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ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました  作者: ならん
第1章 異世界に持ち込まれたマナー警察
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5. 騎士団訓練で槍の構え方を説教

 朝の訓練場は白い息で満ちていた。土の匂い。金属の擦れる音。短い号令。俺は回廊の陰で一度立ち止まり、肩を回し、息を吸い、吐いた。胸の中の小さな震えが落ち着くのを待つ。


 今日は槍の稽古に立ち会う。いや、立ち会うだけではない。整える。短く、分かりやすく。昨夜、自分に言い聞かせた言葉をもう一度心の中で繰り返す。


 広場には十数人の騎士が並び、木槍を構えていた。列の端では、リディアが指導役として腕を組み、鋭い目で全体を見ている。俺に気づくと顎で「こっち」と合図した。


「来たな、講師」


「おはようございます。今日は“最初の一歩”だけ、揃えさせてください」


「またそれか。……いい、やってみろ」


 彼女は一歩下がり、俺に場を譲った。視線が集まる。喉が渇くが、声は出る。


「皆さん、構えの前に、まず“置き方”から整えます」


 俺は列の前へ歩き、一本の木槍を手に取った。両手の位置を示し、足を半歩ずらす。動きはゆっくり、段階的に。


「一つ。穂先を人に向けない。地面に置く時も、斜め下。動かない相手に“向ける”のは失礼で、危険です」


 その瞬間、列の中央で若い兵が、疲れたのか穂先を前の仲間の肩の方へ傾けた。俺の口が先に動いた。


「それ!!マナー違反ですよ!!!」


 空気がきゅっと締まる。兵は慌てて槍を引いた。俺は急いで表情を和らげ、続ける。


「怒っていません。けれど、“向けない”は訓練の礼です。大事にしてください」


「す、すみません!」


 若い兵の頬が赤くなり、隣の仲間が小声で肩を叩く。「気にすんな」。小さな笑いが広がって、張り詰めた糸が少し緩む。


「二つ。足は線の内側。列の前に足を出すと、隣の人とぶつかります。半歩下げて、肩幅。これで体が振られにくい」


 俺は土に線を引き、靴の先を合わせて見せた。列のあちこちで、ぎし、と足が揃う音がする。


「三つ。構える前に一呼吸。息を吸って、吐いてから上げる。慌てるほど、槍は暴れます」


 呼吸を合わせると、広場の音が一瞬小さくなった。俺の胸の内側で、やっと歯車がかちりと噛み合う音がする。


「以上、三つ。『向けない・線の内側・一呼吸』。ここから構えに入ります」


「おい講師。角度は四十五度だろ?」


 列の端からリディアが口を挟む。俺はうなずいた。


「見栄えだけなら、です」


「は?」


「今日は“安全と合図”を先にします。角度は最後。まず、動きの揃え方です」


「ふーん……まあ、聞く」


 軽く鼻で笑いながらも、彼女は黙って見ている。俺は槍を胸の前で水平にし、段階を刻む。


「号令は三つ。『構え』『止め』『下ろせ』。短く、同じ速さで。――リディアさん、合図お願いします」


「任せろ。構え!」


 ざっ、と木の柄が一斉に上がる。音が重なる瞬間、一本だけ遅れた。さっきの若い兵だ。俺は近づいて、手の位置を少しだけ滑らせる。


「左手は体の中心。右手は拳半個分、前。手が広いと遅れる」


「こ、こうですか」


「そう。――止め!」


 動きが止まる。今度はほぼ揃った。胸の奥が少し温かくなる。


「下ろせ!」


 ざっ、と下りる。一本、地面に突き刺す音がした。老騎士が眉をひそめる。


「刺すな。柄が割れる」


 俺はすかさず頷いた。


「そう、“下ろす”は置く。叩かない。道具を大事に扱うのも、礼です」


 老騎士はちらりとこちらを見て、小さく鼻を鳴らす。悪くない、という合図に聞こえた。


「講師、左利きはどうする」


 後列から別の兵が手を挙げる。昨日と同じ質問。だが、昨日と同じ返事でいい。


「向きを入れ替えるだけで大丈夫です。大事なのは“向けない・線の内側・一呼吸”。これさえ守れば、左右どちらでも揃います」


「了解」


 やり取りの最中、リディアが横目で俺を見た。


「強気、今日は控えめだな」


「必要なところは強く言います」


「さっき言った“向けない”の時は、強かったぞ」


「そこは譲れません」


「だろうな」


 短い応酬。胸の緊張が少しほぐれる。


「では、『構え→止め→下ろせ』を続けて三回。声はリディアさん」


「構え!」


 ざっ。


「止め!」


 ぴたり。


「下ろせ!」


 すっ。


 音がそろい、土埃が同じ高さで舞った。俺は列を歩きながら、一人ひとりの肩と肘の位置を目で確認する。ある兵が、構えのたびに顎が上がる。俺はそっと顎の下に手をかざした。


「顎は引く。目は遠く。肩は上げすぎない。――三つ、同時にやろうとすると崩れます。順番に」


「順番……」


「足→手→目。足を置いて、手を決めて、最後に目線」


「なるほど」


 兵が深く頷く。隣で見ていた老騎士が、静かな声で問う。


「講師とやら。戦場で“順番”などあるか。混むぞ」


「はい。だから今、体に入れておきます。混んだ時に、足だけでも、手だけでも“合っている”ように」


「ふむ」


 老騎士は腕を組み、空を一度見上げてから視線を戻した。


「理屈は嫌いではない」


「ありがとうございます」


 胸の奥がほんの少しだけ誇らしくなる。けれど、すぐに冷や水をかける出来事が起きた。


 列の端で、屈強な兵が槍を肩に担いだまま大あくびをした。穂先が後ろの兵の頬をかすめる。俺の足が勝手にそちらへ向いていた。


「それ!!マナー違反ですよ!!!」


 兵がびくりと肩を揺らす。俺は距離を詰め、穂先を前へ押し戻した。


「\*\*休む時は垂直。穂先は上。肩に担がない。\*\*後ろの人の顔の高さです」


「わ、悪い」


 彼の後ろで若い兵が苦笑いして手を振る。「大丈夫っす」。


 俺は列の中央に戻り、声を張った。


「ここまでを三つにまとめます。『向けない』『線の内側』『一呼吸』。それに『足→手→目』『休む時は垂直』。――覚えやすい言い回しにします」


 リディアが腕を組んだまま顎を引く。


「言い回し?」


「“人に刺すな、土を踏め、息を合わせろ。足→手→目、休むは垂直”」


「……覚えた」


 彼女がニヤリと笑う。列のあちこちから復唱が起きる。音がそろうたびに、胸の中で固い塊が少しずつ溶けていく。


「じゃあ実戦ね。走って止まって突く、を合図でやる」


 リディアが前に出た。俺は横に下がり、全体を見る位置に立つ。


「合図は三つ! 走れ――止まれ――構え――突け!」


 ざっ、ざっ、と土を蹴る音。止まる音。構える音。最後の「突け!」で、木の穂先が同時に前へ出た。一本、わずかに遅れた。さっきの若い兵だ。顔が強ばっている。


「大丈夫。最初の一呼吸を忘れないで」


「……はい」


 次の回、彼はきっちりとそろえた。遠くで老騎士がほんの一瞬だけ口元を緩めたのを、俺は見逃さなかった。


 休憩に入ると、兵たちが水を飲みに散る。俺は腰に手を当て、空を見上げた。青い。喉が渇く。けれど、胸の奥は満たされている。


「講師」


 リディアが水袋を投げてよこした。慌てて受け取り、一口含む。冷たさが舌に広がり、体の熱が少し落ち着く。


「ありが――」


「礼は短く」


「……ありがとう」


「よし」


 彼女は軽く笑い、真顔に戻った。


「ところでさ。さっきの“マナー違反”の言い方、強かった。あれ、嫌う奴も出る」


「分かってる」


「分かってて言うのか」


「“向けない”だけは、強く言わないと伝わらない。癖は命を奪う」


「……そうだな」


 短い沈黙。土の上で風が踊る。俺は水袋を返し、深呼吸した。


「次、角度をやる。ここまでの“礼”が身についたなら、形を整える」


「やっと四十五度が出たな」


「ええ、最後に少しだけ」


 集合の合図で兵たちが戻る。俺は槍を胸の前に立て、言葉を選ぶ。


「角度は“見栄え”でもあるが、合図の見やすさでもある。遠くから見て『構え』が分かる角度。今日は肩の高さから少し上に穂先を置く。細かい数字は要らない」


「数字が好きなんじゃないのか?」


 リディアがからかう。俺は首を振った。


「この世界で大事なのは、通じる角度です」


「言うじゃないか」


「構え!」


 列が上がる。俺は端から端へ歩き、肩の位置に合わせて穂先を微調整していく。手の甲で軽く押し、ほんの少しだけ上げたり下げたり。動作を細かく、短く。


「止め!」


 静止。音が止む。風の音だけが聞こえる。俺は満足の息を一つ吐いた。


「下ろせ!」


 すっ、と下りる。誰も叩かなかった。置く音だけが、土の上に小さく残った。


 訓練の終わりに、老騎士が俺の前に来た。深い皺の間の目が、少しだけ柔らかい。


「異界の講師。言葉は短く、合図は明瞭。文句はあるが、今日のは悪くない」


「恐縮です」


「一点だけ。怒鳴りは敵も味方も固くする。必要な時だけにしろ」


「肝に銘じます」


 老騎士は踵を返し、ゆっくり去って行った。


「ほらな。嫌われるぞって言っただろ」


 背後からリディア。肩で笑っている。


「大丈夫。嫌われても、必要なら言う」


「強情だ」


「講師ですから」


「はぁ……まあ、今日の揃いは見事だった。兵が楽そうだった」


 その一言が、不意に胸の芯に届いた。目の奥が少し熱くなる。俺は視線を落とし、土を軽く蹴った。


「……ありがとう」


「礼は短く」


「ありがとう」


「よし」


 彼女は踵を返し、部下へ指示を飛ばす。「片付け急げ、昼までに槍の点検!」。明るい声が広場を走り、兵たちが機敏に動き出した。穂先は上、歩幅は線の内側。一呼吸置いて、動いて、止まる。


 俺は訓練場の端に立ち、深く息を吸った。白い息が空へ消える。


 ――押し付けになっていないか。胸の奥に小さな不安が残る。だが同時に、兵の顔が少し柔らかいのを、俺は確かに見た。声がそろい、動きがそろい、危ない穂先が誰の顔もかすめなくなった。


 それなら、今日の強さは、意味があった。


 歩き出す。土を踏む音が自分の足からも、列の足からも同じリズムで響く。俺は肩の力を一度抜き、背筋を伸ばした。


 次はどこを揃えるか。短く、分かりやすく。胸の中の小さな火種は、消えずに明るかった。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!


もし少しでも

「クスッと笑えた」

「この先どうなるのか気になる」


と感じていただけたなら――

ブックマークや★評価を押していただけると、作者が本気で跳ねて喜びます。


応援していただける一つ一つの反応が、次の話を書く力になります。

どうぞこれからも気軽に見守っていただければ幸いです。


引き続きよろしくお願いいたします!

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