第15話◆デビル・ガール・ラプソディ
これまで見てきた異能のどれもとは次元が違う、本物の神秘。直視することすら愚行に値する、神聖なる人類の──いや、生命の宝具。
日本の国宝であり、三種の神器の一つとされる伝説の神剣。草薙剣。別名を天叢雲剣 。
スサノオノミコトによって討伐された八岐の大蛇から回収されたとされる、所謂神話の逸品だ。天皇すらお目にかかることは無いという、神宮に保管されているような宝剣が、なぜこんな所に、どうして彼女の手にあるんだ──?
疑問符はこの状況を解決する手段には成り得ない。
半魔である私ですら、アレを相手にするのは自殺行為に等しいことを理解している。
隣の伊藤先生でさえ、頭を掻き毟りながらブツブツと独り言&考え事中。
──この状況下で最も適した対処をとっているのは、私の目の前に立つ少女、カナリンに他ならない。
禍々しい剣を構えたまま、ぴたり、と敵を見据えたまま動かない。鉄で出来た人形のようだ。
……今はただ、頼もしい。
「コレを見ても、どかないんですね」
「…………」
黒マスクの悪魔は、草薙剣を構え直し、切っ先をカナリンに向ける。カナリンもまた、かの禍々しい剣を黒マスクの悪魔へと突きつけた。
「後ろの二人は気づいているみたいですが、改めて。これは草薙の剣。貴方の剣は?」
「…………、人造剣」
言った。
私は聞き逃さなかった。
人造剣。カナリンの持つ禍々しい剣の名前。
名前の由来は聞くまでもないし、想像したくもない。
私がどんな想いを抱えていようと、今はアレに頼るしか無い。……それが堪らなく悔しい。
「人造剣……ふふ、盗人と人殺し。私たちも変わりませんね?」
「…………」
カナリンは相手の挑発にぴくりとも反応しない。受け答えはしている以上、耳は正常なんだろうけど。
「無駄話でしたね。
では────ッ」
黒マスクの悪魔が踏み込む。左手に異能の鎌。右手に草薙剣。2メートルの間合いは一歩の加速でカナリンに到達する。
草薙剣の切っ先がカナリンの喉元へと一直線に伸びる。私が次に瞬きをすれば、既にカナリンの首は地面に落ちている、そんな超速。
「────ッ」
ガチ、ン。鋼と鋼がぶつかる音。耳をつんざくような重い音が結界に響いた。
私にはほとんど踏み込む瞬間しか見えなかった黒マスクの一閃を、カナリンは然と見切った上で人造剣で弾いた。
が。黒マスクの悪魔はこの一撃で仕留めるつもりだったのだろう。カナリンは草薙剣の一撃を弾いたはいいものの、その勢いに敗れ、体勢を崩す。黒マスクはその隙を見逃すわけがなく、もう一度、草薙剣を振り上げ、カナリンを真っ二つにしようとする。
黒マスクによる二撃目は、又も空振り。
巧い。カナリンは左手に持つ異能の鎌に重心を預け、その場で旋回し、黒マスクの一撃目をいなすのと同時に、二撃目を回避していた。
くるり、と身体を捻り、地面が割れるほどの一歩を踏み込んだカナリンは、人造剣による一撃を黒マスクの背中に叩き込む──!
「はァァァッッ!」
しかし。遠心力を活かしたカナリン渾身の一撃は、完全に後ろを取られたはずの黒マスクによる、草薙剣の防御で弾かれた。
とはいえ黒マスクはカナリンの攻撃を完全に防御できたわけではなく、前のめりに吹き飛ばされる。ドームの境界に衝突する──というところで身体を一回転させ、着地した。
可笑しな動きだ。
不可解な作用だ。
悪魔といえど骨格は人間とそう変わらない。彼女の動きは完全に関節を無視した動きだった。
「関節を自分で折って、弾いたか」
顎に手を当てながら戦闘を観戦する伊藤先生。
「戦闘における狂気も充分。うーむ、まじの難敵だぞ、あれ」
「い、伊藤先生も加勢すればいいじゃないですか……!」
「悪いがねぇ、ありゃ無理だ。僕がこの場で武器を作り出しても、まずあの宝剣相手じゃ消しカスみたいなもんさ。カナリンとのコンボで作り出した、あの人造剣でやっと、だ。まぁ、あと二撃も喰らえば、あの剣ももたないだろうが」
「え────」
カナリンは呼吸を整え終えて、黒マスクを睨む。彼女は落ち着いている。けれど、彼女の手に持つ人造剣は、刀身の部分……触手の巻き付いた刃が、潰れた触手と共にボロボロと刃毀れをしている。
普通の刀には見えないが、あれでは間違いなく二撃……いや、次の一撃を受け止めるだけでやっとなはずだ。
「ふぅ……次、いきますよ」
黒マスクは、ごぎり、と可笑しな方向へとひしゃげた右腕を、何事も無かったかのように元通りに戻し、草薙剣を構え直す。
三撃目。一撃目の焼き直しのように、間合いを詰める黒マスク。
先程よりも僅かに異なるのは、間合いを詰める速度だった。
超速から神速へ。
今度こそ私の目では捉えられない。私が唾を飲み込んだ時には、先程よりも大きな剣戟の声と、大きく後ろに後退するカナリンの姿があった。
黒マスクの悪魔が立ち止まる。四撃目を放つ選択をしない。まるで勝ち誇る戦士のように、結界の境界ギリギリにまで吹き飛ばされたカナリンを眺めている。
人造剣を地面に突き刺すことでなんとか体勢を崩さないまま、それでも5メートルは後方へと吹き飛ばされたカナリン。摩擦で焦げた足跡。地面を割った衝突ではなく、きっと黒マスクの三撃目によって、今度こそ崩壊寸前となった人造剣。
もはや剣の形すら保てていない人造剣を杖代わりにするように、カナリンは呼吸を整えていた。
「……ゴホッ…………」
カナリンの口から血が溢れる。人造剣を離さない右腕のブレザーが、黒色に染まっていく。
目を凝らして見れば、カナリンの右手の拳が真っ赤に染まっていく。
黒マスクの一撃を受け止めたことで、右腕が完全に壊れたのか──?
「次で終わりです。最後に言い遺すことはありますか?」
「…………」
カナリンは苦悶の声すら漏らさない。一度の咳込み以降、口から血を流しているというのに、右腕が壊されたというのに、武器を失ったというのに、逃げない、喋らない。
彼女は最期まで、鉄の人形で在ることを貫こうとしている。
奇跡を願うのは私と伊藤先生のみ。あの少女は、変えることのできない己の死の運命を、最後まであの真顔で受け入れるのだろう。
もし……あの神聖な剣で斬られたら、果たして不死の悪魔でも無事でいられるのか……?
「だめ……っ、だめ……!」
なにか。
なにかなにかなにか。
この状況を打破する方法は無いのか。正攻法じゃ駄目だ。伊藤先生ですら相手にならないというのに、私が加勢しようと小バエにも満たない役者だ。
できることなんてない。
私がここにいる意味なんて……ない。
カナリンの次にやって来る死を待つしかない。
私が死ねば、伊藤先生が死ねば、ウイは今度こそ絶命してしまう。ウイを守れる人間がいなくなる。ウイが殺される。私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで、ウイが、死ぬ。
あまりにも無謀な賭けだ。
だからこそ。
この世には〝悪足掻き〟なんて言葉が存在するんだ。
「『超超心理眼』────!」
紅色の瞳が開眼する。黒マスクの悪魔を直視する。彼女の記憶の断片を節操なく、無造作に、強欲に摘み取り、彼女の心象を舐め回す──。
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砂嵐の世界。
ノイズ音で耳も頭も壊れそう。
雪崩のような情報の中で、ノイズ以外のナニかが聞こえる。
誰かの声──?
小さな女の子だ。
手掛かりを、あの黒マスクの悪魔を打倒できるような、都合のいい道具を、探し当て────
「お姉ちゃん」
黒い瞳。
朱い腕。
裂けた口。
無数の牙。
死体の行進。
終末世界。
少女の夢。
少女の愛。
少 女 の、狂気。
お
ね
え
ちゃ
ん
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
⬜⬜⬜
「見たな……」
殺気の矛先が一瞬にして音沙汰ユイに向けられる。ユイが異能力を発動した直後のことだった。
ユイを庇うように間に入る伊藤マスジ。
「(なんだ……あの殺気は……!)」
これまでの戦闘において、黒マスクの悪魔も、カナリンも、殺気や闘志といった類が感じられなかった。
喩えるなら必然という二文字に手繰られる操り人形。
戦わなければいけないから戦う。それだけの行為であり、感情という不純物は混じらない。
しかし、黒マスクが音沙汰ユイに見せた殺気は、ドーム内の空気が全てナイフに変化したような、圧倒的な憎悪だった。
「……まぁ、見られたところで……と言えますが。しかし気分が悪くなりました。ここは撤収しましょう」
小さくこぼして、黒マスクの悪魔は草薙剣と異能の鎌を納めた。異能の鎌が消滅するのと同時に、結界が解かれる。曇天の空が見えてくるのと同時に、黒マスクの悪魔は消え去っていた。
カナリンと伊藤先生は、黒マスクの悪魔が撤収していく様を、何も言わず、否、何も言えず、ただ眺めていた。
▼▼▼
結界が解ける。屋上に出現していた紫色のドームが跡形もなく消滅した。
ドームの外に待機していたメイチャとレドルが目撃したのは、血だらけボロボロのカナリンと、気絶している音沙汰ユイと金井ウイ。その二人を介抱する伊藤マスジの姿だった。
「お、おい……一体全体どうなってんだよこりゃ……」
「またゲロ吐いてるし、親友までゲロまみれだし、おっぇー」
「メイチャ君。レドル君。事情は後で話す。とにかく救急車を呼んでくれないか」
「もー1台呼んでるぜ。人間に見られちまうのはやべぇから、先生だけは呼んでなかったけど」
「グッドだ。僕が職員室に繋げよう」
⬜⬜⬜
「あ…………れ」
目蓋を開く。真っ白な世界が眼球を焦がすみたい。白いのは意識の白濁ではなくて、真っ白な天井が視界に広がっているから──ということに気づくまでに3秒。
「やっと起きたのね。はー、ワタクシちゃんの時間、どう返してくれるワケ? ハッピーヌーン、一袋じゃ済まないけど」
聞き慣れた罵倒のおかげで、より意識がハッキリする。白いシーツ。白いベッド。緑のカーテン。私の隣に一匹の悪魔。
「レドル……みんなは?」
「ハッピーヌーン」
「3袋で手を打つ……」
「しっかたないわね」
レドルから私が気絶している間のことを聞いた。
私が過去視の能力を使ったら、黒マスクの悪魔が結界を解いて退いたこと。
そのままウイは救急車に運ばれたこと。
私は保健室に運ばれ、カナリンは血だらけの理由を答えようがないため、メイチャと共に早退し、私の家で安静にしていること。
そして、伊藤先生が色々と手を回してくれて、その他の先生たちには、突如屋上に現れた不審者にウイが襲われ、その光景を見た私が気絶した、という説明をしたこと。
「い、今何時……? っていうか、ウイは……無事……?」
「もう16時過ぎてる。あれから3時間は経ってる。良かったわね。あのエロゲ女は無事だってさ。暫く入院だけど」
「そ、そっか。良かった……!」
全身が怠い。これまでは能力を発動しても、反動は嘔吐と気絶だけだったけど、今回は身体が上手く動かないのもプラスだ。
あの黒マスクの悪魔の過去……。もうよく覚えていないけど、言葉にできないくらい、気持ち悪いのを見た、という〝感触〟が残っている。
ダメだ。思い出そうとするだけで吐き気がする。相手が悪魔だったからか。それとも……あの悪魔が異質なのか……?
「その様子だと、黒マスク相手に使った過去視の能力も、お粗末な結界だったわけね」
「まぁ……ね。ごめん」
「別に。元々期待してないから」
「ね。レドル。あの黒マスクの悪魔がね、草薙剣っていう伝説の剣を持っていたんだけど、あれはどういうこと?」
「……ワタクシちゃんも聞いたわよ。どうして持ってるか、という件については誰も知りまっせーん。あり得ないし。
ま、テミャアが起きるまで暇だから、話してやるわ。条件は──」
「もう一袋追加ね」
「よろしい。
率直に言うと、あれは幻想器と呼ばれる秘宝よ。常世のものでも、現世のものでもない、第三の世界から伝わったとされる、幻想の道具」
「え……? でも、草薙剣って八岐の大蛇のお話に登場する……伝説の剣なんじゃ……?」
「伝説は伝説でしょ。本当の事実を知る人間なんてどこにもいない。つまり、その伝説に登場する剣は、第三世界からどうにか伝わった秘宝だったってわけ。結構多いの。現世や常世に伝わる神話が、第三世界に由来するモノだってオチ」
「……でもさ。実際に、あの草薙剣って確かどこかの神宮に保管されているはずのものだよ。神聖なものだから、天皇でも目にすることはできないって。なのにどうしてあの黒マスクが持ってるの?」
「第三世界から伝わった道具や動物の類は、現世の人間では扱いきれないと、管理人たちが決めたの。だから幻想器は常世で厳重に管理されている。こっちの世界に在るのは、すり替えられたレプリカ品。ぜんぶ、ね」
「そ、そうなんだ……。で、厳重に管理されていたのに、あの黒マスクが持っていたから、伊藤先生はあんなに驚いていたわけだね……」
「そーゆーこと。盗むのもそうだし、扱いきれているって話も信じられない。あの結界術といい、相当強力な悪魔ね。ま、ワタクシちゃんには敵わないけど」
「……あれには、勝てないよ。私たちじゃ……勝てない」
「…………」
「否定しないの?」
「今のワタクシちゃんじゃ難しい。……テミャアみたいなお荷物がいるからね。ナニか対策を立てないといけないけど、まずはあのザコ達と合流しないとどうにもなんないでしょ」
「分かってる。行こう」
◆──◆──◆
意識を取り戻してから少し休むと、身体は元の調子に戻ってきた。保健室や迷惑をかけた先生たちに感謝を伝えて、学校を後にする。
今晩のご飯の食材を買いに行きたかったけど、寄り道する余力もご飯を作る気力も無さそうなので、とにかく真っ直ぐに家に帰った。
レドルと共に家に帰ると、玄関の扉を開けた瞬間に、いい匂いがした。カレーの匂いだ。そういえばお昼に食べたものは全部吐いちゃったから、お腹が減っている。
「よう、おかえり。体は大丈夫かよ」
キッチンからひょいと顔を出したのはメイチャだった。キッチンまで歩いていくと、私のエプロンをつけて、お玉を持っているメイチャの姿。
「うん。メイチャ……色々とありがとう」
「あたしらは家族みたいなもんだし、当たり前のことをしたまでだぜ。ま、その感謝の意は気持ちいいから貰っとくけどな」
「ご飯……作ってくれたの?」
「おう。あたしゃ不器用だけどよ、こーゆーあんまし頭使わなくていい料理はできっからな。ほら、寝とけ。あ、レドルは手伝えよな」
「はぁ? ワタクシちゃんは今からソファでくつろぐって決まってるんですけど」
「誰が決めたんだよ」
「ワタクシちゃんですけど」
「よし。なら手伝え。米研いでほしいんだよ。あたしがやるとどーもこぼしちまってさ」
「だぁーれがそんなメンドーなことやるワケ? いーやー」
「は、そうだよなぁ。お子様レドルは米を研げないくらい不器用なんだよなぁ」
「はァァァ!? やらないだけでできっしナニ言ってんの」
「やれないんだろ?」
「や れ る ッ」
いつもの調子の二人を見て、日常が戻ってきたことを再確認する。今日は色々とありすぎた。伊藤先生にお礼をしたり、ウイのお見舞いに行ったり、今後の対策だったりとか、やらないといけないことは沢山あるけど、今はとにかく休──あ。
「ねぇ、カナリンは?」
「ん? そういや傷がある程度回復したからおめーらのとこに行くって出て行ったっきりだな」
「…………。
私、ちょっと探してくるっ」
「え? あっ、おい!」
メイチャの制止を聞こえていなかったフリをして、私は家を飛び出した。
◆──◆──◆
太陽が沈み、月が夜を沸かす。月明かりの穏やかさは、人工物の明るさによって感じることはできない。
藤丸町は駅周辺は近代化が進んでいて、駅から少し離れた学校周辺は小さな建物が多い印象だ。
小さな公園がポツポツと設置されている住宅街を走り回って30分。カナリンは見つからない。学校にいる可能性……捨てきれないけど、私たちの所に来なかった以上、限りなく低いと思う。ナニか用事があるなら、やはり駅周辺のビル街かな。
半魔の能力のお陰で体力の回復が早く、怠さや疲れは無い。喧騒に包まれた藤丸町駅前のビル街を走り回る。
道行く人の視線が刺さる。そういえば制服を着たままだった。ウイの血がちょっぴり付いている。
そのことに気づいてからは、なるべく人通りの少ない道を選んで、カナリンを探した。
ビル街を探し回って1時間、といったところで、ようやく彼女を見つけた。
路地裏の先。パチンコ店の入り口前。携帯をいじっているカナリンに、熱心に話をかける中年の男。男が何を話してるかまでは聞こえない。
なんだか声をかけづらくて、暫く様子をみていること数分。
初めて見る、表情だ。
狙い通りの言葉を男が発したのか、カナリンは突然、クスリ、と笑って、口を開こうとする。ダメだ。彼女が次に口にする言葉はきっと──!
「ダメッッッ」
路地裏から飛び出して、男とカナリンの間に強引に割り込む私。
「だ、誰だい、きみ。お友達?」
「そ、そそそうなんです。ちょっとこれからご飯食べに行くので、それじゃあッ!」
カナリンの手を引いて駆けていく。行き先は決まっていない。とにかく二人きりで話せる場所がいい。
一般人が入れないような場所……そういえば、この辺りにまだ建設途中のビルがあったような。この時間に人はいないだろうし、悪魔の力を使えば簡単に忍び込める。
「カナリン、行くよ」
「…………」
相変わらず無言のままの少女の手を引いて、私は目的地へと向かった。
◆──◆──◆
コツン、コツン、コツン。
高所作業台の階段を登る。
「身体は大丈夫?」
「…………(頷く)」
「そっか」
建設途中のビルの屋上。完成まで一カ月前にして現場シートがかけられているビルの屋上には、作業用の階段を登って辿り着いた。
ちょっと前までの私なら、足場の悪い階段を登るなんて足が震えてできなかった。けれど、半魔になったことで落ちてもどうにかなる、という捨て身な考えを持てたことで、すんなりと登ることができた。
時刻は19時過ぎ。ビルの屋上は眼下の地上よりも遥かに寒い。気の強い夜風が私やカナリンのスカート下の素足を容赦なく襲う。
私の後ろに黙々と着いてきたカナリン。私が足を止めると、彼女も足を止めた。振り返り、彼女に向き合う。灯りが無くても、表情が見える距離。白い息が混じり合う間合い。斬ってかかるように、私は話を切り出した。
「今日使ってた人形……さ。もしかして、学校の生徒……? 元は人間なの……?」
藤高の男子生徒の制服を着た人形。人形から作られた剣の名は……人造剣。
どうか、否定してほしい。
「…………」
私のちんけで甘ったるい願いは、カナリンの頷きによって破り捨てられる。
「じゃあっ……本当にあれ、人間だったの? なら、どうしてそんなことを……っていうか無事なの……!?」
「…………無事だよ」
流石に頷くだけでは答えきれない質問だったようで、カナリンは初めて私の質問に応答し、会話が成立した。
君も貴方もブルータス。
私、レドル、メイチャ、カナリンは今後のパートナーとして能力を開示した。
だから、知ってはいた。
カナリンの能力は、自身に嘘をついた人間を様々な玩具に変えてしまう。
実際に見たことは無かったし、想像もできなかったから、あの時の人形の正体についても、理解できなかった。……いや、したくなかった。
秒読み平和会議。
伊藤先生の能力は、先生に異能の鎌について教えてもらった時に見せてもらっていた。
モノを武器にすることができる能力。道具でも生物でも、どんなものでも武器にできる。
生命力が強いほうが強力な武器を作成できるが、種類に制約がある。たとえば人間を武器にする際には、銃器は作成できないし、不格好な剣がやっとらしい。
だからこそ、カナリンは人形に再度能力を使用し、生徒を人形から剣の玩具に変化させ、それを伊藤先生が人造剣に仕立て上げた。
落ち着いて考えれば理解できる手品のタネだし、あの状況で異能力を最適に使いこなせるのは、流石だ。
でも、それは……!
「どんなに傷ついても、完全に破壊されなければ、玩具は元通りの人間になる。怪我もしてないよ。人間を玩具にしたあと、戻さなかったら、行方不明者として騒ぎになる。それはいけない。伊藤に迷惑をかける。それは、効率が悪い。必要がないこと。
……まぁ、もしあの黒マスクの悪魔にもう一撃踏み込まれていたら、あの人造剣は完全に壊れていたかもね。
けどそれは、カナが生き残るために、任務を遂行するために必要なこと」
──それはつまり。
「あと一撃でも喰らっていたら、玩具にされていた生徒は死んじゃってた……ってことだよね。
…………ねぇ、どうして……そんなことするの?」
「…………?
質問の意図が、分からない」
「だからッ! どうしてそんなことできるの。人間を道具にして、武器にして、使い捨てようとするなんて……。
さっき声を掛けられていたあの男の人も道具にしようとしてたんでしょ……?」
「ええ。いつ黒マスクに襲われるか分からないし、町を出歩く時は道具をストックしておこうかと」
「ストックなんて……」
「ますます分からない。カナも気になる。ユイはなぜ、道具に感情移入するの?」
「は……?」
「アナタがご飯を食べる時。熱いカレーにスプーンを使う。でもスプーンが熱そうで可哀想だ、なんて考えるの?」
「全然違うでしょ。私が言ってるのは〝人間だから〟だよ。能力を聞いた時にはピンと来なかったけど……今ならハッキリ言えるよ。人間を道具にするなんて、ひど、すぎるよ……!」
「ごめんなさい。カナにはやっぱり分からない。人間も、スプーンも、カナにとっては同じだから」
────。彼女は、
「あの生徒も。レドルも、メイチャも、ユイも、カナも。みんな誰かの道具。世界の道具。感情移入なんて必要ない。必要がないことは、必要がない。効率が悪い。道具の価値は、その道具の目的達成のためにしかない。死ニ噛ミとしての仕事。そのための道具がカナであって、あの男子生徒だった。それだけ、だよ」
歪んでいる。
玩具を創り上げる少女は、彼女自身も、玩具で在った。
所在不明の操り人形。
道具は道具。
必要か不必要か。
効率か非効率か。
カナリンという少女の物差しはあまりにも単純であまりにも歪なものだ。
普段、人と喋らないのは、非効率だから、か────。
「そんなの、間違ってるよ。カナリンにだって感情はあるでしょ? 苦しくないの? 悲しくないの?」
「感情はあると思うよ。でも、きっと、非効率だから、分からないし、分かる気もない。道具に感情はいらないって……分からないかな」
「分からないよ……そんなの間違ってるよッ!」
「じゃあなにが間違ってるの。教えてほしい。もしかしたら任務の遂行に必要なことかもしれない」
「なにって……。全部だよ、そんなの全部だよ。人を道具にしてしまうのは、能力だから……ちょっとは仕方なくても、使い捨てるなんて、ましてや自分自身もみんなも道具なんて、」
「答えが見えてこない。もっと具体的に言ってほしい。カナはあまり頭が良くないから」
「だから……ッ、だから……ッ」
彼女の考え方は明確に間違ってる。断言できる。だけど、その理由は、半分人間である自分にとっては当たり前のことすぎて、表現ができない。
私は半魔。人間であり、悪魔である。カナリンは悪魔。常世で生まれ、悪魔の常識と倫理観をもって育った。
このままでは話は平行線だ。
私と彼女は、それぞれ持っている常識と倫理観の物差しが、全くの別物なんだ。
「一つ……気になってた。カナは、初めて半魔とやらに出会った。ねぇ。聞いていい? ユイは悪魔なの? 人間なの?」
「え……? どっちも、だよ」
「違うよ。アナタは今、どちら側に生きているの?」
「────」
どちら、なんて。
どちらも、ではないのか。
この迷いはなんだ。
『今からあなた達は、私にめちゃくちゃにされるんだから』
『抱えきれないくらいいっぱいになってもいいよ。そしたら引き摺ってでも歩いていく。それが私の、覚悟なの』
『分からないよ……そんなの間違ってるよッ!』
私の心は……どっちの物差しなんだ……?
「どっちも、では答えにならない。
人間としての心を持って、人間として生きていくのか。
悪魔としての心を持って、悪魔として生きていくのか。
人間としての心を持って悪魔として生きるなんて、不可能だよ。不必要なものが多すぎるし、そのままでは任務を果たせずに、処刑される」
「そんなの……」
「やってみなくても、カナには分かるよ。アナタはそのままだと、近い未来、最初の任務よりももっと深い絶望に直面する。半端なままのアナタには、死よりも辛い絶望を選ぶことしかできなくて、音沙汰ユイという人間は、終わる。そんな気がする」
いじわるな例え話だ。
脈絡のない空想だ。
信じる必要なんてこれっぽっちもない。鼻で笑ってやればいい。そんなことにはならない。ならない。なら、ない。なるはずなんて、ない。
否定が……できない。
それも、どれもこれも、私が半端者だから。
「もう一度聞くよ。半魔、ユイ。アナタは一体……どっちなの?」
「私は────」
膝をつく。
冷たいコンクリートの感覚。
「…………。ごめん。ちょっと意地悪しすぎた。不必要な会話だったね。カナ、こう見えて悪い子だから。
メイチャが心配する。そろそろ帰ろう。一緒に……帰る?」
「一緒になんて、行かない」
「そう」
屋上から立ち去っていくカナリンを、私は地面に膝をついたまま、じっと、見つめていた。
◆──◆──◆
制服のことも、ウイの血のことも忘れて、一人、町を、歩く。ひたり。ひたり。幽霊みたいな歩き方。まぁ、実際幽霊みたいなモノだけど。
ぶっちゃけ、半魔という存在だから、という説明を聞いて、それだけで納得していた。そういうものなんだって考えていた。
事はそう単純じゃなかった。
『これからテミャアは、沢山の人間を見殺しにするんだから──』
『テミャアは半魔。人としての心に偏りすぎてる。割り切りができてない。このままじゃテミャアは、他人の希望や願望を背負って、自分の優しさで押し潰されて、死ぬ』
私の身体は、存在は、半分悪魔で、半分人間。だけど心は等分できない。悪魔としての物差しを持たなきゃ、これからの死ニ噛ミとしての任務は果たせず、挫折する。それは間違いないのだろう。
『ぁ……ああぁぁぁぁぁ!!!!』
『みんな、嘘つきぃ…………っ!』
──あんなことを何度も体験するなんて、私の心が保つとは思えない。
「じゃあ……どうすれば……、あ」
ふと。夜の町に似合わない女子高生の私よりも、更に似合わない存在がいた。
私の目の前から歩いてくる、小さな男の子。ナル君よりちょっと大きいってくらいの背丈。だけどあの制服……確か藤丸中学校のものだ。中学1年生か2年生とみた。
スマホとにらめっこしながら歩いているので、真正面にいる私に気づいていない。別に歩きスマホについてはどうでもいいんだけど、中学生が制服で夜の町を歩いているのは、よくはない。ここらへんのビル街の裏手にはラブホとかもあるし、怪しい大人もいるはずだ。
「ね、ねぇ君っ」
「ひぁっ」
飛び跳ねるように少年は驚いた。あまりのオーバーリアクションにこちらまで驚いてしまう。
「あ、ごめん。驚かせるつもりじゃ──」
「じ、じ、じゃぁ──!!」
制服の少年が踵を返して駆けていく。呼び止めようにも、もう聞こえないであろう距離まで突っ走っていってしまった。
…………む。
「これ……あの子のスマホ……?」
驚いたときに落としたのか、電源が点いたままのスマホを落としていってしまったみたいだ。
「届けてあげないと、だよね」
帰って親に叱られるあの少年のことを想像して気の毒になり、彼を追いかけることを決意する。そう遠く離れてはいないだろうし、半魔の身体能力を活かせばすぐに追いつけるだろう。
最悪少年が見つからなかったら、このスマホから身内や知り合いと思われる連絡先に電話をしよう。
スリープしてしまうと再度開くことができなくなってしまうため、画面を閉じないように設定しようとすると──
「え────?」
中学生らしき少年の落としていったスマホに映し出されていたのは、
自殺ちゃんねるのウェブサイトだった。




