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 唐突だが、俺は生まれて初めて真面目に土下座をしている。

 そして額を床に着けているのでその相手の表情を窺うことは出来ないが、明らかに引いているのが分かる。

「……アンタ、マジで言ってる?」

「何一つ冗談は言ってない。北田家として異常神域で亡くなられた方の葬儀に参列するのに必要なあらゆる費用を見積もった上で今日中に工面するには頼める相手が限られ過ぎてる。というか、颯乃しかいない。なので頼む、いや、お願いします」

 弥作の言う北田家としての礼儀作法の一環として、救えなかった人間に誠意を持ち、せめてもの贖罪として葬祭に参列することと言われて必要な経費をざっくり見積ったところ、手持ちでは足りないことが判明した。

 帰りのバスの中でその事実に気付いた俺は麻婆豆腐とは対照的な真っ青な顔色で帰宅すると、寝起きそのままと言った具合に寝ぐせのついた颯乃に食事を献上し、満足げに食する様子を窺って金の無心を懇願した次第だ。

 何故そうまでするのかと言えば、当然弥作の手を取り北田家の正当な当主を継ぐことを決めたからに他ならない。

 冗談やおふざけが一切存在しないことを感じ取ったらしい颯乃の態度も真剣なトーンに変わっていく。

「アタシお金貸したりなんかしないって言ったけど?」

「確かにそれは聞いた。でも、そこを曲げて何とか頼む」

「……じゃあさ、一個だけ聞くけど、本気で貴代おばあちゃんの後継者になるつもり?」

「そうだ」

 澱みのない即答が出来たことに我ながら驚く。

 だが、まだ仮初の、虚勢の決意でしかないことも自覚している。

「…………ふーん」

 間を置いて、献上した麻婆豆腐を咀嚼する微かな物音だけが聞こえる。

 余談ではあるが弥作のアドバイスは完全に的中しており、麻婆豆腐を受け取ってからこれまでは上機嫌を保っていた。

 しかし俺の土下座から一転して咀嚼のスピードは落ち、何ともむず痒い無言の間が連続している。

「…………分かった、貸してあげても良い」

「本当か!」

「ただし、条件がある。アンタが本当に覚悟決めたって言うんなら、アタシが条件出す前にその条件で貸し付けを受けるって約束して。中身を聞いてからやっぱ無しとか言ったらボコるから」

 何ともバイオレンスだが、ここで退く理由は無い。

 頷いて肯定の意を示した。

「条件って言っても難しいことは言わない。今夜のお通夜が終わった後アタシに付き合いなさい」

「……それだけ?」

「詳しいことはその時話すから、アンタはやること終わったらいつもの神域に来れば良いだけ」

 それだけ言い残すして彼女は二階へ上がって行き、程なくして質素な黒い財布を携えて戻って来た。

 札入れらしきスペースから抜き取った紙幣を無造作に突き出してくる。

「おま、これ軽く五万はあるぞ」

「普段寮生活で敷地外に出て一々お金降ろすのめんどいからまとめてるだけ。そんだけありゃ今日のとこは足りるっしょ?」

 渡されたのは七枚の一万円紙幣だった。

 ちらりと見えた限りだが、彼女の財布にはまだそれに匹敵する枚数の紙幣が入っているようだ。

「一応金の貸し借りの話になる訳だし、借用書的なものとか交わさなくて良いのか?」

 例え返さなかったとしても颯乃のお財布事情には然したる問題を与える額ではない。

 しかし、信用の問題として確認をしたつもりだったのだが、欠伸をしてから悠然と俺の目を見て首を振った。

「何て言うかさー、やっぱアンタってちょっとだけ貴代おばあちゃんの面影があるんだよね」

「え?」

「お人好しで素直な感じとか、何だかんだ真面目で堅い感じとかさ。だから、そのお金は貸してるけどアタシとしては恩返しのつもりもある訳。誰にだって簡単にお金貸すとか有り得ないし、戻って来なかったら悲しいし」

「……」

 これは単なる予想で根拠がある訳ではないが、颯乃は俺が土下座なんてしなくても援助をしてくれていたのではないかと思う。

 学生にしては過ぎた大金を口約束で貸すというのは余程の信用があるか、特別な事情でもない限り有り得ないからだ。

 今回はその後者で、しかもその事情というのは俺へのものではなく祖母に対するものだ。

「別に催促するつもりもないしある時払いで良い。ただ、貴代おばあちゃんのことをちょっとでも尊敬する気持ちがあるんなら、それに恥じないようにしてくれればアタシは十分」

 話はそれで終わりと言った具合で再び二階へと戻って行くその後ろ姿に俺は頭を下げた。

 祖母が颯乃に愛情を注いで接し、颯乃はそれに報いることが出来なかったと考えているのだろう。

 今、俺の手に握っている金はその思いの一端であり、到底自分の金という認識を持つ気にはならなかった。

 居間に入った俺は急いで昼食として持ち帰って来たサンドイッチを食い、通夜の時間に間に合うよう必要なものを買い揃えるために永泉駅前へと向かった。

 慌ただしく家を出て行くその姿を二階の窓から眺めていた颯乃は、弥作が敷いてくれた布団の上に腰を下ろしてスマホの画面を操作し始めた。

「……さーて、やっと反撃開始かな」

 メッセージを送信し終えた彼女は不敵な笑みを浮かべていた。

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