第五話 漆黒の森
会議室から解散後、サーシャとマロンは廊下を歩いていた。
「エリック殿下って、レインにべた惚れだったと思ったけど、違ったんだ」
先ほどと打って変わり、マロンの声は低く冷えていた。
「いや、どう見たって惚れてただろうけど……。王様の命令にゃ、逆らえなかったんじゃないか?」
「ぼんぼんだし。勇者ごっこがしたかったのか」
「そりゃ、なあ」
サーシャは鼻で笑った。
「どのみち私たちがいなくなれば、王都は聖女一色になるはずだ。邪魔者はとっとと消えようぜ」
「僕たち、王都を守ったのに」
マロンが頬を膨らませる。
「守ったのは、王都そのものじゃないだろ」
「そうだけどさ。結果的に守ってあげたじゃないか。それなのに、この扱い。ひどい!」
マロンは自分を抱き締め、大げさに嘆いてみせた。
「そもそもどうやって聖女とやらは国を守るんだ? 私らと違って、癒しの魔法しか使えないだろう?」
サーシャは自分の筋肉を見せびらかす。
「さあ? 聖女の不思議パワーじゃない? でも、漆黒の森の魔獣を見たら、泣いて逃げ帰っちゃうかもね」
「確かに!」
サーシャとマロンは、ケラケラ笑いながら歩いていった。
「なんと! 第三騎士団を、西の砦に送ったですと!?」
国王の執務室。
国王、第二王子エリック、第二騎士団団長ガルガを前に、ギール伯爵は目を見開いた。
「何の問題があるというのだ。目障りな奴らには、都合の良い場所ではないか」
「し、しかし……もしスタンピードが起こりでもしたら……」
十二年前、スタンピードが発生したのはギール伯爵領だった。
あの時、第三騎士団が到着していなければ、魔獣の大群は間違いなく王都まで押し寄せていただろう。
ギール伯爵は、その恐ろしさを嫌というほど知っていた。
「ふん。そう簡単に森から魔獣が溢れてくるものか。それに王都には第一、第二騎士団がいるだろう」
「……それは、そうですが……」
ギール伯爵の顔色は、明らかに悪かった。
「心配するな、ギール伯爵。最近、我が軍は獣人の村を三つばかり殲滅したばかりだ」
ガルガ率いる第二騎士団は、ここのところ躍進が著しい。
「は、はぁ……。それでは、我が領に隣接する漆黒の森の魔獣の間引きにも、兵を貸していただけると?」
ガルガは、口角をつり上げた。
「もともと第三の仕事だったのだろう? あんな混じりものが率いる騎士団など、我々が後れを取るはずもない」
ギール伯爵は何か言いかけて唇を動かしたが、結局、言葉を飲み込んだ。
「我々には聖女がついている。大船に乗ったつもりでいればよい」
国王は、断定するように告げた。
「……ありがとうございます」
頭を下げながらも、ギール伯爵の顔色は戻らなかった。
王城から遠ざかる馬車の中、ギール伯爵は窓の外を見つめていた。
遥か彼方には、漆黒の森が横たわっている。
彼の領地はその森に近く、たびたび魔獣の被害を受けてきた。
もちろん領地には精鋭の騎士団がいる。
数匹程度なら対処できる。
だが、スタンピードとなれば話は別だ。
数千の魔獣が、一斉に領地へなだれ込む。
それはもはや戦ではなく、災厄だった。
「……」
ギール伯爵は、膝の上で拳を強く握りしめた。
今は亡きイヴァンとは、友だった。
不思議な男だった。
時折黙り込み、何かを探すように空を仰いだ。
才能に溢れ、恐ろしいほど強いくせに、呆れるほど口が悪かった。
侯爵令嬢であるマリアと結婚したときは、どうなることかと思ったものだ。
だが、無事に子が生まれたと聞き、胸を撫で下ろした。
忘れもしない十二年前の初夏の夕暮れ。
恐ろしい地鳴りとともに押し寄せる魔獣を前に、自領の騎士たちは恐怖で震えていた。
だが、駆けつけた第三騎士団たちは違った。
まるで、これから何か楽しいことが始まるかのように笑っていた。
不思議なことに、彼らはしばらく動かなかった。
地鳴りは続いている。
だが、森の外で待機したままだった。
時折、一、二匹の魔獣が森から飛び出す。
それを彼らは、難なく屠っていった。
森の奥からは、魔獣の断末魔が、あちこちから聞こえてくる。
それでも、外に出てくるのは数匹だけだった。
「……?」
どういうことだ?
何が起こっている?
そう思ったとき、静まり返った森の中から、一つの人影が歩いてきた。
イヴァンたちは、それが誰なのかを知っている様子で、笑いながら駆け寄っていった。
あの日の光景は、決して忘れられない。
静まり返った森の縁。
雪のように白い髪をなびかせ、全身を赤黒い血で濡らした、小さな少女が佇んでいた。
今思い出しても、身震いするほどの恐ろしさだった。
ところ変わって神殿。
内陣部の祭壇には、大人が両手を広げるほどの魔結晶が安置されていた。
〝女神の涙〟と呼ばれるそれは、かつて魔王討伐の折に、女神が残したものだという。
「ようやく、邪魔な英雄かぶれを追い出せる」
国王は魔結晶を見上げ、笑った。
祭壇の周囲に描かれた魔法陣は、赤黒く染まっている。
何が捧げられたのか――
それを示すものは、既に原形を留めていなかった。
「……まだ足りぬな」
国王の呟きに、大神官が静かに頷いた。




