11. 二組同時来客、旗の色で捌け
朝の門一に、赤と白の二本の旗を立て掛けた。昨日までの三種合図(一本=進め、二本=止まれ、三本=ゆっくり)に、色を足す。赤は止まれ、白は進め。色が分かれば、遠くでも迷わない。
指先に粉がつくほど白線の丸印をなぞり、俺は深呼吸を二回。吸って、吐く。胸の奥の小さな鼓動が早い。今日は二組が同じ刻に入る手筈だ。片方は北の鉱山ギルド、もう片方は西の学匠院。性格も速さも違う。ぶつかれば、最初の五秒で転ぶ。
近衛隊長、リディア、白髭の重臣、近侍、書記の少女、門番。商務の役人まで来ている。視線が集まる。喉が乾く。
「共有する。短く三つ」
俺は赤旗と白旗を胸の前で交差させ、ひと呼吸置く。
「一つ。北の鉱山ギルドは白。門一から進め。西の学匠院は赤。角で止め、中庭側へ回す」
「色で分けるのか」
近衛隊長が腕を組む。
「はい。二つ。導線は二本に見えて一本。合流点は作らない。丸印は各組に一つずつ」
「一本に見えて一本?」
商務の役人が眉をひそめる。
「“交わらない一本道”に見せる、という意味です。三つ。代表は各地点に一人。門は俺。中庭はリディア。前室は近侍」
重臣が目を細める。
「色は分かりやすい。だが、色覚に難がある者は」
「旗の形を変えます。白は長方、赤は三角。遠目にも違う」
「なるほど」
書記の少女が「白□、赤△」と走り書きし、旗の先端に紙を括った。小さな工夫だが、効く。
角笛が鳴る。見張りの声。「北、二騎と荷車。西、徒歩四」
胸が跳ねた。俺は門の前、丸印の少し手前に立つ。白旗を高く一本、左右にゆっくり。進め。同時に、赤旗を二本、水平に掲げて止まれを横手へ向ける。肩の筋肉が固くなる。息が短い。吸って、吐く。
白の二騎が丸印でぴたりと止まり、赤の四人が角で停止。成功。だが、次の一秒で乱れた。鉱山ギルドの荷車が後続の馬に押され、丸を少し踏み越えたのだ。後輪が線の上に乗る。
「それ!!マナー違反ですよ!!!」
声が鋭く出る。御者がびくっとして手綱を引いた。俺はすぐに補う。
「丸は“止まる位置”。線を越えると、次の合図が届きません。半歩、戻ってください」
「す、すまねえ!」
御者が後退し、線の内側に収まる。胸の冷えが少し抜ける。横を見ると、赤の学匠院の一行が、白旗に釣られてじりじり前へ出ようとしていた。混線の始まりだ。
「赤は止まれ、白は進め!」
俺は指で赤△、白□を示しながら、短く言い切る。先頭の学匠が眼鏡を上げ、素直に一歩下がった。リディアが中庭側で白旗を振り、受けの準備ができていることを知らせる。噛み合った。胸の真ん中が少し温かい。
「講師」
商務の役人が口を尖らせる。
「毎度、叫ばんでも旗で分かるのではないか」
「理想はそうです。最初の五秒だけ、声も添えます」
「嫌われるぞ」
「命と安全に関わる時だけ強く言います」
「はいはい」
俺は白の二騎へ手で「進め」を重ね、門内へ導く。中庭ではリディアが白旗で合図し、丸印で停止させる。赤の徒歩組は角で待機。重臣が横で呟く。
「二組同時は、見物だな」
「最初の五秒を、ばらばらにしないだけです」
白組を中庭へ送り込み、俺は赤組へ向き直る。赤旗を三本、小さく揺らす。ゆっくりで角を回り、中庭の別の丸印へ誘導する。導線が交わらないよう、白の通路と赤の通路に紐を張って境界を作っておいた。書記の少女がその紐に赤い布を結び直し、目印を増やす。
その時、事件。鉱山ギルドの若い男が、荷車から飛び降りて赤の通路を横切ろうとした。近道のつもりだろう。
「それ!!マナー違反ですよ!!!」
俺は手を広げて進路を遮る。若い男がむっと顔をしかめた。
「急いでんだよ。荷は重い」
「通路を跨がない。人の流れを切ると、事故が起きます。回ってください」
「遠回りじゃないか」
「遠回りでも“速い”です。詰まらないから」
若い男は舌打ちしつつ、渋々引き返した。後ろで見ていた御者が小さく笑い、肩をすくめる。胸の冷えが、またひとつ溶ける。
「講師」
リディアがこちらを向き、白旗を二本水平に掲げた。停止の合図。俺は頷き、近侍に前室の準備を目で問う。近侍が親指を少し上げる。準備完了。よし。
「順番は白→赤。前室の代表は近侍。扉で三回ノック、半身、代表が先」
白組の代表者が馬を降り、丸印で止まる。リディアが受け取り、中庭の奥へ。俺は赤組へ白旗一本を見せないように背を向け、赤旗三本を見せて進行を開始。学匠たちは静かに頷き、靴音を揃えた。
前室の手前で、白と赤の列が視界だけ交差する。ここが一番危ない。俺は白□を上げ、赤には赤△を水平。目で分かる合図を同時に出す。空気が張る。胸の鼓動が早くなる。
白が先。赤が待つ。交差点は、沈黙のまま流れた。成功。喉奥の熱がゆっくり広がる。だが、油断はしない。
前室で白組が三回ノック、半身、代表先入。近侍が短く三文を置く。重臣が要件を二つに分け、座を整える。俺は壁際で手の合図だけを使い、椅子の角度と視線の流れをそっと修正する。商務の役人は黙っている。珍しい。
その頃、中庭では赤組が丸印で停止。俺は旗を束ね、速歩で戻る。額に汗。吸って、吐く。学匠の一人が丸印の内側で本を開きかけた。
「それ!!マナー違反ですよ!!!」
強く出た。顔を柔らかくするのを忘れない。
「待ちの場での読み物は控えて。『あなたの話は聞きません』に見えます。扉が開いたら、すぐ動きますから」
「……気づかなかった。すまない」
「ありがとうございます」
学匠は本を閉じ、胸の前で両手を組んだ。姿勢が整い、空気が戻る。リディアが横目で笑う。
「言い方、今日は刺さりすぎてない」
「刺さらないよう、刃を鞘に入れています」
「カッコつけるな」
「努力してます」
白組の会談が短くまとまり、退室の合図。俺は白旗一本を軽く上げ、退路を指で示す。白は通路を戻り、中庭から門へ。そこで初めて、赤旗が二本から一本に変わる。進行。前室へ向かう足音が揃う。
扉で三回ノック、半身。代表が先。学匠たちは静かに動き、目線を俺の眉と目の間に置いた。伝わっている。胸の真ん中がじんと温かい。
会談は短く、二点に絞られて進んだ。重臣が締めを三文で置き、「次は共同調査」と言う。学匠たちが頭を下げ、退室。動線は一本。丸印は踏まれない。通路は詰まらない。
門へ戻ると、書記の少女が小さく拳を握って飛び跳ねた。
「二組、交差ゼロでした!」
「よし」
近衛隊長が短く笑い、背中を軽く叩いた。
「旗の色、効いたな」
「形を足したのも効きました」
商務の役人が咳払い。
「……押しつけではなかった。今日は認める」
「ありがとうございます」
「礼は短く」
「ありがとう」
そのやり取りの最中、荷車の御者が帽子を取って頭をかいた。
「さっきは線を踏んじまって、悪かった」
「気づいて戻れたのが大事です。次は丸の手前で一呼吸」
「一呼吸、な。覚えたよ」
小さな会話が、胸の棘を少しずつ溶かしていく。強く言いすぎた場面もあった。けれど、事故はゼロだった。最初の五秒は転ばなかった。
片付けに入る。白線の丸を布で拭き、旗の柄を確認し、紙の□と△を新しいものに交換する。指先が汚れ、手の甲に粉がつく。深呼吸。吸って、吐く。
「講師」
リディアが隣に並び、赤旗を軽く俺の肩にコツンと当てる。
「強気は四回。数えた」
「増えたな」
「でも、全部“危ない手前”で使ってる。……今日は合格だ」
言葉が胸の芯に届く。目の奥が熱くなる。俺はそれを隠すように、少しだけ空を見上げた。
「ありがとう」
「礼は短く」
「ありがとう」
風が旗を揺らした。赤△が、白□が、やわらかく鳴る。二組同時でも、最初の五秒は揃えられる。そう実感できた朝だった。
次は、雨の日。色も形も見えづらい。音の合図を足す――鈴一=進め、鈴二=止まれ、鈴三=ゆっくり。短く、分かりやすく。俺は新しい道具の準備を思い描きながら、旗を束ねて回廊へ戻った。
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