第1話◆地球に愛想を尽かされた女
新連載です。
──率直に言えば、
『ユイ、誕生日おめでとー!』
──わたしは、
「え、誕生日は……来月……」
バシャァァァン!!
『ま、え、い、わ、い♡』
──いじめられている。
トイレの個室でお弁当を食べていたけど、そういえば飲み物を持って来るのを忘れていた。
そんな私に牛乳を持って来てくれた彼女たちは、やっぱり優しいんだ。
『ちゃんと掃除しといてね? あ、それ牛乳2パック分だから、あとで金よこせよ。逃げたら……えへへ、言わないでいたげる』
ちょっと溢しちゃったみたいだけど。
わざわざバケツに2パック分の牛乳を入れて、私に持ってきてくれたんだ。ひっくり返ったバケツと、ぶちまけられた牛乳くらい、私が片付けなきゃ。
はぁ。
──率直に言って、
死にたい。
◆──◆──◆
県立藤丸高等学校。通称藤高。お昼休み終了間際、トイレの片付けを終えた私は、牛乳でずぶ濡れのまま、教室に戻った。
「はいこれ、タオル」
「いや、いいよ。牛乳の臭い、ついちゃうよ。臭いよ」
「いいの。わたし牛乳もユイちゃんも好きだからっ」
「…………」
わたしのただ一人の親友、金井ウイ。ずぶ濡れの私を見るや否や、どこから用意したのかバスタオルを私に被せて、教室から引っ張り出した。
童顔、小さな身長、細い腕のどのイメージからもかけ離れた腕力で、私の手を引くウイ。
更衣室に入るや否や、またもやどこから取り出したのか分からない体操着一式を私に手渡した。
「またやられたんだね。ユイちゃんのクラスのあの人達……。ねぇ。やっぱり先生に言ったほうがいいと思うよ。ユイちゃんが言い辛いなら、わたしから──」
「それは、ダメ」
『先生にチクったりしたら、次は、あんたのお友達の番だからね♡』
「絶対に、ダメなの。ウイは何もしないで。自分で、やるから」
「でも……」
「ありがと、ウイ。ウイはやっぱり……私の親友だよ」
「え、えーっ、うはは。照れちゃいますなぁ。いじめられたら、わたしに言うんだよ? すぐ助けに行くからっ!」
ウイの眩しい笑顔だ。
「うん」
対して、下手くそな私の微笑み。
ウイには私よりも沢山の友達がいて、性格も才能も、なにもかもが私より上。
ウイはやっぱりすごい。
だから、彼女に迷惑なんかかけたくない。
この世界で、彼女の邪魔にだけはなりたくない。
邪魔になるくらいなら──私が死んだ方がマシだ。
◆──◆──◆
別になにか悪いことをして、いじめられるようになった訳じゃない。
気がついたら友達がいなくて。
気がついたら「奴隷ちゃん」というあだ名をつけられて。
気がついたらいじめられていた。
ただそれだけ。
神様が用意したお粗末な台本には、私の名前は載っていなくて、この世界のどこかにいる主人公の引き立て役。台詞のないモブキャラなんだ。
この地球上で最も偉いのであろう神様から興味を向けられていないのなら、それはつまり地球に愛想を尽かされているも同然。
ナニが言いたいかっていうと。
「生きてる意味が見つからない」
学校からの帰り道。隣を歩くウイに聞かれないように、私は小さく呟いた。
私よりも選ぶべき相手がいるだろうに、いつも一緒に帰ってくれるウイ。そんな彼女と過ごしていると、心がキュッと締め付けられていく。人の優しさに触れているはずなのに、私の心の温度は温まることなく、ただ下がっていくばかり。
やはり私は人として終わっている。
生きる、価値が、見つからない。
「はいこれっ」
ポケットを暫し漁ってから、私に拳を突き出したウイ。拳が開かれると、小銭が数枚。
「これ、牛乳代の……」
「取り返しておいたよ。えーと、マキさん、メーコさん、マヒロさん。名前も覚えたからね、ユイをいじめてた人の」
「な、なにかっ、酷いことされなかった……?」
「えー? ユイちゃんをいじめないでよね! ってビシッと言ったら、いやーな笑い方しながら、この小銭渡してくれたよ。事情も教えてくれた。だからほら、受け取ってッ」
「う、うん……」
ウイから小銭を受け取って、財布にしまい、視線を地面に落とす。ウイのキラキラした瞳は、目を合わせてしまうと失明しそうになるからだ。
「これで安心だね。ユイちゃん、もう大丈夫だよっ」
「……っ、…………」
ウイの笑顔に、私は──今度は微笑みすら返すことができなかった。
◆──◆──◆
カチャ、ガチャン。
鍵を開けて、扉を開く。真っ暗な玄関。
「ただいま……」
返事は無い。当然だ。私は高校生では珍しいのであろう、一人暮らし。両親は昔、とある事故で亡くなっていて、残された家に一人ぽつりと住んでいる。
勿論親戚の家に預けられる選択肢はあったけど、親戚の人間は誰も好きになれなかった。これは私の我儘だけど、死活問題でもあったので、今はこうして、親戚のおばさんの仕送りで一人暮らし中。
昔から孤独は好きなので、別に寂しさとかはあまり感じない。
けれど確かなことは、
きっと私が死んでも、悲しむ人がいない。
《《あの世》》で両親が悲しむって?
そんな世界、信じてないしどうだっていい。
…………。
「ウイは泣いてくれるのかな」
ドサッと、今日の晩御飯の材料が詰まったスーパーの袋を玄関に置いた。袋から転がり落ちたトマトから、何故か目が離せなかった。
◆──◆──◆
翌日。夕焼けの帰り道。
「ごめんね、遅くなっちゃって。今日はいじめられなかった?」
「うん……」
いつぶりか忘れたけれど、今日という日は一度も『奴隷ちゃん』と呼ばれず、パシリにされることも暴力を受けることもなかった。
嬉しいはず……なのに、不安が拭えない。それどころか、いじめられている時とは違う恐怖が私を支配していた。
「ねぇ、ウイ」
「んー?」
「全然怒ってないんだけどねっ、今日、なんで校門での集合まで、遅かったのかなって……。ホームルーム長引いたとか……?」
「ううん。実はそのこと話そうと思ってたんだけどさ! 聞いてよ聞いてよ。ひどいんだよー? 《《わたしの上履きゴミ箱に捨てられててさ》》。友達が見つけてくれたから良かったんだけど、酷いよねー。まぁ使い古して汚れてるし、ゴミだと思われても仕方ないんだけどねっ!」
うははっと特徴的な笑い方をするウイに対して、私は全く笑えない。
冷えた汗がひたりひたりと、頬を伝って地面に落ちていくのが分かる。
恐れていた事態が起きた。
ウイは心優しくて頭もいいけど、天然で鈍感で、人の悪意に疎いところがある。──だから気づいてない。犯人なんて、分かりきってるはずなのに──ッ。
「ごめん、ウイ、ちょっと私、急がなきゃだから、帰る……ねッッ」
私は駆け出した。
否。
私は彼女から逃げ出した。
◆──◆──◆
「ハッ──、ハッ──」
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。
「ハァッ、ッハ──」
死ぬべきだ死ぬべきだ死ぬべきだ死ぬべきだ死ぬべきだ死ぬべきだ死ぬべきだ。
「フ、──ァ」
今日、帰って、死ぬべきだ──!
ガチャンッ。
扉を開く。真っ暗な玄関。
扉を開く……。
扉を開く……?
どうして鍵が開いている?
絶対に鍵は閉めたのに。
耳を澄ませると、リビングの方から物音が聞こえる。
空き巣……だ。
真っ暗な玄関を突き進み、恐る恐るリビングの扉を開く。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。
どうして私ばっかり……。
こんな理不尽なことが起こるの?
神様は私に興味があるの? ないの? どっちなの?
助けてよ……。
もう嫌だよ……。
死にたいよ……。
ぎぃ…………。
リビングへの扉を開くと、そこには────
「む。なになに。そぉんな鳩が空き巣に豆鉄砲を撃たれたような目をしてぇ。まるでワタクシちゃんが不審者みたいじゃない?」
あからさまに胸の大きな、全裸の少女がそこにいた。