第九話 独白
面会は、王城の地下牢だった。
「だって、寂しかったの」
それは——理由になるのだろうか。
鉄格子の中で泣くマリアを見て、アネモネは肺に詰まった空気をじわじわと吐き出した。
肩がずっしりと重くなる。
マリアは高飛車な性格のせいで、家族もお手上げ状態だった。
おまけに惚れやすく、学園で偶然手を差し伸べてくれたライルと、あっと言う間に恋仲になった。
しかし身分差がありすぎ、家族に反対された末、マリアは別の縁談を強引に押し付けられた。
最後まで抵抗したが、イヴァンの顔を見た瞬間、あっという間に心変わりし、ライルを捨てた。
婚姻後も、マリアは仕事で家を空けるイヴァンに向かって、ヒステリックに責めた。
「どうしてわたくしを一番に扱わないの!」
娘が生まれても、それは変わらなかった。
寂しくなったマリアは、過去の恋人に縋ったのだろう。
アネモネは、王城で当てがわれた部屋のソファに倒れ込んだ。
侍女が紅茶の用意をして部屋を出て行く。
その際、その際、外から扉はきっちり施錠された。
よろよろと身体を起こし、紅茶で喉を潤す。
「姉が嫌い」というわけではない。
どちらかといえば、好きだった。
剣の才能を持ち、父とそっくりの美しい外見を持つ姉を、アネモネは誇らしいとさえ思っていた。
父は仕事が忙しく、滅多に家に帰ってこなかったが、母は間違いなく父を愛していた。
だが母は嫉妬心が強く、父に近づく女には容赦がなかった。
挨拶を交わしただけの侍女や使用人、商人の娘にいたるまで、鞭で打った。
父はよく、レインを伴って仕事に出ていた。
そのせいで、レインは母から無視される日々が続いていた。
アネモネは幼いながらもそれに気づき、父と姉を極力さけるようになった。
だからアネモネは、父との思い出はあまりない。
自業自得だとわかっていても、父と一緒にいる姉が羨ましかった。
ここにきて、ようやく義父ライルの、レインに向けられていた憎しみの理由が、ひとつにつながった。
イヴァンへの嫉妬。
捨てられた恋。
そして、その面影を色濃く残してしまった――姉。
無意識に首元に触れたアネモネは、ぱちっと目を開けて部屋を見回した。
「……確か、この部屋」
衣装合わせをしたときと、同じ部屋だ。
アネモネは慌ててゴミ箱を探し、中を覗き込む。
だが、そこにはすでにゴミ一つ残っていなかった。
もしあのネックレスが、癒しの力を込めた魔道具だったのだとしたら。
父はどんな思いで、あれを自分に渡したのだろう。
アネモネは、くすりと笑った。
「おかげで、小さい頃から病気もせず、怪我をしてもすぐに治ったのよね」
そのまま、床に膝をつく。
「うう……ごめんなさい、お父様……ごめんなさい……」
きっと、実の娘ではないことにも、すべて気づいていただろう。
アネモネは、溢れてくる涙を拭うこともせず、声をあげて泣いた。
「大変だったね」
天気の良い昼下がり、庭師が手入れした花々を望むガゼボで、エリックは穏やかな笑みを浮かべ、湯気の立つ紅茶を一口飲んだ。
アネモネは笑顔を返しながらカップに口をつけたが、唇を濡らすだけで、そっと元の位置に戻した。
聖女認定の検査の日から数日。
アネモネは、目が溶けるほど泣き続けた。
食欲も落ち、頬もこけている。
エリックは、王城に留まっているアネモネを茶の席に誘った。
テーブルの上には、美しい茶菓子が並べられている。
「調子はどうだい?」
「……あまり」
未だに、壊れた玩具のように、理由もなく涙が零れ出すことがある。
アネモネは、生気のない声で答えた。
あの検査の日から、アネモネは王城の一室を出ることを許されていなかった。
最初は悲しみに暮れていた彼女。
その感情はやがて、姉への懺悔や両親への怒りへと姿を変え、泣き疲れた今の心は、どちらかといえば凪いでいた。
エリックのいたわるような声が、なぜかアネモネの心を重くさせる。
自分は聖女なのだと浮かれていた心に、あっという間に冷たい水が浴びせられた。
頭上でエリックの溜息が聞こえる。
アネモネは、慌てて顔を上げた。
「ようやく目が合ったね」
にっこりと微笑むエリック。
こんな状況でも、自分を信じようとしてくれる彼の気持ちが重荷だった。
「……癒しの力が」
「うん」
「多分……なくなりました」
「……ああ。知っている」
間髪入れずに返された言葉に、アネモネの喉がぐっと鳴った。
「理由はわかる?」
「……」
エリックの問いに沈黙で返しながら、アネモネは無意識に首元に手を持っていく。
「あの……どうすれば……いいでしょうか?」
そのか細い問いに、エリックの胸の奥で、微かな疲労が広がった。
ここ数日、自分に対して父と神殿関係者からの視線が厳しい。
なんとか挽回したくて、部屋に閉じこもっているアネモネを引きずり出したが——。
エリックは、アネモネの顔をじっと見つめた。
確かに可愛い顔をしている。
——だがそれだけだ。
少し前まで輝いていた瞳が、今や恐れを浮かべてキョロキョロとせわしなく動いている。
「——レインの方がよっぽど」
「え?」
名を呼びかけてから、エリックはそれを飲み込んだ。
「いや、茶葉を変えてくれ。口に合わない」
エリックはアネモネから視線を逸らすと、控えていた使用人にカップを変えてもらう。
「そう言えば、君の両親、近々釈放されるよ」
エリックは、カップの中の紅茶に視線を落としながら言った。
「本当ですか!」
アネモネの瞳に輝きが戻る。
「後数日は、取り調べに時間を有するが、まあ、大丈夫だ」
スプリング家に汚名を着せぬため、国王とエリックは水面下で調整を続けていた。
結果、母マリアの実家が多額の保釈金を支払い、釈放となる見込みだ。
「貴族牢に入っているはずだから、この後会っておいで」
「はい! ありがとうございます!」
先ほどとは打って変わって勢いよく答える。
ガチャッ。
身体を動かしたせいで、ティーカップが揺れて中の紅茶がわずかにこぼれた。
「あ! 大変」
肩の荷が下りたようにすっきりした顔のアネモネは、カップを手に取ると、グイッと紅茶で喉を潤した。
その所作に、エリックの眉がぴくりと動く。
「今回の検査は上手くいかなかったけれど、君が聖女に就任することは、ほぼ決まっている」
「え、そうなのですか?」
「これからは、神殿関連の勉強をしなければいけないが、頑張ってくれ」
「は~い」
ここに来たときとは雲泥の差。
すっかり元気になったアネモネは、エリックに積極的に話しかけ、会話を楽しんだ。
一方エリックは、すっかり冷めた紅茶の表面に映る自分の顔を、ぼんやりと見つめていた。
ここにいるのは、確かに〝聖女〟と呼ばれるはずだった少女だ。
だが、胸の奥は、ひどく静かだった。
かつてレインと話したときのような高揚も、息が詰まるほどの充足も、ここにはない。
安心しているのではない。
——何も、感じていないのだ。
その事実に気づいた瞬間、エリックは、味のしない紅茶のカップを無意識に強く握りしめていた。
アネモネは、まだ何かを話し続けている。
エリックは、その顔を、曖昧な笑みで見つめていた。
茶会が終わると、エリックはその足で自室へ向かった。
気づけば、歩調は自然と早まっている。
アネモネと向き合って、ようやくはっきりと自覚した想い。
「……レイン」
——今さらだと分かっていても、君に会いたい。
引き出しから取り出した便箋に、エリックは思いを綴っていく。
そうしていると、不思議なことに、レインとの思い出が次々と甦り始めた。
幼い頃から剣の才能があり、戦う姿を目にしたその晩は、興奮して眠れなかった。
凛と立つ姿。
まるで舞っているかのような剣さばき。
エリックはうっとりと目を細めた。
だが、男心は複雑だ。
大切な女性には、無茶をしてほしくない。
できることなら、自分が守れる存在でありたかった。
そうして悩んでいるうちに、互いに忙しくなり、次第に会う機会も失われていった。
エリックは、胸に募った想いをそのまま乗せるように、再びペンを走らせた。
書いては消し、読み返してはため息をつき、何度も書き直した末に、ようやく一通の手紙が形になった。
エリックはそれを封筒に収め、従者に差し出す。
「西の砦にいる、レインに届けてくれ」
「かしこまりました。必ずや」
漆黒の森に近い西の砦へ向かうには、多くの難所を超えなければならない。
いつ魔獣に襲われてもおかしくない。
それでも、あふれ出る想いを託さずにはいられなかった。
王命として彼女をそんな場所へ送ったことに、今さらながら、かすかな罪悪感が胸をよぎる。
嫌われているかもしれない。
もう、会ってもらえないかもしれない。
だがエリックは、手紙なら拒まれないと思ってしまった自分の弱さに、気づかないふりをした。
従者が恭しく一礼し、部屋を出て行く。
「……返事、くれるだろうか」
エリックは、はにかむような笑みを浮かべて、ひとり呟いた。




