file1 螺鈿箱に隠された真実 4話
僕を呼ぶ、園子さんの声がだんだんと遠くなっていく。
返事をしようにも、もう身体がいうことをきかない。
どうやら僕の身体や脳は睡眠をとることを選んだようだ。
これからみんなと一緒に考察する、ちょうどいいところだったのに……
現実から離れていく感覚はあるにはある。しかし、それを己でどうにもできないのがこの病の困ったところだ。
現実から離れて一瞬身体が軽くなるような感覚がきて……そのあと、すぐに夢の中に居るという感覚が訪れる。
それが僕の入眠するまでの感覚。
入眠すると、始まりはいつもアメリカンスタイルのバーから始まる。
すでに店内に入ったところから始まるのは何故だろう。
ふりかえるとドアがある。このドアの向こうはアメリカなのだろうか?
いつもそんなことを思うが、そのドアを開けることはしない。
この店には、僕を待っているもう一人の僕がいるからだ。
カウンターの中にいるマスターが僕を見つける……のも同じ。
「He's already here.(もういるよ)」
そして、しゃがれたマスターの声は今日も同じだ。
Hello dar|kness, my old friend《やあ、暗闇よ、懐かしい友よ》
I’ve come to |talk with you again.《また君と話したくて来たんだ》
ちょうど曲の始まりのフレーズが耳に届く。
遠くで聞こえているオールディーズは|Simon & Garfunkel 《サイモン&ガーファンクル》の |The Sound of Silenc。
何だか、店の雰囲気に合っていないが僕ともう一人の僕のことを歌っているようにも聞こえるし、どんな事件にもいるであろう沈黙を守る者のことを歌っているようにも聞こえる。
さて、この事件で沈黙しているのは誰だろう。
そんな事を考えながら、僕は店の奥の半個室で頬杖をつく僕を見つける。
もう一人の僕は、顔を上げてにこりと微笑んで言った。
「お疲れ様。今回は頑張って起きていたんだね」
ここからは毎回違う。夢の中であることはわかっているが、彼と意思疎通がかなうようになる。
「事情聴取は立ち合いたいからね」と僕が言うと、彼は身を乗り出して興味を示した。
「その事情聴取はどうだったの? 報告してよ」
「わかった。紙とペンはあるんか?」
「あるある!」
何とも嬉しそうな、その僕は何故かあるテーブルの備え付けの引き出しを開けて、紙とペンを取り出した。
「はい。どうぞ」
彼が差し出すペンを取り、僕はこれまでの捜査で得たことを書き出した。
「わぁ。もう三人も亡くなってるんだ……それで、お前の見解は?」
「三人って言うても、最初の一人は老衰やで?」
「それ、本当に老衰なんだろうか?」
もう一人の僕は、そう僕に問う。
この事件は最初の会長の死から、たどった方がええということのようだ。
「そうやな。わかった、調べてみる」
そういうともう一人の僕はまた繰り返す。
「で、お前、東伯カイリの見解は?」
「僕は……身内じゃない人間の犯行だと思っている。厳密には、身内になろうとしている人間の……犯行かと思うてる」
「山口聡子?」
「……おそらく。いや……そうじゃないかもしれんけど……」
山口弁護士は苦労して弁護士になったそうだ。親友の浜山くるみが結婚し子供をもうけた時も、働きながら勉強していて、くるみが離婚してから、念願の弁護士になったと、先ほどの事情聴取で本人が話していた。
「それで、山口弁護士はビルから落ちて亡くなった勝彦氏とはどういう関係だったの?」
「生前、明彦氏と勝彦氏が同席するところに、浜山あいりを連れて行ったことがあるんやて。浜山くるみが亡くなったこと、娘あいりの認知についてなど話し合いに行ったそうや。けど、相手にされず……」
「追い返された?」
「うん。何度か交渉はしたようなんやけどな」
「山口弁護士は、これからどうするつもりなのかな?」
「……今は浜山あいりの代理人だけど、あいりさんを引き取るつもりなんじゃないやろか……あれ? それって……」
まさしく先ほどの僕の見解じゃないか。
風間家の身内になろうとしている人間は、山口聡子なのか?
「じゃあ、まずは浜山あいりの代理人じゃなくて、本人の話も聞いた方がいいね。案外、本人が大切なものを隠している可能性もあるのかもしれない」
沈黙しているのは、誰?
「浜山あいりの話か。確かに風間ビルディングの屋上の赤い繊維は彼女の着ていたカーディガンの繊維と同色だった」
浜山あいりは、依頼の時にしか会ってはいない。風間勝彦邸へも来たのは山口聡子だけだ。
この事件の沈黙を守る者は彼女かもしれない。
他にも何かが隠されている気がした。
「あとは探偵事務所に来てる山口聡子からの依頼は、遂行すること」
「わかった」
「じゃあ。犯人が見つからなかったらまたおいで」
もう一人の僕はそう言うと、紙とペンを引き出しへとしまった。
いくつか、まだ僕の知らないことがある。それらをここで引き出してくれた、もう一人の僕。謎解きはそれからだとも言いたげに、別れ際、顔を上げた彼はうっすらと笑みを浮かべていた。
********************
「はぁ……なんや眠り損やった気がする……」
二人目の被害者が出た、翌日の昼間。
夢の中でもう一人のカイリに会ってきたカイリ本人。
何も謎は解けなかったが、いくつかのヒントをもらい戻ってきた。ただ、今は眉間にしわを寄せて難しい顔をしている。
「目ぇ、覚めたんか?」
カーテンをシャッと音を立てて開けた北堂が、にやりとカイリを見下ろした。
「……僕、どんだけ寝てた?」
「せやな……昨日の十九時には寝てたやろ、今が昼の十二時やから十七時間やな。事件、あれからちょっとだけ進展してるで」
「それ、説明しながら食事の用意してくれへん?」
「任せとけ!」
キッチンへと向かう北堂は捜査情報を話しながら、作ってあったスープを温め直し、パンを焼いた。
「今朝、あいりちゃんがここに来たんや」
「山口弁護士と?」
「いや、一人で。ほんで、山口さんには言えへんことがあるみたいで、今中戸さんと話ししてる」
「僕も彼女に聞きたいことがある」
「食べてからや。俺が様子見てくるから。はいどうぞ」
「せやな」
トレーで運ばれてきた温かいポタージュスープとパン。
「今日はアスパラガスのポタージュに、クリームチーズと蜂蜜のオープンサンドや」
「春らしいなぁ。いただきます」
勝彦氏の亡くなった日、あの日のエントランスのカメラの録画には、該当する時間帯には誰も映っていなかった。だけど、新しく手すりについた赤い毛糸の繊維はおそらく、浜山あいりが着ていたカーディガンのものだろう。
あの日、屋上で勝彦氏と浜山あいりが会っていた可能性があるのか?
呼び出されたのか?
それとも、あいり本人が勝彦氏に会いに行ったのか……?
「ほら、ぼんやり考えるんはあとにし。スープ冷めてまうで?」
「うん……」
考えなければいけないことはまだたくさんあるなぁと思っているのか、カイリはスプーンを持ち、なかなかスープを口元へ運べずにいた。
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実は。
東伯探偵事務所があるレトロビルの最上階は、東伯探偵事務所ともう一つ部屋がある。
ここも実はカイリが借りている。カイリの弟のリキが遊びにくる時や、客人を泊めるために、ということもあるが、その部屋はカイリの書斎でもあった。
質のいい家具もさることながら、落ち着いたダークブラウンと常盤色に統一された室内。なんとも重厚感と高級感がある部屋だ。天井まである本棚には、びっしりと本が並べられている。
この部屋の応接セットで、中戸と浜山あいりは向かい合って座っていた。
朝、東伯探偵事務所へと来た、浜山あいりはこの前と同じ制服姿で赤いカーディガンを着ている。ここ数時間、中戸と浜山あいりは他愛のない話しかしていない。
学校の話とか、中戸の個人的な話とか……カイリのパジャマの話とか。
きっと話したいことはあるのだろう。だけど、それを話したい相手は中戸ではなく、やはりカイリなのだと中戸は感じていた。
「カイリさんに話に来たのよね?」
そう切り出せたのは、もう昼を回ってからだった。
浜山あいりは小さくその問いに頷いた。
「あ、ねえ。お腹空かない? 実はね、東伯探偵事務所にはお抱えシェフがいるのよ」と中戸は明るくあいりに笑顔を向ける。
すると、「お抱えシェフの北堂やでぇ~!」とちょうどいいところに、北堂が入ってきた。
「ご注文を聞きたいところやけど、冷蔵庫にあるもんで考えたら、きつねうどんかピザくらいしか作られへんわ。どっちも作ろうか? あとはアスパラガスのポタージュスープ」
「わぁ、美味しそうですね。私もお腹ペコペコ」
北堂の提案と中戸のお腹ペコペコ発言に、浜山あいりは目を丸くして、すぐに頬を緩めた。
やっと笑みをたたえたのだ。
「お腹空いたもんね」
「……はい。ありがとうございます」そして、初めてあいりの声を聞く北堂。
中戸は北堂と微笑み合った。
「よし、ほんなら先にお昼食べよ。カイリも今、食べてる」
「カイリさん、起きたんですね! よかったね、あいりさん!」
二十分後、北堂食堂から出前が届く。
きつねうどんとピザ、ポタージュスープと紅茶。おかしな組み合わせのメニューだけど、浜山あいりもしっかりと食事をとった。
そして、食後にカイリがテロンテロン生地のパジャマに、ど派手な高級ガウンを羽織りこの部屋へと入ってくる。
「おまたせしました」
「すみません、急に来たりして……」
小さな声だけど、若いのに丁寧な印象も相まって、好感が持てる話し方のあいり。
何かを抱えて、沈黙を守っているのかもしれないと思われる人物。
それを話してもらうためには、彼女がどうしたいのかを先に聞く必要があった。
だけど、それよりも先に彼女がここへ何故一人で来たのかも聞く必要がある。
「ここへ一人で来たってことは、山口さんに知られたくない何かがあるのかな?」
カイリはかなりの直球で、あいりに話始めた。
「はい……あの、私……お父さんの遺産いりません。聡子おばさん、あ。山口弁護士はお金があることは私のためになるって言うんですけど……」
ここは探偵事務所だ。あいりは、そういう話をどこでしていいかわからないのだろう。
「でも、親子だという確証がないんだよね? もしかして何か見つかった?」
「はい。ありました……たぶん、コレの中に入っているんだと思います」
そう言ってあいりがカバンの中から取り出したのは、螺鈿細工の箱だった。
「キレイな箱ですね」
「母のタンスの奥から出てきました」
それは、いわゆる文を入れるためにつくられた箱で、二羽の鶴が向かい合った柄が特徴的な螺鈿細工の見事な美しい箱だった。
「中身は、遺言状と分厚い封書が入ってました。まだ中身は見てません」
それを聞いて、カイリは弁護士がいないと開封できないと考え、あいりにその旨を話した。
「あいりさん、遺言状は弁護士立ち合いでないと開封できません。山口弁護士または別の弁護士の立ち合いが必要です」
そう遺言書の偽造・変造を防止するために、遺言書は開封前に「検認」という手続きが義務付けられている。
遺言書の保管者、この場合はあいりということになるが、相続の開始を知った後、遅滞なく、これを家庭裁判所に提出して、その検認を請求しなければならないときめられているのだ。
遺言状は二通あるのかもしれないと、カイリはここまでで推測する。
「……そうなんですか? じゃあ、別の弁護士さんを……おねがいするにはどうすればいいんですか?」
あいりはどうしても山口弁護士には関わってほしくないようだ。
だが、東伯探偵事務所に今回の件を依頼したのは、山口弁護士だ。
未成年者のあいりのために、何ができるのかを考えなければいけない。
それを山口弁護士に内緒で進めるのは、カイリとしては抵抗があるようだ。
「あいりさん、山口弁護士は君の代理人だよね? 代理人である山口さんでは何故いけないのか。その理由が僕は知りたい。話してくれるかな?」
おそらく、目の前に置かれた螺鈿細工の箱には風間家の人間たちが一番いやな結果が入っているのだ。そして、その結果はいずれあいりの親権を持つつもりであるかもしれない山口弁護士にとっては、良い結果になるのだろう。
しかし、あいりはうつむいて口を閉ざしてしまった。
そこへ、カイリのスマホがメールの着信を受ける。
メールの差出人は向こうの事務所に戻った北堂からだった。
『こっちに山口弁護士が来てるで。浜山あいりがいなくなったって騒いどる』
「あいりさん、山口弁護士が事務所に来ているそうです。どうしますか?」
ずっとカイリとあいりの話を聞いていた中戸は、何かを思いついた様子。
「あの……あいりさんがここにいると言うことになれば、この探偵事務所としても体裁が悪いですよね?」
まあ、あいりが勝手に来たと言えば話は別だが、あいりのこの様子ではそれはあまりにも可哀そうだ。山口弁護士に差し出そうもんなら、彼女は大人を信じられなくなるだろう。
「……だけど、依頼人の信用を失ってしまうよね?」
「未成年者でも、あいりさんは立派な依頼者です。そうでしょう?」
「は?」
カイリは、中戸の言うことが理解できなかった。カイリの頭の中では、山口弁護士が依頼者だったからだ。
「いいですか、カイリさん。目の前の困っている少女が優先だと私は思います」
いつになく、中戸はカイリにモノを言う。
カイリは中戸のこういう人の良いところが気に入ったのだが、困惑の表情を浮かべていた。
「わかりました。あいりさん、ここに居てください。少し山口弁護士と話をしてきます。あなたはニ十分後くらいに、山口弁護士へ連絡してもらえますか? まあ、友達の家にいるとか、なんとか言えばいいと思います」
「わかりました。ありがとうございます」
カイリはいくつかあいりに指示を出すと、入り口とは別の奥にあるドアを開けて探偵事務所へと戻っていった。