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用意を済ませてから出発するので先に買い物をしておくよう言われた俺は、目的の物があるであろう場所へとやってきていた。
そこは多くの人間が気軽に、そして手軽に利用出来る立地と営業時間を誇る小売店ことコンビニと呼ばれる場所だ。
俺自身も高校生時代には何かと利用していたし、友人とイートインスペースで何時間も駄弁っていたこともあるだけに馴染み深い場所ではある。
しかし、精々購入していたのは飲料やホットスナックの類ぐらいで、立ち入る商品棚のスペースも定型化されていた。
それが今、初めてまじまじと商品を見定める場所に来ていた。
「ええと……これ、か?」
口頭で伝えられた商品名と恐らく同じと思われる商品を手にし、一度レジの方を見遣る。
店内に居るスタッフは二名で内一名は店長らしい中年の男性だ。
今はバックヤードの方にでも入っているのか、レジに立っているのはもう一人の若いアルバイトらしい女性。
タイミングを見計らっていた俺としては今が絶好の瞬間とばかりに早歩きで商品をレジへと運ぶ。
完全にマニュアルな応対で作業は進み、事前の想定どおりにポイントカードのスキャンまで終わらせるとそれはやって来た。
「画面タッチおなしゃーす」
会計前の難関、年齢確認だ。
事前に調べた限りでは年齢確認のために身分証の提示を求められることもあるというが、この店員はまともにこちらの顔を見る素振りもない。
未成年であるかどうかなど興味もないようで大助かりだ。
もしも未成年であることがバレたらどうしようかという懸念による動揺を見せないよう、平静を装って画面タッチを終わらせると漸く金銭の受け渡しへと入る。
結局店長らしい男性が再度姿を見せる前に釣銭と商品を受け取り、不審に思われない程度に素早く店を後にする。
俗に言うところの悪いことというものを両親から固く禁じられて来た俺からすると、この数分間の出来事は非常に後味が悪く冷や汗ものの体験だった。
コンビニから離れ、さり気なく建物の陰に身が隠して漸く安堵の息が漏れた。
「あのーやっぱりお兄さん未成年?」
「うわっ!?」
視界外から話しかけて来たのはコンビニの制服を身に纏った先ほどの店員の女性だった。
「知ってるよね?今は法律で未成年の子どもがお酒を買っちゃうとお店にも迷惑かかっちゃうの」
「ご、ごっごごごごめんなさい!知人に頼まれて仕方なく……!」
風切り音が鳴るほどの勢いで頭を下げて許しを請うと、女性は吹き出し笑いをした。
「ぷ、くくくく……くっははは、環希よ童はほんに情けない男よの」
「は……?」
その笑い方と言葉遣いには大いに心当たりがあった。
「もしかして、あの狸か……?」
こちらも詳細に店員の容姿を記憶しているわけでは無いのだが、声を含めて完全に騙された格好だ。
「ま、あの獣の姿では却って怪しまれるのは経験済みじゃからな。アライグマとやらに間違われて役場に通報された時は貴代にも迷惑をかけてしもうたでの」
コンビニの制服を人間と同じ造形の手先で摘まみ、人間と同じ顔で興味津々に弄る。
「まさか先回りしてコンビニ店員に化けてたなんて」
「?んあ、違う違う。偶然挙動不審に買い物する童を見て驚かせてやろうと目論んでこの女子の姿に似せてみたのよ」
それはそれで趣味が悪い、という感想を抱きつつ狸に買ったものを渡す。
「取り敢えず言われたものは調達したけど、まさか飲みながら歩くのか?」
言い付けられたものはいつもこの狸が飲んでいる地酒だ。
駅前という立地もあってなのか、小さくではあるが地酒コーナーなるものが併設されており、そこから選び出したのだが受け取った狸の表情は渋い。
「……環希よ、もしや最も安価なものを選んだな?」
「いや、だって手持ちも心許ないし……瓶は捨てるの面倒だと思って」
狸が手にしているのは缶タイプの飲み切りサイズだ。
「量や容器はさて置き、吾がいつも愛飲しておるのは純米酒であって本醸造ではない。まったく、そこから教えねばならんとは……」
文句を垂れながら手慣れた様子で封を開けて中身を早速一口呷る。
「ふぅ、効くのう。じきに身体も温まるじゃろうて、行こうかの」
「ちょちょ、その恰好は目立つだろ」
コンビニの制服のまま通りへ出ようとする腕を掴む。
「ほう、最近は制服で外を出歩かんのか?」
「いやまあ職業によるんだろうけど、少なくともコンビニの制服で出歩く人間は目立つと思うぞ」
素直に俺の言を取り入れた狸はどこからともなく一枚の短冊のような紙を取り出し、それを額の辺りに当てると瞬く間に服装だけでなく顔貌まで別の人間の姿へと変貌した。
「仕方ない、いつも出掛ける時の姿が一番無難かの」
悪戯っぽく笑うその少女は颯乃や野河寺さんよりも少し幼い印象で、どこにでも居ると言われれば納得する特別目立った外見的特徴がない。
ところが、無表情になると可愛らしいと怜悧な美人の中間に位置するような不思議な魅力を感じさせる顔の造形をしている。
服装は極めてシンプルなパーカーとデニムという地味な出で立ちであるから余計に顔の、特に切れ長気味の目に視線が吸い寄せられる。
「その感じだと結構外に出るの慣れてるのか?」
「ここ数年はとんと出ておらんかったな。一度出たのも貴代の墓参りぐらいかの。駅前をふらふらするぐらいならともかく、街の中をうろつくと民は互いに見知った顔同士じゃし、見知らぬ顔の人間が不審な動きをしておると野河寺に情報が行って要らん詮索をされかねんしの」
「はっきり言ってその顔、目立つぞ」
「そうかの?美人過ぎず醜女過ぎぬ塩梅にして、貴代にも好評じゃったがの。どう目立つかの?」
「いや、まあ、それなら良いけど……」
俺がこのような反応を示したのには訳がある。
高校生の時に一時的にではあるが好意を寄せていた女子がいて、狸の見せた無表情に近い顔がその子の顔に驚くほど似ていたからだ。
結局その子には付き合っている彼氏がいることを知って、話しかける間も無く玉砕したのは今でも苦い思い出として心の奥底に沈めていたのだが、思わぬ形で思い出させられてしまった。
「ぷくくく、童はほんに初心よの。初恋の人とやらの顔に似せてみたがどうじゃ、よく似ておろう?」
「何で知って……!」
「これも吾の力の一端よ。神通力と言えば陳腐じゃが、一度でも吾と言葉を交わせばその相手の心の内はよう見えるもんじゃ。好きな食い物みたいな些細な情報から、本人すらも忘れてしもうた深層心理に沈んだ遠い記憶の出来事まで」
その双眸には妖しい光が宿ったように見えた。
全てを見透かすようなその視線に背骨が凍るような恐怖を覚え、目を逸らす。
それを見た狸はまたしても意地の悪い笑みを浮かべ、くるりと俺に背を向けて表通りの方に歩き出す。
「別に脅かすつもりは無い。吾がどの人間よりも他人の腹の底を窺い知ることが出来るということを知ってもらうための余興じゃ。野河寺の人間は当然として、颯乃に貴代も例外ではない」
優雅に散歩する風にゆったりと歩くその数歩後を俺は追う。
「環希よ。童は今まさしくその先を生きる道が激変する岐路に立っておる。抑圧的な親元を離れ吾と北田家再興の道を志すも良し。抑圧的とは言え庇護もしてくれるその親元に戻って言いなりの人生を送るも、また良しじゃ」
「挑発的だな……」
俺の心を見通しているのなら、きっと俺の中にある葛藤や迷い、そして僅かながらに芽生えだした決意のような何かも全てを分かっている筈だ。
それでもこの狸は背を押すことも選択の強要もしない。
「どう捉え、どう考え、どのような答えを出すかは童次第。吾の道は神となった砌から決まっておるでの……それを全うするだけじゃ。さて、まずは童の知らぬであろう地区の方から案内するかの、ついて参れ」
酒をちびりとまた一口味わい、歩いて行く。
「一つ、教えて欲しい。祖母は俺や親父に戻って来て欲しいって思ってたのか……?」
スニーカーの固い靴底がアスファルトを叩く音だけが俺の耳朶に届き、振り向くことも立ち止まることもない。
知っていたとしても教える気は無いということらしい。
あくまでも俺自身の考えに基づいて答えを出せということだ。
そして、俺はここで祖母のことを知った時に提示した意思はとにかくこの社森を、祖母の足跡を知ろうという先送りだった。
俺はまだその先送りにした選択の先にある選択肢すらも見えていない状況だ。
とにかく今日のところは狸の後ろについて行くしかない。
ついでに酒代も返して貰わなければと、早足でその背中を追った。