46. 口を出す前に、考えた
集落に、静かなざわめきが広がっていた。
朝の作業がひと段落した頃、広場の奥に人――いや、魔族が集まり始める。焚き火はまだ小さく、煙も控えめだ。昨日までの宴の喧騒とは違い、空気は張りつめ、どこか慎重だった。
(……儀式、だな)
耳に入ってくる言葉の端々から、今日は婚礼が行われるのだと知る。若い二人が結ばれる――それだけで、場の温度が少し上がるのが分かった。
俺は広場の端に立ち、輪の外から様子を眺めた。立ち位置を選ぶのに、ほんの一拍、考える。
(前に出るな。呼ばれるまで、待て)
そう決めた瞬間、胸の奥がきゅっと締まった。以前の俺なら、もう前に出ている。段取り、順序、所作――「整っていない」と感じた瞬間に、口を開いていたはずだ。
新郎と新婦が、焚き火の前に並ぶ。二人とも緊張しているのが分かる。肩は硬く、視線は落ち着かない。
(……言いたい)
喉がむずむずした。姿勢を少し整えた方がいい。視線を上げた方がいい。間の取り方も――。
言葉が喉元まで来て、止まった。
(違う。今は、違う)
王の言葉が、頭の奥で反響する。
――文化は、上下じゃない。
ここは彼らの場だ。俺の「正解」を差し込む場所じゃない。
進行役らしき年配の魔族が、低く声を上げた。周囲が静まり、焚き火の音だけが残る。
新婦が一歩前に出ようとして、裾を踏みかけた。
(あっ……)
体が反射的に前へ出そうになる。転びそうだ。危ない。
――止まれ。
自分に命じる。ここで声を出せば、流れが切れる。だが、黙っていれば、怪我をするかもしれない。
迷いが、胸の中でせめぎ合う。
(指示じゃない。提案だ)
そう、形を変える。
俺は、進行役の魔族にだけ聞こえる距離まで近づき、声を落とした。
「……失礼。裾、少しだけ上げた方が、歩きやすいかもしれません」
命令でも、指摘でもない。可能性としての一言。
進行役は一瞬こちらを見たが、すぐに新婦へ視線を戻し、短く頷いた。合図のように、新婦の傍らにいた女性がそっと裾を持ち上げる。
新婦は転ばず、焚き火の前に立った。
(……よし)
胸の奥で、小さく息を吐く。
式は続く。杯が用意され、二人の前に置かれた。
血を一滴、混ぜる――魔族の婚礼では、それが誓いの形らしい。俺は、その場に立ち会うだけの存在として、距離を保つ。
新郎の手が、わずかに震えていた。
(緊張、してるな)
ここでも、言いたくなる。「深呼吸を」「手元を見て」――。
だが、代わりに俺は、ただ小さく頷いた。視線が合い、新郎は一瞬だけ目を見開き、そして肩の力を抜いた。
血が混ざり、杯が交わされる。周囲から、低い祝福の声が上がった。
そのときだった。
「人間」
進行役が、俺を呼んだ。
輪の中心へと招かれる感覚に、心臓が一拍、強く鳴る。
「今の一言、なぜ命じなかった」
率直な問いだった。
俺は、少し考えてから答える。
「……命じると、形だけが残るからです」
「形だけ?」
「はい。本人が納得していないと、次にはつながらない」
進行役は、短く笑った。
「面倒な人間だ」
だが、その声は、どこか柔らかい。
「助言、というやつか」
「……そう呼んでもらえるなら」
式が終わると、祝福の声が広場を満たした。笑い、抱擁、杯の音。昨日の宴よりも、温度のある賑わいだ。
新婦が、こちらへ近づいてきた。
「ありがとう」
「……何が、でしょう」
「歩くとき。怖かった」
短い言葉だったが、十分だった。
(言ってよかった。でも、言い方は――)
正しかった。
背後で、誰かが言った。
「人間は、口を出さないのか」
振り向くと、昨日の先頭の魔族が腕を組んで立っている。
「出しましたよ」
「そうか?」
「出す前に、考えただけです」
一瞬の沈黙。
やがて、彼は鼻で笑った。
「それができる者は、少ない」
胸の奥に、静かな誇らしさが灯る。
正解を言わなかった。指示もしなかった。ただ、場を壊さない形を選んだ。
(……これでいい)
焚き火の火が、少し大きくなった。
その揺らめきを見つめながら、俺は思った。
口を出すことより、
口を出す前に、考えること。
それが、今の俺のやり方だ。




