終幕
仕事を終えた一真は家に帰っていた。
ふと、沙代が気になり、向かいの従姉妹の家に行く。
「沙代、具合はどうだ」
昨夜、女の死体を見た沙代は食事も喉を通らないほどの衝撃を受けて落ち込んでいた。
大好きな蛍の下に死体である。
普通の女ならば当然そうなるだろう。
一真は沙代に慰めるつもりで話しかけた。
「沙代、あれは蛍ではないよ」
沙代が一真のほうを向いた。
「正確には蛍の幼虫だ。それも死体が目的なのではなく、それに食べに集まってきた貝を食べるために集まっていたわけで・・・」
沙代は一真の無神経さにギッと睨みつける。
それ以上何もいえなくなった一真は沙代のそばでなすすべもなく正座していた。
沙代はため息とともにつぶやいた。
「私、しばらく蛍は見なくていいわ」
向かいで男の声がした。
「兵庫達がきたみたいだな」
一真が自分の家に戻ろうとすると、「私もいく」とあわてて沙代も後を追いかけた。
二人の友人は門の前に立っていた。
その後には三太の姿があった。
「猫を見せておくれよ」とはにかみながら言う。
「どなたかしら?」
沙代は首をかしげた。
「あの猫の拾い主だよ。沙代があの辻で拾うまではこの子が連れていたんだ」
一真が説明した。
「まあ。あの子の恩人なのね。叔父さんも気に入ってらっしゃるし、とっても可愛い子で私たちもうれしいわ」
沙代は手を合わせて喜んだ。
家に入るなりみいちゃんは走りよってきて、ごろんと腹を見せた。
「お前、よかったな。こんな可愛い首輪もつけてさ。お侍さんのお家で飼われてうらやましいや。強い立派な猫になれよ」
三太が猫をなでながらいった。
「ねえ、名前はなんていうの。お侍さんの家だからきっと強い名前だろうな。とら、とか鉄、とかさ」
うれしそうに三太が尋ねた。
「みいちゃん」
一真は無表情で答える。
「みい、ちゃん?」
「みいちゃん、だ」
やはり表情を崩さない一真をみながら、三太は微妙な顔をした。
三太が家に帰った後、三人の同心たちは昨日の話を始めた。
「しかし、兵庫は役立たずだな。どうやったら地面と戦って伸びてしまうんだよ」
安次郎がけらけら笑った。
「笑うなよ。大体、安次郎たちが取り違うからだろ。しくじったのはどっちだよ」
兵庫が反撃する。
「お前にしくじりなんていってほしくないな。刀を持っている武士が町人に負けるなんて恥ずかしいことだぞ。俺が稽古をつけてやろうか」
一真がそういうと、兵庫は露骨に嫌な顔をした。
「お前、友達だって本気で殺しそうなくらいの殺気を出すから嫌だ」
そこへ、お茶を淹れた沙代がやってきた。
「兵庫さんをあんまりいじめないでよ。竹林で守ってくれたときは、それは頼もしかったんだから」
そう口を挟む。
「その後すぐ伸びて沙代ちゃんが悲鳴あげるまで起きてこなかったんだぜ、こいつ。どこが頼もしいんだよ」
安次郎が兵庫をこづく。
「その場にいなかった人にはわからないのよ。安次郎さんは兵庫さんを見くびりすぎてるわ」
沙代がぶうっとふくれた。
一真はその様子を見て、ひょっとして恋のお相手は兵庫か、とちょっぴり複雑な気持ちを抱えながら茶をすするのであった。
みいちゃんが、一真の傍らで腹を出してすやすや寝ている。
いい気なものだ脅かしてやろうと刀に手をかけた瞬間、沙代の冷たい視線に気付き罰悪く刀をしまう。
道を踏み外したとき果たして自身でそれに気付くのだろうか。
それを気付かせてくれるのはきっとたまたま傍らに立つ他人なのだろう。
そんな人が傍にいて。
いや、傍にいなくてもどこか遠くからでも見守ってくれている人生というのは、たとえつらいものでも案外幸せなのかもしれない。
一真は思いながら、悪友と従姉妹のおしゃべりの輪に再び加わった。
おつきあいいただきましてありがとうございました(^ー^)