佐倉一真の受難 其の二
三人がなおも猫の話で盛り上がっていると、突然沙代が家に飛び込んできた。
「どうしたんだ、沙代ちゃん。泣いてるじゃないか」
兵庫がびっくりした顔で話しかけた。
沙代は一真の友人とも旧知の仲だ。
「ああ、兵庫さん。安次郎さんもいらしてたのね。誰かにつけられて・・・怖くってこっちに逃げてきたの」
まだ沙代の体は恐怖で震えている。
一真が表を確認しに行く。
「誰もいないぞ」
「いたのっ。私も直接見たわけじゃないけど、私が歩くと付いてくる足音がするの」
むきになって怒る様子を見ると確かなのだろう。
「追っかけられるような心当たりはないのかい?」
安次郎が聞く。
沙代は頭を振った。
「何にも。それに、今日だけじゃない。ここ数日ずっと続いてるの」
そして身震いしながら話した。
「始めは、気のせいだと自分に言い聞かせていたわ。でも、足音はいつも家までついてくるの。それどころか今日は、走って追いかけてきたのよ」
怖くて振り返ることもできず一目散に逃げたが、足音は沙代のすぐ傍まで迫ってきたという。
「わたし、外に出るのが怖い。もう、一人じゃ歩けないわ」
みいちゃんが、震える沙代の手に頬ずりする。
あまりにも怖がっている様子を見て三人は顔を見合わせた。
「なあ、こんなに怯えてかわいそうだよ」
兵庫が顔を曇らせる。
「そうだな、それに一生外に出ないわけにもいかないし」
安次郎もうなずく。
「辻斬りの可能性もあるしな。しかたない、しばらく付き添ってやるよ。二人とも手伝ってくれるよな」
一真が二人に確認する。
「もちろん」
兵庫と安次郎はいった。
沙代はこれを聞くと、ぱっと明るい顔に変わった。
先ほどまで泣いて震えてたとは思えないほどの笑顔で一真に予定を伝える。
「明日は朝から寺子屋に裁縫を教えに行くの。帰りが夕暮れ時になるから余計に怖くって。そうだわ、竹林の中にある川が蛍の名所なの。少し時期より早いけどもしかしたらいるかもしれないわ。ねえ、そこに回り道して帰りたいの。」
きゃっきゃとはしゃぐ姿にあきれながら一真は年下の従姉妹をたしなめる。
「あんまり調子に乗るなよ。お前が怖がっているから俺たちは仕方がなくつきあってやっているんだ。お前の遊びのことまで面倒見切れるか」
威圧的な一真の態度に沙代はしゅんとなった。
見かねた様子で安次郎が言う。
「いいじゃないか、沙代ちゃんだって怖い思いをしてつらかったんだ。蛍を見るくらいつきあってやれよ。お前らが嫌なら俺が一人でつきあってやるよ」
安次郎が沙代の肩に手を添える。
兵庫がじろりと横目で見る。
親切な言葉の裏に野心が見え隠れしている。
安次郎は筋金入りの女好きである。
元服前から泣かせた女は数知れない。
一真達も、「安次郎病」と称してあきれるほどだ。
一真は、従姉妹の違う危機を察して蛍狩りにもつきあってやることにした。