えないってこと」


 育ての母直伝の挑発するように不敵な笑みを浮かべ、カエティスはトイウォースの祖父とディオンに一歩、一歩と近付く。

 カエティスの笑みに何かを感じたのか、トイウォースの祖父はディオンを腕に挟んだまま、遠ざかるように一歩、一歩と後退していく。

 背後のトイウォース達との距離が離れたのを見計らって、カエティスは親友の祖父との距離を一気に詰めた。

 間を置くことなく、トイウォースの祖父が使っているクレハノールの父親の顔に右手をかざし、白い光を放つ。


「おのれ、カエティス……!」


 憎々しげにカエティスを睨んだと同時に、クレハノールの父親の身体が糸が切れた人形のように倒れる。その拍子に、解放されたディオンをカエティスの合図で駆け寄ってきたミシェイルが受け止める。

 浄化の光によってクレハノールの父親の身体から離れ、逃げていくトイウォースの祖父の魂をカエティスは見る。


「父上っ」


「ディオン、無事か!?」


「兄上、僕は大丈夫です。でも……」


 兄の言葉に頷き、ディオンは父の亡骸に駆け寄るクレハノールを心配そうに見る。


「……父上……」


 そっと父の身体に触れ、クレハノールは唇を噛んだ。

 先程まで動いていたのに、父の身体は冷たい。

 父の手を握り、クレハノールの目から雫が落ちる。


「……トーイ、クレハを頼んだよ」


 父の手を握ったまま俯くクレハノールを悲しげに見つめ、カエティスはトイウォースに告げる。


「ああ。カエティス、君はどうする?」


「君のお祖父さんを追い掛けるよ。それじゃ、また後で」


「分かった。私達も後で追い掛ける。無茶はするなよ」


「しないよ」


 そう言って、カエティスはトイウォースの祖父が逃げた方角へ走った。

 その後をミシェイル達自警団とネレヴェーユが追い掛けた。






 舗装されていない山道を駆け降りて、カエティスはトイウォースの祖父の後を追う。

 立ち止まって探すことなくカエティスはひたすら山道を降りる。

 後を追い掛けながら、不思議に思い、ミシェイルは尋ねた。


「隊長、トーイ様のお祖父様の居場所が分かるのですか?」


「うん、まあね。焦ってるみたいだから、闇の力垂れ流しで逃げてるよ」


「闇の力が見えるの?」


「うん……って、ネリー?! どうして君まで……」


 走る速度を落とすことなく、カエティスは自分の近くまで走ってきたネレヴェーユに驚く。


「私は女神だから、カエティス達を守れると思ってついて来たのだけれど、駄目だったかしら?」


「駄目じゃないけど……ただ」


「ただ?」


「俺は守らなくていいよ。俺は君を守る方だから」


 穏やかに微笑み、カエティスはトイウォースの祖父を追い掛けた。

 走っていたネレヴェーユは思わず立ち止まって、呆然としてしまった。


「……ちょっとかっこつけすぎたかな」


 顔が熱くなったのを感じ、カエティスは手で扇ぎながら呟いた。

 緩めていた表情を真顔に戻し、カエティスはまっすぐ山道を下る。

 左右異なる色の目で、山の麓から結界の外へ逃げようとする黒い霧のようなものをじっと見る。黒い霧は慌てているのか、近付いて来るカエティスには気付かず、結界に寄る。


「……残念だが、そこは行き止まりだ」


 沸き上がる怒りや憎しみ、悲しみを抑え、カエティスは鴨頭草の剣の柄を握り締める。


『おのれ、カエティス! やはりあの時、お前の神の血が流れている身体を奪えばこんなことには……!』


「神の血?」


 聞き慣れない単語に眉を寄せ、カエティスは鴨頭草の剣を持ち直し警戒する。


『まぁ、それも今日で終わりだ。今からお前の身体を奪えば、女神は我のものだ』


「……そうはさせない。彼女は彼女のものだ。勝手な理由で彼女を汚さないでもらおうか」


 カエティスの言葉に、トイウォースの祖父の魂を睨む。

 剣を横に構え、腰を下げていつでも飛び出せるようにカエティスは相手の動向を見る。

 しんと辺りが静まり返り、柔らかい風だけが吹く。

 その静けさを破る透き通る綺麗な声が背後から聞こえた。


「カエティス! 大丈夫?!」


「ネリー?!」


 恋人の声を聞き、カエティスは振り返って目を剥いた。


「ネリー、駄目だ。こっちには来ないで。ミシェイル、レグラス。ネリーを近付かせないで」


 カエティスの慌てようにミシェイル達は訝しげな表情を浮かべる。


「隊長、何をそんなに慌ててるのですか?」


 ミシェイルがカエティスに問い掛けたその時、トイウォースの祖父の魂が動いた。


『女神ネレヴェーユ……! 我のものだ!』


「ネリーっ!」


 すぐさまトイウォースの祖父の魂の動きに気付き、カエティスはネレヴェーユを庇うように間に入る。

 ネレヴェーユの前に立ったと同時に彼女をミシェイル達の方へ押す。


「カエティスっ!」


 カエティスに押され、よろけたところをミシェイル達に支えられながらも、ネレヴェーユは恋人の名を叫んだ。白に近い水色の綺麗な目を大きく見開き、息を飲んだ。

 トイウォースの祖父の魂――黒い霧が庇ってくれたカエティスの身体の中に入っていくのが見えた。


「カエティス、カエティスっ!」


 うずくまるカエティスの名を何度も呼び、ネレヴェーユは彼に近付こうとする。


「ネレヴェーユちゃん、ちょっと待った! あいつに今近付いたらまずいって! あいつの中に王様の祖父の魂が入っちゃってるんだからさっ」


「でも……っ! カエティスが……カエティスが……」


『素晴らしい……! 何という溢れる魔力だ!』


 低い、歓喜に満ちた声が、うずくまったまま動かないカエティスの周囲から響く。

 その様子に口に手を当て、ネレヴェーユが息を飲む。


『我が器にふさわしい――?!』


 尚も響く歓喜に満ちた声が不意に止んだ。


「……だから、あんたには俺の身体は扱えないって、俺は言ったはずだけど」


 飄々とした声が、うずくまるカエティスの口から洩れた。


『――っ!? カエティス! 何故、動くことが出来る?!』


「動くも何も俺の身体だから、動くに決まってるじゃないか。だから……」


 ゆっくりと立ち上がり、カエティスは鞘から赤眼の剣を抜き、自分の前の地面に突き刺し、鴨頭草の剣も一緒に抜く。


『カエティスっ! 貴様、何をする気だ?!』


「カエティス……?」


 訝しげな表情を浮かべ、ネレヴェーユ達はカエティスの行動を窺う。


「……ネリー、ごめん。トーイのお祖父さんの魂を離そうとしたんだけど、無理みたいだ」


 力なく微笑み、カエティスは静かに恋人に告げる。


「ミシェイル、レグラス。ネリーを頼んだよ」


「カエティスっ!」


「隊長っ!」


『カエティス、やめろ……!』


 カエティスが何をするのか分かったミシェイル達とトイウォースの祖父の魂が叫ぶ。


「――これで終わりだ」


 鴨頭草の剣の切っ先を自分の胸に向け、カエティスは小さく呟く。

 カエティスの行動にネレヴェーユは大きく目を見開いた。


「カエティス! お願い、やめて!」


「さっき、言ったよね。君を守るって。色々考えたけど、君を守る方法、これしか思い浮かばなかったんだ。ごめん」


 泣きそうになっているネレヴェーユにカエティスは苦笑いをする。


「……先生、ごめんなさい。やっぱり約束、守れそうにないです……」


 小さく小さく自分にしか聞こえないくらいの声で、カエティスは育ての母カリンに謝る。


「赤眼、今までありがとう。ネリー達の方に闇の力が行かないように頼んだよ」


 地面に突き刺した育ての母愛用の剣に声を掛ける。

 その言葉に応えるように赤眼の剣から赤いオーラがカエティスの手に触れる。


「ありがとう、赤眼」


 目を潤ませているネレヴェーユにカエティスは目を向ける。


「ネリー、幸せに」


 ネレヴェーユに柔らかく微笑み、カエティスは鴨頭草の剣を握り直す。


「……いや……カエティス、お願い、やめて……!」


 首を振り、ネレヴェーユはカエティスの元へ駆け寄ろうとする。が、ミシェイルとレグラスがそれを止める。


『カエティス、やめろぉぉおおおお……!』


 トイウォースの祖父の魂の叫びを無視して、カエティスは勢い良く鴨頭草の剣を自分の胸に突き刺した。


「いやぁああああああ……!!」


 ミシェイルとレグラスに押さえられたまま、ネレヴェーユは悲鳴を上げた。


『がぁっ! カエティス、おのれ……。我は諦めん! 必ず、必ず復活し、お前を殺して女神を……!』


 鴨頭草の剣の強制的に浄化させる効果でトイウォースの祖父の魂が消えていく。


「……無理な、話だね……」


 自分の胸に突き刺したまま、カエティスは親友の祖父の魂が消えていくのを痛みに堪えながら見つめる。

 トイウォースの祖父の魂が完全に消えたのを確認し、カエティスは刺したままの剣を抜く。

 抜くと同時に血がどくどくと流れ、服を赤く染める。

 剣を地面に刺し、体重を預ける。


「カエティスっ」


「……大丈夫、だよ、ネリー……」


 地面に膝をつき、カエティスは駆け寄るネレヴェーユに笑い掛ける。


「何処が大丈夫よっ。大丈夫じゃないじゃない! ミシェイル、レグラス。トーイを呼んで来て下さい!」


「は、はい! 分かりました。隊長をお願いします、ネレヴェーユ様」


 大きく頷き、ミシェイルとレグラスは慌てて離れた場所にいるトイウォースを呼びに向かった。


「……本当に、大丈夫、なのに……」


 走っていくミシェイルとレグラスの後ろ姿を見つめ、カエティスは呟く。

 荒く呼吸をしながら、カエティスは剣の柄に頭を乗せるが、力がなくなったのか彼の身体が傾き、地面に倒れる。


「カエティスっ!?」


 倒れたカエティスを慌てて起こして、ネレヴェーユは支える。

 目を閉じ、荒い呼吸を繰り返すカエティスをネレヴェーユは膝に乗せる。

 カエティスの胸に手をかざして、魔力で止血を試みるが血は止まることなく流れていく。


「どうして……どうして、止まらないの……!」


 必死に魔力で止血をするが、やはり血は止まることはなく、ネレヴェーユはぽろぽろと涙を零す。


「お願い……死なないで……!」


 懇願にも聞こえる声にカエティスは目を開けた。

 目を開けると、涙を流すネレヴェーユが自分の顔を覗き込むように見下ろしていた。


「お願いだから……」


 尚も懇願するようにネレヴェーユはカエティスの胸に右手を当て、左手で彼の手を握る。


「……綺麗な顔なんだから、泣くなよ……」


 カエティスの言葉にネレヴェーユは白に近い水色の目を見開いた。

 流れていた涙が少しだけ止まる。


「カエティス!」


「……そうそう。泣かない方が良いよ……」


 微かに笑い、カエティスはネレヴェーユを見た。


「……ごめんなさい、私のせいで……」


 彼女のその一言でカエティスは自分の死が近付いていることが分かった。

 死が近いと悟った途端、ほとんど記憶の底にまで沈めた思い出が溢れた。

 色々と思い出しながら、カエティスは口元に静かに笑みを浮かべる。


「――謝るないで。俺の意志でこんなになってるんだし。君のせいじゃないよ」


 微笑もうとしたが、失敗してしまった。辛うじて動く右手でうっかり胸を触ってしまい、カエティスは顔を顰める。

 胸にはぽっかりと穴が開いていて、ぬるぬるとした温かいものが右手に付く。


「でも……!」


「はい。この話はおしまい。最期に、君の膝の上で空へ行けるのは嬉しいね」


 ネレヴェーユに気を遣わせないように、努めてあっさりとした声でカエティスは言った。


「そんな状態で、そんなことを言わないで……」


 ネレヴェーユは顔を赤く染めながら、大粒の涙を溜めた。


「はは。こんな状態だから、明るくしたいんだよ、ネリー……」


 何とか微笑し、カエティスはネレヴェーユを見上げた。

 ゆっくりと右手を動かして、彼女の肩から落ちた白に近い緑色の長い髪を一房、手の甲で触れる。

 霞んでいて見えない目で、彼女の顔と、今は自分達しかいない荒野を交互に見る。

 荒野の向こうに、街の象徴の、育ての父がいる聖堂が小さく見える。

 生まれ育った街と、彼女の顔を忘れないようにゆっくり頭を動かして何度も、何度も交互に見る。

 しっかりと脳裏に焼きつけ、カエティスはもう一度、ネレヴェーユに目を戻した。

 虚ろな水色の右目と銀色の左目が美しい女神を捉える。


「……さてと。ネリー、ちょっと俺、寝るから……」


「え……カエティス!?」


 ネレヴェーユを呼んで、カエティスはゆっくりと目を閉じた。

 彼女の髪に触れていた右手がぱたりと落ちた。


「いや……お願いだから……逝かないで……」


 呆然とカエティスを見つめたまま呟いた。恐る恐るカエティスの手に触れた。冷たい。


「いやぁあああああー……!!」


 冷たい彼の身体に、ネレヴェーユは絶叫に近い悲鳴を上げた。

 何もない荒野で女性の悲鳴は空を貫き、白い光を呼んだ。

 光はまっすぐ降りて、カエティスの身体を包む。

 その光はトイウォース達がやって来るまで消えず、強く輝いていた。







 カエティスは目を開けると、そこは聖堂の、昔、育ての父が用意してくれた自分の部屋だった。


「……あれ? 俺の、部屋?」


 小さく呟いて、カエティスは身を起こそうとするが、胸に激しい痛みを感じ、起きれずに倒れ伏す。


「……俺、死んだんじゃなかったっけ……?」


 ベッドの中で呟き、カエティスは窓の外に目を向ける。

 空がまるで血のようにとても赤い。

 一体、今がいつなのか分からないが、亡者達の気配は全く感じない。

 赤い空を見つめていたカエティスはこちらへ向かって来る気配を感じ、扉へ目を移す。


「隊長! 良かった、気が付いたのですね!」


 安堵した声を洩らし、ミシェイルはカエティスのベッドに近付く。


「……ミシェイル。俺はどうして生きてるんだい? ネリーは? 皆はどうなったんだい?」


 身を起こそうとしながら、カエティスは痛みに顔を顰め、尋ねる。

 ミシェイルはカエティスの問いに、言いにくそうな表情を浮かべる。

 が、カエティスの真剣な表情に負け、ミシェイルは小さく口を開いた。


「……トーイ様も皆、無事です。あと、隊長が生きているのはネレヴェーユ様のお陰なんです。ネレヴェーユ様がご自身の力を少しだけ隊長に与え、多分、無意識だと思うのですが、ネレヴェーユ様の力が隊長の運命を変えたそうなんです」


 ミシェイルの説明にカエティスは目を大きく見開く。


「……ちょっと待って。どういう意味だい? ネリーが自分の力を俺に? ネリーの力が俺の運命を変えたってどういうことだい? どうして、ネリー本人がいないんだい?」


 眉を寄せて、カエティスは勢い良く身を起こし、痛みに顔を顰めながら尋ねる。


「ネレヴェーユ様の力などはネレヴェーユ様の父親であるこの世界の神が私達に説明したことだ、カエティス。そして、ネレヴェーユ様がここにいないのはネレヴェーユ様の父親や兄弟がネレヴェーユ様を連れて行ったからいないんだ」


 カエティスの部屋に入りながら、クレハノールを伴ったトイウォースが親友に告げる。


「……トーイ、クレハ」


「君が目覚めて良かった。目覚めなかったらどうしようかと思った」


 安堵の息を洩らし、トイウォースはカエティスに笑い掛ける。


「心配掛けてごめん。でも、俺のことはいいんだ。トーイ、ネリーはどうして連れて行かれたんだい?」


「この世界の神の話だと、ネレヴェーユ様が禁忌を犯したからだと言っていた」


「……禁忌?」


「人間の君に、ネレヴェーユ様がご自分の力を与えたことで君は生き返り、死ぬはずだった君の運命を変えたことだ」


「……!」


 トイウォースの言葉にカエティスは息を飲む。


「……だったら、行かないと」


「何だって?」


 カエティスの呟きにトイウォースは眉を寄せる。


「……ネリーに、返さないと」


 そう呟き、カエティスはベッドから出ようとする。


「ちょっと待って下さい、隊長! その身体では無理ですっ!」


「そうだぞ、カエティス。今の状態で行ける訳がないだろう! 君が一度命を失ってからまだ三日しか経っていないんだぞ」


 ベッドから出て歩こうとするカエティスをトイウォースとミシェイルの二人がかりで抑え、ベッドへ押し戻す。


「三日しか経っていないのなら尚更だよ。ネリーの力が俺の身体に定着する前に返さないと」


 そう言って、もう一度カエティスはベッドから出ようとする。


「そうしたら、君はまた命を失うだろう! 何の為にネレヴェーユ様が君を生かそうとしたんだ。ネレヴェーユ様のことを考えろ」


 怒鳴るように言い、トイウォースはカエティスをベッドへもう一度押し戻す。


「俺もネリーのことを考えてるよ、トーイ。ネリーはこの国をとても大事にしてる。俺なんかの為に力を使ったことで、この国から離れて心を痛めて欲しくない」


「ネレヴェーユ様は国よりもお前が大事なんだ、カエティス」


 今まで黙っていたクレハノールが静かに幼馴染みに告げる。

 クレハノールの言葉の意味を問うようにカエティスは彼女を見つめる。


「私も女だから分かる。愛しい人を守りたい。国も大事だが、国よりも大事なお前を守りたい。そう思って、ネレヴェーユ様はお前を助けたんだ。お前も同じ立場ならそうするだろう?」


「クレハ……」


「もちろん、お前の気持ちも分かる。だが、今は耐えろ。今、お前が無茶をして命を落としたら、それこそネレヴェーユ様の思いが無駄になる」


 諭すように告げるクレハノールにカエティスは黙った。


「……俺は本当に無力だね。大事な時に何も出来ない」


 自分の胸や手に巻かれた包帯を見つめ、カエティスは呟く。


「そうか? 私には君が無力だとは思えないのだが。君のお陰で私達は無事だったのだからな」


 トイウォースは爽やかな笑みを浮かべ、カエティスの肩に触れる。

 少し落ち着きを取り戻したカエティスは小さく息を吐く。

 そして、クレハノールに目を向ける。


「……クレハ、ごめん。君のお父さんまで巻き込んでしまった。もっと早く気付いてたら……」


 暗い表情でカエティスは呟いた。脳裏に十年前の育ての母が死んだ時のことを思い出す。

 同じようなことが過去にあったのに、それを生かせなかった。

 眉を寄せて俯くカエティスに、クレハノールはゆっくり首を振った。


「カエティスのせいではない。むしろ、お前が一番巻き込まれてるんだ。私達は王家や公爵家の人間だから、何かに巻き込まれることはある。だから、少なからず覚悟はしている。けど、お前は一般人で、私の友人なだけだ。巻き込まれなくてもいいのに、巻き込んでしまった」


 こちらこそすまない、とクレハノールは謝る。


「――とにかく、君はまだ寝ておけ。生き返ったとはいえ、まだ傷が癒えていないんだ」


 カエティスの包帯だらけの身体に指差し、トイウォースは告げた。


「……そうだね。そうさせてもらうよ」


「――と言っておいて、どうせ私達が居なくなったら君は無茶をするだろう。だから、ミシェイル。しっかり、見張るように」


 にっこりと綺麗な笑みを浮かべ、トイウォースは命じる。


「あ、は、はいっ」


 トイウォースの笑みを見たミシェイルは怯えたように頷いた。

 それを不思議そうにカエティスはミシェイルを見た。


「カエティス、弟を助けてくれてありがとう。君のお陰で無事だった。弟も君に礼を言っていた」


「気にしないで。ディオンが無事で本当に良かったよ」


「ありがとう。それじゃあ、私達は退室しよう。しっかり休めよ、カエティス」


「うん、ありがとう」


 頷き、カエティスは穏やかに微笑み、手を振ってトイウォースを見送った。

 見送ったのを確認して、カエティスは大きく息を吐いた。そして、ベッドの近くに立つミシェイルを見つめる。

 その目がミシェイルには何かをお願いしているように見えた。


「……隊長、俺に痩せ我慢はなしにして下さい。ついでに、俺を丸め込んで何処かに……ネレヴェーユ様の所に行こうとかもなしにして下さい」


 大きく重い溜め息を吐いて、ミシェイルは言った。


「いや、俺、まだ何も言ってないんだけど……」


「隊長の場合、言葉より目が語ってるので分かります」


「えっ、俺、そんなに顔に出てる?!」


 慌てて顔を触り、カエティスは不安げにミシェイルを見る。


「出てないですけど分かります。どれくらい一緒にいると思ってるのですか。傷、まだ痛むのならしっかり治して下さい。ネレヴェーユ様のことはそれからでも遅くはないはずです」


 傷だらけのカエティスの手に触れ、


「ネレヴェーユ様の所に行って、隊長が倒れたら意味がないですよ」


 にっこりとカエティスそっくりの笑みをミシェイルは浮かべる。


「……そうだね。本当に傷だらけだしね」


 包帯だらけの自分の身体を見て、カエティスは自嘲じみた表情をする。


「ミシェイル、皆のお言葉に甘えてもう少し休むよ」


「その方がいいです。隊長の看病、俺がしっかりしますから」


 ベッドの近くの椅子に腰掛け、ミシェイルはカエティスが眠るのを笑顔で待つ。


「いや、そんな笑顔で待たなくても……まぁ、いいや。それじゃあ、おやすみ」


 傷が痛むのか、カエティスは布団に入り、目を閉じ、すぐさま規則正しい寝息が洩れる。

 カエティスが眠ったのを確認し、ミシェイルは安堵の息を洩らす。

 息を吐いたのと同時に、扉を開ける音が聞こえ、誰かが入ってきた。

 ミシェイルは扉の方へ顔を向けた。


「カエティス、起きたか?」


 入ってきた人物を認め、ミシェイルは頷く。


「今、やっと眠ったところだよ。無理するからまた血が出てる……」


 カエティスの手に巻かれた包帯に滲んだ血を見て、ミシェイルは眉を寄せる。


「司祭様はどうだ? レグラス」


「王様とクレハノールちゃんの説明でやっと落ち着いたところだ。まぁ、血は繋がらないけど、自分の息子が大怪我したんだから、取り乱して当たり前なんだけどさ。止めるのが本当に大変だった」


 肩を竦めて、レグラスは笑う。


「……自分も取り乱してたくせに」


 安堵の笑みを見せるレグラスを半眼で見つめ、ミシェイルは呟く。


「それはお互い様だろ。とにかく、司祭様もようやく休んだことだしさ、俺もここにいよっかな」


「えー……」


 とても嫌そうな顔をミシェイルは浮かべる。


「暇なんだから、いいじゃん。ゆっくりさせろよ」


「俺がゆっくり出来なくなる。お前、すぐ俺で遊ぶし」


「今は本当に疲れたから、ミシェイルで遊ぶ気はないって」


「絶対、嘘……」


 信用出来ないと言いたげな目でミシェイルはレグラスを見ながら言おうとしたそのまま、あるものを見て固まった。


「ん? どうした、ミシェイル……」


 不審に思ったレグラスもミシェイルが見つめる先を見て、目を大きく見開いた。


「え……いつの間に起きたんだよ、カエティス」


 いつの間にか上半身を起こして、カエティスが静かにミシェイルとレグラスのやり取りを見ていた。


「いや、今なんだけどね。変な気配を感じたから……」


「は? 変な気配?」


「うん。ネリーの気配に似た感じの……。でも、ネリーじゃない」


 俯き、カエティスは暗い表情になる。


「隊長……」


 心配そうにミシェイルはカエティスを見つめる。


「ネレヴェーユちゃんじゃないってことは誰なんだよ、カエティス」


「……多分、ネリーの家族だと、思う……」


「……えっ」


 カエティスの言葉にレグラスは大きく目を見開いた。


「――よく分かったな。神の落とし子」


 不意に聞こえた響く低い声に、ミシェイルとレグラスはカエティスを守るようにベッドの前に立ち、腰に佩いた剣の柄を握る。


「……良い部下を持っているな、神の落とし子」


 カエティスを守るように立つミシェイルとレグラスを見遣り、男は満足したように笑う。


「あの、俺、神の落とし子って名前じゃないんだけど……。それに貴方は何者ですか?」


 男が言う『神の落とし子』という言葉に眉を寄せて、カエティスは不審な目を向ける。


「神の落とし子だから、神の落とし子と呼んだのだ、カエティス。ところで、お前は私が誰なのか分からないのか?」


 少し意外そうに目を大きく見開き、男は腕を組む。

 男の問いに、カエティスは静かに大きく頷く。


「……前にも思ったが、お前は何処か抜けているな、カエティス」


 呆れたように頭を振り、男は溜め息を吐く。


「前にもって俺、会ったことがないんですけど」


「今の生ではな。前の生の時やその前の生でも何度も会ったことがあるが……。覚えてないのか?」


 男の問いに再び、カエティスは大きく頷く。


「……やっぱり、お前は何処か抜けているな。また私のことを教えないといけないのか」


 面倒臭そうに男は溜め息を吐く。


「――私はこの世界の神だ。名をラインディルという」


 男――ラインディルの言葉にカエティスは息を飲んだ。


「……神? ネリーの、お父さん?」


 カエティスの問いにラインディルは首肯する。


「ネリーのお父さんと俺がどういう関係になるんですか」


「私とお前の関係か? お前は前の神の子の生まれ変わりで、私とは従兄弟にあたる」


 淡々とした声で、ラインディルは告げた。


「――と言っても二千年以上も前の話で、お前の魂も何度も生まれ変わっているが」


「………………は?」


 目を何度も瞬かせ、カエティスは呆気に取られた顔をした。

 横でミシェイルとレグラスも同じような表情をする。


「ちょっと待って下さい。え? 俺の魂って、元何かの神様だったの??」


 混乱した様子でカエティスは頭を抱える。


「いや、お前の最初の魂は前の神と、人間の歌姫の間に生まれた混血だ。だから、神の落とし子と呼ばれている」


「あの、前の神って、何ですか」


「私の前にこの世界を守っていた神だ。私の伯父だ」


「神の世界にも世代交代ってあるんだなぁ」


 感心したようにレグラスが他人事のように呟く。


「二千年以上も前なら俺が神の落とし子って呼ばれるのは、もう時効なんじゃないんですか?」


「前の魂まではな。だが、今のお前は神の血を濃く継いでいる。それも二人の」


「……は?」


「お前の血には前の世界の神の血を父親から、生と死を司る神の血を母親から。その二つを継いでいる。お前の両親は神の血を濃くお前に残した。だから、神の落とし子と呼ばれている」


「ええっ?!」


 ぎょっとした表情を浮かべ、カエティスは少し青ざめる。


「まさか、こんなところで自分の両親のことを知るとは思わなかったよ……。先生、知ってたのかな」


 ふと、本当の両親を知っていた育ての母カリンのことをカエティスは思い出した。


「お前の両親自身が知らなかったことだ。お前の育ての母も知らない。だが、お前の育ての母とお前は血が僅かだが繋がっているぞ」


「え……?」


 ラインディルの言葉に、カエティスはもう一度目を大きく見開く。


「お前の最初の魂は昔、ある王国の王となり、その王家は長く続いた。そして、お前の育ての母はその王家の血を継いでいる。お前の父親と同じように」


「…………」


 ラインディルの言葉を聞き、カエティスは沈黙した。


「……う、そ……先生と、俺が……?」


 震えて言葉にならない。

 育ての母が、カリンがこのことを知ったらどう思うだろうか。

 喜んでくれるだろうか。それとも、驚くだろうか。

 少しでも、僅かでも、カリンと血が繋がっていることがカエティスには嬉しかった。

 目頭が熱を持つのをカエティスは感じた。流石に恥ずかしいので、ぐっと堪えた。


「それと、そこで他人事のように思っているレグラスも関係するぞ」


「えっ」


 本当に他人事のように思っていたレグラスはきょとんとした表情を浮かべた。


「お前は私の二番目の息子の子だ」


「……はい?」


 淡々とした表情で、ラインディルは告げる。


「お前も神と人間の混血で私の孫だ」


「……ええーっ!?」


 ラインディルの言葉に、カエティス、ミシェイル、レグラスが同時に声を上げる。


「……あの、同じ孤児として気になるのですが、レグラスの両親はどうしているのですか?」


 孤児として一緒に育ったこともあり、ミシェイルは気になることを恐る恐る尋ねた。


「母は流行り病でレグラスを産んで死んだ。父親は私の元にいる」


 その言葉に、レグラス本人もカエティス達も沈黙した。


「……ミシェイルの両親は生きてるんですか?」


「ミシェイルの両親はカエティス、お前の両親と同じく死んでいる。が、ミシェイルもカエティスと僅かだが同じ血が流れている」


「えっ……」


 カエティス達は言葉を失った。


「流れていると言っても、カエティスの母の血だ。育ての母と同じ血ではないが」


「……先生と同じ血ではないのは悲しいですが、それでも……それでも、俺、隊長と少しでも繋がってるのは嬉しいです」


 嬉しそうにミシェイルは笑みを浮かべる。

 その笑みを見て、カエティスも穏やかに微笑む。


「――さて。ここからが本題だ。カエティス、お前は私の娘の力を持ってしまった。更には娘がお前の死ぬ運命を変えた。そのことで未来が変わる」


 眉を寄せ、ラインディルはベッドから上半身を起こしたままの包帯だらけのカエティスを見る。


「未来が変わったことで、お前は選択しないといけない」


 一歩、一歩とラインディルはカエティスがいるベッドに近付く。

 警戒してミシェイルとレグラスがカエティスの前に立つ。

 二人の様子にラインディルは苦笑する。


「別にカエティスを取って喰おうとはしない。何度も生まれ変わっているが元は私の従兄弟だ。親族だった者に手を出す気はない。仮に悪意があれば、私が触れる前に私の伯父がカエティスを護るさ」


 白に近い水色の髪を掻き上げ、ラインディルはまた苦笑する。


「……どうして、ネリーのお父さんの伯父さんが俺を?」


「伯父はお前の魂をいつも護っている。最初で最後、唯一愛した女の子供だからな」


「あ……だからあの時、白い光が俺を護ってくれたんだ……」


 十年前のことを思い出し、カエティスは呟く。理由が分かって、やっと腑に落ちた。


「あれ? でも、どうしてトーイのお祖父さんはそのことを知っていたんですか?」


「あれは本人が知っていた訳ではない。確かに生前は三代目のクウェール国王だったが、あれは負の集合体だ。三代目のクウェール国王が負の集合体を取り込み、その時に得た情報だ」


「負の集合体って、何ですか?」


 首を傾げて、レグラスも尋ねる。


「この世界の全ての生き物が吐く負の感情だ。それがいつからか意思を持ち、人に取り憑くようになった。そして、ネレヴェーユを欲した三代目のクウェール国王がそれを取り込んだ」


 ラインディルの説明に、ミシェイルとレグラスは苦い顔をする。


「その負の集合体は、三代目のクウェール国王の魂と共にカエティスが浄化したと思っているだろうが、まだ終わっていない」


「え……」


 大きく目を見開き、カエティスは無言でじっとラインディルを見つめ、ベッドから出ようとする。

 それをラインディルが止める。


「終わっていないが、今、出ても足手纏いだ、カエティス。三代目のクウェール国王の魂はお前の剣と力でほとんど浄化された。が、まだ負の集合体と共に残っている。そして、再び、死者を使って国を滅ぼそうとしている」


 ラインディルが告げる言葉に、カエティスは悔しげに目を伏せる。


「だが、お前が相手に与えた痛手は大きい。再び、手を出すとしても、あと半年はかかるだろう。その間に傷を癒せ」


「……もちろん」


 大きく頷き、カエティスは顔を上げ、まっすぐラインディルを見る。

 透き通った水のような水色の右目と、鋼のような意志の強い銀色の左目がこちらを見据えている。

 カエティスの返答にラインディルは満足した様子で頷いた。


「ああ、そうだ。一つ言っておくが、傷を癒してもお前の力では負の集合体は倒せない」


「え?」


「お前の力――魔力は有効だ。三代目のクウェール国王を封じることも出来るだろう」


 じっとこちらを見つめるカエティスにラインディルはにやりと笑う。


「だが、それだけでは足らない。三代目のクウェール国王の血筋、五代目のクウェール国王とウィンベルク公爵の力が必要だ。だが、三人の力でも全てを浄化することは無理だろう。だから、カエティス、あれを封じろ」


 強い口調で告げるラインディルにカエティスは目を見張った。


「そして、五代目のクウェール国王にはその場所で三代目のクウェール国王が二度と出ないように守ってもらおう」


「待って下さい。どうして、トーイなんですか。トーイはトーイのお祖父さんによって荒れてしまったこの国を復興する為に必要な人です。彼以外、この国を復興させることが出来る人はいません」


「お前なら出来るのではないか?」


「俺は無理です。神様、買い被らないで下さい」


 神の一言にカエティスは苦笑したが、すぐ真面目な表情に戻す。そして、ラインディルをまっすぐ見据える。


「――俺に、その封じる場所を守らせて下さい」


 カエティスの言葉に、ミシェイルとレグラスが大きく目を見開いた。


「……ならば、カエティス。お前は選ばないといけない」


 ネレヴェーユと同じ、白に近い緑色の目を鋭く細め、ラインディルはカエティスに問う。


「人間として封じる場所を守る為に生きるか、神として封じる場所を守る為に生きるか。どちらか選べ、神の落とし子」


「隊長……」


「大丈夫だよ、ミシェイル」


 穏やかに微笑み、カエティスはミシェイルの腕をぽんぽんと軽く叩く。

 そして、まっすぐラインディルを見上げる。


「神様、俺はどちらも選べません」


 カエティスの一言にラインディルは面喰らった。


「どちらも選ばない? 何故だ?」


「俺は、ネリーの力のお陰で今を生きてます。もう死んでいる身なのに、ネリーに聞いていないのに、俺が勝手に選ぶことは出来ません。それが理由です」


 理由を聞いたラインディルは大きな声で笑った。

 その笑いが収まるまで、カエティス達は呆然と神を見つめた。


「……どの生でも面白い答えを出すな、お前は。分かった。お前に封じる場所を守るのは任せよう。その後、どうするかはお前が決めろ、カエティス」


「ありがとうございます、神様」


 安堵の色を滲ませ、カエティスは穏やかに微笑んだ。


「……礼はいい。それより、敬語はよせ。お前に敬語で話されると調子が狂う」


「え……はぁ。分かりまし……いやいや、分かったよ」


 敬語のまま、頷こうとするカエティスを一睨みし、訂正する彼に満足するように首を何度も縦に動かした。


「さて。私は帰らせてもらう。またな、カエティス」


「ちょっと待った! ネリーを解放して欲しいのだけど」


「それは出来ない」


「どうしてです……えっと、どうして?!」


 もう一度ラインディルに一睨みされ、カエティスは言葉を慌てて変えた。


「娘は罪を犯した。人間を生き返らせ、更には神の力を与え、その者の運命を変えた。本来ならしてはならないことだ」


「それはそうだけど、俺がネリーなら同じことをしていたよ」


「では、それを全ての人間に出来るか?」


「…………」


 神の問いに、カエティスは言葉を詰まらせ、言い返すことが出来なかった。


「出来ないだろう。それを娘はお前にした。頭が冷えるまで解放はしない。それに負の集合体は娘を狙っている。あれに娘を渡す気はない」


 ラインディルの言葉に、カエティスは目を穏やかに和ませる。

 神である前に子を持つ父親の顔を垣間見た気がした。


「あ。じゃあ、俺に娘さんを下さい」


 手を挙げて主張するカエティスにラインディルは面喰らった顔をした。


「……娘を解放するまで、娘を想うことが出来れば考えておこう」


 からかうような笑みを浮かべ、ラインディルは告げる。


「えっ。それっていつまで……?」


 眉を寄せて、カエティスは尋ねる。


「さぁな。一週間後かもしれないし、百年後、それ以上かもしれない」


「百年……。俺、長生き出来るかなぁ」


「娘の力を与えられたのもあるが、運命を変えられたこともあり、お前は神に近い存在になっている。問題なく長生きだ」


 安心しろと告げるラインディルに、カエティスはこっそり複雑な表情を浮かべる。


「……そっか。ん? じゃあ、レグラスも?」


「私の孫だからな。長生きだ」


 大きく頷き、カエティスにしたのと同じ、ラインディルはからかうような笑みをレグラスに向ける。


「……あー、やっぱり……」


 嫌な予感を感じたレグラスは額に手を当て、天井を仰ぐ。


「――では、私はそろそろ帰るとしよう。また会おう、カエティス」


 不敵な笑みを浮かべ、ラインディルは告げる。


「……あんまり会いたくないかも」


 ぼそりと呟き、カエティスは溜め息を吐く。


「正直だな。ああ、そうだ。封じる方法だが、色々な者達に知られないようにしておけ。出来ることならクウェール、ウィンベルクそれぞれの当主のみの方がいい」


「……へ? どうして?」


「封印を解こうと考える者が出るだろう。そして、場所まで知れれば今回と同じことが起きる」


「そっか。確かにそれは勘弁して欲しいなぁ。誤魔化す方法、相談しないとね」


「あとはお前達のことだ。お前達で考えろ。では、また会おう、カエティス」


 現れた時と同じように不敵な笑みを残し、ラインディルはゆっくりと消えた。

 ラインディルがいた場所を呆然と見つめた後、カエティスは考える顔になった。


「……あの、隊長、大丈夫ですか? 寝た方がいいのではないですか?」


 真剣な表情のカエティスを見遣り、ミシェイルは小さく尋ねる。


「ん? 大丈夫だよ、ミシェイル。身体は頑丈になったみたいで平気。実はさっきの話で頭が混乱してて整理しないと、寝ようとしても眠れない気がする」


「俺もー……。カエティスならともかく、何でよりによって俺が神様の孫……。カエティスなら納得なのにー」


「いや、俺が神様の孫で納得されるのは心外なんだけど。俺、一般人だし」


「その魔力で剣も強いカエティスが一般人って言っても説得力ないから」


 床に座り込み、ベッドに頭を置き、レグラスは反論する。


「……とにかく、これからのことをトーイ達と相談しないといけないね」


 溜め息混じりにカエティスは呟いた。

 ベッドの横に立つミシェイルと、床に座り込んだレグラスは真剣な表情で静かに頷いた。







 それから、半年後。

 世界の神、ラインディルの言葉通り、トイウォースの祖父は負の集合体と共に再び、ネレヴェーユを手に入れようと現れた。

 父である神の元にいるとは知らないトイウォースの祖父は女神を探しながら、トイウォース達とぶつかる。だが、カエティスとの戦いの影響か前と比べて勢いはなく、僅か半月で戦いは終える。

 カエティスと国王のトイウォース、ウィンベルク公爵を継いだクレハノールの手によって、負の集合体と三代目のクウェール国王の魂は封じられた。

 クレハノールが治める街のカエティスが育った場所――街の奥にある森に。

 そして、街は都と呼ばれ、新たな名が付けられる。

 国を守り、志し半ばに命を落とした騎士、カエティスの名から、カエティスの都――と。


「……複雑だなぁ。俺、生きてるのに」


 騎士の服装から、普段着の上に黒いマントを引っ掛けた服装に変えたカエティスは、目の前に建つ大きな墓を見上げる。


「仕方ないさ。俺達、死んじゃったことになってるんだしさ」


「俺は自分で選んだことだけど、どうしてレグラスまでここにいるんだい?」


 黒い髪のかつらを外し、元の水色の髪を露にしたレグラスを見て、カエティスは尋ねる。


「そりゃ、アレだよ。お前にもしもがあった時の為だよ。お前がここの結界の要なんだから、お前が狙われるだろ? その護衛兼長ーい人生の話し相手。優しい幼馴染みだろ?」


 にやりと口元に笑みを作り、レグラスは剣を仕込んだ杖を振り回す。


「……自分で言わなかったらね。でも、嬉しいよ、ありがとう」


 穏やかに微笑み、カエティスは手に持つシャベルの先を地面に刺す。

 ひっそりと建つ育った小屋の近くにある小さな墓を見つめる。


「……新しい命は紡げないけど、こういう守り方もあるんですね、先生……」


 小さく、レグラスにも聞こえない声で、カエティスは呟いた。

 何かを見つけたような、そんな声音で、カエティスは穏やかに微笑んだ。










 扉が内側から開く音が聞こえ、レグラスは石に縋ったまま、そちらに目を向ける。

 出て来た彼女達は少しだけ俯いている。


「お? お帰りー。どうだった? 何か分かったことはあったかー?」


 明るい声で、レグラスは出迎える。


「只今、戻りました、レグラス……」


 少し潤んだ目で返し、ネレヴェーユは俯く。


「どうしたんだ、ネレヴェーユちゃん。暗い顔して」


「……貴方にもカエティスにも、辛い思いをさせてしまって……ごめんなさい」


「……は? いやいや、別に辛くも何ともないっていうか、俺もカエティスものんびり過ごしてただけだし、気にしなくてもいいって」


「でも……」


 尚も言おうとするネレヴェーユの言葉を手で止めて、レグラスは穏やかに笑う。


「ネレヴェーユちゃんが気にすることじゃないって。俺もカエティスも自分で選んだことだから。ネレヴェーユちゃんに責任感じられちゃうと俺達の立場がないから」


「……ありがとうございます、レグラス」


「俺達の仲じゃん。ネレヴェーユちゃん」


 にまっと白い歯を見せ、レグラスは杖で肩を叩く。


「……君達の立場と言えば、何か黙っていることがあるだろう、私に」


 ぼそりと低い声で、エマイユが呟いた。


「ん? お嬢ちゃんに? 何かあったっけ?」


 眉を寄せ、首を傾げて、レグラスは考え込む。


「……カエティスにも、ミシェイルにも問い質さないといけないのだけれどね」


「だったら、あいつらに言うといいよ。カエティス、もう起きてるって話だからさ」


 暗い笑みを浮かべるエマイユに、負けじと明るい笑顔を浮かべ、レグラスは出入口を指差す。


「カイさん、もう起きてるのですか?!」


 驚いた声を上げ、リフィーアはレグラスを見上げる。


「……そう。じゃあ、二人のところに行こうか」


 頷くレグラスを見て、重い歩調でエマイユは進んで行く。


「エマイユさん、待って下さい!」


 リフィーア達も慌ててエマイユの後を追った。


「……王様、今の自分を忘れるくらい怒ってるなぁー。頑張れよ、カエティス、ミシェイルの生まれ変わり」


 リフィーア達の後ろ姿を見つめ、レグラスはそっとこれから起こる嵐に巻き込まれる二人を応援する。

 それからしばらく後に、ちゃっかり逃げたことがばれて、カエティス達に怒られるのは言うまでもない。




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