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ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました  作者: ならん
第1章 異世界に持ち込まれたマナー警察
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2. 訓練場の初対決――勝つための“揃い”

 翌朝、俺は中庭の端から訓練場へ向かった。湿った土の匂い。木槍が風を切る音。胸の奥がざわつく。今日から本当に始まる。ここで通じなければ、この国の席は整わない。


 列を作った騎士たちが掛け声とともに前進し、止まり、構える。見てすぐに気づいた。


「……靴音がばらばらだ」


 独り言のつもりだったが、隣の気配がぴくりと動いた。栗色の髪、鋭い目。鎧の肩に朝露。木槍を肩に担いだ女騎士がこちらを振り向く。


「は? 音がどうしたって?」


「足音が合えば、列の流れが揃って、事故が減ります。見栄えだけじゃなくて、勝率の話です」


「勝率? 戦場は足音で勝つのかよ」


 言い返す声がまっすぐで、胸に刺さる。だが、嫌いじゃない。


「俺は佐藤正樹。異界の――講師です」


「リディア・グレイス。騎士。庶民の出だ。……講師、細けぇこと言う顔してる」


「細かいです。転ぶ前に止めたいので」


「言い切るな。嫌われるぞ」


「最初の五秒だけは強く言います」


「はいはい」


 周りの兵がくすりと笑う。空気が少し軽くなった。俺は一歩前に出て、手を挙げる。


「皆さん、短く三つだけ。一、『左足から出る』。二、『かかとから静かに着く』。三、『合図の声は短く同じ語』。これで揃います」


 白髭の教練役が眉を上げる。


「そんなもので揃うか」


「揃えます。やって見せます」


 俺は列の先頭に立ち、胸の前で手を開いて握る。呼吸を整えて、声を置いた。


「最初の語は『歩』。合図は短く一語だけ。――歩!」


 左足を出す。とん。俺が足を置く瞬間に、全員の視線が床に落ちる音がした気がした。二歩、三歩。音がまだ散る。俺は「歩」をもう一度だけ、同じ調子で置く。足音が近づく。


「……ほんとに揃ってきたな」


 誰かの小声。俺はすぐ止めの合図へ移る。


「止。――止!」


 左足を中心に半歩寄せ、かかとを揃える。列の最後までとっ、とっと段差が減っていくのが見える。胸の奥の冷えが少し溶けた。


「見栄えは分かった。だが、勝ちにはどう繋がる」


 リディアの突っ込み。俺は即答する。


「声が短いと、耳が疲れません。足音が揃うと、味方の位置が分かりやすい。転びと衝突が減る。槍の角度も合わせやすくなる」


「槍の角度?」


「はい。肩の高さより少し下、腕は肘から先だけ動かす。角度が揃うと視界が開けます。上げすぎると後ろの人の目を刺す」


「目を刺すは大げさだろ」


「刺さなくても怯む。怯みは負けに繋がります」


「言い切るなっての」


「最初の五秒だけは」


「分かったよ」


 軽口の往復で、兵たちの肩がほどける。俺はリディアの槍先を指で示す。


「角度、ここです」


 彼女はわざとらしく槍を斜めに振り、口を尖らせる。


「こうか?」


「それ、人の顔を通ります。ここ。胸より少し下」


「……ここ?」


「そう。肘は近く、手だけ前」


 彼女がゆっくり角度を合わせる。周りの二人も真似をする。列の輪郭がすっと整い、視界に隙間が生まれる。その瞬間、俺の背筋の奥がじんわり温かくなった。


「講師、細けぇのに、ちょっと使えるな」


「ちょっとでいいです。最初の五秒だから」


 そこへ、列の端で若い兵が木槍を肩に高く掲げて走ろうとした。後ろの兵が身を引く。危ない。


「それ!!マナー違反ですよ!!!」


 強めの声が出た。兵がびくりと止まる。俺はすぐに近づき、声を落とす。


「高く掲げない。顔の高さに通さない。――腰の高さで持ち替えて、左足から」


「は、はい!」


 兵が持ち直し、左足から歩へ合わせる。衝突は起きなかった。重臣格の教練役が短くうなずく。


「転ばせないのはよい」


「ありがとうございます」


「礼は短く、だな」


「ありがとう」


 リディアが肩で笑い、槍の石突きを土にとんと落とした。


「じゃあ“合図の語”ってやつ、槍でもやれるのか」


「やれます。構・受・退。三語だけ」


「三語?」


「長い言葉は耳に残りません。短く、同じ調子で」


 試す。俺は深く息を吸い、列の前へ。


「構!」


 肘だけを折って槍先をわずかに上げる。列が真似をする。


「受!」


 半歩引いて角度を保つ。


「退!」


 左足から半歩下げ、視線は眉と目の間へ。音が少ない。土の上を滑るように動く。俺自身、思った以上に体が軽かった。


「悪くない。……けどな」


 リディアが眉を上げ、口角を引く。


「勝つのは、最後は“度胸”と“腕”だ。角度と足音じゃねぇ」


「知ってます。だから、度胸と腕が働くまで転ばせない。それが俺の役目です」


 言い切ると、胸の奥がじゅっと熱くなる。言い過ぎたか。だが、彼女はふっと笑い、槍先で俺の足元をつんと指した。


「言うじゃないか。……じゃ、模擬戦、見るか?」


 彼女が指を鳴らすと、若い兵二人が輪から出た。槍を構え、円の中へ。教練役が短く合図し、二人がぶつかる。槍先が泳ぎ、足がもつれかける。


「止!」


 思わず声が出た。俺は二人の間に手の平を見せる。


「足の向き、同じに。左が外、右が内で絡む。左足から出るを守って」


「す、すみません!」


「謝るのは最後。今は合わせる」


 短い応酬を挟み、二人が再開。足の流れがそろうと、槍先の迷いが減った。突きがまっすぐ通る。見ていた列から小さな息が漏れる。


「……ほんとに、ちょっと良くなるな」


 リディアの声に、胸がゆるむ。だが、端で腕を組む年配の騎士が低く言った。


「異界の講師。戦場は乱れる。揃いは崩れる。崩れてからが本物だ」


 重い視線。背中に冷たい汗が流れる。俺は一度うなずき、視線を逸らさない。


「承知してます。だからこそ、崩れるまでを短くしたい。崩れ始めに戻る癖も、今日から置きます」


「戻る癖?」


「左足を見て戻す。乱れたら、まず自分の左足を見る。そこだけ決めておけば、次が揃う」


 年配の騎士はしばらく黙り、鼻を鳴らしただけだった。許可とも、保留とも取れる音。胸の奥に、小さな棘が残る。それでも、前へ。


「まとめます。三つだけ覚えてください。左足から・かかと静かに・短い一語。槍は胸よりわずかに下、肘は近く。危ない高さに上げない」


「長く言ったな」


 リディアが笑う。


「長いですか?」


「三つって言ったのに五つ言った」


「すみません」


「今の“すみません”は要る」


 笑いが起きた。肩の力が抜ける。俺は列の端まで歩き、振り返る。吸って、吐く。


「最後に一回だけ。――歩!」


 土の上にとん、とんと同じ音が続いた。揃いきってはいない。けれど、昨日より、確かに近い音。胸の内側で、小さな誇らしさが膨らむ。


 解散の声。兵たちが槍を束ね、汗を拭く。リディアがこちらへ歩いてくる。


「講師。今日は強気三回。数えた」


「また数えたのか」


「好きでね。……でも、全部“危ない手前”で使ってた。合格だ」


「ありがとう」


「礼は短く」


「ありがとう」


 彼女が踵を返す。俺はその背中を見送りながら、端に立つ年配騎士の視線をもう一度だけ受け止めた。冷たい。けれど、逃げない。最初の五秒で、転ばせない。その先で、崩れから戻す癖を置く。


 胸の真ん中に小さな火が灯ったまま、俺は訓練場を後にした。次は――食堂だ。席も、動線も、揃える。嫌われるだろう。けれど、必要なら言う。「それマナー違反ですよ!」と。命と安全の前で、遠慮はしない。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!


もし少しでも

「クスッと笑えた」

「この先どうなるのか気になる」


と感じていただけたなら――

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どうぞこれからも気軽に見守っていただければ幸いです。


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