表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました  作者: ならん
第2章:押し付けマナーの果てに ~正しさと孤独の分岐点~
17/30

第17話 フォークは左、村人は混乱

 収穫祭の夜、農村の広場は人であふれていた。篝火が照らす木の机に焼きたての肉と芋の皿。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


「いいな……こういう素朴な宴も、また趣がある」

 俺は感慨深くうなずいた。だが次の瞬間、村人たちが素手で肉をつかみ、手づかみでかぶりつく光景に、心が凍る。


「ま、待ってください! 皆さん!」

 立ち上がった俺に、リディアが嫌な予感に顔をしかめた。


「やめろよ正樹、頼むから今日は黙って食え」

「駄目です。こういう場こそ、正しい作法を学ぶ絶好の機会!」


 俺は懐から取り出した——フォークとナイフを掲げた。旅の間、命より大事にしている携行セットだ。


「ナイフは右手、フォークは左手に持ちます!」

「フォー……ク?」村人の一人が首をかしげた。


「肉を押さえて切る! ほら、こうやって!」

 俺は見本を見せようとしたが、木の皿に芋を乗せた途端、フォークが沈んだ。刺さらない。


「無理だろ!」リディアが叫ぶ。「器も足りねえんだよ!」

「礼儀は環境に勝つ!」

「勝たねえよ!」


 周囲はざわつき、笑い混じりの怒号が飛ぶ。フォーク代わりに枝を使おうとした村人が芋を潰し、汁が飛んで隣の顔に命中。

「うわっ!」「目に入った!」

「だから言っただろ!」リディアが頭を抱えた。


「事故は想定内です。大事なのは挑戦する心です!」

「挑戦ってなんだよ! 祭りだぞこれ!」


 だが村人たちは笑い出した。怒っていない。むしろ面白がっている。リディアも呆れながら笑っていた。


 そのとき、老人が言った。「お前さん、面白いな。次はどうすりゃいい?」

「乾杯の仕方です!」

 リディアが「もういいって!」と突っ込むが、老人は興味津々。「やってみろ」と杯を持ち上げた。


「高く上げすぎず、軽く傾け——」

 説明が終わる前に、全員が「おーっ!」と勢いよくぶつけ合う。酒が飛び、笑いが広がる。混乱の渦の中でガレスが「うおーっ!」と叫び、ミラが魔法の火で肉を焦がす。


「火加減にもマナーが!」と言いかけたところで、リディアが首根っこを掴んだ。「お前なぁ、今日は黙れ」

「だが——」

「抜きすぎは品がねえけど、今はその方がいい」


 俺は口を閉じた。笑い声と歌が夜空に溶けていく。泥まみれの子どもが転び、老人が抱き上げ、誰も怒らない。リディアが肩で息をして笑った。


「なあ正樹、見てみろよ」

 火の明かりの中、村人たちは輪になって踊っていた。靴も脱ぎ、泥だらけだ。

「みんな、楽しそうだろ?」

「……確かに、笑顔は揃ってますね。角度も」

「角度は関係ねえ!」


 二人で吹き出す。火の粉が舞い、星が近く見えた。


 やがて村長が近づき、俺に杯を差し出す。「あんたのおかげで笑いが増えたよ。変なやり方だが、楽しかった」

「恐縮です」俺は深く一礼した。角度は自然と四十五度。だが誰も文句を言わなかった。


 そのとき、小さな手が袖を引いた。昼間、遊んでいた子どもだ。「ねえ先生、これあげる」差し出されたのは削った枝の“なんちゃってフォーク”。不格好だが、温かい。

「ありがとう。よくできてるな」

「お父ちゃんが言ってた。『人の言うことも試してみろ』って」


 胸が熱くなる。俺はそれを胸ポケットに挿した。「じゃあ今度は俺の番だ。——歌のマナーを教えよう」

「歌にも?」

「ある。下手でも大きな声で歌うこと、笑ってもいいこと、それが一番のマナーだ」


 リディアが苦笑する。「最後、自分の言い訳だろ」

「違います。崩れる小節は仲直りの合図です」


 俺は手拍子を刻み、輪の中に混ざった。子どもが真似をし、母親が肩で揺れ、老人が頷く。やがて声が重なり、歌が広がる。下手でも、少しずつ重なる。


 歌い終わると、村長が笑って言った。「あんた、いい先生だな。うちの祭りは“手が汚れるほど幸せ”なんだ。忘れるな」

「……いい言葉です」


 俺は深く息をつく。「最初に正そうとした。でも、最初に見るべきは“楽しんでる顔”でした」

 リディアは短く頷く。「それなら合格だ」


 篝火が小さくなり、夜風が頬を撫でた。俺はポケットの枝フォークを指でなぞる。角度も規格も違う、世界に一本のフォーク。

「なあリディア」「ん?」「“礼儀は環境に勝つ”って言ったろ」「ああ」「訂正する。“礼儀は環境に寄り添う”」

 言った瞬間、彼女は笑った。火の粉が揺れ、夜空が柔らかく包み込んだ。


 歌が再び響く。俺は小さく頭を下げた。今度の礼は、誰に見せるためでもない。隣の笑いを邪魔しないための、静かな礼だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ