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第13話◆それが彼と私のプロローグ

「いやさぁ、ユイの歓迎会を開こうと思って、キムチ鍋を用意してたわけさ。順調に調理が進んでたところで、鍋をひっくり返しちまってさ。

 キムチの赤色が下着にまで染み込んじまって、着替えを無断で借りるのもアレかと思って、こうして裸でいたわけさぁ。決して痴女の類いじゃないんだぜ?」


 無断で人の家に上がり込んで、無断で人の家の調理器具諸々を使うのはアレではないなのか。

 クラッカーの残骸を片付けながら「さっ、鍋もいい頃合いだぜ」とか言いながらきびきび動くのは、鮮やかな青髪にポニーテールがよく似合う女の子。

 もう一方。リビングの机にどでーんと構えてあるキムチ鍋。その鍋の前にちょこんと座っている見慣れない客人。凛とした緑髪にストレートのロングヘアーがこれまた似合う女の子。

 全裸の女性が、二人。


「あの……あなた達、誰なんですか!? こ、ここ人の家だし、っていうかどこから!」

「あーそりゃ悪い。ちょっくら窓を割って入ってきちまった。後でマスジに頼んで直してもらうから、安心してな」


「ぎゃーーーー!!」


 当たり前のように私の家の窓がぶち破られている……! ひゅーひゅー風が吹き込んでいるどうりで寒いわけだふざけるな。……っていうか真冬の風を受けて無言のままの緑髪の子はどういうことだろう。


「紹介が遅れたな。あたしはメイチャ。あの緑髪がカナリン。安心してくれ。あたし達はお前らの事情をよく知ってる同業だ。つまり悪魔。死ニ噛ミだ」

「いや安心できないんですけど……窓……窓……」

「いいじゃねぇか風通しが良くなって。サプライズをしたかったんだよ。サプライズ。どう? びっくりした?」

「そりゃもうびっくりもびっくり……」

「で、テミャアらは一体全体なにしに来たわけ?」


 ずい、と私の前に出るレドル。その言い草だとレドルの知り合いってわけでもないみたい。


「キムチ食ってからでいいだろ……って言いたいとこだけど、まぁ腹の内の見えねぇ相手と一緒に鍋はつつけねぇよなぁ。

 よし。端的に言おう。

 あたしらはお前らの監視役として閻魔大王から派遣された。

 半魔、ユイ。悪魔、レドル。お前らどーも目ぇ付けられてるらしいな」


「────」


 監視……? 私たちを……?

 ど、どうして。仕事は成功したのに……。いや、成功したから……? 


 しかし唖然とするのはまだ早かったようだ。衝撃の発言はその後に控えていたのだから。


「つーわけで。あたしらはこれからここに住む。お前らと同じ学校にも行く。よろしくなッ!」


 ニッ、と笑ってみせるメイチャ。

 カナリンはこちらをじっと見つめたままだんまり。


 …………あぁ、なるほど。

 これはあれだ。


 一回気絶したほうがいいやつだ。


「レドル、あとよろしく」

「はぁッ!?」


 バタン。


 キムチの真っ赤な匂いが充満する世界で、私の視界は真っ白になって、やがて真っ暗になった。

 どうか目が覚めたら、窓が直っていて、目の前の意味不明な悪魔が消えていなくなっていますように──。


◆──◆──◆


「よ、目が覚めたか」

「ですよね……」


 おはよう世界グモーニン。ビバ現実。目の覚めた私の視界に真っ先に入り込むのは、私の顔を心配そうにのぞき込む悪魔・メイチャだった。


「朝ご飯の支度しねぇとまずいんじゃないか? もう7時だぜ、おい」

「あー……うん……」


 すっかり同居人の雰囲気醸し出してきやがるけれど、まだ認めてないんですけど……。

 むくり、と身体を起こすと、横には寝息を立ててるレドルと、反対側にはカナリンがまだ眠っている。

 寝室に雑にもほどがある敷かれ方をした布団が4つ並んでいる。親戚の人が勝手に送りつけてきた客人用の布団だけど……こうして4つ並べると寝室が窮屈に感じる。


 窓の方も全然夢では済んでいなかったものの、ガムテープが雑に貼られていた。メイチャかカナリンが応急処置をしたのだろう。まだ寒いけど。


「お前が気絶しちまうし、レドルは一口も食わねぇから、キムチ鍋が余っちまったんだよ。どうすりゃいい?」

「それなら雑炊にしよう。朝から重いけど……まぁ野菜とかを入れてごまかせばいいや」

「よし、じゃああたしにはこいつらと布団の片付けを任せてくれ」

「あ、うん」


 昨日私が最後に見たような笑顔をするメイチャ。第一印象は明るいお姉さんって感じかな。レドルと比べて随分と協力的だ。話しやすいかも……。いやいやまてまて。昨日窓割られてるし、勝手に鍋作られてるから。


「よく分かんないな……」


 メイチャに聞こえないような小さな声で呟いて、私はキムチ雑炊を作り始めた。


「あ、そういやさ」


 寝室に戻ろうとするメイチャが振り返る。


「ウイって女の子から留守電きてたぜ」

「え────」


◆──◆──◆


「ウイ……」

「おはよ、ユイちゃん」


 私がメーコさんをぶん殴ったあの日から、ウイは学校を休んでいた。しかし、今日から復帰するという旨の留守電が入っていた。


 1週間ぶりに見るウイの顔は……


「変わってないね、ウイ」

「ユイちゃんもだよ。んー、ちょっと勇ましくなった?」

「そんなことないよ」


 失明不可避の太陽みたいな笑顔は健在。いつものウイだ。


「もう大丈夫なの?」

「うん。元気モリモリだよ! はんぺんマンの顔を3つくらい入れ替えたくらい元気だよ!」

「それじゃ串団子マンなんじゃないかな……」


 談笑を交わしながら、学校に向かって歩いていく。

 ウイがいない間の学校生活、先生の雑談話、授業で特に難しかった所、そんなことを私はつっかえながらも話していく。

 ウイはそれを急かすことなく、笑顔のまま聞いてくれた。楽しそうに聞いてくれた。話すのが苦手な私だけど、楽しそうなウイを見て、私も確かに、楽しそうに話していたんだ。


 ふと。学校まで直線100メートルくらいのところで、ウイが立ち止まる。


「ところでユイちゃん?」

「うん、なにかな」

「ずぅっと気になってたんだけどね。後ろについてきてる……レドルちゃんは分かるとして、その他お二人は……どなた?」

「あぁ、」


 ちょっと前まではウイと二人きりだった通学タイムは、随分と賑やかなものになっている。


 白髪ツインテのハッピーヌーンを齧りながらミニスカートを風に靡かせる少女。

 青髪ポニテのおむすびを齧りながら度々ストレッチをしている少女。

 緑髪ロングの今のところ登場以降一言も喋っていない文字数エコ少女。


「紹介するよ。このポニテの女の子がメイチャさん。ロングの女の子がカナリンさん。元々いた学校でちょっと問題があって、こっちに転校してきて、その間は私と一緒に住むことになったんだよ」

「レドルちゃんも同じ理由じゃなかったっけ」


 ……こーゆー時のウイの記憶力は流石だ。うむ。一言一句同じ言い訳をしました。だけどこれ以上いい理由も見つかりませぬが我がIQ。


「とにかく、そんなわけだから。これから一緒に登下校することになると思うけど、いいかな?」


「…………」


 あれ。なんだろ。ウイは無言でメイチャとカナリンを見つめてる。


「もちろんだよっ! よろしくね、メイチャちゃん、カナリンちゃんっっ!」

「あぁ、こちらこそよろしくな」

「…………」


 ぎゅっと二人に握手をするウイ。よかったよかった。やっぱりカナリンは何も喋らないみたいだけど。


「テミャアら無駄口ゲボゲボ叩いてると遅刻しちゃうよ。走るとか体力無駄なことしたくないから、ワタクシちゃん先行くね」


 気づけば歩き出していたレドルを追いかけて、私たちは学校へ向かった。


◆──◆──◆


「おっす。メイって呼んでください。こっちの女の子はカナって呼んでな」


 12月の半ばにまさかの転校生3人目。

 しかも漏れなく美少女ときた。男子諸君は嬉し涙を通り越して悟りの血涙を流している。

 女性陣はというと……バラバラ、かな。レドルから1週間空けての2人の女の子の追加に素直に女子トークの輪を広げられることを喜んでいる女子、青春真っ只中で恋愛を戦と考えいるのだろう女子からは、敵を値踏みする視線。

 このクラスは、以前いじめをしていた三人組以外は穏やかな子が多いので、問題に発展することは無いと思うけど……。


「おう、よろしくな」

「あ、はいぃ……」


 男子の隣に座るメイチャは、ウインクをしながら、


「お前、顔男前だな。モテるだろ」

「いや、そんなこと、ないっすよ……へへ」

「んー? そうなのか。悪いこと聞いたな。けどそりゃ周りの女子にセンスがねぇんじゃねぇのか?」

「は……はぁ……っ」


 うわーあれ勘違いさせる系女子の典型だ。男の子の方は顔を真っ赤にして本気だもん。

 カナリンは……


「…………」

「ねぇねぇお隣だねっ。カナちゃんの髪めちゃ綺麗っ! ね、どんなヘアオイル使ってるの?」

「…………」

「もしもーし」

「…………」


 うわぁ。無視だ。隣の女子の質問に答える気が無い……っていうか聞いてすらもなさそう。お人形みたいに姿勢良く前を見て硬直中。隣の女の子はヤバい奴だと判断して話し掛けるのをやめちゃった。

 ちなみに我が家にヘアオイルなんて無いし、高いリンスとかも無いので、カナリンの髪の毛は生まれつきの艷やかさなんだと思う。ずるい。


 余談。レドルは心底退屈そーに飴を舐めている。舐めるというか、スナックみたいに1個ずつ噛んで食べている。あの調子だと1限が始まる前に1袋無くなりそうなんだけど。誰の出費だと思っているんだろう。


 朝のホームルームの時間が終わると、男子組は熱い推し決定戦。女子組は冷酷な陰口合戦。

 一応三人には私と住んでいるってことは隠すように頼んでいるけど、わ、私も輪に入りたいし、いっそぶちまけ……いや、やめとこう。どうせろくなことにならない。


◆──◆──◆


 お昼休み。体育館横の教師待機室。なんだかココが悪魔たちの作戦会議室みたいになっている。伊藤先生以外の先生は空けている事が多いので、必然とそうなるのだけど。


「こうも美しい花に囲まれてしまうと、興奮を抑えるなっというほうが暴論に近いと言えるよねぇ……」

「いや、充分正論ですね」


 待機室の先生用の机に座る悪魔たち。身体をくねらせながら私、レドル、メイチャ、カナリンさんの分のお茶を用意してくれる伊藤先生。


「メイチャ、カナリン。君たちは学校に馴染めたかな?」

「もうばっちり。ユイが案内してくれたしな」


 隣に座るメイチャが、私の肩を力強く掴む。けっこー痛い。


「あの、さっそくいいですか」


 私は大きく手を挙げた。お誕生日席の位置に座る伊藤先生が、話してみなさい、とウインクをする。きもい。


「ようやく腰を据えて話せるので、ちゃんと聞きます。メイチャさんとカナリンさんは、どうして私たちの監視をするんですか?」

「とーぜんの質問だ。包み隠さず答えるぜ。答えは〝あたし達にもよく分からん〟だ」

「なるほど! それなら──ってなるかそれぇっ!?」


 立ち上がってビシッと指をメイチャに突きつける。


「まてまて大マジなんだぜこれでも。お前は知らねぇと思うけど、閻魔大王ってひょろっと現れては大切なことは何一つ説明せずに、命令だけちょろっと言ってすぐどっか行っちまうんだよ」

「…………っ」


 レドルに視線で問いかける。レドルは頷いた。伊藤先生も「そうだねぇ」と頷いていた。


「ただ、こう言ってたぜ。


『面白いものが見れるから、手伝いも兼ねて監視よろしく』


 ってな。ほら訳わかんねーだろ」


 面白いもの……? 私? それともレドルのこと? ダメだまったく分からない。


「少なくともお前らは死ニ噛ミとしての仕事を一件クリアした。正式な死ニ噛ミの一員だ。仕事に不手際や不正があったから、何か疑われてるってわけじゃあない。これは断言できる」

「そ、そうですか」


 こちらを真っ直ぐと見るメイチャの瞳は真剣そのもの。嘘はついてないと思う。

 まぁ、これで最悪な発想は否定されたと言える。地獄送りは回避されたみたいだ。


「監視つってもさ。重っ苦しいもんじゃないよ。そもそも死ニ噛ミの新米に、先輩悪魔が手伝いに入るのはよくあることだ。それが半魔とかいう悪魔としての生活すらも新米なら、二人ついたってどっこいなもんよ。

 報告書書かせるわけでも検索履歴を引っこ抜くわけでもねぇ。ただ死ニ噛ミとして共同生活をする。それだけだ」

「…………。それなら、よろしくお願いします。まだまだ分からないことだらけですし、レドルや伊藤先生だけだと頼りないので……」


「にゃんだって?」

「心外だなぁ」


 こめかみに血管を浮き上がらせるレドルと、残念そうに溜め息をつく伊藤先生。私の嘘偽りない本音である。


「うし。こちらこそ、だ。あとさ、敬語とタメが行ったり来たりしてるぜ。あたしらはこれからパートナー。いや、同じ学校で過ごす同級生だし、同じ屋根の下で飯を食う家族だ。タメにしようぜ」

「……うん。よろしく、メイチャ」

「よろしく、ユイ」


 握手をする私とメイチャ。やっぱりメイチャの力は強い。多分悪意とかは微塵もなくて、加減を知らないんだと思う。


「カナリンも、よろしく」


 ダメ元で手を差し出してみる。無視されるかな……と思えば、


「…………」


 返事はないものの、握手は返してくれた。大人びた見た目だけど、なんだか小動物みたいだ。


「カナリンとあたしは長いパートナーなんだが、こいつはずっとこんなだから、気を悪くしないでくれ」

「うん……。

 ほら、レドルも挨拶しないと」

「手伝いを頼んだ覚えなんてないんですケド☆ 家は狭くなるし煩くなるし、これで仕事の足引っ張られたら、どうしてくれようかなぁ」

「なんつーか、変わったよな。レドル。噂には聞いてたけどさ。あんまり無理しない方がいいぜ?」

「はァ? テミャアがワタクシちゃんのナニを知ってるってワケ? 知ったかキモすぎて吐き気するから、そのポニテで型取ってドーナツ作って献上しなさいよね」

「ははっ、こりゃ傑作だな」


 レドルの罵倒パレードに怯むことも怒ることもなく、カッカッカッと笑い飛ばすメイチャ。


「? 二人って知り合いなの?」

「いや、別に、な。レドルが一方的に有名だっただけさ。この話は長くなるから、又の機会に話すさ」

「う、うん」


 ──そうして、最後に伊藤先生から次のターゲットの指定があり、お開きとなった。


 メイチャとカナリンはお手伝いと言っても私たちとターゲットは別。パートナーというのはあくまでお互いの任務の手助けをするのであって、一人のターゲットに四人の悪魔で対処するなんて非効率的なことはしないみたい。

 それでもちょっと安心した。家は狭くなるし、食費もかさむけど、常世や悪魔の勝手について知っている人が身近に増えるのは心強い。


『あぁ、そうそう。大事なことを言い忘れていたがね。地獄送りを回避したからと言って、死ニ噛ミの仕事は終わりじゃない。使えないものは処刑されるのが悪魔の常識なんだ。半魔である君もその例には漏れない。せいぜい、頑張りたまえ』


 さらっと言うには酷すぎる追加情報/後出しジャンケン。


 薄々そんな覚悟はしていたけれど、改めて言われると頭が痛かった。


 でも──やるしかない。


 ウイと少しでも長く居るために、私は足掻いてみせる。


 頑張ろう──。


 前向きな気持ちで、主人公っぽく女子トイレの鏡の前で拳を握った瞬間、5限の鐘が鳴り響く。


 遅刻である。


◆──◆──◆


 帰り道。私とレドルの二人きり。

 ウイや悪魔の二人には事情を(嘘も混ぜて)説明して、寄り道をするから、と別行動。


「レドル、今から行く場所分かってる?」

「テミャアの記憶力と同レベルで語らないでくれない? 分かってるに決まってるでしょ。

 ……はぁ。次のターゲットについて考えないといけないってのに、どうしてこう寄り道ばかりするのかなぁ、テミャアは」

「寄り道じゃないよ。その言い方をするなら……道《お話》とやらは終わってないもの」


 山岡団地は入り組んでいて、迷路のような構造だ。最初に来たときには地図とにらめっこしながら悪戦苦闘したものだけど、もう迷うことはない。

 目標のマンションに着いて、エレベーターはないので、階段を登って、3階。302号室。


 ピンポーン。


『…………』


 もう一度。


 ピンポーン。


『……はい』


 ナル君の声ではない。若い女性の声だ。少し威圧感がある。


「あの、マキの友達なのですが」


『あぁ、お友達の……。ごめんなさいね。今立て込んでいますから』


「……そうですか。でも、お願いします。ナル君と話したいんです」


『気持ちは分かりますけどね、ナルくんの気持ちも考えて上げてくださいね』


 ブツ。


 なるほど。昨晩交通事故で姉が亡くなり、母はろくに連絡がつかず、如何せん残されたのが小学校低学年の少年一人ときたからには、保護している警察の方も孤児院の方も苦労しているのだろう。正攻法じゃ入れてくれない。


「レドル」

「はぁ。このためにワタクシちゃんを連れてきたってわけね。いいゴミ分ね、ほんとに」

「まったく違う。あなたも当事者でしょうが」

「…………『合言葉は完全犯罪(ロックェン・ロール)』」


 レドルは能力を使用し、扉の鍵を開けた。私はすぐに扉を開けて中に入っていく。

 玄関を抜けていくと、女性警察官が一人と、綺麗なワンピースを着たおばさまが一人。多分孤児院とかの施設関係の人だろう。

 そして。二人に囲まれている──体育座りをした少年、ナル君。


「ちょ、あなたどうやって中に──!」


 警察官が私に詰め寄ってくる。


「あ、いえ、開いてましたよ。普通に。ごめんなさい勝手に。でも私たち、ナル君と話したくて」

「あなたたち……ねぇ、」


 と。私の声にナル君の耳がぴくりと震えた。


「おねえ……ちゃん?」


 ナル君は顔を上げた。どうやら顔を上げることすら久しいことだったようで、警察官と施設の人は目を丸くしたいた。

 警察官の人もなにやら察しがついたようで、顎に指を当てて、少し考え込んでから、言った。


「分かりました。10分だけわたし達は部屋を空けましょう。時間経ったら、帰ってもらうよ。申し訳ないけど、ちょっと色々と立て込んでるからね」

「分かってます。……ありがとうございます」


 施設の人も納得したようで、ナル君に優しく声をかけてから、私とレドルの横を通り過ぎて部屋を出ていった。警察官も私に頷いてから、部屋を出ていった。


「…………ナル君」

「お姉ちゃん、死んじゃった」

「…………」

「うそ、つき。うそ、つき。うそ、つき。うそ、つき。うそ、つき。うそ、つきぃ。うそ、つきぃぃ……!」


 体育座りをしながら、だん、だん、と手で床を殴るナル君。


「看病するからって、言って、たのにぃ……。みんな、嘘つきぃ…………っ!」


 涙が床に散らばる。

 彼の言うみんな、とは。

 お父さん、お母さんのことだろう。様子を見るに、ナル君のお母さんはここに帰ってきていないようだし。

 私は彼に掛ける言葉が見つからなかった。彼を勇気づける言葉はどれも陳腐でお粗末で、なにより〝嘘つき〟そのものなような気がした。

 後ろにいるレドルの方を見やると、平然とした顔──をしているようだけど、拳を強く握り締めている。ナニかを、堪えるように。


「ほんとは……スマホで調べて……知ってたんだよ。お姉ちゃんが夜どんなバイトをしているか。いや、お金稼ぎをしているか。メイド喫茶や劇場のお手伝いじゃない、知らない男の人に……変態なことをしてお金を稼ぐって……。

 お姉ちゃんも……嘘、ついてた……」

「それは、」

「わかっ……てるよ。ぜんぶ、僕のためだもん。僕のために、お姉ちゃんは、お姉ちゃんは自分のことなんかどうでもいいって、僕のために、僕のために……っ、僕が、弱いから…………ッ!」


「ナル君ッッ!」


 これ以上は耐えられなかった。

 何度も床を殴るナル君の正面に座り込んでから、私はナル君を抱き締めた。


「…………ッぁ」

「弱いのなんて、当たり前だよ。ナル君。みんな弱虫なの。ナル君も、ナル君をいじめる人も、そこのレドルも、目の前にいる私も、マキさんだって、そう。弱くて弱くて弱っちくて、弱虫泣き虫、でも、見栄張って、頑張るの。マキさんはナル君のために、沢山お仕事を、頑張った。

 ナル君に幸せになってほしいから、頑張ったの。ナル君の見えない所で、沢山泣いて、弱音吐いて、頑張ったの。その気持ちは、愛情はね、嘘じゃない。嘘じゃないって……ナル君だって……気づいてるよね」

「………………………うん」

「みんなみんな嘘つくの。ひどい嘘をつく人も沢山いる。でも、マキさんみたいに、優しい嘘をつく人もいる。ナル君みたいに、お姉ちゃんの仕事のことを、お姉ちゃんを気遣って、気づかないふりする優しい嘘つきも、いる」


「…………ぅ、うぁ。でも、お姉ちゃん……もう、いないし……。僕は……これから、どうすればいいの。お姉ちゃんと、暮らせれば、それで……良かった、のに……ッ、」


 ナル君の涙が私の肩に染み込んでいく。熱い。熱い。熱い。心が火傷をしてしまうくらい、熱い。


「生きてる意味が、見つからない」

「──────」


 どくん、と。

 心臓が痛む。

 私が何度も口にした、呪詛のような、あの言葉。




『みんなほっといてよ、誰か早く私を殺してよッ! なるべく痛まないやり方で……殺してよ、殺してよッッ!!』


『死ぬ価値がないから、テミャアら人間は生きてんの』




「生きてる意味なんかいらないんだよ。嘘つきばっかりの世界で、そうそう見つかるものじゃないもん」


「…………じゃあ、」


「でもね、死ぬ意味は一生かけても見つからないよ。だってこの世界に、そんなモノは存在しないから」


 もう一度。

 私はナル君を強く抱きしめる。


「生きる意味とか見つけなくていい。生きることに価値とか計らなくていい。

 ナル君。あなたに死ぬ価値なんて微塵もないんだよ。

 だからね、マキさんがナル君を愛してくれたこの世界を、もうちょっとだけ、生きてみようよ。

 辛いことも嫌なことも、悲しいことも、そんなことを思い出すことも、沢山あると思うけどね、その分だけの幸せが──きっと待ってるはずだから」


「……………」


「そうすればさ。きっと天国にいるマキさんの幸せも、ずっと続くと思うんだ。どうか……な?」


「………………。

 ………………。

 ………………。


 嘘……じゃない?」


「約束する。指切り、しよ」

「…………う、ん」


 ナル君の小指と私の小指が絡む。


「「ゆびきりげんまん うそついたら はりせんぼ──」」


 そこで私が言い淀む。


「お姉ちゃん?」

「針千本じゃ足りないかな。お姉ちゃん、ちょっと変わってるから。もし嘘ついたら──」




「「うそついたら 地獄行き 指切った────」」




 彼《彼女》との約束なら、喜んで地獄への切符を切ってやるとも。


 約束の時間が過ぎた。

 私たちは部屋を出ていく。

 最後の最後までナル君は涙を流していた。でも、これからいつか、涙を拭いながらも、彼は自分の人生を進んでいく。自分の幸せに出会う。


 マキさんの分まで、いや、もっともっと倍くらいに、ナル君は幸せになる。


 過去しか見えないはずの私だけれど、何故だろう。彼のそんな〝未来〟が、今に見えた気がした────。


◆──◆──◆


「言ったでしょ。これから何十人、何百人、何万人っていう人を見殺しにするんだよ。テミャアは。毎度毎度……、こんなことするつもり?」


 夕日は暮れかけ。満ち欠けの月が顔を出す、夜への境界線の上。

 私とレドルは並んで帰る。


「うん。そのつもりだよ」

「そんなことしてたら、テミャアの心が、死ぬよ」

「嫌だなぁレドル。私はもう死んでるでしょ?」

「冗談言ってるんじゃないんですけど。テミャアは半魔。人としての心に偏りすぎてる。割り切りができてない。このままじゃテミャアは、他人の希望や願望を背負って、自分の優しさで押し潰されて、死ぬ。分かってる?」

「怖くないんだよ」

「────」

「抱えきれないくらいいっぱいになってもいいよ。そしたら引き摺ってでも歩いていく。それが私の、覚悟なの」

「…………。

 あっそ……。好きにすれば? ワタクシちゃんは手伝わないけど、さ」

「うん。手伝わなくていいよ。でもその時は、今日みたいに、隣で見ていてね」


 私がにっこりと笑うと、レドルはぷいっと他所を向いてしまった。


「なんだ、そんな可愛い顔できるんだな、お前」


 私たちの行く手を阻むように仁王立ちしていたのは、腕組みをしたメイチャと、その後ろでボケっとしているカナリン。


「二人とも……」

「て、テミャア……っ!」

「事情は知った。ユイ。お前、すげぇやつだな」

「えぇ?」

「色んな死ニ噛ミ見てきたけどさ、お前みたいなやつは初めて見たよ。うん。その覚悟、気に入ったぜ」


 ガシッとまたまた強く肩を掴まれる。痛いってば。


「一緒に頑張ろうな」

「いやー……ははは」


 真っ直ぐに褒められることに慣れてなくて、私は頬をポリポリとかきながら下を向いちゃうのでした。レドルとの感情共有のせいだな、うん。


「よ、よし、じゃあメイチャとカナリン、あとついでにレドルの分もってことで、歓迎会開こうか。今日は豪華な献立にしちゃおうかな〜」


 なんて調子に乗ってみたり。


「ついでってナニ!?」

「おっ、景気がいいねぇ。っとなったら買い出しかぁ。パーティーだなこりゃ。そういえばカナリン、さっきのレドルの顔はバッチリ撮れたか?」


「…………」


 カナリンは無言のまま、コクリ、と頷いた。


「テミャア……! け、消せ! ナウ! ナウで消せぇッ」


 ……半魔一人と悪魔三人。死神もどきたちの帰り道は、町の喧騒に溶け込んでいく────




⬜⬜⬜


 藤丸町。藤丸町駅前に並ぶ、近代化の進んだビル群の一つ──霧矢ビルの屋上に、人影が二つ。


「足りてないと思うの。ユイにはもっと……悲しんでもらわないと、困るの。絶望してもらわないと、困るの。でも、殺したときの表情はゲットしちゃったし……」


 ビデオカメラの液晶には、心臓を刺された時のユイの表情が映し出されている。


 何枚も、何枚も、何枚も。


「っとなったら外部よねぇ……」

「主様」


 夜に溶け込む黒コート。夜に流れる黒髪のベリーショート。夜を覗く青い瞳。黒マスクの悪魔は、主に口を挟もうとするが、


「口答えしないでよ」


 主様の答えは至ってシンプルだった。


「アナタはもっぱら悪魔側に手を下したいんでしょうけど、ユイにはあんまり効果無いよ、それ。

 最優先はユイ。ユイを苦しめること。その目的に適しているのは、一人しかいない」


「金井ウイを、殺すのですね」


「分かってるじゃん。分かってるなら、さっさと──あぁ、そういえば来週ってクリスマスだっけ。




 じゃあ、クリスマスに最高のプレゼントを用意しましょう?




 ハー、待ちきれないんだから。




    待っててね、

       ユ イ ♡」

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