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ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました  作者: ならん
第2章:押し付けマナーの果てに ~正しさと孤独の分岐点~
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26. 半歩の距離、割れた絆

 翌朝、冷たい風が宿営地を撫でていた。夜のうちに焚き火はすっかり灰になり、淡い煙が名残のように空へ伸びている。出発の準備は進んでいたが、空気はどこか重い。皆、昨日の夜を引きずっていた。


 ガレスは無言で鎧のベルトを締め、ミラは小さな鍋で朝の湯を温めながら、ちらちらとこちらを見ている。リディアは火のそばで地図を広げ、指でルートをなぞっていた。


「峠までは半日。途中の分岐は三つ。どれも魔物の巣に近いから慎重に行く」


 彼女の声はいつも通り淡々としていたが、どこか力が抜けている。カインも黙って頷くだけで、あの鋭い目も今日は少し曇っていた。


 俺は荷物の紐を結びながら、何度も言葉を飲み込んだ。昨夜のこと——ガレスの怒りも、リディアの仲裁も。あの空気がまだ肌の下に残っている。


「……出発するぞ」カインが短く言う。


 誰も返事をしないまま、列が動き出した。風の音と靴音だけが続く。リディアは先頭、カインが後方の警戒、俺は中ほど。ミラとガレスの間に挟まれて、息を詰めるように歩く。


 沈黙が痛い。誰かが何かを言えば壊れそうで、それでも何も言わないと窒息しそうだった。


「……ねぇ」ミラがぽつりと声を出した。「昨日のこと、気にしてんの?」


 誰も答えない。ガレスは前だけを見て、肩の筋肉を動かした。リディアが振り返って、ため息をつく。「そりゃ気にするだろ。あんな喧嘩したんだ。私だって寝つけなかった」


「寝つけなかったのは、正樹のいびきじゃ?」ミラが意地悪く笑う。


「いや、そんなに——」


「すごかったわよ。“整列!”って寝言まで言ってた」


「言ってねぇ!」反射的に声が出た。周りの空気が一瞬だけ揺れ、ミラがくすっと笑った。


 リディアも口元をゆるめる。「ま、夢の中でも仕事熱心ってことだな」


「からかわないでくれ」


「笑わないとやってられねぇだろ」


 その言葉に救われる。けれど、すぐにガレスの低い声が後ろから刺さった。「笑って誤魔化すな。仲良しごっこじゃ済まねぇ」


 空気がまた硬くなる。リディアが振り返る。「ガレス」


「何だ」


「昨日の件は終わったんじゃないのか」


「終わってねぇ」


 彼の声は石みたいに重く、冷たい。「俺はもう、こいつの指図は聞かねぇ。言葉より拳を信じる」


「それ、喧嘩売ってるのか」リディアの声がわずかに荒くなる。


「現実を言ってるだけだ」


 ミラが溜息をつく。「もうやめて。朝から面倒な空気出すのやめなさいよ」


「面倒なのは口だ」ガレスが俺を見た。「こいつの口が、いつも面倒を呼ぶ」


 その言葉が胸に突き刺さる。俺は視線を落とした。反論したい。けれど、何を言っても火に油を注ぐのは分かっている。


「……俺はもう、黙るようにしてる」


「してねぇだろ。さっきも寝言言ってたじゃねぇか」


「それは意識してないだろ!」思わず言い返すと、ガレスの眉がぴくりと動く。「ほらな。すぐ反応する」


 リディアが割って入る。「もうやめろ。お互い言いすぎだ」


「リディア、庇うな。あんたが甘やかすから直らねぇんだ」


「甘やかしてるわけじゃ——」


「なら突き放せ!」


 声が一段と荒くなった。鳥が木の上から飛び立つ。ミラが顔をしかめ、カインがわずかに振り返った。その一瞬、誰も息をしていなかった。


「……おい」カインの低い声。「進行に集中しろ。今は任務中だ」


 全員の背筋が伸びる。「了解」とリディアが答えた。俺も小さく頷く。だが、胸の奥では何かが崩れかけていた。


 歩き続けるうちに、峠の風が強くなってきた。砂混じりの風が顔を刺し、前を歩くリディアの髪が揺れる。その背中を見ながら、俺は胸の奥で言葉を探していた。何を言えば伝わるんだろう。何を言えば、壊れないんだろう。


「リディア」


「なんだ」振り返る顔は、疲れが滲んでいた。


「昨日、ありがとう。止めてくれて」


「……礼はいらない。私が止めなきゃ誰も止めなかった」


「それでも、助かった」


 リディアは少しだけ目を細めた。「……なら、これからは私が止めなくていいようにしてくれ」


 その一言が痛かった。けれど、それが本音だ。俺はただ頷いた。言葉で返したら、また違う方向へ転がってしまう気がした。


 峠の手前で一旦休憩となった。岩陰に腰を下ろすと、ミラが湯を注いでくれた。湯気が頬にあたって、やけに優しい。


「ねぇ」ミラが言う。「正樹、あんた、どうしたいの?」


「どう……したい?」


「カインに認められたいだけ? それとも自分を正しいって証明したいだけ?」


 返せなかった。火傷みたいに胸の奥が痛い。ミラは俺の沈黙を見て、ため息をつく。「リディアはあんた庇ってばかりで疲れてるよ。見えない? あの人の目、もう痛そうだよ」


 視線をリディアに向ける。少し離れた場所で、彼女は風に髪を揺らしながら空を見ていた。横顔は凛として、それでもどこか寂しそうだった。


 ガレスがぼそりと呟いた。「あいつ、仲間の中心でいつも戦ってる。誰の味方にもなりきれねぇままな」


 リディアがこちらを見た。目が合う。少しだけ、笑ったように見えた。でもその笑みは、誰にも寄りかかれない強さの裏返しだった。


 胸が詰まる。守りたい、と思った。けど、どうやって? 言葉ではなく、行動で示すには——俺にはまだ何もできない。


 休憩が終わり、再び歩き出す。風は相変わらず冷たい。けれど、リディアの背中を追う足取りだけは、いつもより少し慎重になっていた。俺は彼女の半歩後ろで歩く。何も言わず、ただその距離を守ることだけに集中した。


 沈黙はまだ重い。けれど、壊す勇気も、もう少しで持てそうな気がした。


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