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ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました  作者: ならん
第2章:押し付けマナーの果てに ~正しさと孤独の分岐点~
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23. 祭りで嫌われるマナー講師

 王都の下町は色で満ちていた。紙灯籠の赤、屋台の黄、空を横切る旗の青。香ばしい肉の匂いと、甘い蜜菓子の香りが混じって鼻をくすぐる。太鼓がどん、どん、と腹に響き、足が自然とリズムを刻む。


「いいな、こういうのは」リディアが串焼きを片手に歩く。「今日は仕事忘れて楽しもうぜ」


「異議なし」ガレスは樽みたいなカップを一気にあおり、「うめぇ!」と吠えた。ミラは綿飴を眺めながら、「この白い雲、魔力の凝固で再現できるかも」と危険なことを言っている。


 俺は頷きつつも、胸の内にざわつきを覚えていた。広場の中央で乾杯の音頭を取る青年が、えらく長い前置きをしている。「先祖に感謝し——」


(長い。長すぎる。乾杯は短く簡潔に。三十秒以内が理想だ)


 気づけば、手を挙げていた。「皆さん、乾杯は——」


「やめろ」リディアが肘で突く。「今日はやめろ」


「三十秒だけ」


「それが長いんだよ!」


 だが群衆の視線がこちらに集まってしまった。司会の青年が苦笑いでマイク(に似た拡声筒)を差し出す。「えっと……どなた?」


「マナー講師です。乾杯は簡潔に、が鉄則——」


「ブー!」


 早かった。子どもたちが口を尖らせて親の背中に隠れる。屋台の親父が眉をしかめ、「難しい話より、飲ませてくれ」と肩をすくめる。俺は慌てて笑顔を作った。


「では見本を。『皆の無事に——』」


「長い!」と誰かが叫ぶ。


「じゃあ短く! 『乾杯!』」


 おそらく最短だ。だが群衆はきょとんとし、遅れて散発的にカップが上がった。テンポを殺した。太鼓のリズムが一拍ズレる。俺の胸も、ズレる。


 空気を取り戻そうと、俺はついでに列のことも提案した。「屋台は右回りで並びましょう! 衝突を避けるため、歩く速度は一定に——」


「うるせぇ!」「祭りは流れのままが楽しいんだ!」


 野次が飛ぶ。俺は引かない。「列は人の思いやりを可視化する——」


「だから可視化すんな!」


 ガレスが肩を叩く。「正樹、飲め。口を動かす前に口を潤せ」


「飲酒で意思決定は鈍ります」


「だから楽しいんだろ」


 ミラが綿飴を俺の口に押し込んだ。「甘いのでも食べて黙って」


「もがっ……」口内がふわふわになって、言葉がほどける。砂糖の雲は、意外に美味しい。


 そこへ、子どもの手を引いた母親が困った顔で近づいてきた。「すみません、この子の風船が——」


 見れば、風船の紐が屋台の柱に絡まっている。俺は反射的に前へ出た。「お任せください。結び目は——」


「そういう時のマナーは?」と、どこからか茶々が入る。


「“先に謝意、次に手順”です。『お任せください』は言い過ぎました。正しくは『よろしければ、お手伝いします』」


「どっちでもいいから早く解け!」


 俺は紐を指先で辿り、小さく息を吐き、絡まりの“道”を読む。最短の抜け道を見つけ、くるりと解いた。風船がすっと浮かぶ。


「ありがとう!」子どもが笑った。その笑顔は角度を超えてまっすぐだった。胸の奥で、何かがほどける。


 ——が、俺はやっぱりやってしまう。「風船は片手で持ち、走らないのが——」


「説教は要らない!」母親にぴしゃり。痛い。正論は刃。鞘に入れろ。


 別の屋台で、焼き魚の列が蛇のように曲がっていた。俺は思わずステップで人の隙間を縫い——「右側通行で——」


「お前、祭り来るな!」


 とうとう直球のブーイング。子供が俺を見るなり、友だちの背中に隠れてひそひそ。「あのひと、また怒るよ」「しーっ」


 胃のあたりがひゅっと縮む。俺は悪役だ。正しいことで嫌われる悪役。足が止まり、言葉が喉でほどける。


「正樹」リディアが横に並んだ。串の先で俺の肘をつつく。「今日は私の合図だけ聞け」


「……はい」


「じゃ、合図」


「早い!」


「いま黙る。次、笑う。はい」


 無理やり口角を上げると、リディアも釣られて笑った。ばかばかしい。けど、効く。胸の硬さが少し溶けた。


 その時、舞台の方で太鼓が止み、青年司会が慌てた声を上げた。「えー……次の演目の歌い手が来ておらず——」


 空気がしぼむ。沈黙は寒い。俺は手を挙げかけ——リディアが手首を掴む。「待て」


「出たい」


「出るな」


 司会が「どなたか——」と視線を泳がせる。子どもたちの顔に不安が広がる。歌がない祭りは、骨のない魚みたいに間が抜ける。


 リディアが小さく囁いた。「押し付けるな。押し支えろ」


 俺は深呼吸をして、一歩前へ——ではなく、横へ出た。舞台袖の太鼓のところに行き、叩き手の少年に尋ねる。「簡単なのでいい。“手拍子の型”を一つ教えてくれ」


「え、あ、これです」少年が手を打つ。タン・タン・ターン。簡単で、気持ちいい。


 俺はそのリズムを、群衆の端から静かに始めた。左右の人の目を見て、笑って、合わせる。言葉はいらない。手だけで伝える。数拍で、列ができる——違う、輪ができる。


 ぱち、ぱち、ぱち——輪が広がる。子どもたちが真似し、母親が肩でリズムを取る。舞台の青年がほっとして頷き、地元の老人が「歌は下手だが声は出る」と胸を張って前に出た。老人の声に、輪の手拍子が乗る。下手だ。けど温かい。俺の喉も、つられて震えた。


「……いいじゃん」リディアが笑った。「今日はそれで正解」


「角度、いらなかったな」


「いらない日もある」


 歌が終わると、拍手が起きた。今度は誰にも注意しない。長くても、短くても、拍手は拍手だ。老人が汗を拭き、照れた顔で手を振る。


 近くの屋台の親父が、紙コップに甘い酒を注いで差し出してきた。「さっきは悪かったな。お前さん……うるさいけど、悪い奴じゃねぇ」


「恐縮です」俺は受け取り、ほんの一口だけ口を湿らせる。喉が熱くなった。太鼓がまた鳴り始め、紙灯籠が風に揺れる。遠くで子どもが笑い、さっきの風船が夜空で小さく光った。


 嫌われるのは、怖い。だけど、押し付けないで支えられるなら——少しはここにいていいのかもしれない。俺はそっと胸に手を当て、誰にも見えない角度で一礼した。タイミングは、今度こそ合っていたと思う。


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