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 またしても勉強に手を付けることなく迎えた祖母宅での初めての夕刻。

 昼食は母親が持たせてくれた弁当があったが、夕食からはいよいよ自分で用意する必要がある。

 スーパーで買い込んだ食材で何日分もの食事をストック出来れば言うことは無いのだが、残念ながら俺の料理に対する実績や知識は皆無と言って差し支えない。

 と、なれば既製品となるお弁当や冷凍食品を駆使していくことになるだろう。

 スマホの地図アプリを開いて適当に近所の飲食店やコンビニ、スーパーなどを確認していく。

 毎食飲食店を利用する経済的ゆとりは無いが、一度ぐらいは行ってみたいと思う店がないかを吟味し始める。

 田舎に分類されるであろうこの地域では有名チェーン店も店舗数が限られ、個人経営のお店というのもそれほど多くない。

 駅前の一部は繁華街のようで居酒屋や焼肉店が固まっていて、少し離れた場所には中華料理屋などが点在している。

 少し足を伸ばせば永泉駅があるので、そちらまで行けば店に困ることはないだろう。

 せっかく始まりの一日なのでしっかり肉でも食べようかと思案を始めたところで、またしても玄関チャイムが鳴った。

 またあの無礼女が来たのかと身構えて外の様子を窺うと、どことなく雰囲気が違うような気がしたので応対することにした。

「はい、どちら様でしょう」

 引き戸を開けると、先ほど見たのと同じ制服に身を包んだやはり少女が立っていた。

 ただ、その様子はどちらかと言うと申し訳なさそうで、こちらの出方を窺っているようだった。

 佇まいと言うのか、立ち姿からしても品の良さが滲み出ている。

「あ、あの、北田 環希さんですか?私は野河寺と申します。今日のお昼過ぎ頃に私と同じ制服の女の子が訪ねて来たと思うのですが……」

「ああ……」

 積極的に首肯はしなかったが、そのリアクションで全てを悟ったらしく少女は瞬く間に頭を下げた。

「本当にごめんなさい、あの子も悪気があった訳じゃないんです。元々ちょっと口が悪いところはあるんですけど、ここに住んでいた貴代さんにとても良くしてもらっていたのもあってちょっと勘違いというか、少し感情的になりやすいというか」

「ちょ、ちょっと落ち着いて!少し整理させて欲しいんだけど、君はその女の子の友達?」

「そうです。同じ学校に通っていて、同じ寮で暮らしています」

「え、と、野河寺さん?確かに色々と一気に言われて少し頭に来たのも事実なんだけど、俺の方も怒鳴って悪かったって伝えてもらえないかな」

 もう一度関わり合いになるのは勘弁して欲しいのでそう伝えると、野河寺は少し困ったように自身の髪の先を弄り始めた。

「あの……もしご迷惑でなければ、別の所でお食事でもしながらゆっくりお話させていただけませんか?」

「え……」

 思いがけない誘いに少し動揺してしまう。

 中学、高校とほぼ異性との接触が無く、難なら相手から誘われるなんて初めてだ。

 これがもし、あの無礼女絡みでなければホイホイと誘いを受けていたことであろう。

「私自身のこともそうですし、あの子……颯乃ちゃんのことや貴代さんについても是非知ってもらいたいことがあるんです」

 またしても祖母の名が出て来た。

 実のところ、俺は祖母とほとんど接した記憶が無い。

 物心ついた頃からこの家を訪れたのは指で数える程しかなく、それも特別な用事が無ければ家の中で話題に上ることも無かった。

「じゃあ、食事ぐらいなら……」

 思えば、祖母の葬式の時にすら父親はあまり口を開かなかった。

 それは悲しみを堪えているのだと思っていたが、どうにも拭いきれない違和感が残り続けていた。

 心の奥底に眠っていたその違和感が一回の食事で払拭出来るのなら安いものだ。

「ありがとうございます。表に車を待たせていますので、ご案内いたしますね」

 少女が示した先には、スライドドアを開けた状態のミニバンが停車していた。

 運転席には彼女の家族とは思えないスーツに白手袋姿の如何にも運転手然とした壮年の男。

「えっと……俺、こんな適当な恰好なんだけど大丈夫かな?」

 何の変哲もない無地のパーカーで立ち入れるようなお店に行くとも思えず今更躊躇いが生まれる。

「ご心配なく、お連れするのはドレスコードの必要なところではございませんので」

 少女は柔和に笑って優しく諭すような口調で乗車を促す。

 俺は最低限の持ち物だけ携え、少し覚悟を持って少女とミニバンに乗車した。

 スムーズに発進した車は飲食店の多い駅前の方角とは逆の方を目指して行く。

「北田さんはこの街には何度ぐらい足を運んだことがあるのですか?」

「多分、五回ぐらいじゃないかな。祖父母の葬儀とか法要ぐらいで遊びに来たことはもしかしたら一度も無いかもしれない」

「そうですか……」

 そう残念そうに呟くと、それきり車内に話し声は生まれなかった。

 運転手も既に行先を承知しているようで淀みなくドライブは続く。

 市街地を離れ通りの先で分岐した登り坂の方にハンドルが切られ、整備された法面が車窓に映る。

 入り口の辺りに掲げられていた案内によると向かう先は学校のようだ。

 正門を通り抜け校舎らしい棟を横目に一つの建物の前で停車し、スライドドアが開かれる。

「今日の学食は確かハンバーグだったと記憶していますが、お嫌いではありませんか?」




 運転手からスイッチするように待機していた事務員の女性に先導で通されたのは会議室のような空間だった。

 一旦一人になったため、適当に室内を散策していると備品に所有者を示す『野河寺学園』というテープが貼られているのを見付ける。

 つまりあの少女はこの学園の一生徒というだけでなく、運営側の関係者である可能性が非常に高いということになる。

「すみません、お待たせしてしまいまして。食事はすぐに運んできますので先にお話の方から始めましょうか」

 スマホを忘れたということで一度別れた少女が戻り、ロの形に並べられたテーブルで向かい合わせとなると、自然と居住まいを正す。

「改めてまずは自己紹介をさせて下さい。私は野河寺 乃愛、野河寺学園高校の一年生です」

「もしかして、この学校の偉い人の娘さんだったり……?」

 その問いに少女は少し恥ずかしそうに頷く。

「実は、父がこの学園の学園長をしていまして……私はその一人娘なんです」

「それであんなに立派な車と運転手さんが」

「今日は北田さんをお迎えに上がるのにお願いしただけで、普段は敷地内の寮で暮らしていて、駅前なんかに出掛ける時は自転車を使っているんですよ。父は過保護なので渋い顔してますけど……」

 俺も何かと親に送迎を頼んだことはある。

 しかしお抱えの運転手がいるという時点で土台が全く違うと言って良い。

 それを彼女も理解して、なるべく普通というものに馴染むために自分なりに努力しているのだろう。

「それはともかく、北田さんのところを訪ねて行った女の子は私とクラスメイトであり、寮でのルームメイトなんです。名前は松立 颯乃。多分もう御存知だとは思いますが、少々口が悪いところがあって初対面の方には特に誤解されやすい子で、よく私が仲立ちに入って来ました」

「まあ、俺も到底仲良くなろうとは思えなかったな」

「北田さんの場合は特にそうなるという予感がありました。颯乃は貴代さんのことをとても慕っていて、家族も同然でしたから……」

 そう、俺が最も引っ掛かっていたのがその部分だ。

「俺は車の中でも話したとおり、祖母とは数えるぐらいしか話したことが無いからよく分からないんだけど、祖母とその、颯乃って子はどういう関係性なんだ?友達と言うには年齢が離れすぎてるし、まさか俺の知らない兄妹って訳でもないだろうし」

「颯乃は生い立ちが少々複雑でして、故有って貴代さんが引き取って養育していたんです。継母とでも言えば良いのでしょうか」

 それは全くの初耳だったのでシンプルに驚いた。

 祖母は俺が生まれて少ししてから祖父が亡くなって、それから一人で暮らしていたと聞いていたからだ。

 その情報元は全て父親で、その父親も碌に連絡も取っていないのだから正確であるという認識が甘かったのだろうが。

「全く知らなかった……。いや、そもそも俺は祖母のことをほとんど知らないから当たり前か…………」

 俺の知る祖母は何となく優しそうな人だということぐらいで、顔も遺影のイメージしかない。

 どんな趣味を持っていてどんな食べ物が好きなのかも知らない。

「そう、そこが颯乃が北田さんに怒りを抱いているポイントの一つなんです」

「え?」

「彼女が貴代さんに育ててもらっていた時、よく聞いたことあるそうなんです……。ご家族の内情なので詳しくは存じませんが、息子さんやお孫さんに会いたいという旨の言葉を折に触れて零していたと。颯乃も家族関係で苦労したので、貴代さんにも同じような苦しみを与えていたと認識しているみたいで」

「……なるほど」

 同じ祖父母でも、母方の方は少なくとも年に一度は顔を見せていたことを思えば疑問も湧く。

「北田さんは貴代さんに会いたいという気持ちは、無かったですか?」

「一度だけ、中学生の時に偶には祖母の家にも遊びに行きたいって言ったことがある」

「どうして実現しなかったのですか?」

 その時のことは今でもよく覚えている。

 夏休みに入って、塾の夏期講習が終わってからどこか旅行へ行こうという話題が出たとき、その行先の候補の一つとして俺が祖母の家を口にした。

 何故そこへ行きたいと思ったのかは、今となっては定かではないが口にしたことを酷く後悔したことだけは確かだ。

 夕食の団欒の雰囲気が急速に冷め、両親とも口を閉ざしてしまったからだ。

 明確に怒られた訳では無い。

 ただ、二人とも俺の発言は無かったものとしてその場の空気を繕い、結局全く違う観光地に行先は決まった。

「理由は分からない。でも、両親ともに祖母を避けていたのは確実だったし、過去に何かあったのかなんて今でもとても聞ける雰囲気ではないかな」

「そうですか……。困りましたね…………きっと颯乃も詳しい原因を知らない様子なので、誤解をどうやって解いたものかしら……」

「その、野河寺さんには悪いけど、颯乃って子と俺は無理に仲良くするつもりも無いんだ。俺の祖母と関わりが深いと言っても、俺はこの学園の生徒じゃないから日常生活でも会って話すような関係性になることも無いと思うし」

 家に押し掛けて来たり、もし偶然天下の往来でばったりと出くわしでもして喧嘩を吹っかけて来なければそこまでなのだ。

 そこを何とかしたいという野河寺さんの気持ちも分からないではないが、ここは丁重にお断りしたい。

「えっとですね、それがそうも行かないと言いますか……」

 煮え切らない言葉が耳に届くのと同時に、部屋の扉がノックされた。

「取り敢えず食事が届いたようなので頂いちゃいましょう。ね?」

 そう言ってこちらの返事を待つ間も無く彼女は席を立ってしまう。

 完全に話を切り上げて帰るタイミングを潰されてしまった格好だ。

 意外と強かだという感想を抱くのと同時に腹の虫が鳴った。

 ここからまた家に送って貰えたとして、そこから外食をするにしてもそれなりの時間がかかることだろう。

 そんな訳で、仕方なく背もたれに上体を預けて天を仰いだ。


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