52. それでも、こちらに立った
剣と槍がぶつかる音が、耳を裂いた。
金属が擦れ合い、土が抉れ、誰かの叫びが風に混ざる。さっきまで見慣れたはずの広場が、一瞬で戦場に変わっていた。
(俺のせいだ)
胸の奥に浮かんだのは、その一言だった。
俺が声を上げた。
俺が間に立とうとした。
俺が止められると、どこかで思っていた。
でも、矢は放たれた。
剣は抜かれた。
理屈より、恐怖が速かった。
「正樹!」
リディアの声が、近くで弾ける。
俺ははっとして顔を上げた。彼女は剣を構え、兵士と魔族の間に体を滑り込ませている。
「下がれと言っただろ!」
「下がったら、何も変わらないだろ!」
叫び返した瞬間、自分でも驚くほど声が震えていた。
「変わらなくても、生きろ!」
「それじゃ意味がない!」
足が、勝手に前へ出る。
その瞬間、横から強い衝撃が走った。誰かに突き飛ばされ、地面に膝をつく。
「動くな!」
森で出会った先頭の魔族だった。額から血を流しながらも、俺を庇うように立っている。
「お前は戦えぬ!」
「でも、見てるだけなんて……!」
「死ぬだけだ!」
同じ言葉。
悔しくて、歯を食いしばる。
(俺は、何もできないのか)
目の前で、兵士の槍が振り下ろされる。魔族が受け止め、火花が散る。別の場所では、魔法が炸裂し、土煙が舞い上がる。
混乱の中、子供の泣き声が聞こえた。
(あっ)
広場の端。建物の陰から、子供が顔を出している。逃げ遅れたのか、足がすくんで動けないでいる。
その方向へ、流れ弾のように矢が飛んだ。
「危ない!」
考えるより先に、体が動いた。
立ち上がり、地面を蹴る。一歩、二歩、三歩。
子供の前に滑り込み、抱きかかえる。
ドン、と鈍い衝撃が背中に走った。
「ぐっ……!」
矢が、肩をかすめた。
焼けるような痛み。
でも、子供は無事だ。
「人間……」
子供の震える声。
「下がってろ!」
叫びながら、建物の陰へ押し込む。
振り返ると、先頭の魔族が俺を見ていた。
「なぜ庇う」
「……理由、いるかよ」
息が荒い。
「守りたいからだ!」
その声は、戦場の音にかき消されかけながらも、確かに響いた。
リディアがこちらへ駆け寄る。
「正樹、怪我は!?」
「かすっただけだ!」
「馬鹿!」
「お前もだろ!」
言い合いながら、互いに一瞬だけ目を合わせる。
その視線の中に、迷いと覚悟が同時にあった。
兵士の一人が、俺を指差した。
「やはり魔族側に立ったな!」
その言葉に、胸が強く打たれる。
(……立った?)
俺は、自分の足元を見る。
子供を庇い、魔族の前に立ち、兵士の槍を受けた。
どちらも守りたかった。
でも今、俺がいる位置は――。
魔族の輪の中だった。
背後で、年配の魔族が叫ぶ。
「人間を守れ!」
その一言に、目を見開く。
(俺を……?)
別の魔族が、兵士の攻撃を受け止めながら怒鳴る。
「こいつは我らの客だ!」
「客じゃない!」
思わず叫んだ。
「俺は……」
言葉が詰まる。
客じゃない。
でも、完全な仲間とも言い切れない。
それでも。
俺は、ゆっくりと前へ出た。
リディアの隣ではなく、魔族の隣に立つ。
兵士たちに向かって、はっきりと告げた。
「俺は、ここにいる」
短い言葉。
でも、重い。
「ここで見て、ここで学んで、ここで生きてる」
兵士の顔が歪む。
「裏切りだ!」
「違う!」
叫び返す。
「守りたいだけだ!」
「人間をか!?」
「両方だ!」
喉が裂けそうになる。
「でも今は……」
視線をまっすぐ向ける。
「今は、ここを守る!」
言い切った瞬間、胸の奥で何かが音を立てて定まった。
もう、曖昧ではいられない。
リディアが息を呑むのが分かった。
「正樹……」
「お前は隊長だろ」
苦笑する。
「俺は俺の立場で動く」
リディアは一瞬だけ目を閉じ、それから剣を握り直した。
「……死ぬなよ」
「お互い様だ」
その短いやり取りのあと、再び戦いの音が押し寄せる。
だが、不思議と恐怖は薄れていた。
肩の痛みはある。
血も流れている。
それでも、足は震えない。
(選んだ)
どちらも守れなかった。
でも、どちらにも立たないままではいられなかった。
だから、今は。
それでも、こちらに立った。
炎と土煙の中で、俺は歯を食いしばりながら、
自分の足場を、はっきりと踏みしめていた。




