静かな冬の夜の話
十二月の終わり、中央線の高架下をくぐる風は、ガラスみたいに乾いていた。
彼女はアパートの三階までの階段を、いつもよりゆっくり上がった。紙袋の中身が軽すぎて、持っている感触がほとんどない。代わりに、足もとが少しだけ重かった。下北沢のリユース店に預けてきた、シャネルのブーツの重さだ。サイズがぴったりだったせいで相場よりずっと安く手に入った、ほとんど奇跡みたいな一足だった。店員は感じのいい青年で、査定額を告げる声もやわらかかった。まるで天気予報みたいに事務的で、そこに感情が入り込む隙はなかった。
部屋に入ると、彼はまだ帰っていなかった。六畳の空気は冷えていて、テーブルの上の観葉植物だけが静かに息をしている。彼女は紙袋から小さな箱を取り出し、慎重に開けた。銀色の露出計。古い型のカメラに外付けするやつで、今では新品はほとんど流通していない。三軒目の店でようやく見つけた。彼のカメラにぴったり合うと店主が保証してくれた。
彼は光を測るのが苦手だった。勘に頼るから、現像から戻ってきた写真が全部暗かったり、逆に白く飛んでいたりする。でも彼はそれを失敗だとは思っていないようだった。そういうところが彼女は好きだった。
鍵の回る音がして、彼が帰ってきた。肩にかけていたはずのカメラのストラップが見えなかった。
「寒かった?」と彼女は言った。
「まあね」
彼はコートを脱いで、少し迷うみたいに部屋を見回した。それからポケットから小さな包みを出した。「これ」
彼女は受け取った。軽い。リボンは不器用に結ばれていた。
「開けていい?」
彼はうなずいた。
中には薄い箱が入っていた。開けると、シャネルのロゴ入りのベージュ色のインソールが左右一組、きちんと収まっていた。彼女は一瞬それが何かわからず、次の瞬間、自分の足もとを見た。黒いスニーカー。少し前から履いている、どこにでもある靴。
「前に言ってたでしょ」彼が言った。「あのブーツ、長く歩くと足が痛くなるって。あれ用に作ってもらった。オーダーだから時間かかった」
彼女は箱の中のやわらかい曲線を指でなぞった。「ありがとう」と言ったあとで、「カメラは?」と聞いた。
彼は視線を少しだけ横にずらした。「売った。わりといい値段になったよ。古いけど需要あるらしい」
窓の外を電車が通り過ぎた。金属の音が、部屋の壁を薄く震わせる。
彼女はテーブルの上の箱を彼の前に差し出した。「じゃあ、これ」
彼はふたを開け、露出計を見た。指先が止まる。何も言わない。
「あなたのカメラに合うって言ってた。これがあれば、もう勘に頼らなくていいよ」
沈黙が少しだけ長く続いた。外の電車の音はもう消えている。
彼は露出計を手に取り、光にかざした。新品の金属は、夕方の鈍い光を静かに返した。「そっか」と彼は言った。
彼女は笑った。「うん」
そのあと二人はしばらく、向かい合って座っていた。暖房はまだつけていない。冷たい空気の中で、彼は露出計を、彼女はインソールを、それぞれ自分の贈り物みたいに持っていた。
「ブーツ、どうしたの」と彼が聞いた。
「売った」
「そっか」
また少し沈黙があった。でも今度の沈黙は、さっきより柔らかかった。
遠くでサイレンが鳴り、すぐに止んだ。どこかで誰かが何かを失くしたのかもしれないし、見つけたのかもしれない。東京ではそういうことが一日に何度も起こる。
彼は立ち上がり、キッチンに行って湯を沸かし始めた。彼女は箱を閉じ、露出計をそっと中に戻した。使われる予定のない小さな機械は、なぜか満足そうに見えた。
湯気が立ちのぼるころ、部屋は少しだけ暖かくなっていた。二人は同時に同じことを言いかけて、やめた。言葉にしなくても、たぶん同じ意味だったから。
窓の外では、また電車が通り過ぎた。今度はさっきより静かに。




