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時刻は二十一時を回ったが、永泉駅の周囲はまだ人出があり活気めいたものを感じる。
ベッドタウンとして発展し住宅街が多いため、列車も多くの種別が発着する主要駅として機能しているようで、歩いている人々の服装もスーツやそれに準じたものが多い。
俺と野河寺さんはそんな外の様子を見下ろせる駅に併設された商業ビル内に来ていた。
レストランフロアの案内を見るまでもなく野河寺さんは進んで行くので、一先ず後ろについて歩いて行くと一つの店へと通された。
そこは他に居並ぶ有名チェーン店ではなく、個人が経営しているであろう居酒屋風の佇まいをしている。
「予約した野河寺です」
応対に出てきたスタッフにそう告げると確認なども無く真っ直ぐに一番奥の個室へ通された。
平日ということもあるのだろうか、テーブル席は勿論他の個室にも客が居るようには見えない。
それとなく周囲を観察していると、別のスタッフが入口を閉めているのが見えた。
「何処で誰が耳を立てているとも知れませんから、お店貸し切っちゃいました」
さらりと言ってのけるが一介の高校生にそんな真似は出来ない。
更に、彼女は社森神域を出て車で移動する間も誰かに連絡を入れている素振りも無かった。
「そうそう、このお店の経営者は何を隠そう野河寺学園の卒業生の方なんです。こうしてゆっくりお話するのにぴったりな所なので、時々友人たちとも利用させてもらってるんですよ。ちょっと女の子ウケするような感じの雰囲気ではないですけど、お料理がどれも美味しいので是非お気に入りを見付けて下さい」
心から楽し気にメニューを開いて一つ一つを真剣に吟味しながらページを繰って行くその姿は年相応な少女だ。
俺の中に形成されつつある野河寺 乃愛という少女に対する印象は大きな振れ幅を以て行ったり来たりを繰り返している。
即ち、明るいが品位がある親しみやすい少女と、心胆を寒からしめる恐ろしさを秘めた見た目に不相応な怪物のような女という対立したイメージだ。
「北田さんは何か食べたいものって決まってますか?」
「え?あ、いや……」
考え込んでいたせいで碌にメニューを見ておらず、アタフタとしてしまう。
パラパラとメニューを捲ってみるが実に多様な種類のメニューがあり、どうにも即決出来そうにない。
「それじゃあ私のお薦め、賄いオムライスでどうですか?限られた常連さんしか食べられない裏メニューなんですよ。具材もその日その日で変わるので、どんなのが出てくるのかは実際に目にするまでのお楽しみです」
「それは遊び心があって良いな。じゃあ、俺もそれでお願いしようかな」
呼び鈴でスタッフに手早く注文を済ませると、野河寺さんはスマホを取り出して何やら忙しなく文字入力を始めた。
「……颯乃からの連絡はなるべく早く返すようにしているんです。あの子、寂しがり屋なので」
一通りの遣り取りが終わったのか、「失礼しました」と言って彼女はスマホを仕舞った。
着席時に配られた水を少量だけ一口飲み終えたところで、何となく場の雰囲気が変容したような気がした。
その原因は間違いなく野河寺さんで、表面的な表情や態度は変わらずとも醸し出す空気感が変わったのだ。
「さて、北田さんは今日色々なお話を聞かれたばかりで、まだ十分に整理しきれていない部分もあることは承知の上でお伺いします。どのような感想をお持ちになられましたか?」
「……そうだな。野河寺さんの家のことについては正直あまり良い印象は持てなくなってきた、かもしれない」
それは偽らざる本音だ。
警察の下宿も弥作も、解決したという今回の失踪事件には野河寺家の人為的な介入があったことを話していたからだ。
「まず、さっき見付かったって言う自治会長さんの失踪の件。警察も不審に思ってるみたいだし、弥作も野河寺家が絡んでるって言ってたから……それが本当なら」
「その件について詳細はお話出来かねますが、当家が諸般の事情により深く関わらざるを得なかったことは否定いたしません。また、異常神域の捜索に時間が掛かってしまい、警察の担当者に気を揉ませてしまったことも、弥作様が消極的な姿勢を取られたことも当家の落ち度であることは認めます」
俺の言葉を遮り自らの非を認めたように弁を並べるが、結局肝心の経緯が全く明かされないので却って不信感が募る。
さらにその非についてもどこか他人行儀だ。
「警察との関係は俺もよくは分からないから何も言えないけど、弥作は……」
「大方の内容についてはお察ししています。元々、神聖な土地として安置されていた現在の社森駅周辺を当家が収奪し、今の小さな祠へと追い遣ったという弥作様の主張の件ですね。ですが、それは誤解を多分に含んでおりますのでご説明しましょう。……その前に、食事にしましょうか」
彼女の言葉から一分もかからずに二つのオムライスが運ばれて来た。
少し深めの皿に盛られたライスの上にはふんわりと焼き上げられた玉子が載せられ、更にその上からは飴色の少し粘度の高い液体が掛けられている。
その様はオムライスと言うよりも天津飯と呼ぶ方が相応しいように感じる。
スタッフからも今日は中華風ですという補足説明が入り、スプーンではなくレンゲが提供された。
「ふふ、賄いと言うだけあって本当に多様ですよね。でも、いつも美味しく仕上げてくれるからお気に入りなんです」
また彼女の雰囲気が普段のような柔らかいものに戻った。
出来立ての料理の熱さに苦戦しながら食べ進める姿はやはり高校生らしい。
俺も緊張感の高まりから解放されたお陰か空腹であることを思い出し、一口オムライスを口に運ぶ。
何となく美味いということは認識出来るが、のんびりと食事を楽しめる程の余裕までは持てていないため、ただ空腹を埋めるために皿を空にした。
「流育ち盛りの男性は食べっぷりがお見事ですね。ここの支払いは気にして頂かなくて結構ですので、物足りなければ好きなものをご注文ください。私も後で何かデザートを頂こうと思っていますので」
「それより、説明の方が気になるよ」
「そういえばそうでしたね。つい美味しいものを食べると夢中になってしまうもので、うっかりしてしまいました」
口元を紙ナプキンで拭いリプレイのような所作で水を飲み、佇まいを正した。
俺もそれに倣うように背筋を少し伸ばし彼女から発せられる言葉を待った。
「社森駅周辺の土地問題は、多くの当事者たちの思惑や利権、金と政治が複雑に絡み合ってしまっているため、当家の見解というのも主張の一つに過ぎないということをご承知置き下さい」
そう前置いてから、本題が始まった。
「当時の社森周辺地域は国が策定した開発計画に則り、その一環である交通網の整備に注力していました。大枠から行きますと、主要幹線道路と鉄道の敷設です。この永泉という場所は特に南北の移動経路上、国道と駅が設置されることは決定事項でした」
個室から見下ろせば、駅を出入りする人々とその少し向こう側に多数の自動車が行き交う国道が見える。
「そして、問題の社森ですが……大規模な新しい国道整備の計画こそ無かったものの、隣県からの鉄道による接続の地点が永泉に定められたことによって、線路の敷設計画が定められ鉄道用地の取得が始まりました。その線路と駅を設置する経路や場所の選定をした結果として、弥作様の住まう一画が丁度駅を置くのに都合が良かったそうです」
「野河寺家は、どういう立場だったんだ?」
「どういう、というのは一言で簡潔には言い表せません。それでも敢えて北田さんの意図に沿った返答をするならば、中立だったと申し上げさせていただきます」
「弥作や俺のご先祖様の味方だったんじゃないのか。今がそうだって言うように」
ふう、と野河寺さんは小さく息を吐いた。
「当時の当家は現在の学園敷地の取得と学園の楚となった私塾の建設を終え、さらなる拡充と現在で言う学園法人となるために官公庁への根回しをしていました。曾祖父の代だったと記憶しています。口伝で父や祖父から聞いている限り、明治維新によって当家は社森を離れざるを得なくなってからも北田家とは親交があり、何としてもこの地に戻りたいという意向があったようです」
「それは何のために?」
「何百年にもかけて根付いて来た故郷を失ったのですから、取り戻したいという気持ちを持つことに何ら不自然な点は無いかと。学園を創ったのもこの社森の発展に寄与するためですし、何より北田家や弥作様の側に居ることもできますから」
「じゃあ、あの土地が奪われるのを見て見ぬ振りをしてたってことか。弥作たちに協力したら自分たちの根回しが無駄になってしまうから、逆に野河寺家の支援者たちを使って嫌がらせもしたのか」
弥作の推測が本当であったなら糾弾しなくてはならないという義憤めいたものが、俺の中に芽吹いていた。
それが言葉に伴った形で棘が滲み出てしまったのは、自分でも気付かない内に相当に頭に来ていたからだ。
表面上はこちらに寄り添ったようなことを口にするのに実際にこの一家がやっていることは、北田家と弥作を便利使いしているだけでしかない。
「北田さん、どうか冷静になって下さい。当家はあくまでも中立の立場を貫き、土地所有者であった北田家を攻撃するよう仕向けたなんてことは天地神明に誓って有り得ません。恐らく、当時の当主も本心では計画の撤回や修正を願い出たかった筈です。しかし一方で、仰られるように学園運営に支障を来すことを考慮し積極的な関与を差し控えたのだと思います」
「駅や線路の土地だけじゃなく、駅前繁華街の土地はどうなんだ?そっちは手を出す必要が無かったはずだ」
「あの区画はまた別の問題がありましたので、当家が介入をしたのは事実です。ですが、それは政府が必要としている部分のみの収用が決まり、正式に土地の分筆や補償の支払いなどが終わってからの話です」
「……そっちも聞かせてもらおうか」
互いに水を飲み、一息の間を空ける。
「駅の建設が決まったことで、残った禁則地を買収し開発を目論むデベロッパーが現れたんです。彼らは傷心した北田家に近付き、様々な手を駆使して土地を買い叩こうとしていました。公的な問題には積極的に関われなくても私的な問題であれば当家も遠慮をする必要なんてありませんし、とてもまともとは呼べない輩たちから北田家を守る手立てを幾つも講じたのです」
「でも、結果的には野河寺家が土地を手にしたんだろ?」
「ええ。ですがそれは、当家の用意した買収防止策の最終手段として行われた疑似的な売買でした。土地の権利が北田家に属している以上、どれだけ当家がお支えしてもご本人が折れてしまえば無意味ですから、強制的に交渉相手を当家の人間に挿げ替えたのです」
「そこの経緯については有難いと思うけど、最終的にその土地を売っちゃってたら意味無いんじゃ……」
「そうなんです……」
どんな反論が返ってくるのかと思えば、彼女はあっさりと俺の意見に同調し両手で頬杖をついた。
「私もその顛末がとても不思議で仕方ないんです。曾祖父も祖父の話を聞く限りではとても戸惑っていたようで、何でも当時の北田家当主、貴代さんの御父上が弥作様のご意向もあるので売却をするよう勧めて来たんだそうです」
「は……?いや、なんじゃそりゃ!弥作の言ってることと全然違うぞ!」
多少の齟齬は有り得ても、禁則地を売り渡すことに微塵の賛意も無い弥作が土地の売却を許可することは有り得ない。
「この話題については私も弥作様も互いに触れないようになっているんです。きっと、今北田さんが感じていらっしゃる辻褄の合わなさに全員折り合いが付かないんだと思います」
その一連の出来事に関わった当事者たちで、俺たちが話を聞きたい人間はもう全員が鬼籍に入ってしまっていることだろう。
単純な解決を見るならば野河寺さんの発言が全くの嘘であるということになるが、俺は彼女の言う辻褄の合わなさとは別にある違和感を覚えていた。
その違和感の正体を知るまで安易に彼女が嘘吐きだと決め付ける訳にもいかない。
「ふー……少し熱が入ってしまいましたね。冷たい飲み物やデザートでも如何ですか?」
「あ、じゃあリンゴジュースで……」
「良いチョイスですね。ここのリンゴジュースは他のお店とはちょっとちがうんです。私も同じものにしちゃいますね」
さっきまでの重苦しさのようなものが嘘のように軽い調子でオーダーを通すと、彼女はほんの少しの逡巡の後にこう切り出した。
「北田さん。もし、少しでも私のことを信じて下さるのでしたらお願いしたいことがあります」
「俺に?」
「弥作様にもう一度この件についてお話を伺って頂けませんか?私ではきっと話し合う土俵にすら立てずに終わってしまうと思うので……」
事の真偽を確かめたい気持ちは俺にもある。
弥作に問い質さなくてはいけないこともあり、正直今からでももう一度神域に戻りたい気分だった。
「分かった。……悪いんだけど、もう一度繫華街に送ってもらえないかな?」
「ありがとうございます、勿論お送りしますしお迎えにも上がります」
出会って初めて華やぐような素の笑顔を見せてくれたような気がする。
おまけに手も握られて上下に振られるところを鑑みるに、元々彼女はこうしたボディタッチに慣れているのかもしれない。
頭では冷静にそんな思考を回していても胸が早鐘のように打つのは止められない。
我ながら異性経験の無さが情けなくて仕方がない。
無論、運ばれて来たリンゴジュースの味はよく分からなかった。