55. 橋は、両側から壊される
橋になる、と言った翌日。
その言葉の意味を、俺は思い知らされることになった。
昼過ぎ、見張りが戻ってきた。
「人間の使者だ」
広場がざわつく。
戦闘じゃない。
だが、武器を持たないわけでもない。
俺は胸の奥がじわりと冷えるのを感じながら、王の隣に立った。無意識に、その位置を選んでいた。
(……もう、客じゃない)
自分で言った言葉が、足場になる。
集落の入口に現れたのは、五人ほどの騎士と、中央に立つ一人の男だった。年齢は三十前後。整った鎧、無駄のない動き。指揮官の空気。
その後ろに、リディアがいた。
目が合う。
彼女の視線は固い。
(嫌な予感しかしない)
男が一歩前へ出た。
「魔族の王だな」
王は動じない。
「そうだ」
「王国より正式な通達を伝える」
空気が、ぴんと張る。
男の視線が、俺に向いた。
「元勇者一行所属、佐藤正樹」
喉が鳴る。
「お前は王国に対する反逆の疑いがある」
疑い。
でも、その言い方はもう決まっている。
「即刻、王都へ帰還せよ」
広場がざわついた。
魔族たちの視線が、俺に集まる。
(来た)
分かっていた。
でも、いざ言葉になると、胸の奥がひりつく。
「拒否した場合は?」
王が静かに問う。
男は淡々と答えた。
「敵対行為とみなす」
その言葉に、魔族側が低く唸る。
「脅しか」
先頭の魔族が一歩前へ出る。
男は眉一つ動かさない。
「事実だ」
俺は、喉の奥が熱くなるのを感じた。
(橋は、踏まれる)
王国にとって、俺は“戻すべき戦力”。
魔族にとって、俺は“信じるかどうか揺れる存在”。
どちらにも都合のいい橋であることは許されない。
「正樹」
リディアが低く呼ぶ。
「来い」
短い言葉。
命令じゃない。
でも、願いが混じっている。
「戻れば、まだ間に合う」
「何が?」
思わず問い返した。
「立場だ」
リディアの目が揺れる。
「裏切り者として扱われる前に、帰れ」
「……もう扱われてるだろ」
「正式には、まだだ!」
声が強くなる。
「私が弁明できる!」
胸が締めつけられる。
(俺を守ろうとしてる)
でも。
「リディア」
俺はゆっくり息を吸った。
「俺は、ここで生きるって決めた」
広場が静まり返る。
男が鼻で笑う。
「魔族に取り込まれたか」
「違う」
俺は視線を逸らさない。
「見たんだ。ここで生きてるやつらを」
「魔族は敵だ」
「そう決めて、何も見なかっただけだろ」
兵士たちがざわつく。
「無礼だ!」
「勇者の仲間が何を――」
男が手を上げ、静める。
「つまり、拒否だな」
静かな確認。
俺は、はっきりと答えた。
「拒否する」
空気が、凍る。
リディアの顔が強張る。
「正樹……!」
「分かってる」
胸が痛い。
「分かってて、言ってる」
男が冷たく告げる。
「では、王国はお前を“敵対者”と認定する」
その言葉は、宣告だった。
どこか遠くで、子供が息を呑む音がする。
魔族たちが、俺の前に立つ。
先頭の魔族が低く言う。
「我らの橋に触れるな」
男が眉を上げる。
「橋?」
「そうだ」
王が静かに続ける。
「壊すなら、両側から壊れる」
男は小さく笑った。
「面白い。だが、橋は戦場では役に立たない」
「それはどうかな」
王の声は揺れない。
俺は、胸の奥が震えているのを感じた。
(敵対者)
その言葉が重い。
人間側に、戻る道は閉じた。
でも。
魔族側はどうだ?
俺は振り返る。
若い魔族が俺を見ている。
疑いもある。
でも、背を向ける者はいない。
王が俺に視線を向けた。
「正樹」
「はい」
「今の宣告で、後悔はあるか」
喉が渇く。
怖い。
王都に戻れば、安全だったかもしれない。
罰はあっても、命までは奪われなかったかもしれない。
でも。
「あります」
正直に言う。
広場がざわつく。
「怖いです」
続ける。
「でも、後悔はしません」
言い切った瞬間、胸の奥が静かになる。
リディアが目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。
「……本当に馬鹿だ」
「知ってる」
「死ぬなよ」
「お前もな」
短い応酬。
それだけで、十分だった。
男が踵を返す。
「撤収する」
「次は軍を率いる」
その言葉を残し、使者たちは去っていく。
広場に、重い沈黙が落ちた。
俺は、深く息を吐く。
(橋は、両側から壊される)
王国にとって、俺は敵。
魔族にとって、俺は試される存在。
橋は揺れる。
それでも。
俺は、ここに立っている。
壊されるかもしれない。
でも、自分から崩れるつもりはない。
肩の痛みが、ずきりと主張する。
その痛みと一緒に、俺は覚悟を噛み締めた。
橋は、踏まれても、立ち続ける。
少なくとも、俺はそうでありたいと思った。




