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file1 螺鈿箱に隠された真実 1話

 

 ——天満橋某所。

 風間ビルディングの下で、鳴り響くサイレンの音が止んだ。

 そのビルは大川と寝屋川が合流した辺りから少し下流にあり、屋上からは桜並木の遊歩道が小さく薄い桃色に染まって見える。

 そして今日もほどよい風が吹いていた。


 平日昼間のランチ時。

 パトカーが到着したばかりのビルの入り口には、すでに人だかりができていて、黄色い危険表示バリケードテープが敷かれて風に揺れている。そこへ関係者の一人だろうか、美しい女性が颯爽とそのテープを越えビルへと入ってきた。女性の長い髪も揺れている。


「府警本部の南条だ」と少し低めで凛とした彼女の声は、風間ビルディングのエントランスに深く響いた。

 南条が警察手帳を出すのが先かといったところで、バリケードテープの内側に立つ警察官が勢い良く敬礼をする。

「南条警部、お疲れさまです!」


 そのやりとりで彼女が到着したことを知った相棒の西翼にし つばさ刑事は、慌てた様子で1階の奥から出てきた。

 

 南条警部が身長177センチのモデルばりに整った容姿なのに対し、西刑事は身長163センチの素朴な容姿。

 そんな彼の開口一番。

「もう、遅いっすよ!」

「仕方ないだろ。これでも急いできたんだ。で? 状況は?」

「あ、はい。死亡したのは風間勝彦64歳。死因は屋上から飛び降り……または誰かに突き落とされたか……」

「……他殺を疑う根拠はあるのか?」

「それが亡くなった風間勝彦は、先日亡くなった風間ホールディングスの会長、風間明彦氏の長男だとか。もしかすると相続争いかなにか、あるんじゃないですかね」

「ふうん……しかし、あまり先入観を持つなよ」

「わかってますよ~ 現場は屋上っす!」

 二人はエントランスの奥へと歩を進め、エレベーターの前へと立った。

 

「それで、ご遺体は今しがた検死にまわりました」

 西がエレベーターボタンを押しながら現状報告を済ますと、入り口から風が舞い込んでくる。咄嗟の風に乱れた前髪を南条が整えた。

 その風と共にエントランスから入って来た青年が二人。

 颯爽とシルバーのパジャマにスプリングコートを羽織った、さほど背が高くないアイドル風イケメンと、良く育った背の高いこれまたハンサム警察官が入ってくる。

「南条さん、連れてきました!」とその警察官、北堂いつきが声を張った。


「おい……せめて、スウェット上下とかで連れて来いよ。パジャマは寝る時に着るものだろ?」

 南条が、パジャマ姿の男に難色を示し、冷ややかな視線を向ける。

「スウェット上下? 何やそれダサ。ええやろ? コート着てきたんやし。さ、現場、現場!」とパジャマ男は南条に笑顔を向けた。

 ポーンとエレベーターが到着した音がする。そこへ乗り込む4名の男女。

 と言っても女性は一人だが。

 エレベーターが10階へ到着するまでの間に、西刑事から今回の現場の詳細を共有してもらう、パジャマ男と警察官。

  

 パジャマ男がここに来たのには、どうも他にも理由があるようだ。



********************


 

 時をさかのぼること2時間半前。

 うららかな春の気候を存分に堪能しているパジャマ男がベッドにひとり。

 ビジネス街のど真ん中であっても爽やかな風が心地よく入る東伯探偵事務所には、パジャマ男、もといお昼寝中の探偵・東伯カイリの姿があった。


 先日ここで働きだした中戸園子は、家事担当の北堂の負担を減らすべく……いや、本当は彼のお願いに根負けして、事務所の掃除を担当することになっていた。

 事務所内は土足オッケーのフローリングなので、今日も中戸は床のモップがけに精を出す。


「カイリさーん。今日はシルバーのパジャマなんですね。どうでもいいですが、ソファーで寝ていないで、ベッドに行ってくださーい」

 ほぼ毎日、同じようなセリフが事務所内に響く。

 しかし、毎度のことで銀色の光沢ある生地のパジャマを着た青年、東伯カイリは助手の中戸の声にも反応せず、夢の中だった。

「……もう。もし、今、依頼者が来たらどうするんですかっ!」

 と、彼女がなかなかの音量の声で言ったとて、起きる気配は一切ない。

「ああ、中戸さん。春はムリやねんなぁ。そいつ20時間は寝てるから」

 そう言いながら、警察官の北堂は買い物袋を二つ持って近所のスーパーから戻って来た。

「20時間は寝てる? 嘘、それって1日に4時間しか起きていないってことですか?」

 うんうんと頷きながら、北堂はキッチンへと荷物を置きに消える。

 この事務所は、キッチンもバスルームも備え付け。中戸も北堂も通いだが、カイリはここに住んでいる。寝てはいても24時間体制、なのだけど……春の営業時間はたった4時間。

「信じられない。そんなに寝ていられる人間がこの世の中にいるなんて……」


 中戸は、カイリの寝顔を見てふと思い出していた。

 それは、ここへ来る前に彼の伯父・東伯信とうはくまことと出会った時の事だった。


 ふた月ほど前だったか、ちょうど中戸園子は就職活動をしていてハローワークに通っていた。自衛隊の航空自衛官という職を辞め、新天地。ここ大阪でこれからどうしようかとハローワークにほど近いレトロな喫茶店で、真っ白な手帳を眺めていた。


 その時、後ろの席に座っていた白髪が目立つ初老の男性が、中戸に声をかけてきたのだが、その初老の男性こそカイリの伯父・東伯信。


「お仕事を探しているんですか?」

「……え?」

「その茶封筒、ハローワークのものですよね?」

「あ……」

 中戸は一度、茶封筒へと視線を落として、すぐに男性へと笑顔を向ける。

「はい。そうなんです……でもなかなか厳しいものですね」

 不況、とでも言ってしまえば楽ちんだ。しかし、中戸は自分がもっといい職を紹介してもらえると思っていただけに、喫茶店へ入る前ハローワークの職員に言われたことを思い出し、眉間にしわを寄せていた。

「そのお顔ですと、あまりいい仕事は無かったということでしょうか?」

「ええ、まあ……ひどいんですよ、あそこの職員」

「ひどい、とは?」

 何故だかこの時、中戸は男性に何もかも話してしまい、数十分後――しまいには自分の履歴書を彼に見せていた。彼がどのタイミングで、後ろの席から中戸の向かいの席へ移ってきたのかさえ覚えていないくらいに、いつの間にか中戸は彼との面接が終わっていたのだった。


『探偵事務所といってもね、何でもしないといけないと思います。君にしかできない事だと私は思ったんだ。探偵なんて、誰かから恨まれたりもするかもしれない。武道を嗜む君にぜひ頼みたいんです。……実は探偵事務所の主は甥っ子なんだけど、私は彼の主治医でもあってね。甥っ子の様子を定期的に報告してもらえると大変助かるんだけど……引き受けてくれますか?』

 この際、何でも良かったという中戸側の事実。条件もかなり良かったというもう一つの事実。それに、ハローワークで紹介されたどの仕事よりも楽しそうだと思ってしまった中戸は、『私、やります!!』と即答して東伯にコーヒーをごちそうになっていた。

 


 中戸は、彼の伯父と話した内容を思い出すと、眉間にしわを寄せて呟く。

「……4時間しか起きていないことは言った方がいいのかしら?」



 すると、コンコンコンと扉をノックする音が聞こえ、中戸が返事をする。

「はい、どうぞ」

 ソファーでブランケットから顔だけ出して寝ているカイリに、中戸は上から別のブランケットをかけ、カイリの寝顔も覆い隠してしまう。その動作とほぼ同時に、中戸はお客様を出迎えた。

 扉の向こうに居たのは、弁護士バッジを付けたスーツ姿の50代くらいの女性と、セーラー服に赤いカーディガンを羽織る10代後半の少女。少女はおそらく高校生だと思われる。

 

 中戸は二人の顔を交互に見やり、「こんにちは。ご依頼ですか? ここはちょっと散らかっているので奥のダイニングへどうぞ」と、ぴっちりと指先をそろえた手を進行方向へと示す。と、ブランケットの中から、ぷはっとカイリが顔を出した。

「中戸さん、ここにお座りいただいて」

「ちょ、カイリさん! えっ、何故標準語? ……へ? ここにですか?」

 この男はパジャマ姿で何を言っているのか。と中戸は呆れたことだろう。

 パジャマ姿だから、ちゃんとして聞こえる標準語を使ったのか? とも中戸は思っていることだろう。

 実はこの東伯カイリ。依頼者の前では関西弁ではなく、標準語を使うようにしている。関西弁だといい加減な印象を与えかねないので、ということらしい。

 カイリ曰く、標準語にはほぼメリットしかないそうだ。

 そう、これは中戸が来て初めてのご依頼。

 だから、中戸はそのことを知らないでいた。

 カイリが依頼者に見せる顔が別にあることを。

 他にも、カイリがパジャマ探偵と呼ばれていることを……後に知ることとなる。



 パジャマ姿のまま、依頼人と話をしているカイリの横で、中戸は肩を縮こめ申し訳なさそうに座っていた。

 50代くらいの女性は、16歳の少女の代理人兼弁護士ということで紹介を受ける。まだ成人していない少女・浜山あいりは、先月母親を亡くしたばかりだった。その母親の友人がカイリの目の前に座る代理人であり弁護士・山口聡子やまぐちさとこ。あいりの母親には、生前からあいりさんのことを頼まれていたなどと山口は語った。

「それで依頼は、彼女の父親のことなんですが……」


 弁護士・山口聡子が言うには、先日ニュースでも亡くなったと取り上げられていた、風間ホールディングスの会長・風間明彦があいりの父親なのだと言う。

「それで……風間家では現在、後継者争いに発展しておりまして……」

「あいりさんも、その後継者ということですかね?」

「ええ。ただ、風間明彦氏の娘である確証がないもので……今は後継者とは認めてもらえないんです」

「まだ確証がない? とは、どういう……?」

 山口が言うには、あいりの母親から父親の事を聴いてはいたが、証拠はどこかに隠してあると言っていたらしい。万が一、何かあった時には、それを証拠にするのだと元気な時にあいりの母が語っていたとも。

「あいりさんの母親は、証拠を隠してあると言っていたんですね?」

「はい。だけど、浜山の家を探したんですが……そのようなものは何も出てこなくて。ね、あいりちゃん?」

 山口の言葉に、制服姿の浜山あいりは小さく頷いた。


 その時、北堂の携帯電話がけたたましく鳴り始める!

「はい! 北堂です! え……風間ビルディングで? 死体!? わかりました、すぐ行きます!」

 北堂は、今時珍しいガラケーの携帯電話を閉じ、ハッと息を飲んでカイリを見た。その北堂の視線は、カイリとバッチリと合っている。

「いつき、僕も呼ばれてるんだろう? そこのスプリングコート取って」

「今のでわかったんか、お前、すごいな。せや呼び出しや」

 どこか楽しそうに、ソファーを立ち上がるカイリ。そのパジャマを掴んで、中戸は動揺するしかない。

「え? カイリさん!! 山口さんとあいりさんはどうするんですか!?」

 パジャマ姿で外へと今にも飛び出しそうなカイリを、呼び止めた中戸もソファーから勢いよく立ち上がる。そんな中戸に、カイリは諭すように笑顔でこう言った。

「園子さん、今の聞いてましたよね? 警察からの呼び出しです。山口さん、浜山家の住所と連絡先を記入して今日のところはお帰り下さい。後日、連絡します。その時、改めて浜山家にてお会いしましょう」

 と、満面の笑みを山口たち依頼人にも見せて東伯カイリは、北堂と共に事務所から出ていった。


「……あ。……何だか、すみません。おそらくですが、風間ビルディングって……」

 申し訳なさそうに、中戸は山口へと言葉を選びながら話しかける。

 すると、山口の表情が急に明るくなって言った。

「やっぱり、ここに来て良かった。ね、あいりちゃん!」

 そう言われたあいりさんは、また小さく頷く。

 が、中戸は山口の言葉に違和感を覚えたようだ。

「えっと……? ……それはどういう……?」

 中戸は、山口の顔をじっと見つめて首を傾げる。

 パジャマ姿で応対して、ご依頼の話しをまださほど聞いていない状態であるにもかかわらず、出ていった探偵のどこに、そう『ここに来て良かった』なんて言える要素があるのか、さっぱり見当がつかない顔をした中戸。

 そんな中戸に山口は言った。

「カイリ先生、噂通りですね」

「……噂、ですか?」

「ええ。それでは、あいりちゃん。ご連絡お待ちしています。あ、連絡先は名刺の裏に書いておきますね」

 そう言うと山口は、ぽかんとした中戸に答えることなくメモを残し、浜山あいりを連れて帰って行った。


「噂って、何だろう? あっ!」

 中戸はそして大切な事に気が付く。

「東伯先生に報告するのなら、私も現場に行かなくちゃ!」と。

 

 


********************


 

 再び、天満橋某所の風間ビルディングの屋上では、鑑識官が数名この事件の痕跡を探していた。そのうちの一人が這いつくばって何かを見つけようとしている中、パジャマ男・東伯カイリもまた同じく、足元がコンクリート製の屋上で這いつくばっていた。

 おしりを突き上げ、マイルーペを手に持ち……スプリングコートの下に着ているパジャマのテロテロ生地はシルク。ズボン裾から見える足元は、くるぶしまでの黄色い靴下に、先のとがった赤茶色で艶々の英国スタイルの革靴をはく。

「なんで、こんな奴が捜査協力者やってるんだか……」

 南条れみが、訝し気にそうごちる。

 

 屋上には、亡くなった男の右足の靴が落ちていて、その周囲はチョークで囲われてあった。

 他には螺鈿細工のカフスボタンが一つ落ちていて、そこもチョークで囲んである。

 屋上の柵は意外にも低くて、身長が150cmあれば越えられるだろう。

 

「ここから落ちたようです。西さん、確認をお願いします!」

 1人の鑑識官が手すりにあった擦過痕に目を付けて呼んでいる。

「俺っち高いところムリムリッ!!」

 西刑事が後ずさりを始めた時、すぐさまその鑑識官の下へと走り寄るカイリと南条。

「どこどこ? ああ……本当やなぁ。僕が見てもはっきりわかる」

 カイリのマイルーペを通して見える拡大された、何かが擦れた後の手すりは錆がつき、かなり老朽化している。手すりの外側の塗装は剥げ、そこに付着する赤い色の何かの繊維。

「鑑識、ここの繊維を保管して科捜研へ。被害者の衣服の繊維かどうか確認してくれ」

「わかりました」


 すると、南条がカイリの側に近寄ってきた。

「僕のパーソナルスペースへようこそ。何ですか? 南条さん」

「……何かわかったか?」

 ぼそりと声のトーンを落として、南条れみが期待するようなまなざしでカイリを見る。

 カイリは目を丸くして、こう返した。

「うーん……落ちた場所も見てからかなぁ」

 南条は西に顎で合図すると、西が情けない声でカイリを呼ぶ。

「案内しまぁーす、早よ降りましょ」

「情けないなぁ、西さん。ホンマに高いとこアカンねや」

「わ、わるいか!」

 腰が引けた西と、北堂を引き連れてカイリが屋上を後にする。

「現場に残された遺留品、あとで確認する」

「わかりました!」

 現場の鑑識官の一人が南条に返事をすると、この場にいる鑑識官たちを残して南条もすぐにカイリたち三人の後を追い、エレベーターホールへと向かった。

 


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