第八話 聖女認定検査
特別にあつらえた白いドレスに身を包んだアネモネは、上機嫌だった。
手には、聖なる乙女が愛したとされる白百合を抱えている。
アネモネはエリックのエスコートを受け、大聖堂に足を踏み入れた。
扉の軋む音だけが、広い空間に反響する。
ステンドグラスから落ちる柔らかな光が、祭壇を静かに照らしていた。
耳に煩いほどの静けさの中歩き出すと、二人の足音が反響し、アネモネはこくりと唾を飲み込んだ。
認定検査と言っても、実際には聖女認定の儀を兼ねたものだ。
王族をはじめ、高位貴族や神官たちが一堂に会していた。
初めて目にする面々に、アネモネは思わず身を強張らせる。
だが、参列席の最前列に座る義父と母の姿に気づくと、ほっと息を吐いた。
祭壇の前に到着すると、大神官が歩み出た。
いつも神殿の奥深くにいる彼は滅多に姿を見せないため、アネモネにとっても初めての対面だった。
じっと見つめていると、大神官と視線が交わる。
瞬間、彼は怪訝そうに眉を顰めた。
アネモネは思わず首を傾げそうになる。
だが大神官はすぐに表情を戻し、何事もなかったかのように儀式の進行を始めた。
「汝、アネモネ・スプリング。女神の名の下に、癒しの力を持つ聖女として、国に貢献することを証明せよ」
大神官はそう告げると、手にしていた本を開き、アネモネの前に差し出した。
「さあ、アネモネ。練習どおりに」
隣に立つエリックが、囁くように背を押す。
これから彼女が行うことは二つ。
ひとつは、血筋の確認。
大神官の持つ本には、貴族当主たちの魔力が保管されており、そこへ魔力を通すことで血の一致を確かめる。
もうひとつは、癒しの力の確認。
祭壇に捧げた白百合が、どれほど長くその輝きを保てるかを見る。
アネモネは小さく深呼吸を繰り返した。
これまで何度も、エリックと手順は確認している。
大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、言われたとおり本に魔力を通した。
バチッ。
瞬間、火花のようなものが弾け、アネモネの掌に軽い衝撃が走る。
周囲にいた者たちが、一斉に息を呑んだ。
しかしアネモネは気にすることなく、手にしていた白百合を祭壇に捧げた。
ほっと息を吐いた瞬間、周囲に漂う異様な空気にようやく気がづいた。
大神官はじっとアネモネを見つめていたが、やがて手元の本へと視線を落とし、深く溜息を吐いた。
進行役であるはずの彼が、眉を顰めたまま動かない。
沈黙が、神殿を満たしていった。
「……どうした。進めないのか?」
しびれを切らしたエリックが、声を抑えて問いかけた。
「……無理です」
即座に返ってきた言葉に、エリックは目を見開く。
「どういうことだ」
「ひとまず、式は中止とします」
大神官はそう告げると、周囲に向けて冷静に宣言した。
「だから、どういうことだと聞いているのだ!」
本を閉じ、その場を去ろうとする大神官に、エリックは詰め寄った。
「陛下に指示を仰ぎます」
「…………分かった」
国王の名を出されては、引き下がるしかなかった。
エリックは納得のいかない表情のまま頷き、アネモネのもとへ戻る。
突然、幕を下ろされた式。
参加者たちは不満と困惑を抱えながらも、次々と神殿を後にしていった。
何が起こったのか理解できないまま、アネモネはエリックとともにその場に残された。
振り返ると、義父と母も同じように待機を命じられている。
やがて神殿内には、王族と神殿関係者、そしてアネモネと両親だけが残った。
重い音を立てて、神殿の扉が閉じられる。
内側から、厳重に施錠された。
「一体、どうしたというのだ」
上段から、国王がゆっくりと降りてくる。
大神官はすぐさま彼の側へ歩み寄り、耳元で何事かを囁いた。
その声は低く、周囲には届かない。
「……なるほど」
国王は短く頷くと、ちらりとアネモネとその両親に視線を走らせた。
次いで、待機していた騎士たちに目配せする。
騎士たちは無言で動き、アネモネの義父ライルと、母マリアを取り囲んだ。
「へ、陛下?」
「こ、これはどういうことですの?」
困惑する二人を前に、国王は淡々と告げた。
「お前たち――そこな女の出自を、偽装しよったな」
その言葉に、マリアの身体がびくりと跳ねた。
「偽装? どういうことですか、父上」
エリックが思わず声を上げる。
「先ほど判明した。そこな女は、英雄の血を継いでおらん」
「……え?」
エリックは驚いてアネモネを見る。
だがアネモネ自身も意味が分からず、ライルとマリアを見返した。
その視線を受けて、マリアは気まずそうに、ぱっと目を逸らした。
「……どういう、こと……?」
震える声で、アネモネが問いかける。
「そなた、先ほどこの本に魔力を通したな」
大神官の問いに、アネモネは小さく頷いた。
「この書には、歴代貴族当主の魔力がすべて保管されておる」
大神官は本を開き、パラパラとページをめくって見せた。
「当主交代の際、血の証明として用いられるものだ。先ほど魔力を通した時、弾かれたように感じただろう」
「あ……はい」
アネモネは、自分の掌を見つめた。
「あれは、当主の魔力と質が異なる場合に起こる反応だ」
「……え」
「つまり――」
大神官は言い切ると、背後に立つライルを――ためらいなく指差した。
「お前の父は、イヴァン・スプリングではない。あの男だろう。魔力の質が、よく似ている」
「え、いいえ。父が……亡くなったのは六年前です。そんなこと、ありえません」
アネモネははっきりと否定した。
だが大神官は、ふん、と鼻で笑っただけだった。
背後では、マリアが青白い顔で立ち尽くしている。
その姿を見て、その言葉が嘘ではないことを知った。
アネモネの頭の中で、何かが――音を立てて崩れ落ちた。
大神官は言葉を続けた。
「ついでに言っておけば――この女は、聖女ですらない。祭壇を見よ」
大神官の声に、場にいる者たちが一斉に視線を向ける。
祭壇の上には、すでに色を失い始めた白百合が、力なく横たわっていた。
「聖女の力に触れた百合は、水に浸しておかずとも、二十日以上咲き誇ると文献に記されている」
「……文献が誤っているのではないか?」
エリックが反論する。
「ふん。魔力操作に長けた上級神官でも、五日は可能だ」
大神官は冷ややかに言い放った。
「この女を聖女に祭り上げるには――少々力が足りんのではないでしょうか」
そう言って国王を見やる。
「……ふむ」
国王は、腕を組んで考え込んだ。
「大神官。私は確かに見た。彼女が、枯れた花を蘇らせるのを」
「うむ。わしも見たな」
国王の同意に、エリックは安堵したように息を吐く。
「ならば――これを試せ」
大神官は、しなびた白百合をアネモネの前に差し出した。
アネモネは震える手でそれを受け取る。
「……どうした、アネモネ?」
エリックが、焦りを滲ませて声をかける。
「前みたいにすればいいだけだろ」
「……はい」
声が震える。
――いつもと同じ。簡単なことだ。
アネモネはそう思い、力を込める。
だが、何も起こらなかった。
何度、力を込めても――結果は、変わらなかった。
「魔道具でも使っていたのだろう」
大神官が、溜息混じりに告げた。
「……魔道具?」
その言葉に、アネモネははっとして首元に手を当てた。
そこにあるはずのものが、ない。
――父からもらった、あのネックレス。
「強力な魔石を忍ばせていれば、あの程度の芸当は可能だ」
大神官は冷ややかに続ける。
「エリック殿下。そのような小細工に惑わされるとは――お優しすぎますぞ」
そう言って、呆れたように首を振った。
「しかし、困ったことになりましたな」
大神官は、あくまで事務的に言った。
「聖女ではないうえに、英雄の娘でもない。父は平民――しかも愛人ときた。さて、このまま“聖女”として発表するべきでしょうか」
「あ、愛人などではない!」
ライルは思わず声を荒げた。
「何を言うか」
大神官は、冷たく切り捨てる。
「婚姻届も出ておらぬ。当主亡きあと、屋敷に転がり込んできた子爵家の三男坊――それが事実だろう」
ライルは、弾かれたようにマリアを見た。
「あ……その……届出は、したのだけれど……受理されなくて……」
マリアは、か細い声で答える。
「当たり前だ」
大神官は呆れたように言い放った。
「貴族と平民の婚姻など、認められるはずがあるまい」
「ふむ……」
国王が低く唸る。
「婚約についても、見直さねばならぬな。追って沙汰を下す。それまで――そこな二人は牢に放り込んでおけ」
「はっ」
兵士たちが即座に動く。
「ま、待ってください! そんなつもりはなかったのです!」
「アネモネ! 助けてくれ!」
縋るような叫びも、国王は一瞥すらしなかった。
面倒そうに手を振るだけで、ライルとマリアはあっという間に部屋の外へ連れ出されていった。
扉が閉まる音が、やけに大きく響く。
アネモネは、その場に立ち尽くしたまま動けなかった。
「アネモネ」
エリックが、気遣うように声をかける。
「確かに、君は英雄の血は引いていないかもしれない。でも、癒しの力は本物だった。私は――信じているよ」
だが、その言葉は届かなかった。
足が、床に縫い止められたように動かない。
声も、涙も、まだ出てこない。
アネモネはただ、何もかもが音を立てて崩れていった場所に、立ち尽くしていた。




