第12話◆それが彼女のエピローグ
「やっぱイヤ……」
「何言ってるの。ほら、早く着替えて。これが失敗したら、死ニ噛ミの仕事は失敗しちゃうんだよ。そうなれば、私は地獄行き。あなたはネームの締め切りがどうたらこうたら」
「ネームバリューッ! 誰が漫画家になったっての。こんなダッサい格好……」
「伊藤先生が教えてくれたでしょ。ラブホの受付を私たち高校生が、深夜に、通り抜ける方法……それは……!」
⬜⬜⬜
ラブホテルの一室に、鈍い音が響いた。あたしからしてみれば、カセットテープに録音してテープが伸びるくらい聞き返したいほどの、気持ちのいい音だった。
「どういうつもりだ……? しゃぶるのはキミの得意分野だろ……?」
「あんたの汚物なんてゲロを固めた蝋みたいなもんよ。もう、まっぴらごめんなの。もう一回殴らないと、分からな──がッ」
言い終わる前に、小泉はあたしをベッドの上に押し倒した。
「離して……ッ、暴力は振るわないんじゃなかったの……っ」
「滑ってしまっただけだよ。くく、せっかく甘えたプレイがしたいって聞いたから化粧も落としたのに……今日は乱暴しようか……」
「いや…………ぃ、や」
⬜⬜⬜
「いらっしゃいませ。二名様ですか?」
「「はい」」
このラブホテルは有人受付なので、年齢確認諸々は避けられない。
マキさんは〝パパ〟が上手くごまかしてくれるって言ってたけど……。
私たちは伊藤先生になんとかしてもらった。サポート専門の悪魔ということで、偽造身分証を当たり前のように作ってくれていたのは、ちょっと恐いレベルの手際の良さだった。
あとは、私たち自身の見た目と、演技。
「ふふっ、楽しみだわね。今日も熱々のプレイを嗜みましょう? ザラボさん?」
「ハイ、タノシミ、デスネ」
大根役者にもほどがある棒読み演技をするレドルを注意するため、私は私の太ももをつねる。
(いだ……なにすんのよ!)
(棒読みすぎ……っ、怪しまれる!)
(ザラボってなによ。ビーズソファ? ウル◯ラ星人!?)
(いいからちゃんと演技して!)
伊藤先生から提案されたのは、熟女のレズビアン演技。黒ハットに黒コートを着る私と、赤眼鏡にグレーのダウンジャケットを着るレドル。伊藤先生の用意したコスプレである。まじでなんなんだあの人。
「えーと……、コースは、どちらに」
困惑しつつも丁寧に対応してくれる男性スタッフさん。レドルは渋い声色で答える。
「あぁ、これでお願いします。よろしい、わね? ボランゴさん?」
「ぶ」
(笑ってんじゃないわよ!)
(なにボランゴさんって。モン◯ンのモンスター!? 笑わせようとしてるでしょ)
(だったらテミャアのザラボだって!)
「お客様?」
「「なにっ!?」」
「か、鍵を……どうぞ……」
「「……どうも」」
⬜⬜⬜
ギシギシと揺れるダブルベッド。毛布はどっかに飛んでいった。枕もどっかに飛んでいった。
押さえつけられるあたし。押さえつける小泉。バイトを掛け持ちした末に手に入れた筋力が、ここにきて真価を発揮しているとみえた。
「ほら……抵抗するな……ッ、キミは、俺の言う事を聞いておけばいい……!」
「いや……だ、もう……あんたの言う事なんか……っ!」
──ふと、思う。
本当に音沙汰ユイやレドルとかいう凄腕ピッキング女子高生とやらは来てくれるのか。
この嘘つきばかりの世界で、あの夜に交わした握手が真実だと、誰が証明できる?
如何なる理由があれど、あたしはユイをいじめたんだ。そんな彼女が、親切にあたしを助けに来ると思うか?
占い師の話だってにわかに信じられない話ばっかりだった。あたしには見抜けないトリックで、あたしを騙していただけなんじゃないか。
嘘つき。嘘つき。嘘つき。
あいつも……嘘つきなのか。
学校で出会った時の、この教師の優しさが嘘であったように。
父さんの嘘。
母さんの嘘。
あたしの嘘。
また、あたしは騙されているんだ。
ナル、ごめんね。こんな、どうしようもない、お姉ちゃんで──、
抵抗する腕や足の力が弱まる。そのことに気付いた小泉は、余計に力を入れて、今度こそあたしを犯そうとする。
瞬間。
「『合言葉は完全犯罪』」
バタン、と。部屋の扉が勢いよく開き、黒色のハットを深く被る、2名の不審者が登場する。客観的に見ればあたしの目の前の変態に加えて不審者の仲間入りと、史上最悪な状況極まりないが、あたしが顔に浮かべるのは、久しい笑顔だった。
「針を千本飲まされるなんて、それこそ地獄行きと変わらないもの。嘘なんか、つかないよ。マキさん」
⬜⬜⬜
「誰だ……キミたち」
「お前は誰かと聞かれたら……答えてあげるのが世の情け。私は、探偵……」
「ザコなんだから自滅する前にさっさと仕事しなさい──よ」
ドガッと効果音が聞こえそうなほどの軽快な蹴りを背中に受けて、男──小泉先生の前へと転がる私。帽子も落とした。
「む……キミ、2年の音沙汰か……? なぜここに……?」
「レドル」
「言われなくても」
カシャ、カシャ、とあえて先生が状況を飲み込みやすいようにシャッターの音をオンにして、スマホのレンズを先生に向ける。
「なにを……」
「証拠はおさえました。もちろんこれは、学校や警察などなど、然るべき人達に見せるつもりです。私は親切なのでハッキリ言いますけど……終わりですよ、小泉先生」
「な……、な……」
「ついでにマキの全裸も撮っておこうかなー☆」
「レドル。今はふざけないで」
「つい数十文字前のテミャアに言ってみなよそれ」
「な……そんなことが、許されて、」
小泉先生は、ワナワナと震えだしたかと思えば、
「たまるかぁぁぁッッッ!!」
今度は私に向かって飛びかかってきた。
「────」
別に私は格闘技の類も護身術の類も習っていないし経験もない。心臓も飛び跳ねて踊りだしそうなくらい恐怖しているし、焦っている。
1秒後。私の選択で、私は終わる。私共々みんな先生に犯されてしまうかもしれない。
極限の緊張感。
時間感覚の傾斜。
遅延する視界情報。
レドルと契約したことにより、常世とのパスが繋がった私は、常世に存在するエネルギー源……瘴気をレドルを通して取り込んでいる。
私の身体を侵食する未知のエネルギーは、私の生命としての寿命を確実に削っていくものの、人間ではあり得ない身体能力の獲得に成功している。
深く考えなくていい。
少し大きな小バエが目前に飛んできて、少々驚いてしまったものの、すぐに手で払ってしまう。
書き換えはこの程度。
ものの1秒の妄想時間。
──うん。
逃避の類は、得意分野なのだ。
私の右手の裏拳が、小泉先生の頬にクリーンヒットすると同時に、先生は重力の関係を無視するように真横に吹き飛んだ。
ベッドに吹き飛ばされ、シーツに顔をうずめている小泉先生。首の骨は……折れてないことを祈っておく。
「ハ、ァ……。
よかったぁ、上手くできて」
「あんた……やったんだね。こいつ、倒したんだね」
脱ぎ捨てられた(多分先生に無理矢理脱がされたのだろう)服を拾いながら、マキさんがこちらに寄ってくる。
「うん。結構痛かったと思うし、気絶してるみたいだから、今のうちに手足でも縛って──マキさん?」
「こいつは……ここで……死ね!」
小泉先生に飛びかかろうとするマキさんを、私が必死に制止する。……このままでは、彼女は先生の首でも絞めて、殺してしまうかもしれない。
「仕返しは、もっと別のにしようよッッ」
「離して、こいつを殺さなきゃ……気が済まない……!」
「悪いけど、あたしはあなただけに肩を持てない。お金ももらってたんでしょ。黙認してたことも沢山あるでしょ。被害者面だけを……あなたには、させない……!」
「…………ぅ、うぅぅッ!」
瞳に涙をいっぱいに溜めながら、行き場のない怒りを私の肩を引っ掻いたりして、なんとか抑え込もうとしているマキさん。そうだ。それでいい。これ以上、最低な人たちの真似をすることはない。真似……真似……?
「自分自身なら、いっか」
「はぁッ……はぁ……ッ、ごめん、取り乱した。で……今なんて言った?」
「いいこと思いついたよ、マキさん。大事にせずに、先生に仕返しする方法」
◆──◆──◆
「ワタクシちゃんをパシリにさせるとか、まじであり得ないんですけど」
「ごめんね。でも、先生を見張っておくのは二人じゃないと安心できなかったから」
「む…………」
と。レドルが私の指定した〝おつかい〟から帰ってきたところで、小泉先生が目を覚ました。
「なに……を……」
「小泉。あんたさ、特殊なプレイ、好きだったよね」
「…………あぁ、それが……なんだ……その、バケツは」
私とマキさんで、白い液体のたっぷりと入ったバケツを、先生の顔面の前に構えた。
2パック分の牛乳である。
「「せーのッ!」」
バシャァァァン!!
先生の顔面にぶちまけられる役2リットルの牛乳。散々マキさんの顔面に汚い白濁液を撒き散らしてきた男の、なんともみっともなく、これ以上無い相応しいオチといえる。
「牛乳代は、こっちもちでいいですよ。それじゃさようなら。先生」
そう言い残して、部屋を出ていくマキさんだった。
◆──◆──◆
変装をして受付を済ませて、ホテルを出ていく私たち。
「ハー、スカッとしたー!」
「ですね!」
「ずぅっと気になってたけどさ。敬語やめてよ。同級生なんだし、さ」
「……うん」
夜の11時を過ぎている。高校生は補導されてしまう時間だ。こんな怪しい変装姿で警察に目をつけられたらおしまいなので、人気の少ない道を通って、お互いの家を目指す。
横並びに歩く、私とレドル、マキさん。
「虫がいい話かもしれないけどさ、改めて、謝るよ。それに今度、メーコとマヒロも引っ連れて、三人で、あんたに謝るよ」
「い、いいよ。あの二人からは、一応生徒指導室で謝ってもらってるし」
「あいつら態度悪かったでしょ」
「それは……まぁ……」
生徒指導室での光景を思い出す。うむ。私に謝る二人の顔は、なんとも歪んでいた。主に怒りや憎しみの類で。
三人で、か。
「あとさ。これは本当に余計で、きっぱり断ってもらってもいい、あたしのワガママなんだけどさ」
「うん。なにかな」
「あたしにもしものことがあったらさ、ナルのこと……気にかけてあげて、くれないか」
「え…………」
なぜ、その発言が飛び出てくる。私とレドルは思わず顔を見合わせる。レドルは首を横に振った。私も思わず首を横に振る。
私もレドルも、彼女に今日のことを伝えた記憶はない。占い師として『不幸なこと』とは言ったが、死ぬとは思うまい。
「まぁ唖然とするよね。何を勝手な……って」
「いや、そんなつもりじゃ……」
「なんかさ。あたしの人生、もうそんな長くないんじゃないかって思えてきちゃったんだ。ふふ。小泉を倒して、ハッピーエンド、なのにね」
「…………」
「ごめんね。忘れて」
「忘れない」
「え?」
「いいよ。守る。その約束、ちゃんと、守るから。破ったりしないから」
私は足を止めて、マキさんに向き直る。彼女の目を見つめて、
「私は嘘つきじゃないから」
そう言い放った。この言葉がどれほど彼女にとって重いものかは、彼女の過去を直接観た私だからこそ、感じ取れる。
でも、言った。
背負おうと、思ったんだ。
「あんた──」プルルッ。
マキさんのスマホから、愉快な音が鳴る。
「ごめん、ナルからだ」
ナルくんからの着信だったようで、スマホ画面をタップしてから、マキさんは電話に出た。「うん、うん」と頷く彼女の表情が曇っていく。良いニュースでは無いみたい。
「すぐ行くからね」
──そう言って、突然、マキさんは駆け出した。
あぁ、これは──
「ごめん。ナルが体調崩したって。声からしてヤバそうだから、あたし行くわ、また明日──!」
「待って──っ!!」
彼女に明日なんて、無い。このまま路地裏を出れば、彼女は、死ぬ。
「マキさん……その……」
しかし、彼女をここで止めたら、私も、死ぬ。
私は、私は────!
「ありがとう、ユイ」
最後にこちらに振り返って、マキさんは、にっこりと笑った。そのまま走り去ってしまう彼女の背中を、しばらく見つめていた。
「…………」
「……なにボサッとしてんの。追いかけるよ」
「え? でも止めるわけには……」
「違う。確認しないとでしょ。バグは修正されたのか」
◆──◆──◆
マキさんを追って、駆ける。半魔になったことで得られた脚力によって、彼女に追いつくことは容易だった。
マキさんの姿が見えた時、彼女は──信号を渡るところだった。
きちんと、青信号。通行可能の表示。彼女の行動は、世界単位で間違っていない。
そこに迫りくる1台の車。ずん、ずん、と音楽が漏れ出ている。集中なんかこれっぽっちもしていないのだろう。信号に気づいていない。
きちんと、赤信号。通行不可の表示。運転手の行動は、常識で言えば間違っているが、世界のプログラムからすれば、間違っていない。
「マキさ────」
ドォォォンッッ!
衝撃音。急ブレーキの音。がやがやと人が集まっていく音。
私はゆっくりと……その現場に近づいていく。
ボンネットやフェンダー前部が小さく破損している〝だけ〟の車から、数メートル先。人形のように吹き飛んだソレは、街灯によって照らされた、血溜まりの上で……仰向けに横たわっている。
頭を激しく地面に激突したのだろう。ついさっき私に見せてくれた弾けるような笑顔は、赤色で塗りつぶされてしまっている。
いつかの日。
スーパーの袋から転がり落ちた、トマトのことを、思い出しました。
「ぁ……ああぁぁぁぁぁ!!!!」
「最初に言ったでしょ。ワタクシちゃんたちの仕事は、死神の真似事。これからテミャアは、沢山の人間を見殺しにするんだから──」
⬜⬜⬜
ざざん、と。波打ちの音があたしの耳をつつく。
目を覚ますと、白い砂浜から……青い海が広がった。
振り返ると、大きな、木でできた家がある。
赤い屋根。
屋上から、「おーい」とお父さんが手を振っている。
あたしは手を振って返事をして、家に向かって駆けていく。
果たしてここはどこなのか。
果たしてあたしは誰なのか。
果たしてあれはお父さんなのか。
どれもこれもが些細な問題だった。
じりじりと足を焼く砂の熱さ。眩しい太陽と、空に敷かれた青色の絨毯。あたしには確かに帰る場所があって、そこには、大切な家族が待っている。
『私は嘘つきじゃないから』
この世界は嘘つきだけじゃないって知っている。
だから最後に信じてみたい。
どうか神様、閻魔様でもいい。
もう少しだけでいいから、この夢を──長く見させてください────
⬜⬜⬜
事故の現場から逃げるように、家に帰った。その間、レドルとは一言も喋らなかった。彼女から話し掛けられることもなかった。……意外だった。あの場で取り乱した私を、説教してくるものだと思っていたのに。
玄関。
ガチャンッ。
扉を開く。真っ暗な玄関。
あぁしまった。
鍵を開けることすら忘れていた。相当疲れているみたいだ。
…………。
扉を開く……。
扉を開く……?
どうして鍵が開いている?
絶対に鍵は閉めたのに。
レドルの方へ振り返る。無言のままだが、目を丸くしている。私の視線に気づくと、首を横に振る。これは……どういうことだろう。
耳を澄ませると、リビングの方から物音が聞こえる。
空き巣……?
こんなときに……?
真っ暗な玄関を突き進み、恐る恐るリビングの扉を開く。
すると──
パァァン!
破裂音。クラッカーだ。
「初仕事達成おめでとー!!」
あからさまに胸の小さな、全裸の少女が二人いた。
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