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私の理想の性格

作者: うみしお

「どのようなお悩みですか?」と、中年くらいの男は訊いた。

ネームプレートには「角山」とある。「つのやま」だろうか。それとも「かどやま」だろうか。「医師」という言い方が正確かどうかは分からない。むしろ技師――いや、博士かもしれない。 とにかく身に付けている白衣は医師という印象が強い男だ。

「私は性格が暗いんですが、明るくなりたいんです」と口篭って答えた。

この「ブレイン・パワー」のことはインターネットで知った。内向的な人間を外向的に変えてくれるという、私には夢のような機械だ。想像もつかない研究をしているのだろうが、巨大な施設というわけではなく、10階建てのビルの7階にある。

「どういった経緯か、訊いても宜しいでしょうか?」

私は短く「はい」と答えると、ここ最近の私生活を話し始めた。


――――――――――――――


私の会社では、ほとんどのやりとりをメールで済ませる。隣に座っている人にさえメールで用件を伝える始末だ。私のような内気な人間にとっては、メールのみのやり取りはいいのかもしれない。

しかし窮屈だった。なにしろ前も右も左も、机がくっついている。向かい合わせの男とは笑いの訪れない睨めっこ状態だ。

きっと私以上に、周りの人間がうっとうしいだろうと思う。後ろを通る時は「気持ち悪い」と囁いて行く。時に椅子の足を蹴っていく。業とらしくぶつかっていく。空気を読めと言わんばかりに咳払いや舌打ちをする。

私は二十三歳にして童貞。恋愛経験は元より友人なし。歳に反して主任に昇格する気配など微塵もない。家に帰ってのゲームと酒だけが唯一の楽しみだ。

とある飲み会の時にはっきり言われたこともある。

「亀田さんって気持ち悪いですね」と。 皆笑っていたが、冗談の笑いではなくきっと本心だ。

要するに彼らは「早く辞表を出せ」と言いたいのだ。

現代は転職が厳しい時代であることは知っている。ましてや私のコミュニケーション能力では、面接など受かるのは奇跡だ。今の会社だって偏差値だけで入れたようなものだった。


こういった経緯で今私はいる。

「なるほど。今日は履歴書をお持ちですか?」

「はい」

私は履歴書を鞄から取り出して渡した。ブレイン・パワーのサイトに用意するように書いてあったからだ。

角山医師は、しばらくそれを上から下へながめた。

「いい学歴ですね」

「いえ......」

インターネットでは大学にランク付けをしている。東大はSランク、東京工業大学や京都大学がAランク、というように。よくレベルの低い大学という意味で「Fラン」という言葉が用いられる。私が卒業した千葉大はBランクであった。

角山医師は「ふむ」と軽く頷く。

「内向的な性質は必ずしも悪いことではありません」

間を置いて突然言った。

「え?」

「履歴書を見る限り、あなたは真面目で勉強熱心だ。あなたの個性を活かした人生を歩もうと考えたりはしませんか?」

冗談じゃない。勉強だけができても他が何もできなければ役には立たない。

「例えば、学者とか」

「学者は......ちょっと」

ただ本や論文を読み漁っていればよいというものではない。成果を出さなければならなのだ。私には無理だ。

「今の自分を否定し、変わらなければいけない、そう思いますか」

「はい」

「では、俺は変わる、変わってやる、と決意して根性を出そうとは思いませんか」

そんなことはもうやってみた。だが数ヶ月から、せいぜい1年で元に戻ってしまうのだ。そもそも私に似合う明るさというものが分からない。

だからここに来た。ここなら私の――私に似合う明るさを見つけて、その性格にしてくれる。

「私は精神論が嫌いです!」つい大きな声が出た。「学生の頃に自己啓発本を何十冊も読みました。精神論なんて何の役にも立たないというのが私の人生の結論です」

「では、むしろ論理的な思考の方が合っているんですね?」

「え......ええ、まあ」

医師は履歴書に目を落とした。

「得意な科目にも数学と書いてあります」

「そうですね、どちらかというと」

彼は立ち上がって、隣の部屋に通じるドアへ手を伸ばした。

「こちらへどうぞ」

ドアを抜けると、寝台と巨大な機械が空間を占領していた。

「精神科医は抑鬱状態にある患者に鬱病のレッテルを貼ります。何の根拠もなく、ノルアドレナリンやセロトニンといった脳内物質が不足していると決めつけ、それらを増量すれば治るものとしています。非常に原始的で、インチキくさいですよね」

神経症や鬱病の本は何冊も読んだ。自分がそういう心の病にかかっているのではないかと疑ったからだ。角山医師の言うことはもっともだ。

「この装置は脳の個々のシナプスを解析し、それぞれの電流をコントロールして明るい性格に変化させます。どうです? 論理的に明快でしょう」

「脳細胞全部ですか」

「ええ」

「別々に、ですか」

「はい」

そんなことが現在の科学でできるのか? こっちの方がよほどインチキくさい。

「そのかわり、内向的である良い面......つまりは、真面目で、慎重で、几帳面で、謙虚で、論理的である、そういったものは失われてしまいますよ?」

「構いません」

「あなたのような方は明るくなることを望み、明るい方はクールになることを望みます。人間の心理とは不思議なものです」

医師は契約書にサインするように言った。私はろくに目を通さず、すぐにサインした。

次に寝台に乗るよう指示された。頭上にはCTスキャンのようなトンネルが口を開いている。

「安心してください。別に手術をするわけではありません。ただ横になっているだけです。痛くもかゆくもありません」

彼の言う通りだとするとリスクは高いように思える。脳を電気的にいじるだなんて。だがこのままだと自殺かホームレスだ。私は高鳴る心臓を押さえつけて、覚悟を決めた。


――――――――――


「おはようございまーす」

今日も俺は元気に出勤した。寝覚めの気分は爽快だった。

前の会社は辞めた。あんな意地悪な連中とはおさらばだ。面接では自分でも驚くほど滑らかにしゃべり、九社目で採用された。 九社という数が多いかどうかは知らない。採用されたなら万事オーケーだ。

パソコンを起動していると、藤尾君が出社してきた。二十歳の、向かい側の席の男だ。

彼は無言で座った。それを一目見て俺は笑顔で話し掛けた。

「藤尾君ってさあ、酒強いの?」

「まあ、普通です」

「どれくらい飲むの?」

「1日に発泡酒2缶くらいですね」

「だよねえ。やっぱり飲むよねえ。俺なんかビール3缶とウイスキー4杯だよ」

「それ肝臓に悪いですよ」

「酒もタバコもやらないのに早死にする人もいるでしょ? 逆に大酒飲みで超ヘビースモーカーでも長生きする人もいる。 ってことは、人間なんていつ死ぬか分からない、って事じゃん。楽しいこと我慢して早死にしたらつまらないだろ?」

しゃべっているうちにパソコンが起動したのでアクセスの画面を開いた。今俺が任されているのは、エクセルからアクセスのデータベースにデータを登録するいわゆるマクロと、データベースから自動的にメール送信するプログラムだ。

分厚いマニュアルを読んでいるうちに眠くなってきた。俺は横を向いた。

「牧野さんってアクセス詳しいんでしょ?」

牧野さんは二十四歳の、眼鏡がかわいい女性だ。前は人の年齢なんて全然興味がなかったのに、明るくなると関心を持つ。歳や血液型まで覚えてしまうから不思議なものだ。

「何か分からないことがありますか?」

「いや、そうじゃないけど。っていうか全然分からないんだけどさあ。牧野さんはすごいなあと思って。俺前の会社では出荷管理部っていう、人が聞いて何やるんだかさっぱりイメージできないような部署にいたの。まあエクセルとワードができりゃいいような仕事だよ。で、面接の時にちょっと誇張してアピールしたんだよね。アクセスもできますって言ったけど、実はかじった程度なんだよ」

「いや、私もそんなにすごい方じゃないんですけど」

「牧野さんってB型だっけ?」

「はい」

「意外だよなあ。A型っぽいよね」

血液型と性格が関係あるなんて本気で思っているわけではない。手頃な話題としては調度いいのだ。

なおもマニュアルと格闘する。平均して一時間に一行くらいしか打っていない。以前の俺はこういうことが好きだったはずだ。今はただ眠いだけだ。

二時間程経っただろうか。青木課長が声をかけてきた。

「亀田君、ちょっといいかな」

俺は空いている会議室に連れていかれた。

「自己申告した納期まで、あと一週間なんだが」

「社内で使うツールですよね? 納期なんてあってないようなものでしょう? まだ10パーセントもできてませんよ」

「君さあ、おしゃべりばっかりして、全然集中してないように見えるんだけど」

「そんなあ、俺だって頑張ってますよ?」

「周りのみんなと世間話してさあ、あれじゃ彼らだって集中できない」

「なんでですか。職場の雰囲気を盛り上げようとしてるんじゃないです。明るく仕事するのはダメなんですか?」

課長はため息をついた。

「とにかく、1週間で仕上げてくれ」

「無理です。無理無理」

俺は笑いながら顔の前で手を振った。 「はっきり言って、細かいのは向いてないですよ。他の仕事に変えてくれませんか?」

「他の仕事?」

「例えば......営業とか」

「営業を馬鹿にしちゃいけない。厳しいノルマがあるんだぞ。君みたいな軽佻浮薄な人間は、どこに行っても勤まらん」

俺は横を向いて顔をしかめ、「おもしろくないなあ」とつぶやいた。

瞬間、課長はテーブルを叩いた。体がびくりと反応する。

「何だねその態度は! 君は前の会社でも、そんな甘ったれた考えで辞めたのではないのかね。いつまでも子供ではないんだ。もっと社会人としての自覚を持ちたまえ!」

怒鳴り声が俺の頭を鳴らした。

席に戻り、しばらくは意気消沈してアクセスの画面をながめていた。それにも飽きると、また周りに話しかけた。

まったく作業がはかどらないまま、今日も一日が過ぎていく。定時には帰るつもりだ。

残業代も出ないんじゃ、馬鹿馬鹿しくてやってられない。

「今の仕事、向いてないんだよねえ」

藤尾君に言った。

「そんなこと言わずに頑張ってくださいよ」

「辞めちゃおうかなあ」

「辞めてどうするんですか?」

「さあねえ。コンビニのバイトでもやろうかなあ」

藤尾君は急に真面目くさった顔になった。

「人生は努力の積み重ねですよ。天職に巡り会えた人間なんてごくわずかです。みんな不満を抱えながら頑張ってるんですよ」

「偉いねえ、藤尾君は」

俺は帰宅することにした。

こんな馬鹿な。明るくなれば全てがうまくいくはずじゃなかったのか。

心の冷静な俺が呟いた。

スーパーで買った弁当をビールで流しこみ、バラエティを見て笑う。ウイスキーを三杯飲んだ時点で、暗かった時のように急速につまらなくなり、テレビを消した。

酔いが回った頭に、課長や藤尾君の言葉が甦ってくる。

そういえば昔、お笑い番組の有名人が言っていた。

「俺お笑い芸人になっとって良かったわあ。普通の仕事とか絶対できへんもん。こんな性格やからな」

言っていた有名人の気持ちが今になって分かるような気がする。

久しぶりに音楽を聴いてみることにした。なんだこれは? どれも不気味で、奇妙で、なぜこんなものを好きだったのか分からない。

俺はゲームをした。走り回り、架空の人物達に話しかける。虚しさとともに怒りがこみ上げてきた。俺はコントローラーを床に叩きつけた。

暗い時にはいいと感じていたものが、今は少しも楽しくない。私は音楽も、必死なって無意味に集めた画像も全部パソコンから削除した。

「ちくしょう」

俺は頭をかきむしった。ゲーム機もソフトも、全部売り払ってしまおう。


――――――――――――


「どうですか? その後は」

俺は再びブレイン・パワーの研究所を訪れていた。

「ええ、おかげさまで順調ですよー」

「何も不都合はありませんか?」

「そりゃもう、順風満帆。楽しくてしょうがないですよ」

「そうですか。それはなによりです」

しまった。これでは言うタイミングがない。俺はさりげなく口に出すことにした。

「ところで、根性のある性格にできたりは......しませんよねえ」

と、言ったつもりだったが、途中で笑ってしまって、角山医師は聞き取れなかったかもしれない。

俺の言葉など聞かなかったように角山医師は続ける。

「以前にあなたが来た時、私が根性の話をしましたよね。いやあ、あなたが即座に否定してくださって良かったですよ。何しろ、私達の装置では真面目にすることはできませんから。後で言われても困りますからね」

角山医師は笑顔で言った。

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