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ブラック企業マナー講師、異世界追放されたら魔族に爆ウケしました  作者: ならん
第1章 異世界に持ち込まれたマナー警察
13/30

13. 合図を減らせ、連鎖トラブルを切る

 翌朝の中庭は曇り。雨は上がったが、石畳はまだ湿っていた。旗の棒、鈴、角笛、外套札……道具が増えすぎて、庇の下がにぎやかだ。俺は立ち止まり、胸の前で手を開いてから握る。吸って、吐く。胸の奥の鼓動が速い。昨日は雨用で上手くいった。だが、道具が増えるほど混ざる。今日は減らす。


 近衛隊長、リディア、白髭の重臣、近侍、書記の少女、商務の役人、門番たちが集まる。視線が来る。喉が少し乾く。


「共有します。今日の題は『合図の簡略化』。最初の五秒、道具を一つに寄せる」


 俺は手を挙げ、指で三つの形を作る。


「手の平=止まれ/握り拳=準備/親指一本=どうぞ。旗も鈴も、基本はこの三つに合わせる」


「旗はどう使う」


 近衛隊長が腕を組む。


「旗=手の拡張。上げた旗の面を『手の平』、柄を縦に『拳』、先端で親指の代わりに『どうぞ』。遠目は旗、近距離は手」


「鈴と角笛は」


「音は“止まれ”だけに絞る。二度鳴らす=止まれ。ほかは目で」


 商務の役人が眉をひそめる。


「減らしすぎではないか」


「減らすと速くなる。今日は“連鎖トラブル”を切る。道具が多いと、判断が遅れて詰まります」


 リディアが口の端で笑う。


「やっと減らす気になったか」


「怖いけど、やります」


「顔は自信出てる」


「出してます」


 角笛が一声。「来客、二組!」


 胸が跳ねる。門の前へ半歩。白線の丸印は乾きかけ。俺は手の平を水平に掲げ、まず止める。二度、角笛。ポン、ポン。列が静かに止まる。よし。握り拳で準備、親指で「どうぞ」。白組が丸印へ進み、赤組は角で待つ。


 ――その時、連鎖の始まり。白組の最後尾が丸印に乗り切らず、半歩外へ。後ろの荷車が押し、斜めに傾く。横では楽士が列の脇を横切ろうとする。さらに通路の端で給仕の少年が水の桶をこぼしかけて足を止めた。


「それ!!マナー違反ですよ!!!」


 強く出た。すぐに切り替える。手の平で三方向に止めを配る。楽士、荷車、給仕。空気が一瞬凍る。次に握り拳で「準備」。目だけで順を指す。


「一、桶を下げて端に。二、荷車は半歩下がる。三、楽士は線の内側」


 短く、順番で置く。給仕の少年が桶を下げ、近侍が手を添えて端に誘導。荷車は御者が腰で押し下げ、白線の内側に収まる。楽士は線の内側に戻った。胸の奥の冷えが少し溶ける。


「講師、言葉が少ないのに通じたな」


 近衛隊長が低く言う。俺は親指を静かに立て、白組へ「どうぞ」。動線が再び流れた。


 前室の手前で、別の連鎖。扉の前に三人が同時に並び、誰が代表か曖昧。さらに、後ろで商人が書記の肩越しに覗き込む。視線の圧で書記の手が止まり、ペン先が震える。


「それ!!マナー違反ですよ!!!」


 俺は扉前に手の平を一枚、書記と商人の間にもう一枚。二重の「止まれ」。次に握り拳で代表の胸の前に軽く見せ、親指で一歩前を示す。


「代表一人。残りは半歩下がる。覗かない。待て」


 代表の男がうなずき、残りが下がる。商人はバツが悪そうに視線を落とし、「すまぬ」と小声。書記の肩から圧が抜け、ペンが戻る。胸の中の小さな熱が広がる。


 そこへ、白髭の重臣が横目で問う。


「なぜ“言葉”を減らせた」


「形をそろえたからです。見た瞬間に分かる“止まれ・準備・どうぞ”。言葉は最後に添えるだけ」


「ふむ……嫌いではない」


 リディアが肘で小突く。


「顔、今日は柔らかい」


「怖くしない努力中です」


「そうしろ」


 会談の最中、また小さな連鎖。侍従が盆を持って入室しようとして、扉の影で客とぶつかりそうになる。俺は壁際から手の平を扉の陰へ。侍従の足が止まる。握り拳で「準備」を見せ、客に親指で退く方向を示す。客が一歩下がる。侍従が一歩進む。ぶつからない。音が鳴らない。重臣が目を細める。


「合図は三つで良さそうだ」


「はい。三つしか覚えない方が速い」


 中庭へ戻ると、赤組の退路でまた連鎖。荷を肩に担いだ若い男が振り向きざまに、後ろの子どもの額にぶつけかけた。俺の体が勝手に動く。


「それ!!マナー違反ですよ!!!」


 手の平で若い男を止め、握り拳で肩の高さを指し、親指を下へ向ける。


「肩より下で持つ。顔の高さに荷を通さない」


「わ、悪い!」


 男はすぐに荷を下ろし、子どもが目を丸くしてから小さく頷く。母親が胸に手を当て、ほっと息。俺は親指で退路を示し、流れを戻す。


 商務の役人がぼそりと呟く。


「今日は怒鳴らんのだな」


「止める形が先にあると、声は要らない」


「押しつけに見えん」


「そうなるようにしています」


 リディアがくすっと笑う。


「強気、今日は四回。数えた」


「減ったな」


「合図が助けてる」


 最後の小さな連鎖は、思いがけないところから来た。近侍が印章を持ったまま、廊下で来客と行き違いになり、思わず印章を胸の高さで掲げたのだ。相手の目線の先に重い印。危ない。


「それ!!マナー違反ですよ!!!」


 俺は近侍の手首に手の平をかざして止め、握り拳で「持ち替え」を示し、親指で下へ。印章が胸の位置から腰の位置へ下がる。


「重いものは腰の高さ。目の高さに上げない」


「……失念した。助かった」


 近侍が素直に礼を言い、重臣が小さくうなずく。静かな肯定。胸の奥に小さな誇らしさが灯る。けれど、同時に自分に釘を刺す。今日はたまたま、上手くいっているだけかもしれない。慢心は、連鎖の一つ目だ。


 片付け。旗は束ね、鈴は袋へ。角笛は門番に戻す。俺は庇の柱にもたれ、指で手の平・拳・親指をもう一度、順に作った。体が覚えた感覚。短く、分かりやすく。


「講師」


 リディアが隣に立ち、同じ動作を真似する。


「これ、子どもにも教えられるな」


「教える。三つだけなら、覚えられる」


「よし、午後に近衛の下っ端にも叩き込む」


「“叩き込む”は言い換えて」


「“置く”にする」


 二人で笑う。笑いながら、俺は胸の中の小さな棘を思い出す。最初に強く言った「それ!!マナー違反ですよ!!!」の切っ先。あれが嫌われる日は、必ず来る。それでも、命と安全は譲れない。そのために、形を三つに減らした。声を荒げずに止めるために。


 重臣が歩み寄り、短く言う。


「三つで十分だ。続けよ。ただし、顔は柔らかく」


「努力します」


 俺は手の平を一度だけ上げ、全員に見せて下ろした。これが「おしまい」の合図。短く、分かりやすく。連鎖を切るために、減らして、揃える。胸の火は小さいが、確かに明るかった。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!


もし少しでも

「クスッと笑えた」

「この先どうなるのか気になる」


と感じていただけたなら――

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