第十六話 神判のとき
その場にいた、誰もが声の方を見る。
そこにいたのは、レインだった。
その背後に、第三騎士団が控えている。
「お、遅いぞ! 第三騎士団。何をしていた! 早く奴らを打ち取らんか!」
未だ強気の国王に、第三騎士団の面々は誰も返事をしない。
遅いと言われても、呼ばれた覚えはない。
むしろ――追放されたのだ。
「魔王」
白髪のレインが呼ぶ。
「誰の許しを得て、この地を踏み荒らしたの?」
レインは、こてんと首を傾げた。
「レ、レイン?」
アネモネを支えながら立ち上がったエリックは、その声だけを頼りに、ようやく彼女を認識した。
「え……? お姉様……?」
アネモネの喉から、掠れた声が漏れる。
そこに立つ姿は、二人の記憶にあるレインとは、あまりにも違っていた。
「黙れ、下等生物。先に攻め込んできたのは、お前たち人族だ。挙げ句、何を血迷ったか、デッドラインすら消滅させた。皆殺しにして、何が悪い?」
魔王は魔力を含んだ声で罵ると、ゴォッと灼熱の風が室内に吹き荒れ、周囲に拡散される。
再びいくつもの爆発が、王都の街中で起こった。
しかしレインは、そんな魔力を間近で受けても、まるで影響を受けていないかのように、飄々と立っていた。
「そっか~。つまり女神との約束、破っちゃうんだ~。ふうん……そっかそっか~」
レインは腕を組んでうんうんと数回頷くと、ぱっと顔をあげて魔王を見た。
目を見開いたまま、首が、カクンと不自然に傾く。
「神託は下された。——滅せよ」
その声に、感情はなかった。
ただ、結果だけが告げられた。
レインは瞳孔の開いた瞳で王都を見ると、背後に控えていた第三騎士団が、一陣の風のようにその場から姿を消した。
「は?」
直後、城の外で大きな爆発音が何度も響き渡った。
――だが、それも、すぐに途切れる。
爆音が止み、王都に残ったのは、不自然なほどの静けさだった。
つい先ほどまで満ちていた魔族の気配は、跡形もない。
気が付くと、レインの背後に、第三騎士団のメンバーたちが、何事もなかったかのように立っていた。
「殺した?」
「止めただけです。殺してはいません」
レインが尋ねると、背後のセラは淡々と答えた。
「だって~」
レインはくるりと方向転換すると、魔王の顔を覗き込んだ。
「魔王軍、弱っちいね」
「き、貴様!」
魔王がレインに襲い掛かるよりも早く、彼女の剣が閃いた。
次の瞬間、左手を失った魔王が、レインの前に蹲っていた。
――理解した。
これは、我が知る〝勇者〟ではない。
女神そのものが、剣を持って立っている。
勝てるはずがない。
「魔王様!」
背後の仲間たちが、同時にレインに襲い掛かる。
だが、セラたちに呆気なく制圧されてしまう。
玉座の間にいた誰もが、驚愕に目を見開いた。
レインは気にも留めず、かすかな鼻歌を口ずさみながら、魔王の周りを、靴音を立ててゆっくりと回った。
「勝手なことしちゃだめだよ。殺しちゃうじゃない」
その光景を見た国王は、唾を飛ばして歓喜する。
「殺せ! 魔族どもを殺し尽くせ!」
その声が、最後だった。
レインは、ゆっくりと視線を向けた。
そこには、もはや感情と呼べるものはなかった。
――裁きが、下る。
無言で、刀を振るう。
ズルリ。
「……へ?」
国王は、自分の身体が、なぜ視界の下にあるのか理解できなかった。
「きゃー!」
王妃が、叫び声を上げる。
侍女たちは反射的に、王妃を庇うように前に出た。
「き、きさま……血迷ったか」
大神官が、レインを睨んだ。
「我が名は、レイン・スプリング。イヴァンの娘にして――」
一拍置き、剣を天へと掲げる。
「女神より使わされた〝勇者〟である」
レインはそう宣言した。
「ゆ、勇者だと……馬鹿な」
誰もが、驚愕の表情を浮かべた。
「お前が勇者など」
大神官が唸りながら言う。
「勇者に血族は関係ない。女神の意志によって決まる」
レインの声は、驚くほど平坦だった。
「そ、そんな……。では聖女は……」
エリックが震えながら、隣で放心しているアネモネを見る。
アネモネ自身、自分が聖女でないことははっきりとわかっている。
唇を噛んで俯いた。
するとレインは、鼻で笑った。
――そんな問いが、今さら出てくること自体が滑稽だった。
「面白いこと、言うね」
「なに?」
「お前たちが、殺したんだろう?」
聖女とは、勇者に寄り添い、導く者だ。
——そして、レインを導いたのは。
「ま、まさか」
「父、イヴァンが、今世の聖女――いや、聖人だ」
それだけが、事実だった。
王妃はヒュッと息を呑む。
その反応に、今更ながら、父を殺した犯人が判明する。
だが、今のレインには特に何も感じなかった。
「女神の裁きを受けよ」
剣を掲げてそう叫ぶと、晴れていた空に分厚い雲がかかり始めた。
レインは無意識に息を吐く。
残った僅かな温もりが、それでも自分に問いかけてきた。
もし私が目を逸らせば、この世界は〝これでいい〟と続いてしまう。
これは復讐ではない。
赦しでもない。
——ただ、終わらせるだけだ。
「やれ」
レインの白髪が、風になびく。
その声と共に、特大の雷が神殿目掛けて落ちていく。
ドン、と地響きが走った瞬間、神殿の奥の建物は、存在ごと掻き消えた。
そこにいた聖職者も、跡形も残らなかった。
「人族の在り方には、大いに落胆した。絶滅、とまではいかないが、それなりに消去させてもらう。それで滅ぶなら、それもまた本望だろう」
王都に、まるで雨のように雷が降り注ぐ。
その光景は、世界が終わる瞬間を切り取ったかのようだった。
魔族が起こした爆発とは比べられないほど、多くの火が王都から上がる。
「な、なんてことを……」
玉座の間が大混乱に陥るものの、屋内にいるというだけで、誰もがまだ自分は助かると思っていた。
だが、裁きは等しく落とされる。
瞬間、玉座の間が激しい光に包まれた。
爆音と共に炎煙が吹き荒れ、治まった頃には、ほんの一握りの人間しか立っていなかった。
王妃、大神官、神殿関係者が元いた場所の床には、黒い煤しか残っていなかった。
雷が収まり、辺りには静けさが戻る。
裁きを逃れた者たちは、放心状態で座り込んでいた。
魔王は、蹲ったまま唸った。
「我は人族を許さん……一匹残らず、根絶やしにしてやればよかったものを!」
片腕を失ってなお、ギリギリとレインを睨みつける。
「我々は、女神の制約を守り、人族に牙をむけなかった。しかしこやつらはやりたい放題だった。デッドラインを超えて同胞を攫い、奴隷にして殺す。許せるものか!」
「五百年前、魔族も同じことをした」
レインは、ただ結果を告げるために、魔王へ歩み寄った。
「だからこそ、裁いた。魔族も、人族も――等しくだ」
「え」
魔王は顔を上げた。
「当然だよね?」
レインは、くるりと玉座の方へ視線を向ける。
そこには、裁きを免れたエリックとアネモネだけが立っていた。
二人は声を失い、ただ震えることしかできずにいる。
「すっきりしたじゃない」
レインは、どこか幼い笑みを浮かべた。
その笑顔を前に、二人は膝から崩れ落ちた。
レインは、振り返ることなく、玉座の間を後にした。
魔王軍の去った王都は、瓦礫と静寂だけが残り、生きている者の気配はどこにもなかった。
「……これからどうなるのでしょうね」
セラが、ぽつりと呟く。
「さあ……」
レインは空を見上げ、穏やかに続けた。
「でもね。私の〝役目〟はここで終わり」
その言葉に、セラの胸がざわつく。
「……レイン?」
振り向いた瞬間、レインの輪郭が、わずかに――世界から溶け始めていた。
「……ああ、ようやく、終われる」
声は、どこか安堵に満ちていた。
「だめだ……レイン……!」
セラは衝動のまま、彼女を抱き締める。
確かにそこに、温もりがあった。
鼓動も、息遣いも、いつもと変わらない。
「ありがとう、セラ」
それは、裁きを下した勇者の顔ではなく――
十八歳の、少し不器用で、泣き虫で、それでも前を向いて歩いてきた少女の顔だった。
セラの瞳から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。
それを、レインがそっと拭う。
「セラがいなかったら……きっと、私は〝私〟でいられなかった」
次第に薄くなっていく存在。
セラは堪らず両腕に力を込めた。
「……お願いです。私を、置いていかないで……」
震える声に、レインは少しだけ目を細める。
「女神の御前に、還る時間なの」
そう言って、空を見上げた。
『ありがとう』
唇が、確かにそう形作った。
次の瞬間、柔らかな光が、はじけるように広がった。
眩しさに目を閉じる。
セラの両手がふっと軽くなったかと思うと、力を失った手が静かに落ちる。
——いなくなった。
目を開けたくなかった。
瞼の裏に残る、彼女の笑顔が消えてしまいそうで。
震える瞼を押し上げると、やはりそこには、もう誰もいなかった。
二、三歩。
足元がおぼつかないまま歩き、セラはその場に崩れ落ちる。
「ああ……いない……レインが、いない……」
声にならない嗚咽が漏れ、視界が滲む。
それでも、瞼の奥には、柔らかく笑う彼女の姿が、いつまでも焼き付いていた。
その日、世界から――〝勇者〟は姿を消した。
だが、天秤が傾いた音だけは、まるで祈りの歌の余韻のように、いつまでも、世界に残り続けていた。
セラは思う。
彼女が裁いた世界を、私は生き延びさせていかなければならない。
できるだろうか。
彼女のいない世界で、息をするのさえ苦しいのに——。




