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ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました  作者: ならん
第2章:押し付けマナーの果てに ~正しさと孤独の分岐点~
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27. もうついて来れるのか

 峠を越える手前、谷を見下ろす斜面に小さな避難小屋があった。傾いた屋根、割れた窓、扉は半分だけ残っている。風が抜けるたび、木材が古い喉を鳴らした。


 夕陽が斜面を染める。俺たちはそこで足を止め、水袋を回し、各々の装備を整えた。リディアは手早く鞘の革紐を締め直し、ミラは杖先の宝石を布で拭き、ガレスは斧の刃に油を塗る。カインは黙って谷を見ていた。


 俺は距離を測る。半歩、いや一歩下がって、皆の背を同じ高さで見渡せる位置。息を整え、指を組みかけて、やめる。肩の力を抜いて、ただ立つ。


「——正樹」

 カインが振り向かずに名を呼んだ。谷から吹き上がる風で、声が少しだけ掠れて聞こえる。


「はい」


「ここから先は危険だ。異形の群れは数も多い。足並みが揃わなければ、死ぬ」


 喉が乾く。俺は水袋を握り直した。「……わかってます」


 カインがこちらを向いた。目は静かで、深い井戸の底の水みたいに冷たい。「お前は、俺たちについて来れるのか」


 言葉が、刃みたいにまっすぐ届いた。胸の中心に刺さって、抜けない。俺は思わず一歩だけ踏み込み——止まる。間合いを潰すな。距離を壊すな。


「……ついて行きたい。けど、ついて行けるかは、わからない」


 自分の口から出た正直さに、俺自身が驚いた。リディアがわずかに目を見開く。ミラは眉をひそめ、ガレスは鼻を鳴らした。


「わからない、か」カインは繰り返す。「俺は、はっきりした答えを聞きたい」


「はっきりさせるには、もう少し時間が要ります」


「時間は命で払う」ガレスが低く言った。「誰の命で払う気だ」


 喉がきゅっと細くなる。俺の視界に、訓練場のノエルの涙がよみがえる。式典で出会った老婆の目。ギルドで俺の線を跨いで走った少年。全部、俺の角度の外側で生きていた命だ。


「……俺の口が、遅らせる。一瞬を」俺は自分で自分を告発するみたいに言った。「だから、戦いの最中は口を開かない。『いまだ』だけ動く。もう、決めました」


「それは第21話で俺が言った」ミラが冷ややかに刺す。「学習したなら、結果を見せて」


「結果を出す場は、これからだ」ガレスが斧を肩に担ぐ。「で、どうする?」


 カインは俺から目を逸らさない。風が髪を揺らし、沈黙が数拍、置かれた。「問うのは一度だけだ。——もうついて来れるのか」


 その言い回しに、背骨の奥が熱くなる。『もう』。すでに外れかけている輪に戻る覚悟を問われている。


「……はい」

 短く、静かに答えた。声が震えないよう、腹の底で支える。「どれだけ嫌われても、ついて行く。口は閉じて、目と足で合わせる。間違えたら——」


「間違えたら?」リディアの声。俺を見る目は厳しく、同時に揺れている。


「逃げない。『ごめん』じゃなく、次の一歩で取り返す」


 リディアが小さく息を吐いた。ミラは肩をすくめ、「言うだけなら簡単」と呟く。ガレスは「言葉を減らしたな」とぼそりと笑った。


 カインはまだ俺を見ている。やがて、ほんのわずかに顎を引いた。「よし。——試用は続行だ」


「条件を言う」ミラが指を一本立てる。「戦闘中、私とガレスとリディアの誰かが『黙れ』と言ったら、絶対黙る」


「黙る」


「戦闘外、子どもと老人には説教禁止」


「……努力する」


「努力じゃない、禁止」


「禁止」言葉が喉に引っかかって、でも通した。リディアがふっと笑う。「よし」


 小屋の影が長く伸び、斜面の草が風で波打つ。遠くで狼の遠吠え。空気が、峠の向こうから冷えてくる。


「出るぞ」カインが言った。「先頭、リディア。二番ガレス。三番ミラ。最後に俺。正樹はリディアの半歩後ろ。——半歩だ」


「半歩、了解」俺は靴のつま先を合わせ、歩幅を測る。足の裏の感覚に、心を載せる。角度じゃない。間だ。


 歩き出す直前、リディアが肩越しに俺を見た。「なあ正樹」


「ん」


「さっきの『わからない』、嫌いじゃない」


 胸の奥が、少しだけ軽くなる。「ありがとう」


「でも、次は『できる』って言え」


「……はい」


 列が動いた。俺は半歩うしろで、彼女の呼吸に合わせる。吸って、二拍、吐いて。峠の稜線に黒い影がちらりと走り、風が低く唸った。


「——来る」リディアが囁く。


 俺は口を閉じ、足を開き、膝を緩める。胸の鼓動が速まる。耳の奥で、カインの声が聞こえた気がした。


「『いまだ』」


 まだ声は出ていない。けれど、言葉が来る前に、俺の体は彼らの間に“半歩分”の空きを作る準備をしていた。押し付けない。押し支える。そのための最初の半歩だ。


 次の瞬間、峠の影から唸り声。群れが雪崩れるように現れた。俺は歯を食いしばり、言葉を呑み込んで——踏み込んだ。


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