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ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました  作者: ならん
第2章:押し付けマナーの果てに ~正しさと孤独の分岐点~
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24. 王都の大行事で空気を壊し失態

 王都の大広場は、朝から空気が硬かった。石畳が磨かれて鈍く光り、白い旗が等間隔に立ち、楽隊は同じ拍で呼吸をする。段差が一つもないまっすぐな通路が王城の門から一直線に伸び、その先に壇がある。俺はその幾何学的な整い方に、正直うっとりしていた。


(完璧だ。これだけ整えば、心も整う。俺の出番は、最小限の微調整でいい)


 勇者一行は壇の右手。俺とリディア、ミラ、ガレス、そして中央にカイン。貴族や重臣たちが左右に並び、群衆は柵の外で息を潜めている。式次第を読み上げる侍従長の声は、紙の端のように薄く、正確だった。


「これより、戦勝と鎮魂の式を執り行う——」


 俺は無意識に姿勢をただし、胸の前で手を重ねる。視線はまっすぐ、顎は少し引く。心は静かに高鳴っていた。


 王が現れた。金糸のマント、ゆっくりとした歩幅。会釈を受けて、列が一斉に頭を下げる。その角度——ばらついている。三十度の者もいれば、ほとんど顎を胸につける者も。


(惜しい。ここ、整えたい。王の前の角度は四十五度で統一——)


 舌が、勝手にほどけた。「角度を——」


「やめろ」リディアが小声で肘を当てる。「今日は黙る」


「小さく一言だけ」


「それが長いんだって」


 俺は唇を噛んだ。カインが横目でこちらを見る。黙ってろ——視線だけでそれが届く。俺は頷き、胸の高鳴りを押さえ込む。


 献花の段。兵士の遺族たちが壇上に上がり、花を捧げる。老婆が震える手で白花を置き、深く頭を下げた。四十五度どころじゃない。地面に額が触れるほど深い。


(これは違う。背を痛める。礼は心で、角度は過ぎれば毒だ)


 気づけば、一歩、前に出ていた。「失礼、頭は——」


 壇上の空気が凍った。侍従長が顔を上げ、リディアが俺の袖を掴む。「戻れ」


「背を痛めるので——」


「戻れ」今度はカインの声。低く、短い。


 俺は半歩下がった。遺族の老婆がゆっくり顔を上げ、俺を見た。その目は、涙で濡れて光っていた。怒りでも憎しみでもない。ただ、遠い。俺は胸の奥がきゅっと縮むのを感じる。


 楽隊が鎮魂の曲を奏で始めた。重い、深い和音。空気が一枚ふかくなる。俺は口を閉ざし、呼吸を合わせる。大丈夫だ、まだ戻れる。


 次は感謝の辞。各隊の代表が壇上で王に向かって頭を下げる。最初の若い隊長が、緊張のあまり腰だけで折れて上体が前に落ちた。あれは腰に悪い。背中から曲げれば——


「背から——」


「正樹」リディアがささやく。「黙る。お願い、頼むから」


 俺は唇の内側を噛んだ。血の味。拳に汗がにじむ。黙れ、俺。今日は黙る。


 王が口を開いた。「よく戦った。皆の働きに、王として——」


 群衆がどっと沸いた。歓声、拍手。拍手は長すぎる。王の言葉が聞こえない。司会が制すべき——


「拍手は短——」


 言葉は最後まで出なかった。俺の前に、厚い影が落ちたからだ。王の影。王その人が、壇上からこちらを見ていた。


「——そこの者」


 胸の奥が冷たくなる。動悸が、痛みに変わる。


「お前だ。今から王が言う言葉は、耳でなく口で受けるのか」


 会場が静まった。鳥の羽音すら消える。俺は一歩前に出て、背筋を伸ばした。「申し訳ございません。進行の妨げになる振る舞いが見え……ましたので」


「見えたなら、心で飲み込め」王の声は低く広い。「今日の角度は、均すための角度ではない。人が生き、死に、残った者が頭を垂れる、その不揃いさを見よ」


 喉がつまる。言い返せない。王の言葉は正しい。けれど、俺の正しさは、別の場所に立っている。整えたい。揃えたい。揃えば、美しく、強い。


「二度、私の言葉を遮るな」王は短く言い放つ。「度を越している」


 場の温度が、さらに数度下がった気がした。重臣が目を逸らし、貴族が扇を閉じる音が、刃物のように耳に刺さる。リディアは顔を強張らせ、ミラは唇を噛み、ガレスは目を伏せた。カインは、俺を見ない。


「……失礼しました」俺は深く、一礼した。四十五度。角度が、皮肉に胸を刺す。ゆっくりと顔を上げると、王はすでに群衆に向き直っていた。


 式は続いた。俺は一言も発さなかった。音が水中にいるみたいに遠い。歓声も、楽隊の音も、拍手も。全てが薄く、冷たい。


 終わると同時に、背中に汗がどっと出た。壇を降りる足が少し震える。人の流れの脇で、リディアが俺の腕を掴んだ。


「……大丈夫か」


「大丈夫じゃない」声が自分のものじゃないみたいだ。「やったこと、全部、間違いだったか」


「全部じゃない。けど今日のは、最悪だった」


 言葉が刺さる。分かっていた。刺さるように言ってくれた方が楽だ。俺は笑おうとして、笑えなかった。


 ミラがため息をつき、「最悪でも生きてる」と肩を竦める。「それに、王の説教は、教科書に載りそうな名言だったわね」


「笑えねぇよ」ガレスが肩を回す。「でもまあ、あれだ。柱は立派だが、棺桶にもなる」


「……うまいこと言うな」


 そこへ、侍従長が近づいた。顔は丁寧に無表情だが、声は冷たい。「陛下はお怒りです。本日はこれで、お引き取りを」


 お引き取り。簡単な言葉が、刃に聞こえた。カインが一言も発さずに頷く。俺たちは城門から外へ出る。光の角度が少し変わり、影が長く伸びる。


「正樹」カインがようやく口を開いた。「次は、ないかもしれない」


 胸の奥で、何かが落ちた音がした。鉄の玉が深い井戸に落ちるみたいに、遠くまで響く。


「……分かった」


 王都の喧噪が戻ってくる。笑い声、車輪の軋み、犬の吠え声。さっきまで“整った世界”だと信じた石畳が、急にごつごつして見えた。


 俺は背を壁に預け、ゆっくりと息を吐いた。正しさは、今日、誰も救わなかった。角度は、誰の涙も拭わなかった。


 リディアが隣に立ち、肩で俺を小突く。「まだ終わりじゃない」


「終わってないかな」


「終わらせんな」


 短い言葉が、今は救いだった。俺は小さく頷き、胸の前で手を組みかけて——やめた。代わりに、手を下ろして、ただ立つ。角度じゃなく、距離を測るために。


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